

「現代詩手帖」2007年7月号の「城戸朱理特集」で、
野村喜和夫氏が、「城戸朱理と隣接諸ジャンル」と題して、
私の書斎の架空訪問記を寄せてくれているのだが、
このエッセイについて、ときどき質問を受けることがある。
野村さん自身が「もう長いつきあいになるのに、
私はまだ彼の住まいを訪れたことがない」と
語っているように、あくまでも架空の話であるだけに、
それだけに、どこまで事実なのか、
気になることもあるのだろう。
実際のところ、どうなのか、
野村さんのエッセイと現実との違いなどを実況してみよう。
まず、野村さんは、「案内された書斎はかなり広く、十畳はあろうか、
南側に面した窓からは、
鎌倉特有のもっこりした照葉樹の森がみえ」と舞台を設定しているが、
私の書斎は8畳のフローリングで、
窓から見えるのは、数軒の民家とたしかに鎌倉の森である。
しかし、野村さんが想像したような整頓された部屋ではなく、
実際は、足の踏み場がないというほどではないものの、
本と資料の間を縫う獣道のような
スペースが残されているだけである。
窓に面して、10代から30年以上愛用している
北欧製のデスクが置かれており、
椅子はイタリアのティト・アニョーリが
デザインした名作、リマの黒い革張りのものなのだが、
もう20年近く使っているので、
これは、だいぶ痛んでいる。
デスク左手の壁面を埋めるように4本の本棚と
デスクの後ろには、背中合わせになるように、
6本の本棚が置かれており、
壁面の本棚は、棚の奥行きがあるので、
2列に本が置かれているのだが、
計10本の本棚では、
私の蔵書の4分の1も収容することはできない。
勢い、本は、実家に置いてある分や
倉庫に置いてある分のほかに、
居間や寝室も浸食しつつある。
野村さんのエッセイとは違って、
決して、広々とした書斎ではないが、
それなりに整理と分類はされているといったところだろうか。
野村さんは、「雑然とした感じはあまりせず、
かといって、学者の書斎のような
鬱蒼とした書物の壁というふうでもなく」と描写しているが、
たしかに、学者の本棚とは、だいぶ違うものかも知れない。(つづく)
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