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城戸朱理のブログ

2015年10月20日

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その4

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食事が終わって、水菓子は、梨とマスカット。

自家製の栗きんとんは、和風モンブランといった趣きで、和栗の風味が存分に味わえる。

さらにバンビには、誕生日だというので、宮澤さんが、蝋燭を立てた最中まで出してくれた。

宮澤政人さんが点ててくれるお抹茶が、このうえなく美味しい。


「もう、玉子を丸呑みした蛇みたいな気分だよ!」

玉子を丸呑みした蛇になったことがないので、よく分からないが。

「お腹が張り裂けそうだよ!」

パンクだから、なんと、お腹が張り裂けそうになるまで、たらふく、食べてしまったのである。

宮澤さんの料理なら、それも当然かも知れないが。


こうして、バンビの誕生日祝いの夕食は終わったのだった。
posted by 城戸朱理 at 08:38| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その3

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それから、汲み上げ湯葉と蟹身を引き上げ湯葉でくるんで揚げ、黄身の天ぷら(!)を乗せた一品。

黄身を崩しながら食べるのだが、すべての食材が渾然一体となった味わいだった。


おしのぎは、蒸し上げたばかりの餅米にカラスミを乗せて。

カラスミが餅米の熱で、柔らかくなるとともに旨みも増していく。

色絵の南京染付の角皿がかわいい。


そして、熱々の小鍋立ては、金目鯛と松茸。

松茸の香りが素晴らしいうえに、昆布をやや強めに引いた出汁には、京都の常連客が「滋味深いお味や」と感嘆していた。


土鍋で炊き上げた御飯は、煮えばなの一膳目、蒸らし終えた二膳目までいただいたが、もう満腹で食べられなかった。
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誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その2

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焼き物は、かますと松茸の幽庵焼き。

隣のお客さんに出されても、松茸が香ってくる。

器は、初代尾形乾山の銹絵長方皿。

皮目を外に巻いたかますは、絶妙な火加減でバンビは、さらに大興奮。


北大路魯山人の指跡が残る縁なぶりの備前皿には、銀杏を練り込んだ焼き胡麻豆腐は素揚げの銀杏を乗せて。

なぜか、銀杏をのけて、先に胡麻豆腐を食べているのは、バンビである。


「素揚げの銀杏は、おつまみに取ってあるんだよ!」

宮澤政人さんが笑っていた。


江戸初期の根来椀で供されたのは伊勢海老のこのこ餡がけ。

伊勢海老は生揚げしてあり、表面だけ熱が通っているものの、中は生そのもので、温かい刺身の風情。

このこの餡がまた、酒好きにはたまらない。


続く鰆も素晴らしかった。

これは軽く酢で締めてから、藁で皮目を焙ったもので、半生のさわらに白髪ネギがよく合う。


初見の青磁皿は、宮澤さんが今年、日本橋の骨董屋で求めたという七官青磁(明時代に龍泉窯で焼かれた青磁)だった。
posted by 城戸朱理 at 08:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誕生日なので、ごだん宮ざわへ、その1

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10月15日は、バンビことパンクな彼女の誕生日。

当日は、新宿の老舗洋食屋アカシア風のシチュー仕立てのロールキャベツを私が作って、スモークサーモンや葡萄を並べ、シャンパンを開けてお祝いした。


今回は、誕生日のディナーは翌日。

京都で、ごだん宮ざわを予約しておいたのである。


「お腹を空かせて行かなくっちゃ!」


バンビは楽しみにしていたが、つねに期待以上なのが、ごだん宮ざわの料理だ。


いつもの煎米茶は、楽焼き中興の祖といわれる楽九代、了入の赤楽で。

食前酒に、まずは宮城の「勝山 献」純米吟醸を一献。


先付けは、毛蟹の菊餡がけである。

普通、毛蟹となると、ぽん酢も何もいらないが、菊の花のわずかなほろ苦さが毛蟹の甘みを、さらに引き立てる。

「もう普通の毛蟹に戻れないよ!」とバンビは先付けから大興奮。

ヘラ使いが見事な器は、北大路魯山人の備前割山椒だった。


お椀は、のどぐろと加賀野菜の金時草。

脂の乗ったのどぐろと見事な出汁に、思わず黙り込んでしまう。


お造りは、二種類。

桃山時代の古唐津皮鯨茶碗には、湿り海苔を添えた本まぐろの中とろ。

明末清初の古染付には、素揚げの皮を添えた白甘鯛。

本まぐろは土佐醤油、白甘鯛は、お酢でいただく。


これでは、日本酒を頼まないわけにはいかない。
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琳派誕生400年記念特別展覧会「琳派 京を彩る」@京都国立博物館 平成知新館

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肌寒いほどだった東京と違って、京都は30℃近い真夏日。

日差しが眩しいほどである。


ホテルでチェックインを済ませ、まっすぐ向かったのは「琳派 京(みやこ)を彩る」展だった。

ここのところ、琳派に対する関心が高まっていただけに、楽しみにしていた展覧会である。


会場は三十三間堂向かいの京都国立博物館。


本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一と琳派の流れを追う初めての大規模な展示は、圧倒的で、時を忘れるほどだった。


どれが白眉と言えぬほど、日本美術史を彩る名作が並ぶ。


私が熱心に銘「雨雲」を始めとする光悦の楽茶碗を見ている背後では、バンビことパンクな彼女が光悦の臨書、日蓮「立正暗黒論」を前に、身動きもせず、じっと見入っている。

バンビはパンクだが、小学生のときに、すでに書道三段だったから、書が気になるらしい。

13.56mに及ぶ、本阿弥光悦筆・俵屋宗達画による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が、すべて展示されている。

そして、見る者を沈黙に誘う宗達「蓮池水禽図」の静けさ。


元禄という時代の華やぎをまといながらも、独創的、かつ圧倒的な画力を見せる光琳。

光琳と乾山の、デザイン化された流水や波頭の描き方は、葛飾北斎の浮世絵にまで影響を及ぼしたのではないだろうか。


光琳・乾山合作の銹絵角皿が並び、さらに宗達の「風神雷神図」が、さらに、それを模した光琳の「風神雷神図」が威風を放つ。


しかも、光琳「風神雷神図」の裏に、酒井抱一が描いた、これまた傑作としか呼びようがない「夏秋草図屏風」まで見ることが出来た。

酒井抱一は、姫路藩主・酒井家の次男として生まれたが、尾形光琳に私淑し、光琳没後百年忌を開催して、江戸琳派の祖となった。

風雅に生きた人である。

今回は、抱一の画をまとめて見ることが出来たのも収穫だった。


京都国立博物館は、庭を散策するだけでも気持ちがいい。

ロダンの「考える人」の前の噴水には、虹が出ていた。
posted by 城戸朱理 at 08:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

江戸前な駅弁

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「批評の神様」小林秀雄が行きつけにしていた鎌倉の店といえば、奈加川、天ぷらのひろみ、寿司の大繁などだが、以前、ひろみと大繁で面白い話を聞いたことがある。


小林さんは、ひろみでは穴子を、大繁では、マグロと穴子を必ず注文したというのだ。

大繁では、お昼に鉄火丼を頼むこともよくあったらしい。

マグロと穴子が小林さんの好みだったことが分かるが、これは、いかにも江戸っ子の好みという気がする。


関西の鯛に対して、関東ではマグロが好まれるし、穴子といえば江戸前の魚。

天ぷらはもちろん、江戸前の寿司にも欠かせない。


さて、10月16日は朝から大変だった。

京都に行かなければならないのに、バンビことパンクな彼女がなかなか起きてこなかったのである。

食器を洗って収納し、冷蔵庫の中を整理していたら、ようやくバンビが起きてきた。

私は、それから荷物をトランクにパッキングする。

9時過ぎにタクシーを呼んで、鎌倉駅から横須賀線で東京駅に向かったのだが、時間を読み間違え、新幹線のホームに着いたのは、なんと発車5分前。

お弁当を買って、新幹線に乗り込み、やっとひと息ついた。

バンビは柿の葉寿司を選んでいたが、私は日本橋、玉ゐの「金の穴子弁当」。

玉ゐは、寿司職人が始めた穴子専門店で、煮穴子か焼き穴子を選べる「穴子箱めし」が有名。

煮穴子、焼き穴子、両方を一枚ずつ乗せた「合いのせ」もある。


玉ゐの駅弁は今回、初めて見たが、焼き穴子と錦糸玉子のお弁当だった。

上質な煮穴子は、口のなかで、ふうわりとほどけていくが、焼き穴子は香ばしく、また違った良さがある。

タレは、私の好みより、やや甘めだったが、江戸前の名物を食べながら、京都に向かうのも一興だろう。
posted by 城戸朱理 at 08:33| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スニーカーが必要になって

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昨年から、ドキュメンタリー映画化も視野に入れたCS放送の番組の撮影に、企画・監修者として立ち会う機会が増えた。

旅立つ前に、出張中の締切原稿は、前もって書き上げ、旅先でゲラを直すこともたびたびあるが、あわただしくも、刺激的な日々と言えなくもない。


ロケの現場は、ディレクターもカメララやビデオ・エンジニアといったテクニカル・スタッフも、全員、足元はスニーカーである。

突然、豪雨になって、ぬかるみを動き回ることもあるし、海に膝上まで浸かって撮影することもあるのだから当然だが、そうなると、私もスニーカーが必要になる。


最近、履いていなかったが、持ってはいるので、今年は、あれこれスニーカーを引っ張り出して、愛用することになった。


基本は、コンバース・オールスターである。

だが、コンバースのハイカットは着脱に若干、時間がかかるのが難なのだが。

黒のオールレザーはヨーロッパ限定モデル、白のオールレザーはアメリカ限定モデルだが、重要なのは、限定かどうかなどではなく、レザー製であることだ。

これに、あらかじめ防水スプレーをしておくのだが、キャンバス製だと、突然の雨のときに中までびしょ濡れになってしまうので、ロケには向いていない。

強度と防水性から言って、やはりレザー製である。


コンバースが世界初のバスケットシューズを発表したのは、1917年のこと。

当時は、足首を保護するハイカットが斬新で、多くのプレーヤーの支持を集めたという。

今や定番中の定番だが、バルカナイズド製法によるソールの減りが早いのが難点だろうか。


手前の一足は、アディダスのスタンスミス。

コンバースのオールスターと並ぶ定番であり、史上、もっとも売れたスニーカーとして、ギネスブックの認定も受けている。

スタンスミスが発売されたのは、1973年。

もともとは、プロテニスプレーヤー、ロバート・ハイレットのシグネーチャーモデルで、商品名も「ハイレット」、その後、やはり、プロテニス・プレーヤーのスタン・スミスが愛用するようになって、名称も「スタンスミス」に変わった。

アディダスのアイコンである三本線を通気穴で表しているため、シンプルこのうえない。

スタンスミスは、ファショニスタからも支持が高く、ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターだったマーク・ジェイコブスも、スタンスミスを愛用しているのは有名である。

権利上の問題から一時発売が中止されたスタンスミスが復活したのは、昨年のこと。

ホワイトスニーカーの流行もあって、あっという間に完売してしまったが、今年も、より高級感のあるガラスレザーにマイナーチェンジして発売された。


私がスタンスミスを初めて買ったのは、20歳のときで、当時のスタンスミスはフランス製だった。

20代前半は、オールスターの黒のキャンバス・ハイカットをいつも履いていたので、今になると懐かしい。

オールスター、スタンスミスにならぶ定番と言えば、あとはナイキのエアフォースI だが、最近はシンプルであるほど落ち着くので、こういう選択になる。


スニーカーの寿命は短い。

ヘビロテしたら、半年か、一年くらいだろう。

それだけに、井上春生監督は、気に入ったスニーカーは、2足買うようにしているそうだが、私は、これからもコンバース・オールスターとアディダス・スタンスミスを履き続けるような気がする。
posted by 城戸朱理 at 07:23| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする