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城戸朱理のブログ

2015年10月31日

声のライブラリー@駒場・日本近代文学館



2015年11月14日(土)14時から、駒場の日本近代文学館で開催される「声のライブラリー」に私も出演する。

講師は西部邁先生と私で、西部先生は『生と死、その非凡なる平凡』(新潮社2015)を朗読、
私は「幻になるために」(『地球創生説』思潮社2003)ほかを朗読する予定。

なぜか、西部先生と御一緒することになったが、西部先生は「評論家は朗読なんてしたことないからね」と珍しくも困惑気味だった。

もちろん、西部先生のことだから、芸術選奨文部科学大臣賞の授賞式のときのように、朗読を止めて、歌い出す可能性もある。

「声のライブラリー」としては、そのほうが面白いかも知れない。

朗読の後は、作家の佐藤洋二郎さんを司会に座談会、さらに会場販売書籍のサイン会がある。

入場料は、2100円。

詳しくは、日本近代文学館まで。
posted by 城戸朱理 at 08:27| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スニーカーらしいスニーカーとスニーカーらしくないスニーカー

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スニーカーがアスリート用としてではなく、日本で市民権を得たのは、1980年代のことだった。

今や、年齢を問わず、愛用されているが、そうなるとスニーカー専業メーカーのみならず、アパレルメーカーも参入するようになるのも当然だろう。


驚いたのは、20年ほど前だったろうか、エルメスがスニーカーを発表したときである。

ハイブランドの代名詞、エルメスのスニーカーというだけでも意外だったが、約10万円と、値段もスニーカーのものとは思えない。

イタリアの名門サントーニ製だったが、スポーツ用ではなく、完全にタウンユースに特化したスニーカーの登場だった。

同時期に、PRADAもスニーカーを発表し始めたが、こうした高級スニーカーに対して、スポーツメーカーとのコラボレーションを試みるデザイナーも現れた。

最初は、ジル・サンダーとプーマのコラボだったように記憶しているが、見た目は、アスリート用のプーマそのもので、スニーカーらしい顔をしている。

こうしたスニーカーらしいスニーカーの流れは、その後も続き、近年もジョルジオ・アルマーニがミズノやリーボックとのコラボを発表したり、コム・デ・ギャルソンが、コンバースとのコラボを発表したりしているが、
アパレルメーカーが作るスニーカーは、スニーカーに見えないスニーカーとスニーカーらしいスニーカー、ふたつの流れが生じたことになる。


ロケに立ち会うためにスニーカーが必須という日々が続いたので、私もスニーカーを履く機会が増えた。


コンバースやアディダス以外に愛用しているものもある。



最初の写真の、革靴にしか見えない黒のガラスレザーの一足は、PRADAのスニーカー。

このスニーカーは、15年ほど愛用しているが、ストレートチップ型で、スーツやジャケットに合わせても違和感がないから、旅行や出張のときは重宝する。


ライトブルーのウィングチップは、なんと、革靴と同じ工程で職人が作ったアッパーにスニーカー用のホワイト・ソールを搭載したもの。

クラシコ・イタリアの靴ブームを牽引したイタリアきっての靴職人、ステファノ・ブランキーニによるものである。


黒のヌバックに鮮やかなコバルトブルーのソールの一足は、ジョルジオ・アルマーニで、これも一見したところ、スニーカーには見えない。

ジャケットにも合わせられる汎用性の高さが旅行向きだ。



次の写真は、スニーカーらしいスニーカーの一群。


黒のハイカットは、コンバースにしか見えないが、ルイ・ヴィトンである。

コンバースが、レザー製でもトウ部分はキャンバス製と同じくゴムなのに対して、ヴィトンはオールレザー。

型押しのレザーの質感がいいし、サイドジップで、ハイカットなのに着脱が容易というあたりが気に入って購入した。

今回の京都吟行にも履いて行ったが、ベルリンでは、このスニーカーで子供とサッカーをしたっけ。


もう一足、当たり前なフォルムの黒のロウカットのスニーカーは、GUCCI。

アッパーは、光沢があるナイロンとレザーのコンビで、GUCCIのモノグラムがナイロンアッパー部分にプリントされているが、黒地に黒のプリントなので目立たないのがいい。

ところが、ほとんど履く機会がないのは、なぜなんだろう?


オレンジのハンドペイントがトウにほどこされた白のスニーカーは、PRADAのセカンドラインのmiumiuで、シューレースは、白とオレンジの2種類が付いている。

miumiuは、メンズから撤退したので、もう新作にはお目にかかれないのが残念。


白のシンプルなパンチング・レザーのスニーカーは、PRADA。

これはかさ張らないので、出張のときなど、トランクに突っ込んで、ホテル内で愛用している。
posted by 城戸朱理 at 08:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ついにパンクなフォトグラファー???

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バンビことパンクな彼女が、毎日のように吉増剛造さんとFAXのやり取りをしている。

12月に迫ったローライ同盟の打ち合わせをしているらしい。


忙しい合間を縫って、バンビはローライフレックスで撮影もしている気配。


そんなとき、朗報が飛び込んできた。


「やったよ!」

いったい、何をやったんだ?

また、何かパンクなことをやらかしたのだろうか?


「審査に通って、オリンパス・プロ・サロンのメンバーになったんだよ!」
!!!!!!


バンビが、オリンパス・ギャラリー東京で個展を開催したのは、今年の1月末のこと。

その後、勧められてオリンパス・プロ・サロンの入会申し込みをしたらしい。

入会には、メンバー1名の推薦と、プロとしてした仕事を何点か提出しなければならない。

なんと、バンビは日本における音楽写真の第一人者、管野秀夫先生の推薦をもらって応募し、審査を通ってしまったのである!

たしかに、仕事として雑誌や新聞等に掲載された写真は、それなりの数になるので、通っても不思議はないが、
いざ、オリンパス・プロサロンのメンバーとなると、いかにもフォトグラファーという感じがするではないか。

しかし、本人に変わりはない。


「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」

また、始まってしまった――

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」
・・・

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」
・・・

「にゃふ〜ん♪」
・・・・・・

「じゃあ、行ってくるよ!」


どこに行くのかは知らないが、例によってローライフレックスを首から下げて、バンビはパタパタと出かけてしまった。

また、写真を撮りに行ったのだろうが、何のことはない、要するにバンビはカメラと写真が大好きなのである。

プロかどうかなど、バンビにとっては、二の次なわけだが、結果を出してしまうあたりは、パンクの突撃力と言えなくもない。


今日も晴天が広がっている――
posted by 城戸朱理 at 08:24| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月30日

「詩と思想」11月号・特集「究極の一冊、一篇の詩」

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特集「究極の一冊、一篇の詩」を組む「詩と思想」11月号が刊行された。

私も、特集の巻頭座談会に参加している。

メンバーは高岡修(詩人・俳人)、森潮(俳人・画家・写真家)、司会が小川英晴の三氏。


高岡修氏は「究極の一篇」として吉岡実と石原吉郎を挙げ、小川英晴氏は田村隆一と蔵原伸二郎についてエッセイも寄せている。

森潮氏は、画家として立ったが、俳人である父、森澄雄夫氏の俳誌「杉」を継承して俳人となったため、絵画についての話が多かった。


この座談会の出席を打診され、「究極の一冊」というテーマを聞いたき、私がまず思い浮かべたのは詩集ではなく、折口信夫の『死者の書』だったが、それは、ちょうど鈴木大拙『日本的霊性』を読み直していたからだろうか。


それぞれの詩との出会いから始まって、西脇順三郎、蔵原伸二郎、吉岡実、田村隆一、石原吉郎らについて、さらには俳句と詩について、さまざまなことが語られている。


興味のある方は御一読を。
posted by 城戸朱理 at 06:56| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冨美家のうどん

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京都から戻った2日後に、錦市場で手配した冨美家のうどんが届いた。


冨美家は、甘味処として昭和21年(1946年)に創業したが、昭和38年(1963年)から鍋焼きうどんを冨美家鍋として始め、これが名物になった。

いかにも普通な地元の店という感じだったが、なぜかバームクーヘンを焼き始め、お店もモダンに生まれ変わったのは最近のこと。

このバームクーヘン、世界の品評会で受賞を重ね、今や新たな名物となった感がある。

柳美里さんは、お土産に必ず買っていたが、バームクーヘン好きの柳さんが選ぶのだから、きっと美味しいのだろう。


うどんは、出汁はもちろん、具材もすべてセットになっており、鍋さえあれば、錦市場のお店と、ほぼ同じうどんが簡単に出来る。

しかも、豆腐なら森嘉、生麩なら麩嘉と、京都きっての店の具材が使われているのが魅力だ。


今回、頼んだのは、うどんちりをひとつに、冨美家鍋、カレーうどん、京風ラーメンをそれぞれふたつずつ。


うどんちりは、うどんすきで、鶏肉、寄せあげ天ぷら、油揚げに海老やお餅などが入っており、これを鍋にして、締めにうどんを入れる。

この季節の酒の肴にちょうどいい。


冨美家鍋は、50年以上、京都で親しまれている、名物の鍋焼きうどん。

このセットがあれば、調理の手間が省けるので、時間がないときには重宝する。
posted by 城戸朱理 at 06:53| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

第30回国民文化祭・かごしま2015 「現代詩の祭典」

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「文化の国体」と呼ばれる国民文化祭が、今年は鹿児島で開催される。

国民文化祭の一環である「現代詩の祭典〜詩の現在・詩の未来」の会場は、南九州市コミュニティセンター・知覧文化会館。

知覧は、薩摩藩の武家屋敷が残り、茶畑が広がる美しい町だが、特攻隊基地があったことも忘れてはならないだろう。


「現代詩の祭典」は、2015年11月8日(日)。

10時に受付開始、12時15分にオープニング、式典は13時〜16時30分の予定。

川辺フィルハーモニー管弦楽団による演奏会、劇団いぶきによる朗読劇、和合亮一・和合敦子による詩の朗読と多彩なプログラムが予定されており、私もシンポジウム「詩の現在・詩の未来」にパネリストとして参加する。

パネリストは、和合亮一氏、石田瑞穂氏。

はたして、どんな現在が露わになり、いかなる未来が姿を現すのか。


詳細は下記で。


http://www.city.minamikyushu.lg.jp/cgi-bin/hpViewContent.cgi?pID=20150910143514
posted by 城戸朱理 at 09:06| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『水都』まで

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一昨年の10月に父を、今年の2月に母を見送ってから、故郷の景色が一変した。

どうしたことか、何を見ても、何らかの記憶が甦る。

それは、狂おしいほどで、私はとまどいながら、それと向かい合っているしかなかった。

それは、いまだに変わらない。

いや、おそらく、これからも変わることはないのだろう。


父が春先に倒れて、入退院を繰り返しているとき、中津川ぞいの病院を何度か訪ねた。

宮澤賢治が学生時代に下宿先で使っていたという井戸から水を引いた賢治清水で喉をうるおし、下の橋を渡りながら、川と湧水に恵まれた盛岡のことを思ったりもした。


それが、詩集『水都』を構想するきっかけだったのだが、水色の革表紙のノートに、詩稿のメモが増えるにつれて、故郷の景色が、記憶の底で静かに澄みわたっていく。


私はかつて非在の故郷をめぐる詩集『不来方抄』を書いた。

『不来方抄』から始まる起源の詩的探求は、『幻の母』、そして執筆中の『白鳥伝説』の三部作で完結するが、『水都』は『不来方抄』と対を成し、実在の故郷をめぐるものとなるだろう。


先週、「抒情文芸」に『水都』の一篇となる「水面の影のように」を渡したが、詩集の原稿は来年の3月までに書き上げるつもりでいる。
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城戸朱理のヴィジュアル・ポエトリー

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TOLTAの『現代詩100周年』には、私も作品を寄せているが、これは、私にとって、初めてのヴィジュアル・ポエトリーの試みとなった。


NO-WHEREは、「どこにもない」という意味だが、NOW-HEREは「今-ここ」であるとともに「ユートピア」という意味を持っている。

同じ綴りでありながら、分節によって意味が変わるわけだが、同時に「ユートピア」とは「どこにもない」からこそユートピアなのではないか。


作品のタイトルは「blue bird」。


ツイッター上では、広瀬大志くんが「城戸朱理くんがビジュアル・ポエトリーを出してきたのには、びっくり。やるなあ。カッコええな」、中家菜津子さんが「ぱらぱらしてたら、城戸朱理、かっこええ(≧▽≦)」(顔文字!)という嬉しい反応が。


私自身は、これが最初で最後のヴィジュアル・ポエトリーのつもりでいたのだが、いざ『現代詩100周年』を手にしたら、次作のアイデアも湧いてきたので、いずれ発表することになるかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 06:52| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『現代詩100周年』(TOLTA)、その2

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TOLTAによる『現代詩100周年』の特徴のひとつは寄稿者の人選にある。

寄稿者の顔ぶれは、谷川俊太郎、北川透といった大家から、長尾早苗、あるいは和合大地といった「現代詩手帖」投稿欄の常連的な書き手にまで及んでいる。

これは、商業出版のジャーナリズムには決してなしえない人選だろう。


つまり、『現代詩100周年』は、TOLTAのメンバー、河野聡子、山田亮太、佐次田哲、関口文子が、年齢やキャリアを考慮することなく、今日、アクチャリティを認めた詩人に依頼することによって成立しており、そこにこそ、現代性を映す稀有な衝突や交響が起こっているのではないだろうか。

もちろん、寄稿者は100人近いだけに、依頼を受けながら、何らかの事情で参加しなかった人もいることだろう。


だが、私自身に関して言えば、河野聡子さんから、山村暮鳥『聖三稜玻璃』を現代詩の起点として、その100年目に編むアンソロジーという依頼をいただいたときに、すぐに寄稿を決意した。

こうした「大きな」問題提起に、どうして応えずにいられるだろうか。


その意味では、『現代詩100周年』は、依頼に応えるかどうかが、すでにアクチャリティを問われるような出来事だったと言えるかも知れない。

こうした仕掛け自体も、TOLTAならではという気がする。


これだけの内容となると編集作業も大変だったろうが、2015年の現代詩と今日の言語のカタログとも言うべき労作である。


『現代詩100周年』は頒価2000円。

問い合わせは、下記、TOLTA(河野聡子)アドレスまで。


okokotosan@yahoo.co.jp
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2015年10月28日

『現代詩100周年』(TOLTA)

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先鋭な企画で詩の新たな地平を切り開くヴァーバル・アート・ユニット、TOLTA(河野聡子・山田亮太・佐次田哲・関口文子)が、驚くべきアンソロジーを刊行した。

題して『現代詩100周年』。

河野聡子は、その序文で次のように語っている。



「私たちTOLTAは、今年二0一五年を、現在書かれているような日本の無定形・口語の自由詩の成立から百年目であると宣言します」



ここでは、山村暮鳥『聖三稜玻璃』が刊行された1915年に、現代詩の起点が据えられているのだが、まず『聖三稜玻璃』という選択が斬新だ。

その2年後には口語自由詩の先駆とされる萩原朔太郎『月に吠える』が刊行されているわけで、現代詩100年という宣言も、たしかにうなずけるところがある。


河野聡子はさらに、次のようにも語っている。



「無定形の現代詩は、それぞれの詩人が自分だけの定型、自分だけのリズムをつくり、言葉を見い出すことをそのつどそのつど行います。そしてこれこそが、そもそも詩が〈現代〉を名のるゆえんだと言えるかもしれません。ここには本質的に歴史はありません」



かくして、逆説を孕みながら、百年前の『聖三稜玻璃』を自分たちが受け取ったように、次の百年後の誰かに向けて編まれたのが本書なのだという。



このアンソロジーには、100人近い詩人が、いずれも書き下ろしの新作で参加しており、谷川俊太郎から始まって、北川透、瀬尾育生、和合亮一から三角みづ紀、小笠原鳥類ら「新しい詩人」の世代、さらには暁方ミセイ、文月悠光、そして和合大地と、執筆者は10代から80代まで及んでいる。


私にとっては、学生時代からの詩友である広瀬大志、高貝弘也といった詩人も参加しており、力作揃いの圧巻だ。

しかも、TOLTAのメンバーは編集に徹し、作品を発表しないという徹底ぶりには、思わず唸ってしまった。

本音を言うとTOLTAのメンバーの作品も読んでみたかったが、自分の作品を発表するメディアとしてではなく、詩の状況じたいを創出しようとする姿勢は、きわめて重要だと思う。


画期的なアンソロジーの誕生を喜びたい。
posted by 城戸朱理 at 07:16| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西部家の食卓

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「表現者」座談会で富岡幸一郎氏が、小林秀雄と坂口安吾の対談のとき、ふたりが酔っ払ってしまって、対談が空中分解してしまったことを語ったら、西部邁先生が、いきなり「智子、ビールを出しなさい」と言い出した。

さっそく、西部智子さんが、ビールではなくワインを出して下さったので、飲みながらの座談会となる。


白ワインのボトルが空くと、次は赤ワイン。


カマンベールチーズとサキイカを肴に飲み、座談会が終わると智子さんが食事を用意してくれた。

築地まで行って仕入れたというタラコを軽く焙ったもの、さらに、干し貝柱を入れた出汁で茸を炊いたもの、それにイクラ御飯である。

イクラは、やはり築地で仕入れた生筋子を、智子さんが、ぬるま湯で揉んで作られたもので、白鮭の大粒なイクラだった。

これが絶品で、日本酒が欲しくなる。


食事のあとは、祖師ヶ谷大蔵のBAR ROSEに席を移して、さらに飲んだのだが、ここで西部先生が三橋美智也をリクエスト。

「三橋美智也は、日本きってのベルカントだね」と西部先生。

合わせて歌う西部先生の声が、実にいい。


この日は、富岡幸一郎氏と祖師ヶ谷大蔵からタクシーで武蔵小杉に出て、横須賀線に乗り、グリーン車でさらに酒盛りをしながら帰った。

仕事のはずなのに、飲んでばかりとは、これいかに?
posted by 城戸朱理 at 07:15| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「表現者」座談会「アメリカとは何か」

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10月24日(土曜日)は、成城の西部邁先生の事務所で「表現者」第64号のための座談会に参加した。

西部邁事務所がある成城のマンションにたどり着き、まずは、そのたたずまいに圧倒される。


座談会のテーマは「アメリカとは何か」。

メンバーは、西部邁先生、気鋭の文芸評論家、田中和生氏と浜崎洋介氏、司会が「表現者」編集長の富岡幸一郎氏。


小島信夫、江藤淳から村上春樹まで、あるいは鮎川信夫から飯島耕一まで、戦後の文学は、アメリカをどのように受容したのか、そして、アメリカとは何なのかを縦横に語り合った。


私と富岡さんは同世代だが、田中和生さんは1974年生まれ、浜崎洋介さんは1978年生まれ。

わずか4年の差でも、田中さんには先行世代と同じくアメリカへの憧憬がまだあったが、浜崎さんは、むしろアメリカという国家は蔑視の対象でしかなかったという。

この落差は何なのだろうか。

また、理念としてのアメリカと現実のアメリカ合衆国との差異は、さらに突き詰めて論じる必要を感じた。


西部邁先生は、矛盾を内包しうる文学の力を評価されていたが、重要な指摘だと思う。
posted by 城戸朱理 at 07:14| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評が掲載



今日、10月27日の「毎日新聞」夕刊に月評「詩の遠景・近景」が掲載される。

今回は、次の3冊を取り上げた。


カニエ・ナハ『用意された食卓』(密林社)

岬多可子『飛びたたせなかったほうの蝶々』(書肆山田)

松本邦吉『しずかな人 春の海』(思潮社)



先鋭の詩法で生成する言語、その行方は?

興味のある方は、御一読を!
posted by 城戸朱理 at 06:32| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミッシェル・ナカジマ開店10周年記念メニュー、その3

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デセールの前に、マダムに「フロマージュはいかがですか?」と勧められた。

私たちが、酒飲みなのを、よく御存知らしい。

フロマージュは、私とバンビに違うものを用意してくれたのだが、この細かな心使いが嬉しい。

バンビには、ブルーオーヴェルシュ、シダの葉の香りが残るフージュルー、そして、ロワール地方のヴッシュ・ド・ルッセを。

私には、イタリアのクアルティーロ・ロンバルド・スタジオナート、見た目は石鹸のようなシェーブル、ブリケット・デュ・ノール・ドミノ、そしてモンドール。

白トリュフの香りの蜂蜜が添えられている。

すると、すかさずバンビのフォークが伸びてきて、私のチーズをさらっていった!


デセールは「バニラ風味のババロアとチョコレートのプティポー ラズベリーのジュレと濃縮ミルクアイス」で、ふだんは甘いものを食べないバンビも喜ぶ。


ミニャルディーズとダブルエスプレッソで食事は終わったのだが、ワインとフロマージュを除いて、このコース料理が、サービス料10%はつくが、なんと5000円。

原価割れしているのではないかと心配したが、「10年やってこれたのは、みなさまのおかげです。シェフはシャイなので、お料理でお礼を」とマダム。

そのシャイな中嶋秀之シェフを引っ張り出し、記念撮影していたのは、バンビことパンクな彼女だった。
posted by 城戸朱理 at 06:31| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミッシェル・ナカジマ開店10周年記念メニュー、その2

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贅沢な前菜が終わって、ようやくスープになる。

「栗のスープ エスプレッソ風味のゴボウのピューレ」。

栗のみで作られたスープは、信じられないほど甘く、ゴボウの大地のような匂いとエスプレッソの苦みが、さらにスープの甘みを引き立てる。

ゴボウはピューレだけてはなく、フリットも添えられ、食感のアクセントに。

中嶋秀之シェフのセンスには脱帽するしかない。


魚料理は、「スズキのポワレ 白ワインソース 十五穀米のリゾット オープン当時に戻って・・・」。

「オープンしたころは、こんな簡単なものをお出ししていたんですよ」と笑いながらマダムが言う。

たしかに、魚のポワレなら誰でも作れるが、海老のパウダーとイカスミのパンのパウダーが散らされ、味覚の変幻が楽しめるようになっているのは、さすがである。


肉料理は「ブルターニュ産鴨胸肉の五香粉風味のラケ トランペット茸とトリュフのピューレ 赤ワインソース」で、
秋の筍・四方竹を枕にした鴨胸肉は、皮に中華料理の香辛料・五香粉を使っているが、赤ワインソースとの相性は意外なほどいい。

鴨胸肉は野生味を留めながら、あくまでも柔らかく、トランペット茸とトリュフのピューレは、あまりに美味しすぎて、バンビが「このピューレだけでも、おかわりしたいね!」と言い出すほどだった。

もっとも、バンビは前菜のひと皿目から、すべての料理に「おかわりしたいね!」と言っていたのだが。
posted by 城戸朱理 at 06:30| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミッシェル・ナカジマ開店10周年記念メニュー、その1

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鎌倉のミッシェル・ナカジマは、私とバンビことパンクな彼女が、毎年、クリスマス・ディナーに通っているフレンチの店。

開店の翌年からクリスマス・メニューを始めたのだが、毎年、行っており、今や、わが家の年中行事と化している(?)。


ミッシェル・ナカジマは、2010年にミシュランが横浜・鎌倉まで対象エリアを広げたときには、星を獲得したが、今年、開店10周年を迎えた。


開店10周年記念メニューの案内を、先月、いただいたので、さっそく予約。


ミッシェル・ナカジマは、入り口から店内まで、お祝いのお花であふれていた。


まずは、サービスでウェルカム・シャンパンが。

前菜は、なんと4品。

最初は「赤海老、フォアグラのテリーヌ、レザーウッドの蜂蜜、マンゴーピューレ」。

スライスしたビーツが添えられ、まるで絵画のように美しい。

蜂蜜とマンゴーピューレでは、フォアグラの味わいが見事に変わるのが楽しかった。


シャンパンの原型と言われるブランケット・ド・リムーをボトルで頼み、ふた皿目は、「岩手産牡蠣とやしおますのフュメ 海水のジュレ」。

日光のやしおますはスモークしてある。

この料理は、ガスを使ってソースを泡状に変えるエスパーマという新しい調理法が活かされていて、
海水のジュレと牡蠣、やしおますとそのエスパーマ、さらにシークワーサーのエスパーマと、味覚と香りが3層になった素晴らしいものだった。


続いては、「青森産プティフカヒレの姿煮を入れたコンソメロワイヤル 地鶏のコンソメのリエ」で、プディング状のコンソメロワイヤルに地鶏、フカヒレがひとつになって、なんとも優雅な気分。


ブランケット・ド・リムーは、まだ、たっぷり残っていたが、赤ワインのほうが合う料理もあるので、城戸さんなら、これをお勧めしますと言われ、コート・デュ・ローヌもボトルでもらった。


前菜の4皿目は、「グリルしたフランス産茸と鹿腿肉のカルパッチョ 茄子のピューレと香菜のサラダ」。

写真は香菜を脇にのけて撮ったが、茄子のピューレに鹿腿肉、その上に茸が乗っている。

たしかに、この料理には赤ワインだろう。

サラダはラズベリーのドレッシングで、ほのかな酸味が、料理を引き締めている。

それにしても、これだけ癖のない鹿肉は初めてで、バンビは「仔鹿が鹿を食べていいのかな?」と言いながら、喜んで食べていた。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 06:29| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

福島の友人と鰻のつるやへ

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10月22日は、福島の友人、タイセイさんが鎌倉にやって来た。

なんと始発で福島を発ち、鎌倉の寺を回ったらしいのだが、実質的には山歩き。

お昼は勝烈庵へ。

カツレツでビールを3杯も飲んだというのだから、よほど喉が渇いていたのだろう。


宿は、バンビことパンクな彼女が、タイセイさんのためにホテル・ニューカマクラを予約。

夕食は、川端康成や小林秀雄、立原正秋ら鎌倉文士や田中絹代ら、映画人がひいきにした由比ヶ浜通りのつるやに御案内することにした。


タイセイさんは、東日本大震災の津波に呑み込まれたお兄さん夫婦の3人の子供を、わが子として育てている。

お兄さんは、子供たちを高台まで避難させたあと、脚の悪い奥さんを助けに戻って、津波にさらわれたと聞いた。

タイセイさんにとって、子供たちにとって、大震災は、終わるということがない現在進行形の出来事なのだと思う。


先週、タイセイさんは一家で京都旅行に行ったばかり。

タイセイさんが帰る日に、ちょうど入れ違いで、私も京都に行ったので、ビールを飲みながら、京都のことをあれこれ語り合う。

タイセイさんからの嬉しいお土産は、福島の銘酒、大七の純米大吟醸・箕輪門。

私は、ニューヨーク土産のMOMAパーマネントカレンダーとチョコレートを手渡した。


バンビが合流したところで、白焼きが出る。

タイセイさんは「柔らかい!」と感嘆。

鰻重はいちばん大きいものを頼んでおいた。

鎌倉彫の蓋を開け、「これは美味い! 匂いだけで分かります」とタイセイさんは興奮気味。


今年はニューヨーク在住の修子さん、吉増剛造さん、そしてタイセイさんと、来客があるたびに、つるやに来ているのは、なぜだろう?


タイセイさんは、奥さんと相談して選んだという誕生日プレゼントをバンビに持ってきてくれた。

何かというと、メタル製のカメレオン!

色鮮やかで、背中が開いて、宝石入れになるという珍品である。

「にゃふ〜ん!」

なんともバンビ好みの品で、盛り上がった。


つるやは、たしかにいい店だが、鰻以外に、玉子丼や親子丼、どじょうの玉子とじの舞子丼といったメニューもある。

しかし、頼むのは、いつも、白焼きと鰻重に肝吸い。

せっかく、鎌倉で暮らしているのだから、散歩の途中で、ふらりと寄って、鰻以外のメニューも試してみたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 05:44| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都から鎌倉へ

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京都、流響院吟行の案内を終え、鎌倉に戻ったのは、20日(火曜日)。

帰宅してみると、京都で書き上げてメールした「週間 現代」書評のゲラが届いていた。

ニューヨーク渡航前も、今回の流響院吟行関係の連絡に忙殺されたが、吟行が終わるや否や、今度は11月末からのロケのための連絡が行き交うようになる。

とりあえず、宿は押さえたし、あとはロケ地を井上春生監督と詰めなければならない。


21日は、まず「週刊 現代」編集部にゲラを戻し、宅急便で京都から送り出したトランクの到着を待って、荷物をほどき、整理を始める。

クリーニングに出すものを出してから、洗濯機を回していると、半日はかかるが、そこまで終わってこそ、旅の終わりというものだろう。

柳美里さんから宅急便で、バンビことパンクな彼女に誕生日プレゼントが届いたのも、この日だった。


夕方から、京都でメモを取りながら考えていた詩篇を書き上げ、「抒情文芸」編集部にFAXしたのだが、これは『水都』の一篇になる。


京都は夏を思わせる陽気だったが、鎌倉は秋が深まって、朝夕はかなり冷え込むようになった。

翌日は、衣替えを始めたのだが、なかばで止めて、「毎日新聞」月評のため、最近、刊行された詩集を読み直した。

途中、鹿児島の高岡修さんから「文化の国体」とも呼ばれる第30回国民文化祭の件で、3回、電話が入る。

いよいよ国民文化祭も近づいてきたが、私も出演するので、高岡さんや山下久代さんと再会できるのが楽しみだ。


夕方、福島から遊びに来てくれたタイセイさんをホテル・ニューカマクラまで迎えに行き、まずは、近所の古書店・游古洞を一緒に覗いた。

その名にふさわしく、游古洞は、古書と骨董の洞窟のような店だが、鎌倉らしい本が見つかる。

看板下の「死にたくなったら古本やにおいで」という木版画を前に思わず立ち止まってしまうのは、いつものこと。


今回は、萩原朔太郎『氷島』初版があったのだが、あまりの安値に驚愕、すでに持っているのだが、申し訳ない気分になって(?)購入した。

『氷島』といえば、この30年以上、12万円前後という古書値が当たり前だったのだが。


それから、歩いて由比ヶ浜通りの鰻のつるやへ。

遅れて、バンビことパンクな彼女も合流。

つるやのあとは、クルベル・キャンに席を移し、11時過ぎまで語り合った。


翌日は、担当の出張のため、締切が早まった「毎日新聞」の詩の月評を執筆する。

本当ならば、午前中のうちに書き上げて、タイセイさんとお昼を一緒に食べようと思っていたのだが、書き終えてメールしたのは、12時過ぎで、疲れはて、結局、行けなかったのが、残念。

思潮社の藤井一乃さんから、FAXがあり、「現代詩手帖」年鑑収録作品は、「山国異聞」(「文藝春秋」3月号)という確認と、1月号の詩とエッセイの締切の連絡。


そして、夜はバンビが首を長くして、楽しみにしていた鎌倉きってのフレンチ、ミッシェル・ナカジマの開店10周年記念特別メニューのディナーに行った。
posted by 城戸朱理 at 05:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月25日

軽い晩酌には

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京都から戻った夜のこと。

旅に出る前に、冷蔵庫は、ほぼ空にしていくので、食品のストックはまるでない。


だから、錦市場で買い物をしてから帰るようにしているのだが、今回は新幹線の車中でと思ってISETANの老舗弁当売場で買ったお弁当を、結局、開かないまま持ち帰ったので、それで晩酌することにした。


今回は、菊乃井の肴セットと鶏と栗の御飯。

さらに、バンビことパンクな彼女が、有次の小鍋に出汁を張って、上品な湯豆腐を作ってくれた。


菊乃井は、大正元年(1912年)創業と、京都では老舗とは呼べないが、ミシュランでは三つ星を獲得し、三代目当主の村田吉弘氏は、和食のユネスコの世界文化遺産登録に貢献した料理人としても知られている。


肴セットは、さまざまな料理が少量ずつ盛り合わせになっていて、酒の当てにうってつけ。

御飯も量が少ないので、晩酌の食事にはちょうどいい。


愛用の古備前徳利を前にして、古唐津筒盃を傾けながら、小鍋に浮かぶ豆腐を見ていると、旅の疲れが、ゆっくりとほどけていくようだった。
posted by 城戸朱理 at 01:18| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花遊小路の洋食屋、キッチン秀

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10月20日は、錦市場で友人へのお土産をみつくろい、自宅用に冨美屋のうどんを手配し、ぐじ(甘鯛)、若狭の浜焼き鯖などを買ってから、京都駅に向かう前に、昼食を取ることにした。


新京極から花遊小路に入ったところで見つけたのが、清潔なただずまいの洋食屋、キッチン秀。

今年の6月末にオープンしたばかりだという。



バンビことパンクな彼女は、ハンバーグ&海老フライのランチセットを、
私はハンバーグ、カニクリームコロッケ、海老フライ、照り焼きステーキと主だったメニューを少しずつ盛り合わせた秀弁当を頼んだ。

どちらもコーンポタージュと蜂蜜ヨーグルトが付く。


流響院吟行も無事に終わり、ごだん宮ざわの宮澤政人さんとの打ち合わせも出来たので、生ビールで乾杯した。


キッチン秀は、ソースもドレッシングも手作りで、軽やかな味付け。

サラダも、野菜をボウルで軽く手揉みしてドレッシングを馴染ませるといったように丁寧に作られている。


ハンバーグは合挽きで、肉汁がほとばしり、海老フライのパン粉も自家製らしく、きめが細かい。


ロケ途中のスタッフの昼食にもよさそうだったので、バンビが名刺をもらっていた。
posted by 城戸朱理 at 01:17| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする