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城戸朱理のブログ

2017年03月02日

食卓の古唐津

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出光美術館の開館50周年記念「古唐津――大いなるやきものの時代」展を見ているときのこと。

バンビことパンクな彼女が、出展目録に何かをせっせと書き込んでいた。

いったい何を書いているんだろう?


「これが欲しいというものをチェックしていたんだよ!」
・・・・・・

出光コレクションの古唐津は、重要文化財2点を含む優品揃い、類品を見つけても、おいそれと買えるようなものではないのだが――


「あとね、どんな料理を盛りつけてみたいかを書いてみたよ!」
!!!!!!


それは面白い。

私も会場を歩きながら、奥高麗茶碗に茶が点てられた様や、朝鮮唐津の花入れに生けられた牡丹を幻視していたが、唐津は水と親和性が高い器だけに、美術館で名品を見ても、自分なら、どう使うかを考えてしまうところがある。


そして気づいたら、わが家の食卓にもささやかな変化が起こっていた。

私が持っている茶碗や酒器を始めとする古唐津は、桐箱に納めてあるが、折にふれて求めた小皿や馬盥の小鉢などは、かなりの数が食器棚に積んである。

バンビは、展覧会を見てから、実際に古唐津を使ってみたくなったらしく、気づくと、絵唐津の小皿に桜海老を、黄唐津の馬盥小鉢に鮭の麹漬けを、縁なぶりの斑唐津の小鉢に菜の花をといったように、何かしら古唐津の器を取り出して使うようになった。


いずれも出来損ないを廃棄した物原(ものはら)から掘り出された掘りの手で大したものではないが、それでも古唐津ならではの味わいは変わらない。

使うほどに、色合いは深まり、奥行きが増して、さまざまな景色が現れてくる。


小林秀雄は「骨董はいじるものである、美術は鑑賞するものである」(「骨董」)と語ったが、焼き物好きは、長年の使用によって変わっていく器物の潜在性まで含めて器に接しているわけで、これは、日本ならではの姿だと思う。
posted by 城戸朱理 at 15:46| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする