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城戸朱理のブログ

2016年01月15日

手打ち釜揚うどん みよし、その2

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私は穴子の天ぷら、バンビは鶏の天ぷらを、うどんとセットにしてもらったのだが、常連客はサキイカの天ぷらを頼んでいる人が多い。

関東では珍しい幻魚(げんげ)の天ぷらもあった。

幻魚は、私が若き日に愛読した村松友視「私、プロレスの味方です」の序章で初めてその存在を知った魚。

富山や新潟、秋田など日本海側で獲れる深海魚で、その名も「下の下」に由来する雑魚だったが、最近は地元以外でも知られるようになり、滅多に出会えない幻の魚として珍重されるようになった。


この店では、天ぷらを肴に飲み、絞めに釜揚うどんをもらうというのがよさそうだ。


天ぷらはからっと揚がり、穴子も鶏も塩でいただくと、酒が進む。


うどんは、角が立ち、鰹が香り立つつゆもよい。

最初はうどんだけ、次にはつゆをつけて、薬味はネギ、揚げ玉、ショウガ、七味と順番に加えて味の変化を楽しむという趣向も楽しかった。

鎌倉駅西口の讃岐が閉めてから、うどん屋からは足が遠のいていたが、みよしなら酒肴もあって、軽く飲むことが出来るし、うどんも旨い。


釜揚げだけに身体も暖まり、バンビも大満足だった。
posted by 城戸朱理 at 08:21| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手打ち釜揚うどん みよし、その1

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鶴岡八幡宮を後にして、小町通りの手打ち釜揚うどんのみよしへ。

2時を回っているのに、まだ人が並んでいたが、どこも混んでいるので、私たちも待つことにした。


バンビことパンクな彼女は、以前から目をつけていたらしいが、ミシュランで、ビブグルマン(手頃な値段で良質な料理を提供する店)にも選ばれている。

待つ間にメニューを見て、注文を決めるシステム。


待つこと30分、ようやく席につき、まずビールを頼んだら、バンビがいきなり日本酒を頼んだものだから、私もビールと日本酒を一緒にもらうことにした。

日本酒は錫の酒器で供される。

酒の肴も充実しており、うどんが茹で上がるまで、焼き味噌と才巻き海老の天ぷらで飲むことにした。

冗談のようだが、酒は紀土(きっど)、次には木戸泉(きどいずみ)。

蕎麦屋の天ぷらはなぜか旨いと語ったのは、池波正太郎だが、蕎麦屋ならぬうどん屋の天ぷらも旨かった。
posted by 城戸朱理 at 08:19| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月14日

鶴岡八幡宮へ

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天気に恵まれた三連休の最終日、11日は、洗濯をしてから、これまで手が回らなかった靴やバッグのメンテナンスを一気にやるつもりだったのだが、
バンビことパンクな彼女が、昨年いただいたお札を返し、お正月の祈祷をしてもらいに鶴岡八幡宮に行くと言い出した。

八幡様は源氏の守り神、城戸家は近江源氏佐々木氏の支族だから、私も八幡宮にお詣りしようと一緒に出かけたのだが、鎌倉は凄い人出で、小町通りなど、三賀日よりも人が多いのではないかと思えるほど。


人混みを縫って、ようやく鶴岡八幡宮にたどり着き、正月祈祷をお願いした。

待つことしばし、本殿に案内され、祈祷していただいたのだが、所要時間は、10分ほどだろうか。

木のお札をいただき、最後に御神酒をいただいて、終了。


バンビは露店で綿飴を買い込み、嬉しそうにしている。

本当は、綿飴がお目当てだったのか?


朝から何も食べていなかったので、遅い昼食を取ることにしたのだが、どの店も異様に混んでいる。

結局、バンビの提案で手打ち釜揚うどん・みよしに初めて入ってみたのだが、これが正解だった。

この日は元町ユニオンで買い物をして、タクシーで帰宅。


翌日は、デヴィッド・ボウイ逝去のニュースが世界中を駆け回った。

いささかショックを受けたが、ボウイが一時期、京都で暮らしていたのは知らなかった。


「現代詩手帖」の小特集「展覧会を読む」に寄せるエッセイを書き上げ、メールしたのは4時。

5時に御成町法律事務所でバンビと待ち合わせ、弁護士の二見宏史先生に懸案事項の今後のことを打ち合わせる。

勝烈庵で簡単に夕食を済ませて帰宅したのだが、バンビは、デヴィッド・ボウイのCDをずっとかけていた。

なぜか途中で、イギー・ポップに変わったのだが、あの名曲「チャイナガール」は、ボウイがイギー・ポップのために作曲したもの。

後にイギー・ポップが薬物依存で破産しかけたとき、ボウイはアルバム「レッツ・ダンス」で「チャイナガール」をセルフカヴァーし、印税の半分をイギー・ポップに渡したという。

たいていの人は、滅茶苦茶な人生を送ってきたイギー・ポップのほうが、ボウイより先に死ぬと思っていただろうが、まさかボウイが69歳で亡くなるなんて考えてもみなかった。

R.I.P David Bowie.
posted by 城戸朱理 at 14:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大人ランドセルと水沢ダウン



昨年12月24日付け、柳美里さんのブログで、迷ったあげくに、いつも焦げ茶色のバッグを選んでしまうという記事があった。

添えられた写真では、土屋鞄製造所の肩掛けバッグにダナ・キャランのハンドバッグ、マックス・マーラのトートバッグ、柳さんが愛用している三つのバッグが紹介されていたが、
次は土屋鞄製造所の「大人ランドセル」の黒を買いたいと柳さんが書かれていたので、「大人ランドセル」なるものを検索してみた。

なるほど、ランドセルを作って半世紀、土屋鞄製造所がビジネス用に開発しただけあって、スタイリッシュなうえに、革質も見るからにいい。

革はヌメ革とオイルドレザーの2種類で、それぞれ黒と茶がある。


この「大人ランドセル」、土屋鞄製造所が創業50周年を記念して、昨年11月に発売したが、10万円という値段にもかかわらず、即日完売したという。

第二弾は、今週末、16日の発売。

土屋鞄製造所の店舗は鎌倉にもあるので、見てみたいと思ったが、私がいちばん気にいった黒のヌメ革は鎌倉店には入荷しないことが分かった。

一瞬、私も買おうかと思ったのだが、柳さんとお揃いになるのもヘンだし、やはり買わないほうがいいだろう。

しかし、考えてみると、10万円もする鞄が飛ぶように売れるということ自体、興味深い。

高いが、長く使えるからという理由で選ぶのだろうが、余裕があるのなら賢明な選択と言えるだろう。


もうひとつ、高いのに売れているのが、デサントの水沢ダウンだ。

こちらの価格帯は8〜12万円。

モンクレールのようなグレードの高い輸入品と、さして変わらない値段だが、従来のダウンジャケットにはなかった防水性を備え、薄手なのに保温性が高いらしい。

水沢ダウンは、国内で唯一、ダウンの縫製と防水加工がともに出来る岩手県水沢の工場で作られているが、職人の手仕事によるハイテクジャケットだけに、値段は安くない。

それがバカ売れしているというのだから、これも大人ランドセルと同じ現象と言えそうだ。


両者に共通しているのは、日本ならではの発想による商品開発と、それを支える職人技ということになる。



大阪芸術大学や神奈川工科大学の教授も歴任した漫画原作の大御所、小池一夫さんは、昨年、79歳でツイッターを始め、名言を連投して話題を呼んだが、そのなかに印象に残っているものがある。

正確ではないが、次のような内容だった。



安くていいものはない。安くてもそれなりのものはあるが、いいものは必ず高い。問題は高いのによくないものもあることだ。



安くていいものがあったら、それにこしたことはないが、いいものを作ろうとすると、材料費や手間がかかるから、どうしても高いものになるのは仕方がない。


柳宗悦の民芸運動は、庶民のための安価な雑器のなかにこそ美を見出したが、今日のような工業化された社会では、手仕事自体が高くつくものになってしまった。

その意味では、暮らしづらい社会だし、安くてそれなりでも、そこそこ満足できるものを探すか、せめて内実を伴わない高価なものは避けるしかないのかも知れない。

多少、高価でも内実があるものをと考えたとき、消費者は、大人ランドセルや水沢ダウンを選ぶようになるのだろうが、それはそれで社会的な成熟と呼ぶべきものなのだろう。
posted by 城戸朱理 at 09:21| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

笠井叡邸での新年会

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「太宰治を踊る」が終わり、冷やかな冬の外気で興奮をさましていたら、思いがけずも、笠井久子さんに御自宅に誘っていただいた。

そこで、井上春生監督とバンビことパンクな彼女とお邪魔することに。


笠井叡邸には、澁澤龍彦邸にも通じる気配が漂っていた。

居間の書架には泉鏡花全集、澁澤龍彦全集が並び、稲垣足穂の色紙が飾られている。

吉岡実『パウル・クレーの食卓』『サフラン摘み』の表紙を飾った片山健の油彩も飾ってあったが、これは久子さんが求められたそうだ。


新年最初の公演だけに、この日は笠井家が勢揃い。

長男の笠井爾示(ちかし)さんは、アイドルや女優のグラビアで活躍する写真家、三男の笠井瑞丈(みつたけ)さんは、コンテンポラリーダンサーで、Edgeにも出演していただいたことがある。

次男のオイリュトミスト、笠井禮示(れいじ)さんは、会場にはいらっしゃったのだが、御自宅には姿を見せなかった。


井上春生監督も、北川景子の映画初主演作「チェリーパイ」や「JR SKI SKI」のCMなどでブレイク中の平祐奈の映画初主演作「案山子とラケット」を手がけてきたので、笠井爾示さんと、異様に深いアイドル話(?)が繰り広げられる。

舞台監督の定方まことさんを始めとして、総勢10数人。

これだけの人数分の椅子があることに感心していたら、笠井叡さんが次々とワインを開けて下さった。


「何かつまみない?」という爾示さんのひと言に、「なんか作ろうか」と笠井叡さん。


一時間以上も激しく踊ったばかりだから、みんな遠慮したのだが、、笠井さんは軽やかにキッチンへ。

手早くウィンナーソーセージを炒め、スモークサーモンを並べ、さらにスパゲッティを茹で始める。

スパゲッティは、荒みじんのニンニクをオリーブオイルで炒めてから、黒豚と鷹の爪を加えて炒め、イタリアで買ってきたというトマトピューレを加えてパスタと和えたもので、辛さが効いたアラビアータ風。

実に手早いうえに美味しかったが、笠井さんは料理も得意らしい。

それにしても、笠井さんの手料理をご馳走になるとは思ってもみなかった。


バンビは、笠井叡さんが料理するところまで激写していたが、写真で見ると、調理しているところさえ、踊っているように見える。

これが、舞踏家の身体というものなのだろう。


瑞丈さんは、今年、3回、公演のためにフィンランドに行くことになっているそうなので、フィンランドのことや、森山大道の写真と太宰治「ヴィヨンの妻」のことを語り合ったり、話題もさまざま。

かくして、思いがけない新年会となったのだが、濃密な時間を過ごすことになった。
posted by 城戸朱理 at 21:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

笠井叡「太宰治を踊る」@天使館

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6時半の開場とともに入ると、天使館は壁面の鏡が覆われ、白い壁になっていた。

「太宰治を踊る」は、笠井叡による「日本現近代文学シリーズ」の第一弾。


舞台は、森山大道の写真のプロジェクターによる映写と原仁美による太宰治「ヴィヨンの妻」の朗読で始まった。

映写のために一面の白壁にされたわけだが、同時に、投影の邪魔になる位置には客席を設置できないので、今回の舞台は、30人限定である。


笠井叡は、白いスーツ姿で現れ、踊り始める。


笠井叡とともに、森山大道の写真に黒く浮き出すかのような笠井さんの影が踊り、さらに「ヴィヨンの妻」の朗読が絶え間なく聞こえてくるものだから、最初は、あまりの濃密さに、何が起こっているのか、分からなくなるほどだった。

では、いったい何が起こっていたのか?

笠井叡は「ヴィヨンの妻」を踊ろうとしたのだろうか?


それはまったく違った。


「みなさん、本当の戦争を始めませんか」

「そんなものは、神代の昔から、とうに始まってたんでさ」

「本当の戦争は、本当の言葉から始まるんです」


「ヴィヨンの妻」とは、およそ関わりがなさそうな言葉を発しながら、一瞬も留まることなく、空間を切り裂く笠井叡は、今や不可視のものとなった作家の身体性と格闘するかのようだった。


そう、これは太宰治の作品世界を踊るのではなく、作品を書いた作家の身体を踊ろうとする稀有な試みなのだろう。


一時間を超える公演は、あっという間だったが、このシリーズがどんな展開を見せてくれるのか、目が離せない。
posted by 城戸朱理 at 12:24| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

三連休は、あっという間に



8日は、「岩手日報」投稿欄の選評2回分を書き上げてメールし、入選作を宅急便で手配したり、諸々の振込などを済ましてから、「現代詩手帖」のエッセイを書き始めた。

翌日は、午前中に家を出て、東京へ。

午後1時から、西浦泰弘氏と懸案の座談会の打ち合わせをして、ワシントンホテルにチェックインした。

朝から何も食べていなかったので、ホテルの部屋で軽食を取り、小憩。


6時に井上春生監督、バンビことパンクな彼女と国分寺駅で待ち合わせて、タクシーで天使館に向かう。

7時から、笠井叡「太宰治を踊る」を見たのだが、この公演については、別にアップしよう。

終演後、笠井叡さんと久子さんに招かれ、笠井家でワインを開けて、思いがけずも新年会となる。

ホテルに戻ったのは、0時前だった。


翌日は、正午にチェックアウト。

お寿司の昼食のあと、鎌倉に戻り、東急ストアで一緒に買い物をしてから、バンビは、若宮大路のユアーズに髪を切りに行く。


「また、こけしみたいな髪型にするよ!」
!!!!!!

「にゃふ〜ん!」

止めるように言う前に、バンビはパタパタと逃げていってしまったのである。


私が帰宅して、夕食のシチューを仕込んでいたら、またもや生(なま)こけしとなったバンビが得意気に帰ってきたのだった――。

パンクだから、仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 18:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

いかれバンビのお正月???

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柳美里さんのブログでは「アイドル桂子」。

このブログでは「バンビことパンクな彼女」。

ツイッターのアカウントを@mad_bambiにしたものだから、いつの間にか「バンビさん」とか「バンビちゃん」と呼ぶ人が増え、今や石田瑞穂くんのブログでは、わざわざ「akaマッド・バンビ」と書かれるようになってしまった。

ちなみに、akaはas known as「〜として知られる」の略である。


以前、勤めていた会社でのニックネームは「B.D.」。

これは「ブラック・ダイアモンド」の略で、白石かずこさんは、今でも「B.D.元気?」といった具合に、昔の名前(?)で呼ぶが、最近はバンビのほうが浸透してしまったようだ。

吉増剛造さんが年賀でカレンダーを送って下さったのだが、封筒には「城戸朱理様、bambi様」と書いてあったっけ。


バンドではベース担当、ときにヴォーカルも取るが、パンクでイカれたマッド・バンビ、バンビことパンクな彼女は今日も絶好調。


「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」

また始まってしまった。

「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」

バンビのテーマ曲である。

「子どもに人気のバンビコ♪」
??????

「バンビぃ〜♪」


何なんだ、その「子どもに人気のバンビコ」というのは?


「電車に乗ったら、乳母車に乗った赤ちゃんが、にこにこして、ずっとバンビくんに手を振っていたんだよ!」

よほど気に入られたらしい。

「中国人の若い御夫婦だったんだけど、お母さんがすまながって、乳母車の向きを変えたんだけど、赤ちゃんは隙間から、ずっとバンビくんを見て、にこにこしていたんだなあ!」

赤ちゃんは直感で、自分と同類と思ったのではないだろうか?

「人気のコなんだなあ!」
・・・・・・


ある日のこと、LINEでリラックマのトートバッグの写真が送られてきた。

「このバッグはどうかな?」

ちょっと子どもっぽいんじゃないか。

「こどもだもの〜」
・・・・・・


ふだんは「こけしな頭をした素敵な大人の女性なんだよ!」とか言っているくせに、都合のいいときだけ、子どもになってしまうのである。


「んふー、ちっちゃい、ちっちゃい」
???

「今日もちっちゃいよ〜」
・・・・・・


デパートが売り出した1000万円の福袋が発売5分で完売というニュースがあった。

そんな福袋を買える人は100万円が、私にとっての1万円くらいの感覚なのだろう。


「きっとそうだよ!
バンビくんにとっての1000円は、城戸さんにとって10円くらいなんじゃないかな?」

無茶苦茶な言い分である。

「大人と子どもの差だね!」
・・・

「子どもにはお小遣いをあげたりしてみたいものだね!」

やっぱり、こうなるのである。

「お手々に乗せてあげて!」
・・・

「たっぷり乗せてあげて!」
・・・・・・


そう言って、くるくる踊っているではないか。


パンクだから仕方がないが、今年も厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 11:20| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月09日

お正月の「普通」

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誰もが自分の家のお雑煮を「普通」と思っているが、お雑煮ほど地域差がある食べ物は珍しいかも知れない。

東京のお雑煮は焼いた角餅、鶏肉、小松菜などの青菜に人参が入り、おすましだが、テレコムスタッフの堀内文子プロデューサーは、里芋も入れるそうだ。

これは堀内プロデューサーの母親の好みで、その意味では、地域ごとだけではなく、家庭ごとの違いもあることになる。

だが、東京のお雑煮は、人参以外の根菜は入らないのが普通だろう。


ちなみに、東北地方のお雑煮は東京と同じだが、仙台や盛岡ではイクラを乗せることが多い。

さらにお雑煮だけではなく、お汁粉のような小豆餅が、お雑煮と一緒に並ぶのが東北地方の習慣で、東京では違うのを知ったときには驚いた記憶がある。

私にとっては、それが「普通」だったのだから、驚くのも無理はない。

ちなみに、山陰の松江では、お正月のお雑煮といえば、お汁粉で、ふだんはお汁粉と呼んでいるものが、正月だけ、お雑煮に変わるのだから不思議といえば不思議である。


以前、信州出身の女性に、お雑煮に何を入れるか聞いたことがあった。

「え、普通ですよ」

「普通って、何が入ってるの?」

「だから、普通です」

「だから、その普通って?」

「雉が入っているんです」
!!!!!!

どこが普通なんだ!?

「それで、雉が獲れなかったときはウサギが入っているんです」
!!!!!!


私が子供のころは、狩猟を趣味にしている父の友人が、ときどき雉や山鳥を持ってきてくれたものだった。

父がさばいて、鍋にしたものだが、盛岡あたりでは、お雑煮に入れるほど一般的なものではなかったのは言うまでもない。

「普通」とは、かくも奥深いものなのである。


私にとって、もうひとつ、お正月の「普通」だったのが「二日蕎麦、三日とろろ」。

私の両親は福島県の浜通り、相双地方の出身だから、これは福島の浜通りの習慣だったのだろう。

おせちやお雑煮で疲れた胃をいたわるために、正月2日のお昼には蕎麦を、3日のお昼にはとろろを食べるのだが、この習慣は、東京の多磨地方山間部にもあるそうだ。

海産物が豊富な福島の浜通りと多磨山間部に同じ習慣があるというのは、実に興味深い。


とろろのときは、まぐろのお刺身やイクラ、海苔などをトッピングに並べるので、それはそれで楽しかった。

そのせいか、今でもお正月になると、一度はとろろを作りたくなる。

今年は、まぐろの中トロ、イクラ、京都の瓢亭のじゃこえのき、塩昆布、写真には写っていないがタラコと塩鮭などを添えた。

小鉢はほうれん草のお浸しととんぶりである。

岩手の友人が送ってくれたとんぶりは、刻みネギとおろしショウガを混ぜて。


自分にとっての「普通」が、決して「普通」ではなかったことに気づくと、「普通」であったはずのことも特別なものになる。

お正月は、そんなことに思いを馳せるのに、いい機会かも知れない。
posted by 城戸朱理 at 12:24| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

「作家 身のまわり」展@鎌倉文学館

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1月6日は、鎌倉文学館に「作家 身のまわり」展を見に行った。

その名の通り、文学者が身のまわりで使っていた品を展示するというユニークな企画で、実に楽しかった。

ふつう、文学館の展示といえば、書籍や雑誌に自筆原稿などが主体になるが、身辺にあって愛用したもの、愛玩したものが並ぶと、持ち主の文学者の体温まで感じられるような生々しさがある。


展示は、作家の書や絵画、書斎に飾っていた書画から、万年筆や眼鏡、湯呑みやヤカンなど、実に多彩で、これがすべて鎌倉文学館の収蔵品だというのだから驚く。


夏目漱石が眺めたという南画、山本周五郎のルーペ、尾崎喜八のハイキング用だったというツイードのジャケットや川端康成の文机――

小津安二郎が自らデザインして使っていたという湯呑みもよかったが、小津監督が愛用し、映画「彼岸花」にも登場した赤いデンマーク製のケトルには、いささか興奮した。

学芸員の山田正子さんは、この小津さんのケトルを見て、赤いケトルを探したそうだが、「彼岸花」のケトルが目の前にあるのだから、不思議な気分になる。


「作家 身のまわり」展は、4月17日まで。

鎌倉散策のおりには、前田侯爵家の鎌倉別邸だった鎌倉文学館にも立ち寄ってもらいたい。
posted by 城戸朱理 at 13:04| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

書斎についての本

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私が若いころ、男性誌で「書斎」の特集をすれば、必ず売上が伸びると出版業界では言われていた。

いつかは書斎を持つという夢が、世の男性に共有されていたのだろうが、その傾向は、2000年ごろまでは続いていたような気がする。

雑誌の特集のみならず、知的生産を主題とする新書などでも、必ず、書斎の作り方に章がさかれていたものだった。


それがパソコンの普及、さらには電子書籍の登場によって、書斎という空間自体の必要性が薄れるとともに姿を消していき、近年では、まったくと言っていいほど見かけない。


ときおり、古本屋の棚に、そうした本を見かけると、懐かしさもあって手に取ってみるのだが、たしかに昔日の感がある。


エッセイスト、林望さんによる『書斎の造りかた』も、そんな一冊。

光文社のカッパ・ブックスで、初版は2000年2月29日の刊行。

3月30日には2刷が出ているので、それなりに売れたのだろう。


「知のための空間・時間・道具」という副題からも分かるように、まずは空間の確保、時間の使い方から始まって、書くノウハウや文章の技術などにまで及ぶ内容なのだが、
「パソコンの使いかた」という一章があり、「これからの書斎は、まずパソコンありき」と林望先生が宣言していることからして、パソコンの普及期であったことを改めて確認することになる。


林望先生の書斎観の特徴は、「書斎=男の城」という旧来の思考法を否定し、合理主義に徹しているところだろう。

その意味ではプロの書斎術を明かすものなのだが、思わず膝を打ったのは、「名著は捨て、稀少本だけとっておく」というくだりだった。

岩波文庫に入るような名著は、いつでも手に入るが、雑本や雑誌は残らないし、あとで探しても見つからないことが多い。

だから、片々たるものこそ取っておくべきだという主張なのだが、このあたりは古書の達人たちが指摘するところでもある。


菅原道真の『菅家三代集』に収められた菅公自身の詩文集『菅家文草』のなかに「書斎記」という文章がある。

京都、左京五条高辻の菅公の屋敷の西南、広さはわずか「一丈餘」、およそ四畳半ほどの小部屋が、菅原道真の書斎「山陰亭」だったのだとか。


要は、何をするか、何をなしたかであって、目的によって、書斎は自ずから形を成していくものなのだろう。
posted by 城戸朱理 at 08:18| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

こけし時代???

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「また、こけしみたいな髪型にしようかな!」

バンビことパンクな彼女が、こけしのような髪型にして、「生きているこけし=生(なま)こけしなんだよ!」と騒ぎ出してから、2年。

これも一種のコスプレなのだろうか?

もう止めるように言ったら――


「んふう。
分かったよ〜。じゃあ、ソフトアシメにするよ」


不満気な顔で、パタパタ出かけていった。

しかし、帰ってきたバンビの髪型を見たら、ソフトアシメは入っているものの何となく、こけしっぽい。

バンビはソフトアシメと言い張っているが、これはソフトこけしではないのか?

しかし、前髪を切り揃えた完全なこけし頭ではないので、よしとするしかない。


そして、年の瀬。

バンビのデスクに、こけし型の怪しいカレンダーがあった。

木形子可鎌倉???

これは、鎌倉は長谷の伝統こけしとマトリョーシカの専門店、コケーシカ鎌倉のカレンダーではないか!

キャッチフレーズが「夢を売る店」、コケーシカ鎌倉には、こけしとマトリョーシカがずらりと並んでいる。

しかも雑誌まで刊行していて、その題名が「こけし時代」。


「今こそ、時代はこけしなんだよ!」
・・・・・・

バンビは気勢を挙げていたが、今年も生こけしになって遊ぶ気なのだろうか?

パンクなだけに油断大敵、ますます厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 09:59| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

冬の酒器

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去年は旅続きで、季節に合わせて酒器を選ぶ暇もなかったが、ようやく気持ちに余裕が出来たので、新年から常用するぐい呑みと徳利を選んだ。


ぐい呑みは、無地唐津の筒盃、徳利は古備前で、ともに桃山時代の作である。


唐津の筒盃は伝世品で、よほどの数寄者が愛玩したらしく、持ち歩けるように特注の仕覆と挽物に収められ、挽物の内側には金箔が貼られている。

ひと目で、私に負えるような値ではないのは分かったが、これだけの品と出会うことはもうあるまいと思案に思案を重ねて、結局、購入を決意した。


やや小振りで、持ちやすく、飲みやすい。

なんでもない盃だが、四百年を超えて愛玩されてきた古格をたたえ、手放しがたいものとなった。


徳利は古備前でも上作で、焼成も土味もよければ、肌もいい。

この徳利も愛蔵されていたようで、塗り箱に収められている。


桃山の古備前徳利は、底がヘラですぱっと切られており、口の内側にゆるやかな轆轤目が残る。

これが江戸初期になると、ヘラ切りのあと底部を指でならすようになり、口も内側まで指を入れて轆轤を回すので、轆轤目も消える。

柳田国男門下で民俗学の方法を応用して古備前研究に先鞭をつけた桂又三郎のあとを継ぎ、古備前研究の第一人者となった吉村佳峰によると、こと古備前に関しては江戸前期の作でも出来のいいものは、桃山と鑑定するのだとか。

陶磁器に関しては、それだけ、桃山時代に対する憧れが強いのだろう。


古備前の徳利と古唐津の筒盃は、酒徒垂涎の取り合わせとされている。

何も古備前ばかりが徳利ではなく、古唐津ばかりがぐい呑みではあるまいと、さまざまな取り合わせを試みてはみたが、やはり、先人の見立てには理由があるもので、結局、常用の酒器は、備前と唐津に落ち着いていくようだ。
posted by 城戸朱理 at 00:12| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月04日

新年の酒器

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新年を迎える酒器を選んだ。

徳利も盃も、李朝のものである。


李朝の白磁は、色合いが、初期には雪白、前期には灰白、中期には乳白、後期には青白と変化する。

この区分は日本の骨董業界特有のもので、官窯が移転した年を区切りにしているが、韓国の骨董屋だと、180年前とか、250年前とか具体的に何年前の作かを言われるのが普通だったりするのだが。


写真の白磁徳利は中期(1624〜1751)の官窯だった金沙里窯の作。

李朝中期の白磁は、光を吸い込むような柔らかい白だが、この徳利は、高台のあたりに青い窯変を見せて、ひときわ清々しい。


梅花染付け盃は、李朝後期(1751〜1850)の官窯だった分院里窯の手で、日本ならば伊万里を始めとして珍しくもない呉須の染付けは、李朝にあっては稀少なものになる。

これは天然の山呉須の産出が乏しかったためだが、それだけに余白が多く、私には好ましい。

しかも、染付けが梅花というあたりも、新春にふさわしいではないか。


お盆も李朝、松材の高台盆である。


李朝の酒器は、これまで、ずいぶんと求めたが、最近は気持ちが添わないものも増えてきた。

李朝は、どんなものでも、それなりの面白さがあるが、青山二郎が語ったように、優品は百万にひとつということが腑に落ちるようになったということだろうか。

そろそろ、整理して、手元に残すものを厳選すべき時期なのだと思う。
posted by 城戸朱理 at 10:37| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お雑煮

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喪中だから、おせちは用意しなかったが、年末に届いた蟹が冷凍庫にあるし、数の子とイクラだけ買って、京都で求めた瓢亭のじゃこえのきと柿傳の山椒昆布を酒の肴に、正月を迎えることにした。


お屠蘇は、唐津の天平窯で求めた色絵盃で。

あとは、井上春生監督が御歳暮に送ってくれた京都・吉兆の「宝彩寄」を開ける。

まるで、パティシエの手になるケーキのように美しいが、味は和食の粋のような料理が詰め合わせになっている。

内容は、次の6種類だった。


鮑と野菜のすり身寄せ
イクラ・帆立貝柱・サーモン寄せ
ずわいがにとブロッコリー寄せ
数の子と長芋寄せ
海老ととうもろこしの椎茸寄せ
栗きんとんとフォアグラ寄せ


バンビことパンクな彼女と相談して、淡白な味のものから濃い味のものへと食べ進んだのだが、食材の取り合わせが絶妙で、味わい深く、バンビは大喜びだった。


今年のお雑煮はバンビが担当。

焼いた角餅に、炒り煮にした鶏肉、小松菜、金時人参に出汁を張った東京雑煮である。


お雑煮を前にすると、いかにも年が明けたという気分になるが、こうした区切りがなければ、人生は日常の連続だけで、平坦なものになることだろう。

今年は季節ごとの催事も大切にしたいものだと思った。
posted by 城戸朱理 at 10:35| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あけましておめでとうございます



みなさま、どんな新年を迎えられましたか。

私は昨年、2月に母を亡くしたので喪中のため、年賀状も用意せず、おせちとも無縁の静かな新年を迎えました。


思えば、昨年も正月らしからぬ正月で、バンビことパンクな彼女は、一昨年末から新年まで写真展の準備のパネル貼りに追われ、
一方で、1月17日のワタリウム美術館でのポエトリー・イベントの準備に忙殺されていたような気がします。

去年の元旦には天使館の鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)、野口泉両氏が江の島に初詣に来たので、クルベル・キャンへ。

2日は、早くも東京のホテル泊まりという新年でした。

11日は、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館で柳美里さんとのトークがあったので、10日から花巻の大沢温泉泊まり。

そこから、海外が台湾・ハワイ・ベルリン・ニューヨークと4回、国内が京都6回を始めとして11回、海外、国内を合わせて15回という出張続きの日々が続きました。


それを考えるならば、今年は静かな新年を迎えることができたように思います。

しかし、大晦日から元旦にかけては、未遂とはいえニューヨークとミュンヘンで、さらにはアフガニスタンでのテロのニュースが続きました。

20世紀は汎世界的な戦争の時代でしたが、21世紀はテロの100年戦争の時代となるのかも知れません。


少なくとも自分は、身辺から憎しみの言葉をそぎ落とし、なるべく人とも会わず、執筆に専念する一年にしたいと思いを新たにしています。


みなさまにとって、穏やかで健やかな年でありますように。
posted by 城戸朱理 at 10:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする