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城戸朱理のブログ

2017年11月30日

またもや、せいこ蟹

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11月24日(土)、バンビことパンクな彼女が東京に出かけたので、自宅で郵便物を整理していたら、クール宅急便が届いた。


何かと思ったら、またもや、せいこ蟹ではないか!



バンビが「にゃふ〜ん!」と言いながら、ひそかに注文していたらしい。


帰りは遅くなるとのことだったので、せいこ蟹8杯を解体して、すぐに食べられるようにした。



柿を剥いてハモンセラーノを添え、豆腐と大根の千六本を小鍋立てにしていたら、バンビが帰ってきたのだが、解体ずみの蟹を見て喜んでいる。



「今日も蟹祭だよ!」



何でも祭にしてしまうのは、パンクの特徴である。


先に書いたように、せいこ蟹は、雌のズワイガニだが、雄の松葉蟹などに比べると、かなり小さい。

雌は抱卵と産卵が始まると成長が止まるためだが、その分、解体には手間がかかる。


しかし、内子と外子が味わえるわけだから、これ以上何かを望むのは贅沢というものだろう。


かくして、またもやスパークリングワインを開け、「海の宝石箱」せいこ蟹を堪能したのだった。



「今年中にもう一回は、せいこ蟹を食べたいところだね!」
・・・・・・



せいこ蟹は、たしかに素晴らしい冬の味覚だが、そんなに何度も食べるものではないだろう。


パンクだから仕方がないが、注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 14:49| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

エッセイの打ち合わせ




かまくら春秋社の山本太平さんから連絡があり、24日(金)は、若宮大路のかまくら春秋社に行った。


鎌倉で飲み歩いてはエッセイを書くという「夜の鎌倉」という企画の打ち合わせのためである。





これが仕事でいいのだろうか?


たんに飲み歩くのであれば、いつもやっていることと変わらないし、それを原稿にするとしても苦労するわけではない。



これはユートピア、「われアルカディアにもあり」だなと渋沢孝輔さんの詩集のタイトルを思い出しながら打ち合わせに臨んだのだが、私が勝手に「かまくら春秋」誌の連載と思っていたところ、渡された企画書を見たらーー単行本の企画だった。


別に雑誌連載でも単行本でもやることに変わりがあるわけではない。


ただし、軒数は増えるので、飲みに行く店が増えるだけである。




私に尻尾があったら、パタパタ振っているところだ。



しかし、気づいてみたら、尾崎左永子さんの歌誌「星座」に掲載される学生の詩の選評に、北海道東和町にある椅子博物館の図録に寄せるエッセイと、かまくら春秋からの依頼が重なっている。


飲み歩くのが先か、執筆が先か、迷うところである。




伊藤玄二郎代表から聞いたのだか、鎌倉の飲み屋で日本酒というと、小林秀雄が好んだ立山、永井龍男が好んだ八海山、そして里見ク常飲の菊正宗が御三家なのだとか。



小町通りの奈可川では、柳川鍋を出したところ、小林秀雄に「こんなのは柳川じゃねえ、俺の言う通り作ってみろ」と言われて、それを永井龍男に出したところ「こんなのは柳川じゃねえ」と言われ、
それ以来、小林風柳川と永井風柳川がメニューに載るようになったそうだが、天ぷら・ひろみにも、小林秀雄が好んだ天種の小林丼と、小津安二郎監督の好みの小津丼がある。



かつての鎌倉文士は、肩で風を切っていたと伊藤代表が言っていたが、江藤淳のように飲み歩かなかった文士は、何の逸話もなかったりするのだから、飲み屋というのは不思議なところだ。




一方、田村隆一のように逸話だらけの詩人もいるが、田村さんが日参した長兵衛も、今はない。


田村さんは「かまくら春秋」の連載が、詩集『夜の江の電』になったが、私も飲み歩くかたわらで詩を書いてみよう。





打ち合わせのあとは、山本太平さんとクルベル・キャンに繰り出し、この企画にふさわしく、飲みながら、さらに具体的な打ち合わせをしたのだが、やはり仕事とは思えない好企画である。


誰にとっていいのかは問題だが、考えれば解決するのが問題というものではないか(?)。

posted by 城戸朱理 at 09:05| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

荻窪のもつやきカッパ

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「お話は何度も聞いたけど、行ったことないから、
バンビくんを荻窪のカッパに連れていってあげて!」



バンビことパンクな彼女が騒ぎ出した。



「連れてってあげてよ〜」



荻窪のカッパは、もつ焼きの専門店。


なぜ、何度も話に出たかというと、焼き鳥屋としては、初めてミシュラン・ガイドで星を獲得した銀座バードランド店主、和田利弘さんが、新しい弟子を勉強のために必ず連れていく店が二軒あって、そのうちの一軒が、カッパなのだ。


ちなみに、もう一軒は京橋の伊勢廣。

伊勢廣は、創業大正10年(1921)、高級焼き鳥店の先駆けとなった老舗だが、カッパはまったく逆で、ひと串100円という廉価店。


扱うのは豚のもつ焼きだが、鮮度がいいうえに、丁寧な下処理をしているのだろう、これがもつなら、ほかの店で出しているのは何なんだと思えるほどで、癖になる。



私は、最初、和田さんに連れていってもらったのだが、荻窪に住んでいたころは、ふらりと飲みに行ったものだった。



バンビが騒ぐので、高円寺に行く前に、荻窪まで足を伸ばし、久しぶりにカッパを訪ねた。


雰囲は昔と変わらないが、御主人は引退し、今は若い息子さんが焼き台に立っている。


焼き物はタレか塩で頼むのだが、五香粉が香るタレは健在で、まず、レバーにヒモやトロといった白もつを頼んだのだが、タレのせいか、老酒と相性がいい。


バンビは、物凄く気に入ったらしく、次々に追加注文をしている。




「53本くらいは食べれちゃうね!」



いくら何でも、50本は食べ過ぎだが、3本という端数は何だろう?


パンクだから、意味不明なのだった。



カッパは、酔客入店禁止、しかもビール以外の酒は三杯までという決まりがあるので、泥酔する客はいない。


みんな、軽く飲みながら、十数本の串を食べては立ち去っていく。



中野と吉祥寺にも、系列店があるそうだが、テレコムスタッフの寺島高幸社長や宮内文雄撮影監督も気に入りそうな店だ。



そして、翌日。




「もつ焼きが食べたいね〜

今日もカッパに行くのは、どうかな?」



バンビは、すっかり気に入ったようだが、ふらりと立ち寄るならともかく、もつ焼きを食べるためだけだとしたら、荻窪はあまりに遠いーー
posted by 城戸朱理 at 03:00| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オイリュトミー公演「おしごとは呼吸すること」

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11月22日(水)は、再び東京へ。


柳美里さんが、移動中にiPhoneのアプリ「iライターズ」で原稿を書くことがあると言っていたが、バンビことパンクな彼女がインストールしてくれたので、車中で原稿を書いてみることにした。

これが、意外と使いやすく、新宿に着くまでに「鎌倉ペンクラブ会報」に寄せる原稿、5枚弱を書き上げることが出来た。


バンビを連れていく約束をしていた荻窪のもつやき専門店カッパに寄ってから、高円寺の劇場「座・高円寺2」に向かう。


入場するなり、バンビが「貴子ちゃんだ!」と手を振っているので、見たらミュージシャンの嶺川貴子さんではないか。


嶺川さんもバンビに手を振っている。


思いがけないところでお会いすることになったが、嶺川さんは、誰かに招かれたわけではなく、興味を覚えていらっしゃったそうだ。




笠井叡さんの天使館でオイリュトミーを学んだ野口泉さんによるオイリュトミー公演「おしごとは呼吸すること」は7時の開演。


この公演は、「呼吸」の意味を問い直すことで、世界と私たちの関係性に思いを馳せるものだった。

出演は、野口泉、三上周子、清水靖恵、オイリュトミスト3人。


朗読が、甲田益也子、灰野敬二。


甲田さんは、1980年代に「an・an」の専属モデルとして活躍され、その後、レコードデビューされたが、憧れの人だけにバンビが興奮している。


たしかに甲田益也子さんと嶺川貴子さんが同じ会場にいるというのは、驚くべきことかも知れない。



公演は、エスキモー族の「魔法の言葉」やアイヌの昔話「口くらべ」や「バガヴァット・ギーター」などのテクストの朗読をはさみながら、空間に意識の流れを作り出すかのようだった。




野口泉さんのお父さんは、アスベスト禍で亡くなられたが、その最期は泉さんの腕のなかだったという。

パンフレットから野口さんの文章を紹介しておこう。




それからしばらくして父はベッド脇に置いてあった椅子に移動しようとしました。ですが、体勢を変えようとした拍子に激しく呼吸困難に陥ったため、私が両脇から体を支える形になりました。

この数ヶ月でかなり体重が落ちていたとはいえ、父はとても重く私ひとりの力では支えきれずに、椅子のそばにしりもちをつく体勢になりました。

父はとても浅く短い息で、苦しい様子が全身から伝わってきました。私の両腕は父の上半身を支えているため呼吸器をつけてあげることもできません。かなり乱れている呼吸が整うのをそのままの体勢で待っている時でした。

父は突然、とてつもなく長い深呼吸をしたのです。まるで高原の香りを胸いっぱいに吸い込むかのような、あるいは刷毛で真っすぐ天に向かって線を引くような、清浄というより他に表しようのない呼吸でした。そして次に息を吐いた時、戻ってきたのは父の肉体だけでした。




呼吸を終えるとき、人間は、この世界から旅立つ。

つまり、呼吸とは生の証であり、生きているものにとっての仕事にほかならない。


だから、「おしごとは呼吸すること」というタイトルに込められた意味は、限りなく深いものがある。


最近、ダンス公演といえば必ずのように顔を合わせる遠藤朋之和光大准教授と鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)さんと、しばし、立ち話。ついでに記念撮影。


その後、遠藤先生とビールを飲みつつ、感想を語り合い、終電で鎌倉に戻った。
posted by 城戸朱理 at 02:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

ヴィヴィアンで貰ったもの

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ヴィヴィアンのイベントでは、受付で来場者全員にお土産のハンカチがプレゼントされたが、ほかにも射的やピンボールで、さまざまな景品が用意されていた。


とりわけ、ピンボールはA〜D賞があって、D賞でもソックスやストッキングが貰える。


A賞は、なんとレザーの長財布だった。


バンビが欲しがっていたモレスキンのノートは、私が射的でゲット。



結局、このイベントで約6万相当のヴィヴィアン・グッズを貰って、バンビは、帰途についたのだった。




ヴィヴィアン・ウェストウッドは、かねてから環境問題に積極的に関与してきたが、衣類も長く着られるものを、というコンセプトがある。


襟がハート型になったアイコンのラブジャケットなどは素材やデザインを変えて、毎回、コレクションに登場するが、
ラブジャケットが最初に発表されたのは、1987〜88年A&Wの「ハリスツイード」コレクションだから、30年近く同じデザインを踏襲しているわけで、ほかにもパターンや素材など特徴的なものが多い。


とはいえ、定番というわけではなく、つねにアバンギャルドで流行とも無縁である。


それだけに、数年前、十数年前のアイテムを新作とコーディネートしても違和感がないものだから、バンビも自由に組み合わせている。
posted by 城戸朱理 at 12:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

牡蠣フライの季節

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イベント前に食事をするべく、久しぶりに鎌倉駅西口の勝烈庵へ。

カツレツの専門店なのに、棟方志功の作品が飾られた店内は、いつも年配のお客さんが目につく。


バンビことパンクな彼女に言わせると「年を取っても食べられるトンカツ」ということになるが、この店の揚げ物は、軽やかで、もたれることがない。



バンビは大好物の牡蠣フライを、私は若鳥フライ定食に牡蠣フライ2個を追加。

若鳥フライをふた切れ、バンビに上げる。


バンビは、別オーダーのタルタルソースも注文して、牡蠣フライをソースとタルタルソースで。

私は、牡蠣フライに塩で、ビールを飲んだ。


勝烈庵は、パン粉もマヨネーズもソースも自家製だが、何種類ものフルーツを使ったソースが素晴らしい。
posted by 城戸朱理 at 09:28| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Vivienne Westwood Winter Street Festival!

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ヴィヴィアン・ウエストウッドのイベント会場は、東京タワーの真下、スターライズタワー。

やたらお洒落な人が目につくが、みなイベント会場に吸い込まれていく。



受付で、お土産のハンカチと会場で使えるチケット3枚をもらって、いざ会場へ。


これが凄かった。


DJが、かけるのは70年代のヒット曲。

蝉の声が聞こえる会場は、完全に縁日の雰囲気である。


わた飴やチョコバナナ、ベビーカステラにかき氷などがふるまわれ、京都のジン「季の美」を始めとして、ビールも日本酒も無料。



ステージのうえでは、佐渡おけさ、マッチョな法被姿の男たちが踊り出したりと、夏祭りを意識したパーティーである。



しかも受付でもらったチケットで、スーパーボールすくいや射的、ピンボールなどが出来るのだが、ほぼ外れなしでヴィヴィアンのアイテムが貰える。



バンビと私は、まずスーパーボールすくいに挑戦した。


流れているのは、ヴィヴィアンオリジナルのスーパーボールと、LEDが仕込まれた光る指輪である。

一個もすくえなくても好きなものを4個もらえるのだが、バンビも私も金魚すくいは得意なので、スーパーボールがすくえないはずはない。


ふたりとも光る指輪を含めて3個ずつすくい、さらに2個もらったので、合計10個。



ピンボールでは、A賞を獲得して、なんと革財布をゲットしてしまった。



最後に一枚残ったチケットで、私が射的に挑戦し、バンビが欲しがっていたヴィヴィアンのモレスキンのノートをもらって、チケットは終わりに。



21:30から会場ぜんたいをランウェイに見立てたショウが始まり、バンビは撮影に夢中になる。


ヴィヴィアンのアングロマニアのコレクションだが、スタイリングはヴィヴィアン・ウエストウッド本人だけあって、ユニセックスでアバンギャルド。

モデルも個性的だった。


なにせ、大好きな縁日とヴィヴィアンが合体したようなイベントだけに、バンビは大興奮。


会場を出ると、ライトアップされた東京タワー。



かくして、バンビは、興奮続きの3日間となったのだった。
posted by 城戸朱理 at 09:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンビ、大興奮!?

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2日続けて、「BUTOUプロジェクト」公演を見たバンビことパンクな彼女は、いささか興奮気味だが、翌日、20日もそわそわしていた。


この日は、ヴィヴィアン・ウエストウッドのウィンター・ストリート・フェスティバルが開催されるからだ。


これは顧客を招待しての催しなのだが、「アングロマニア」のショウがあることだけは分かっているものの、どんなイベントなのか、皆目、見当がつかない。


バンビは、何を着ていくか迷っていたが、結局、リボンワンピースにレザーのライダース・ジャケット、タータンチェックのカシミアストールを選び、靴は、会場で新作のプラットフォームベルトパンプスに履きかえることにしたらしい。

もちろん、バッグまで含めて、すべてヴィヴィアン・ウエストウッドである。



しかも、なぜか素通しの伊達眼鏡をかけ、小脇に分厚い洋書を抱えているではないか。

よくよく見たら、ヴィヴィアン・ウエストウッドの自伝だった。



「今日は、ヴィヴィアンに憧れているお勉強っ子というコンセプトで行くことにしたんだよ!」
・・・・・・



よく分からんコンセプトだが、パンクだから何を言ってもムダである。


私もヴィヴィアンのベルベット・コートを着ようかと思ったのだが、面倒になって、ジョルジオ・アルマーニのカシミアのチェスターコートをはおって出かけることにした。


雰囲気としては、パンクな子供を連れた保護者という感じである。


フェスティバルは、20:30会場なので、鎌倉駅西口の勝烈庵で食事をしてから東京に向かった。
posted by 城戸朱理 at 09:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

神楽坂で蕎麦屋酒、その2

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ビールのあとは、菊正宗に燗を付けてもらう。

寒かっただけに、燗酒が染み渡るかのようだ。


殻牡蠣と蕎麦屋酒には欠かせない玉子焼きをもらって、盃を傾けたのだが、飲みすぎると公演に集中できなくなるので、加減が難しい。

さらに、そばがきを頼んだのだが、これも実にいい酒の当てになる。


江戸時代には、蕎麦が茹で上がるのを待ちながら、飲む酒を「蕎麦前」と呼んだが、開場の時間が近づいてきたので、この日は、蕎麦なしの蕎麦前になった。
posted by 城戸朱理 at 14:29| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神楽坂で蕎麦屋酒、その1

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「BUTOUプロジェクト 」昼の公演は13時からだったのに、なぜか勝手に15時からと思い込み、のんびりと赤城神社の福井物産展を見たりしていた私とバンビことパンクな彼女は、
結局、17時からの公演を見るしかなくなったので、昼の公演を見た遠藤朋之氏を誘って、時間まで蕎麦屋で飲むことにした。



入ったのは浅野屋という店だが、なかなかの雰囲気。


一階、カウンター席後ろの壁面には、同じ書家の手になる作品が三点飾られていたのだが、そのうちの一点が、なんと鮎川信夫「橋上の人」だった。


鮎川さんの詩と、こんなふうに出会うのは、意外性がある。



遠藤くんとバンビは、すでに公演を見ているので、当然、話題はステージのことになるのだが、それにしても遠藤くんも、よくダンス公演に足を運ぶようになった。

ある意味では、舞踏とは肉体による文学という要素も孕んでいるので、そこに遠藤くんは反応したのかも知れない。

この問題に関しては、いずれ詳述したいと思っている。



とりあえず、ビールを頼んだら、お通しは、蕎麦のゼリー寄せ。

珍しいメニューだが、トッピングの蕎麦の実の食感が楽しい。


この店の名物は、馬肉のさくらしゃぶしゃぶのようだから、馬刺盛り合わせを頼んでみたのだが、これが口のなかで、じわりとほどけるような、いい馬刺だった。
posted by 城戸朱理 at 14:22| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

BUTOUプロジェクト@神楽坂セッションハウス

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神楽坂の赤城神社では、福井物産展「越前・若狭まつり」をやっていた。

覗いてみたのだが、のどぐろの一夜干しや越前蟹など、酒肴になるものに惹かれても買うわけにはいかない。



これから、「舞踏」を見るのだから。


会場は、神楽坂セッションハウス。

ダンスブリッジ・インターナショナル2017「BUTOUプロジェクト」は、三組の出演者によって、18日と19日に開催された。


バンビことパンクな彼女は、すでに18日のゲネプロを撮影し、夜の公演も見ていたが、私は19日の13時の公演を見るつもりが、時間を間違え、結局、17時からの公演を見ることになった。

おかげで、仙台から、この公演のために上京した富田真人氏にも会えたし、それで良かったのかも知れない。


13時の公演を見た遠藤朋之氏と蕎麦屋で飲みつつ、開演時間を待つ。


夜の公演には、笠井叡さん、久子さんを始めとする笠井家のみなさんも見えられた。



BUTOUプロジェクトのプログラムは、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)+定方まことによるCORVUSの「血と雪」、奥山ばらば「カバネダタリ」、そして工藤丈輝による「荒漠器〜かくも人間的な廃墟」。



笠井叡の天使館のメンバーであるCORVUSのふたりに、麿赤兒の大駱駝艦の艦員だった奥山ばらば、そして、土方巽が創設したアスベスト館で舞踏手であるとともに振付けも手がけた工藤丈輝と、
「舞踏」を担ってきた伝説的存在のもとで学んだ第二世代の舞踏家を集めることで、舞踏の現在を開示する企画と言えるだろう。


公演時間は、1時間40分。これが異様に濃密な時間だった。


CORVUSは、舞踏概念にとらわれないオイリュトミーで作られた肉体で、言語と格闘するような「血と雪」を踊り、奥山ばらばは、関節を感じさせないなめらかな動きで、30分もの間、重力に抗い続けた。


工藤丈輝は、白塗りならぬ黒塗りで、爬虫類から獣へ、そして人間への生成を踊ったが、子供が見たら泣き出しかねない異形の恐怖、これは詩友、広瀬大志くんに見てもらいたかったところである。



今や、「舞踏」も創草期とは違って、規定しがたいものになっている。


日本発の前衛的身体表現として、世界に知られるようになった「BUTOU」は、新たなステージを迎えたというべきなのだろう。


それは踊りとしての様式化をつねに脱ぎ捨てていくことであり、言語と身体の関わりに根差した問題なのではないだろうか。


ラディカルな問いを突きつける公演だった。
posted by 城戸朱理 at 15:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私のレインブーツ

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大雪が降ったときや、北国に行くときは、「100年ブーツ」の異名を取るアメリカ、レッドウィングの乗馬用ロングブーツを履くことが多い。


レッドウィングの商品名は「ペコスブーツ」だが、ローパーブーツがアメリカでは普通の呼び方で、レッドウィングでは、農作業用のステムが太いものと、乗馬用のステムが細いものがある。


乗馬用と言っても、優雅な貴族階級のそれではなくて、牧場で牧童が使うものだから、オイルを含んだホーウィン社のクロムエクセル・レザーが使われている。



もう、20年近く愛用しているが、「100年ブーツ」だけに、いまだに現役である。



当然、雨天にも重宝するが、ステムの長いロングブーツなので、スーツには合わせられない。





そこで、鎌倉で激しい雨に降られたときには、丈の短いレインブーツを履くようにしている。



イタリアのサルバドーレ・フェラガモのものだが、レインブーツだけにラバー製。

ただし、ライニングはレザーで、履き心地がいい。



実家で雪かきをするときにも使えるだろうと思って、厚手のウールソックスを履くのを前提に、ワンサイズ大きいものを選んだので、鎌倉で使うときは中敷きを入れて調整している。



足元を気にせず動けると、雨の日のストレスを軽減できるので、私にとっては必須アイテムのひとつだ。



レインブーツは、雪国に旅するときにも必携の一足になる。
posted by 城戸朱理 at 03:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

せいこ蟹、到来

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北陸の冬の味覚、せいこ蟹。


これは、雌のズワイガニのことで、小振りながら、内子と外子を持ち、味わいは濃厚、福井では香箱蟹とも呼ばれる。


資源保護のため、漁期は11月6日から1月10日と限られており、今年は解禁されて間もない10日に、京都の「ごだん宮ざわ」でいただくことが出来た。


ところが――


せいこ蟹の美味しさに目覚めたバンビことパンクな彼女は、ひそかに、せいこ蟹を現地に注文していたのである!


かくして、17日に、せいこ蟹五杯が到着。


バンビはフランス産のスパークリングワイン2本を準備し、さらに冷凍してあった中村屋のアワビステーキグラタンまで出して、夜に備えているではないか。



あくなき好奇心と旺盛な食欲で、世界中の美味という美味を食べ尽くした作家、開高健も、「日本海の蒸したての蟹」を最上の美味に数えており、その開高健が、せいこ蟹に寄せた文章がある。




丹念にほぐしていくと、赤くてモチモチしたのや、白くてベロベロしたのや、
暗赤色の卵や、緑いろの味噌や、なおあれがあり、なおこれがある。

(『地球はグラスのふちを回る』)




戦後屈指の美文家だけに、官能的なまでの描写だが、北陸の蟹に魅せられた開高健は、毎年、冬になると蟹を食べるために福井に旅したそうだ。


田村隆一もまた、北陸の蟹に魅せられたひとり。

『素晴らしき新世界』にさりげなく書かれているのだが、田村さんは越前ガニが、お好きだったようだ。



さて、せいこ蟹である。

解体して、戦前の瀬戸の白磁角大皿にどさりと盛り付ける。

身の甘さに驚き、蟹味噌の濃厚さに唸り、オレンジ色の内子と茶色の外子の歯応えを楽しみ、まさに「なおあれがあり、なおこれがある」とは至言。


バンビは、目が三日月型になっている。

これは、美味しいものを食べているときのバンビの特徴なのだった。
posted by 城戸朱理 at 11:17| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

隠れ家のようなバーで

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もう一軒行くことになり、福與伸二さんが連れていってくれたのは、銀座七丁目のバー・ネプラスウルトラだった。

こんなバーがあるのは、まったく知らなかったが、会員制だから当然だろう。


階段を地下に降り、福與さんが会員カードをかざして扉を開けると、そこは重厚な調度の空間が広がっている。


この店は、1970年代を中心にしたヴィンテージのウィスキーとブランデーのコレクションが充実しており、福與さんのセレクトで、ブレンデットとシングルモルトを頼んだ。


こうなると、話題はウィスキーのことになる。

福與さんによると、1960年代のウィスキーは、第二次世界大戦中に仕込まれたものが多く、
混乱期だけに仕事が粗いそうで、むしろ、戦後に仕込まれたウィスキーのほうが安定しているのだそうだ。


今や、世界的な評価を誇るジャパニーズ・ウィスキーだが、やはりアイラ島のオイリーなシングルモルトなどに比べると、淡白なところがある。

それが、日本のウィスキーなのだろうし、和食にも合う所以だろうか。


写真は、左から徳山喜雄さん、福與伸二さん、小川英晴さん。

小川さんが取り持ってくれたご縁だが、私にとっては贅沢な時間だった。


しかも、ここでも福與さんに御馳走になってしまったので、次回は私がお招きしなくては。
posted by 城戸朱理 at 12:45| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それでも飲みに行く?

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京都にいるとき、詩人の小川英晴さんから、お誘いがあった。


サントリーのチーフブレンダー、福與伸二さんが上京されるので、飲み会が催されることになったのだという。


迷った。


大いに迷った。


なぜかというと、身体を冷やしたのか、京都から戻った日に、風邪をひいてしまったのである。


しかし、メンバーは、国学院大学の教授でジャーナリストの徳山喜雄さんに小川さん、そして福與さんである。


しかも、福與さんが行きつけにしている店に行くとなると、風邪くらいで断るわけにはいかないではないか。


かくして、懲りない私は、京都から戻った翌日、13日に、ふらふらしながら銀座に向かったのだった。

まったく、困った人である。



待ち合わせは、銀座の菜庵。

資生堂に近いビルの三階にある隠れ家のような店で、たどり着けるか不安だったが、意外と簡単に見つかったのでホッとする。


この店は、日本酒以外は、サントリーのみ。

まずは、プレミアムモルツで乾杯し、しばし、ウィスキー談義が続く。


「家庭料理みたいなものしか出せませんが」と女将さんは言うが、
鰹の叩き、締め鯖から始まった料理は、工夫が凝らされ、ウィスキーの水割りによく合った。


「こういうときは、角の水割りが合いますね」と福與さん。


ウィスキーの水割りやハイボールは、日本風の飲み方になったことを思わず納得してしまったが、
このメンバーだと、話題も酒から音楽、美術、そして政治と何でもありで、時がたつのも忘れるほどだった。
posted by 城戸朱理 at 12:18| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

旅のコート

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旅に出ることが増えると、旅行用品を意識するようになる。


2015年10月19日にアップした記事のトラベラーズ・ジャケットなどは、まさにそれだが、ほかにも、急に雨に降られたときや、思いがけず冷え込んだときのためのコートやパーカもそうだ。


2年前のベルリンでは、サンダーストームの豪雨に襲われたし、京都だと、春や秋でも、思いがけないほど冷え込むことがある。


そんなときに、薄手のコートが一着あると、まったく違うのだ。


しかも、ナイロンのコートは、たたむとスウェットシャツほどの容量になるので、かさばらないし、トランクの空きスペースに詰め込むことができる。


旅の必需品である。



今回、トランクに詰め込んで持っていったのは、ビタミンイエローのナイロンコート。

エンポリオ・アルマーニのもので、首に当たる襟の部分だけコットンになっている。



もう一着、着ていったのがPRADAの黒のパーカである。

こちらは、やや厚手で防風性のみならず、防水性も高い。

しかもフードが付いているので、急に雨に降られたときに重宝する。


10月に岩手県久慈市の小袖海女センターで雨に降られたときも、このパーカのおかげで濡れずに済んだ。


たしか7、8年前に買ったものだが、愛用している一着だ。



ブルーグレーのパーカは、ポリウレタンコーティングを施した完全防水のGUCCIのパーカ。

これ以上の防水性を求めるとなると、登山用のゴアテックス製マウンテンパーカを求めるしかないだろう。


GUCCIは、ブランド隆盛の立役者だったフリーダ・ジャンニーニが、クリエイティブ・ディレクターを2015年に辞任し、後任はアレッサンドロ・ミケーレになった。

ところが、クリエイティブディレクターが変わったとたんにデザインも一変、異様にポップで、ヤンキー向けとしか思えないコレクションになってしまったので、今や、私が選ぶようなアイテムは、見当たらない。



最後の一着は、コートでもパーカでもないが、やはり旅行用に購入したもので、フリーダ・ジャンニーニ時代のGUCCIのジャケットである。

中綿入りで、ファスナーを完全に閉めると首まですっぽりと覆うデザインになっており、ポケットもサファリジャケット風に4つ。

厚手のセーターのうえに羽織ると、厳寒期以外は、コートなしで動くことが出来る。


こんなふうに機能的な服をGUCCIが作る日は、もうこないのだろうか。



私の場合、コートなどの重衣料は10年は着られることが選ぶときの条件だが、こと旅行用に関しては、あくまでも道具であって、機能性で選ぶものであるのが見えてくる。
posted by 城戸朱理 at 09:58| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

京都で買ったもの〜一澤信三郎帆布のリュック

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京都土産として不動の地位を占める一澤帆布だが、創業は明治38年(1905)で、職人用に帆布製の鞄を作るようになったのは大正時代のこと。


戦後になって、リュックやテントなど登山用品も手がけるようになり、名を馳せたが、私の父も一澤帆布のリュックを愛用していた。


それが、タウンユースのバッグとして注目されるようになったのは、1980年代のことだった。

私も当時、購入したトートバッグやエプロンをいまだに愛用している。



海岸で漂流物を探して、写真を撮るときには両手が空いていたほうがいいので、リュックを探していたのだが、バンビことパンクな彼女の提案で、知恩院前の一澤信三郎帆布を見てみることにした。



写真を撮るときは、デジタルでもフィルムでも、細々とした備品があるので、ポケットが多いものが望ましい。



すると、あったのだ、まさにこれというバッグが。


ポケットは、内側にふたつ、外側は四つ、さらに背中に当たる部分にもひとつと、全部で七つも付いている。

サイドのポケットは、ペットボトルが入れられるし、フラップ付きのポケットには予備のフィルムを収納できる。

一澤帆布ならではの防水仕様だし、理想的なリュックである。


カラーは四色あったが、黒い服に映えそうなレンガ色を選んだ。



このリュックに機材を詰めて、海岸を歩いては漂流物を撮影したり、画材を持って、スケッチに出かけたりしよう。
posted by 城戸朱理 at 00:30| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

京都で買ったもの〜有次の雪平鍋

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久しぶりに鍋を買うことにした。


それというのも、傷みが目につく鍋が増えたからである。



処分したのは、ホウロウの鍋が多い。

ハワイで買ったふたつのホウロウ鍋はアンティークだから、もともと小傷があったのだが、ほかにも、焦げ付きが取れない鍋がある。


結局、鍋4個を処分することにしたので、バンビことパンクな彼女と相談して、とりあえず、有次で雪平鍋2つを購入し、様子を見ることにした。



有次は、創業1560年の老舗で、職人がひとつひとつ手作りしているだけに、鍋も美しい。



バンビの希望で、名前を入れてもらったが、雪平鍋は、下ろす前に米のとぎ汁やくず野菜を煮て、酸化皮膜を作ると、黒ずみを防ぐことが出来る。



それにしても、錦市場の有次の混雑ぶりは凄かった。

しかも、包丁を選んでいる欧米からの観光客が多かったが、今や、有次は海外でも知られるようになったのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:47| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夕食がロケ弁当?

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それにしても、よく歩いた4日間だった。


京都でなければ、こんなには歩き回らなかったかも知れない。


ごだん宮ざわ、平野屋と、2日続けて素晴らしい料理をいただいたので、今回は老舗料亭の弁当ではなく、私は、ロケ弁当の専門店、穂久彩の「京都太秦名物 ロケ弁当」を、バンビことパンクな彼女は吉野の柿の葉寿司を購入した。



京都は、映画やテレビのロケが多い。

穂久彩は、京都市内であれば、どこでも配達してくれるロケ弁当の専門店だが、去年あたりから、京都駅でも見かけるようになった。


大学卒業後、太秦の東映撮影所に就職した井上春生監督には、なじみ深い弁当らしく、ときどき食べたくなると言っていたっけ。



新幹線の車中では、地ビールを飲みながら、読書。


帰宅してから、出汁仕立ての湯豆腐を作って、お弁当を開いた。


塩鯖、鶏の唐揚げ、鰻と、定番の取り肴だが、出汁巻き玉子と梅の生麩をあしらった炊き合わせが、京都らしい。


この弁当、ロケの途中に何度も食べたが、私も、たまに食べたくなるようになった。


近年、雑誌などでロケ弁当の特集が組まれ、テレビ局がどこにお弁当を注文しているか、どんな内容なのかが紹介されたりしているが、穂久彩のお弁当は、多彩なうえ、上品な味である。
posted by 城戸朱理 at 09:36| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都の町中華〜マルシン飯店再訪

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11月12日は、帰るだけなので気持ちが軽い。

荷物をトランクにパッキングして、宅急便で送り出し、糸屋ホテルをチェックアウトした。


身軽になったので、バンビことパンクな彼女と、烏丸松原から四条、さらに錦市場で買い物をして、祇園へと散策する。


鍵善良房で干菓子を買ったり、知恩院前の一澤信三郎帆布を覗いたりしながら、歩き回っていたら、お昼どき。


バンビが「また、マルシン飯店で餃子を食べたいね!」と言うので、東大路を上り、マルシン飯店に行った。


マルシン飯店は、店の外で何組か待っている人が並んでいるほどの繁盛ぶりである。



待つことしばし、席が空いたので、メニューをじっくり読んでみた。


まずは、バンビのリクエストの熟成豚肉の餃子を頼んで、ビール。

店のお勧め通り、たっぷりの胡椒に酢をかけたものに、普通の餃子のタレを用意する。



「やっぱり、美味しいね!
近所にあったら、毎日、通っちゃうなあ!」



バンビはよほど気に行ったらしいが、たしかに熟成した豚肉だけに癖がなく、実に軽い食感である。


さらに、天津飯があれだけ美味しいということは、スープが美味しいということだから、ラーメンも美味しいに違いないというバンビの意見で、チャーシュー麺を、さらに、蟹玉と炒飯を頼んでみた。


ふたりだと多すぎるが、汁物以外は残しても包んでもらえるから、中華は楽である。


チャーシュー麺は、昔懐かしい中華そばといった風情、蟹玉も普通の甘酢餡掛けで、天津飯ほどのインパクトはない。


やはり、マルシン飯店では熟成肉餃子と天津飯を頼むのが正解らしい。


常連客は、八宝菜に天津飯とか、驚くほどボリュームがある豚肉の天ぷらに五目ラーメンとか、思い思いのものを頼んでいる。


いかにも町中華の眺めで、それがまた楽しい。


京都で町中華に入ったのは、今回が初めて、レパートリーが広がったものだから、バンビも喜んでいたのだが――



「んふう〜。
お腹がぽんぽんだよ〜。
ぽんぽんで苦しいよ〜」



食べ過ぎて、お腹が「ぽんぽん」になってしまったのである。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 09:33| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする