サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ

2016年11月11日

冬を迎えて



朝晩は、ずいぶん冷え込むようになった。

鎌倉では、いきなり、冬を迎えたような空気が張り詰めている。


芸術選奨と読売文学賞の推薦依頼も届いているし、「週刊文春」の「ミステリー・ベストテン」のアンケートも届き、年の瀬という気分も強くなってきた。


11月5日は、「岩手日報」投稿欄の入選作品を選び、2回分の選評を執筆。

翌日は、入選作品を宅急便で送り出し、真保裕一『脇坂副署長の長い一日』(集英社)を再読、講談社の「週刊 現代」に依頼された書評を書く。


夜は、ローライ同盟の次回、撮影会の打ち合わせで、バンビことパンクな彼女が吉増剛造さんに電話したのだが、私も、久しぶりに吉増さんの声を聞いた。

吉増さんは、ロサンゼルスでマイケル・パーマー夫妻に会ったとのこと。

パーマー氏は、山内功一郎氏が『マイケル・パーマー』で、鮎川信夫賞を受賞したことをたいへん喜ばれていたそうだ。

それから、ニューヨークに移動した吉増さんは、ジョナス・メカスと再会。

「メカスは、ばんばん映画を撮ってたよ。
われわれもあきらめちゃいけないね」と吉増さん。

ジョナス・メカス、94歳にして、いまだ現役とは!

来年、春夏秋冬、京都で4回、吉増さんと私が対談するという企画が実現しそうなので、それをお伝えしたら、「夢が叶ったねえ」と吉増さんも喜ばれていた。

翌朝、喜びの声を記したFAXが、届いたほどである。


ローライ同盟の撮影会の件で、鎌倉文学館館長の富岡幸一郎さんに連絡したら、快諾してくれたので、次の撮影会は、鎌倉文学館が起点ということになりそうだ。

ちなみに、吉増さんから提案があったローライ同盟の次回のテーマは、「自分の今年一年を振り返る」である。


7日は、書評原稿を見直し、文字数を調整してメールしてから、「現代詩手帖」12月号「年鑑アンソロジー」のための詩篇をFAXし、スーツに着替えて、青山のテレコムスタッフに向かった。


4時から「Edge 暁方ミセイ篇」の試写。

撮影は、横浜で、富士の樹海で、さらには中国、雲南省で行われた。

雲南省の省都、昆明から南下して、ベトナムとの国境の元陽に向かい、そして、元陽から夜行列車で10時間、850km離れた少数民族ナシ族の古都、麗江に向かうという過酷なスケジュール。

さらに、ナシ族が崇拝する神々の山、玉龍雪山に登る。

5596mの山頂は、いまだに未踏峰だが、暁方ミセイさんと平田潤子ディレクターは、なんと標高4680m(!)の展望台まで登ったという。

暁方さんは、高山病でふらふらになりながらも健闘し、帰国してから七篇もの新作詩を書き上げてくれた。

もっとも、雲南省は、暁方さん自身の希望で、私が提案したのは、韓国の慶州、平田ディレクターが提案したのはタイのバンコクだったのだが。


「Edge 暁方ミセイ篇」の音楽は、今のところ、平田ディレクターが愛してやまない武満徹の楽曲を当ててあるが、著作権の関係上、使うことができない。

幸運にも、暁方さんの第一詩集『ウィルスちゃん』からの愛読者だという作曲家、大友清心(きよみ)さんが作曲してくれることになり、平田ディレクターが連絡を取りながら進めているところである。


試写終了後は南青山のしまだで打ち上げ。

しまだは、一時期、テレコムスタッフの社員食堂化していたが、Edgeのプロデューサーでテレコムスタッフ社長の寺島高幸さんも久しぶりだという。

「世界の車窓」からを立ち上げ、近年は「世界の街道をゆく」の撮影のため、一年の大半を海外ロケに過ごす狩野喜彦ディレクターと、宮内撮影監督とも久しぶりに再会した。
posted by 城戸朱理 at 15:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする