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城戸朱理のブログ

2017年11月24日

BUTOUプロジェクト@神楽坂セッションハウス

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神楽坂の赤城神社では、福井物産展「越前・若狭まつり」をやっていた。

覗いてみたのだが、越前蟹やのどぐろの一夜干しなど酒肴になるものに惹かれても、買うわけにはいかない。



これから、「舞踏」を見るのだから。


会場は、神楽坂セッションハウス。

ダンスブリッジ・インターナショナル2017「BUTOUプロジェクト」は、三組の出演者によって、18日と19日に開催された。


バンビことパンクな彼女は、すでに18日のゲネプロを撮影し、夜の公演も見ていたが、私は19日の13時の公演を見るつもりが、時間を間違え、結局、17時からの公演を見ることになった。

おかげで、仙台から、この公演のために上京した富田真人氏にも会えたし、それで良かったのかも知れない。


13時の公演を見た遠藤朋之氏と蕎麦屋で飲みつつ、開演時間を待つ。


夜の公演には、笠井叡さん、久子さんを始めとする笠井家のみなさんも見えられた。



BUTOUプロジェクトのプログラムは、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)+定方まことによるCORVUSの「血と雪」、奥山ばらば「カバネダタリ」、そして工藤丈輝による「荒漠器〜かくも人間的な廃墟」。



笠井叡の天使館のメンバーであるCORVUSのふたりに、麿赤兒の大駱駝艦の艦員だった奥山ばらば、そして、土方巽が創設したアスベスト館で舞踏手であるとともに振付けも手がけた工藤丈輝と、
舞踏を担ってきた伝説的存在のもとで学んだ第二世代の舞踏家を集めることで、舞踏の現在を開示する企画と言えるだろう。


公演時間は、1時間40分。これが異様に濃密な時間だった。


CORVUSmは、舞踏概念にとらわれないオイリュトミーで作られた肉体で、言語と格闘するような「血と雪」を踊り、
奥山ばらばは、関節を感じさせないなめらかな動きで、30分もの間、重力に抗い続けた。


工藤丈輝は、白塗りならぬ黒塗りで、爬虫類から獣へ、そして人間への生成を踊ったが、子供が見たら泣き出しかねない異形の恐怖、これは詩友、広瀬大志くんに見てもらいたかったところである。



今や、「舞踏」も、創草期とは違って、規定しがたいものになっている。


日本発の前衛的身体表現として、世界に知られるようになった「BUTOU」は、新たなステージを迎えたというべきなのだろう。


それは踊りとしての様式化をつねに脱ぎ捨てていくことであり、言語と身体の関わりに根差した問題なのではないだろうか。


ラディカルな問いを突きつける公演だった。
posted by 城戸朱理 at 15:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私のレインブーツ

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大雪が降ったときや、北国に行くときは、「100年ブーツ」の異名を取るアメリカ、レッドウィングの乗馬用ロングブーツを履くことが多い。


レッドウィングの商品名は「ペコスブーツ」だが、ローパーブーツがアメリカでは普通の呼び方で、レッドウィングでは、農作業用のステムが太いものと、乗馬用のステムが細いものがある。


乗馬用と言っても、優雅な貴族階級のそれではなくて、牧場で牧童が使うものだから、オイルを含んだホーウィン社のクロムエクセル・レザーが使われている。



もう、20年近く愛用しているが、「100年ブーツ」だけに、いまだに現役である。



当然、雨天にも重宝するが、ステムの長いロングブーツなので、スーツには合わせられない。





そこで、鎌倉で激しい雨に降られたときには、丈の短いレインブーツを履くようにしている。



イタリアのサルバドーレ・フェラガモのものだが、レインブーツだけにラバー製。

ただし、ライニングはレザーで、履き心地がいい。



実家で雪かきをするときにも使えるだろうと思って、厚手のウールソックスを履くことを考え、ワンサイズ、大きいものを選んだので、鎌倉で使うときは中敷きを入れて調整している。



足元を気にせず動けると、雨の日のストレスを軽減できるので、私にとっては必須アイテムのひとつだ。



レインブーツは、雪国に旅するときにも必携の一足になる。
posted by 城戸朱理 at 03:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

せいこ蟹、到来

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北陸の冬の味覚、せいこ蟹。


これは、雌のズワイガニのことで、小振りながら、内子と外子を持ち、味わいは濃厚、福井では香箱蟹とも呼ばれる。


資源保護のため、漁期は11月6日から1月10日と限られており、今年は解禁されて間もない10日に、京都の「ごだん宮ざわ」でいただくことが出来た。


ところが――


せいこ蟹の美味しさに目覚めたバンビことパンクな彼女は、ひそかに、せいこ蟹を現地に注文していたのである!


かくして、17日に、せいこ蟹五杯が到着。


バンビはフランス産のスパークリングワイン2本を準備し、さらに冷凍してあった中村屋のアワビステーキグラタンまで出して、夜に備えているではないか。



あくなき好奇心と旺盛な食欲で、世界中の美味という美味を食べ尽くした作家、開高健も、「日本海の蒸したての蟹」を最上の美味に数えており、その開高健が、せいこ蟹に寄せた文章がある。




丹念にほぐしていくと、赤くてモチモチしたのや、白くてベロベロしたのや、
暗赤色の卵や、緑いろの味噌や、なおあれがあり、なおこれがある。

(『地球はグラスのふちを回る』)




戦後屈指の美文家だけに、官能的なまでの描写だが、北陸の蟹に魅せられた開高健は、毎年、冬になると蟹を食べるために福井に旅したそうだ。


田村隆一もまた、北陸の蟹に魅せられたひとり。

『素晴らしき新世界』にさりげなく書かれているのだが、田村さんは越前ガニが、お好きだったようだ。



さて、せいこ蟹である。

解体して、戦前の瀬戸の白磁角大皿にどさりと盛り付ける。

身の甘さに驚き、蟹味噌の濃厚さに唸り、オレンジ色の内子と茶色の外子の歯応えを楽しみ、まさに「なおあれがあり、なおこれがある」とは至言。


バンビは、目が三日月型になっている。

これは、美味しいものを食べているときのバンビの特徴なのだった。
posted by 城戸朱理 at 11:17| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

隠れ家のようなバーで

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もう一軒行くことになり、福與伸二さんが連れていってくれたのは、銀座七丁目のバー・ネプラスウルトラだった。

こんなバーがあるのは、まったく知らなかったが、会員制だから当然だろう。


階段を地下に降り、福與さんが会員カードをかざして扉を開けると、そこは重厚な調度の空間が広がっている。


この店は、1970年代を中心にしたヴィンテージのウィスキーとブランデーのコレクションが充実しており、福與さんのセレクトで、ブレンデットとシングルモルトを頼んだ。


こうなると、話題はウィスキーのことになる。

福與さんによると、1960年代のウィスキーは、第二次世界大戦中に仕込まれたものが多く、
混乱期だけに仕事が粗いそうで、むしろ、戦後に仕込まれたウィスキーのほうが安定しているのだそうだ。


今や、世界的な評価を誇るジャパニーズ・ウィスキーだが、やはりアイラ島のオイリーなシングルモルトなどに比べると、淡白なところがある。

それが、日本のウィスキーなのだろうし、和食にも合う所以だろうか。


写真は、左から徳山喜雄さん、福與伸二さん、小川英晴さん。

小川さんが取り持ってくれたご縁だが、私にとっては贅沢な時間だった。


しかも、ここでも福與さんに御馳走になってしまったので、次回は私がお招きしなくては。
posted by 城戸朱理 at 12:45| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それでも飲みに行く?

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京都にいるとき、詩人の小川英晴さんから、お誘いがあった。


サントリーのチーフブレンダー、福與伸二さんが上京されるので、飲み会が催されることになったのだという。


迷った。


大いに迷った。


なぜかというと、身体を冷やしたのか、京都から戻った日に、風邪をひいてしまったのである。


しかし、メンバーは、国学院大学の教授でジャーナリストの徳山喜雄さんに小川さん、そして福與さんである。


しかも、福與さんが行きつけにしている店に行くとなると、風邪くらいで断るわけにはいかないではないか。


かくして、懲りない私は、京都から戻った翌日、13日に、ふらふらしながら銀座に向かったのだった。

まったく、困った人である。



待ち合わせは、銀座の菜庵。

資生堂に近いビルの三階にある隠れ家のような店で、たどり着けるか不安だったが、意外と簡単に見つかったのでホッとする。


この店は、日本酒以外は、サントリーのみ。

まずは、プレミアムモルツで乾杯し、しばし、ウィスキー談義が続く。


「家庭料理みたいなものしか出せませんが」と女将さんは言うが、
鰹の叩き、締め鯖から始まった料理は、工夫が凝らされ、ウィスキーの水割りによく合った。


「こういうときは、角の水割りが合いますね」と福與さん。


ウィスキーの水割りやハイボールは、日本風の飲み方になったことを思わず納得してしまったが、
このメンバーだと、話題も酒から音楽、美術、そして政治と何でもありで、時がたつのも忘れるほどだった。


posted by 城戸朱理 at 12:18| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

旅のコート

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旅に出ることが増えると、旅行用品を意識するようになる。


2015年10月19日にアップした記事のトラベラーズ・ジャケットなどは、まさにそれだが、
ほかにも、急に雨に降られたときや、思いがけず冷え込んだときのためのコートやパーカもそうだ。


2年前のベルリンでは、サンダーストームの豪雨に襲われたし、京都だと、春や秋でも、思いがけないほど冷え込むことがある。


そんなときに、薄手のコートが一着あると、まったく違うのだ。


しかも、ナイロンのコートは、たたむとスウェットシャツほどの容量になるので、
かさばらないし、トランクの空きスペースに詰め込むことができる。


旅の必需品である。



今回、トランクに詰め込んで、持っていったのは、ビタミンイエローのナイロンコート。

エンポリオ・アルマーニのもので、首に当たる襟の部分だけ、コットンになっている。



もう一着、着ていったのが、PRADAの黒のパーカである。

こちらは、やや厚手で防風性のみならず、防水性も高い。

しかもフードが付いているので、急に雨に降られたときに重宝する。


10月に岩手県久慈市の小袖海女センターで雨に降られたときも、このパーカのおかげで濡れずに済んだ。


たしか7、8年前に買ったものだが、愛用している一着だ。



ブルーグレーのパーカは、ポリウレタンコーティングを施した完全防水のGUCCIのパーカ。

これ以上の防水性を求めるとなると、登山用のゴアテックス製マウンテンパーカを求めるしかないだろう。


GUCCIは、ブランド隆盛の立役者だったフリーダ・ジャンニーニが、クリエイティブ・ディレクターを2015年に辞任し、後任はアレッサンドロ・ミケーレになった。

ところが、クリエイティブディレクターが変わったとたんにデザインも一変、
異様にポップで、ヤンキー向けとしか思えないコレクションになってしまったので、今や、私が選ぶようなアイテムは、見当たらない。



最後の一着は、コートでもパーカでもないが、やはり旅行用に購入したもので、フリーダ・ジャンニーニ時代のGUCCIのジャケットである。

中綿入りで、ファスナーを完全に閉めると首まですっぽりと覆うデザインになっており、ポケットもサファリジャケット風に4つ。

厚手のセーターのうえに羽織ると、厳寒期以外は、コートなしで動くことが出来る。


こんなふうに機能的な服をGUCCIが作る日は、もうこないのだろうか。



私の場合、コートなどの重衣料は、10年は着られることが選ぶときの条件だが、
こと旅行用に関しては、あくまでも道具であって、機能性で選ぶものであるのが見えてくる。
posted by 城戸朱理 at 09:58| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

京都で買ったもの〜一澤信三郎帆布のリュック

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京都土産として不動の地位を占める一澤帆布だが、創業は明治38年(1905)で、職人用に帆布製の鞄を作るようになったのは大正時代のこと。


戦後になって、リュックやテントなど登山用品も手がけるようになり、名を馳せたが、私の父も一澤帆布のリュックを愛用していた。


それが、タウンユースのバッグとして注目されるようになったのは、1980年代のことだった。

私も当時、購入したトートバッグやエプロンをいまだに愛用している。



海岸で漂流物を探して、写真を撮るときには両手が空いていたほうがいいので、リュックを探していたのだが、バンビことパンクな彼女の提案で、知恩院前の一澤信三郎帆布を見てみることにした。



写真を撮るときは、デジタルでもフィルムでも、細々とした備品があるので、ポケットが多いものが望ましい。



すると、あったのだ、まさにこれというバッグが。


ポケットは、内側にふたつ、外側は四つ、さらに背中に当たる部分にもひとつと、全部で七つも付いている。

サイドのポケットは、ペットボトルが入れられるし、フラップ付きのポケットには予備のフィルムを収納できる。

一澤帆布ならではの防水仕様だし、理想的なリュックである。


カラーは四色あったが、黒い服に映えそうなレンガ色を選んだ。



このリュックに機材を詰めて、海岸を歩いては漂流物を撮影したり、画材を持って、スケッチに出かけたりしよう。
posted by 城戸朱理 at 00:30| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

京都で買ったもの〜有次の雪平鍋

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久しぶりに鍋を買うことにした。


それというのも、傷みが目につく鍋が増えたからである。



処分したのは、ホウロウの鍋が多い。

ハワイで買ったふたつのホウロウ鍋はアンティークだから、もともと小傷があったのだが、ほかにも、焦げ付きが取れない鍋がある。


結局、鍋4個を処分することにしたので、バンビことパンクな彼女と相談して、とりあえず、有次で雪平鍋2つを購入し、様子を見ることにした。



有次は、創業1560年の老舗で、職人がひとつひとつ手作りしているだけに、鍋も美しい。



バンビの希望で、名前を入れてもらったが、雪平鍋は、下ろす前に米のとぎ汁やくず野菜を煮て、酸化皮膜を作る。



それにしても、錦市場の有次の混雑ぶりは凄かった。

しかも、包丁を選んでいる欧米からの観光客が多かったが、今や、有次は海外でも知られるようになったのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:47| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夕食がロケ弁当?

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それにしても、よく歩いた4日間だった。


京都でなければ、こんなには歩き回らなかったかも知れない。


ごだん宮ざわ、平野屋と、2日続けて素晴らしい料理をいただいたので、今回は老舗料亭の弁当ではなく、私は、ロケ弁当の専門店、穂久彩の「京都太秦名物 ロケ弁当」を、バンビことパンクな彼女は吉野の柿の葉寿司を購入した。



京都は、映画やテレビのロケが多い。

穂久彩は、京都市内であれば、どこでも配達してくれるロケ弁当の専門店だが、去年あたりから、京都駅でも見かけるようになった。


大学卒業後、太秦の東映撮影所に就職した井上春生監督には、なじみ深い弁当らしく、ときどき食べたくなると言っていたっけ。



新幹線の車中では、地ビールを飲みながら、読書。


帰宅してから、出汁仕立ての湯豆腐を作って、お弁当を開いた。


塩鯖、鶏の唐揚げ、鰻と、定番の取り肴だが、出汁巻き玉子と梅の生麩をあしらった炊き合わせが、京都らしい。


この弁当、ロケの途中に何度も食べたが、私も、たまに食べたくなるようになった。


近年、雑誌などでロケ弁当の特集が組まれ、テレビ局がどこにお弁当を注文しているか、どんな内容なのかが紹介されたりしているが、穂久彩のお弁当は、多彩なうえ、上品な味である。
posted by 城戸朱理 at 09:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都の町中華〜マルシン飯店再訪

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11月12日は、帰るだけなので気持ちが軽い。

荷物をトランクにパッキングして、宅急便で送り出し、糸屋ホテルをチェックアウトした。


身軽になったので、バンビことパンクな彼女と、烏丸松原から四条、さらに錦市場で買い物をして、祇園へと散策する。


鍵善良房で干菓子を買ったり、知恩院前の一澤信三郎帆布を覗いたりしながら、歩き回っていたら、お昼どき。


バンビが「また、マルシン飯店で餃子を食べたいね!」と言うので、東大路を上り、マルシン飯店に行った。


マルシン飯店は、店の外で何組か待っている人が並んでいるほどの繁盛ぶりである。



待つことしばし、席が空いたので、メニューをじっくり読んでみた。


まずは、バンビのリクエストの熟成豚肉の餃子を頼んで、ビール。

店のお勧め通り、たっぷりの胡椒に酢をかけたものに、普通の餃子のタレを用意する。



「やっぱり、美味しいね!
近所にあったら、毎日、通っちゃうなあ!」



バンビはよほど気に行ったらしいが、たしかに熟成した豚肉だけに癖がなく、実に軽い食感である。


さらに、天津飯があれだけ美味しいということは、スープが美味しいということだから、ラーメンも美味しいに違いないというバンビの意見で、チャーシュー麺を、さらに、蟹玉と炒飯を頼んでみた。


ふたりだと多すぎるが、汁物以外は残しても包んでもらえるから、中華は楽である。


チャーシュー麺は、昔懐かしい中華そばといった風情、蟹玉も普通の甘酢餡掛けで、天津飯ほどのインパクトはない。


やはり、マルシン飯店では熟成肉餃子と天津飯を頼むのが正解らしい。


常連客は、八宝菜に天津飯とか、驚くほどボリュームがある豚肉の天ぷらに五目ラーメンとか、思い思いのものを頼んでいる。


いかにも町中華の眺めで、それがまた楽しい。


京都で町中華に入ったのは、今回が初めて、レパートリーが広がったものだから、バンビも喜んでいたのだが――



「んふう〜。
お腹がぽんぽんだよ〜。
ぽんぽんで苦しいよ〜」



食べ過ぎて、お腹が「ぽんぽん」になってしまったのである。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 09:33| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする