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城戸朱理のブログ

2017年08月31日

またもや、金魚注意報!!!

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お小遣いをあげたら、バンビことパンクな彼女が、さっそくパタパタと出かけてしまった。

そして、嬉しそうに帰ってきたのだが――


「金魚を買ってきたよ!」
!!!


バンビは、御成通りのペットショップに寄って出目金を買ってきてしまったのである!


「黒いコと赤黒のコと白赤のコの3匹にしたんだよ!」
・・・・・・


「黒いコが、形がシュモクザメっぽいから、シュモクちゃんだよ!」

サメとは、ほど遠いと思うのだが――

「白赤のコは、モヒカンちゃん、赤黒のコは根来ちゃんでどうかな?」

根来!?


紀州の根来寺で使われていた漆器は、黒漆のうえに朱漆を塗り放ったもので、根来塗りと呼ばれる。

使ううちに朱漆が剥げ、下地の黒漆がのぞくようになる。
そうした経年変化を、骨董の世界では珍重するのだが、金魚に漆塗りの名前を付けるのは、やはりヘンである。



しかし、バンビは得意気だから、何を言っても無駄だろう。


とりあえず、白いボウルに出目金を入れて、モミーこと「もみじ」の金魚鉢の隣に置いたのだが、モミーも「なんかいる」といった様子で、ボウルを覗いているのが面白い。


それにしても、増えるのは金魚ばかりとは、これいかに?
posted by 城戸朱理 at 12:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自由の意味???

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「んふ」

バンビことパンクな彼女が、情けない声を出している。

どうしたのだろう?


「最近、お小遣いをもらってないんだよ」
!!!

「前はもっと貰えたのに」
・・・

「懐かしのお小遣い」


「郷愁のお小遣い」
!!!


よくもまあ、あれこれ思いつくものである。

あまりに面白いので、500円玉貯金から2万円分をお小遣いにあげることにした。


「やったね!」

「いいコにしてた甲斐があったなあ!」

「いいコ」になるのは、お小遣いをもらうときだけなのである。


「自由に使っていいお金、お小遣い」

お小遣いなのだから、当たり前だが。

「自由の響き、お小遣い」
!!!


どうやら、バンビの頭のなかでは、お小遣い=自由という変換がなされているらしい。


「じゃ、行ってくるよ!」
!!!!!!


そして、どこかにバイクで出かけてしまったのである。


さっそく、お小遣いを使おうという魂胆なのは間違いない。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 12:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

戦争の記憶、その4〜「暮しの手帖」特集「戦争中の暮しの記録」

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由比ヶ浜通りの古書店、公文堂で、先日見つけたのが、「暮しの手帖」1968年夏季号である。


これは、一冊まるごと、戦争中の生活の記録なのだが、読者から募集したエッセイによって編まれたもの。

応募総数は、1736篇だったという。


ふだん文章を書くことがない方々の、これだけは書き残しておきたいという思いが、紙面からあふれ出るようで、雑誌とは思えぬ重量感がある。


東京大空襲の話がある、広島と長崎の原爆被害の話がある。

経験者の語る記憶は、いずれも壮絶としか言いようがない。


「詩と思想」の座談会でお会いした元朝日新聞のジャーナリスト、徳山喜雄さんによると、この特集号は、刊行当時のみならず、その後も折りにふれて話題になったものだというが、読んでいると納得できる。


戦時中は、地域によって程度の差こそあれ、誰もが食糧難に直面した時代でもあった。




 すべての物は品すくなく、第一番米が配給、始(はじめ)はよかったが、だんだん少なく、一ヵ月に五、六日分、十七才を頭(かしら)に親子六人家族、食べ盛りの小供で、毎日食料さがしで必死の思い、山へ川へ、口に入る物なら何んでも取り、
(「さまざまのおもい」静岡市・村上せん)



「犬をつれて」(三鷹市・池田ゆき子)という一篇を読んでいたら、思いがけない話があった。



配給のお米が、細長い外米から、次第にとうもろこしのくだいたものや、高粱や糧秣厰で研究して藁から作ったという白い粉末など、見たこともない物が配給されるようになると、もう、動物、ことに犬はなるたけ供出するようにという回覧板がまわった。



人間が食べるものがないのだから、犬を飼っている場合ではないということなのだろうが、供出された犬は、殺して毛皮を飛行帽につけるということだったそうだ。

筆者は、知恵をしぼって愛犬を守るのだが、戦争がペットにまで影響するとは考えたことがなかった。


空腹のあまり、沼でカエルを捕まえ、家族でむさぼるように食べた話もあったが、とにかく誰もが空腹だった時代、そして、死体がまわりに転がっていたような時代。


「あとがき」で、花森安治編集長は「編集者としてお願いしたいことがある。この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のためにのこしていただきたい」と語っている。


編集部に再版を望みたい一冊だ。
posted by 城戸朱理 at 11:57| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

エズラ・パウンド協会の合宿



エズラ・パウンド協会は、研究者が集って、パウンドの2万7千行に及ぶ長篇詩『詩篇(キャントーズ)』の翻訳を進めており、8月24日と25日の両日は、鶴川の和光大学で合宿があった。

幹事は、遠藤朋之先生。

私も声をかけていただいたので、午後から参加する。

読んだのは、「詩篇第23篇」である。


獨協大の原成吉先生を始めとして、10人もの専門家が集まっても、読み解けない行が頻出し、パウンドの難解さを再確認することになったが、それでも光を放つ詩行に事欠かないのが、パウンドの尽きせぬ魅力だろう。


英語をベースにしながら、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語、さらには漢字が混在するマルチ・リンガル的性格も、『詩篇』翻訳の高い壁になっているのは事実だが、
それ以上に、パウンドが導入した歴史的背景を理解しないと、正確な訳語を選べないところが悩ましくも面白い。

ちなみに第23篇だと、ヨーロッパ最古の市民図書館、マラテスティアーナ図書館を創設したルネッサンス期のチェザーナの領主、ドメニコ・マラテスタのエピソードや、13世紀、南フランスのカタリ派を壊滅させたアルビジョア十字軍への言及に、ギリシャ神話などが重層化し、文明の破壊とエロスを主題とする歴史のコラージュが繰り広げられる。


英国のパウンディアン、アンドルー・エリック・ハウウエン先生が、スラング等を指摘してくれるので、辞書だけでは読み切れないニュアンスを盛り込むことが出来るのも面白かった。


ちなみに、第23篇の最後の5行の私の試訳を紹介しておこう。



そして、そのとき見えたのだ、波が形を成すのが
海は、硬く、クリスタルのきらめきのようで
波は盛り上がっては、そのまま止まる
いかなる光もそのなかを通り抜けることはできない



これぞ、パウンド・サウンド。


打ち上げは、遠藤朋之先生が町田の馬肉専門店、柿島屋を予約してくれた。

馬刺、桜鍋、馬肉メンチカツのカレーがけで、楽しい宴会となる。

原成吉先生は、翌日から、蓼科で、「遊牧民」の合宿だと伺ったが、これは1979年から続くアメリカ詩の研究会。

こうした積み重ねがあってこそ、詩が次の世代に伝えられていくのだろう。


さらにアイリッシュ・パブHUBに席を移し、青学短大の斉藤修三先生、静岡大の山内功一郎先生、遠藤先生に私とバンビことパンクな彼女で、ビール片手に盛り上がった。
posted by 城戸朱理 at 09:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

詩の映画、詩人の映画



エミリ・ディキンソンの伝記映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンソン」(テレンス・デイビス監督)が岩波ホールで公開されているが、ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」の公開も始まった。


舞台は、ニュージャージー州パターソン。

モダニズムの巨星であり、20世紀アメリカ詩の源流ともなったウィリアム・カーロス・ウィリアムズの長篇詩『パターソン』の舞台となった都市だが、アダム・ドライバー演じる主人公の名前も、パターソン。

バス運転手の主人公は、ウィリアムズを敬愛し、自らも詩を書いている。

劇中、パターソンの詩として朗読される作品を提供したのは、ニューヨーク派の詩人、ロン・パジェット。

パジェットをジャームッシュに推薦したのは、ポール・オースターだったという。

ジャームッシュの「パターソン」は、劇映画なのに、ウィリアムズ『パターソン』の映画化とでも呼ぶべき作品であり、主人公が過ごす一週間は何も起こらないのに、豊かで美しい。


また、台湾のドキュメンタリー映画「日曜日の散歩者」(ホアン・ヤーリー監督)も話題になっている。

これは、日本統治下の1930年代に、西脇順三郎、瀧口修造らの影響を受け、日本語で新たな台湾文学を創造しようしたモダニズムの詩人たちのグループ「風車詩社」のドキュメンタリー。

イメージフォーラムで公開されているが、ぜひ見に行きたい一本だ。


さらに、チリの国民詩人であり、ノーベル賞詩人でもあるパブロ・ネルーダの半生を描く、パブロ・ラライン監督の「ネルーダ 大いなる愛の逃亡者」も11月に公開が予定されており、奇しくも、詩人の映画、詩をめぐる映画が立て続けに公開されることになる。


そういえば、最果タヒさんの詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』も石井裕也監督によって映画化されたし、私自身が制作に関わった吉増剛造さんのドキュメンタリー映画「幻を見るひと」(井上春生監督)も、試写の準備に入ったところだが、詩や詩人と深い関わりを持つ映画が次々と公開されているのは、偶然とはいえ、面白い現象だと思う。


どこかの雑誌で、特集を組んで欲しいものである。
posted by 城戸朱理 at 10:22| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

打ち上げは鎌倉で

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「詩と思想」座談会収録後は、鎌倉に移動。

クルベル・キャンで打ち上げとなる。

ビールで乾杯して、さらにプロセッコと赤ワインのボトルを開けた。

頼んだのは、ジャガイモのフリット、鶏白レバーのクロスティーニ、鶏もも肉の石窯ハーブグリル。

ピザが、スモークサーモンを使ったサルモーネと4種類のチーズのクワトロフォルマッジ。


小川英晴さんが、日本酒とシングルモルトの通なのは知っていたが、オーディオマニアなのは初めて知った。

4セットもあるというオーディオは、スピーカーがタンノイ、アンプは、マッキントッシュ、マーク・レヴィンソン、クォードと名だたるメーカーばかりで、耳を疑うほど。

高音用の配線の純銀ケーブルだけで60万もかけたというのだから、これはマニアの域を超えているとしか言いようがない。

小川さんの専門は美術だが、音楽もお好きなのだろう。


徳山喜雄さんの奥様は、ヨーロッパで評価が高い作曲家だが、徳山さん自身も、かなりの趣味人のようだ。


鎌倉だから、魚も食べようということになり、舵屋に席を移す。

ここでは、日本酒。


小川さんが生け簀の活烏賊のお造りを頼み、お勧めのお造りと盛り合わせにしてもらったものだから、豪勢な飲み会となる。


いささか飲みすぎたが、愉快な一夜だった。
posted by 城戸朱理 at 11:12| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「詩と思想」座談会



「詩と思想」編集委員の小川英晴さんから声をかけていただき、今年も座談会に出席することになった。

顔ぶれは、去年と同じく、ジャーナリストの徳山喜雄さんに私、司会が小川さんである。


おふたりの希望で、7月24日に、鎌倉で収録することになったのだが、暑い日だった。

菅村睦郎さんにお願いして、北鎌倉の侘助を早めに開けてもらい、風が吹きぬける奥のテーブルに着席する。

小津安二郎監督邸の床材を使ったテーブルを囲んで、座談会は始まった。


テーマは「ネット詩と現代詩の行方」。


ただし、個別論は原稿依頼をしてあるので、この座談会では、もっと広い視座から、インターネットと文明の変容について語り合うことになった。

そうなると、徳山さんが欠かせない。


徳山さんは去年の段階では、朝日新聞の記事審査室幹事をされていたが、会社を辞められ、今は立正大学で先生をされている。

私が、今年の3月11日に、盛岡で対談したジャーナリスト・作家の外岡秀俊さんは、朝日新聞時代の尊敬する先輩だったそうだ。


1990年代以降のネットの普及で、高度情報化社会が到来したが、同時に私たちは、旧来のアナログ・メディアよりデジタル・メディアのほうが寿命が短いという奇妙な逆説を前にしている。

和紙に筆書きならば、1000年の耐用年数があるが、CD-RやDVDの耐用年数は、20〜30年。

ネットには、情報があふれているが、フェイクニュースも多く、Wikipediaも間違いが目につく。

この混乱のなかで、詩の言葉は、どこに向かおうとしているのか。


スリリングな座談会になったと思う。

掲載は「詩と思想」11月号。

興味のある方は、ぜひ手にとってもらいたい。
posted by 城戸朱理 at 10:54| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

大岡信さんと会食したときに



大岡信さんが亡くなり、「現代詩手帖」を始めとして追悼特集が相次いで組まれたが、ふと思い出したことがある。


1998年のこと。

『現代詩文庫 続続・大岡信詩集』に、私も作品論を執筆したのだが、やや長めだったため、所定のページ内におさめるべく、担当の佐藤一郎氏とやり取りしながら、原稿を削るのに苦労したことがある。

そして、「現代詩文庫」が刊行されてから、「詩人論・作品論」の執筆者だった永原孝道、野沢啓両氏と私を、大岡さんが招いて下さり、恵比寿のフレンチで御馳走になったことがあった。


そのとき、大岡さんが備前の陶芸家、藤原雄氏と親交があることを知り、藤原雄氏が人間国宝になったことをお伝えしたら、大岡さんが大層、喜ばれていたのを覚えている。

大岡さんは、海外にいらっしゃることが多く、藤原雄氏が人間国宝に指定されたことを御存知なかったのだ。


備前で人間国宝の指定を受けたのは、桃山陶を復元し、「備前焼き中興の祖」と呼ばれた金重陶陽が最初で、陶陽没後には、藤原啓が指定を受けた。

藤原啓は、詩人を志し、生田春月との共著で『ハイネの訳詩集』も刊行しているが、自分の才能に限界を感じて備前に帰り、40歳から陶芸の道に入ったという変わった経歴の持ち主である。


藤原啓のあとは、轆轤の名手として知られる山本陶秀が人間国宝になり、1994年に陶秀が没して、2年後に藤原雄が人間国宝の指定を受けたのだった。

藤原雄は、藤原啓の長男なので、親子で人間国宝になった唯一の例だが、生まれつき弱視で、視力がほとんどなく、そのためか作品は肉感的で、独特の魅力がある。


実は、人間国宝になる前に、藤原雄作のぐい呑みを求めたことがあるので、大岡さんが親交があることを知って驚いたのだが、美術家と交流が深かった大岡さんが、陶芸家と交流があったのも、今にして思えば、当たり前かも知れない。
posted by 城戸朱理 at 10:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

戦争の記憶、その3



藤原てい『流れる星は生きている』(中公文庫)を久しぶりに読み直した。

記憶が定かではないが、この本を初めて読んだのは、小学生のときだったかも知れない。

そうだとすれば、久慈小学校5、6年の担任だった高橋武志先生の影響だろう。

私は父の転勤で、盛岡の仁王小学校から久慈小学校に転校し、中学2年まで久慈で過ごした。

NHKドラマ「あまちゃん」の舞台となったところである。


当時、高橋先生は、まだ若く、独身。

授業は面白く、生徒にたいそう人気があった。

高橋先生の影響で、歴史好きになった生徒も多く、私もそのひとりだった。

忘れがたい先生だが、もし、小学生の私が『流れる星は生きている』を読んだとすると、高橋先生の影響しか考えられない。


本書は、終戦間際の昭和20年8月9日、ソ連参戦の夜から始まる満州からの引き揚げの記録。

満州新京の観象台に勤務していた夫と引き裂かれた著者が、6歳、3歳の長男と次男、生後一ヵ月の長女、3人の子供を連れて、満州から朝鮮半島を経て、帰国するまでの脱出行であり、昭和24年の刊行時には、ベストセラーになったという。


歩いて、38度線を超え、アメリカ軍に助けられるまでの道行きは、壮絶で、足の裏は肉まで無数の小石が食い込み、医師から摘出の処置を受ける。

故郷の諏訪にたどり着いたときには、栄養失調で、幽霊そのままの姿であったという。


再読するのは、久しぶりだが、いくつも覚えている場面があった。


著者の夫君は、満州で丸一年の捕虜生活を送ったが、帰国。

ちなみに、夫君は作家の新田次郎である。

「あとがき」によると、夫婦の間でも「引き揚げ」の話は禁句だったというが、語り合うことさえ、はばかられるほど過酷な体験というものがあるのだろう。


私の母方の伯父も、シベリアに抑留され、その死を覚悟した家族が葬儀を営んでから、突然、帰国して、みんなを驚かせたが、シベリア時代のことを語ることはなかったそうだ。
posted by 城戸朱理 at 12:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

戦争の記憶、その2



佐藤勝彦という画家がいる。

画壇に属さぬ、この画家のことを私が知ったのは、古本屋で手にした季刊「銀花」の特集号「佐藤勝彦 現代仏道人生」(1974)によってだった。

当時の「銀花」の発行部数は、7万部。なんと、佐藤勝彦はこの特集のために編集長の要請に応えて、7万枚もの絵を描き、全冊にに肉筆の絵が封入されている。



当時、佐藤さんは高校で美術の教師をされていたはずだが、季刊雑誌のスパンで7万枚の絵を描くのは、常軌を逸した試みとしか言いようがない。

それ以来、古書店で目にするたびに、肉筆画を確認しては、「銀花」同号を求めたので、10冊ほどが手元にある。


今では実現しえない企画だろう。



佐藤勝彦氏は、1940年、満州大連生まれ。終戦の2年後、1947年に貨物船で日本に引き揚げたという。


その佐藤氏が、「銀花」の別の号で終戦後の大連の思い出を語っていた。


1945年の敗戦で、満州にはソ連兵が進駐したが、現地の日本人はソ連に徴用さる労働に従事するとともに、食糧難で餓えに苦しんだ。

そんなとき、アカシアの花の蜜が甘いという話が広まり、子供たちはアカシアの樹に登って、ひたすら花を集めては蜜を吸っていたところ、そこにやって来たソ連兵が、銃を連射し、子供たちは次々と樹から落ちたのだという。 



俳優の宝田明さんも、満州のハルビンで終戦を迎えたとき、ソ連兵が侵攻し、略奪、暴行、凌辱のかぎりを尽くしたことを回想しているが、駅のホームで見回りのソ連兵に撃たれ、麻酔も手術道具もないなか、元軍医だった人に手術を受け、一命をとりとめたそうだ。


そうした経験があって、ロシアには素晴らしい芸術があるのは知りながらも、拒否してしまうようになったというが、当然のことだろう。


注意したいのは、宝田明・佐藤勝彦両氏の語っていることが、終戦後に起こっているということだ。


暦のうえでは、1945年8月15日で太平洋戦争は終わったが、庶民にとっては、そこから、さらに悪夢が始まったことになる。 


消し去りがたい記憶というものがある。 


忘れたいと思っても、そして、忘れたつもりでいても、何度でも襲ってくる記憶がある。 


その意味では、戦争とは、それを経験した人にとって、生涯、終わらないものなのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 10:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

戦争の記憶、その1



戦国時代から安土桃山時代に、隆盛を見た茶の湯を主導したのは、織田信長や豊富秀吉といった戦国大名だったが、明治以降、茶の湯に新風をもたらし、その隆盛を担ったのは、三井財閥の指導者たる益田隆(鈍翁)を始めとする財界人だった。


実際、近代の財界人は茶器の収集と茶の湯を通して、交流を深めた感さえある。


とりわけ、横浜屈指の財閥を築いた原富太郎(三溪)と、今日の電力会社の基を築き「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた松永安左衛門(耳庵)は、益田鈍翁と並んで、近代の三大茶人と称される。

また、小田原を拠点に近代の茶道を極めた「近代小田原三茶人」にも、益田鈍翁、野崎廣太(幻庵)とともに松永耳庵の名が挙がるが、その伝記を読んでいたとき、実に印象深い記述があった。


松永耳庵(1875〜1971)は、長崎県壱岐の裕福な商家に生まれたが、その幼少期に、元寇のときの惨禍をさんざん聞かされて育ったというのだ。


モンゴル帝国とその属国、高麗王朝による日本侵攻である元寇は、文永の役(1274)と弘安の役(1281)の二度で、鎌倉時代なかばのこと。

なんと、壱岐では、13世紀の出来事を、600年後の19世紀まで、脈々と語りついできたことになる。


九州上陸前に侵攻を受けた対馬と壱岐の被害は、とりわけ甚大で、島民は惨殺され、子供は奴隷として連れ去られたわけだが、元軍が、捕虜とした女性の掌に穴を空けて縄で繋ぎ、舷側の並べて矢よけにしたなどといった信じがたい様子が、日蓮聖人らの記述によって伝えられている。


中国や韓国では、この侵攻のことを歴史で教えていないようだが、その惨禍は、現地では語り継がれていたわけで、私は、戦争というものが、たとえ終わっても、それを経験した人々にとっては、決して終わらず、遺恨とともに語り継がれていくものであることを思い知ったのだった。


おそらく、侵略を受けたすべての人間にとって、それは同じなのではないだろうか。


そして、いちどは文学史上の出来事になってしまった小林多喜二『蟹工船』といったプロレタリア文学が、格差社会と貧困が社会問題になると復権したように、戦争の記憶もまた、その気配とともに何度でも呼び起こされていくのだと思う。
posted by 城戸朱理 at 12:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

熱中症!?





中沢けい、島村輝両氏と、しこたま飲んだ翌日は、危なかった。


この日は、毎日新聞出版に転職した久保奈々子さんが鎌倉に来ることになっていたので外出したのだが、熱中症で倒れかけたのだ。

久保さんは「ローリングストーン」編集部にいたときに、柳美里さんがバンビことパンクな彼女に紹介してくれた編集者。

ロック好きだけにバンビと気が合うらしく、いつの間にか鎌倉で飲む約束をしていたらしい。


鎌倉文学館が見たいというのでお連れしたのだが、私はなぜか異様に発汗、まるでバケツの水をかぶったようになり、吐き気までしたので、急ぎタクシーで帰宅し、シャワーを浴びて、涼しい部屋で休んだ。

前日、韓国料理で焼酎を飲みすぎたのが祟ったらしい。

アルコールを分解するためには体内の水分が大量に消費されるが、そこに猛暑が重なり、脱水症状を起こしかけたのだと思う。


幸い、小一時間休んでいたら回復したが、調べてみたら紛れもなく熱中症の症状だった。

おそらく、体温も上がっていたのだろう。


久保さんとバンビは、海岸を散歩し、由比ヶ浜通りの古書店、公文堂を見てから、クルベル・キャンに入ったという連絡があったので、私も遅れて合流した。


久保さんとバンビは、ブランキー・ジェットシティのベンジーやザ・バースデイのチバユウスケなどロックの話題で盛り上がっている。


頼んだのはトマトのカプレーゼ、ジャガイモのフリット、久保さんは鶏肉がお好きだというので、鶏もも肉の石窯ハーブグリルにミラノ風カツレツ。

ピザはクワトロ・フォルマッジ、パスタはフレッシュ・トリュフのカルボナーラにした。


途中、大船の寿司處もり山の森山さん御夫妻がいらしたので、ご挨拶する。

新子を食べに、もり山さんに行かなくては。


私は熱中症で倒れかけただけに食欲はまったくなく、カクテルを飲んでいた。


久保さんとバンビの話が弾み、気づくと11時をまわっていたので久保さんを鎌倉駅まで送り、タクシーで帰宅。


それ以降、体調を崩し、ブログの更新も空いてしまったのだった。
posted by 城戸朱理 at 13:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

三伏に韓国料理を、その2

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そして、お目当てのカンジャン・ケジャン。

蟹じたいが美味いが、御飯をもらって、甲羅の蟹味噌と混ぜると、これがまた絶品。

眞味食堂で食べたときのような衝撃はないが、やはり、韓国料理の白眉だと思う。


ビールを焼酎にかえ、飲みつつ、語り合ったのだが、中沢さんの読書量は相変わらず凄い。


三伏なので、参鶏湯も頼んだのだが、韓国料理で暑気払いもいいものだと思った。


ところで、バンビことパンクな彼女は先約があって来れなかったのだが、カンジャン・ケジャンと聞いては穏やかではない。

「もし、お土産に出来たら、買ってあげて!」と騒いでいたので、聞いてみたら、出来るというではないか。

かくして、バンビも久しぶりにカンジャン・ケジャンにありつくことが出来たのだった。
posted by 城戸朱理 at 12:52| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三伏に韓国料理を、その1

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あれは、10年前、2007年のことだったと思う。

作家の中沢けいさんとソウルで、カンジャン・ケジャンを食べたのは。


警察署があるくらいで観光客が足を運ぶことのない麻浦の路地奥にあった眞味食堂(チンミシクタン)という店で、初めて食べたカンジャン・ケジャンは、思わず笑い出したほど美味だった。

眞味食堂は、バンビことパンクな彼女がネットで見つけた店だが、普通の民家で、メニューはカンジャン・ケジャン定食のみ。


生のワタリガニを唐辛子主体の薬味に漬け込んだヤンニョム・ケジャンは、日本の韓国料理店でも見かけるが、当時は、ニンニクや青唐辛子を入れた醤油に漬け込むカンジャン・ケジャンは、珍しかったし、衝撃的な美味しさだった。

中沢さんとは、それ以来、ときどきカンジャン・ケジャンの話になるのだが、2008年に光州ビエンナーレの帰りに、バンビと再訪したら、店舗が路の反対側に移転していた。


先日もツイッターで、中沢さんと、カンジャン・ケジャンの話題でやり取りしていたら、湯島に韓国料理なら何でもある店があるのでカンジャン・ケジャンを食べに行こうということになった。

店の名は、チョンハクトン(青鶴洞)。


フェリスの島村輝教授にも声をかけたのだが、中沢さんによると、8月11日は三伏で、韓国では暑気払いに参鶏湯を食べる日なのだとか。

たしかに暑い日だったが、上野から御徒町のあたりは活気があった。


まずは、中沢さんとビールで乾杯。

すぐに島村先生も到着し、メニューを決める。


最初に、キムチやナムルなどのパンチャン(おかず)が並ぶのは、韓国流。


まずは、血と餅米の腸詰め、スンデとドトリムクを頼む。

ドドリムクは、ドングリから作った餅で、ワラビ餅に似た食感である。

韓国に詳しい中沢さんによると、韓国ならどこにでもあるそうだが、私は初めてだった。

涼感があって、悪くない。

島村先生も韓国は詳しいし、韓国のあれこれから文学まで、話は尽きない。
posted by 城戸朱理 at 12:51| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

手乗り金魚???

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バンビことパンクな彼女は、金魚すくいが得意である。

お正月に鶴岡八幡宮で、金魚すくいをすると7、8匹をすいすいとすくってしまうのだが、金魚はすぐに死んでしまうのが、悲しい。

ところが――


「モミちゃーん、モミちゃーん!」


バンビが金魚鉢に呼びかけると、水面に浮かんでくるのが、モミーこと「もみじ」。

バンビが10年以上前に、すくってきた金魚である。

しかも、バンビの指に吸い付き、頭をなでられたり、顎をなでられたりしているではないか。


「もみじは、今や、世にも珍しい手乗り金魚なんだよ!」
・・・・・・


さすがに、10年は生きているだけに、金魚とは思えぬほど大きい。


「モミちゃんは、金魚じゃなくて、本当は鯉なんだよ!」


嘘である。

たんに大きくなった金魚である。


しかし、金魚が名前を呼ばれて分かるのだろうか?

おまけに、なでられて不快ではないのだろうか?

飼い主がパンクなだけに、金魚もひと筋縄ではいかないキャラに育ってしまったらしい。

面白いことは面白いが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 12:49| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

ガレットで白ビール

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散歩していたら、バンビことパンクな彼女が、「ガレットでおやつビールはどうかな?」と言い出した。


バンビの「おやつビール」とは、日の高いうちに飲むビールのこと。

これだけ暑いのだから、それくらいは許されるだろう。


お店は、御成通りのガレット専門店「パティスリー・カフェ アンビグラム」。

私は初めてだが、バンビは友だちと来たことがあるらしい。


嬉しいことにヒューガルデンがあった。

コリアンダーやレモンピールで香り付けした白ビールは、やはり、夏こそふさわしい。


まずは、ガレット・コンプレの「玉子・ハム・チーズ」を。

ガレットは、フランス、ブルターニュ地方の伝統的な料理で、蕎麦粉の生地にチーズやハム、野菜などを包んだもの。

同じ蕎麦粉といっても、日本の蕎麦切りとはまるで違うが、そこが料理の面白さだろう。

白ビールのあとは白ワインをもらって、肴にサーディンを頼み、さらにガレット・スペシャリテの「玉子・ハム・ラタトゥイユ」を焼いてもらった。


シェフは、ブルターニュ地方で修行したそうだが、本来はパティシエで、美しいケーキも並んでいた。

しかも、南麻布のイタリアン「アンビグラム」のシェフと双子の兄弟で、南麻布のお店では、パティシエをされていたという。


お酒の品揃えが悪くないと思ったら、シェフも酒好きらしい。


昔は、私もよくガレットを焼いたものだが、久しぶり家でも焼いてみようかと思った。
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2017年08月11日

日暮里でモツ焼き、その2

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さらにラムのつくねとトマトの肉巻きに塩昆布キャベツを追加。

ラムを使うあたり、最近の流行を踏まえているが、ラム肉と言えば、やはり北海道。

札幌のジンギスカンと北海道限定サッポロ・クラシックの取り合わせは最高だった。


ここまで来ると、もう本格的な飲みモードに。

生レモンサワーをおかわりし、分厚いハムカツに海老のアヒージョも追加したのだが、大衆酒場でありながら、若者向けのメニューも揃っており、活気のある店だった。


鎌倉だと、常連が還暦以上という店ばかりだから、煮込みやもつ焼きは、大船まで行かないとお目にかかれないが、こんな店が、日中から開いている街で暮らしてみたいと思うことがある。
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日暮里でモツ焼き、その1

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笠井叡さんの「白鳥の湖」の開演は、7時半。

その前に、日暮里で軽く食事をすることにした。


「日暮里はモツ焼き屋さんが多いんだって!
久しぶりにモツ焼きでホッピーもいいんじゃない!?」


バンビことパンクな彼女がそう言うので、駅から近い「焼★マル」という店に入ってみた。


まずは、煮込みとポテトサラダを頼んで、ビール。

煮込みは豆腐と玉子入りにしてもらう。

煮込みは酒場の定番だが、鎌倉では出す店がない。

何度も茹でこぼして、癖を抜いた実に旨い煮込みである。

煮込みで生の焼酎を飲んでいる御老人は、酒場の達人に見えるが、煮込みが美味しい店はいいものだ。


焼き物は、ラム串とレバーを2本ずつと、一人前をひと皿。


ビールのあとは、ホッピーではなく、生レモンサワーにかえる。


「んふ!
つい食べちゃうなあ!」


モツ焼きも好きなバンビは喜んで、はふはふ言いながら食べていた。
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2017年08月10日

笠井叡「白鳥の湖」へ



7月30日は、日暮里のd-倉庫に、笠井叡さんの演出・振付・出演による「白鳥の湖」を見に行った。

これはダンス・フェスティヴァル「ダンスがみたい!」の19回目、10組のダンサーとカンパニーが「白鳥の湖」を踊るという企画の最終公演。


出演は笠井叡さんとバレリーナの篠原くららさんで、音源はアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団(1976)が使われていた。

古典バレエの方向を決定した感さえあるチャイコフスキーの名曲をバックに笠井叡が登場、踊り始めるが、途中、篠原くららがソロを踊る数分を除いて、1時間5分の公演の最初から最後まで笠井叡は踊り続けた。


創造主たる神は、人間と全自然界を創り終えたとき、自分の全存在を人間と全自然界のなかに封印した、と笠井叡は言う。

この「封印された神」「魔法にかけられた自然」を解くことができるのは、人間だけなのかも知れない、と。


「白鳥の湖」を「宇宙童話」として再現しながら、終幕の「暁の黎明」のなかに「無限の闇」をも解き明かしていくダンスの試みは、果てしない地平の彼方にあるかのようだった。


また、バレリーナを間近で見るのは初めての体験だったが、その異常な身体性は、美しさの代償の大きさを痛感させるものだった。


終演後、笠井叡さん、久子さんとお話したが、笠井さんが「白鳥の湖」を踊るのは4回目で、チャイコフスキーの楽曲には思い入れがあるのだとか。


会場には、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)、野口泉さんもいらしていたので、それからお二人と軽く飲んで、帰途に着いた。
posted by 城戸朱理 at 14:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フェリス女学院大学で前期最後の授業

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7月28日は、フェリス女学院大学で2コマの補講を終え、前期の授業が終了した。

はっきり分かったのは、90分ではなく、2コマ連続、180分あったほうが授業がスムースにいくということ。

とはいえ、そんな時間割りを組んでもらうわけにはいかないだろう。

短期集中講義という手もあるかも知れないが。


今回の補講は、学生諸君の間で、コスプレで参加(!)という連絡が回っていたのだが、実際にコスプレしてきた学生は3人だけだった。

本人の了解をもらったので、写真をアップするが、メイドコスプレのMさんと新橋芸者に憧れるKさんである。

それにしても、今の学生は、コスプレ用衣装を持っているのかと感心したが、よくよく考えると、バンビことパンクな彼女も、ハロウィーンやクリスマスのコスプレ用衣装を持っているから、当たり前なのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 11:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする