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城戸朱理のブログ

2016年04月12日

イワタコーヒーでプリンを

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撮影は無事終了したので、小町通りのイワタコーヒーで休むことにした。


イワタは鎌倉の老舗で、大佛次郎や川端康成ら鎌倉文士が散歩の途中で立ち寄った店だが、分厚いホットケーキがメディアで何度も取り上げられたものだから、今や、観光客が行列する店になった。


コーヒーを頼んで、昔ながらのプリンを注文する。

この昭和なレトロ感が若い人には受けるのだろう。


さらにバンビことパンクな彼女の提案で、鍼灸マッサージのラポールで、みんなでマッサージしてもらうことに。

1時間、マッサージしてもらったのだが、これは実に効いた。

ちなみに、凝り具合を、最大で10とすると私は肩が10、背中が8とのこと。

ほとんど全身が固まっているようなものだが、これは文筆業の宿命のようなもので仕方がない。

これからは、ときどき、ラポールに通うことにしよう。
posted by 城戸朱理 at 12:51| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

葛原岡神社へ

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源氏山公園での撮影を終えて、葛原岡神社に移動し、昼食。

お弁当は、カツレツの老舗、勝烈庵のもので、バンビことパンクな彼女が手配した。

作りたてを配達してくれるので、まだ温かいし、たっぷり添えられた自家製ソースが美味しい。

着物の水原さんはロケバスのなかでお弁当を使ったが、スタッフはベンチに座り、思いがけずも花見弁当となった。


葛原岡神社は、後醍醐天皇の側近で、倒幕の計画が鎌倉幕府の知るところとなり、鎌倉に送られて葛原岡で最後を遂げた日野俊基卿を祀っている。

その翌年、鎌倉幕府は倒れるのだが、続く南北朝時代は、戦国時代なみの乱世だった。

後醍醐天皇の第一皇子、護良(もりよし)親王は征夷大将軍となるが、足利尊氏と対立し、やはり鎌倉で足利直義によって殺害された。

後醍醐天皇の第六皇子、成良(なりよし)親王が続けて征夷大将軍となるが、『太平記』によると、京都で毒殺され、さらに後醍醐天皇の第二皇子、宗良(むねよし)親王は南朝の征夷大将軍として、各地を転戦し、信濃を本拠地に室町幕府と戦い続ける。

一方、第十六皇子の懐良(かねなが)親王は、南朝の征西大将軍として九州に渡り、太宰府を中心に一大勢力を築いて室町幕府に抗戦した。

足利尊氏と戦ったのは、楠正成と赤松円心だけではなかったのである。


葛原岡神社は、桜が満開。

ここでは、桜を詠んだ作品が生まれた。

さらに本殿にお詣りする場面を撮影したのだが、水原さんは、何かを感じ取って躊躇されていたのが印象深い。

このあたりは、鎌倉でも有数の心霊スポットだが、水原さんは何を感じたのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

源氏山公園で

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水原紫苑さんに、化粧坂(けわいざか)を歩いてもらって、源氏山公園へ。

雨も上がり、青空が広がっていく。


源氏山公園も桜が満開だったが、水原さんは、桜より乱れ咲く椿に感応。

しかも、大きなリスが、椿の花を喰い荒らしている。


そして、水原さんが立ち止まるたびに、新たな歌が生まれていく。

水原さんは、柔らかな物腰の方だが、ノートに短歌を書きつけるときは印象が一変する。

目が見開かれ、何かが降りてきたとしか見えない表情は、やはり「入神」という言葉がふさわしい。

十数年前に、水原さんと吉野に前登志夫さんをお訪ねしたとき、前さんが水原さんのことを「全身、これ霊山のような方」と評していたのを思い出す。


ちなみに、この日のメイクは、有路涼子さんが映画の現場入りのため、有路さんのアシスタントの竹下涼さんだったが、あらかじめ有路さんから髪型の指示があったそうで、水原さんの髪は牡丹の花のように編み込まれてまとめられていたのだが、水原さんによく似合っていた。


京都での即詠は「歌壇」に、鎌倉での即詠は尾崎左永子さんが主宰する「星座」に発表される予定だという。
posted by 城戸朱理 at 12:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水原紫苑さん、鎌倉に

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4月1日に鎌倉に帰ったが、京都から午前中配達の宅急便で手配したトランクが、遅配で夕方になって、ようやく届いたため、片付けに翌々日までかかってしまった。

そして、4月4日の撮影のため、井上春生監督ら撮影クルーは、3日に鎌倉入りして、ロケハンを開始。

大阪からカメラの安田さんも来てくれたので、この日の夜は、長谷の焼肉まるぎゅうを予約し、スタッフ全員で夕食を取った。


翌日、9時に水原紫苑さんが鎌倉入り。

鎌倉駅西口のホテル・ニューカマクラでメイクと着付けを始める。


ホテル・ニューカマクラは、1924年(大正13年)に建てられた木造の洋館で、関東大震災前は、貸し別荘・料亭の平野屋があり、岡本かの子は、ここで芥川龍之介と出会い、そのときの印象から処女作『鶴は病みき』を書いたという。

玄関脇の月桂樹は、大正天皇の生母、二位の局、柳原愛子さまの手植えになるものだが、桜の老木も見事な花をつけていた。

ホテル・ニューカマクラは、吉増剛造さんの常宿でもある。


私は、水原さんの着付けが終わるころに合流し、源氏山公園に移動して、撮影が始まった。
posted by 城戸朱理 at 12:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする