サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ

2016年01月30日

糸やホテルの朝食、その4

__1512.jpg



昨日は朝食を食べる余裕はなかったが、22日は出発が遅かったので、時間があった。

6時に起床して、持参した詩集を開き、「毎日新聞」月評の準備をしてから、ロビーへ。


この日は、焼物が帆立のバター焼き、小鉢は揚げ出し豆腐だった。

前回も同じだったので、どうやら、糸やホテルの朝食は、焼き魚が、鮭・かれい・鰯・帆立の順で出てくるらしい。

焼き胡麻豆腐は初日だけで、小鉢は変化するが、つくづく、日本の朝食には、豆腐や油揚げ、厚揚げなどの大豆食品が欠かせないのを実感する。


私は家では、豆腐と野菜くらいしか食べないが、豆腐がなかったら、さぞ困ることだろう。
posted by 城戸朱理 at 08:22| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジョナス・メカスのプライベート・ポエム



「for GOZO」と手書きで記されたジョナス・メカスのプライベート・ポエムは、90歳を超えたメカスが老いと向かい合った作品だった。


吉増剛造さんにオリジナルの原稿を預かったバンビことパンクな彼女は、厚紙に5部コピーを取り、吉増さんにサインと日付を入れてもらってマルチプルを制作していたが、自分の「my世界遺産」に収蔵するつもりらしい。


メカスの詩は、その夜のうちにバンビが直訳したので、私が最終的な決定稿を作ることになっている。

発表場所は、ローライ同盟の機関紙「ローライ新聞」。

機関紙といっても、バンビがコピーで10部ほどを作り、会員だけに配るものだから、ほとんど秘密結社の会報のようなものである。

そのほうが面白いが、それでいいのだろうかという想いを消しがたいのも事実だ。


吉増さんのメカスへの返信の詩もFAXで来ているが、対にして、どこかに発表したほうがいいような気がしないでもない。
posted by 城戸朱理 at 08:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

糸やホテルのロビーで



妙心寺、大徳寺と21日の撮影は、午後2時すぎに終わったので、ホテルで休むことができるかと思ったのだが、吉増さんが、夕食は外出せずに、ホテルのロビーでワインを飲みたいとおっしゃるので、バンビことパンクな彼女と部屋に荷物を置いて、すぐに買い出しに出かけた。

吉増さんは「チーズと蒲鉾と漬物、あとはおにぎりがあればいいよ」とおっしゃっていたので、まずは錦市場へ。

リクエストの蒲鉾に漬物、おにぎりを買って、さらに三木鶏卵の出汁巻き玉子や蒸し鶏、鯛の子煮、鰻肝煮などを調達する。

さらに大丸デパ地下で、ウォッシュタイプのチーズ4種類とフランス産のスパークリングワイン、赤ワイン、白ワイン3本を選んで、ホテルに戻った。


小一時間だけ休んで、ロビーで宴会の準備をしていたら、吉増さんがいらして、大いに喜ばれ御機嫌である。

井上春生監督も合流して、まずはスパークリングワインで乾杯する。


吉増さんが、おもむろに取り出したのは、なんとニューヨークのジョナス・メカスから吉増さんに送られてきたプライベート・ポエム。

古いタイプライターで打った原稿で、ペン書きのサインが入っている。

吉増さんに翻訳を託されたので、バンビが原稿をお預かりしたのだが、92歳になる戦後前衛芸術の生き証人にして、映画作家、メカスの作品を、ここで拝見することになるとは思わなかった。

メカスの詩の翻訳は、ローライ同盟の機関紙「ローライ新聞」に掲載される予定だが、たった10人しか読者がいないローライ新聞に、こんな貴重な原稿を発表していいのだろうか?


井上監督からは、東映の太秦撮影所では、「仁義なき戦い」を撮影した吉田貞次さんがメカスの大ファンで、撮影所内で上映会をするほどだったという秘話も。

その影響を受けて、菅原文太さんがメカス風の実験映画を撮ったこともあるそうだ。



井上監督はスタッフを食事に連れていくため、一時間ほどで中座し、それからは3人で赤ワイン。

吉増さんに尋ねられるままに、高柳克弘さん、神野紗希さんの吟行に御一緒して気づいた俳人の特徴などを語っていたら、異様に盛り上がり、話題は俳句に。

俳人は、いつも句材と季語を探しているので、歩くのが異様に遅いという話に、なぜか吉増さんが反応したのが始まりだったろうか。


「吟行って、どんなふうにするの?
腰に短冊の束をぶら下げるの?」と吉増さん。

「みなさん、文庫本くらいの手帳を使われてます」とバンビ。


これまで吉増さんにとっての俳人とは、芭蕉に蕪村、そして飯田蛇笏の3人だけだったそうだが、吉増さんのなかで、俳句という世界が広がろうとしているのかも知れない。


吉増さん、「高柳さんに師匠になってもらって、ぼくも俳人になろうかな」とまで言い出したが、この顛末は、いずれ報告したい。


吉増さんは、この宴会が、よほど楽しかったらしく、2時間に及ぶ宴会の会話をICレコーダーで録音されていたのだが、翌朝、聞き直していたそうだ。
posted by 城戸朱理 at 08:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大徳寺・瑞峯院の枯山水

__1506.jpg__1505.jpg__1504.jpg



妙心寺の撮影を終えて、紫野の大徳寺に向かう。

創立は正中2年(1325年)、開山は大燈国師、中興が一休宗純。

仏殿、法堂などの大伽藍のほかに24か寺もの塔頭が建ち並ぶ大寺であり、侘び茶の祖、村田珠光が一休禅師に参禅して印可を受けたため、茶の湯とも縁が深い。

茶碗の首座とされる井戸茶碗のうちでも名高い銘「喜左衛門」は、大徳寺の狐篷庵に納められているが、この国宝の名碗を見て、柳宗悦が起筆した「喜左衛門井戸を見る」は、私が機会があるたびに読み直す名文である。

一方、小林秀雄は、同じ茶碗を見て、「比類ない彫刻美が曲者」としながらも、李氏朝鮮の下手(げて)な雑器であることを強調しているのが面白い。


吉増剛造さんは、高校生のときに、大燈国師と一休宗純の書に衝撃を受けたそうで、その意味では大徳寺は、今回のロケにふさわしい場所と言えそうだ。


大徳寺の塔頭のうち、公開されているのは、わずか四寺だけ。

そのうちのひとつ、瑞峯院が訪問先になる。

われわれが到着すると、住職がまず茶を点ててくれた。

瑞峯院で作ったという大徳寺納豆は、門前の土産物屋のそれとは違って妙味、大いに感じ入る。


撮影は、枯れ山水「独坐庭」で。

石庭には朝がたに降っていた雪がわずかに残り、滅多に見れない眺めとなっていた。

重森三玲による独坐庭は、蓬莱山の半島と小島に打ち寄せる荒波を砂紋で表したものとされるが、連なる石組は、龍の背のようにも見える。


吉増剛造さんと、京都に龍と龍脈を探す旅も終わりに近づいた。
posted by 城戸朱理 at 08:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする