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城戸朱理のブログ

2015年10月28日

『現代詩100周年』(TOLTA)

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先鋭な企画で詩の新たな地平を切り開くヴァーバル・アート・ユニット、TOLTA(河野聡子・山田亮太・佐次田哲・関口文子)が、驚くべきアンソロジーを刊行した。

題して『現代詩100周年』。

河野聡子は、その序文で次のように語っている。



「私たちTOLTAは、今年二0一五年を、現在書かれているような日本の無定形・口語の自由詩の成立から百年目であると宣言します」



ここでは、山村暮鳥『聖三稜玻璃』が刊行された1915年に、現代詩の起点が据えられているのだが、まず『聖三稜玻璃』という選択が斬新だ。

その2年後には口語自由詩の先駆とされる萩原朔太郎『月に吠える』が刊行されているわけで、現代詩100年という宣言も、たしかにうなずけるところがある。


河野聡子はさらに、次のようにも語っている。



「無定形の現代詩は、それぞれの詩人が自分だけの定型、自分だけのリズムをつくり、言葉を見い出すことをそのつどそのつど行います。そしてこれこそが、そもそも詩が〈現代〉を名のるゆえんだと言えるかもしれません。ここには本質的に歴史はありません」



かくして、逆説を孕みながら、百年前の『聖三稜玻璃』を自分たちが受け取ったように、次の百年後の誰かに向けて編まれたのが、本書なのだという。



このアンソロジーには、100人近い詩人が、いずれも書き下ろしの新作で参加しており、谷川俊太郎から始まって、北川透、瀬尾育生、和合亮一から三角みづ紀、小笠原鳥類ら「新しい詩人」の世代、さらには暁方ミセイ、文月悠光、そして和合大地と、執筆者は10代から80代まで及んでいる。


私にとっては、学生時代からの詩友である広瀬大志、高貝弘也といった詩人も参加しており、力作揃いの圧巻だ。

しかも、TOLTAのメンバーは編集に徹し、作品を発表しないという徹底ぶりには、思わず唸ってしまった。

本音を言うと、TOLTAのメンバーの作品も読んでみたかったが、自分の作品を発表するメディアとしてではなく、詩の状況じたいを創出しようとする姿勢は、きわめて重要だと思う。


画期的なアンソロジーの誕生を喜びたい。
posted by 城戸朱理 at 07:16| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西部家の食卓

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「表現者」座談会で富岡幸一郎氏が、小林秀雄と坂口安吾の対談のとき、ふたりが酔っ払ってしまって、対談が空中分解してしまったことを語ったら、西部邁先生が、いきなり「智子、ビールを出しなさい」と言い出した。

さっそく、西部智子さんが、ビールではなくワインを出して下さったので、飲みながらの座談会となる。


白ワインのボトルが空くと、次は赤ワイン。


カマンベールチーズとサキイカを肴に飲み、座談会が終わると智子さんが食事を用意してくれた。

築地まで行って仕入れたというタラコを軽く焙ったもの、さらに、干し貝柱を入れた出汁で茸を炊いたもの、それにイクラ御飯である。

イクラは、やはり築地で仕入れた生筋子を、智子さんが、ぬるま湯で揉んで作られたもので、白鮭の大粒なイクラだった。

これが絶品で、日本酒が欲しくなる。


食事のあとは、祖師ヶ谷大蔵のBAR ROSEに席を移して、さらに飲んだのだが、ここで西部先生が三橋美智也をリクエスト。

「三橋美智也は、日本きってのベルカントだね」と西部先生。

合わせて歌う西部先生の声が、実にいい。


この日は、富岡幸一郎氏と祖師ヶ谷大蔵からタクシーで武蔵小杉に出て、横須賀線に乗り、グリーン車でさらに酒盛りをしながら帰った。

仕事のはずなのに、飲んでばかりとは、これいかに?
posted by 城戸朱理 at 07:15| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「表現者」座談会「アメリカとは何か」

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10月24日(土曜日)は、成城の西部邁先生の事務所で「表現者」第64号のための座談会に参加した。

西部邁事務所がある成城のマンションにたどり着き、まずは、そのたたずまいに圧倒される。


座談会のテーマは「アメリカとは何か」。

メンバーは、西部邁先生、気鋭の文芸評論家、田中和生氏と浜崎洋介氏、司会が「表現者」編集長の富岡幸一郎氏。


小島信夫、江藤淳から村上春樹まで、あるいは鮎川信夫から飯島耕一まで、戦後の文学は、アメリカをどのように受容したのか、そして、アメリカとは何なのかを縦横に語り合った。


私と富岡さんは同世代だが、田中和生さんは1974年生まれ、浜崎洋介さんは1978年生まれ。

わずか4年の差でも、田中さんには先行世代と同じくアメリカへの憧憬がまだあったが、浜崎さんは、むしろアメリカという国家は蔑視の対象でしかなかったという。

この落差は何なのだろうか。

また、理念としてのアメリカと現実のアメリカ合衆国との差異は、さらに突き詰めて論じる必要を感じた。


西部邁先生は、矛盾を内包しうる文学の力を評価されていたが、重要な指摘だと思う。
posted by 城戸朱理 at 07:14| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする