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城戸朱理のブログ

2016年05月12日

日本列島と地震



東日本大震災のとき、「想定外」という言葉が連発された。

しかし、実際は、巨大津波をともなう明治三陸地震(1896)、昭和三陸地震(1933)と、三陸地方は、近代になってから、二度の大地震と巨大津波によって甚大な被害を受けている。

しかも、明治三陸地震から39年後の昭和三陸地震は、アウターライズ地震と考えられており、今後、三陸地方は東日本大震災のアウターライズにも備えなければならない。

気象庁が観測を始めたのは1875年だから、明治・昭和三陸地震と大津波は記録されていたわけであり、その意味では「想定外」という言葉は、使われるべきではなかった。

三陸地震は、いつか起きるはずのものだったのだ。


今回の熊本地震でも、熊本には大地震は来ないという思い込みがあったことを被災された方が語っていた。

それだけに食糧の備蓄もなかったようだが、熊本地震は、余震が1200回を超えるという異常なもので、揺れる船に乗っているような「地震酔い」も辛いものがある。

東日本大震災のあとでも、ここまでの余震はなかったが、それでも、いつも大地が揺れているような気分になったことを思うと、被災地の方々は気持ちが休まるときがないだろう。

余震が遠のき、平安な日々が戻ることを祈るしかない。


気象庁は、熊本地震を「想定外」としているが、たしかに1875年以降の観測史上では九州の大地震は例がない。

ただし、識者は、江戸時代初期の慶長地震との類似を指摘している。

これは慶長年間(1596〜1615)に頻発した地震の総称なのだが、記録をたどると言語に絶するものがある。

発端は1596年。

9月に伊予(愛媛)で巨大地震が発生、その3日後には豊後(大分)で、さらにその翌日には伏見で巨大地震が発生した。

伏見城の天守閣や石垣が崩壊したという記録があるので、近畿地方を襲った地震も、今回の熊本地震級のものだったのだろう。

さらに1605年には南海トラフ地震と考えられている慶長大地震が発生、千葉から九州に至る太平洋岸が巨大津波に襲われ、死者は、1万から2万人を数えたという。


そして、1611年には会津地方が直下型地震に襲われ、同年暮れには慶長三陸地震が起こる。

慶長三陸地震は、東日本大震災と同じ海溝型地震で、やはり巨大津波が押し寄せ、東北地方は甚大な被害を受けた。


しかも、地震は慶長年間で終わったわけではなかった。

続く元和・寛永年間、1619年には肥後(熊本)地震が発生、八代の麦島城が崩壊、6時間後には豊後(大分)地震で、竹田の岡城が破損している。

1625年は、1月に安芸(広島)地震で広島城が崩壊、4月に伊予(愛媛)地震、7月には肥後(熊本)地震で熊本城の天守閣が崩れ、11月には四国・中国大地震と1596年から、ほぼ30年にわたって、東日本大震災級、熊本地震級の巨大地震が頻発していたらしい。


まず日本最大の活断層、中央構造線断層帯の西端である熊本で地震が起こり、断層帯を東進するとともに、南海トラフ、さらには三陸沖と海溝型巨大地震が誘発されたことになるが、
平成の巨大地震は、海溝型の東日本大震災の5年後に中央構造線断層帯の西端、熊本、続いて大分と大地震が続いたわけで、
今後、中央構造線断層帯に沿って、慶長年間と同じように大地震が起こる危険があるし、南海トラフ地震も誘発されるかも知れない。


政府の発表によると、もしM9クラスの南海トラフ地震が発生した場合、静岡から京都、大阪、高知は震度6〜7の揺れとなり、太平洋岸は、最大32mの巨大津波に襲われるという。

想定される死者は、最悪で33万人。


絶句するしかない予想だが、東京直下型地震もいつ起こるか分からないわけで、日本列島は慶長年間と同じような地殻の活動期に突入した感があるのは否めない。


これだけ天災が頻発する国で生きている以上、どこで暮らしていても地震は起こりうるという覚悟が必要だが、それが日本人の死生観を形成したのだろうか。

今のところ、関東は平穏だが、その平穏さが、逆に幻のような気がする。
posted by 城戸朱理 at 08:50| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする