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城戸朱理のブログ

2015年10月12日

薪能から生まれた詩篇




私の第二詩集『不来方抄(こずかたしょう)』に、「写本」という詩篇がある。

「不来方」は、私の故郷、盛岡の古名。

二度と来ないところという意味だが、「写本」には、故里のイメージに加えて、平泉、中尊寺で見た薪能のことを書いた一節がある。



(盛夏の一夜、その舞いはあるはずだった
ほんとうの夜のくらさのうちに
あなたの顔は紙のように冷えて
物差しほどの蜻蛉が
目の高さに浮かんでは すい、と
盛んな篝火に吸い込まれていく
それをあなたは喜んだ
「天鼓」と名のる
他界の少年の舞いには決して
目をやらぬまま
舞いを、その舞いを、)



このときの中尊寺薪能の演目は、半能「天鼓」。

シテは、喜多流の友枝昭世だった。


友枝昭世は、老いて盲いてから稀代の名人と称えられた友枝喜久夫の長男で、平泉の薪能のあと、東京でも何度か見たことがある。

その舞いは、早世の天才、観世寿夫の芸風を継承するものと評されるが、父とは別の意味で、稀代の名人であり、2008年には人間国宝の指定を受けている。

友枝昭世が舞う「翁」と「歌占」を見たいというのは、私の念願でもある。


中尊寺での薪能は、暗闇の記憶とともに、忘れがたいものとなったのだが、詩のなかに織り込まれたとき、それは別の記憶を生成させていくかのようで、悩ましい。
posted by 城戸朱理 at 07:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉薪能弁当

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大塔宮鎌倉宮の境内では、薪能弁当が売られていた。

出店していたのは、鉢の木、創作和食の近藤、御代川、鯵の押し寿司の大船軒と、いずれも鎌倉の名店である。

温かい大根スープや甘酒を売るブースも。

開演前や休息時間に、客席でお弁当を広げる観客の姿もあった。


バンビことパンクな彼女は、大船軒の鯵の押し寿司を買って、休息時間に完食。

私は、鉢の木の薪能弁当を求めたのだが、その場では開かずに、帰宅してから食べた。


北鎌倉の鉢の木は、精進料理でミシュランの星を獲得している名店だが、お弁当は、栗、銀杏、紅葉麩に茸御飯と秋の彩りで、出汁巻き玉子も京都の料亭に匹敵する出来。

店名は、言うまでもなく、鎌倉幕府第五代執権、北条時頼の廻国伝説に材を採った謡曲「鉢の木」に由来するものである。


鉢の木といえば、思い出すのは、東日本大震災直後のことだ。

被災地とは比較にならないとはいえ、鎌倉も計画停電で苦労した。

とりわけ、夕方以降の停電に当たると調理ができない。

そんなとき、鉢の木は、お弁当を北鎌倉駅前で売り出した。

値段は、たしか800円だったろうか。

ミシュラン・レストランのお弁当が、そんな値段だったことも驚きだが、それ以上に、困っている人がいるときに自分が出来ることをするという姿勢に感銘を受けた。

私も買いに行ったが、鉢の木の名に恥じない立派なお弁当だったのを記憶している。


鎌倉では、計画停電の最中も、ひとり暮らしで心細い常連客のために、蝋燭を灯して営業した店もあった。

非常時に何が出来るかを、問われているのは余人ではない。

私たち、ひとりひとりの問題である。
posted by 城戸朱理 at 07:40| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉薪能

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大塔宮鎌倉宮。

地元でも「だいとうのみや」と呼ばれるが、正しくは「おおとうのみや」。

後醍醐天皇の第一皇子、大塔宮護良(もりよし)親王のことである。


皇子でありながら武勇の人で、楠木正成、赤松円心らとともに、鎌倉幕府と戦い、足利尊氏、新田義貞らの旗揚げによって倒幕がなったあと、足利尊氏に対抗し、征夷大将軍となった。

しかし、尊氏と結んだ後醍醐天皇に見放され、鎌倉に流刑となる。

鎌倉では、足利尊氏の弟で執権たる直義(ただよし)の監視下に置かれたが、鎌倉幕府最後の執権、北条高時の子、北条時行が信濃で挙兵し鎌倉が攻められたとき、直義は鎌倉を守りきれず、護良親王を殺害して逃走した。

その悲劇の将軍宮を祀るのが、大塔宮鎌倉宮である。


その境内で、鎌倉薪能が催されるようになったのは、57年前。

今年は招待をいただいたので、10月9日は、久しぶりにお能を見に行った。


バンビことパンクな彼女と鳥居をくぐると、受付にいたのは、なんと後藤圭子さん。

鎌倉時代の仏師、運慶から数えて24代目、鶴岡八幡宮の鳥居前に店を構える鎌倉彫りの老舗、博古堂の当主である。

まさか、鎌倉きっての名士が受付をしているとは思わなかったが、それだけ鎌倉薪能は、鎌倉にとって重要な催しなのだろう。

ミス鎌倉のお嬢さんに案内されて、能舞台横の招待席へ。

席につく前に、招待して下さった井上蒲鉾の牧田千枝子社長に御挨拶する。


客席には、親しくさせていただいている浄智寺住職で円覚寺の宗務部長、朝比奈惠温さんの姿も。


神事開始の太鼓から、修祓、祝詞奏上と続き、暮れなずむころ火入れ式となって篝火があたりを照らしだす。


今春流による素謡、仕舞のあと、狂言は大蔵流「鐘の音」で、シテ・太郎冠者を演じるのは、人間国宝・山本東次郎氏。

「鐘の音」は、鎌倉に行って「金の値」を尋ねてこいと命じられた太郎冠者が、「金の値」を「鐘の音」と勘違いして、
五大院、寿福寺、極楽寺、建長寺と鎌倉中を駆け回っては、鐘を突いて歩くという話だが、シテの見事さもあって会場は笑いが絶えない。


お能は、宝生流「綾鼓」で、シテは今春流の武田孝史氏。

「綾鼓」は、今春流だと「恋重荷」になるが、これは翌日に、今春流宗家、今春安明氏が演じることになっていたので、宝生流の謡曲になったようだ。

両者は同じ内容だが、結末が違う。


「綾鼓」は、若い女御に懸想した老人が、鼓を鳴らしたなら、女御に会わせると言われ、鼓を打つが、それは綾張りの鳴らぬ鼓、
世をはかなんだ老人は入水し、亡霊となって女御の前に現れるというもの。

私の好みの演目ではないが、シテが見事で、飽きなかった。


薪能が終わってから、歩いて、若宮大路に戻り、クルベル・キャンで小憩してから、タクシーで帰宅したのだが、篝火の灯りのなかで演じられるお能は、別の趣きがあって、実にいいものだった。
posted by 城戸朱理 at 07:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする