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城戸朱理のブログ

2016年12月31日

年末の連詩



「木挽町 大野」で茶懐石のあとは、お坊さんがやっているボウズ・バーへ。

作務衣姿のお坊さんが働いており、肴も豆腐や生麩、大徳寺納豆と精進料理。

お坊さんによる人生相談の時間もあり、ふた組の新婚カップルが、結婚生活の心得を尋ねていた。

阿弥陀如来が祀られていたから、浄土宗か浄土真宗のお坊さんがやっているのだろう。

たんなる忘年会ではなく、来年度の打ち合わせもできたのでよかった。


気づくと終電を逃し、タクシーで四谷から鎌倉に帰宅した。


そして、29〜30日は、片付けと大掃除である。


そうしている間にも、高貝弘也・田野倉康一・広瀬大志くんらとの連詩第三弾は進み、第三連へ。

連詩は、田野倉くんが自分の番なのを失念して止まり、高貝くんの後を受けた大志くんが、わずか3分で書き上げてメールするなど、緩急が激しいが、脳が沸き立つ感覚が続いている。

このまま、新年の連詩に突入することになりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 08:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みなさん、よいお年を!



世界の安全保証が揺らぎ始めるなか、日本は年末まで糸魚川市の大火、震度6弱の巨大地震と、揺らぎのなかにあるかのような一年でした。

来年は、さらに危機の水位が高まっていくことでしょう。

そうしたなかでも、現在を問われているのは余人ではないことを肝に命じて、自分の仕事に向かい合っていきたいと思っています。

来年も、よろしくお願いいたします。


それでは、みなさん、よいお年を!
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2016年12月30日

茶懐石「木挽町 大野」で、その2

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続いて、松葉蟹とチンゲン菜のお浸し。

これも昆布のみの薄味の出汁。


落花生がひとつ入っただけの小吸い物も同様の出汁で、落花生の味が見事に引き出されていた。

それにしても、徹底した引き算の料理である。


八寸はブロッコリーとカラスミ。

八寸としては破格だが、「木挽町 大野」では自家栽培の野菜を使っているのだとか。


香の物は白菜と人参が出て、おこげの湯斗は懐石の定番。


水菓子がイチゴ、最後がお汁粉だった。

ふと見たら、バンビがイチゴをお汁粉に乗せているではないか!?

「マッドバンビのお汁粉・ア・ラ・苺大福だよ!」
・・・・・・

これは、これで美味しそうだ(笑)。


食後は茶室に席を移して、お薄をいただく。

裏千家のお点前だった。


四谷の喧騒の一本裏通りでの茶懐石。

時間の流れが、変わっていく。
posted by 城戸朱理 at 11:42| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

茶懐石「木挽町 大野」で、その1

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面白い店があるからと、一日にひと組の客しか取らない茶懐石の店「木挽町 大野」に招いていただいた。

バンビことパンクな彼女も一緒に招待していただいたので、バンビは喜び「とっても茶懐石な子!」と訳の分からないことを言っている。


場所は四谷の路地で、隠れ家的な店である。


最初に向付が、いきなり本マグロの叩きだったのには意表を突かれた。

ミョウガに葱とワサビ、海苔が添えられ、御飯に百合根の味噌汁。

本来の茶懐石なら御飯はひと口だけだが、おひつが置かれ、自由におかわりできる。

この御飯、玄米を八分づきの自家精米したものだろうが、尋常ではない旨さ。

本マグロはカマトロの反対側、背の首の部位で、適度に脂が乗り、御飯がより美味しくなる。

木挽町の料亭に生まれたという御主人は、御自身が好むマグロを使われることが多いと聞いた。


お椀は甘鯛のかぶら蒸しで、驚いたのは出汁である。

鰹節を使わず、かすかに風味が聞こえるだけの澄んだ出汁は、引き出し昆布で取ったものだろうか。


焼物はかますの塩焼き。


強肴が小芋の田楽と鴨治部煮で、薄味のお椀、細工をしない焼魚に続いて、味のしっかりした料理を置くという配慮が嬉しかった。
posted by 城戸朱理 at 11:41| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神田古書店街で

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12月28日(水)は、ホテル・モントレ半蔵門をチェックアウトして、神保町に向かった。

年末の神田古書店街を歩き、13時半に天使館の鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)氏と、三省堂書店で待ち合わせる。

神田の老舗蕎麦屋、まつやに移動し、バンビことパンクな彼女も合流。

今年、定方まこと氏とのコルヴスの公演「親愛なるアルトーさんへ」で圧巻のダンスを見せたあと、初めてのソロ公演「灰のオホカミ」を成功させ、イッセイ・ミヤケのモデルまでつとめた鯨井謙太郎氏だが、
正月2日に初詣で鎌倉に来る予定なのに、年内にも会いたいという連絡を受けたので、まつやで語り合うことにしたのだ。


鯨井くんも蕎麦好きだが、まつやは初めてだという。

検事だったお祖父さんが、まつやを好きで、贔屓にしていたそうだ。


わさび芋、ウニ、焼鳥をもらってビールで乾杯し、大きな海老天2本の天種をもらって、熱燗に変える。


鯨井くんは、言語における形・音・義が、オイリュトミー的身体においてはどうなるのかを考えていたようで、刺激的な話をしながら、杯を傾けた。

まつやならではの天とじの抜き(海老天2本を玉子とじにした天とじ蕎麦の蕎麦抜き)をもらって、それを肴に飲み、締めは、せいろと鴨せいろ。

鯨井くんは、大海老の天ぷらを4本も平らげて、嬉しそうだったが、きっとお祖父さんも、海老天で飲み、蕎麦をたぐったに違いない。


昼から、しこたま飲んだので、3人で古書店を回り、夕方まで一緒に過ごした。
posted by 城戸朱理 at 11:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

年内最後の締切



12月26日(月)に、『火山系』からの一篇、「悪い土地」が掲載されている「現代詩手帖」1月号作品特集が届いた。

10年前に比べると、執筆陣の顔ぶれは、だいぶ変わった。

年を重ねて、いよいよ先鋭な詩人もいるが、全体的には、伸びていくさまざまな力と、衰えていく力が交錯する場となった感がある。

それは、そのまま「戦後詩」との距離にほかならないのだろう。


この日は、年内最後の締切となる原稿を執筆。

「現代詩手帖」2月号、ボブ・ディラン特集のためのエッセイである。

私が初めて買ったディランのレコード(CDにあらず!)は、1976年にリリースされた「激しい雨」と「欲望」だから、もう、40年も前のことになる。

昼すぎに書き終え、事実関係を確認してから編集部にメールし、さらに依頼されたコメントを書いた。

夕方から、久しぶりに居間に積み上げてあった本を整理したのだが、書斎は手つかずのままだし、寝室も本が山脈を成している。

どうにかしなくては。


27日(火)は、エッセイを寄稿した「東日本大震災復興支援文集 SYMPHONY 交響曲」が届いた。

寄稿者は、瀬戸内寂聴、梅原猛、山折哲雄、阿刀田高、内舘牧子氏ら、被災地と何らかの関わりがある方々で、「るろうに剣心」の大友啓之監督も執筆されている。

この文集は、高校に無料で配布されるもの。

編集の八重樫久美子先生、そして、編集委員会のみなさん、ご苦労さまでした。


夕方から、テレコムスタッフの平田潤子、熊田草平両氏と今後のEdgeのコンテンツを確認してから、打ち上げとなる。

場所は銀座、数寄屋橋のバードランド。

暁方ミセイさん、暁方篇の音楽を作曲してくれた小鹿紡さんを招いて、過酷な中国雲南省ロケの慰労会をした。

若いときに日参した店だけに、店主の和田利弘氏が出てきてくれる。

和田さんと私が話していたら、「よく、いらっしゃるんですか?」と暁方さん。

「ぜんぜん、来ない」(笑)と和田さん。

さらに「昔は、うちが週6日、営業していると、5日は来て飲んでた」と私の過去を暴露(笑)。

そう、あのころは、店を閉めてから、よく和田さんと飲みに行ったっけ。

あげくのはてに、バードランドに戻って、さらに飲んだりしたが、なにせ、酒は売るほどある。

ふたりで酔いつぶれ、椅子を並べて寝てしまったこともあった。

高貝弘也くんも、よくバードランドで酔いつぶれていたものである。


今や、和田さんのお弟子さんたちが次々と独立し、銀座バードランドのみならず、千住のバードコートもミシュランガイドで星を獲得している。

奥久慈軍鶏の焼鳥から、締めの親子丼、鴨御飯、デザートのプリンとライスプディングまで、相変わらず見事なコースだった。

バードランドのあとは、資生堂のバーSで、カクテル。


翌日も東京で所用があったので、私は、ホテル・モントレ半蔵門に泊まった。
posted by 城戸朱理 at 21:51| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

クリスマス・プレゼントが届いて

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クリスマス・ディナーが終わると、次は正月という気分になってしまうが、クリスマス当日に、バンビことパンクな彼女が、「今日、城戸さんにクリスマス・プレゼントが届くよ!」と言い出した。

バンビが手配してくれたプレゼントは、モエ・エ・シャンドンとリーデルのクリスタルのシャンパングラス2客。

これで、クリスマスに乾杯しようと考えたらしい。

そして、夕方、バンビはサンタピカチュウを探しがてら、買い物に。

クリスマス、25日も6時を回ると、クリスマスの食材は、すべてセールになる。

バンビは、それを狙って、紀伊国屋で、野菜のテリーヌ、トリュフ風味のフォアグラ・メダイヨン、ボンレスハム、オマール海老のテルミドールに、丸鶏まで捕獲して(?)帰ってきた。


「さあ、お家でシャンパンを開けて、クリスマス・パーティーだよ!」


バンビは茸のソテーとサラダを作り、買ってきた惣菜を並べたのだが、たしかに、それだけでパーティーのような賑やかさになる。


丸鶏を調理するのは、私の仕事。

今回は、お腹にバターライスを詰めてローストした。

ちなみに、クリスマスには鶏料理というのは日本だけの慣習で、欧米の人には奇異に映るらしい。

丸鶏のローストを盛った皿は、10年ほど前に、福岡で高橋睦郎さんに連れていってもらった蘇鐵という骨董屋で求めた戦前の白磁オーバル皿。

大正から昭和初期の瀬戸産だろう。

丸鶏や英国風のフィンガーサンドイッチをたくさん作ったときにしか登場しないが、大皿は存在感があるので、豊かな気分になる。
posted by 城戸朱理 at 09:37| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

辻協『存分に恵みの食卓』(文化出版局)

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古書店で値がつかないものと言えば、料理本である。

基本的には実用書だから当たり前だが、それも江戸時代の料理本となると貴重な食文化の歴史的資料になるわけだし、明治から昭和初期のものならば、今となっては分からない当時の食卓の様子を伝えるものとして、別の価値を持つことになる。

そうなると古書たりうるわけだが、そうではない、ここ30年ほどの料理本は格式の高い古書店では決して扱わないし、BOOK・OFFあたりに流れてしまうのが現実だろう。


しかし、そうした料理本のなかにも見逃しがたいものがあったりする。

私にとって、辻協『存分に恵みの食卓』は、そんな一冊だ。

辻協さんは、辻清明夫人。
辻清明といえば、信楽焼きの名工として名高い。

「別冊太陽」で特集が刊行されたほどの人気陶芸家で、酒を愛し、酒器を始めとする骨董の収集家としても知られた。

辻協さんはやはり陶芸家で、料理が映える器を作り、人気があった方である。


この本のどこが面白いかというと、陶芸家の暮らしと眼差しがあちこちに感じられることだろう。

辻夫妻が奥多摩に登り窯を築いたのは、昭和30年(1955)のこと。

当時はガスも電気もなく、蝋燭を明かりに、料理は囲炉裏で。

近所の農家のおばさんに教えてもらって、芋や野菜を育て、多摩川で雑魚を獲る半陶半農の生活を営んだという。

そんな暮らしのなかで育まれた料理を紹介する本だから、よくある料理本とは一線を画する。


春ならば摘んできた野草で、鮭と野草の柿の葉包み寿司、野草の天ぷら、かたくりのお浸し、山うどの酢味噌煮和え。

裏庭に出た筍で筍御飯を炊き、竹皮包みの中華ちまきを作り、筍のおから詰めをあつらえる。

初夏の鰹は、丸ごと一尾を買って、酒煮、しょうが煮、焼き鰹のサラダと、中落ちやカマまで無駄にしない。

作った料理は古器を交えた自作の器に盛り付けて、家族に来客に供する。

陶芸家の暮らしを垣間見るようで、それが、また、楽しい。


辻協さんの本は、20年ほど前にも別の料理本を持っていたのだが、仕事関係で貸し出したところ、紛失してしまった。

当時は、本を見て、蕎麦の実の雑炊や牡蠣の黒胡椒炒り、さらにはアップルパイなどを作ったが、素朴ながら滋味あふれる料理が手軽に作れるものだから、重宝したのを思い出す。

つまり、実用書としても役に立ったことになる。


『存分に恵みの食卓』は、先日、入手したものだが、手放しがたい一冊になりそうだ。
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2016年12月26日

誰にも言わない仕事を



吉増剛造さんは、編集者はもちろん、誰にも言わずに続ける仕事をひとつは持つべきだと語っていた。


それは、もはや世間で言うところの「仕事」ではないだろう。

私などは、ジョン・ラスキンや瀧口修造を思い出すのだが、ふと思い立って、止むに止まれず、ひそかに継続する仕事、と言えばいいだろうか。

そして、その「仕事」とは、原稿を書くことでさえないのかも知れない。


私も、かねてから夢想している仕事がある。

来年は、その「ひそかな仕事」を始めるのが、私の目標である。

もちろん、誰にも言わずに。
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2016年12月25日

ミッシェル・ナカジマのクリスマスディナー、その3

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ボルドーの赤ワインを追加して、いつものように、デセールの前にフロマージュをもらう。

私はシェーブル、バンビはロックフォール。

添えられたトリュフの香り高い蜂蜜が、チーズをさらに味わい深いものにしてくれる。


アヴァン・デセールは赤い実のフルーツのスープ仕立て、ヨーグルトのソルベ添え。

ベリーの酸味に目が覚めるようだった。

そして、グラン・デセールは、ママレードを敷いたチョコレートのフィアンティーヌとババロア。

柑橘類の酸味と濃厚なチョコレートのハーモニーが、癖になる。


コーヒーはダブル・エスプレッソを頼み、シュトレーンは包んでもらって、持ち帰ることにした。


クリスマスディナーは7時から、なんと3時間半。

去年までは、シャラン産の鴨やランド産アワビに栗に茸など、フランスから取り寄せた食材をふんだんに使っていたが、今年は鯨やゴボウに芽ネギなと、日本の食材に挑戦していたのが印象に残る。


最後に、恒例の中嶋シェフとバンビの記念撮影をして、帰途に着いたのだが、今年からクリスマスのランチも始めたらしい。

メニューもディナーとは若干、違うらしいから、来年は、ランチにも行ってみよう。
posted by 城戸朱理 at 11:52| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミッシェル・ナカジマのクリスマスディナー、その2

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魚料理は、鬼怒川産ヤシオマスのムニエルで、岩手産牡蠣のソース・ヴェルモット。

ふっくらとした牡蠣とヤシオマスの加熱が絶妙で、牡蠣のエキスが風味が加わったヴェルモットとバターのソースがまた、素晴らしかった。


メインの肉料理は、木の子を詰めたウズラのロースト、赤ワインソース、
山形牛サーロインのグリル、トリュフソースをひと皿ずつもらって、シェアする。


マッシュルームを詰めた軽やかなウズラと、どっしりとした牛サーロインを赤ワインを飲みながら、交互に試して、バンビは御機嫌だった。
posted by 城戸朱理 at 11:48| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミッシェル・ナカジマのクリスマス・ディナー、その1

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中嶋秀之シェフが奥様とふたりで、ミッシェル・ナカジマを開店したのは11年前。

翌年からクリスマス・ディナーを始めたので、私とバンビことパンクな彼女は、この10年間、毎年、欠かさずクリスマスの特別メニューを予約していることになる。


なにせ、バンビことパンクな彼女が、11月あたりから、「今年のミッシェルさんは、どんなメニューかな?」と楽しみにしているので、予約しないわけにはいかない。

クリスマスにかこつけた、わが家の年中行事のようなものだろうか。

2011年のミシュラン・ガイドで、鎌倉のフレンチとしては唯一、星を獲得したときのクリスマスディナーは、ひときわ華やかだった。


まずは、シャンパンの原型となったブランケット・ド・リムーをボトルでもらう。

アミューズは、青ネギの寒天寄せに備前の生クラゲ、パブリカ、クスクスをあしらったもの。

かすかに酸味があるサボテンのジュースのドレッシングで、生クラゲの食感が楽しい。


前菜ひと皿目は、グリルした鰻を詰めたフォアグラのメダイヨンで、エキゾチックなチャツネとヘーゼルナッツのメレンゲの粉が添えられている。

ひと皿目から、バンビは大興奮。


ふた皿目の前菜が、ナガス鯨のトマト煮込みとほうれん草のニョッキで、芽ネギが添えらている。

中嶋シェフが鯨を使うのは初めてで、しかもゴボウの香りが。

これは筋がなく柔らかい兵庫県日高町の在来種、赤崎ゴボウと聞いたが、ショウガではなく、ゴボウで鯨の癖を消すとは、さすがである。

おまけに――お皿が黒い。

ミッシェル・ナカジマは、内装もテーブルクロスもお皿も、すべて白で、料理だけが色どりだったのだが。

「シェフが黒いお皿を使ってみたいと言うので、今年、揃えたんです」とマダム。

白づくめの店内で、黒いお皿と鯨が、新鮮だった。


そして、最後の前菜が、バースニップのフォンダンとオマール海老のコンソメゼリー、赤海老のマリネとアブルーガキャビア添え。

バースニップは、セリ科の二年草で、見た目は白い人参のようだが、甘みが驚くほど強い。

それが、濃厚なオマール海老のジュレと一緒になると、口のなかで凝縮された旨みが溶け出すようで、バンビが目を丸くする。

マリネしてある赤海老もキャビアも素晴らしい。

「おかわりしたいね!」とバンビ。


前菜だけで、フルコースをいただいたような満足感がある。
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サンタピカチュウ、次々に!?

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ポケモンGOのクリスマスヴァージョン、サンタピカチュウ。

10匹捕まえるのを目標にしたバンビことパンクな彼女は、毎日、ピカチュウ探しに余念がない。


10月22日には、日中、鎌倉駅周辺で2匹を捕獲して、くるくる踊りながら帰ってきた。


この日の夕食は、ステーキと寄せ鍋。

食後、入浴していたバンビからLINEで、写真が送られてきた。

これは――サンタピカチュウではないか!


「おふろにピカチュウがきたよ!」

わが家のお風呂に、サンタピカチュウが出現したらしい!?

バンビは、ポケモンが喜ぶ「ズリのみ」をあげてから、強力な「ハイパーボール」でピカチュウを捕獲。


しばらくすると、またもやLINEでピカチュウの写真が。

「ピカチュウが、鍋を食べにきたよ!」

見ると、食卓の鍋のうえで、サンタピカチュウが跳ねているではないか。

「楽しそうなピカチュウ!」

このピカチュウも捕まえ、この日一日で、バンビは4匹のピカチュウ捕獲に成功した。

サンタピカチュウが出るのは、今月の29日まで。

目標の10匹まで、あと4匹――
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2016年12月24日

書物をめぐる連詩、完成!



高貝弘也、田野倉康一、広瀬大志、城戸朱理による連詩、第二弾が12月22日に完成した。

この連詩は、忘年会のときに「古本屋で求めた思い出の一冊」を持ち寄ったところから始まったものだが、
田野倉康一くんが、竹橋の国立近代美術館で開催されている山田正亮展のギャラリートーク出演のため、数日、執筆の時間が取れず、
若干、ペースダウンしたものの、結果としてはクリスマスまでという予定より早く完成することになった。


第三弾は、新年から始めることにしていたのだが、ここまで続くと連詩の催促がないのは淋しいという声があがり、結局、第三弾を始めることに。

今度は、全員の詩集タイトルをリスト化、詩集名を織り込んだ連詩を試みることにして、23日に広瀬大志くんからスタートした。

目標は、年内の完成である。
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フェリス女学院大学、日本文学研究会で講演



フェリス女学院大学では、学生が自発的に組織した日本文学研究会があって、熱心に活動している。

発表会には、教授も参加するのだが、この熱気な何だろう?


会長の奥村七海さんと、いつか私も講義に行く約束をしていたのだが、12月20日に実現した。

講義は、18時半から。

テクストは、宮沢賢治の詩二篇をコピーで配布し、言葉とは何か、世界の諸言語を貫く特性とは何かから語り始め、賢治の詩について、一時間語った。

学生のみなさんは、熱心にノートを取りながら、聴講してくれたが、フェリスらしい華やかな学生諸君の文学愛には、いつも心地よいギャップを覚える。


終了後は、駅前の居酒屋で打ち上げになったのだが、私の郷里のIBC(岩手放送)のアナウンサー枠で就職が決まった学生がいて、驚いた。

アナウンサー枠も含めて、新卒採用3人という狭き門である。


島村輝先生とタクシーで東戸塚駅に出て、横須賀線で鎌倉に戻り、クルベル・キャンで、カクテル。

この日は、同僚と忘年会だったバンビことパンクな彼女も合流した。
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2016年12月23日

古書店の均一棚からの掘り出し物

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古本屋の店頭にある均一台から、面白い本を掘り出しすのは、古書店巡りの楽しみのひとつだろう。

50年前、40年前であれば、均一台から、菱山修三の詩集や永田耕衣の句集が見つかることもあったそうだが、本来ならば高値を呼ぶ本が安く見つかるという意味での掘り出しではなく、先日、紹介した『戦後詩誌の系譜』のように、存在自体を知らなかった本と出会ったり、思いがけない本が見つかったりするのも、均一台ならではの掘り出しだと思う。


均一台と聞いて、私が思い浮かべるのは、まず、神田の田村書店、そして、荻窪のささま書店だが、神奈川県なら、藤沢の太虚堂書店の店頭ワゴンも面白い本が見つかることが多い。


ささま書店は、詩集も少なくないのが特徴だろうか。

一時期、毎日のようにささま書店を覗いていた田野倉康一くんによると、佐々木幹郎『死者の鞭』の限定著者本が、100円の均一ワゴンに並んでいたこともあるそうだ。


個人的には、田村書店の均一台で、吉田健一・平井正穂監修『エリオット選集』別巻(彌生書房)を見つけたときや、『現代フランス文学13人集』全四巻(新潮社)、『田村隆一 詩と詩論』全四巻、(思潮社)、単行本化されていないカフカ未完の長篇『アメリカ』を収録する『カフカ全集』第四巻(新潮社)を見つけたときは嬉しかったし、太虚堂書店で見つけた『一休 狂雲集』(徳間書店)などは座右の書になった。


しかし、均一台から掘り出した思い出深い「この一冊」となると、やはり、写真のブラム・ストーカー『魔人ドラキュラ』(創元社、1956)だろう。

これは荻窪に住んでいたころ、駅前の岩森書店のワゴンで見つけたもので、400円だった。

『魔人ドラキュラ』は、創元社が刊行していた世界大ロマン全集の第三巻で、平井呈一による本邦初訳。

このシリーズでは、H.G.ウェルズの『透明人間』も後日、求めたが、シェリー夫人による『フランケンシュタイン』と並ぶ西欧怪奇小説の古典『ドラキュラ』の原作は、想像していたのより、はるかに大向こうを唸らせるような俗っぽさに満ち満ちたゴシック・ホラーである。

余談だが、作者のブラム・ストーカーは、ダブリン大学トリニティカレッジ時代にオスカー・ワイルドとも交友があったという。


女性吸血鬼が登場するシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872)、そして、その影響を受けながらも、吸血鬼の代名詞ともなったブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897)。

19世紀のこうした作品から、その後、ヴァンパイアがホラーの普遍的なモチーフになっていったことを思うと、ブラム・ストーカーのイマジネーションは、今なお息づいていることになる。

それにしても、吸血鬼という発想は、やはり、狩猟民族で肉食文化の西欧ならではという感を強くするのだが。
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2016年12月22日

サンタピカチュウを探して???

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ポケモンGOが、クリスマス・ヴァージョンになった。

喜んだのは、バンビことパンクな彼女である。


「サンタピカチュウを捕まえたよ!」


送られてきた写真を見たら、ピカチュウがサンタ帽をかぶっているではないか。

ふだん、鎌倉にはピカチュウは出ないので、クリスマスのサービスなのだろう。

ところが、それ以来、夕食時でも近所にピカチュウが出ると、バンビはパタパタと出かけてしまうようになってしまった。

鎌倉の夜は暗いので、私も付いていかざるをえない。


だが、ピカチュウならハワイで捕まえて、さらに鎌倉の紀伊国屋でサンタピカチュウを捕まえたではないか。


「10匹くらい捕まえるんだよ!
ピカチュウは、かわいいからね!」
・・・・・・


バンビが捕まえたピカチュウは、今のところ3匹。

あと7匹捕まえるまで、夜間の外出は続くことになるらしい――


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 10:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

仮面ライダーとW.B.イェイツ詩集

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以前、厚生労働省の機関誌「労働時報」に2年間、エッセイを連載したことがある。

その連載で「仮面ライダー」のことを書いたのは、平成の仮面ライダー・シリーズの第1作「仮面ライダークウガ」(2000〜2001)、第2作「仮面ライダーアギト」(2002)に続く第3作「仮面ライダー龍騎」(2002〜2003)放映中のこと。

石ノ森章太郎の原作から離れて、一作ごとに新たな世界観を作っていく平成のライダー・シリーズの物語世界は、私にも刺激的だった。


平成の仮面ライダーは、「クウガ」のオダギリジョー、葛山信吾、「アギト」の賀集利樹、要潤と人気俳優を輩出したが、その後も「仮面ライダー555(ファイズ)」で脇役ながら好演した綾野剛、「仮面ライダー カブト」を演じた水嶋ヒロ、「仮面ライダー電王」の佐藤健、「仮面ライダーフォーゼ」の福士蒼太と、若手俳優の登竜門になった感がある。


それはともかく、私が見たのは「仮面ライダー龍騎」までだったので、Amazon VIDEOで、寝る前に、それ以降のシリーズを少しずつ覗いてみることにした。

驚いたのは、「仮面ライダー555」(2003〜2004)である。

かなり複雑な物語なのだが、要約すると次のようになる。

人類の進化形たるオルフェノクが生まれ、彼らは圧倒的に数が多い人類の殲滅を計画する。

その背後にあるのが、日本最大の企業、スマートブレイン。

スマートブレイン社は、すでにオルフェノクに支配されており、いずれ誕生するオルフェノクの王を守るため、555、カイザー、デルタ、三つのシステムを作り出す。

このベルト型のギアを身につけたものは仮面ライダーに変身できるのだが、劇中、「仮面ライダー」という言葉は一度も登場しない。

これは、「クウガ」や「アギト」を踏襲したのだろう。

必ずしも、すべての人間が変身できるわけではないのだが、555ギアを身につけたものは、仮面ライダー555に変身しうるわけで、主演=仮面ライダーという固有性があるわけではなく、あくまでもギアであるところが新機軸、
さらに、3本のベルトが、オルフェノクではなく人間の手に渡ったことによって、人類を守ろうとする3人の仮面ライダーとオルフェノクの闘いが繰り広げられる。

おまけに、オルフェノクのなかにも人間との共存をはかり、人類を守ろうとする者が現れたり、人間と思われていた主要登場人物までオルフェノクであることが判明するなど、回が進むにつれて物語は、ますます錯綜を深めていく。


ざっと、こんな話なのだが、劇中、ラッキー・クローバーと呼ばれ、オルフェノクのなかでも最強の4人が登場する。

そのうちのひとりが、いつも本を携えているのだが、エピソード14で、初めて画面に登場するその本が、なんと『海外詩文庫 イエイツ詩集』(思潮社)なのだ!?

さすがに翻訳では様にならないと思ったのか、物語が進むと、黒い表紙の英語版イエイツ詩集に変わるのだが、イエイツ詩集であることは、ずっと変わらない。

そして、イエイツ詩集で攻撃をかわしたりするのだから、唖然としてしまった。


仮面ライダーに、W.B. イエイツ詩集……

それにしても、なぜ、イエイツなのだろう?

脚本家の趣味だろうか、それとも監督が選んだのだろうか。


クリント・イーストウッド監督・主演の「マジソン郡の橋」では、イーストウッドがイエイツの詩を暗誦するシーンがあったし、
リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが共演したゲイリー・マーシャル監督の「プリティブライド」でも、リチャード・ギアの自宅のデスクにイエイツ詩集が置かれていたりしたが、まさか、仮面ライダーにイエイツ詩集が登場する日が来るとは思ってもみなかった。

かくして、別の謎が深まっていく(?)。



写真は、私の手元にあるイエイツ詩集。


「ラスト・ロマンティック(最後のロマン主義者)」と呼ばれたイエイツが、私設秘書であった若き日のエズラ・パウンドの影響もあって、象徴主義の詩人へと変貌した後期の代表作、『塔』(1928)『螺旋階段その他の詩』(1933)、そして、『自伝』(1926)、いずれもマクミラン版初版である。


『自伝』には、21歳のときのイエイツの肖像のエッチングが扉に収録されているが、これはアイルランド・アカデミーの会員でもあった画家にして詩人の父、ジョン・バトラー・イエイツのドローイングによるもの。

『塔』と『螺旋階段その他の詩』は神田で求めたものだが、『自伝』は、今はなき京都のアスタルテ書房で出会ったもので、洋書といえばフランス語の本が中心の店だったから、予想外の安値だった。

アスタルテ書房がなくなってしまったので、京都で立ち寄る場所がひとつなくなってしまったのは、やはり淋しいものがある。
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2016年12月20日

泣きっ面に蜂?



ローライ同盟撮影会の翌日、13日(月)は完全に二日酔いで、バンビことパンクな彼女は夕方まで起きられなかった。

しかも、私は風邪までひいたらしい。

こうなると泣きっ面に蜂というヤツだが、とにかく横になっているしかない。


だが、14日は締切があるので、起きて仕事をした。

元旦の朝刊に掲載される「岩手日報」新年文芸の選評を書き上げてメールし、入選作を宅急便で手配して、「現代詩手帖」1月号、作品特集のゲラを戻す。

さらに余勢をかって、高貝弘也・田野倉康一・広瀬大志くんと進めている連詩、第二連の最初のパートを書き上げてメールした。


日曜日に帰宅してから何にも手をつけられずにいたので、衣類を片付け、洗い物を。

さらに風邪のひきかけのときは、スパイスが効くので、クミンシードとショウガを炒め、ドライカレーを仕込んで食事してから、ようやく横になったのだが、幸い熱はないので悪化することはないだろう。

熱にうかされているわけではないので、本も読める。


この日のうちに、「思い出の一冊」から始まった連詩は、高貝弘也、広瀬大志くんまで進んだ。
posted by 城戸朱理 at 00:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

ローライ同盟、公文堂書店に寄る

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ローライ同盟赤ちゃん撮影会のあと、由比ヶ浜通りの古書店、公文堂書店にみんなで立ち寄った。

公文堂書店は、いかにも鎌倉の古本屋で、都内の古書店より黒っぽい本が多い。

「黒っぽい本」とは古書業界の用語で、刊行から数十年の時間を経た本のこと。

それに対して、刊行から時間が経っていないものは「白っぽい本」と呼ぶ。

それだけに珍しい本が多く、全員、いささか興奮気味で、菊井崇史さんなど「面白いですね。ずっといられますね」と嬉しそうだった。


吉増剛造さんは、1985年に国立近代美術館で開催されたゴッホ展の図録を購入。

ゴッホの厚塗りのマチエールがよく再現された印刷で、忘年会の席上、回覧し、ひとしきりゴッホの話題となった。

井原靖章さんは、グラフィックデザイナーという仕事柄、印刷にも敏感で、やはり、昔の図録のほうが印刷がいいものが多いため、神田の源喜堂書店で、古い画集や図録をよく求めると語られていた。

私も、好きな画家のコロタイプ印刷の古い画集を見つけたら、求めるようにしている。

ガラス板を使用するため、玻璃版とも呼ばれるコロタイプ印刷は、小部数の印刷に向く版画の一種で、美術品の複製にもっとも適している。

源喜堂で、ヒエロニムス・ボッシュのコロタイプ印刷の図版を貼り込んだ画集を見つけたときは、嬉しかったな。


「もう十分に見たから、バンビに上げる」と吉増さんが言い出し、ゴッホの図録は、その場で、バンビことパンクな彼女のものに。

すかさず、バンビがサインをお願いしたら、吉増さんは「GOZO」の「G」と「Van Gogh」を並べて書いてから、黄色のダーマトグラフでドローイングを描いて下さった。

それを見て、羨ましがった菊井さんには、吉増さんが長年、愛用していた細軸のモンブランをプレゼント。

しかし、吉増さんのジャケットの内ポケットには、いったい何本のペンが入っているのだろうか?


私が、公文堂書店で求めたのは、佐藤春夫『極楽から来た』(1961、講談社)と川端康成『骨拾い 掌の小説』(1975、ゆまにて)の2冊。

『極楽から来た』は、浄土宗の開祖、法然上人の伝記的小説で、芹澤_介による装画と装幀が美しい本。

『骨拾い 掌の小説』は、文庫も持っているが、川端康成の幻想的な掌篇小説を集成したものである。

ともに職人の手仕事による貼り函入り。

貼り函は、1980年代から見かけなくなったが、書籍においても経済効率が優先されるようになって、手間のかかる貼り函も姿を消したのだろう。

私も1985年に、第一詩集『召喚』を出版したとき、中性紙に活版印刷、貼り函に和紙の題戔という指定をしたが、あのころが手仕事で本造りが出来た最後の時代だったかも知れない。


昔の本は、素晴らしい造本のものがある。

そんな本を手に、これから刊行する予定の自著の装幀をあれこれ考えてみたりするのも楽しい。


ちなみに、予約したビストロ・オランジュに到着したところ、開店まで20分ほど時間があったので、その時間に集合することにしたら、吉増さんは、「また、本屋に行ってくる」と言って、公文堂書店に戻ってしまった。
posted by 城戸朱理 at 08:49| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする