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城戸朱理のブログ

2016年04月12日

葛原岡神社へ

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源氏山公園での撮影を終えて、葛原岡神社に移動し、昼食。

お弁当は、カツレツの老舗、勝烈庵のもので、バンビことパンクな彼女が手配した。

作りたてを配達してくれるので、まだ温かいし、たっぷり添えられた自家製ソースが美味しい。

着物の水原さんはロケバスのなかでお弁当を使ったが、スタッフはベンチに座り、思いがけずも花見弁当となった。


葛原岡神社は、後醍醐天皇の側近で、倒幕の計画が鎌倉幕府の知るところとなり、鎌倉に送られて葛原岡で最後を遂げた日野俊基卿を祀っている。

その翌年、鎌倉幕府は倒れるのだが、続く南北朝時代は、戦国時代なみの乱世だった。

後醍醐天皇の第一皇子、護良(もりよし)親王は征夷大将軍となるが、足利尊氏と対立し、やはり鎌倉で足利直義によって殺害された。

後醍醐天皇の第六皇子、成良(なりよし)親王が続けて征夷大将軍となるが、『太平記』によると、京都で毒殺され、さらに後醍醐天皇の第二皇子、宗良(むねよし)親王は南朝の征夷大将軍として、各地を転戦し、信濃を本拠地に室町幕府と戦い続ける。

一方、第十六皇子の懐良(かねなが)親王は、南朝の征西大将軍として九州に渡り、太宰府を中心に一大勢力を築いて室町幕府に抗戦した。

足利尊氏と戦ったのは、楠正成と赤松円心だけではなかったのである。


葛原岡神社は、桜が満開。

ここでは、桜を詠んだ作品が生まれた。

さらに本殿にお詣りする場面を撮影したのだが、水原さんは、何かを感じ取って躊躇されていたのが印象深い。

このあたりは、鎌倉でも有数の心霊スポットだが、水原さんは何を感じたのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

源氏山公園で

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水原紫苑さんに、化粧坂(けわいざか)を歩いてもらって、源氏山公園へ。

雨も上がり、青空が広がっていく。


源氏山公園も桜が満開だったが、水原さんは、桜より乱れ咲く椿に感応。

しかも、大きなリスが、椿の花を喰い荒らしている。


そして、水原さんが立ち止まるたびに、新たな歌が生まれていく。

水原さんは、柔らかな物腰の方だが、ノートに短歌を書きつけるときは印象が一変する。

目が見開かれ、何かが降りてきたとしか見えない表情は、やはり「入神」という言葉がふさわしい。

十数年前に、水原さんと吉野に前登志夫さんをお訪ねしたとき、前さんが水原さんのことを「全身、これ霊山のような方」と評していたのを思い出す。


ちなみに、この日のメイクは、有路涼子さんが映画の現場入りのため、有路さんのアシスタントの竹下涼さんだったが、あらかじめ有路さんから髪型の指示があったそうで、水原さんの髪は牡丹の花のように編み込まれてまとめられていたのだが、水原さんによく似合っていた。


京都での即詠は「歌壇」に、鎌倉での即詠は尾崎左永子さんが主宰する「星座」に発表される予定だという。
posted by 城戸朱理 at 12:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水原紫苑さん、鎌倉に

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4月1日に鎌倉に帰ったが、京都から午前中配達の宅急便で手配したトランクが、遅配で夕方になって、ようやく届いたため、片付けに翌々日までかかってしまった。

そして、4月4日の撮影のため、井上春生監督ら撮影クルーは、3日に鎌倉入りして、ロケハンを開始。

大阪からカメラの安田さんも来てくれたので、この日の夜は、長谷の焼肉まるぎゅうを予約し、スタッフ全員で夕食を取った。


翌日、9時に水原紫苑さんが鎌倉入り。

鎌倉駅西口のホテル・ニューカマクラでメイクと着付けを始める。


ホテル・ニューカマクラは、1924年(大正13年)に建てられた木造の洋館で、関東大震災前は、貸し別荘・料亭の平野屋があり、岡本かの子は、ここで芥川龍之介と出会い、そのときの印象から処女作『鶴は病みき』を書いたという。

玄関脇の月桂樹は、大正天皇の生母、二位の局、柳原愛子さまの手植えになるものだが、桜の老木も見事な花をつけていた。

ホテル・ニューカマクラは、吉増剛造さんの常宿でもある。


私は、水原さんの着付けが終わるころに合流し、源氏山公園に移動して、撮影が始まった。
posted by 城戸朱理 at 12:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

バンビヶ池に春が来て???

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「さあ、今日も前衛活動にいそしむぞう!」
・・・

「前衛活動」と称して、いつも、とんでもないことをやらかすのは、バンビことパンクな彼女の得意技である。


「今年は、バンビヶ池も、ほとんど凍らなかったね!」
・・・


バンビが、私の古備前の鉢を勝手にベランダに持ち出して、水を張っているのが、バンビヶ池、
その隣で、苔やらぺんぺん草の鉢植えを並べているのが、バンビ園なのである。


バンビヶ池には、ウーパールーパーと金魚のための水草が浮いている――


たしかに、今年の冬、バンビヶ池に氷が張っていたのは、2、3日だけ。

明らかに暖冬だった。


そして、桜が開き、散り始めたと思ったら、今度は、やたらと小鳥が鳴き出した。

じきにウグイスも鳴き始めることだろう。


バンビヶ池の水も温む春、バンビの前衛活動も活性化しかねない危険な季節がやってきた。

パンクだから仕方がないが、より厳重な警戒が必要なのは、言うまでもない。
posted by 城戸朱理 at 17:38| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

着やすい、軽い、楽なジャケット

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東日本大震災のあと、被災地にさまざまな物資が寄せられたが、羽毛布団は寒冷地では喜ばれないという話を聞いた。

羽毛布団は、たしかに軽くて暖かい。

だが、東北から北海道にかけての北国では、重い真綿の布団でないと、寒さをしのげないのだとか。


高村光太郎は、戦後、岩手県の花巻郊外で暮らしていた。

その住まい、高村山荘は今でも保存され残っているが、山荘と言っても掘っ立て小屋のような代物で、光太郎は吹雪の翌朝など、小屋のなかまで雪が積もっていたことを書いている。

そんな土地では、真綿の布団でなければ、冬を越せなかったのだろう。


これはコートも同じで、私の父は冬場、オーダーした、ずしりと重いホームスパンのコートを着ていたことを思い出す。

だが、還暦前に父が仕立てたのは、軽いカシミアのコートだった。

やはり、歳を重ねると、重い服は肩が凝るようになる。


そのころの父の年齢に近づくにつれ、私も次第に重い服を避けるようになってきた。

軽くて楽な服といえば、アンコン・ジャケットかニット・ジャケットだ。


アンコン・ジャケットは、アンコンストラクテッド・ジャケットの略で、肩パッドや芯地、裏地など副資材を省略した一枚仕立ての上着である。

テーラーなら副資材を省くなどとは考えられないだろうが、肩パッドや芯地がないだけに、高度なカッティング技術が要求される。

見た目はジャケットなのに、着心地はカーディガンをはおっているようで、楽なこと、このうえない。


一方、ニット・ジャケットは、その名の通り、カーディガンがジャケット丈になったものだから、保温性もカーディガンより高く、これも楽な服である。


そんなわけで、気づくとアンコン・ジャケットとニット・ジャケットを愛用するようになったのだが、どちらも旅行のときにも重宝する。


最初の写真は、ジョルジオ・アルマーニのコレクション・ライン、ブラック・レーベルのカシミアのアンコン・ジャケット。

もう7年ほど着ているが、カシミアの保温力はウールの3倍だから、軽くて暖かい。


スタンドカラーのニット・ジャケットは、アルマーニ・コレツィオーニで、ヴァージンウール製。

いちばん上までボタンを留めると、タートルネックのように首をすっぽり覆えるので、厳寒時に助かる。


黒のニット・ジャケットは、エルメス。

バランタインと並ぶ世界最高のニッター、イタリアのマーロが手がけたもので、これは旅先で愛用した。


最後の写真が、イタリアのコロンボ製のカシミア・ジャケット。

起毛してあるので、一見すると普通のジャケットに見えるがニット・ジャケットである。

コロンボはイタリアきっての高級服地メーカーで、自社製品もきわめて質が高い。

このジャケットも12〜14ミクロンの特級カシミアが使われている。


順次、クリーニングして収納しているところだが、秋になったら、また愛用することになるのだろう。

軽くて楽なジャケットと重くて頑丈な靴と言えば、旅に出るときの出で立ちだが、旅に適した服は、普段でも着やすく動きやすい。
posted by 城戸朱理 at 13:05| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月09日

車中の昼食

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モネ展とルノアール展を観たあとは、錦市場へ。

友人に麩嘉の麩饅頭を手配し、自宅用に冨美屋のうどんやお好み焼きを発送してもらって、さらに甘鯛や浜焼き鯖を求める。

冨美屋のうどんすきは3月末までの販売なので、今回、手配したのは冨美屋鍋、天ぷらうどん、カレーうどん、京風ラーメンをそれぞれ2個とお好み焼きが2種類。

天ぷらやチャーシューはもちろん、刻んだ九条ネギまで、具材が、すべてセットされているので、手配しておくと、帰宅してから食事の支度に時間を取られずに済む。


さらにJR伊勢丹の老舗弁当売り場に寄って、昼食のお弁当を購入した。


私は吉兆の松花堂弁当、バンビことパンクな彼女は、花梓侘(かしわい)のつまみ寿司を選ぶ。


松花堂弁当は、今や和食の正式なお弁当の代名詞となったが、寛永の三筆のひとりで、岩清水八幡宮の社僧だった松花堂昭乗が、仕切りのある小箱を物入れとして使っていたのにヒントを得て、吉兆の創業者、湯木貞一が創案したもの。

女性に人気の花梓侘のつまみ寿司は、赤酢で甘みを抑えたシャリに海老やサーモン、まぐろのほかに、湯葉や生麩、筍など、京都らしいネタも使っており、和菓子のように美しい。

「綺麗なお弁当だね!」とバンビは喜び、ぱくぱく食べていた。


石田瑞穂、未祐夫妻にも車中の夕食に吉兆の松花堂弁当を用意したのだが、未祐さんは「美味しい」を連発していたそうだ。


鎌倉で行きつけのバー、クルベル・キャンのスタッフ3人には、はつだの和牛焼肉弁当をお土産に買ったので、鎌倉に着いて、まずはクルベル・キャンにお土産を届け、軽く飲んでから帰宅。


裏の山桜は満開。
posted by 城戸朱理 at 09:01| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

寺町の骨董屋

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石田瑞穂、未祐夫妻と最後に立ち寄ったのは寺町の骨董屋、大吉だった。


3日前に覗いたときは定休日だったのだが、ウィンドウにあった唐津の片口と筒盃が気になったのだ。

大吉は喫茶店も兼ねているので、コーヒーを頼み、みんなで骨董を見る。


ウィンドウの片口は、桃山〜江戸初期の無地唐津で、無傷の伝世品。

茶碗に取り上げるには、ひとまわり大きく、徳利がわりの酒器に使うとしても、やや大きい。

そうなると、片口として使うしかないが、古唐津の伝世品としては、手が届く値段で、いささか迷った。


筒盃は、唐津ではなく美濃、江戸初期に登窯で焼かれた志野織部。

無地の志野織部の筒盃は初見だが、発掘品ながら釉は枯れておらず、魅力がある。

これまた迷うところだが、迷ったときには買わないのが、私のやり方なので、結局、見送った。


それにしても、大吉は、いつも気になる酒器があるので、見逃せない。

瑞穂くんは、帰宅してから思い立って、別の盃を予約したそうだが、これは、いずれ彼のブログで紹介してくれることだろう。
posted by 城戸朱理 at 14:44| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モネ展とルノアール展を観る

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すべての仕事を終え、鎌倉に帰ったのは4月1日。


今回の京都は、8泊9日だけに着替えなどの荷物も多い。

トランクにパッキングして宅急便で送り出してから、ホテルをチェックアウトする。


新幹線の時間まで余裕があったので、バンビことパンクな彼女と相談し、京都私立美術館で開催されていたモネ展を観に行くことにしたのだが、いざ着いてみたら、モネ展と同時にルノアール展まで開催されているではないか。


結局、両方を観たのだが、モネ展は実に素晴らしかった。


ルノアールを観ていたときに、ふと思い出したのは西脇順三郎がルノアールを嫌いだったという話である。

モネの晩年の作品は、20世紀の前衛の先駆を成すものだが、ルノアールには、そうしたところが一切ない。

典雅で、俗で、西脇が嫌いだったのも無理はないと思ったりした。


京都私立美術館のあたりの桜も満開。

雨に濡れた桜もまた、いいものだ。
posted by 城戸朱理 at 14:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

糸屋ホテルの朝食、その8

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糸屋ホテル8日目の朝食は、焼魚が鮭、小鉢が焼き胡麻豆腐と、これまでなら、いつも初日に出ていた献立だった。

味噌汁は、芹、ワカメ、豆腐、油揚げで、芹が香り高い。


大根、シメジ、ミョウガの小鉢も会わせて、やはり10品目以上の食材が使われており、バランスを考えているのには感心する。
posted by 城戸朱理 at 07:14| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜桜と餃子

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さらに四条大橋を渡って、祇園へ。

白川ぞいの桜も、夜に観ると、また違った風情がある。


9時すぎまで歩き回り、夕食は、餃子屋に行くことにした。

巽橋をわたって、すぐの「ぎょうざ歩兵」である。

営業は、午前3時まで。

祇園の夜の締めとして、京都人にも定番になっている小さなひと口餃子は、ニンニクが入った普通の餃子としょうが餃子の2種類がある。


ぴり辛の壺キュウリにもやしの肉味噌かけ、ポテトサラダをもらって、ビールを飲みながら餃子が焼けるのを待つ。

気づくと、店内は私たちのほかは、イタリア人のカップル、アメリカ人のカップルに親子と外国人観光客ばかりになっていた。

まだ若い店長が英語で応対していたが、今や、京都で飲食店をやるのなら、英語は必須かも知れない。


「ぎょうざ歩兵」では、餃子を目の前で皮に包んで焼いてくれる。

ニンニク餃子は醤油に酢とラー油で、しょうが餃子はしょうが味噌で食するのだが、絶妙のサイズで、御飯を食べている人もいれば、飲んでいる人もいる。

私とバンビは、ビールのあとはハイボールを頼み、餃子をおかわりしたのだが、また寄ってみたい店だ。
posted by 城戸朱理 at 07:13| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高瀬川の夜桜

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石田瑞穂、未祐夫妻を京都駅まで送り、車中の夕食に予約しておいた吉兆の松花堂弁当を渡してから、ホテルに戻って小憩。


バンビことパンクな彼女と相談して、夜桜を観に行くことにした。

高瀬川ぞいの桜は、満開。

ライトアップされた夜桜の写真を撮っている外国人の観光客も多い。

バンビもあちこちで撮影していたが、京都の桜は、あでやかだ。
posted by 城戸朱理 at 07:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

寿司 さか井で

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花見のあと、昼食は、錦市場のさか井で寿司をつまむことにした。


毎月のように京都に来ているだけあって、瑞穂くんは来たことがあるというが、未祐さんは初めて。

瑞穂くんのクライアントの京都人も、鯖寿司は、さか井が一番と言っていたそうだ。


いつものように、ジュリー・アンドリュース似のお母さんの、京都トークが炸裂し、笑いながらビールのグラスを傾け、待つこと、しばし。



握りと鯖寿司が出来上がる。

瀬戸内のしらさ海老の入荷がなかったそうで、海老は車海老だったが、淡白なマグロの子どものヨコワ、淡路産の生ウニと、全体に薄味なのが、京都風。

血合いを諦念に除いた鯖寿司も美味い。


ビールを熱燗にかえて、くつろいだ。
posted by 城戸朱理 at 12:07| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不惑の悩み?

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八坂神社にお詣りしたあとは、祇園の白川ぞいを歩く。


桜は満開で、未祐さんは、やたらと写真を撮っていた。



石田瑞穂くんは、ポール・スミスの「ブリティッシュ・コレクション」の洒脱なライト・グレイのスーツで撮影に臨んだのだが、これが未祐さんには不評らしい。


井上春生監督が感心するほど、よく似合っていたのだが、フランス語の翻訳家の未祐さんは、フランス人の友だちも多い。


フランスとイギリスは、800年間も戦争していただけあって、互いに嫌っている。


ポール・スミスはイギリスのデザイナーだから、フランス人の友人が気を悪くするのではないかというのが、不評の理由だと聞いて、納得。



この日の瑞穂くんのスーツは、ジョルジオ・アルマーニのアルマーニ・コレツィオーネで、こちらも、よく似合っている。


未祐さんは、ポール・スミスよりアルマーニにしたほうがいいという意見なのだそうだ。



「40を超えると、何を着たらいいか迷いますね」と瑞穂くん。



私もアルマーニでいいのではないかと思ったのだが、瑞穂くんは、それだと私とかぶると思ったのだとか。


たしかに、私はアルマーニをよく着ている。

ただし、瑞穂くんとは選ぶものが違うから、いいのではないかと思ったのだが、不惑の悩みは尽きないようだ。
posted by 城戸朱理 at 12:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桜を見ながら

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3月31日。

石田瑞穂、未祐夫妻の帰りの新幹線は夕方なので、糸屋ホテルをチェックアウトしてから、時間まで京都を散策することにした。


「神社ガール」(?)の未祐さんは、神社にお詣りしては、おみくじを引くのが何よりも好きなので、まずは八坂神社へ。

スサノオノミコトを祀った悪王子神社にも、お詣りを欠かさない。

去年は、歌人の東直子さんと悪王子神社を探したっけ。


お詣りのあとは、円山公園で桜を見ながら、ビール。
posted by 城戸朱理 at 12:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

糸屋ホテルの朝食、その7

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鎌倉だと、魚屋が店頭で自家製の干物を作っているが、鯵がいちばん多い。

関東ならば、鯵の干物は、朝の食卓の定番のひとつだが、京都では、まったくお目にかからないところを見ると、鯵は、あまり食べないのだろうか。


この日の焼魚は目刺し、味噌汁はアボカド、タマネギ、油揚げ、九条ネギ。

肉そぼろ餡かけの温豆腐が嬉しい。
posted by 城戸朱理 at 12:05| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイラ・モヒートでシングルモルト

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「アイラ・モヒートのマスターが、明日はウィスキーナイトなので、ぜひ来てくれって言ってましたよ」と井上春生監督。


かくして、ごだん宮ざわの後は、みんなでアイラ・モヒートへ。


「ウィスキーナイト」だけあって、素晴らしい品揃えに圧倒される。

まずは、25年物のポートエレン1979、次に35年物のグレンタレット1977を。

このクラスになると、ウィスキーではなく、陽光が溶け込んだ命の水のようだ。

東京で頼んだら、ワンショット、2万円を超えるシングルモルトだが、信じられないようなサービス価格も嬉しい。


こうして、打ち上げの夜は更けていったのだった。
posted by 城戸朱理 at 12:04| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シトロン・ブレでステーキ

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2日間のロケが終わり、打ち上げはシトロン・ブレで。

予約は6時に入れてあったので、バンビことパンクな彼女に石田瑞穂、未祐夫妻を先に連れていってもらい、私と井上春生監督は撮影が終了してから、6時半ごろに合流した。


パテ・ド・カンパーニュや鶏白レバーのムース、自家製生ハムなど、お肉の前菜盛り合わせにブロッコリーのクリームスープ、サーモンのタルタルなどを頼み、撮影終了に乾杯。


シトロン・ブレは珍しい国産ワインを揃えた店なので、スパークリング、さらに赤ワインをボトルでもらった。


十勝ハーブ牛のステーキは、サーロイン500gを注文。

シトロン・ブレのステーキは熟成肉だけに、旨みが凝縮している。
posted by 城戸朱理 at 08:29| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

春の京料理を撮影して





3月30日は、流響院に続いて、ごだん宮ざわでの撮影である。


撮影クルーは、午前7時に現場入りして、仕込み風景の撮影を始める。


石田夫妻の出番は昼からなので、未祐さんのメイクが終わってから、2時間弱余裕があった。

今回、有路涼子さんは別件で動けなかったので、メイクは、有路さんのアシスタントの竹下涼さん。

有路さん仕込みだけあって、竹下さんも上手い。


ホテルとロケ先だけの往復だと、京都に来たという実感が湧かないだろうと、バンビことパンクな彼女は、石田夫妻、竹下さんを連れて、平安神宮へ。

未祐さんはフランス語の翻訳家だが、なぜか大の神社好き、最低でも週に一度は神社にお詣りするのだとか。


私はひと足先に、ごだん宮ざわに入って、井上春生監督と打ち合わせ。


12時半から石田夫妻の撮影が始まった。

先付けから始まって、料理が進み、宮澤政人さんと石田夫妻の話も弾む。

瑞穂くんは、初期伊万里でも最初期の見事な伝世品の盃を持参。

これだけの初期伊万里盃はめったにないだろう。


3時ごろ、石田夫妻の撮影は終了。

しかし、撮影はまだまだ続く。

この日の料理を一品ずつ物撮りし、赤塚ディレクターが、ひと口ずつ試食しては、その場でナレーション原稿のメモを取っていく。

さらに、器をひとつずつ物撮りしたのだが、結局、すべてが終了したのは、6時だった。
posted by 城戸朱理 at 07:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

糸屋ホテルの朝食、その6

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初めて、糸屋ホテルで朝食をいただいたときは、鉢に盛られた味噌汁の大きさに驚いたが、慣れてくると、これが当たり前のように思えてくるのだから、面白い。

この日の味噌汁は、厚揚げ、ナメコ、ワカメ、貝割れで、焼魚はニシンの味醂干し。

小鉢は、菜の花を添えた肉じゃがだった。
posted by 城戸朱理 at 07:35| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さらに、ごだん宮ざわで、その3

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小鍋立ては浅蜊と春野菜で、なんとも優しい味わい。


土鍋で炊き上げた御飯は、まずは煮えばなをよそってくれる。

これは、かすかに芯が残る煮えたお米で、二膳目、三膳目と蒸れるに従って、煮えたお米が御飯にかわっていくのを楽しめるという趣向。

自家製の漬物も、白味噌で炊いたじゃこも美味しい。


食事が終わって、水菓子は、苺も蜜柑も佐賀産で、佐賀ほのかと佐用姫。

桜型の最中のあとは、お薄が出て、コースが終わる。


石田夫妻もすっかり満足してくれた様子だったが、井上春生監督から、またもやBAR アイラ・モヒートで飲んでいるという連絡が。


しかし、翌日の撮影を考えて、この日はまっすぐホテルに帰ることにした。
posted by 城戸朱理 at 07:34| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする