木曜日は、鎌倉文学館で開催されている
企画展「田村隆一 詩人の航海日誌」の関連イベントとして、
トークショー「田村隆一の魅力」が開催された。
会場は、鎌倉駅に近い鎌倉生涯学習センター。
ここは、かつては鎌倉市中央公民館だったところで、
ホールは280席あるが、
事前予約では、満席、
東京で開催されるイベントよりも、
活況だったと言えるだろう。
出演は田村悦子夫人、鎌倉文学館学芸員の宮崎京子さんに私で、
司会がニュースキャスターの久能靖さんだったため、
座談会やシンポジウムで
司会をつとめることが多い私は、
気楽に座っていることができたが、
悦子夫人の語る、素顔の田村さんの面白いこと、面白いこと、
会場には、笑いが絶えなかった。
「田村さんは、いつもウィスキーだったをですか?」と司会者。
「いいえ。朝食のときはワイン、
日中、編集者の方が来られるときはウィスキー、
それで、夜は日本酒です」と悦子夫人。
これでは、一日中飲み続けではないか。
さすが、田村隆一である。
トーク終了後、ロビーに出てみると、
新倉俊一先生、岩原康夫先生、島村輝先生、
ワタリウム美術館の和多利館長、
詩人では、杉本徹・渡辺めぐみ両氏、
さらに、藤沢周氏まで来場していて、
豪華な客席(?)だったことが判明。
藤沢さんと北鎌倉の侘助に移動し、
打ち上げとなった。
翌日はチベットについての原稿を執筆。
しかし、前日に飲みすぎたのか、
頭が重く、なかなか、はかどらないので困った。
2008年05月31日
2008年05月30日
お財布はグッチ〜♪
隣の部屋から、彼女が歌っているのが聞こえてきた。
「ぐっ、ぐっ、ぐっぐっぐっのぐう〜♪」
「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌の替え歌のようだ。
「さむちいな、さむちいな♪」
?
「さむちい」は彼女の造語で、
「寒い」と「淋しい」の
ダブルミーニングになっている。
いったい、何が「さむちい」のだろう?
「お財布はグッチ〜♪
中身は2千円♪」
!!!
財布だけは、グッチの新作なのに、
なかにはお金が入っていないらしい。
書斎で、くすくす笑っていたら、
替え歌には、まだ続きがあった。
「だから、お手々に〜♪
のせてあげてね♪」
!!!
結局、この替え歌は、お小遣いを
せびろうとする歌だったのである!
「ぐっ、ぐっ、ぐっぐっぐっのぐう〜♪」
「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌の替え歌のようだ。
「さむちいな、さむちいな♪」
?
「さむちい」は彼女の造語で、
「寒い」と「淋しい」の
ダブルミーニングになっている。
いったい、何が「さむちい」のだろう?
「お財布はグッチ〜♪
中身は2千円♪」
!!!
財布だけは、グッチの新作なのに、
なかにはお金が入っていないらしい。
書斎で、くすくす笑っていたら、
替え歌には、まだ続きがあった。
「だから、お手々に〜♪
のせてあげてね♪」
!!!
結局、この替え歌は、お小遣いを
せびろうとする歌だったのである!
2008年05月29日
老舗のおでん屋で



水曜日は午後4時から、青山のテレコムスタッフで、
寺島高幸・清田素嗣プロデューサーと
今季のEdgeのラインナップを決め、
さらに番組のDVD化の方向性を検討した。
2時間に及ぶ会議のあとは、
寺島さんが予約を入れていた店に席を移したのだが、
これが湯島の老舗おでん屋、こなからの支店で、
半年前にオープンしたのだという。
おでん屋といっても、洒落たたたずまいで、
料理もコースで組むことができる。
この日は、茶碗蒸し、サーモンとアボガド、
鶏肉の突き出し3品から始まって、
お造りは、ぼたん海老、鯛、まぐろ、
それから、焼きもの、おでんというものだった。
追加で頼んだ牡蠣のおでんは、絶品で、
ほかに、あいなめの昆布締め、
海老とそら豆のかき揚げを頼み、
締めはうどん、デザートは牛乳のプリン。
男3人で菊正宗の純米を一升以上酌み、
仕事のことから、日本の現状まで、
さまざまなことを語りあったが、
おでんを囲んで過ごす時間というものも、
なかなか、いいものだった。
日本人の楽園、その4〜山口誠『グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園』(岩波新書)
日本が2万人もの戦死者を出したグアムが、
なぜ、日本人のリゾートとなったのか?
本書の分析は、たいへんに興味深いものだった。
日本が経済的な復興を遂げつつあった
1958年から翌年は、
皇太子(現天皇)ご成婚に日本中が湧き、
1960年には、昭和天皇の第5皇女清宮が結婚、
この時期、日本のメディアには、
皇室を中心とする結婚の話題が
大量に流通することになった。
そして、この2組の皇室カップルは、
相次いで、宮崎を訪れたため、
宮崎は、国内の南国として、
新婚旅行のメッカとなり、
60年代を通して、新婚旅行のシェア1位を独占することになる。
これが、日本人のグアム旅行の前史となるわけだが、
一方、グアムの側にも事情があった。
グアムは米領とはいえ、
あくまでも軍事的拠点であり、
軍事機密の保持と保安上の理由から、
長らくアメリカ人でさえ、
入島が制限されていた。
ところが、1960年代に入って、
国際収支の深刻な赤字に
悩むことになったアメリカは、
ドルの国際的な地位を守るために、
ドル防衛政策をかかげ、
1962年には、グアムの入島制限も解除される。
とくに資源を持たない太平洋の小島が
経済的自立を試みようとするとき、
観光産業に期待をかけるのは、
自然な成り行きであったと言えるだろう。
グアム政府は、欧米型の長期滞在リゾートを計画したが、
日本資本も進出して、大型ホテルを建設、
グアム観光局は、日本のメディアを招待し、
結果として、日本のメディアには
「青い海、白い砂」という南国イメージの
グアム像が流通するようになる。
そして、経済成長が著しかった日本では、
1969年から74年にかけての
団塊の世代の結婚ラッシュで、
新婚旅行客がグアムに殺到することに。
そのとき、売りに出されたのは、
あくまでも南国の楽園のイメージであり、
太平洋戦争の記憶や巨大な米軍基地は隠蔽され、
観光ルートは、スペイン統治時代の遺跡や、
南国イメージのものに限られていたという。
このようにして、太平洋戦争の記憶を埋め立てた
「日本人の楽園」=グアムが成立することになる。
著者は、切断された記憶の回路の
回復することの必要性を語っているが、
たしかに、それなしには、
グアムと日本人は不幸な関係のままでいるしかないだろう。
本書は、グアムに関心がない人にこそ一読を勧めたい、
現在のカルチャラル・スタディーズの成果であると言っていい。
なぜ、日本人のリゾートとなったのか?
本書の分析は、たいへんに興味深いものだった。
日本が経済的な復興を遂げつつあった
1958年から翌年は、
皇太子(現天皇)ご成婚に日本中が湧き、
1960年には、昭和天皇の第5皇女清宮が結婚、
この時期、日本のメディアには、
皇室を中心とする結婚の話題が
大量に流通することになった。
そして、この2組の皇室カップルは、
相次いで、宮崎を訪れたため、
宮崎は、国内の南国として、
新婚旅行のメッカとなり、
60年代を通して、新婚旅行のシェア1位を独占することになる。
これが、日本人のグアム旅行の前史となるわけだが、
一方、グアムの側にも事情があった。
グアムは米領とはいえ、
あくまでも軍事的拠点であり、
軍事機密の保持と保安上の理由から、
長らくアメリカ人でさえ、
入島が制限されていた。
ところが、1960年代に入って、
国際収支の深刻な赤字に
悩むことになったアメリカは、
ドルの国際的な地位を守るために、
ドル防衛政策をかかげ、
1962年には、グアムの入島制限も解除される。
とくに資源を持たない太平洋の小島が
経済的自立を試みようとするとき、
観光産業に期待をかけるのは、
自然な成り行きであったと言えるだろう。
グアム政府は、欧米型の長期滞在リゾートを計画したが、
日本資本も進出して、大型ホテルを建設、
グアム観光局は、日本のメディアを招待し、
結果として、日本のメディアには
「青い海、白い砂」という南国イメージの
グアム像が流通するようになる。
そして、経済成長が著しかった日本では、
1969年から74年にかけての
団塊の世代の結婚ラッシュで、
新婚旅行客がグアムに殺到することに。
そのとき、売りに出されたのは、
あくまでも南国の楽園のイメージであり、
太平洋戦争の記憶や巨大な米軍基地は隠蔽され、
観光ルートは、スペイン統治時代の遺跡や、
南国イメージのものに限られていたという。
このようにして、太平洋戦争の記憶を埋め立てた
「日本人の楽園」=グアムが成立することになる。
著者は、切断された記憶の回路の
回復することの必要性を語っているが、
たしかに、それなしには、
グアムと日本人は不幸な関係のままでいるしかないだろう。
本書は、グアムに関心がない人にこそ一読を勧めたい、
現在のカルチャラル・スタディーズの成果であると言っていい。
2008年05月28日
詩作が始まるときは

月曜日は、1200行で、
すでに書き終えたつもりになっていた
『世界ー海』の新たな詩篇が隆起し、
書斎で、デスクに向かっていた。
夕方、来月に関西で開催される
ドキュメンタリー「光のように、波のように」の
試写会&コンサートの打ち合わせのため、
ヴァイオリニストのツルノリヒロ氏が鎌倉に来る。
今月いっぱいで閉店となる小町の長兵衛で、
イベントの進行や問題点を話し合った。
肴は鎌倉海老(写真)のお造り、エシャロット、
あさりのオリーヴオイル、若鶏の紅茶煮などを頼んだが、
暑い日だったので、ビールが嬉しい。
7時すぎに、静岡でのコンサートを終えた
花実さんが合流したので、
マイクスに席を移し、
さらにアンコールの対応などについて、打ち合わせた。
マイクスでは、まだ夕食を食べていない花実さんのために、
オムレツ、ターターステーキ、
ローストビーフなどをオーダー。
ツルさんから誕生日プレゼントにブルゴーニュの
シャトー・メイニー1997年をいただいたので、
大切に抱えて、タクシーで帰宅した。
火曜日は、終日、書斎。
3冊目の詩論集『都市の文書』の目次を作製してから、
ひたすら、『宮沢賢治全集』を読む。
今年は、宮崎賢治と向き合う年になりそうだ。
水曜日は、夕方から青山の
テレコムスタッフで打ち合わせなので、昼すぎに家を出る。
明日は、田村悦子夫人らが出演する
鎌倉文学館主催のトーク、「田村隆一の魅力」がある。
日本人の楽園、その3〜山口誠『グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園』(岩波新書)
観光客の80%以上を日本人が占めるグアム。
なぜ、日本人はグアムに出かけるのだろうか?
3時間ほどのフライトで行ける近さのせいもあれば、
それなのに、アメリカ領であること、
そして、ハワイ的な南国の楽園イメージを
コピーしたトロピカルなリゾートであることなど、
理由は、いくつも挙げられるだろう。
しかし、その結果、グアムといえば、
日本人ばかりで、買い物するか、
マリンスポーツをする以外に何もない、
作られたリゾートだというイメージも一般化している。
私なども、そう思っていたし、
著者もそうだったらしい。
本書の「あとがき」で、著者は次のように語っている。
なぜ退屈なグアムに多くの日本人が行くのだろう、
という疑問が浮かび、学生たちと調べはじめた作業は間もなく、
退屈なのは、自分たちの想像力であり、
米領グアムには忘れられた記憶と複雑な現状があることを思い知った。
実際、私もこの本を読まなければ、
一生、グアムに行くことはなかったかも知れない。
本書によると、グアムは、米領なのに
アメリカ本土への直行便はなく、
アメリカ市民でありながら、
大統領選挙に参加できず、
ワシントンの連邦議会に
代議士を立てる権利も認められついないのだという。
つまり、グアムはアメリカの「未編入領土」であり、
実質的には、太平洋に軍事基地を確保するための
植民地と変わるところがないと言ってもいい。
さらに、慢性的な公立高校の不足による公的教育の崩壊、
島でただひとつの総合病院は、
病床不足、設備の老朽化で、
医療制度の貧困も問題となっており、
快適なリゾートホテルとは、うらはらに、
住民は、インフラの不備から、
しばしば断水や停電に悩まされるのだという。
日本から、いちばん近いアメリカであり、
アメリカから、もっとも遠いアメリカでもあるグアムは、
実際は、貧困のなかにあり、
それは、観光客には見えない
グアムの現状なのだというのだから、驚愕せざるをえない。
そして、日本人にとっては、
もうひとつの問題がある。
それは、戦争の記憶を埋め立てるようにして、
なぜ、グアムが日本人の楽園になったのかという問題である。(つづく)
なぜ、日本人はグアムに出かけるのだろうか?
3時間ほどのフライトで行ける近さのせいもあれば、
それなのに、アメリカ領であること、
そして、ハワイ的な南国の楽園イメージを
コピーしたトロピカルなリゾートであることなど、
理由は、いくつも挙げられるだろう。
しかし、その結果、グアムといえば、
日本人ばかりで、買い物するか、
マリンスポーツをする以外に何もない、
作られたリゾートだというイメージも一般化している。
私なども、そう思っていたし、
著者もそうだったらしい。
本書の「あとがき」で、著者は次のように語っている。
なぜ退屈なグアムに多くの日本人が行くのだろう、
という疑問が浮かび、学生たちと調べはじめた作業は間もなく、
退屈なのは、自分たちの想像力であり、
米領グアムには忘れられた記憶と複雑な現状があることを思い知った。
実際、私もこの本を読まなければ、
一生、グアムに行くことはなかったかも知れない。
本書によると、グアムは、米領なのに
アメリカ本土への直行便はなく、
アメリカ市民でありながら、
大統領選挙に参加できず、
ワシントンの連邦議会に
代議士を立てる権利も認められついないのだという。
つまり、グアムはアメリカの「未編入領土」であり、
実質的には、太平洋に軍事基地を確保するための
植民地と変わるところがないと言ってもいい。
さらに、慢性的な公立高校の不足による公的教育の崩壊、
島でただひとつの総合病院は、
病床不足、設備の老朽化で、
医療制度の貧困も問題となっており、
快適なリゾートホテルとは、うらはらに、
住民は、インフラの不備から、
しばしば断水や停電に悩まされるのだという。
日本から、いちばん近いアメリカであり、
アメリカから、もっとも遠いアメリカでもあるグアムは、
実際は、貧困のなかにあり、
それは、観光客には見えない
グアムの現状なのだというのだから、驚愕せざるをえない。
そして、日本人にとっては、
もうひとつの問題がある。
それは、戦争の記憶を埋め立てるようにして、
なぜ、グアムが日本人の楽園になったのかという問題である。(つづく)
2008年05月27日
グアムの本屋

グアムでいちばん規模が大きいという
ベストセラー・ブック・ショップは、
新宿の紀伊国屋書店のワンフロアよりも
狭い書店だが、品揃えは悪くなかった。
入口から入って正面は、ベストセラーのコーナー。
ここには写真のように、
ニューヨークタイムズのベストセラーとして、
アレン・ギンズバーグの評伝が並んでいた。
日本では詩人であれ、作家であれ、
文学者の評伝が、ベストセラーになることなど考えられないが、
このあたりは、アメリカの健全さというものだろう。
しかも、入口左手は古典文学の棚、
進んで、右手には詩のコーナーもある。
新しい詩集は、ほとんどなかったが、
ジャック・ケルアックの詩集を1冊選んだ。
タイトルは、『BOOK OF HAIKUS』、
ケルアックによる俳句の試みをまとめたものである。
チョモロ文化やグアムの歴史に
ついての本も欲しかったのだが、
これというものが見つからない。
とりあえず、グアム料理の本を1冊、求めることに。
ほかにはレオナルド・ダヴィンチの
全貌を冊子や模型などで構成する、
『ザ・ダヴィンチ・キット』という面白い本を見つけた。
店のいちばん奥は、日本では消滅しつつあるSFのコーナーがあり、
カラフルなペーパーバックが、ずらりと並んでいる。
アメリカ人のホラーとSF好きは、変わらないらしい。
結局、6冊の本を選び、
100ドル以上の買い物となったため、
レジの店員に「WOW!」と驚かれたが、
現地では、まとめ買いをする人は、
あまり、いないのかも知れない。
2008年05月26日
戦争と楽園

高級リゾートホテルが立ち並ぶグアムの
タモン湾の浜辺を散策していると、
白い砂浜と強いコントラストを成す
積み重ねられた黒い石の小山を
あちこちに目にすることになる。
写真もそのひとつで、
ヒルトンの浜辺にあったものなのだが、
パンの実が実るパンの樹や椰子の間に点在する、
この黒い石の集積は、なんと、
太平洋戦争中に、日本軍が米軍の上陸に備え、
地元住民を使役して作らせた
トーチカ(射撃陣地)の跡なのだという。
開口部から敵軍を撃つわけだが、
これだけリアルに戦場の痕跡をとどめる場所が、
そのまま、リゾート地になっているということには、
やはり、驚きを覚えざるをえない。
2008年05月25日
グアムから帰る

目覚めると雨が降っていた。
雨が小降りになったところで、砂浜を散歩し、
珊瑚の欠片を拾い集める。
そのまま、ジャグジーに入って体を暖め、
それから、プールで泳いだ。
部屋に戻って荷物をパッキングし、
タクシーで、グアム最大の本屋、
ベストセラー・ブック・ショップがあるグアム・プレミア・アウトレットへ。
書店で、チャモロ文化のことが分かるような本を探したのだが、
残念なことに、見当たらなかった。
この本屋のことは別にアップしよう。
朝食はアウトレット内のギブソンズ・フードコートで、
チャモロ料理を選ぶ。
ナスのココナッツ煮、チキンのバーベキュー、
グリーンピースと牛肉の煮物、チキンのスープに
レッドライスがついて8ドルほど。
料理はどれも家庭的で、
なかなか悪くなかった。
ホテルに戻ってトランクをピックアップし、
午後2時にはグアム国際空港に着く。
すぐにチェックインし、
デューティフリーで友人へのお土産を見つくろうつもりが、
ついついエルメスで5点ほどの買い物をすることに。
会計は、今回の旅費をしのいでいるかも知れない(苦笑)。
機内ではジントニックを6杯飲み、
ひと眠して目覚めると、もう成田だった。
カジュアル・レストランで


グアム3日目の昼食は、
世界55カ国に950以上の店舗を展開する
カジュアルなレストラン、TGIフライデーズで。
とにかく、あらゆるメニューが、
アメリカ流の大盛で、迫力がある。
頼んだのは、バーベキュー・サラダとステーキだが、
サラダには200グラム以上のチキンが乗り、
分厚いステーキは、これでもメニューのなかでは、
いちばん小さいのだが、
なんと380グラムもある。
この2皿で、日本ならば優に3人前というところだろう。
ふだんならば、とても食べきれるものではないが、
毎日、泳いでいたものだから、
ビールを飲みながら、あらかた平らげてしまったのには、
自分でも驚いたが、こんな食事を続けていたら、
ホテルのプールサイドに寝そべっていた
アメリカ人のように胸囲より胴回りの方が
太くなってしまうのは間違いないところである。
デューティフリーと水族館



3日目は、目覚めてすぐにプールへ。
泳いではジャグジーに入り、
また泳いで、1時間近くを過ごしてから、ホテルで朝食を取る。
それから、日本人観光客らしく(?)、
デューティフリー・ショップを覗くことにした。
タモンのデューティフリー・ショップ・ギャラリア・グアムは、
世界でも最大規模の免税店で、
エルメス、ルイ・ヴィトン、グッチ、プラダといった
ハイブランドが軒を連ねる。
ホテルからは、タクシーで行っても無料だし、
10分ていどの間隔で無料の巡回バスも走っている。
いわば、デューティフリーは、
タモンの心臓と言ってもいい。
そして、そのことは日本人のグアム観光のあり方を
何よりも雄弁に語るものであるかも知れない。
しかし、私はと言えば、
免税店をひと通りは見たものの
何も買い物せず、シャンパン・バーを見つけて、
ヴーヴ・クリコを飲んでいたのだった。
アメリカで人気のレストラン、
TGIフライデーズで昼食を取ってから、
水族館、アンダー・ウォーター・ワールドへ。
この水族館は、フランス資本の
ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーが、
3000万ドルを出資して作ったもので、
世界一長い84.5メートルの水中トンネルを歩いて、
頭上やかたわらを通りすぎる魚を見ることができる。
サメやエイ、ウミガメから熱帯魚まで、
まるで水中を散歩しているかのような眺めは、
なかなかに幻想的である。
夕方にはタクシーでホテルに戻り、
ベランダで暮れなずむ海を眺め、波の音を聞きながら、
ビールを飲み、ビールに飽きてからは、
ジャックダニエルのグラスを傾けて、
海風に吹かれていた。
河童のように


今回の小旅行では、連日、プールで泳いでいたものだから、
いまだに、きわめて調子がいい。
やはり、鎌倉にいるときも
泳ぎに行くことにしようと思ったことだった。
ところで、ヒルトンは、日本資本のホテルに比べると、
欧米からの旅行者も多かった。
プールサイドでは、胸囲より胴回りのほうが太い、
トドのような白人男性がチェアに横たわり、
1時間たっても、そのままだったし、
やはり、トドのように太い白人女性は、
プールサイドで、仰向けに寝ていたが、
1時間後にはうつ伏せに姿勢が変わっていただけだった。
ナマケモノなみに動かない様子は、
なかなか凄いものがある。
日本人が免税店でブランド品を買い漁っているときに、
欧米人は、ひたすら太陽を浴びてくつろいでいるということらしい。
そして、そのかたわらで、
平泳ぎからクロールと、
ひたすら、河童のように泳ぎまくっていたのが、私である。
ほとんど、競泳の状態で、
リゾートに似つかわしくないこと、このうえない。
しかし、プールに入ると、そうなってしまうのは、
私の性癖だから、しかたがない。
彼女は、嬉しそうに犬かきで泳いでいたが、
姿が見えなくなったと思ったら、
サングラスをしたまま、
ジャグジーにぷかぷか浮いていた。
ロイズのユーロ・アジアン料理




ハワイの名シェフ、ロイ・ヤマグチのレストラン、ロイズは、
アジアの食材や香辛料に西洋の調理法を取り入れたスタイルの
ユーロ・アジアン料理で知られている。
料理は繊細で、素晴らしいものだが、
欧米のレストランの常で、
照明はきわめて暗く、
写真はうまく撮れなかった。
シャンパンをボトルでもらって、
スペアリブや春巻きなどの前菜のあとにサラダ、
ロブスターのスチーム、
アンガス・ビーフのステーキというメニュー。
アンガス州産のビーフは、
日本の前沢牛や神戸牛のような
アメリカの最高級ビーフだが、
繊維が細やかで、柔らかく味わい深い。
シャンパンのほかにグラスでワインももらったが、
メインを食べ終わってみると、
デザートを食べる余裕は、もうなかった。
珊瑚礁の島


明け方に目覚めて、外を見たとき、
海と朝焼けのコントラストの素晴らしさに息を呑んだ。
タモン湾は遠浅で、沖まで数キロも歩いていくことができる。
そのために波は沖に寄せていて、
浜辺には、ほとんど波がない。
砂浜の砂は、砕けた珊瑚で、
珊瑚の欠片が無数に打ち寄せられている。
ホテルでビュッフェの朝食のあと、
砂浜を散歩し、それからプールで1時間ほど泳ぐ。
高い所に登り、土地の食べ物を食べたので、
あとは古老の話を聞くだけだが、
チャモロ人に知り合いはいないので、
グアム博物館に行ってみることにした。
グアム博物館は、マイクロネシアモールという
巨大なショッピングモールの北端の
空き店舗に間借りして開館している。
本来はアデラップ岬にグアム博物館があったのだが、
2002年に大型台風のために建物が甚大な被害を受け、
再建計画はあるものの、
グアム政府に予算がないため、
こんなことになっているのだという。
観光客で賑わうタモン湾周辺の道路整備は優先されるが、
博物館を再建できないというグアムの現実は、
ツーリストには、なかなか見え難い問題のひとつだと思う。
マイクロネシアモールでは、
文具店、ナショナル・オフィス・サプライで、
ノートや封筒など、さまざまな文具を購入。
いずれ、プロジェクト・アララットの
素材となるかも知れないものを選んだ。
昼食は、モール内のフィエスタ・フード・コートで、ハンバーグ・ステーキ。
フード・コートで、プラスチックのナイフとフォークで食事していると、
アメリカにいる気分になるのが面白い。
最後はモール内の巨大なペイレス・スーパーマーケットを覗いた。
野菜は量り売り、肉類は若鶏一羽が4ドルほど、
分厚いステーキ肉が6ドルほどと、
物価は日本よりはるかに安く感じられた。
ホテルに戻ってから、またプールで泳ぎ、
夕食はヒルトン・グアムのメインダイニング、ロイズで取る。
言わずと知れたハワイの創作料理の旗手、
ロイ・ヤマグチの店だが、
このレストランのことな、別にアップしよう。
部屋に戻って、ベランダで、
海を眺めながら、ジャック・ダニエルを飲んだのだが、
なんとも心地よい時間だった。
2008年05月23日
チャモロ料理




日本全土を踏破した民俗学者の宮本常一は、
知らない土地を訪れたときには、
まず、その土地の食べ物を食べ、
高い所に登り、古老の話を聞くよう学生に教えたという。
というわけで、グアムでの最初の食事は、
チャモロ料理の専門店、チャモロ亭レストランで、
グアムの郷土料理を試すことにした。
最初のひと皿は、チキン・キラグェン。
キラグェンは、魚介類や肉をグアム産の生唐辛子、レモンで、
マリネした料理で、生野菜と和えて食べる。
車海老のココナッツ煮は、
タイ・カレーから辛さを抜いたような味で、
海老も新鮮なら、ソースもたいへん味わい深い。
チャモロ料理に欠かせないレッドライスは、
アチョーテという木の実を漬け込んだ水で、炊き上げた御飯で、
とくに味はしないが、さっぱりとした食感が好ましい。
最後にマングローブの林に棲むマングローブ・クラブ。
蒸した蟹をココナッツソースで食べる。
チャモロ料理は、いかにも南国らしく、
殺菌作用があるビタミンCが豊富な
ココナッツミルクにレモン、
それに唐辛子を多用したもので、
フレッシュハーブを使わないタイ料理といった趣だったが、
いずれも洗練されたレシピで、
もっと素朴な料理を想像していたのだが、
気持ちよく裏切られることになった。
日本人の楽園、その2


これまで、グアムに関心を覚えたことはないし、
おそらく、行くこともないだろうと思っていたのだが、
なぜ、かつての戦場が
「日本人の楽園」に変貌したのかに興味を持ち、
山口誠『グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園』(岩波新書)を読んで、
その答えを知ってから、
がぜん、興味がわいてきた。
仕事が一段落したら、温泉に行きたいと思っていたのだが、
温泉ではなくて、南国でもいいだろう。
スーツケースにリネンのシャツや
ボーダーのマリンシャツを突っ込み、
とりあえずグアムに行ってみることにした。
フライトは日曜日の午後の便。
わずか3時間で、グアムに到着する。
ヒルトンにチェックインしたのは、午後7時だった。
部屋は最上階、ベランダに出ると、
眼下にはライトアップされたプール、
そして、その先にはタモン湾が広がっている。
日本人の楽園
「日本人の楽園」と呼ばれている島がある。
マリワナ諸島の最南端のグアムがそれで、
年間100万人もの日本人観光客が訪れ、
グアム島の観光客の80%以上を、
日本人が占めているというのだから、
日本人の楽園といういささか皮肉な
呼び名も、当然かも知れない。
しかし、グアム島といえば、
歴史上、アメリカが唯一、他国に侵略、占領された有人領土であり、
しかも、占領したのは旧日本帝国だった。
1941年12月、日本はグアムを占領し、大宮島と改称、
1944年8月に再び、大宮島は米軍に奪還されるが、
この戦いで日本軍は2万人もの死者を出す。
激戦地となったのは、グアム島西側中央のタモン湾だが、
現在、タモン湾は20ものリゾートホテルが立ち並び、
それこそ、日本人観光客が闊歩する場所となっている。
つまり、グアムのリゾートホテルは、
兵士の死体が折り重なったうえに建てられたことになる。
しかし、グアムと聞いて、
そうしたことに思いを馳せる日本人は、
ほとんどいないだろう。
グアムといえば、青い海と白い砂浜に
椰子がそよぐ南国の楽園といった
イメージしかないのが普通ではないだろうか。
グアムの先住民はチャモロ人で、
数千年の歴史を持っているが、
1521年にマゼランが発見し、
1668年にはスペインの植民地となった。
そして、1898年のアメリカ・スペイン戦争の結果、
スペインからアメリカに譲渡され、
アメリカ領となった。
現在は、アメリカの準州であり、
人口は約17万人、そのうちの40%がチャモロ人で、
公用語は英語とチャモロ語であり、
今日でも、チャモロ語が日常的に使われている。
日本のグアム統治は、わずか30カ月ほどだったが、
その間、日本軍は現地人に対して、
日本語教育と日本化政策を強制し、
拷問と虐殺を繰り返したため、
現地人の支持を得ることは出来なかったという。
グアム島の人々は、かつての侵略者の子孫が、
観光客として訪れることをどう思っているのだろうか。
そして、なぜ、かつての戦場は、
その記憶を塗りつぶされて、
「日本人の楽園」になったのだろうか?
マリワナ諸島の最南端のグアムがそれで、
年間100万人もの日本人観光客が訪れ、
グアム島の観光客の80%以上を、
日本人が占めているというのだから、
日本人の楽園といういささか皮肉な
呼び名も、当然かも知れない。
しかし、グアム島といえば、
歴史上、アメリカが唯一、他国に侵略、占領された有人領土であり、
しかも、占領したのは旧日本帝国だった。
1941年12月、日本はグアムを占領し、大宮島と改称、
1944年8月に再び、大宮島は米軍に奪還されるが、
この戦いで日本軍は2万人もの死者を出す。
激戦地となったのは、グアム島西側中央のタモン湾だが、
現在、タモン湾は20ものリゾートホテルが立ち並び、
それこそ、日本人観光客が闊歩する場所となっている。
つまり、グアムのリゾートホテルは、
兵士の死体が折り重なったうえに建てられたことになる。
しかし、グアムと聞いて、
そうしたことに思いを馳せる日本人は、
ほとんどいないだろう。
グアムといえば、青い海と白い砂浜に
椰子がそよぐ南国の楽園といった
イメージしかないのが普通ではないだろうか。
グアムの先住民はチャモロ人で、
数千年の歴史を持っているが、
1521年にマゼランが発見し、
1668年にはスペインの植民地となった。
そして、1898年のアメリカ・スペイン戦争の結果、
スペインからアメリカに譲渡され、
アメリカ領となった。
現在は、アメリカの準州であり、
人口は約17万人、そのうちの40%がチャモロ人で、
公用語は英語とチャモロ語であり、
今日でも、チャモロ語が日常的に使われている。
日本のグアム統治は、わずか30カ月ほどだったが、
その間、日本軍は現地人に対して、
日本語教育と日本化政策を強制し、
拷問と虐殺を繰り返したため、
現地人の支持を得ることは出来なかったという。
グアム島の人々は、かつての侵略者の子孫が、
観光客として訪れることをどう思っているのだろうか。
そして、なぜ、かつての戦場は、
その記憶を塗りつぶされて、
「日本人の楽園」になったのだろうか?
鎌倉、パークホテルへ
「現代詩手帖」に鎌倉文学館で開催されている、
「田村隆一〜詩人の航海日誌」展についての原稿を書いていたら、
中国、四川省で大地震が起こり、
テレビに釘付けになってしまった。
信じられないような激震で、被害も想像がつかない。
地球の力の壮絶さと人間の営みの脆弱さを
思わずにはいられないが、ささやかだからこそ、
人間の営みは貴重なのだと思う。
土曜日は、女子美術大学で講義のあと、すぐに鎌倉に戻り、
6時半に海に面したパークホテルに向かう。
今月いっぱいで店を閉める
小町の長兵衛の常連が、
「長兵衛の閉店を惜しむ会」を企画したので、
そのパーティーに出席するためである。
会場では、なじみの顔、懐かしい顔も多く、
歓談のときを過ごしたが、
散会後は、藤沢周氏らとともに、
北鎌倉の侘助に移動して、二次会となった。
ついつい飲みすぎ、タクシーで帰宅したのは、
0時を回ったころだったろうか。
「田村隆一〜詩人の航海日誌」展についての原稿を書いていたら、
中国、四川省で大地震が起こり、
テレビに釘付けになってしまった。
信じられないような激震で、被害も想像がつかない。
地球の力の壮絶さと人間の営みの脆弱さを
思わずにはいられないが、ささやかだからこそ、
人間の営みは貴重なのだと思う。
土曜日は、女子美術大学で講義のあと、すぐに鎌倉に戻り、
6時半に海に面したパークホテルに向かう。
今月いっぱいで店を閉める
小町の長兵衛の常連が、
「長兵衛の閉店を惜しむ会」を企画したので、
そのパーティーに出席するためである。
会場では、なじみの顔、懐かしい顔も多く、
歓談のときを過ごしたが、
散会後は、藤沢周氏らとともに、
北鎌倉の侘助に移動して、二次会となった。
ついつい飲みすぎ、タクシーで帰宅したのは、
0時を回ったころだったろうか。
2008年05月18日
ブログ更新お休みのお知らせ
いつも、このブログにおつきあいいただいているみなさま、
本当にありがとうございます。
所用のため、木曜日まで、更新をお休みさせていただきます。
次の更新は、金曜日からになりますので、
再開のおりには、また、
おつきあい下さいますようお願いいたします。
本当にありがとうございます。
所用のため、木曜日まで、更新をお休みさせていただきます。
次の更新は、金曜日からになりますので、
再開のおりには、また、
おつきあい下さいますようお願いいたします。
2008年05月17日
鎌倉の居酒屋で
飲み屋というところは、
メニューにない品があることが多い。
小町のあさ月では、カニオムレツと高菜チャーハン、
ふたつのメニューを合体させたオムライス状の
オムチャーハンなる裏メニューがあるし、
奈可川だと、常連は、かき揚げで
天丼を作ってもらう人がいるようだ。
昔、奈可川で柳川鍋を出したところ、
永井龍男が、こんなのは柳川じゃないと言い出し、
俺の言う通り作ってみろと言って、
それを小林秀雄に出したところ、
小林さんは小林さんで、
こんなのは柳川じゃないと言い出し、
俺の言う通り作ってみろということになって、
それ以来、奈可川では永井風柳川と小林風柳川の
2種類がメニューになったことがあるというが、
天ぷらのひろみでも、天丼は、
小林秀雄風と小津安二郎風がある。
小林風は、いかにも江戸っ子の好みで、
アナゴが入るのだが、
小林秀雄が行きつけにしていた寿司屋の大繁でも、
小林秀雄は、アナゴとマグロを好んだ
という話を聞いたことがある。
永井龍男は、奈可川で締めに天丼を頼むのが常だったらしい。
奈可川で聞いたのだが、
小林秀雄が晩年に、双眼鏡で庭に来る野鳥を見ていたら、
向かいの家が新婚の夫婦だったので、
覗かれていると勘違いされ、
困ったことがあるそうだ。
たしかに野鳥と新婚では、
見るにしても、大きな違いがある。
批評の神様も、そのときばかりは、
奈可川のカウンターで困惑した顔をしていたに違いない。
メニューにない品があることが多い。
小町のあさ月では、カニオムレツと高菜チャーハン、
ふたつのメニューを合体させたオムライス状の
オムチャーハンなる裏メニューがあるし、
奈可川だと、常連は、かき揚げで
天丼を作ってもらう人がいるようだ。
昔、奈可川で柳川鍋を出したところ、
永井龍男が、こんなのは柳川じゃないと言い出し、
俺の言う通り作ってみろと言って、
それを小林秀雄に出したところ、
小林さんは小林さんで、
こんなのは柳川じゃないと言い出し、
俺の言う通り作ってみろということになって、
それ以来、奈可川では永井風柳川と小林風柳川の
2種類がメニューになったことがあるというが、
天ぷらのひろみでも、天丼は、
小林秀雄風と小津安二郎風がある。
小林風は、いかにも江戸っ子の好みで、
アナゴが入るのだが、
小林秀雄が行きつけにしていた寿司屋の大繁でも、
小林秀雄は、アナゴとマグロを好んだ
という話を聞いたことがある。
永井龍男は、奈可川で締めに天丼を頼むのが常だったらしい。
奈可川で聞いたのだが、
小林秀雄が晩年に、双眼鏡で庭に来る野鳥を見ていたら、
向かいの家が新婚の夫婦だったので、
覗かれていると勘違いされ、
困ったことがあるそうだ。
たしかに野鳥と新婚では、
見るにしても、大きな違いがある。
批評の神様も、そのときばかりは、
奈可川のカウンターで困惑した顔をしていたに違いない。



