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城戸朱理のブログ

2009年11月24日

世間は、三連休だが・・・

世間は、三連休だが、
私のような文筆業には関係がない。

ただ、世間が休みだということは、
何となく、こちらの気持ちまで、
緩やかになっていくところがあって、
それは、それで悪くないのだが。


日曜日は、横浜高島屋の
瓜南直子展「仮名草子」へ。

偶然にも鎌倉駅で、伴清一郎画伯と遭遇、
いっしょに横浜に向かった。


高島屋のディスプレイは、もうクリスマス一色。
何とも華やかで、ふだん、デパートに縁がない私などは、
目が眩みそうになる。


会場には瓜南直子氏が詰めていたので、しばし歓談。


何でも、毎日、開店と同時に入店し、
ベンチで熟睡している若いホームレスのカップルや、
毎日、店内を歩き回って画廊を覗くうちに、
目が肥えてきて、「今週はダメだな」などと、
厳しい批評を下すようになった初老のホームレスの話など、
消費の場であるはずのデパートにも、
一般客には見えてこない一面があるようだ。


瓜南さんの個展を見てから、
エルメスとジョルジオ・アルマーニを覗いたのだが、
やはり、ユニクロやH&Mを見ているだけでは、
見えてこない世界があるものである。

エルメスのデザイナーは、現在、ジャン・ポール・ゴルチェだが、
やはり、デザインにゴルチェっぽさが。

コートで百万となると、手が出るものではないが、
それだけに見ているだけだから気楽である。


高島屋を出てからは、横浜中華街へ。

広東料理の安記に入って、
紹興酒に燗をつけてもらったのだが、
ここで、瓜南直子・伴清一郎両画伯が合流。
この店のことは、別にアップしよう。


帰りは北鎌倉の侘助に寄って、
さらに飲み足し、タクシーで帰宅。



翌日は、9時に起床。

コーヒーをいれて、「週刊現代」のための
ねじめ正一『ぼくらの言葉塾』
(岩波新書)についてのコラムを書く。

昼ごろ、原稿を編集部に送り、
さらに「アサヒ芸能」のための書評を執筆。

年内に新年第2号までの原稿を
入稿しなければならないので、
少しまとめて原稿を書かなければならない。


今週は、あと早稲田大学での講義と
「毎日新聞」のための松浦寿輝氏との対談がある。
posted by 城戸朱理 at 07:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

第12回「西脇順三郎を語る会」

土曜日は、「西脇順三郎を語る会」のために、
渋谷経由で世田谷の駒澤大学へ。


新倉俊一・藤富保男氏によって
始められた、この会も今年で12回目。

私は第1回のときに講演に呼んでいただいたので、
12年ぶりということになる。


会は午後2時から。

私の講演のあと、八木幹夫氏を司会に、
新倉俊一・藤富保男両氏が、
西脇の日本語による第四詩集『第三の神話』の
作品を取り上げて、具体的にその魅力を検討した。


私は「西脇順三郎とエズラ・パウンド」というテーマを
藤富さんからいただいていたので、
いくつかのキーワードから、
両者の詩が20世紀において、
なぜ、冠絶したものになったのかを語ったのだが、
このことは、いずれきちんと原稿として書くつもりだし、
西脇順三郎についてのモノグラフも
再来年のうちには、着手したいと思っている。


会場には、ヤリタミサコ、杉本徹、なかにしけふこ、
森川雅美、渡辺めぐみ諸氏のほか、
西脇の故郷、小千谷図書館の副館長や
「西脇順三郎を偲ぶ会」の事務局の方の顔も。


静岡大学の山内功一郎准教授も駆けつけてくれたが、
遠く青森から参加された方もいらっしゃったそうだ。


終了後は、駒澤大学正門を出たところの
「公園通りの洋食屋ROMAN」で打ち上げ。

ワインを片手に西脇順三郎の詩について語り合う。


散会後、山内くんと渋谷の鰻屋、松川に寄り、
鰻の肝焼き、肝煮、白焼き、鰻重を頼んで、
ビールのあとは日本酒を酌みつつ、
さらにパウンドや西脇のことを語り合った。


帰りの湘南新宿ラインの車中では、書評の原稿を執筆。

鎌倉に帰宅したのは、10時すぎか。


彼女はバンドのリハーサルに出かけて、
ベースをぶんぶん弾きまくり、
深夜になってから、帰ってきた。


「みんなライヴをやりたくて、うずうずしているからね、
会場を決めたら、ライヴなんだよ!」


大騒ぎして入院したくせに、
退院したとたんに、またもや、パタパタ、
遊び回ろうという魂胆なのである。


いいのだろうか、これで?


佐藤浩市・宮崎あおい主演の
「少年メリケンサック」を見て、爆笑。

中年のパンクという発想とキャスティングの勝利だろう。


心安らかに、就寝した。
posted by 城戸朱理 at 10:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

アメカジの落とし穴

私のワードローブといえば、
スーツもジャケットも黒が主体なのだが、
昨年、鬱病で沈みこんでいたときに、
彼女が面白いことを言い出した。


「オンとオフの洋服を変えたら、
気分が明るくなるんじゃない?

オフのときは、ラルフ・ローレンの
リゾート感が炸裂しているような格好をしたらどうかな?」


なるほど、少しは気持ちがまぎれるかも知れない。

意外なことに、精神科医も、
「それはいいかも知れませんね」と賛意を示したので、
ふだんは買わないラルフ・ローレンで、
やりすぎなくらい明るい色のジャケットやら何やらを
買い込んできたのだが、
ここで気づいたのは、アメカジには、
夏向けの海系と冬向けの山系があるということで、
リゾート感があるのは、マリンっぽい海系のヤツのほう、
山系となると、アウトドア色が強くなるということだった。


しかし、ふだんとあまりに違う格好をしていると、
思わぬところで目撃されて、
あれこれ言われることも。


「城戸さんが昨日、着ていた
ストライプのジャケット素敵でしたね」と八木寧子氏。

「どんなストライプ?」と中沢けい氏。

ネイビーとワインレッドの太いストライプの
いわゆるスクール・ジャケットをアレンジしたヤツである。

すると、中沢さん、


「スクール・ジャケットって、
城戸さん、トウが立ちすぎてないか?」


たしかに。

スクール・ジャケットは、
本来は大学生が着るものである。

しかし、鬱病患者は、そんなことは気にしないのだった(?)。

いや、待てよ。これは鬱というより躁か?


ともあれ、気分が変われば、
それでいいので、気にせず、
普段着がアメカジ化していったのだが・・・

ある日、彼女からダメ出しが出た。


「詩人が、そんなアメリカの木こりみたいな格好で、
外出したらダメなんだよ!」


アメリカの木こり?

そのときの私の格好は、
例によってラルフ・ローレンで、
赤と黒のブロックチェックのシャツにジーンズ、
砂色のスエードの革ジャンだったのだが、
言われてみると、たしかにアメリカの
田舎のオヤジ以外の何者でもない。


考えてみると、日本でアメカジとされている服は、
都会のアメリカ人なら絶対、身につけないような、
田舎の肉体労働に従事する
ブルーカラーの服だったりする。


日本的なアメカジは、誤解に基づくものだったのを、
改めて確認することになったが、
映画や音楽で身近なはずのアメリカでさえ、
こんな調子なのだから、
異文化を理解するのが難しいのは、
当然のことなのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 09:54| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

日本人の何が変わったのか?

戦後詩を代表する詩人、吉岡実は、
戦前、尋常小学校を卒業したあと、
丁稚奉公(!)に出ている。


戦前の旧制中学は、戦後の高校に当たるが、
270校を超える現在の大学より数が少なく、
旧制中学に進学するのは、
ごくひと握りのエリートだけだった。


それ以外の子どもたちは、
尋常小学校を終えたら、働き始めたことになる。


これが、江戸時代となると、もっと凄い。

子どもだからと言って、遊んでいられるわけではなく、
庶民は学校に行くわけでもなかったから、
10代になったら、働いて当たり前、
しかも江戸時代の奉公は、藪入りといって、
一年で休みは盆と正月の2回だけだったのである。


考えてみれば、今日のように
グレゴリオ暦が採用されたのは明治になってからなので、
江戸時代までの日本人には、
日曜日などというものはなかったわけだ。


昔の日本人は、働き者だったんだろうな。
posted by 城戸朱理 at 12:48| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

今年のボジョレー・ヌーヴォー

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11月の第3木曜日、
今年は、昨日19日が
ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日だった。


時差の関係で日本は世界でいちばん早く
解禁されることになるが、
私のところにも午前中、酒屋が配達に。


実は毎年、注文はしているのだが、
ボジョレーはボジョレー、
フランスで買えば300円ていどのテーブルワインだから、
騒ぐほどのものではないし、
結局、残して料理に使うのが恒例になっている。


今年は止めようかとも思ったのだが、
季節物だし、いちおう上級のボジョレー・ヴィラージュと
白のマコン・ヴィラージュ・ヌーヴォーを
頼んでおいたのだった。


今年のボジョレー・ヌーヴォーは、
「50年に一度の出来」という触れ込みだが、
たしか、2002年には
「100年に一度の出来」と言っていたような気がする。

まあ、要するに、毎年、
「今年は最高」ということなのだろう。


紀ノ国屋で買ってきた
トリュフ入りフォアグラメダイヨンや
パルマ産生ハム、フランス産チーズ5種を用意していたら、
彼女が京風たこ焼きを買って、
得意気に帰ってきたではないか。


「やっぱり、ボジョレーにはたこ焼きなんだよ!」
・・・


ボジョレーにたこ焼きが合うはずはないが、
ボジョレーだろうと何だろうと、
無理やり、たこ焼きに
合わせてしまおうという魂胆なのは間違いない。

まあ、それもありか。


ところで、今年のボジョレー・ヌーヴォーは、
たしかに例年とは違った。

いつもは、酸味の強いジュースとしか思えないのに、
今年の新酒はバランスがよく、
フレッシュなのに、きちんとワインの味がする。


「今年は美味しいね!」

たしかに。

「今日も退院祝いで乾杯だよ、退院おめでとう!」
・・・

「こうやって、毎日、退院祝いするといいんじゃないかな?」
・・・・・・


相変わらずむちゃくちゃである。


ともあれ、今年のボジョレーは悪くなかった。

デフレで千円を切るボジョレー・ヌーヴォーが
売り出されているそうだから、
また何本か、買ってみることにしよう。
posted by 城戸朱理 at 13:56| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

都会型鬱病

電車の吊り広告で、ある週刊誌の記事が気になった。

買って読もうと思ったのだが、
失念して帰宅したら、柳美里さんからファックスが。

なんと、まさに、その記事だった。


「週刊文春」の都会型鬱病に関する記事である。


今や、日本の鬱病患者は、500万人を超えると言われ、
国民病の様相を呈しているが、
その主因は、脳の神経伝達物質、セロトニンの減少や
セロトニンがうまく働かないことによるものだとされている。


治療としては、抗鬱剤によって、
セロトニンの働きを高める方法があるが、
抗鬱剤は副作用を伴ううえに、
長期にわたる服用は、依存症に陥る危険性も。


さらに、ここで新たに浮上してきたのが、「都会型」鬱病だ。


地方だと、鬱病は年配者に多く、
抗鬱剤もよく効くのだが、
東京の患者は、若年層が多く、
薬が効かないうえ、治りにくく、再発しやすいのだとか。


そして、地方と東京の患者に、
どんな違いがあるのかを調べたら、
食生活に極端な違いがあるのが分かってきたらしい。


地方の患者が季節の野菜を中心にした、
バランスのいい食事を取っているのに対して、
東京など都市部の患者は、
インスタントやコンビニの食品、
スナック菓子や清涼飲料水など、
加工食品への依存度が高い。

こうした添加物が多い加工食品に頼ると、
セロトニンを作る原料となる必須アミノ酸の
トリプトファンを摂取できず、
鬱病の症状が改善されにくくなるのだという。


都会型鬱病の原因は食生活にもあったわけで、
食生活を改善するだけで、
鬱病が治るケースもあるそうだ。


食生活と精神の関係。

これは、もっと一般的に
知られるようになるべきことのひとつだと思う。


ちなみに、私の場合、食生活は何の問題も見当たらないので、
鬱病の原因は、もっと心的なものだったことになるが、
それは精神科医との対話のなかで、
解きほぐしていくしかないようだ。
posted by 城戸朱理 at 10:41| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

神田まつやで蕎麦を

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かつては連雀町と呼ばれた神田須田町あたりは、
江戸から戦前の東京の気配を今に残す町で、
蕎麦の神田藪や鳥鍋のぼたん、
あんこう鍋のいせ源に、お汁粉の竹むらなどの
老舗が軒を連ねる。

創業明治元年、池波正太郎が愛した
神田まつやもそんな一軒。


久しぶりに神田に行く用事があったので、
昼食はまつやに寄ることにした。


蕎麦屋では必ず酒を頼んだという池波正太郎にならって、
お銚子を一本だけ頼み、
蕎麦味噌で飲み始め、
さらに天ぷら蕎麦を当てに、ゆっくりと飲む。


締めは、せいろ。

まつやではごく普通に「もり」と呼ぶが、
やはり、蕎麦の風味は、せいろに尽きる。


この季節だと、鴨南ばんも捨てがたいが、
まつやの天ぷらの特大の車海老は、
やはり、素晴らしい。

これを前にして、呑まないわけには、いかないだろう。


理想は神田古書店街を歩いたあとの夕方、
まだ混み合う前に入り、
わさびいもや塩うに、鳥わさなどで飲み始め、
せいろで締めるというものだが、
なかなか、その機会がないのが残念だ。
posted by 城戸朱理 at 11:03| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年の「西脇順三郎を語る会」

今年も新倉俊一・藤富保男両氏の企画による
「西脇順三郎を語る会」が開催される。

詳細は、以下の通り。



日時/2009年11月21日(土曜日)、午後2時から

会場/駒澤大学世田谷校舎・大学会館2階


講演=城戸朱理「西脇順三郎とエズラ・パウンド」

対談=藤富保男・新倉俊一「第三の神話」


会費/千円

問い合わせ/現代芸術研究会事務局・藤富
電話/03・3717・4559



現代詩の創始者にして、永劫の旅人、
西脇順三郎をめぐる一日は、
21世紀の詩の目指すべき道を照らすものとなるだろう。

会の後は、西脇順三郎が愛した「どぜうの駒形」渋谷店で、
どじょう鍋を囲みながら、
西脇順三郎の詩を語りたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 10:38| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言』(光文社新書)

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ネットで流通している言葉に
「リア充」というものがある。

これは、「リアル・ライフ、
つまり現実の生活が充実していること、
もしくは充実している人」という意味で使われているのだが、
こうした言葉が生まれること自体、
ネット空間が現実ではないことを、
ネットの住民が、気づいている証拠だと言えるだろう。


ウェブといえば「進歩」と
「可能性」ばかりが語られてきたが、
いつまでも可能性ばかりが語られるのは、何故なのか?


この答えは簡単である。

例外的なシンデレラ・ストーリーはあるものの、
それは、あくまでも例外であって、
いまだに、可能性以上の何かが実現されてはいないからだ。


要するに、そこにはすべてがあるように見えながら、
「現実」だけが、ないのである。


では、本当にウェブは、これからも進化し続けるのか、
そして、新たな可能性があるのか?

そうした問題を真っ向から語る本が登場した。


広告代理店勤務、雑誌編集者を経て、
ニュースサイトの編集者になり、
ネット漬けの生活を送っている著者だけに、
経験に即した分析は、これまでネットに関して
語られてきた通説を覆すものと言っていい。


詳しくは、本書を読んでもらいたいが、
「ネットは発言にもっとも自由度がない場所」、
「ネットで流行っているネタは一般社会ではマイナー」、
「重要な情報を持っている人は、
その情報をわざわざネットには書かない」、
「ネットによって人々の嗜好・生き方が
細分化されたというのは嘘で、
実は均一化されただけ」など、
通説とは反対のネットの現実が次々と指摘されていく。


著者が体験したネットの現実とは、
要約するならば、頭のいい人は、
ネットを短時間、利用して、
リアルなビジネスにするが、
ネット漬けのヘビー・ユーザーは、
せっせと情報をアップして、
頭のいい人に利用されているだけで、
実はバカか暇人ばかりだというもの。

そして、結論。


「結局は、リアルな世界で活躍している人が、
多額の報酬を得たり、スポットライトを浴びるのである」、
「もう、ネットに過度の幻想を持つのはやめよう」
「なぜなら、ネットはもう進化しないし、
ネットはあなたの人生を変えないから」ということになる。


たしかに、実際の人生は「リアル」なことの
積み重ねで出来ている。
ネットには、その「リアル」だけがない。
そして、ネットは、もう充分に進化したし、
これ以上、進化することも、
今以上に可能性を持つこともないというのが、
本書の主旨なのだが、
この意見に共感するか、
反発するかは、人それぞれだとしても、
ネットの進歩と可能性ばかりを称揚する
職業的ITジャーナリストには書き得ない、
ネット社会の現実がえぐり出されているのは間違いない。



となると、ブログのみならず、
ツィッターまで始めた私も、
バカか暇人ということになるのだが、
どちらかというと、暇人がいいな。
posted by 城戸朱理 at 08:59| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

瓜南直子展「仮名絵草子」(@横浜高島屋)、いよいよ明日から

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このブログでもおなじみの瓜南直子氏は、
昨年、私が作品を注文制作してもらった画家。

今年の夏の鎌倉花火大会のうちわの絵も
日本画の大家、小泉淳作先生の指名で制作した。


東京藝術大学の美術学部工芸科を卒業後、
独学で日本画を学び、
太古がまどろみつつも今に息づくかのような、
独自にして不思議な物語的世界を岩絵具で描き出す。

その個展が明日から開催されることに。
詳細は以下の通り。



瓜南直子展「仮名絵草子」

会場/横浜高島屋7階美術画廊
会期/2009年11月18日(水)〜24日(火)
時間/午前10時〜午後7時30分
(最終日のみ午後4時まで)



写真は、案内状の「地の秤」。

「仮名」のようにやわらかに、
「草子」のように紡がれていく物語。

生命と世界の秘蹟に触れるような絵画に会いに行こう。
posted by 城戸朱理 at 10:10| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする