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城戸朱理のブログ

2015年11月24日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評が掲載



今日、11月24日の「毎日新聞」夕刊に月評「詩の遠景・近景」が掲載される。

今回、取り上げたのは次の5冊。


蜂飼耳『顔をあらう水』(思潮社)

日和聡子『砂文』(思潮社)

石田瑞穂『耳の笹船』(思潮社)

平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)

安藤元雄『樹下』(書肆山田)


このひと月ほど、見逃すことができない詩集が、次々と刊行され、選んだ詩集すべてに言及することが出来なかった。

それらについては、来年、1月の月評で取り上げたいと思っている。


来月は月評は休載で、年間回顧「詩、この一年」が掲載されることになる。
posted by 城戸朱理 at 10:16| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本近代文学館での「声のライブラリー」

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福岡から戻った翌日は、鹿児島から送りだしたトランクを解き、荷物を片付けたり洗濯に終われた。

その翌日、14日は、パリの同時多発テロのニュースで目覚める。

ベイルートでもテロが発生したことを知って慄然としたが、世界が誰もが望まぬ方に転がり始めたような不吉な予感に苛まれた。


気持ちを鎮め、犠牲者の冥福を祈ってから、着替えて東京に向かう。

ISは、日本もテロの標的と宣言しているので、いずれ、日本でもテロが起こる日が来るのかも知れない。

ISがYouTubeに投稿した動画では、浅草寺が爆破される場面があるそうだが――

今や見慣れた景色さえ、別のものに見えるようになった。


雨のなか、駒場公園内の日本近代文学館に到着したのは、午後1時。

朝から何も食べていなかったので、文学館のカフェで昼食を取るつもりだったのだが、混んでいたので、結局、朝食・昼食抜きで朗読に臨むことになった。


2時からの「声のライブラリー」で、私は『千の名前』『地球創成説』『幻の母』『世界-海』『漂流物』から全部で6篇を朗読。

西部邁先生の朗読の後、作家、佐藤洋二郎さんの司会で、西部先生とトークをした。

西部先生は、体調が優れないと言いつつも、語り出すと止まらない。


トークが終わってから、サイン会があったのだが、『漂流物』を買って下さった方を見たら、なんと西部智子さんだった。

私も西部先生の『蜃気楼の中へ』(中公文庫)を買って、列に並ぶ。

私の顔を見て驚いた西部先生、「お! どなたですか」。


5時から空いている店を探し、バンビことパンクな彼女が、渋谷のワイン居酒屋VINに予約を入れる。

渡辺めぐみさんも誘って、タクシーに分乗してVINに移動したのだが、西部先生は若者の街、渋谷がお嫌いなので御機嫌斜め。

しかし、VINの料理がお気に召したらしく、再び、勢いを取り戻す。

佐藤洋二郎さんが、日本の離島を訪ねたり、日本各地の神社を訪ねたりしているのは聞いていたが、ふらりと電車に乗って、各駅ごとに降り、呑み屋で一杯ずつ飲み歩く趣味があるとは知らなかった。

なんとも楽しそうではないか。


翌15日は、静岡大学での講演会のために静岡行きで、またもや荷物をパッキングしていた。

これだけ、あわただしいと鬱病になる暇もない。

6年前に鬱病で苦しんでいたときは、やはり鬱だった柳美里さんと、精神科医のことや抗鬱剤のことなど、あれこれ情報交換をしたものだが、どうやら、柳さんも私も、鬱からは抜け出ることが出来たようだ。

私が抗鬱剤を処方してもらったのは、5カ月だけだったが、その間は、仕事がほとんど出来なかったのを思い出す。
posted by 城戸朱理 at 07:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津蟹を食べに〜飴源、その2

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バンビとふたり、「ちょっと」の川魚に圧倒されていたら、大女将が挨拶に来てくれた。

そして、ついに津蟹の姿煮が、大皿にどさりという感じに盛られて登場する。


「こんなの聞いてないよ!」

なぜか怒り出すバンビ。

よくよく聞いたら、バンビは上海蟹くらいの小さい蟹を想像して、足りないかも知れないと、ひそかに心配していたらしい。

「もし、ちっちゃい蟹が、ふたりで一匹だけだったら足りないなあって、すご〜く心配していたんだよ!
これなら大きな毛蟹とでも喧嘩できるね!」

たしかに、大振りの毛蟹ほどの津蟹が二匹、その下には、中型の津蟹が三匹も盛られている。

「これだけ大きいのは珍しいですよ。食べきれなかったらお持ち帰り下さい」と大女将。


この時期の津蟹は、ストーンクラブ並みに殻が硬かったが、バンビは夢中で食べ始める。

上海蟹より美味いと言われる津蟹だが、鮎がの産地の玉島川の清流で育った津蟹は、ぎっしりと詰まった蟹味噌が癖もなくとろけるようだし、身は脂が乗り、風味が素晴らしい。

「ちょっと」の川魚に圧倒されたあとなので、ふたりで一匹ずつを食べ、三匹は包んでもらった。


姿煮のあとは、小振りの津蟹を炊き込んだ秘伝の津蟹飯と津蟹汁。

津蟹汁は蟹の旨みが凝縮したようで目が覚めるようだったが、津蟹飯の美味しさも、また格別だった。


水菓子は、自宅で採れたというちゃら柿に大柿、レインボーキウイにあけび。


飴源では、昼も夜も同じ料理を出すが、3時間かけても食べきれないほど品数が多い。

最後は飛行機の時間を気にしながらになってしまったが、もし次の機会があるのなら、絶対、夜に来ようと思った。
posted by 城戸朱理 at 07:23| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津蟹を食べに〜飴源、その1

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バンビことパンクな彼女は、旅に出る前に必ず下調べをして、行きたい所や食べたいもののリストを作る。

どうやら、今回もお目当ての店があるらしい。


「バンビくんに津蟹を食べさせてあげたいね!」

津蟹とは何だろうと思ったら、川で捕れる藻屑蟹のことで、津蟹を出す店を見つけたようだ。


「津蟹を食べさせてあげて!」
・・・・・・

「津蟹を食べさせてあげると、たんと御利益があるそうだよ!」


御利益などあるはずがないが、日本全国、津々浦々を踏破した民俗学者の宮本常一は、知らない土地に行ったときは、まず高いところに登れ、土地の食べ物を食べろ、古老の話を聞けと学生に教えたという。

せっかく唐津まで来たのだから、土地のものを食べてみるのもいいかと思って、バンビがチェックした店に予約を入れ、福岡空港に向かう前に昼食を取ることにした。


その店が、川魚・摘草料理の飴源。

佐賀県の東端、福岡県と隣接する浜玉町にある。

天保9年(1838年)の創業で、春は山菜、そして鮎や鰻など季節ごとの川魚料理を出す店なのだが、秋から冬にかけて、津蟹を出すのだとか。


『万葉集』で大伴旅人の歌にも登場する玉島川が窓の外を流れる控えの間に案内され、まずはよもぎ茶が供される。

みかんがザルに山盛りになっていたが、玉島川ぞいの台地は、みかんの産地として有名らしい。


部屋はすべて個室で、通された部屋には頼山陽の軸がかかり、十二代中里太郎右衛門から当代までの唐津焼きが飾られていた。

聞けば、飴源では十三代中里太郎右衛門窯の器を使っているという。


若女将が挨拶に来てくれて「川魚がちょっと出て、それから津蟹になります」とのこと。

ビールを頼み、待つことしばし、先付けは、鮎と唐芋の酢の物、自家栽培の椎茸と菊の和え物、それにすっぽんスープだった。


「んふ!
すっぽんって美味しいね!」


先付けからバンビは喜んでいたが、野趣に満ちながらも品のいい料理である。


続いて、鰻の湯引きとかまつかのお造り。

かまつかは、「川のキス」とも呼ばれる魚で、川魚特有の癖がない。

鰻もかまつかもポン酢で食べるのだが、かまつかは、このあたりでも滅多に捕れない、珍しい魚とのことだった。

ここで地酒を頼んだのだが、川魚が「ちょっと」出たので、次は津蟹かと思いきや、あけびの皮を剥いて、味噌で和えた小鉢が出た(写真なし)。

これは実に面白い食感で、教えてもらわなければ、あけびとは気づかなかっただろう。


いよいよ、津蟹の登場かと思ったら、今度は目にも鮮やかな、京野菜とお造りの盛り合わせが。


「主人が栽培した京野菜です」と若女将。


鯉の洗いと鮎のお造り、鮎の背越しに、紅大根、青長大根、ピッコロ人参、黒長大根、紅心大根、山芋、ルッコラ、紫大根、つるむらさき、赤長大根、紅白大根、ビタミン大根に菊が盛られている。

これだけさまざまな野菜を栽培しているだけでも驚きだが、酢味噌で食べる鯉や鮎も素晴らしかった。


今度こそ、津蟹だろうと思ったら、なんと子持ち鮎の塩焼きと飴源の名物だという鮎の飴焼きが登場。

どこが「ちょっと」なのか分からない川魚の饗宴である。
posted by 城戸朱理 at 07:21| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中里太郎右衛門窯

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初めて唐津を訪れたときは、高橋昭八郎さんの案内で、中里あやさんの窯で轆轤を引かせてもらって、茶碗とぐい呑みを焼いたりしたが、そのときも中里太郎右衛門窯を訪ねたものだった。


唐津藩の藩窯として代々続いてきた中里太郎右衛門窯は、唐津諸窯でも、もっとも高い格を誇っている。

人間国宝の指定を受けた十二代中里太郎右衛門(中里無庵)の息子たち、十三代中里太郎右衛門(中里逢庵)、三玄窯の中里重利、隆太窯の中里隆の三兄弟は、いずれも名手で、唐津焼きの隆盛と古唐津の研究に功績が大きい。

私が、十三代中里太郎右衛窯の木の葉角皿五客や絵唐津小皿五客、中里隆作の粉引割山椒五客などを乏しい小遣いを工面して求めたのは、もう25年ほど前のことになる。

その後、桃山から江戸初期の古唐津もずいぶん求めたし、中里逢庵の『唐津焼の研究』も熟読した。

中里重利らによる唐津古窯跡の発掘調査の報告書まで集めて読んだのだから、熱に浮かされているようなものだったのだろう。


当代は十四代中里太郎右衛門になるが、古唐津様式を脈々と受け継ぐ窯である。


私は、とにかく唐津が好きなので、古作から新作まで、愛用しているものが多い。

いつの日か、休みが取れたら、ゆっくりと唐津の諸窯を訪ねて歩きたいと思い始めてから、もうだいぶ経つが、なかなか実現できない。


中里太郎右衛門のギャラリーは古民家を移築した堂々たる建物で、中里無庵から当代までの作品も展示されている。

以前、唐津で買った湯飲みが割れてしまったので絵唐津の湯飲みと、斑唐津の片口を購入した。


片口は、帰宅してから徳利がわりの酒器になっている。
posted by 城戸朱理 at 07:18| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天平窯

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唐津は、桃山時代から焼き物の町だった。

とりわけ、十二代中里太郎右衛門(中里無庵)と西岡小十というふたりの巨匠が、桃山の古唐津様式を甦らせてからは、磁器ではなく土物の陶器を焼く窯が多い。


しかし、今回、訪ねた岡晋吾氏の天平窯は、唐津には珍しく、もっぱら磁器を焼く窯である。


天平窯は、猪が駆け回ることもあるという里山にあった。

陶芸家は、築窯の必要から人里離れて暮らす人が多い。

その意味では、もっとも自然に親しむ仕事と言えるが、自然が教えてくれることも、また多いのだろう。


ギャラリーにはたくさんの作品が並んでいて、自由に拝見させていただいたが、初期伊万里と見まごう作品から、独創的な色絵まで、既成の枠にとらわれない陶芸は、実に魅力的で、ぐい呑みや皿などを選び、送ってもらうことにした。


届いた器は、さっそく使っているが、自宅で見ると、ギャラリーにあったときよりも、一段と美しい。
posted by 城戸朱理 at 07:17| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする