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城戸朱理のブログ

2015年10月20日

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その4

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食事が終わって、水菓子は、梨とマスカット。

自家製の栗きんとんは、和風モンブランといった趣きで、和栗の風味が存分に味わえる。

さらにバンビには、誕生日だというので、宮澤さんが、蝋燭を立てた最中まで出してくれた。

宮澤政人さんが点ててくれるお抹茶が、このうえなく美味しい。


「もう、玉子を丸呑みした蛇みたいな気分だよ!」

玉子を丸呑みした蛇になったことがないので、よく分からないが。

「お腹が張り裂けそうだよ!」

パンクだから、なんと、お腹が張り裂けそうになるまで、たらふく、食べてしまったのである。

宮澤さんの料理なら、それも当然かも知れないが。


こうして、バンビの誕生日祝いの夕食は終わったのだった。
posted by 城戸朱理 at 08:38| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その3

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それから、汲み上げ湯葉と蟹身を引き上げ湯葉でくるんで揚げ、黄身の天ぷら(!)を乗せた一品。

黄身を崩しながら食べるのだが、すべての食材が渾然一体となった味わいだった。


おしのぎは、蒸し上げたばかりの餅米にカラスミを乗せて。

カラスミが餅米の熱で、柔らかくなるとともに旨みも増していく。

色絵の南京染付の角皿がかわいい。


そして、熱々の小鍋立ては、金目鯛と松茸。

松茸の香りが素晴らしいうえに、昆布をやや強めに引いた出汁には、京都の常連客が「滋味深いお味や」と感嘆していた。


土鍋で炊き上げた御飯は、煮えばなの一膳目、蒸らし終えた二膳目までいただいたが、もう満腹で食べられなかった。
posted by 城戸朱理 at 08:37| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その2

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焼き物は、かますと松茸の幽庵焼き。

隣のお客さんに出されても、松茸が香ってくる。

器は、初代尾形乾山の銹絵長方皿。

皮目を外に巻いたかますは、絶妙な火加減でバンビは、さらに大興奮。


北大路魯山人の指跡が残る縁なぶりの備前皿には、銀杏を練り込んだ焼き胡麻豆腐は素揚げの銀杏を乗せて。

なぜか、銀杏をのけて、先に胡麻豆腐を食べているのは、バンビである。


「素揚げの銀杏は、おつまみに取ってあるんだよ!」

宮澤政人さんが笑っていた。


江戸初期の根来椀で供されたのは伊勢海老のこのこ餡がけ。

伊勢海老は生揚げしてあり、表面だけ熱が通っているものの、中は生そのもので、温かい刺身の風情。

このこの餡がまた、酒好きにはたまらない。


続く鰆も素晴らしかった。

これは軽く酢で締めてから、藁で皮目を焙ったもので、半生のさわらに白髪ネギがよく合う。


初見の青磁皿は、宮澤さんが今年、日本橋の骨董屋で求めたという七官青磁(明時代に龍泉窯で焼かれた青磁)だった。
posted by 城戸朱理 at 08:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その1

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10月15日は、バンビことパンクな彼女の誕生日。

当日は、新宿の老舗洋食屋アカシア風のシチュー仕立てのロールキャベツを私が作って、スモークサーモンや葡萄を並べ、シャンパンを開けてお祝いした。


今回は、誕生日ディナーは翌日。

京都で、ごだん宮ざわを予約しておいたのである。


「お腹を空かせて行かなくっちゃ!」


バンビは楽しみにしていたが、つねに期待以上なのが、ごだん宮ざわの料理だ。


いつもの煎米茶は、楽焼き中興の祖といわれる楽九代、了入の赤楽で。

食前酒に、まずは宮城の「勝山 献」純米吟醸を一献。


先付けは、毛蟹の菊餡がけである。

普通、毛蟹となると、ぽん酢も何もいらないが、菊の花のわずかなほろ苦さが毛蟹の甘みを、さらに引き立てる。

「もう普通の毛蟹に戻れないよ!」とバンビは先付けから大興奮。

ヘラ使いが見事な器は、北大路魯山人の備前割山椒だった。


お椀は、のどぐろと加賀野菜の金時草。

脂の乗ったのどぐろと見事な出汁に、思わず黙り込んでしまう。


お造りは、二種類。

桃山時代の古唐津皮鯨茶碗には、湿り海苔を添えた本まぐろの中とろ。

明末清初の古染付には、素揚げの皮を添えた白甘鯛。

本まぐろは土佐醤油、白甘鯛は、お酢でいただく。


これでは、日本酒を頼まないわけにはいかない。
posted by 城戸朱理 at 08:35| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

琳派誕生400年記念特別展覧会「琳派 京を彩る」@京都国立博物館 平成知新館

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肌寒いほどだった東京と違って、京都は30℃近い真夏日。

日差しが眩しいほどである。


ホテルでチェックインを済ませ、まっすぐ向かったのは「琳派 京(みやこ)を彩る」展だった。

ここのところ、琳派に対する関心が高まっていただけに、楽しみにしていた展覧会である。


会場は三十三間堂向かいの京都国立博物館。


本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一と琳派の流れを追う初めての大規模な展示は、圧倒的で、時を忘れるほどだった。


どれが白眉と言えぬほど、日本美術史を彩る名作が並ぶ。


私が熱心に銘「雨雲」を始めとする光悦の楽茶碗を見ている背後では、バンビことパンクな彼女が光悦の臨書、日蓮「立正安国論」を前に、身動きもせず、じっと見入っている。

バンビはパンクだが、小学生のときに、すでに書道三段だったから、書が気になるらしい。

13.56mに及ぶ、本阿弥光悦筆・俵屋宗達画による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が、すべて展示されている。

そして、見る者を沈黙に誘う宗達「蓮池水禽図」の静けさ。


元禄という時代の華やぎをまといながらも、独創的、かつ圧倒的な画力を見せる光琳。

光琳と乾山の、デザイン化された流水や波頭の描き方は、葛飾北斎の浮世絵にまで影響を及ぼしたのではないだろうか。


光琳・乾山合作の銹絵角皿が並び、さらに宗達の「風神雷神図」が、さらに、それを模した光琳の「風神雷神図」が威風を放つ。


しかも、光琳「風神雷神図」の裏に、酒井抱一が描いた、これまた傑作としか呼びようがない「夏秋草図屏風」まで見ることが出来た。

酒井抱一は、姫路藩主・酒井家の次男として生まれたが、尾形光琳に私淑し、光琳没後百年忌を開催して、江戸琳派の祖となった。

風雅に生きた人である。

今回は、抱一の画をまとめて見ることが出来たのも収穫だった。


京都国立博物館は、庭を散策するだけでも気持ちがいい。

ロダンの「考える人」の前の噴水には、虹が出ていた。
posted by 城戸朱理 at 08:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

江戸前な駅弁

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「批評の神様」小林秀雄が行きつけにしていた鎌倉の店といえば、奈可川、天ぷらのひろみ、寿司の大繁などだが、以前、ひろみと大繁で面白い話を聞いたことがある。


小林さんは、ひろみでは穴子を、大繁では、マグロと穴子を必ず注文したというのだ。

大繁では、お昼に鉄火丼を頼むこともよくあったらしい。

マグロと穴子が小林さんの好みだったことが分かるが、これは、いかにも江戸っ子の好みという気がする。


関西の鯛に対して、関東ではマグロが好まれるし、穴子といえば江戸前の魚。

天ぷらはもちろん、江戸前の寿司にも欠かせない。


さて、10月16日は朝から大変だった。

京都に行かなければならないのに、バンビことパンクな彼女がなかなか起きてこなかったのである。

食器を洗って収納し、冷蔵庫の中を整理していたら、ようやくバンビが起きてきた。

私は、それから荷物をトランクにパッキングする。

9時過ぎにタクシーを呼んで、鎌倉駅から横須賀線で東京駅に向かったのだが、時間を読み間違え、新幹線のホームに着いたのは、なんと発車5分前。

お弁当を買って、新幹線に乗り込み、やっとひと息ついた。

バンビは柿の葉寿司を選んでいたが、私は日本橋、玉ゐの「金の穴子弁当」。

玉ゐは、寿司職人が始めた穴子専門店で、煮穴子か焼き穴子を選べる「穴子箱めし」が有名。

煮穴子、焼き穴子、両方を一枚ずつ乗せた「合いのせ」もある。


玉ゐの駅弁は今回、初めて見たが、焼き穴子と錦糸玉子のお弁当だった。

上質な煮穴子は、口のなかで、ふうわりとほどけていくが、焼き穴子は香ばしく、また違った良さがある。

タレは、私の好みより、やや甘めだったが、江戸前の名物を食べながら、京都に向かうのも一興だろう。
posted by 城戸朱理 at 08:33| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スニーカーが必要になって

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昨年から、ドキュメンタリー映画化も視野に入れたCS放送の番組の撮影に、企画・監修者として立ち会う機会が増えた。

旅立つ前に、出張中の締切原稿は前もって書き上げ、旅先でゲラを直すこともたびたびあるが、あわただしくも刺激的な日々と言えなくはない。


ロケの現場は、ディレクターもカメラやビデオ・エンジニアといったテクニカル・スタッフも、全員、足元はスニーカーである。

突然、豪雨になって、ぬかるみを動き回ることもあるし、海に膝上まで浸かって撮影することもあるのだから当然だが、そうなると、私もスニーカーが必要になる。


最近、履いていなかったが、持ってはいるので、今年は、あれこれスニーカーを引っ張り出して愛用することになった。


基本は、コンバース・オールスターである。

だが、コンバースのハイカットは着脱に若干、時間がかかるのが難なのだが。

黒のオールレザーはヨーロッパ限定モデル、白のオールレザーはアメリカ限定モデルだが、重要なのは、限定かどうかなどではなく、レザー製であることだ。

これに、あらかじめ防水スプレーをしておくのだが、キャンバス製だと突然の雨のときに中までびしょ濡れになってしまうので、ロケには向かない。

強度と防水性から言って、やはりレザー製である。


コンバースが世界初のバスケットシューズを発表したのは、1917年のこと。

当時は、足首を保護するハイカットが斬新で、多くのプレーヤーの支持を集めたという。

今や定番中の定番だが、バルカナイズド製法によるソールの減りが早いのが難点だろうか。


手前の一足は、アディダスのスタンスミス。

コンバースのオールスターと並ぶ定番であり、史上、もっとも売れたスニーカーとして、ギネスブックの認定も受けている。

スタンスミスが発売されたのは、1973年。

もともとは、プロテニスプレーヤー、ロバート・ハイレットのシグネーチャーモデルで、商品名も「ハイレット」、その後、やはり、プロテニス・プレーヤーのスタン・スミスが愛用するようになって、名称も「スタンスミス」に変わった。

アディダスのアイコンである三本線を通気穴で表しているため、シンプルこのうえない。

スタンスミスは、ファショニスタからも支持が高く、ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターだったマーク・ジェイコブスも、スタンスミスを愛用していたのは有名である。

権利上の問題から一時発売が中止されたスタンスミスが復活したのは、昨年のこと。

ホワイトスニーカーの流行もあって、あっという間に完売してしまったが、今年も、より高級感のあるガラスレザーにマイナーチェンジして発売された。


私がスタンスミスを初めて買ったのは、20歳のときで、当時のスタンスミスはフランス製だった。

20代前半は、オールスターの黒のキャンバス・ハイカットをいつも履いていたので、今になると懐かしい。

オールスター、スタンスミスにならぶ定番と言えば、あとはナイキのエアフォースI だが、最近はシンプルであるほど落ち着くので、こういう選択になる。


スニーカーの寿命は短い。

ヘビロテしたら、半年か、一年くらいだろう。

それだけに、井上春生監督は、気に入ったスニーカーは、2足買うようにしているそうだが、私は、これからもコンバース・オールスターとアディダス・スタンスミスを履き続けるような気がする。
posted by 城戸朱理 at 07:23| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

勝烈庵でランチ

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創業、昭和2年(1927年)、横浜馬車道の老舗とんかつ屋、勝烈庵の支店が、鎌倉駅西口にある。

勝烈庵では、初代が棟方志巧と交流があったため、志巧作品が数多く残されており、鎌倉の勝烈庵も志巧の絵が飾られていて、それも私がこの店が好きな理由のひとつだ。


市役所であれこれ必要な書類を申請したあと、若宮大路を散歩していたら、バンビことパンクな彼女からメールが来た。

「お昼、いっしょに食べる?」

いいけど。何を食べたいのかな?

「勝烈庵で、若鳥フライ定食!」


了解と返信しておいて、12時5分前にお店に入り、若鳥フライ定食をふたつ注文したら、少し遅れてバンビが到着した。

この店では、とんかつは「カツレツ」と呼ぶが、カツレツよりも若鳥フライのほうが、やや軽めなので、ランチにはいい。


自家製パン粉で からっと揚げられたカツは、もたれることがないので、年配のお客さんが多いのも特徴だろうか。


「勝烈庵なら、年を取っても食べられるね!」
・・・・・・

パンクだから、年を取ってもカツレツを食べようという魂胆なのである。


野菜と果物を2日間煮込んだという秘伝のソースもコクがあるうえに香りが素晴らしいし、勝烈庵特製の黒味噌を使ったしじみ汁、海老フライなどに添えられたマヨネーズも自家製と徹底している。


バンビは、若鳥フライにソースをたっぷりかけて、キャベツをおかわりして、大満足。

ちなみに、キャベツと御飯はおかわり自由なので若者にはいいだろう。


勝烈庵の割り箸は、吉野熊野古道の端材から作られたもので、これは持ち帰って、家で使っている。
posted by 城戸朱理 at 06:33| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラベラーズ・ジャケット

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これだけ旅が多いと、必然的に旅行用品を意識するようになる。

旅先だと、日中は出来るだけ気楽な格好で動き回るほうが楽だが、途中で責任者との打ち合わせがあったり、
それなりのレストランに行くことになったりしたときのために、持っていると便利なのが、トラベラーズ・ジャケットだ。


旅行用に特化したトラベラーズ・ジャケットには、皺になりにくく携帯に便利なものと、機能性を高めたものの2種類がある。


最初の写真が、たたむと週刊誌ていどの大きさと厚さになり、ポーチに収まるジャケット。

ボッテガ・ヴェネタのものだが、畳んでおいても、あまり皺にならず、バッグにいれておいて、いつでもはおることができる。


1966年に北イタリアのヴィチェンツァで始まった小さな皮革工房、ボッテガ・ヴェネタは、2001年にGUCCIグループの傘下に入り、
エルメスのクリエイティブ・ディレクターだったトーマス・マイヤーをディレクターに迎えてから、イントレチャートのバッグで一躍、名を高めたが、バッグだけではなく、洋服にも面白いものがある。



オレンジ色のジャケットは、イタリアのアクアラマ。

1953年にペルージャで創業したレインウェアの専業メーカー、TOMA'S社のファクトリー・ブランドで、同社は、バーバリーやアクアスキュータムのナイロンコートのOEMを手がけていることでも知られている。

使われているのは、リモンタ社の超軽量ナイロンで、防水性、防風性が高い。

PRADAがリモンタの工業用ナイロン「ポコノ」でバッグを作って、大ヒットを飛ばしてから、リモンタ社は、エルメスやルイ・ヴィトンを始めとするハイブランドに生地を供給しているが、
アクアラマは、そうしたブランドに比べると値段が手頃で、胸ポケットの裏地を出すとポケットチーフになったり、襟を立てるとブランドのエンブレムが現れるといった遊び心が楽しい。



3枚目の写真は、九州は大分のミリタリー用品店、WANCHERが、スーツ専門のテーラーに特注して、24着だけ製作したトラベラーズ・ジャケット。

厚手の目が詰んだチノクロスで、ポケットがフロントに5つ、うちひとつはファスナー付き、内側に2つで、さらに背中腰部分にファスナー付きの隠しポケットが2つと、計9つのポケットが付けられている。

内ポケットは、パスポートやエアチケットを楽に収納できる大きさ。

フロントのサイドポケットはマチが取られ、容量がきわめて大きく、ウェストポーチ以上の収容力がある。

背中には動きやすいようにヨークが取られ、ショルダーバッグを肩に掛けたり、バッグパックを背負ったときに負担を軽減する肩パッドを入れるなど、徹底的に機能を考えて作られたジャケットだ。

これだけ凝った作りなのに2万円強、おまけに、暖かい。

飛行機の機内はかなり冷えるが、ブランケットは薄手なので、ベルリンへのフライトでは、このジャケットを毛布がわりにかけていたのだが、実に快適だった。

ただし、オールド・アメリカン・スタイルを意識したデザインなので、モード感はかけらもないが。


ちなみに、エルメネジルド・ゼニアの今年の春夏コレクションにも、ポケットを10個も配したトラベラーズジャケットがあるのを公式HPで見て、気になったが、実物を手にしてみる機会がなかったのが残念。



4枚目の写真は、先月、ニューヨーク、ソーホーのアルマーニ・エクスチェンジで買ったナイロン・ジャケット。

これはトラベラーズジャケットとして作られたものではないが、中綿が入っているので保温性が高く、厚手のセーターと合わせると、冬場でもコートがいらないほど暖かい。

実は、このジャケット、井上春生監督に勧めたのだが、サイズが合わなかったため、私が買うことにしたもので、朝晩が冷え込むようになったニューヨークでも、鎌倉薪能のときにも重宝した。


春夏物が2着、秋冬物が2着ということになるが、トラベラーズジャケットは一般的なものではないだけに、あまり見かけない。

よく見かけるのは、熟年雑誌「サライ」の通販くらいのものだが、気に入るものは滅多にないので、偶然、見かけたときに購入するようにしている。
posted by 城戸朱理 at 06:30| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

鎌倉でドイツ料理を

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ベルリンでは、ろくにまともなドイツ料理を食べることができなかったので、帰国してから、バンビことパンクな彼女が「リベンジで、ドイツ料理を食べさせてあげて!」と騒ぎ出した。


鎌倉には、由比ヶ浜の海辺に、創業1957年、50年以上も続くドイツ家庭料理の店、シーキャッスルがある。

ドイツ人の老夫婦がやっているのだが、マダムが恐いので有名(?)。

いや、実は優しい方なのだが。


かくして、帰国してから5日後の6月21日に、シーキャッスルに予約を入れることに。


席につくや否や、こけし頭のバンビは「美味しいドイツ料理が食べられますように」とお祈りしているではないか。

お祈りしたからといって、どうにかなるものではないが、パンクだから仕方がない。


お勧めのビールをもらって、まずは酢漬けのニシンを。

酢の加減がよく、添えられたジャガイモも美味しい。


そして、ドサッという感じで、迫力のアイスバインが来た。

ただし、大きさはベルリンの最後の審判亭の半分ほどだろうか。


「男性が切り分けるのよ」とマダムに言われたので、切り分けたら、「切っただけじゃダメでしょ!」と叱られた。


欧米では、肉を切って皿に取り分けるのは男性の仕事、家庭なら家長である父親の権利である。

ふと、ジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」を思い出し、愉快な気分になった。


料理は、いずれも素材の味が聞こえてくる繊細さで、本場より美味しいのではないかと思わせるほどだったから、バンビも大満足。


マダムにデザートのアップルパイを勧められたが、ドイツのケーキは異様に大きい。

ひと切れが、日本の4、5倍の大きさで、ドイツではベジタリアンでも、このケーキのおかげで肥満体の人が多かったりする。

巨大なアップルパイを想像して躊躇していたら、マダムが「日本サイズだから大丈夫よ」。


生クリームがたっぷりかかったアップルパイも、控え目な甘さで実に美味しかった。
posted by 城戸朱理 at 05:28| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルリンなのにフランスメイド専門店

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アンペルマン・ショップの隣が、ベルリンで人気だというフランス製の商品を扱う雑貨屋。

カラフルでプラスチッキーな商品で店内は埋め尽くされ、さながら色彩の洪水である。

ここでは、フクロウ型のタイマーを色違いで3個購入した。

ふたつはお土産のつもりだったのだが、さて、誰に上げたらいいのだろう?
posted by 城戸朱理 at 05:27| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルリン土産の定番、アンペルマン

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ベルリン土産の定番として名高いのが、アンペルマン・グッズ。

「アンペル」は信号の意味で、旧東ドイツの歩行者用信号機のマークをあしらった品が並ぶ。


このマークの信号機は、いまだに旧東ベルリン地区ではそのまま使われており、なかなかかわいい。


アンペルマン・グッズは、いずれも赤と緑のクリスマス・カラーで、自宅用には赤と緑のタオルを、さらにお土産にノートとパスタを買い込んだのだが、まだ、誰にも渡していない。

お土産を送る時間がないほど忙しいのも、考えものである。
posted by 城戸朱理 at 05:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

ベルリンの「最後の審判亭」で、その2

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料理は3皿を頼み、5人で取り分ける。

ベルリン名物といえば、塩漬けにした豚脚を茹でたアイスバイン。

これが信じられない大きさ。

あとは、煮込みハンバーグに似た肉団子の料理と白身魚である。


私とバンビことパンクな彼女は、えんどう豆のスープも頼んで、シェアする。


繊細さはないが、どれもビールに合うこと、このうえない。

ところが――

突然、電話が入り、午後はサンダーストームになるという連絡が。

雷を伴う嵐となると、撮影は予定通りにはいかない。

すぐにロケ先に向かうことにしたため、歴史的レストランを満喫する余裕がなかったのは残念だ。
posted by 城戸朱理 at 06:48| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルリンの「最後の審判亭」で、その1

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ベルリン・ロケのときは、ロケバスでサンドイッチをかじったり、ホテルのビアガーデンで、
ジャンクなカレーソーセージを食べた記憶しかないが、一度だけ、きちんとしたレストランに行く機会があった。

創業1621年という老舗、ツア・レッテン・インスタンツ(最後の審判亭)である。

あのナポレオンも訪れたことがあるという歴史的レストランで、雰囲気はすこぶるいい。

天気がよかったので、屋外のテラス席を選んだのだが、ランチタイムになると、たちまち満員になった。
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思わず目を引かれた看板は

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ローザ・ルクセンブルグ通りの文具店、ルイバンの向かいに、一瞬、金子國義を思わせる女性のイラストが。


何の店だろうと思って、通りを渡ってみたら――店名は「エロティカ」。

洒落たたたずまいだが、なんと、ポルノ映画やアダルトグッズを扱う店だった!


映画館にショップが付随しているのか、それともショップでポルノ映画のDVDを扱っているのかは分からないが、これがファッションストアが軒を並べる通りにあるあたりが面白い。
posted by 城戸朱理 at 06:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

ベルリンのローザ・ルクセンブルグ通りの文具店

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ベルリンのミッテ地区、ローザ・ルクセンブルグ通りにオープンしたルイバンは、ぜひ寄ってみたい店だった。

洗練されたステーショナリーをセレクトした文具店である。


紙工房ウェンディ・ペーパー・ワークのノートやベルリン発祥の革工房papoutsiのペンケースなど、実に気の効いた文具を扱う。

まだ若い店主は、日本の和紙の素晴らしさを力説していたが、日本製のノート類も目立った。


購入したのは、友人へのお土産に瑪瑙紙を表紙にしたノート。

そして、自分用の小銭入れとベルギー製の便箋など。


イタリア製のネイビーブルーの革の小銭入れは、すぐ現地で使い始めたが、お土産はいまだに渡しそこねている。
posted by 城戸朱理 at 06:39| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルリンのアンティーク・マーケットで

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ベルリンでは、私がカッティングボードを買った。


週末になると、ベルリンでもあちこちにフリーマーケットが立つが、ベルリン自由大学前の通りは、大規模なアンティーク・マーケットになる。

小一時間しか余裕がなかったので、駆け足で回ったのだが、イギリスやフランスでアンティークといえば、家具が中心なのに対して、陶磁器やカトラリー、カメラに時計とバリエーション豊かなマーケットだった。


5、6枚並んだカッティングボードから、選んだのだが、1920年代のものだという。

ドイツでも、温かい食事を取るのは昼食だけで、朝と夜はチーズやハムにジャガイモが普通だから、チーズ用にカッティングボードが食卓に並ぶことが多い。


別の店では、バターナイフを購入したが、こちらは1920〜30年代。

お土産として、友人と分けようと思ったのだが、いざ帰国してみたら、誰が喜んでくれるのか見当がつかず、そのままになっている。
posted by 城戸朱理 at 06:32| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月15日

フィンランド土産

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イチゴ柄のカッティング・ボードは、フィンランドの名窯アラビア製。


1873年にヘルシンキ郊外で開業したが、アラビアは国名ではなく、ヘルシンキ郊外の地名である。

いかにも、北欧らしいモダンデザインで評価が高いが、このカッティングボードは、バンビことパンクな彼女が夏休みでフィンランドに行ったとき、ヘルシンキのヒエハラハティーのフリーマーケットで見つけて、お土産に買ってきたもの。

1970年代くらいのものだろうか。


ヒエハラハティーのフリーマーケットは、私も2年前に立ち寄って買い物をしたが、紙物が好きなバンビは、百年ほど前の写真や葉書が大量に入ったトランクを漁って、写真をたくさん買い込んできた。

そして、私へのお土産にカッティングボードを選んだらしい。

ただし、お土産といっても、バンビの好きなイチゴ柄なのだが。


フィンランドでは、カッティングボードは必需品。

なぜなら、フィンランドでは、三食のうち、温かいものを食べるのは昼だけで、朝と夜は、スモークサーモンや酢漬けのニシン、ハムやチーズにパンという冷製のメニューだから、チーズ用にカッティングボードが必要になるのだ。


生野菜を決して口にせず、三食とも温かい食事が当たり前の中国人だったら、発狂しかねないが、イタリアやフランスなど、地中海に面した国々を除くヨーロッパ諸国の食生活は、実は単調で、毎日、同じものを食べている。

ただし、フィンランドではパンが多種多様で、ミネラルの多い黒パンが普通。

それは酷寒のうえに日照時間が3時間しかない冬場の野菜不足を補うための、民族の知恵なのだろう。
posted by 城戸朱理 at 06:21| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Edge進行中



私の企画・監修で、テレコムスタッフ制作によるアート・ドキュメンタリー「Edge」が、始まったのは、2001年のこと。

来年は、15周年を迎えることになる。


別シリーズで、日本的霊性と魂の行方を追うイタコを主題とした番組を、柳美里さんをナビゲーターに撮り終えた平田潤子ディレクターは、続けて、荻原魚雷篇の制作にかかった。

これは、岡崎武志篇、林哲夫篇に続いて、古書の楽しみをめぐる3本目のEdgeになる。


一方、伊藤憲ディレクターは、吉増剛造篇を撮影中。

京都で撮影している「H(アッシュ)」吉増剛造篇が、古都に龍脈を探る詩人の姿を追うものなのに対して、Edge吉増剛造篇は、吉増さんの書斎に「怪物くん」こと「詩の傍らで」の生成を追うものになる。

Edge吉増剛造篇を担当し、さらに再撮影を重ねて、ドキュメンタリー映画「島ノ唄」を監督した伊藤憲ディレクターだけに、「H(アッシュ)」とは、また違った吉増さんの姿が見られることだろう。


また、平田潤子ディレクターによるEdge榎本櫻湖篇が、映像文化製作者連盟主催の「映文連アワード2015」で、パーソナル・コミュニケーション部門の優秀賞を受賞した。


11月25日の授賞式のあと、受賞作は、26〜27日に、渋谷のユーロスペース内ユーロライヴで上映されることになっている。


プランナーとしては、15周年を迎えるに当たって、2001年から翌年にかけて制作した10本の詩人篇よりも、
さらに若い世代に焦点を当てた詩人篇の制作を考えているが、平田潤子ディレクターによる榎本櫻湖篇、そして及川俊哉篇は、その新シリーズの嚆矢に位置づけられるコンテンツとなる。


また、15周年記念上映会の企画も検討中であり、いずれ報告できると思う。
posted by 城戸朱理 at 06:19| Edge | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

究極の普通、ノームコア



ニューヨークのファッション・シーンで最近、話題のトレンドが、ノームコア。

これは、「ノーマル」と「ハードコア」を組み合わせた造語で、言うならば「究極の普通」を意味する。


アイコンは、アップルの創業者、スティーヴ・ジョブス。

ジョブスと聞いて連想するのは、黒のタートルネック姿だが、彼は1980年代に来日して、ソニーの工場を見学したおりに、
従業員のイッセイ・ミヤケ・デザインの制服姿に興味を示し、そのまま三宅一生を尋ねて、自分の制服たる黒のタートルをオーダーするようになったのだとか。

つまり、ジョブスはいつも日本製のセーターを着ていたことになる。


どの写真を見てもジョブスは、黒のタートルに、リーバイス501、足元はニューバランスのスニーカーだが、いわば、「ノームコア」とは私服の制服化であり、ファッションに余計なエネルギーを一切使わない生き方だと言えるだろう。

当然のことながら、ノームコアでは、黒のタートルのようにシンプルなアイテムでワードローブを構成することになる。


これが秋冬のトレンドだというのだから、逆説としか言いようがないが、ジョブスもまさか自分が、トレンドのアイコンにされる日が来るとは思っていなかっただろう。


男性のスーツなど、もともとノームコアと言えなくもないし、今さらという気もするが、ファッションは変化が本質だから、来年は、また違うトレンドが生まれるに違いない。
posted by 城戸朱理 at 06:21| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする