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城戸朱理のブログ

2016年05月31日

吉増剛造さんとの対談



5月22日(日)は「現代詩手帖」7月号、吉増剛造特集のための対談である。

吉増さんの希望で、鎌倉でやることになったので、富岡幸一郎さんに連絡し、鎌倉文学館3階の館長室を使わせてもらうことになった。

鎌倉文学館は、旧前田侯爵邸で、一時期、佐藤栄作元首相が借りていたことがある。

佐藤元首相は、ときどき川端康成や小林秀雄ら、鎌倉文士を招いて酒宴を催したというが、その場となったのが、現在の館長室である。


この日、吉増さんは午前中、北鎌倉の東慶寺で高見順夫人の17回忌に出席されてから、鎌倉文学館入りすると聞いていたが、鎌倉文学館に向かう車中で、念のため、バンビことパンクな彼女が、吉増さんに電話してみたら、北鎌倉から鎌倉まで歩いてきた吉増さんは、なんと迷子になっていた。

待ち合わせ場所を伝えて、タクシーで吉増さんをピックアップし、鎌倉文学館に着いたのは、2時18分。

鎌倉はたいへんな混雑で藤井一乃編集長もなかなか到着しない。

開催中の萩原朔太郎展を見ながら、藤井編集長の到着を待った。


相模湾を望む館長室で、対談は、予定通り、3時から。

吉増さんとは、この一年、春夏秋冬と京都で御一緒しているので、話は尽きない。

藤井編集長は、ICレコーダーで録音しながら、PCに速記している。

写真は吉増さんの御指名で、バンビが担当。

対談を聞いていた富岡幸一郎さんは、歴史的な対談と興奮気味だったが、いい対談になったと思う。


終了後は、吉増さんお気に入り、由比ヶ浜通りのつるやへ。

鰻の白焼きと鰻重で、乾杯する。


富岡さんは、つるやは久しぶりとのことだったが、私も去年、吉増さん、井上春生監督と来て以来のような気がする。


吉増さんは、この日は鎌倉泊まりだったので、タクシーでホテルへ。


私とバンビは、富岡さんと藤井編集長とクルベル・キャンに席を移したのだが、ここで、岩波書店を退職し、今春から関東学院大の客員教授となった樋口良澄さんが合流。

樋口さんは、1980年代に「現代詩手帖」編集長だったから、藤井さんの大先輩でもある。


歓談のときを過ごし、帰宅したのは、11時ごろだった。
posted by 城戸朱理 at 12:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

酒とゲラの日々?



手を入れたゲラを次々に思潮社と中央公論に返送し、ひと息ついたところで、吉増剛造さんから、またもやゲラの束が届いた。

22日(日)の対談のための資料として、竹橋の国立近代美術館で開催される吉増剛造展のカタログのゲラなどを送って下さったのである。

「現代詩手帖」7月号の吉増剛造特集に関しては、編集部からエッセイの原稿依頼があったのだが、エッセイではなく、吉増さんの御指名で、対談のお相手をすることになったのだ。

責任重大である。

ともあれ、今月はゲラと縁が切れない月らしい。


20日(金)は、フェリス女学院大学へ。

この日の講義には、以前、私の授業を受講してくれた卒業生の長尾早苗さんと大学院に進学した塚越理恵さんが聴講に来てくれた。

退官されたが吉田文憲さんの指導と、今も講義をされているほしおさなえさんの創作講座の影響もあって、近年のフェリスは創作熱が高い。

長尾さんも詩集を準備しているようだが、長尾さんの先輩の浅野彩香さんの詩集も進んでいるだろうか?

長尾さん、塚越さんは3限も聴講するというので石田瑞穂くんに紹介し、石田くんと昼食。


いったん鎌倉に帰り、小憩して、藤沢駅で5時に石田くんと待ち合わせる。

以前から気になっていた青海(せかい)という寿司屋で、酒杯を傾けつつ歓談したのだが、詩の話はもちろん、お互いにミステリーや時代小説もよく読んでいるものだから、話は尽きない。

そして、この日の結論。

「日本の税金は高い」(?)


翌日、21日(土)は相模大野の女子美術大学大学院で授業。

終了後、院生3人とISETANのレストランKIHACHIで昼食を取る。


鎌倉は世界遺産にはなれなかったが、日本遺産に登録されたので、「公明新聞」から鎌倉についての原稿依頼のメールがあり、受諾。


そして、帰宅してみたら、今度は思潮社から異様に分厚いゲラが届いていた。

『吉増剛造全詩集』第一巻のゲラである。

対談前日に、こんな分厚いゲラが届いても、どうしようもない。

なんで、こんなにゲラばかり来るんだ?
posted by 城戸朱理 at 06:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月26日

気軽なフレンチ

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代理人をお願いしている弁護士の二見宏史先生の事務所に寄って所用を終えたあと、バンビことパンクな彼女と落ち合って、夕食を取ることにした。

行きつけのクルベル・キャンはイタリアンだから、たまにはフレンチにしようということになり、鎌倉駅西口、御成通りのビストロ・オランジェへ。


以前は、ル・ポアン・ウェストという店名だったが、鎌倉駅近くに移転して、店が広くなり、店名も変わった。

ル・ポアン・ウェスト時代は、柳美里さん一家と食事に行ったこともあったっけ。


スパークリングワインをボトルでもらって、まずは定番のフォアグラ入りパテ・ド・カンパーニュと鶏レバーのムース。

サーモンとアボカド、大麦のマリネは、大麦の食感が楽しい。


バンビと相談して、最後は羊肉と野菜のクスクスをもらうことにした。

ひとりなら、前菜一品と、このクスクスだけで十分かも知れない。

スパークリングワインが空いてから、赤ワインもグラスでもらったが、会計は、居酒屋ていど。


こういう店が近くにあると、本当に便利だ。
posted by 城戸朱理 at 07:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

原稿を書き終えたと思ったら



連休中に『現代詩文庫 広瀬大志詩集』『現代詩文庫 田野倉康一詩集』の詩人論・作品論と『海外詩文庫 エリオット詩集』の解説を書き上げて、ひと息ついたのだが、
思潮社の高木真史総編集長からの連絡で、私が枚数を勘違いしていたのが判明。

広瀬大志論は9枚でよかったのだが、19枚書いた田野倉康一論は、本当は15枚、15枚と思っていたエリオット論は25枚だった。

田野倉康一氏が、未完詩篇を削っても、私の論考をそのまま収録したいという意向で、こちらは、そのまま行くことになったが、エリオット論は、さらに10枚を書き足し、ゲラが出る前に加筆分を編集部に送った。

エリオット論は、『荒地』の意義やエリオットの詩論である「没個性論(インパーソナル・セオリー)」「客観的相関物(オブジェクティブ・コレラティブ)」の解説、さらには『四つの四重奏』の構造などを書き足すことができたので、逆によかったのだが。


広瀬大志論の依頼は2月だったので間違わなかったが、田野倉康一論は昨年、エリオット論に至っては10年前の話だけに、原稿は所定の枚数を確かめてから着手すべきなのを改めて確認する始末。

ともあれ、トータルで53枚の原稿を書き上げることができた。

今は、加筆分を含めたエリオット論の再校を待っているところだが、本が形になっていくのは、執筆とは、また違った喜びがある。
posted by 城戸朱理 at 07:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情けない日々



5月14日(金)は、フェリス女学院大学に行ったところ、大地震を想定した避難訓練で、授業が1時間しか出来なかった。

藤沢で有隣堂に寄り、新刊をチェックしてから帰宅。

文藝春秋より誉田哲也『増山超能力事務局』文庫電子版に私の解説の再録依頼。

毎日新聞から書評欄のコラム「昨日読んだ文庫」の原稿依頼があった。


ミネストローネを作り、バンビことパンクな彼女が帰宅したところでステーキを焼く。

私は、鰹の刺身で晩酌。


土曜日は、女子美術大学大学院で講義。

今年の受講生は、5人で、全員が博士過程だが、実にユニークな学生が集まってくれたので、90分の授業が短く感じる。

充実した心持ちで帰宅したところで、鍵を忘れたのが判明。

しかも、どこに行ったのかバンビもいない。

締め出されでしまったので、鎌倉駅まで出て、喫茶店で読書。

久しぶりに画家の久保田潤さんと会うことにして、クルベル・キャンで待ち合わせる。

久保田さんは、最近、水彩画ばかり制作していたので、久しぶりに油絵を描いていたという。

次の個展は、秋だろうか。


新じゃがのフリット、真鯛のカルパッチョ、ボルチーニ茸のリゾットを頼み、ジントニックを飲みながら、ジャコメッティやジョルジョ・モランディのことを語り合う。


結局、北鎌倉のお義母さんに車で来てもらって、ようやく帰宅することができた。
posted by 城戸朱理 at 07:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

日本列島と地震



東日本大震災のとき、「想定外」という言葉が連発された。

しかし、実際は、巨大津波をともなう明治三陸地震(1896)、昭和三陸地震(1933)と、三陸地方は、近代になってから、二度の大地震と巨大津波によって甚大な被害を受けている。

しかも、明治三陸地震から39年後の昭和三陸地震は、アウターライズ地震と考えられており、今後、三陸地方は東日本大震災のアウターライズにも備えなければならない。

気象庁が観測を始めたのは1875年だから、明治・昭和三陸地震と大津波は記録されていたわけであり、その意味では「想定外」という言葉は、使われるべきではなかった。

三陸地震は、いつか起きるはずのものだったのだ。


今回の熊本地震でも、熊本には大地震は来ないという思い込みがあったことを被災された方が語っていた。

それだけに食糧の備蓄もなかったようだが、熊本地震は、余震が1200回を超えるという異常なもので、揺れる船に乗っているような「地震酔い」も辛いものがある。

東日本大震災のあとでも、ここまでの余震はなかったが、それでも、いつも大地が揺れているような気分になったことを思うと、被災地の方々は気持ちが休まるときがないだろう。

余震が遠のき、平安な日々が戻ることを祈るしかない。


気象庁は、熊本地震を「想定外」としているが、たしかに1875年以降の観測史上では九州の大地震は例がない。

ただし、識者は、江戸時代初期の慶長地震との類似を指摘している。

これは慶長年間(1596〜1615)に頻発した地震の総称なのだが、記録をたどると言語に絶するものがある。

発端は1596年。

9月に伊予(愛媛)で巨大地震が発生、その3日後には豊後(大分)で、さらにその翌日には伏見で巨大地震が発生した。

伏見城の天守閣や石垣が崩壊したという記録があるので、近畿地方を襲った地震も、今回の熊本地震級のものだったのだろう。

さらに1605年には南海トラフ地震と考えられている慶長大地震が発生、千葉から九州に至る太平洋岸が巨大津波に襲われ、死者は、1万から2万人を数えたという。


そして、1611年には会津地方が直下型地震に襲われ、同年暮れには慶長三陸地震が起こる。

慶長三陸地震は、東日本大震災と同じ海溝型地震で、やはり巨大津波が押し寄せ、東北地方は甚大な被害を受けた。


しかも、地震は慶長年間で終わったわけではなかった。

続く元和・寛永年間、1619年には肥後(熊本)地震が発生、八代の麦島城が崩壊、6時間後には豊後(大分)地震で、竹田の岡城が破損している。

1625年は、1月に安芸(広島)地震で広島城が崩壊、4月に伊予(愛媛)地震、7月には肥後(熊本)地震で熊本城の天守閣が崩れ、11月には四国・中国大地震と1596年から、ほぼ30年にわたって、東日本大震災級、熊本地震級の巨大地震が頻発していたらしい。


まず日本最大の活断層、中央構造線断層帯の西端である熊本で地震が起こり、断層帯を東進するとともに、南海トラフ、さらには三陸沖と海溝型巨大地震が誘発されたことになるが、
平成の巨大地震は、海溝型の東日本大震災の5年後に中央構造線断層帯の西端、熊本、続いて大分と大地震が続いたわけで、
今後、中央構造線断層帯に沿って、慶長年間と同じように大地震が起こる危険があるし、南海トラフ地震も誘発されるかも知れない。


政府の発表によると、もしM9クラスの南海トラフ地震が発生した場合、静岡から京都、大阪、高知は震度6〜7の揺れとなり、太平洋岸は、最大32mの巨大津波に襲われるという。

想定される死者は、最悪で33万人。


絶句するしかない予想だが、東京直下型地震もいつ起こるか分からないわけで、日本列島は慶長年間と同じような地殻の活動期に突入した感があるのは否めない。


これだけ天災が頻発する国で生きている以上、どこで暮らしていても地震は起こりうるという覚悟が必要だが、それが日本人の死生観を形成したのだろうか。

今のところ、関東は平穏だが、その平穏さが、逆に幻のような気がする。
posted by 城戸朱理 at 08:50| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

休みではない連休



5月7日(土曜日)。

連休中日でも、大学は休みにならない。

9時に家を出て、相模大野駅からタクシーで女子美術大学へ。

講義を終えて、藤沢の有隣堂で文具を補充し、小田急デパ地下で買い物して、帰宅したのは3時半だった。

主治医から鬱状態を指摘されているだけに、異様に疲れる。


連休になってから、原稿執筆に専念していたものだから、食事も一日一食、ごく簡単に済ましていたが、気を取り直して、夕食は手巻き寿司にした。


翌日は、『潜在性の海へ』に続く詩論集の入稿作業を始める。

これは、「現代詩手帖」2006年12月号から発表を始め、東日本大震災を経て、2012年1〜3月号、2014年5〜7月号の二度にわたり短期集中連載で発表してきた「洪水の後で」を中心にするものとなる。

日本現代詩歌文学館の豊泉豪氏の助力を得て、ほかの既発表分の詩論や評論をチェックし、作業を進めているところだが、これが終わると新たな創作に専念できるだろう。
posted by 城戸朱理 at 11:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

子供の日???

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5月5日、子供の日。

バンビことパンクな彼女が、またもや無茶苦茶なことを言い出した。


「今日は子供の日だよ!
こどもにお小遣いをあげたり、美味しいものを食べさせてあげて、早めに寝せてあげたいものだね!」
・・・・・・


バンビが言うところの「こども」とは、自分のこと。

都合がいいときだけ、「こども」になってしまうのはバンビの得意技である。


しばらくして、バンビのiPhoneに電話が。

何やら笑いころげながら話している。


「バンビ〜。子供の日の子供で〜す。
子供が子供に電話してま〜すって、電話が来たんだよ!」

いったい、誰なんだ?

「吉増剛造先生だよ!」
!!!!!!


吉増さんまで、そんなことをして遊んでいるとは!?


私は懸案の原稿を書き上げることが出来たので、書類を整理し、請求書を起票したりと、事務仕事を済ませ、次の仕事のために体勢を整える余裕も生まれた。


夜は、バンビが、ステーキを焼き、付け合わせのポテトとサラダを作ってくれたので、ワインを開けて乾杯する。

「んふー。
こどものワインをあけてあげてね!」

子供ならワインを飲んではいけないはずだが――

仕方がないので、バンビのリクエストで、2本目のワインを開けることに。

ところが――。

翌日、バンビは二日酔いで夕方まで寝ていたのだった……
posted by 城戸朱理 at 22:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

書斎の連休



私の場合、自分のなかで絡まってしまった言葉とストレスをほどくために、晩酌が習慣になっている。

しかし、夕飯時に酒を飲み始めたら、本は読めるものの原稿は書けない。

だから、連休中は、原稿が書き終わるまで酒絶ちをして、出来るだけ執筆の時間を取ることにした。


5月2日(月曜日)は、『現代詩文庫 広瀬大志詩集』の解説を執筆。

指定の枚数は400字詰め原稿用紙で9枚なので、詩篇を引用する余裕がほとんどないため、苦労したが、午後9時に書き上げることができた。

広瀬大志論を書くに当たって、折口信夫を参照したので、そのつながりから、夜は宮家準『霊山と日本人』(講談社学術文庫)を読んで過ごす。


翌日は、書き上げた原稿を思潮社編集部に送り、8時から『現代詩文庫 田野倉康一詩集』解説を書き始めた。

こちらは19枚なので、引用もあるていど自由に出来るものだから、逆に順調に進み、午後3時前に所定の枚数で脱稿、編集部にFAX。

小憩して、洗濯物を収納し、部屋の片付けをする。


大志くんも田野倉くんも学生時代からの詩友だけに、作品は熟読しているし、準備もしていたので、思ったより早く書き上げることが出来たものだから、余勢をかって『海外詩文庫 エリオット詩集』解説の執筆に突入した。

この日は、7枚まで。

午後8時に執筆を止めたが、飲まないと、1日が実に長い。

就寝前の読書は、宮田登『江戸の小さな神々』(青土社)。

「越後のミケランジェロ」と呼ばれ、数々の仏像も残した幕末の彫物師、石川雲蝶が気になるので、江戸期の民間信仰関係の民俗学や宗教学の本は、目につくたびに購入するようにしているが、これは先日、藤沢の古書店、太虚堂で見つけたもの。


断酒3日目の5月4日(水曜日)。

深夜からの雨が朝まで続いたが、9時には青空が広がった。

起床してコーヒーをいれ、エリオット論の続きを執筆する。


あれこれ見つからない資料があって、執筆よりも資料探しに時間を取られたような気がするが、午後3時に所定の16枚で書き終えることができた。

解説を書き終えてから、先週、買ったクレイグ・レイン『T.S.エリオット――イメージ、テキスト、コンテキスト』(彩流社)を読む。


エリオット関係の資料はなかなか出てこないのに、長らく行方不明だった俳句の習作ノートが出てきた。

どうして、探し物というヤツは、探しているときには見つからないのに、必要のないときに出てくるのだろう?


『現代詩文庫』と『海外詩文庫』3冊の解説は連休中に書き上げ、連休明けに思潮社に送るつもりでいたのだが、前から準備していたせいもあって、3日間で計44枚を書き切ることが出来たものだから、気分がいい。

けれども、せっかくなので3日目も断酒することにしようと思ったら、バンビことパンクな彼女が、
「原稿が終わったから、乾杯だよ!」と御成通りの高崎屋に予約して買ってきた「宗玄」純米無濾過生原酒を出してくれたので、断酒は2日で終わってしまったのだった。
posted by 城戸朱理 at 15:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月07日

鎌倉文士が通った寿司屋で

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私が女子美大学院の講義に行っている間に、バンビことパンクな彼女が、布団を干し、シーツを交換してくれたので、気持ちよく連休を迎えることが出来た。


5月1日(日曜日)は、休息の日。

バンビと久しぶりに散歩に出かけたのだが、鎌倉の小町通りあたりは、大変な混雑ぶりだった。

4、5年前までならば、鎌倉を訪れる観光客は年間900万ていどだったが、ここ数年は1200万人を超えており、しかも増える一方だから、当然かも知れないが。


御成通りの高崎屋でバンビが頼んでおいた日本酒を受け取り、店頭でベルギーの白ビールを立ち飲みする。

それから、小町通りに出て、先日、藤沢周氏と行った寿司の大繁に行くことにした。

バンビは初めてだが、鎌倉文士が通った店で、小林秀雄は、永井龍男、漫画家の那須良輔と連れ立って来店することが多かったが、奥さんとお昼に立ち寄ることもあったという。

小林さん、永井さんともに、江戸っ子らしくマグロと穴子が好みだったそうだが、いちばん好きだったのは、なんといっても寿司ネタで唯一「香り物」と呼ばれる新子で、夏になると電話で新子があるか確認してから来店したそうだ。

新子は小肌の当歳魚だが、一貫握るのに四、五尾は必要になるほど小さく、下ごしらえに手間がかかる。

江戸前の夏の風物詩である。


立原正秋は、2、3日おきに来たが、小林秀雄が現れると直立不動で、すぐに帰ったらしい。

同じような話を奈可川でも聞いたことがあるが、畏怖を抱く存在がいるというのは、素晴らしいことだと思う。

田村隆一もよく来たらしいが、詩人はもっぱら飲むだけ。

三、四貫握ってもらうのだが、結局、手をつけず、飲み続けるのだそうだ。

ちなみに田村さんの好みは白身に貝、淡白なものがお好きだったと聞いたことがある。


そんな話を聞きながら、鯛やカンパチなど白身を握ってもらう。

大繁の握りは、とても小さく、シャリも小振りで、つまみながら飲むのにいい。

続けて、小肌に穴子。

生の鳥貝は、この季節ならではで、香りがよく、歯応えも甘みも素晴らしい。

バンビは「美味しいね〜」と大喜びだった。

ホタルイカや中トロ、ウニにイクラなどを握ってもらって、熱燗を酌み、最後に赤貝のヒモとキュウリ、それにネギトロを巻いてもらう。


小町通りの喧騒が嘘のようで、大繁には、まだ昭和の時間が滞留しているような気がした。
posted by 城戸朱理 at 08:11| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

ブログ更新お休みのお知らせ



いつも、このブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。

連休中は仕事に専念したく、ブログの更新をお休みさせていただきます。

次の更新は、5月10日(火曜日)からを予定しています。

再開のおりには、また、お付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。
posted by 城戸朱理 at 16:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

連休になって

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いよいよ、連休。

懸案の原稿を仕上げる時間が、やっと取れそうだ。


4月28日(水曜日)は、中央公論の編集部に加筆したゲラを戻し、さらに「岩手日報」投稿欄の選評、2回分を書いてメールした。

入選作を宅急便で手配して、小憩。


問題は、大学である。

以前は前期の授業が12コマだったのだが、文科省の通達で、15コマに増えたため、連休中も授業は通常通り。

精神科の主治医から、業務軽減を勧められたので、島村輝教授と相談して、フェリス女学院大学の講義のうち「近・現代詩の世界」を石田瑞穂くんに代行してもらうことにした。

もともと、この講座は私が今年だけ担当して、来年からは石田くんにお願いする予定だったので、それが早まっただけなのだが。


翌日、2限の授業のあと、共同研究室で石田くんと待ち合わせ、3限の授業で、石田くんに自己紹介をしてもらう。

終了後は、ふたりで藤沢に出て、太虚堂など古書店を覗き、久昇で飲みながら、打ち合わせをした。


土曜日は、女子美術大学大学院で授業。

通勤が大変なので、早稲田大学理工学部の講師は5年で辞めさせてもらったが、女子美は、もう10年になるだろうか。


帰宅したのは、3時半。

やっと、私の連休が始まる。

連休と言っても、休みではないが。

鎌倉は、山藤の季節。

山々は、そこかしこと紫色にけぶり、北条氏常盤邸跡は、まるで滝のように藤が咲き乱れている。
posted by 城戸朱理 at 11:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

打ち合わせの耐久レース?



鮎川信夫賞贈呈式のために東京に一泊し、鎌倉に戻った翌々日、月曜日は、再び東京泊まりとなった。


家を出たのは、9時。

11時半に立川駅で井上春生監督と待ち合わせ、昼食がてら打ち合わせ。

午後1時から「H(アッシュ)、宮澤政人・石田瑞穂夫妻」春篇の試写があり、ナレーションの修正をしてから、今期の番組についての会議に入る。

会議が終わってから、私は、そのまま別件の小林正典写真集の打ち合わせに入った。

小林さんはユネスコの依頼で難民を撮り続けた写真家である。


4時にワシントンホテルにチェックインして、持参した資料を広げ、『現代詩文庫 広瀬大志詩集』解説の準備を進めた。


そして、6時から、さらに別件の打ち合わせ。

部屋に戻ったのは、10時前だろうか。

打ち合わせの耐久レースのような1日だっただけに、翌日は、午後1時に帰宅したものの使い物にならなかった。

解説を執筆した誉田哲也『増山超能力事務所』(文春文庫)が届いていたので読み直してみる。

この日は、文化庁から芸術選奨文学部門推薦審査員の依頼があったのだが、そんな仕事もあったのかと奇妙にも感じ入ってしまった。


水曜日は、追加の税務調査。

税務署が確認したいというのは一点だけだったので、午前中で終わったが、来客があると半日が潰れてしまう。

本を読み、原稿を書くという、私にとって「普通」の日々が、なかなか戻ってこないのがもどかしい。

藤井一乃「現代詩手帖」編集長から、吉増剛造さんとの対談の件で連絡があり、5月後半で日程を調整することになった。
posted by 城戸朱理 at 10:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする