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城戸朱理のブログ

2015年10月14日

昭和のプリン

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鎌倉、小町通りの喫茶店、イワタ・コーヒー店は、かつては鎌倉文士が散歩の途中で小憩する店だったが、分厚いホットケーキが有名になって、今や、いつも観光客で満席。

イワタコーヒーも、昭和の雰囲気を残した落ち着く店だが、蜂飼耳さんが、学生時代にバイトしていたころには、こんなに混む店ではなかったそうだ。

ちなみに、蜂飼さんはお祖父さんの家が鎌倉にあったので、イワタコーヒーでバイトすることになったのだとか。


それに対して、鎌倉駅西口のロンディーノは、田村隆一が愛した稲村ヶ崎のイタリアン、ロンディーノと店名こそ同じだが、やはり昭和の気配をたたえた喫茶店で、地元民の憩いの場となっている。


人気メニューは、スパゲッティとプリン。

スパゲッティは、これぞ昭和の味というナポリタンで、パルメザンチーズをたっぷり降りかけている常連の姿をいつも見かける。

プリンも昭和な蒸しプリン。

井上春生監督に勧めたのだが、素朴な味で、古めかしく思えたものが、懐かしいものに変わる面白さを感じたりする。
posted by 城戸朱理 at 06:19| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月13日

鬼が笑う話



つるやでの打ち合わせとローライ同盟幹部会を終えてから、吉増剛造さんの希望で酔いざましがてら、由比ヶ浜通りから御成通りを抜けて鎌倉駅まで歩くことにした。

吉増さん、鎌倉のたたずまいが気に入られた様子で、「住んでみたいなあ、引っ越そうかな」。

吉増さんを鎌倉駅で見送ったあとは、鎌倉駅西口、江の電改札からすぐの喫茶店、ロンディーノで、井上春生監督と来年度の企画の打ち合わせに突入する。


京都・流響院を舞台とするCS放送番組「H(アッシュ)」も、東直子篇は春夏秋冬4本の編集が終わり、放送が始まるし、
吉増剛造篇は3本目となる秋篇、高柳克弘・神野紗季篇は2本目となる秋篇の撮影が控えている。


吉増剛造篇、東直子篇は、ドキュメンタリー映画化を視野に入れ、4Kで撮影しているので、来年は映画化の編集作業が始まることになる。

来年、6月には竹橋の国立近代美術館で吉増剛造展が始まるので、吉増さんの映画化は、それまでに考える必要があるだろう。


来年の話をすると鬼が笑うというが、たとえ、そうだとしても、予定は立てざるをえない。

「H(アッシュ)」は、桜の季節だけ撮影する水原紫苑篇も継続していく予定だが、吉増剛造篇は今年度のうちに撮り終わるので、来年から次の企画も動かすことになる。



さらに、井上監督が長年、暖めてきた映画の企画がある。

これは自社制作を考えているようだが、ある小説の映画化で、監督はパリ・ロケのために予算をどう組むか思案中。

私がシナリオを書くことになっているが、これも年内に始動することになった。


打ち合わせ内容は、バンビことパンクな彼女がメモを取っていく。


一段落したところで、ロンディーノの窓を外から叩く人が。

なんと、思潮社の藤井一乃さんではないか!

藤井さんとは、以前にも鎌倉の神奈川近代美術館別館前でバッタリ会ったことがあるが、なんという偶然だろうか。

鎌倉在住の私が、年に何度かだけ鎌倉を訪れる藤井さんと偶然会う確率は極めて低い。

観光客の多い週末や祭日になると、鎌倉市民は町に出ないのが普通だし、私など鎌倉にいないことのほうが多いくらいなのだから。

その場で、「現代詩手帖」年鑑アンソロジーの収録作品、さらには1月号の原稿依頼と締切の確認までして、藤井さんは去っていった。

辣腕編集者としか言いようがない。


井上監督とは、来年度の番組編成案をまとめたのだ。

京都だけは6回ほど行くことになりそうだが、海外ロケの予定は、今のところないので、今年よりは余裕をもって、書斎のデスクに向かうことが出来そうだ。

いや、そうあって欲しいものだ。
posted by 城戸朱理 at 11:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真夏のつるやでは

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吉増剛造さんは鰻がお好きなので、つるやにお連れしたが、つるやに行くのは今年2回目。

鎌倉にいないほうが多いくらいだから当然だが、前回行ったのは8月9日、真夏の猛暑日だった。

夏はニューヨーク在住の友人が鎌倉まで遊びに来たので案内したのだが、考えてみると、つるやに行くのは来客があるときばかりのような気がしないでもない。


つるやには、親子丼や舞子丼といったメニューもあるが、気になりつつも、頼むのは、いつも白焼きと鰻重になる。

ちなみに、舞子丼はドジョウの玉子とじで、柳川鍋からゴボウを抜いたものらしい。


前回、頼んだ鰻重は、二段中入れ重。

鎌倉彫りの蓋を開けてみると、一見、ふつうの鰻重だが、鰻を食べていくと、さらにその下から鰻が現れる。

つまり、鰻二匹分を使ったお重で、友人の驚く顔が面白かった。


二段中入れ重だと、上の鰻で酒を飲み、下の鰻を御飯と一緒に食べることになる。


実に楽しい趣向だが、さすがに、この日は、夜になってもお腹が空かなかった。
posted by 城戸朱理 at 05:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鰻のつるやで

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鎌倉、由比ヶ浜通りの「つるや」は、昭和4年(1929年)創業、戦前から続く老舗である。

川端康成、立原正秋らが通い、田中絹代も常連だった。

小林秀雄は、酔って二階の座敷で寝ていたという逸話があるし、柳美里さんも、鰻といえば、つるやから出前を取っていたっけ。


藤沢周氏は、4回目の候補作「ブエノスアイレス午前零時」で芥川賞を受賞したが、惜しくも受賞を逸した2回目、3回目のときに残念会をつるやで催したので、残念会の記憶が甦るのか、つるやを避けている気配があるが、本当のところはどうなのだろうか。


注文を受けてから、鰻を捌き始めるので、予約をしておかないと、焼く匂いがするまで、小一時間は待つことになる。


私が、北鎌倉の侘助店主、菅村睦郎さんに連れられて、つるやの暖簾を初めてくぐったのは、もう30年前のことになるが、たたずまいは、当時とまったく変わらない。

昭和初期からの時間が磨き上げた北山杉の柱は飴色になって、時の経緯をたたえているかのようだ。


つるやは、食通で知られた立原正秋が「この店だけは別格」と賞賛した一軒。

ミシュランでも星を獲得したことがあるが、この店にとっては、そんなこともどうでもいい気がする。


まずは、白焼きでビール。

鎌倉彫りの器の鰻重が出たところで、日本酒を頼む。


脂が乗った肉厚の鰻は、備長炭で、ふうわりと焼き上げられ、やや甘めのタレと相まって、言うことがない。

吉増さんも感嘆して「本当の鰻」、さらにローライフレックスを見て「本当のカメラ」と言っていたが、老舗の鰻屋とローライフレックス、よく考えると不思議な組み合わせである。
posted by 城戸朱理 at 05:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローライ同盟幹部会

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ほぼ毎日、吉増剛造さんとバンビことパンクな彼女のFAXのやり取りが続いている。

吉増さんが、若林奮さんの胡桃忌のために神奈川近代美術館にいらっしゃることになり、鎌倉のホテルの予約を頼まれたバンビは、さっそく手配。

翌10月11日には、京都での撮影の打ち合わせと、ローライ同盟幹部会が挙行された(?)。


ローライ同盟は、二眼レフ、ローライフレックスで写真を撮って、写真展まで開催しようというグループ。

吉増さんが提唱し、筋金入りの写真好きのバンビが賛同して、いつの間にか、話が進んでしまった。


吉増さんは、ここのところ川端康成の作品世界に深く入り込んでいる。

京都の撮影の舞台となる真澄寺別院・流響院は、川端康成が滞在して『古都』を執筆したところでもあるので、次回の撮影の主題のひとつが、川端康成になる。

それにちなんで、打ち合わせには、川端康成が通った鰻の名店、由比ヶ浜通りのつるやを予約した。


バンビはタクシーで吉増さんを迎えに行き、私は鎌倉駅で井上春生監督と待ち合わせて、タクシーでつるやへ。
川端康成をめぐる話も濃いものだったが、京都ロケの打ち合わせが終わってからは、いよいよローライ同盟幹部会である。

吉増さんとバンビの2台のローライフレックスをめぐって、あるいはヴィヴィアン・マイヤーをめぐって、端から見たら意味不明な盛り上がりを見せた。


ヴィヴィアン・マイヤーは、家政婦として一生を過ごし、休日にシカゴの街を歩いてはローライフレックスで写真を撮り続けた。

オークションで、写真が詰まったダンボール箱を資料として落札したジョン・マルーフは、ネガをスキャンして、それが、1950年代からのシカゴを写した写真であることを知る。

マルーフは、それから、その写真を撮った写真家を探すのだが、見つかったのは、2009年の死亡記事だけで、彼女がヴィヴィアン・マイヤーだった。

それから、マルーフのヴィヴィアン・マイヤー探しが始まるのだが、その経緯は、マルーフ自身が監督したドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」に結実する。

ニューヨークのメトロポリタン美術館の写真のギャラリーでも、ヴィヴィアン・マイヤーの本が積まれていたが、無名の家政婦は、今や時の人になったと言ってもいいだろう。


吉増さんは、ローライを置いて、それをデジカメで撮影したりしている。

なんたるカメラ愛!

しかし、ローライフレックスは、本来は被写体ではなく、被写体を写すものであるのは言うまでもない。

バンビは、フィルムを入れて、さっそく撮影開始。


ローライ同盟は、名誉会長が吉増さん、会長が私で、「キャプテン」という呼び名の幹事長がバンビ、特別顧問が井上春生監督で、こちらは通称「組長」。


「夢のような時間だねえ」と吉増さんは、いささか興奮気味だった。
posted by 城戸朱理 at 05:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10月はパンクな月???

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バンビことパンクな彼女が、ベースの手入れをしている。

バンビのベースは、黒のフェンダー・マスタング1975年と真紅のギブソン・サンダーバード。

しかし、バンド活動は休業中なので、家でブンブン弾かなくなったのはありがたい。


「にゃふ〜ん!」


「困ったにゃあ!」
???

「ベース・ケースから被り物ばっかり出てくるよ!」
!!!!!!


ケースから出てきたのは、猫耳やら、ハロウィーンの悪魔の角やら、メイド・コスプレ用の被り物だったのである!

こんなところに隠していたとは――


バンビは、変装と仮装が大好きである。

なにせ、ライヴのときのステージ衣装として「黄色と黒のしましまのおしっぽがついた蜂さんの着ぐるみ」を作ろうとしたことがあるほどなのだから!


困ったものである。


しかも、10月。

バンビの誕生日もあれば、ハロウィーンもある。


ただ、誕生日プレゼントは、もう上げたので問題ない。

何かというと、PRADAのリュックである。

今年の1月に、オリンパス・ギャラリー東京で写真展を開催したバンビは、井上春生監督のハグマシーン社からロケ時のアシスタント・プロデューサー&スチールを依頼され、
仕事として写真を撮ることが増えたので、オリンパスの一眼レフの最高級機種、ミラーレスのOM-Dと望遠まで含めてレンズ4本を用意した。

得意気にオリンパスのカメラバックまで買ったのはいいが、カメラバックはショルダータイプ。

現場では、両手が空いているほうが写真を撮るには都合がいい。

というわけで、バンビは、適当なバックパックを探していたのだが、京都の大丸で、PRADAを覗いたときに、ぴったりのバックパックを発見。

それを半年早い誕生日プレゼントとして買ってあげたのだ。

リモンタ社のナイロンを使った本格的な造りのバックパックで、それ以来、ベルリンやニューヨーク、そして京都でも活用している。

去年も誕生日プレゼントは、やはり京都の大丸で、日本に4個しか入荷しなかったというPRADAのレザー・バッグを選んだが、なぜ京都なのかは分からない。

海外に行く機会が多いのだから、免税店で買えばよさそうなものだが、そういう巡り合わせなのだろう。


それよりも、問題は仮装と変装である。

誕生日のディナーは予約してあるし、日本における仮装大会の日と化したハロウィーンもある。


小さな悪魔や蜂さんになって、どこかに出かけないように注意しなくては。

パンクだから仕方がないが、厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 05:23| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

薪能から生まれた詩篇




私の第二詩集『不来方抄(こずかたしょう)』に、「写本」という詩篇がある。

「不来方」は、私の故郷、盛岡の古名。

二度と来ないところという意味だが、「写本」には、故里のイメージに加えて、平泉、中尊寺で見た薪能のことを書いた一節がある。



(盛夏の一夜、その舞いはあるはずだった
ほんとうの夜のくらさのうちに
あなたの顔は紙のように冷えて
物差しほどの蜻蛉が
目の高さに浮かんでは すい、と
盛んな篝火に吸い込まれていく
それをあなたは喜んだ
「天鼓」と名のる
他界の少年の舞いには決して
目をやらぬまま
舞いを、その舞いを、)



このときの中尊寺薪能の演目は、半能「天鼓」。

シテは、喜多流の友枝昭世だった。


友枝昭世は、老いて盲いてから稀代の名人と称えられた友枝喜久夫の長男で、平泉の薪能のあと、東京でも何度か見たことがある。

その舞いは、早世の天才、観世寿夫の芸風を継承するものと評されるが、父とは別の意味で、稀代の名人であり、2008年には人間国宝の指定を受けている。

友枝昭世が舞う「歌占」を見たいというのは、私の念願でもある。


中尊寺での薪能は、暗闇の記憶とともに、忘れがたいものとなったのだが、詩のなかに織り込まれたとき、それは別の記憶を生成させていくかのようで、悩ましい。
posted by 城戸朱理 at 07:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉薪能弁当

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大塔宮鎌倉宮の境内では、薪能弁当が売られていた。

出店していたのは、鉢の木、創作和食の近藤、御代川、鯵の押し寿司の大船軒と、いずれも鎌倉の名店である。

温かい大根スープや甘酒を売るブースも。

開演前や休息時間に、客席でお弁当を広げる観客の姿もあった。


バンビことパンクな彼女は、大船軒の鯵の押し寿司を買って、休息時間に完食。

私は、鉢の木の薪能弁当を求めたのだが、その場では開かずに、帰宅してから食べた。


北鎌倉の鉢の木は、精進料理でミシュランの星を獲得した名店だが、お弁当は、栗、銀杏、紅葉麩に茸御飯と秋の彩りで、出汁巻き玉子も京都の料亭に匹敵する出来。

店名は、言うまでもなく、鎌倉幕府第五代執権、北条時頼の廻国伝説に材を採った謡曲「鉢の木」に由来するものである。


鉢の木といえば、思い出すのは、東日本大震災直後のことだ。

被災地とは比較にならないとはいえ、鎌倉も計画停電で苦労した。

とりわけ、夕方以降の停電に当たると調理ができない。

そんなとき、鉢の木は、お弁当を北鎌倉駅前で売り出した。

値段は、たしか800円だったろうか。

ミシュラン・レストランのお弁当が、そんな値段だったことも驚きだが、それ以上に、困っている人がいるときに自分が出来ることをするという姿勢に感銘を受けた。

私も買いに行ったが、鉢の木の名に恥じない立派なお弁当だったのを記憶している。


鎌倉では、計画停電の最中も、ひとり暮らしで心細い常連客のために、蝋燭を灯して営業した店もあった。

非常時に何が出来るかを、問われているのは余人ではない。

私たち、ひとりひとりの問題である。
posted by 城戸朱理 at 07:40| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉薪能

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大塔宮鎌倉宮。

地元でも「だいとうのみや」と呼ばれるが、正しくは「おおとうのみや」。

後醍醐天皇の第一皇子、大塔宮護良(もりよし)親王のことである。


皇子でありながら武勇の人で、楠木正成、赤松円心らとともに、鎌倉幕府と戦い、足利尊氏、新田義貞らの旗揚げによって倒幕がなったあと、足利尊氏に対抗し、征夷大将軍となった。

しかし、尊氏と結んだ後醍醐天皇に見放され、鎌倉に流刑となる。

鎌倉では、足利尊氏の弟で執権たる直義(ただよし)の監視下に置かれたが、鎌倉幕府最後の執権、北条高時の子、北条時行が信濃で挙兵し鎌倉が攻められたとき、直義は鎌倉を守りきれず、護良親王を殺害して逃走した。

その悲劇の将軍宮を祀るのが、大塔宮鎌倉宮である。


その境内で、鎌倉薪能が催されるようになったのは、57年前。

今年は招待をいただいたので、10月9日は、久しぶりにお能を見に行った。


バンビことパンクな彼女と鳥居をくぐると、受付にいたのは、なんと後藤圭子さん。

鎌倉時代の仏師、運慶から数えて24代目、鶴岡八幡宮の鳥居前に店を構える鎌倉彫りの老舗、博古堂の当主である。

まさか、鎌倉きっての名士が受付をしているとは思わなかったが、それだけ鎌倉薪能は、鎌倉にとって重要な催しなのだろう。

ミス鎌倉のお嬢さんに案内されて、能舞台横の招待席へ。

席につく前に、招待して下さった井上蒲鉾の牧田千枝子社長に御挨拶する。


客席には、親しくさせていただいている浄智寺住職で円覚寺の宗務部長、朝比奈惠温さんの姿も。


神事開始の太鼓から、修祓、祝詞奏上と続き、暮れなずむころ火入れ式となって篝火があたりを照らしだす。


今春流による素謡、仕舞のあと、狂言は大蔵流「鐘の音」で、シテ・太郎冠者を演じるのは、人間国宝・山本東次郎氏。

「鐘の音」は、鎌倉に行って「金の値」を尋ねてこいと命じられた太郎冠者が、「金の値」を「鐘の音」と勘違いして、
五大院、寿福寺、極楽寺、建長寺と鎌倉中を駆け回っては、鐘を突いて歩くという話だが、シテの見事さもあって会場は笑いが絶えない。


お能は、宝生流「綾鼓」で、シテは今春流の武田孝史氏。

「綾鼓」は、今春流だと「恋重荷」になるが、これは翌日に、今春流宗家、今春安明氏が演じることになっていたので、宝生流の謡曲になったようだ。

両者は同じ内容だが、結末が違う。


「綾鼓」は、若い女御に懸想した老人が、鼓を鳴らしたなら、女御に会わせると言われ、鼓を打つが、それは綾張りの鳴らぬ鼓、
世をはかなんだ老人は入水し、亡霊となって女御の前に現れるというもの。

私の好みの演目ではないが、シテが見事で、飽きなかった。


薪能が終わってから、歩いて、若宮大路に戻り、クルベル・キャンで小憩してから、タクシーで帰宅したのだが、篝火の灯りのなかで演じられるお能は、別の趣きがあって、実にいいものだった。
posted by 城戸朱理 at 07:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月11日

「三年寝太郎」の境地?



親になってみて初めて、自分の両親が言っていたことが、ようやく納得できるようになったという話はよく聞くが、そんふうに自分がその立場になってみて、初めて分かることもある。

私の場合も、今まさに、そういう経験を、現在進行形で深めているところかも知れない。

眠いのだ、とにかく。

ひたすら眠いものだから、結局、寝てしまう。

変な時間に起きることもあるので、きちんと夜には眠り、朝に起きるという生活をしたいのだが、ふと気がつくと、朝も昼も夜も寝ている。

これだけ寝てばかりいると、三年寝太郎の気持ちも次第に分かってくるもので、要するに、睡魔に襲われたら最後、どんな切迫した事項があっても気にならない。

眠いのだから仕方がない、起きてから考えよう。

きっと、そう思って、寝太郎は三年も寝ていたに違いない。


いくら眠くても、現実に寝ていても締切は来るし、事務連絡もくる。

意識を集中して「詩とファンタジー」の選評と「岩手日報」投稿欄の選評2回分は、なんとか書き上げて送ったが、
その後は、11月に鹿児島で開催される第30回国民文化祭や駒場の日本近代文学館の「声のライブラリー」の事務連絡、今月の京都吟行の事務連絡に追われた。

講談社の「週刊 現代」から書評の依頼と、「表現者」からアメリカをテーマにする座談会の依頼もあったが、そのころには起きていられるようになるのだろうか?

いや、寝太郎も三年間の眠りから醒めてから、巨石を動かして村を干魃から救ったのだから、私も起きたら何か大きなことが出来るに違いない(?)。
posted by 城戸朱理 at 10:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

銀座でバンビが買ったのは

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新宿での打ち合わせを終えてから、バンビことパンクな彼女の提案で銀座に行くことにした。

これが敗因で、いよいよ疲労感が募り、翌日から眠るだけの日々がまたもや続いたのだが、鎌倉に住んでいると、せっかく東京まで出てきたのだからと思ってしまうのがいけない。

分かってはいるのだが、山奥でリスと暮らしているようなものだから、仕方がないか。



銀座の晴海通りは、中国からの旅行客であふれていた。

なぜか、喜んだのはバンビである。


「爆買いの匂いがするよ!」

たしかに。

「中国のみなさん、ありがとう!」

なぜか、バンビがお礼を言っている。

「買ってあげて!」
・・・

「いっぱい買ってあげて!」
・・・・・・

お店の人の心の声を代弁しているのだろうか?


エルメスなら買い物客も少ないだろうと思って最上階のギャラリーでビデオ・アートを見てから、階段で降りながら各フロアをひやかす。


パイロットとコラボした万年筆を試し書きさせてもらったところ、書き味は素晴らしかったが、
アルミ・ダイキャストの軸が三角形になっており、長時間の執筆には向かないと思ったので、買うには至らず、
結局、バンビがかねてから目をつけていた便箋だけを購入した。


そして、いよいよ目的地、東銀座の中古カメラ専門店、三共カメラへ。

吉増剛造さんが、この店でローライフレックスを買ったという連絡をいただいたので、バンビもローライを買おうというわけである。

店員さんに相談して、5台のローライを出してもらい、迷うこと1時間。

吉増さんに続いて、バンビもローライフレックスのオーナーになり、かくして、ローライ同盟は、いよいよ始動の体勢に入ったのだった。


あまりに疲れたので、並木通りのベルギービール専門店、オブロンで白ビールとエールを飲みつつ休み、帰りは横須賀線のグリーン車で、鎌倉に着くまで、ずっと眠っていた。

当然、翌日も翌々日も、まったく起きられなかったのだが。
posted by 城戸朱理 at 10:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

打ち合わせは20階のトライベックスで

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打ち合わせは、小田急ホテル・センチュリー・サザンタワー20階にあるレストラン・トライベックスの個室を予約しておいた。

フレンチテイストの店で、地上100mからの眺めが楽しめる。


スカイツリーと東京タワーが同時に眺められるレストランは、あまりないだろう。


人気はサラダ・バーで、グリーンリーフやトマトだけではなく、各種スプラウトも豊富なら、ヨーグルトに漬け込んだパンサラダ、マカロニと大皿が並び、これだけでも十分、食事になる。

各自がサラダを取りに行き、ロケ地をどこにするかなど、秋の京都での撮影を打ち合わせた。


三種盛り合わせの前菜は、シロップに漬けた柿と生ハムが面白い。

主菜は、肉料理と魚料理を盛り合わせたプレートで、肉はステーキ、魚は、ココットのソースで食べるスズキのポアレだった。

この組み合わせと調理法からも分かるように、料理は普通だが、眺望が素晴らしいので、くつろげる。


デザートがきたので、エスプレッソを頼み、打ち合わせも無事に終わった。
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俳人と新宿で行ったのは!?

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帰国して5日目となる10月2日。

ひたすら寝ていたかったが、新宿で打ち合わせを入れていたので、行かないわけにはいかない。

バンビことパンクな彼女と、なんとか起き出し、10時前に新宿に着いた。

俳人、高柳克弘氏との待ち合わせたのは、紀伊国屋書店前。

井上春生監督から少し遅れるという連絡があったので、そのまま、ビックカメラとユニクロの複合店、ビックロに移動。

開店前なのに、すでに長い行列ができている。

並んでいるのは、20代の男性が多い。


「すごい行列ですね」と高柳さん。

「これに並びます」と私が言ったときの、高柳さんの驚きようが面白かった。


10月2日は、エルメスのクリエイティブ・ディレクターだったクリストフ・ルメールとユニクロのコラボレーション「ユニクロ・アンド・ルメール」が発売される日だったのである。

井上春生監督と相談して、秋冬の京都での撮影のときの高柳さんの衣装を「ユニクロ・アンド・ルメール」で調達することにしたのだが、高柳さんには秘密にしてあったのだ。

開店と同時に、みんな一目散に「ユニクロ・アンド・ルメール」の売り場に向かう。


メンズの売り場は、さながらラグビーのモール状態だったが、私もラグビーをやっていたので、あらかじめ当たりをつけていたアイテムを次々とラグビーボールを投げるようにバンビと高柳さんに手渡していく。

パンツなどは開店5分後には、もうなくなっていた。


高柳さんに試着してもらって、黒のコート、黒のショールカラーのジャケットにパンツ、セーターなどを井上監督が購入。


究極のハイエンド・ブランド、エルメスのクリエイティブ・ディレクターとユニクロのコラボというだけで意外性は抜群だが、ルメールはミニマリズムのデザイナーなので、ユニクロとのコラボも納得できないわけではない。

ドレープとシルエットが美しい見事なコレクションだった。


目的は達したので、もういちど売り場を覗き、私はシンプルな黒のカシミアセーターを購入。

それからレディースの売り場に移動して、神野紗希さんの到着を待つ。

神野さんも「ユニクロ・アンド・ルメール」をひと通り見ていたが、バンビもセーター2着を購入していた。


このセーター、かなり暖かいらしく、家で愛用している。
posted by 城戸朱理 at 10:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

さらに、ごだん宮ざわで、その4

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こちらの食事の進み具合を見ながら、客ごとに炊き上げられた御飯は、土鍋ごと運ばれてくる。

最初は煮えばなをひと口。

お代わりをするうちに、お米が御飯に変わっていく。

この瞬間ごとの変化は、驚くほどだ。

自家製の糠漬け、泉州の水茄子、白味噌で炊いたじゃこと、いくらでもお代わりしたいくらいだが、御飯が出る前に、十分にいただいているので、そうはいかない。


水菓子と最中、抹茶で、さらに満たされ、帰途の足どりも軽い。
posted by 城戸朱理 at 07:54| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さらに、ごだん宮ざわで、その3

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続いて、鮮やかな轆轤の野々村仁清の器で、焼き穴子とアスパラガス。

叩いたオクラがかけられている。


さらに牛ヒレ肉の山椒焼き。

ウズラや鴨といった鳥肉を別にすると、ごだん宮ざわで、肉が出るのは珍しい。

実に柔らかいヒレ肉だったが、山椒焼きというのが酒好きにはたまらない。

器は、初代尾形乾山の和蘭陀写おもだか文の向付けと、器使いも間然とするところがない。


そして、パブリカと黒ニンニクを添えた鯵を黄身酢で。

李朝初期の白磁皿に、黄身酢が映える。


写真を撮る前に思わず箸をつけてしまったが、最後はぐじ(甘鯛)。

しかも、このこと葱味噌が添えられ、酒徒なら陶然とならざるをえない。

このこは海鼠の卵巣を干した珍味だが、この珍味と甘鯛の健やかさが、駆け引きをするかのようだ。

味わいつつ飲むのに忙しく、今になって気づいたが、器は、野々村仁清か、それとも仁清が指導したという伝承がある明石焼きだろうか。
posted by 城戸朱理 at 07:53| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さらに、ごだん宮ざわで、その2

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お造りは、本まぐろとさわらと赤ウニが、涼しげなルネ・ラリックのクリスタルで。

さわらには吉野葛でとろみをつけた土佐醤油が掛け回され、赤ウニ、八代の青海苔、どれを一緒に口にするかで味わいが変化する。

そして、極上の本まぐろは、四年物の根ワサビで。


焼き物は、トロ金目鯛の若狭焼きだった。

その名の通り、口のなかでとろけるような金目鯛を醤油と酒を合わせて焼く若狭焼きにしたひと皿。

身はぎりぎりの加熱で、皮だけ強めに焙ってあり、皮もまた美味しい。


器は初代尾形乾山の銹絵長方皿で、宮澤さんは絵替り十客を所持されているから、どの絵柄に当たるかも楽しみのひとつだ。


えんどう豆の胡麻豆腐は、土佐醤油仕立て。

火傷しそうなほど熱いので、少しずつ崩していただく。

いつもながら、胡麻の風味が素晴らしい。


箸休めに出た散蓮華のじゅんさいは、ショウガの風味が生きた出汁と酢の加減が絶妙で、身体にしみわたるようだった。


おしのぎは、蒸し上げたばかりの餅米に大きく切った自家製カラスミを乗せて。

餅米の熱で、カラスミが柔らかくなるとともに旨みが活性化していく。

「これだけでも十分、満足だよ!」とバンビことパンクな彼女。

たしかに、このカラスミだけで、いくらでも酒を飲めそうだ。

器は、指跡が残る北大路魯山人の備前である。
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さらに、ごだん宮ざわで、その1

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俳人の高柳克弘・神野紗希夫妻と訪れた2日後、6月2日には、個人的に「ごだん宮ざわ」に予約を入れた。

プライベートのときは、頼むコースを変えるようにしている。


宮澤政人さんは、表千家の懐石料理を一手に担う柿傳で修行し、自分もお茶を習っていただけに、見事な栗の一枚板のカウンターの店内にも茶席の雰囲気が漂う。


床の間風に設えられた壁に相対する席だったので、本阿弥光悦のお軸を前に、まず煎米茶をいただいた。

煎米茶は、夏場は冷やして、ベネツィアングラスで供される。

食前酒に福島の「てふ」を一献。


それから料理が始まるのだが、先付けからして見事だった。

蒸しアワビに、わらびと梅肉、アワビの肝を叩いて和えた一品。

これでは最初から日本酒が欲しくなるではないか。

そういえば、京都は伏見という酒の産地が控えているだけに、京都市が「乾杯は日本酒で」と条例で定めたそうだ。


日月椀は、私の好きな器だが、この日のお椀は、木の芽を添えた鳥貝に金時草。

金時草は加賀の野菜で、木の芽の香りが立ち上がり、噛むほどに広がる鳥貝の甘みに驚く。
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2015年10月09日

初夏のごだん宮ざわ、その3

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頃合いを見計らって土鍋で炊き上げる御飯は、自家製の糠漬けがおかわり自由で、水茄子まであるのが嬉しい。

また、白味噌で炊いたじゃこも出る。


水菓子はメロン、最中とともに抹茶が供され、ゆるやかな時間とともに食事は終わる。


和食は季節感が盛り込まれているので、行くたびに新鮮な驚きがある。

しかも、いつも新しい発想の料理とも出会えるので、私は、ごだん宮ざわに通ってしまうのだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初夏のごだん宮ざわ、その2

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名物の焼き胡麻豆腐は、えんどう豆を練り込み、吉野葛でとろみをつけた土佐醤油で。


おしのぎは、これも定番、自家製カラスミを、目の前でたっぷりとすり卸してくれる手打ち蕎麦。

器は、13世紀の高麗青磁だろう。


見た目も美しい一品は、うすい豆をすり流した帆立の茶碗蒸しで、まさに初夏の風味だった。


さらに、穴子と山城茄子、厚揚げの炊き合わせで料理は終わった。
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初夏のごだん宮ざわ、その1

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鎌倉の由比ヶ浜通りに、おおはまという店が出来たのだが、たいそう評判がいい。

女性の料理人がひとりでやっていて、何度か覗いてみたのだが、いつも予約で満席、いちども入れたことがないほどの人気店である。

そうなると、なお気にかかるが、地元の店に予約をして行く余裕は、いくらでもありそうなのに意外とないもので、そのままになっている。

私の年齢になると、好奇心よりも、これと思った店に通うほうが心地よいというところがあるのかも知れない。


そうした一軒が、京都の「ごだん宮ざわ」である。

宮澤政人さんが、「じき宮ざわ」に続いて二軒目となる「ごだん宮ざわ」を開店したのは、2014年7月14日のこと。

私が井上春生監督らとともに初めて訪れたのは、昨年の10月3日のことだったが、それ以来、1年の間に12回も「ごだん宮ざわ」の暖簾をくぐっている。

京都で、いちばん寄らせてもらっている店なのは間違いない。



ここで、ブログにアップしていなかった分を紹介しておきたい。

今年の5月31日、俳人の高柳克弘・神野紗希夫妻と訪れたときの献立である。


食前酒は、福島の「てふ」。

先付けは、素晴らしく柔らかい煮タコと大根に空豆。

お椀は、あぶらめ(関東では、あいなめ)とよもぎ団子、つる葉。

あいなめは、身が締まり脂もある美味な魚だが、よもぎ団子と一緒に食すると、季節を感じさせてくれる。


明末清初に中国で焼かれ、茶人が古染付と呼んで珍重した向付に盛られたお造りは、ヒラマサで、叩いたワラビ、塩昆布に八代の青海苔、葱坊主をあしらった一品。

宮澤さんのお造りは、いつも、たんなる刺身を超えた驚きがある。


初代代尾形乾山の銹絵長方皿で供された焼き物は、カマスの幽庵焼。

切身を味醂と醤油に漬け込んでから焼く幽庵焼きは、魚を旨くするが、カマスの癖と相まって、実に素晴らしかった。
posted by 城戸朱理 at 10:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする