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城戸朱理のブログ

2016年11月22日

新保祐司さんの新著を祝う集い@銀座ライオン

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文芸評論家で都留文化大学副学長の新保祐司さんの新著『「海道東征」への道』(藤原書店)と『散文詩集 鬼火』(港の人)の出版を祝う会が、11月17日に、銀座ライオンで催された。


新保さんが、詩を書いていたのは知らなかったが、『散文詩集 鬼火』は、22〜23歳のとき、新保さんの東大時代の作品だという。


パーティーは、作家、辻原登さんの挨拶から始まった。

「百年後に残る作品は、叙事詩だけです」と辻原さんは、新保さんの仕事の叙事詩性を讃えたが、
「叙事詩」の例として挙げられたのが、大佛次郎『天皇の世紀』で、辻原さんは、詩そのものではなく、作品の叙事詩性に着目されていることになる。


評論家、川本三郎さんの洒脱なスピーチのあと、評論家、西尾幹二さんも挨拶に立たれたが、西尾先生の世代にとって、小林秀雄は触れることがタブー視されるほど、巨大な存在だったことが、印象深かった。


会場には、澁澤龍子さんや富岡幸一郎さん、芦澤泰偉さん、倉和男さん、石川洋一さん、ジャズシンガーの阿川泰子さんなど鎌倉組の顔ぶれも。

やはり、鎌倉在住の政治学者の御厨貴さんの姿もあったが、斗夜子夫人とも初めてお会いした。


ふだんのパーティーとは顔ぶれも違うし、年齢層も高い。

いささか緊張する会だったが、御主人の著作をまったく読んだことがないという新保智子夫人が、「みなさんのお話を聞いて、新保が、どんな仕事をしていたのか分かりました」と感銘を受けられていた様子が素敵だった。
posted by 城戸朱理 at 11:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「禅――心をかたちに」展@東京国立博物館

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上野公園は、木々が色づき始めていた。

東京国立博物館で開催されている「禅――心をかたちに」展は、臨済禅師御遠忌1150年、白隠禅師御遠忌250年記念するもの。


唐の臨済義玄は、言うまでもなく、中国・臨済宗の開祖。

「五逆聞雷」、五逆の大罪を犯した者が、百雷を聞くがごとき厳しい棒喝で知られ、その言行は『臨済録』にまとめられている。


白隠は、「五百年間出の大徳」と呼ばれる江戸時代、臨済宗妙心寺派の禅師である。


禅は、6世紀初頭に達磨が中国に伝え、唐代、宋代に隆盛を迎えた。

中国の禅宗は、五家七宗に分かれるが、そのうち臨済宗を栄西が、曹洞宗を道元が、鎌倉時代に日本に伝えた。

ただし、日本の曹洞宗は、中国曹洞宗とは別のものであり、道元を開祖とする宗派と考えるべきだろう。

その背景には、道元の透徹した言語と世界への認識があるのは言うまでもない。


さらに、禅は中国では廃れ、日本だけに残されることになったことも興味深い。


「禅――心をかたちに」は、会場を回るだけで、禅宗の特徴を感得できる貴重な展覧会だった。

、仏教であるのに、禅宗においては、仏像は展示の中心にはならない。

もっとも多いのは、開山や高僧の画賛であり、あくまでも修業者の系譜によって宗門が成立していることが分かる。


禅の基本概念、「不立文字」「教化別伝」は、経典に記述されているところに仏道はなく、
「直指人心」「見成仏性」は、禅が目指すべき境涯をただちに把握、実践して大悟に至ることを言うものだが、
その意味では、大乗仏教諸宗のなかで、禅とは、時代と風土に即した方法で、釈尊に回帰する仏教のラディカリズムだったのだと言えるだろう。


釈尊の時代、初期仏教から上座部の仏教においては、出家修業者は働かず、托鉢によって食を得たが、中国の禅宗は人里離れた山中に僧堂が作られたため、僧侶も作務として自給自足の生活を営んだ。

8世紀、百丈懐海の「一日作(な)さざれば一日食らわず」とは、そのことを言うものである。


また、禅は、絵画や茶の湯にも大きな影響を与えたので、会場には、大巧如拙「瓢鮎図」を始めとして、雪舟等楊、雪村周継、長谷川等泊、狩野探幽らの絵画、
そして、油滴天目茶碗、大井戸茶碗の銘「有楽」など、国宝、重要文化財の茶道具まで観ることができた。

千利休以前、茶の湯で茶碗の首座とされた井戸茶碗は、国宝の銘「喜左衛門」、重要文化財の銘「筒井筒」などがあり、銘「有楽」もバランスの取れた名碗として名高いが、実物は、図録で見るよりも、何やら、あっけらかんとしていて、私には、それが面白かった。


さらに「平安の秘仏――滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」展を観て、会場を後にしようとしたら、バンビことパンクな彼女が、「写真を撮ってあげて!」と言うので、見たら、バンビが羅漢像のパネルから顔を出しているではないか。

パンクだけに、こういう機会は、決して逃さない。

いよいよ、注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 09:28| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

焼肉ハウス・暖家

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初のソロ公演と誕生日をお祝いすべく、予約したのは立川の焼肉ハウス、暖家(だんけ)。

以前、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)、定方まこと両氏と行ったことがあるのだが、肉質が良く、後々まで鯨井くんが「あの肉!」と記憶を反復していた店である。


笠井叡さんの天使館は国分寺にあるため、天使館のメンバーは、国分寺周辺に住んでいる人が多い。

鯨井くんとは、一昨年など、ほぼ月に一度のペースで飲んでいたが、鎌倉でなければ、国分寺か立川で会うことが多かった。


待ち合わせは、7時。

まず鯨井くんと野口泉さんが現れ、少し遅れて定方まことさんも合流した。

泉さんは、オイリュトミストらしく、シュタイナーを読んで、体調を整えるために、2か月、菜食にしていたので、肉を食べるのは久しぶりだという。



ナムルとキムチを頼み、まずはビールで乾杯。

暖家は、黒毛和牛の専門店だが、最初に和牛A5等級の6種盛り合わせを頼んだ。

これは特上のカルビやロース、ミスジにハラミやタンが盛り合わせになったもの。

さらに、モツ4種盛りをタレと塩でひと皿ずつ。


「灰のオホカミ」制作の裏話を聞きながら、バンビと私が焼き方を担当し、順番に焼いていく。


「謙太郎くんは、具体的な指示ではなく、夢みたいなことばかり言うんで困りました」と笑いながら、泉さん。

すると、定方さん、「それで、泉さんはスタッフみんなに、謙太郎くんの夢をかなえてやって下さいって、お願いしてたよね」。


夢を形にする、そんなふうにして、「灰のオホカミ」は立ち上がっていったらしい。


焼肉は、みるみるなくなっていく。

これだけサシが入った肉なのに、脂がもたれず、ふだんは焼肉を数切れしか食べない私でも、珍しく食が進んだ。


さらに、A4等級のカルビ、ヒレ、ミスジの盛り合わせ2皿を追加、目の前で次々と肉が消えていくのを見ているのは、痛快である。


最後はコムタンなど好みのスープと御飯をもらって締めたのだが、楽しい夜だった。
posted by 城戸朱理 at 09:21| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする