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城戸朱理のブログ

2015年11月24日

津蟹を食べに〜飴源、その1

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バンビことパンクな彼女は、旅に出る前に必ず下調べをして、行きたい所や食べたいもののリストを作る。

どうやら、今回もお目当ての店があるらしい。


「バンビくんに津蟹を食べさせてあげたいね!」

津蟹とは何だろうと思ったら、川で捕れる藻屑蟹のことで、津蟹を出す店を見つけたようだ。


「津蟹を食べさせてあげて!」
・・・・・・

「津蟹を食べさせてあげると、たんと御利益があるそうだよ!」


御利益などあるはずがないが、日本全国、津々浦々を踏破した民俗学者の宮本常一は、知らない土地に行ったときは、まず高いところに登れ、土地の食べ物を食べろ、古老の話を聞けと学生に教えたという。

せっかく唐津まで来たのだから、土地のものを食べてみるのもいいかと思って、バンビがチェックした店に予約を入れ、福岡空港に向かう前に昼食を取ることにした。


その店が、川魚・摘草料理の飴源。

佐賀県の東端、福岡県と隣接する浜玉町にある。

天保9年(1838年)の創業で、春は山菜、そして鮎や鰻など季節ごとの川魚料理を出す店なのだが、秋から冬にかけて、津蟹を出すのだとか。


『万葉集』で大伴旅人の歌にも登場する玉島川が窓の外を流れる控えの間に案内され、まずはよもぎ茶が供される。

みかんがザルに山盛りになっていたが、玉島川ぞいの台地は、みかんの産地として有名らしい。


部屋はすべて個室で、通された部屋には頼山陽の軸がかかり、十二代中里太郎右衛門から当代までの唐津焼きが飾られていた。

聞けば、飴源では十三代中里太郎右衛門窯の器を使っているという。


若女将が挨拶に来てくれて「川魚がちょっと出て、それから津蟹になります」とのこと。

ビールを頼み、待つことしばし、先付けは、鮎と唐芋の酢の物、自家栽培の椎茸と菊の和え物、それにすっぽんスープだった。


「んふ!
すっぽんって美味しいね!」


先付けからバンビは喜んでいたが、野趣に満ちながらも品のいい料理である。


続いて、鰻の湯引きとかまつかのお造り。

かまつかは、「川のキス」とも呼ばれる魚で、川魚特有の癖がない。

鰻もかまつかもポン酢で食べるのだが、かまつかは、このあたりでも滅多に捕れない、珍しい魚とのことだった。

ここで地酒を頼んだのだが、川魚が「ちょっと」出たので、次は津蟹かと思いきや、あけびの皮を剥いて、味噌で和えた小鉢が出た(写真なし)。

これは実に面白い食感で、教えてもらわなければ、あけびとは気づかなかっただろう。


いよいよ、津蟹の登場かと思ったら、今度は目にも鮮やかな、京野菜とお造りの盛り合わせが。


「主人が栽培した京野菜です」と若女将。


鯉の洗いと鮎のお造り、鮎の背越しに、紅大根、青長大根、ピッコロ人参、黒長大根、紅心大根、山芋、ルッコラ、紫大根、つるむらさき、赤長大根、紅白大根、ビタミン大根に菊が盛られている。

これだけさまざまな野菜を栽培しているだけでも驚きだが、酢味噌で食べる鯉や鮎も素晴らしかった。


今度こそ、津蟹だろうと思ったら、なんと子持ち鮎の塩焼きと飴源の名物だという鮎の飴焼きが登場。

どこが「ちょっと」なのか分からない川魚の饗宴である。
posted by 城戸朱理 at 07:21| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中里太郎右衛門窯

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初めて唐津を訪れたときは、高橋昭八郎さんの案内で、中里あやさんの窯で轆轤を引かせてもらって、茶碗とぐい呑みを焼いたりしたが、そのときも中里太郎右衛門窯を訪ねたものだった。


唐津藩の藩窯として代々続いてきた中里太郎右衛門窯は、唐津諸窯でも、もっとも高い格を誇っている。

人間国宝の指定を受けた十二代中里太郎右衛門(中里無庵)の息子たち、十三代中里太郎右衛門(中里逢庵)、三玄窯の中里重利、隆太窯の中里隆の三兄弟は、いずれも名手で、唐津焼きの隆盛と古唐津の研究に功績が大きい。

私が、十三代中里太郎右衛窯の木の葉角皿五客や絵唐津小皿五客、中里隆作の粉引割山椒五客などを乏しい小遣いを工面して求めたのは、もう25年ほど前のことになる。

その後、桃山から江戸初期の古唐津もずいぶん求めたし、中里逢庵の『唐津焼の研究』も熟読した。

中里重利らによる唐津古窯跡の発掘調査の報告書まで集めて読んだのだから、熱に浮かされているようなものだったのだろう。


当代は十四代中里太郎右衛門になるが、古唐津様式を脈々と受け継ぐ窯である。


私は、とにかく唐津が好きなので、古作から新作まで、愛用しているものが多い。

いつの日か、休みが取れたら、ゆっくりと唐津の諸窯を訪ねて歩きたいと思い始めてから、もうだいぶ経つが、なかなか実現できない。


中里太郎右衛門のギャラリーは古民家を移築した堂々たる建物で、中里無庵から当代までの作品も展示されている。

以前、唐津で買った湯飲みが割れてしまったので絵唐津の湯飲みと、斑唐津の片口を購入した。


片口は、帰宅してから徳利がわりの酒器になっている。
posted by 城戸朱理 at 07:18| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天平窯

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唐津は、桃山時代から焼き物の町だった。

とりわけ、十二代中里太郎右衛門(中里無庵)と西岡小十というふたりの巨匠が、桃山の古唐津様式を甦らせてからは、磁器ではなく土物の陶器を焼く窯が多い。


しかし、今回、訪ねた岡晋吾氏の天平窯は、唐津には珍しく、もっぱら磁器を焼く窯である。


天平窯は、猪が駆け回ることもあるという里山にあった。

陶芸家は、築窯の必要から人里離れて暮らす人が多い。

その意味では、もっとも自然に親しむ仕事と言えるが、自然が教えてくれることも、また多いのだろう。


ギャラリーにはたくさんの作品が並んでいて、自由に拝見させていただいたが、初期伊万里と見まごう作品から、独創的な色絵まで、既成の枠にとらわれない陶芸は、実に魅力的で、ぐい呑みや皿などを選び、送ってもらうことにした。


届いた器は、さっそく使っているが、自宅で見ると、ギャラリーにあったときよりも、一段と美しい。
posted by 城戸朱理 at 07:17| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

高橋昭八郎さんに連れていってもらった店〜川島豆腐店、その3

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からすみと塩ウニで、地酒を三合飲んでしまったが、お造りと焼魚が付いた朝食コースは、2500円。

これは、かなりお得感がある。


デザートは、豆乳のブランマンジェ。


器使いも素晴らしかったが、川島豆腐店では中里隆の器を使っている。


山茂といい、豆腐料理かわしまといい、高橋昭八郎さんは、いいお店を厳選して案内してくれたのだなと、しみじみ思った。
posted by 城戸朱理 at 20:13| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高橋昭八郎さんに連れていってもらった店〜川島豆腐店、その2

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焼き物は、かますの一夜干し。

ここでメニューに「自家製新からすみ」を見つけて注文してみたのだが、これが絶品で、朝から酒が進む。


次は揚げ立ての厚揚げが出たが、これもおかわりしている人がいた。


食事は、麦粥とアゴ出汁の味噌汁に漬物。


お粥にも味噌汁にも豆腐が入っているが、これだけ美味い豆腐だと飽きるということがない。


メニューの漁師さんが作った塩ウニが気になったので、これも頼んでみた。

朝から飲んでいるのだから、どうしようもないが、旅先だからよしとしよう。
posted by 城戸朱理 at 20:12| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高橋昭八郎さんに連れていってもらった店〜川島豆腐店、その1

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高橋昭八郎さんを尊敬すること人後に落ちないバンビことパンクな彼女は、昭八郎さんが亡くなる前年に、ひとり唐津を訪れ、昭八郎さんの写真を撮ったり、インタビューを録音したりしたのだが、そのとき、昭八郎さんに川島豆腐店に連れていってもらったそうだ。


創業寛政年間、唐津藩御用達として江戸時代から200年続く川島豆腐店は、川越の小野食品と並んで、日本きっての豆腐屋さんとして知られている。

高橋睦郎さんも手料理で来客をもてなすときには、川島豆腐店からざる豆腐を取り寄せていたが、豆腐店の隣に、ざる豆腐を使った豆腐料理かわしまを開店したのは知っていたものの、私はまだ行ったことがなかった。


豆腐店の左手の暖簾をくぐり、奥に進むと、清潔な素木のカウンターの、まるで割烹のような店が現れる。

この意外性が楽しい。


まずは豆乳、卯の花、黒胡麻豆腐の先付けが出る。

豆乳はあの豆乳特有の匂いがまったくなく、素晴らしかったが、昭八郎さんもお気に入りだったそうだ。


川島豆腐店が始めたざる豆腐は、出来立てで温かく、大豆の甘みは、まるでお菓子のようである。

ざる豆腐は、おかわり自由というのも嬉しい。

お造りは、済州島産の鯖。

軽く締めてあったが、東京の基準なら、ほとんど生で、昨夜の対馬産の鯖同様、異次元の味わい。

つい朝から、地酒を注文してしまった。
posted by 城戸朱理 at 20:11| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

唐津の猫

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山茂を出て、唐津駅からタクシーに乗ろうと歩いていたら、猫が寄ってきた。


「にゃんこだ!」


バンビことパンクな彼女が喜んで手招きしたら、バンビの膝の上に飛び乗って、甘えている。

これだけ、人間慣れしているのだから、飼い猫だろうが、バンビは「このにゃんこは、高橋昭八郎さんなんじゃないかな?」と無茶苦茶なことを言い出した。

そんなことはない。

ただの猫である。

だが昭八郎さんの霊が乗り移って、迎えてくれたのだと思うほうが楽しい。
posted by 城戸朱理 at 20:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高橋昭八郎さんに連れていってもらった店〜山茂、その2

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たった三回しか来たことがないのに、昭八郎さんとの思い出があるものだから、山茂には懐かしさを感じる。


女将さんに尋ねたら、昭八郎さんが何者かは知らなかったが、白髪の品のいいお客さんとして覚えていてくれた。

そんなことが、無性に嬉しい。


活き烏賊はないが、かわりに唐津名物の烏賊焼売を。

さらにうね鯨を頼んで、飲む。


食事は、女将さんお勧めの鯖寿司にしたが、九州の鯖は関東や関西のそれとは、まったく違う。

対馬産とのことだったが、臭みがまったくないうえに、旨みが凝縮した感じなのだ。


昭八郎さんの、あのはにかむような笑顔が、よみがえった。
posted by 城戸朱理 at 20:09| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高橋昭八郎さんに連れていってもらった店〜山茂、その1

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唐津の魚の美味さは有名だが、地元の人は博多に行っても「魚は唐津が一番たい」と言って、決して魚を頼まないそうだ。

高橋昭八郎さんは、「じゃあ、その美味い魚を食わせてくれと言うんですよ」と笑っていたが、昭八郎さんに連れていってもらった店の魚の美味さには、たしかに目を見張った。

活烏賊のお造りは、光のような斑点が浮いては沈み、脚が動かなくなるとゲソは天ぷらに、耳は握り寿司にしてくれる。

鯨も素晴らしかったが、たしか三回、同じ店に御一緒した。

一度は石田瑞穂くんも一緒で、瑞穂くんはそのときのことを「引き揚げられたばかりの透き徹った烏賊の刺身や近海の魚は、いままで食べたどんな魚より美味しく」と「現代詩手帖」2007年7月号の特集「城戸朱理」の論考に書いていたっけ。


しかし、こちらは昭八郎さんのお話を聞くのに夢中で、テープを回してインタビューをしたりしていたものだから、活き烏賊と鯨以外に何を食べたのかも覚えていないし、店名さえ記憶していない。


唐津駅から近かったことだけは確かなので、バンビことパンクな彼女がネットで検索し、当たりをつけたところ、昭八郎さんに連れていっていただいたのは、山茂という店なのが分かった。


昭八郎さんは予約をしてくれていたので、いつも二階の座敷だったが、今回は一階のテーブル席につく。


残念なことに活き烏賊は売り切れだったが、かわりに幻の魚、アラが入荷していた。


地酒で昭八郎さんに献杯し、まずはアラのお造りとアラのあら炊きを。


アラは漁獲が少ないため、高級魚とされ、鍋料理が有名だが、刺身も鯛より美味いと言われている。

アラの刺身は、脂が乗って、舌にまとわりつくようで、官能的だが、あら炊きも素晴らしい。


バンビと昭八郎さんのことを思い出しつつ、杯を傾けた。
posted by 城戸朱理 at 20:06| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月21日

高橋昭八郎さんと犬

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バラックは隠れ家のようなカフェで、看板もわざわざ見えない位置にあった。

この雑然とした物置場も、高橋昭八郎さんなら「詩が降ってくる場所」と呼んだに違いない。


バラックに行く手前、左側には宮後郁子さんが飼っていたキャンディの犬小屋がある。

昭八郎さんは帰りぎわに、必ずキャンディを撫でてから帰ったそうで、昭八郎さんの友人で『動物哀歌』の詩人、村上昭夫が飼っていたクロにキャンディが似ていると語っていたそうだ。


昭八郎さんは、昨年の5月24日に亡くなったが、宮後さんがキャンディにそれを告げると、キャンディは悲しい声で鳴き、ちょうど1年後、昭八郎さんの命日に死んだという。

バラックの敷地内にあるキャンディのお墓には、煉瓦と鉢が置かれていた。


いろいろとお話をうかがっているうちに、すっかり暗くなっていた。
posted by 城戸朱理 at 13:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バラックの店内には

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バラックの店内には、宮後郁子さんが集めた詩集や絵本があちこちに置かれているが、高橋昭八郎さんが参加していた詩誌「gui」や著作もカウンターにあった。


昭八郎さんがいつもコーヒーを飲んでいたという北欧のモダンデザインのカップでコーヒーをいただきながら、あれこれと思い出話をうかがったのだが、バンビことパンクな彼女が録音していたので、いつか紹介できるだろう。


昭八郎さんは、コーヒーを飲むとき、砂糖の紙袋を折る癖があって、宮後さんはそれを取って置いたのだが、昭八郎さんに見せたところ、「これで作品を作れるかも知れない」と言って、持ち帰ったそうだ。

残念ながら、その作品は残されていないが、写真は、昭八郎さんが2013年に残していった紙袋である。


昭八郎さんは、いつも奥の席に座っていたというので、バンビがその席に座って、昭八郎さんと同じポーズで記念撮影。

その席の窓際には、昭八郎さんが落としていった10円玉が、今でも置かれている。
posted by 城戸朱理 at 13:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高橋昭八郎さんが通った喫茶店、バラック

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高橋昭八郎さんは唐津のお宅から近い喫茶店バラックに、よく通われていた。

昭和30年代に建てられた長屋を改装したカフェで、店主の宮後郁子さんは、昭八郎さんのよき理解者でもあった。

一時は、昭八郎さんの作品を宮後さんが倉庫に預かっていたこともある。


今回はあらかじめ宮後さんに連絡して、昭八郎さんの思い出話をうかがうことにしていたのだが、店に入ると、まるで、小さな高橋昭八郎記念館のようで、嬉しかった。


入り口には、昭八郎さんの視覚詩作品と写真が飾られている。


この写真は、ワタリウム美術館のオンサンデーズで「高橋昭八郎展〜翼ある詩」を開催したときにのプロフィール写真に使ったものだが、バラックの前で宮後さんが撮影したものだという。


壁には、昭八郎さんのインタビューが掲載されている2011年10月21日付けの「佐賀新聞」が貼られていた。

このインタビューで、昭八郎さんはヴィジュアル・ポエトリーを「言葉による、社会的に規定されたコミュニケーションの形を拒否し、言葉が生まれる原初に立ち戻る」ことだと語っている。


北園克衛のVOUクラブに入会するに当たって、「叩けばキーンと音がするような抽象的な詩を書きたい」と北園さんに書き送った昭八郎さんらしい言葉ではないか。


宮後さんは、高橋昭八郎さんが亡くなってから、ほとんど店を開けることがないと語っていた。

「高橋先生に出会うために、自分はバラックを始めたんだと思うんです」という宮後さんの言葉に、運命的な出会いを感じざるをえなかった。
posted by 城戸朱理 at 12:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

唐津シーサイドホテル

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唐津に着いて、荷物を置くために、まずはホテルにチェックインした。

今回の宿は、唐津シーサイドホテル。


バンビことパンクな彼女が和室を予約したのだが、部屋に入って、その広さに驚いた。

しかも広いだけではない。

茶室まで設えられており、水屋にはお道具まで揃っている。

抹茶さえ持参すれば、茶会ができるわけだが、そんな人がいるのだろうか?

お風呂は檜造りで、玄海灘を見ながら入浴できる。


不安になって、バンビに料金を尋ねたところ、東京のビジネスホテルより安いので、また驚くことに。


ホテルで遅い昼食を取ってから、出かけることにした。
posted by 城戸朱理 at 12:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高橋昭八郎さんの面影を求めて、唐津へ

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鹿児島からまっすぐ帰らなかったのは、昨年、亡くなった伝説のヴィジュアル・ポエット、高橋昭八郎さんを偲ぶために、昭八郎さんが晩年を過ごした唐津を再訪するためだった。

11日は、ホテルをチェックアウトし、バンビことパンクな彼女が、幼少期を過ごしたエリアをタクシーで回ってもらってから、電車で唐津へ。


唐津は美しい街だ。

海辺には唐津城。

その東には、5kmに及ぶ虹の松原が続き、高島、鳥島、神集島などの島々を浮かべた穏やかな玄海灘が広がる。


初めて訪れたとき、昭八郎さんは、まず佐用姫伝説で知られる鏡山に案内して下さったのだが、頂上の展望台から望む、エメラルドグリーンの玄海灘を背景にした街は、風まで見える気がした。


岩手県北上市で、代々、漆の塗師を営む家に生まれた高橋昭八郎さんは、退職するまで盛岡で暮らしていた。

昭八郎さんのお宅は、盛岡の私の実家から、歩いて1、2分のところだったが、唐津に引越しされてから、わざわざ、お訪ねすることになるとは、若いときは想像もできなかった。

そして、昭八郎さんは、この風光明媚な唐津にあっても、情緒を排した先鋭な視覚詩を作り続けた。

その前衛を貫き通す姿勢は、やはり驚嘆に値する。
posted by 城戸朱理 at 10:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

憎しみの連鎖



鹿児島の国民文化祭、「現代詩の祭典in南九州市」において、高岡修氏は、次のように語った。


「20世紀は戦争の時代でした。
私は、21世紀は文化の時代になると思っていた。
けれども、違いました。
21世紀は、テロの時代になった」


その言葉を聞いてから、わずか5日後の11月13日。

早朝に、BBCのニュースで、パリにテロが起こったことを知った。

続報が出るたびに、死者の数が膨れ上がっていく。

凍りつくような想いで、ネットを検索してみたら、ベイルートでも自爆テロで、たいへんな被害があったことが分かった。


テロの時代――

たしかに、21世紀は、まず9. 11の同時多発テロから始まった感があるが、今回のテロは、性格がまったく違う。

アルカイーダは、大使館や軍事施設をテロの対象としていたし、ワールドトレードセンターもグローバル資本主義の殿堂という意味で、ペンタゴンとともにテロの対象となったことは、まだ理解できた。


しかし、今回のISの犯行とされるパリやベイルートのテロは、対象が一般市民であり、備えようがない。


オランド大統領は、すぐさま報復でシリアを空爆、英国やロシアも足並みを揃えた。

ドイツも集団的自衛権の行使を申し出たし、今や、欧州と中東は第三次世界大戦に突入した感がある。


テロは決して許されるべきではないが、同時にその背景には、欧州諸国のアラブ世界の植民地化と、1960年代フランスの労働力としての移民の受け入れがあるのも事実だろう。

抑圧と差別が抵抗を生み、それに応じた空爆がテロを呼び、テロがより過激な空爆を呼ぶという憎悪の連鎖は、もう止めようがない。


パリのバタクラン劇場でテロリストに妻のエレンさんを射殺されたジャーナリストのアントワーヌ・レリス氏は、SNSでISに向けて、僕は君たちを憎まない。君たちの負けだと語りかけ、賛同を集めたが、レリス氏のように憎悪の連鎖を断ち切るすべを、人類はどうしたら学ぶことができるのだろうか。


エズラ・パウンドは、その晩年に「友人たちがいがみ合うとき/どうして世界に平和が訪れるというのか」と『詩篇(キャントーズ)』の「断片と草稿」に書いた。

少なくても私は、憎しみの言葉を自分の生活からそぎ落とし、追放していこうと思う。
posted by 城戸朱理 at 22:03| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

博多B級グルメ・ツアー、その3〜中州の屋台で

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屋台バーえびちゃんでカクテルを6杯、いい気分で、歩いて中州に向かった。

10年前に比べると、屋台は半減しているが、とろりと時間が滞留したような那珂川の川面を見ながら、飲む酒は格別なものがある。


どの屋台もほとんど満席だから、席が空いた店に入り、バンビことパンクな彼女と相談して、モツ煮と枝豆、イワシ明太を焼いてもらって、焼酎のお湯割りを飲む。


隣に中国の大学生3人が来たので、互いに記念撮影したりして、屋台ならではの楽しい時間を過ごす。


締めは、当然、博多ラーメン。

あっさりとした豚骨スープは、東京の博多ラーメンとは、まるで違って、飲んだあとでも優しい。
posted by 城戸朱理 at 20:53| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博多っ子、マッド・バンビ???

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屋台バーは私たちが入店して満席になった。

すると、突然、のれんを潜ってお爺さんが、

「まだ帰らんとね!
まだ席ばあかんとね!」

常連なのだろうが、先客に早く帰れと言っているのだから、なかなか強烈である。


諦めて帰ったと思ったら、数分後にまた現れた。


「まだ席ばあかんとね!
まだ帰らんとね!」


ここで、バンビことパンクな彼女の隣に座っていた若者3人が席を立ち、お爺さん3人が入店。

すると、いちばん騒がしいお爺さんが、バンビにいちゃもんをつけ始めた。


「なんで、近頃の若者はこげん長居ばするとね!」

すると、バンビはすかさず博多弁で切り返しているではないか!

「せからしか!
どげんもこげんもなか!
長居しとるんじゃなか!
これが二杯目たい!」
!!!!!!


それから、お爺さんと博多弁での応酬が続いたのだが、バンビはお父さんの転勤で、幼少期を博多で過ごしているため、英語同様に博多弁を話せるのである(?)。


バンビに言い負かされたお爺さん、今度はマスターに絡み始めた。


「この爺、息子夫婦に早くこの仕事ば譲って、引退せんとね!」


憮然とするマスター。

ちなみに、このお爺さんは72歳で、マスターは74歳。

お爺さん同士が「爺!」と悪態をつき合う様子に、客は大爆笑。


博多の愉快な夜は、こうして始まった。
posted by 城戸朱理 at 20:39| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博多B級グルメ・ツアー、その2〜屋台バーえびちゃん

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博多には、150軒を超える屋台があるというが、ただ一軒だけバーがある。

それが、酒徒には、つとに名高い冷泉公園の屋台バーえびちゃんだ。


今回、初めて訪れることが出来たが、ボトルが並ぶ店内は、まさにバーの空間。

もう30年、営業しているというだけあって、平日なのに客足が途絶えることはない。


最初にジントニックをもらって、あとはお任せでカクテルを。

熟柿とブランデー、それにレモンジュースの「カキテル」など、実に独創的なカクテルを出してくれる。

つまみは、テールスープのおでんとカマンベールのマーマレード焼きを頼んだのだのだが、オックステールのおでんなので、これが洋酒にも合う。


条例で屋台が禁止されかかったこともあるが、博多は、この屋台文化を、ずっと継承して欲しいものだ。
posted by 城戸朱理 at 20:20| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広すぎる部屋?

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鹿児島で国民文化祭に出演したあと、福岡と唐津を回ることにしたのだが、新幹線や宿の手配は、すべてバンビことパンクな彼女がやってくれた。


「旅行のことなら、バンビ・トラベルにおまかせだよ!」

「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」
・・・

「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」
・・・・

「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」
・・・・・・

「バンビぃ〜♪」
・・・・・・


バンビが、「福岡では、ひとり5千円もしないホテルを押さえたよ!」と言っていたので、ごく狭いビジネスホテルを予想していたら――


なんだ、これは!!!


部屋は50平米を超え、キャッチボールが出来るほど広い。

ベッドは3つあるが、さらに予備ベッドまであり、キッチン、洗濯機も完備。

海も近いが、プールまである。


東京で独房のような部屋に泊まるのがイヤになるほどで、執筆のためにホテルに缶詰になるのなら、往復の旅費を自己負担してでも、このホテルにしたいと思うほどだった。
posted by 城戸朱理 at 19:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博多B級グルメ・ツアー、その1〜テムジンの博多餃子

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いよいよ、博多に到着。

さすがに大都会だけあって、博多駅の雰囲気は東京駅と変わらないものがある。


バンビことパンクな彼女は、朝食を食べていなかったので、まずは博多餃子を食べることにした。

そういえば、鹿児島では連日、夜遅くまで飲んでいたので、私も朝食はいちども食べなかったな。


博多餃子といえば、ひと口餃子、若者なら、ひとりで50個くらいは、平気で食べられるだろう。


まずは、水餃子でビール。

さらに焼き餃子と、めんたい御飯を一人前貰ってバンビと分ける。

テムジンの餃子は、すべて手作りだが、皮が柔らかく、餡は野菜がたっぷりで豚肉ではなく牛挽き肉が使われているため、上品で、食べ飽きしない。

しかも、酢醤油にラー油ではなく柚子胡椒というのも洗練されている。


焼き餃子も、焼き目以外は柔らかで、あっという間に食べてしまい、もうひと皿、追加した。


さらに、モツ酢を追加。

これは、茹でたガツを酢醤油で食べるのだが、ガツまで品がいい。

テムジンの餃子につられて、思いがけず、昼から飲んでしまったが、博多は、つくづく良いところである。
posted by 城戸朱理 at 19:14| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする