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城戸朱理のブログ

2016年11月02日

銀座、煉瓦亭の洋食

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和合亮一氏の撮影が終わったのは、8月4日。

和合くんと私とバンビことパンクな彼女は、新花巻駅から新幹線で帰途に着いた。

何時にロケが終わるか、見当がつかなかったので、この日は銀座のホテルを予約し、銀座泊まりに。


翌日は、煉瓦亭で昼食を取ることにした。

煉瓦亭は、明治28年(1895)創業の老舗洋食店。

本来ならラードで焼くカツレツを、油で揚げ、日本のトンカツを考案したのも、それにキャベツ千切りを添えたのも、煉瓦亭が元祖と言われている。

池波正太郎が愛した店としても名高い。


バンビと相談し、スープは冷製コンソメとコーンポタージュを。

さらにトンカツとオムライスをもらって、シェアすることにした。

いかにも洋食屋という雰囲気を喜んだバンビは、さっそく撮影を始める。


ウスターソースで食べるトンカツは上品で、オムライスは、玉子でくるむのではなく、とろとろの玉子が御飯と絡み合うスタイル。

このオムライス、かなり大きい。


印象的だったのは、隣席で、ひとり食事をしていた50くらいの男性で、海老フライとオムライスを頼み、目を閉じて、ひと口ずつ味わっている。

煉瓦亭の洋食には、特別な想いがあるのだろう。


食事を終えて一階に降りたら、「城戸さん!」と声をかけられた。

なんと、思潮社編集部の出本喬巳氏だった。

思いがけないところで会うものである。



それから、松屋で買い物をしてから、竹橋の日本近代美術館へ。

この日は、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展の関連イベントとして、吉増さんと佐々木中さんのトークがあった。

ここでも、静岡大教授の山内功一郎氏、さらには京都の西原多朱さんと再会。

多朱さんと会うのは、10年ぶりだろうか。


2時間に及ぶトークも素晴らしかった。


トークのあとの吉増さんのサイン会には、長蛇の列が。


結局、この日は、吉増さん、佐々木さんと神保町のスペイン・バルで語り合ったのだが、刺激的で長い一日だった。
posted by 城戸朱理 at 13:51| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

和合亮一氏、岩手県大槌町の「風の電話」へ

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岩手県の大槌町の海を見下ろす岡に「風の電話」がある。

電話ボックスのなかにあるのは、回線がどこにも繋がっていない電話機とノート。

これは、ガーデニング・デザイナーのSさんが、亡くなった従兄弟に想いを届けるために設置したものなのだが、東日本大震災のあと開放され、亡くなって会えなくなった親しい人に想いを伝えようと、訪れる被災者があとを絶たない。


かねてから、「風の電話」に行きたいと言っていた和合亮一氏が、大槌町を訪れ、Sさんの話を聞く「友心」のコンテンツの撮影は、柳美里さんの只見ロケに続いて行われた。

私は、福島市でスタッフと合流、翌朝、和合氏の自宅を訪ね、さらに水田が広がる福島県の最南端でのロケのあと、岩手県大槌町に向かった。

車で5時間の強行軍である。


和合くんの書斎も、初めて拝見したが、見事なまでに本がない。

本は実家の書庫に置いているのだとか。

大震災のあと、「詩の礫」を書いて発信したというPCも見せてもらったが、和合くんは余震のたびにPCを抱えて庭に出て、「詩の礫」を書いていたのだという。


「風の電話」でのロケのあとは、船越湾で朗読シーンを撮影した。

ちなみに、井上ひさしの小説『吉里吉里人』の舞台、吉里吉里は、大槌町の地名である。


この番組は、すでに完成しているが、「風の電話」のボックスのなかで、思わず涙ぐんだ和合くんの姿が、印象的だった。


大震災の傷は、いまだに癒されてはいない。

それは、生き残った者が、死ぬまで抱えていくしかないものなのだろう。

微力でも、私も、そのことを伝えていきたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 07:47| Edge | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする