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城戸朱理のブログ

2017年03月11日

6年前の今日から



東日本大震災から6年がたった。

午後2時46分。

鎌倉も激しい揺れに襲われ、とりあえず家から出たが、あのときは、いつかは来ると言われていた首都圏直下型地震か、東海地震が、ついに来たのかと思った。

揺れは収まらず、激しさを増していく。

立っていることさえ覚束なく、中腰になりながら、自宅の倒壊も覚悟したが、その前に、地震はおさまった。

体感では、異様に長く感じたが、実際は数分だったのだろう。

鎌倉は停電し、情報はいっさいない。

震源がどこかさえ、しばらく分からなかった。


ツイッターだけが生きていたので、阪神淡路大震災を経験した方の「水が出る人は、お風呂に水をため、御飯が炊ける人は御飯を炊いて下さい」というツイートに従って、まず、お風呂に水をためた。

寸胴やケトルにも水を満たし、停電しているので、ガスで御飯を炊いた。

鎌倉はプロパンガスなので、まだガスが使えたが、都市ガスなら、御飯も炊けなかったかも知れない。


余震が続くなか、日が暮れるとともに暗闇がやって来る。

日没前に身体が暖まるように、チゲ鍋を作り、家内と早めに食事をした。


停電しているので、暖房も機能しない。

暗闇のなか、布団にくるまって、ラジオやツイッターで情報を集めていたら、午後10時ごろ、突然、電気がついた。

そして、テレビをつけたところ、信じられないような津波の映像を目にした。


東日本大震災の衝撃は、むしろ、それからが本番だったような気がする。


両親や親戚や友人の安否も分からない。

大地が揺れるように、心も揺れ続けているようだった。

それから、余震のたびに避難用のバックパックを抱えて、飛び出る生活が、しばらく続いた。


さらに福島第一原発の事故の報道が追い討ちをかける。


大震災の翌々日には、スーパーの棚から食料品が消えていた。


それから、6年がたった。

しかし、東日本大震災は、被災された方々にとって、いまだに進行中なのだと思う。

そして、日本列島で暮らすかぎり、巨大地震は、どこでも起こりうる。

東日本大震災の姿は、明日のわが身にほかならないことを知れば、生きることの意味も変わる。

そして、死者を想うことが、生者の仕事にほかならないことも。


東日本大震災以来、父と母、母方の伯父たちや父方の伯母、そして友人を見送り、黙祷する日が増えた。

こうして、死者に満たされていくのが、生きているということなのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 08:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする