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城戸朱理のブログ

2016年01月14日

鶴岡八幡宮へ

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天気に恵まれた三連休の最終日、11日は、洗濯をしてから、これまで手が回らなかった靴やバッグのメンテナンスを一気にやるつもりだったのだが、
バンビことパンクな彼女が、昨年いただいたお札を返し、お正月の祈祷をしてもらいに鶴岡八幡宮に行くと言い出した。

八幡様は源氏の守り神、城戸家は近江源氏佐々木氏の支族だから、私も八幡宮にお詣りしようと一緒に出かけたのだが、鎌倉は凄い人出で、小町通りなど、三賀日よりも人が多いのではないかと思えるほど。


人混みを縫って、ようやく鶴岡八幡宮にたどり着き、正月祈祷をお願いした。

待つことしばし、本殿に案内され、祈祷していただいたのだが、所要時間は、10分ほどだろうか。

木のお札をいただき、最後に御神酒をいただいて、終了。


バンビは露店で綿飴を買い込み、嬉しそうにしている。

本当は、綿飴がお目当てだったのか?


朝から何も食べていなかったので、遅い昼食を取ることにしたのだが、どの店も異様に混んでいる。

結局、バンビの提案で手打ち釜揚うどん・みよしに初めて入ってみたのだが、これが正解だった。

この日は元町ユニオンで買い物をして、タクシーで帰宅。


翌日は、デヴィッド・ボウイ逝去のニュースが世界中を駆け回った。

いささかショックを受けたが、ボウイが一時期、京都で暮らしていたのは知らなかった。


「現代詩手帖」の小特集「展覧会を読む」に寄せるエッセイを書き上げ、メールしたのは4時。

5時に御成町法律事務所でバンビと待ち合わせ、弁護士の二見宏史先生に懸案事項の今後のことを打ち合わせる。

勝烈庵で簡単に夕食を済ませて帰宅したのだが、バンビは、デヴィッド・ボウイのCDをずっとかけていた。

なぜか途中で、イギー・ポップに変わったのだが、あの名曲「チャイナガール」は、ボウイがイギー・ポップのために作曲したもの。

後にイギー・ポップが薬物依存で破産しかけたとき、ボウイはアルバム「レッツ・ダンス」で「チャイナガール」をセルフカヴァーし、印税の半分をイギー・ポップに渡したという。

たいていの人は、滅茶苦茶な人生を送ってきたイギー・ポップのほうが、ボウイより先に死ぬと思っていただろうが、まさかボウイが69歳で亡くなるなんて考えてもみなかった。

R.I.P David Bowie.
posted by 城戸朱理 at 14:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大人ランドセルと水沢ダウン



昨年12月24日付け、柳美里さんのブログで、迷ったあげくに、いつも焦げ茶色のバッグを選んでしまうという記事があった。

添えられた写真では、土屋鞄製造所の肩掛けバッグにダナ・キャランのハンドバッグ、マックス・マーラのトートバッグ、柳さんが愛用している三つのバッグが紹介されていたが、
次は土屋鞄製造所の「大人ランドセル」の黒を買いたいと柳さんが書かれていたので、「大人ランドセル」なるものを検索してみた。

なるほど、ランドセルを作って半世紀、土屋鞄製造所がビジネス用に開発しただけあって、スタイリッシュなうえに、革質も見るからにいい。

革はヌメ革とオイルドレザーの2種類で、それぞれ黒と茶がある。


この「大人ランドセル」、土屋鞄製造所が創業50周年を記念して、昨年11月に発売したが、10万円という値段にもかかわらず、即日完売したという。

第二弾は、今週末、16日の発売。

土屋鞄製造所の店舗は鎌倉にもあるので、見てみたいと思ったが、私がいちばん気にいった黒のヌメ革は鎌倉店には入荷しないことが分かった。

一瞬、私も買おうかと思ったのだが、柳さんとお揃いになるのもヘンだし、やはり買わないほうがいいだろう。

しかし、考えてみると、10万円もする鞄が飛ぶように売れるということ自体、興味深い。

高いが、長く使えるからという理由で選ぶのだろうが、余裕があるのなら賢明な選択と言えるだろう。


もうひとつ、高いのに売れているのが、デサントの水沢ダウンだ。

こちらの価格帯は8〜12万円。

モンクレールのようなグレードの高い輸入品と、さして変わらない値段だが、従来のダウンジャケットにはなかった防水性を備え、薄手なのに保温性が高いらしい。

水沢ダウンは、国内で唯一、ダウンの縫製と防水加工がともに出来る岩手県水沢の工場で作られているが、職人の手仕事によるハイテクジャケットだけに、値段は安くない。

それがバカ売れしているというのだから、これも大人ランドセルと同じ現象と言えそうだ。


両者に共通しているのは、日本ならではの発想による商品開発と、それを支える職人技ということになる。



大阪芸術大学や神奈川工科大学の教授も歴任した漫画原作の大御所、小池一夫さんは、昨年、79歳でツイッターを始め、名言を連投して話題を呼んだが、そのなかに印象に残っているものがある。

正確ではないが、次のような内容だった。



安くていいものはない。安くてもそれなりのものはあるが、いいものは必ず高い。問題は高いのによくないものもあることだ。



安くていいものがあったら、それにこしたことはないが、いいものを作ろうとすると、材料費や手間がかかるから、どうしても高いものになるのは仕方がない。


柳宗悦の民芸運動は、庶民のための安価な雑器のなかにこそ美を見出したが、今日のような工業化された社会では、手仕事自体が高くつくものになってしまった。

その意味では、暮らしづらい社会だし、安くてそれなりでも、そこそこ満足できるものを探すか、せめて内実を伴わない高価なものは避けるしかないのかも知れない。

多少、高価でも内実があるものをと考えたとき、消費者は、大人ランドセルや水沢ダウンを選ぶようになるのだろうが、それはそれで社会的な成熟と呼ぶべきものなのだろう。
posted by 城戸朱理 at 09:21| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする