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城戸朱理のブログ

2018年03月30日

コートを脱いで

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3月になったとたんに寒さが緩み、桜も例年より早く咲き始めたが、今年の冬は寒さが厳しかった。

昨年はコットン・ギャバジンのトレンチコートを着用することもなく、秋口には、もうウールコートを出していたほどだが、いざクリーニングに出そうと思ったところで、バンビことパンクな彼女の北海道旅行、そして私の盛岡出張があったので、結局、ウールコートをクリーニングに出したのは、3月の第4週になってからだった。



今年の冬にローテーションしたコートは3着、いずれもジョルジオ・アルマーニのものである。


散歩のときに着ていたのが、コレクション・ラインのGIORGIO ARMANIのピーコート。

ハーフ丈のピーコートは、海岸で漂流物を撮影するためにしゃがんでも裾を引きずらないので、海辺の散歩のときに愛用した。

このコートは、珍しいことにメルトン地とニット地を合わせた作りになっている。



仕事のときは、チェスターコートを着用した。


黒は、厚手のヴァージンウールで、ビジネスラインのARMANI COLLEZIONI。

スーツと同じノッチトラペルのシングルで、厚手なだけに極めて暖かい。


濃紺のチェスターコートは、これもコレクション・ラインのGIORGIO ARMANIで、カシミア製。

カシミアなのに背抜きのアンコン仕立てで、変形のピークトラペル、ダブルブレストという若干、デザインされたモデルである。


チェスターフィールド伯爵に由来するチェスターコートは、私のもっとも好きなコートで、ほかにも3着持っている。

どう考えても、持ちすぎだが、冬物というと、まずコートに目がいってしまうのは、北国生まれで、寒さに備える気持ちが強いからかも知れない。


ともあれ、これからは軽やかなスプリングコートの季節。

身軽になると、言葉の角度も変わってくる。

新しい言葉を書きつけていきたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 08:39| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月29日

毛蟹と塩ウニと

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3月21日、春分の日は、バンビことパンクな彼女が北海道から帰ってくる日だったので、私が夕食の準備をした。


人参とタマネギをバターで丹念に炒めてから、柔らかくなるまで煮て、ブレンダーにかけ、牛乳で伸ばして、人参のポタージュを作り、ラム肉を香草で焼いていたら、バンビが帰ってきた。



「お土産は、オホーツクの毛蟹だよ!
貴重な塩ウニもあるんだよ!」



このメニューでは、飲まないわけにはいかない。

イチゴを出し、スパークリングワインを開けた。

だが、蟹味噌と塩ウニには、やはり日本酒だろう。


北海道の土産話を聞きながら、ささやかな大宴会(?)で、春分の日の夜は更けていったのだった。
posted by 城戸朱理 at 09:15| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あざらちでつ!?

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北海道に流れ着く流氷には、アザラシが乗っていることがあるそうだ。



「あざらちでつ!」



バンビことパンクな彼女が、アザラシ気分になっている。

なぜかと言うとーー



「緊張しちゃうなあ!」

珍しく緊張しているのである。

「ちっちゃいコのひとり旅だからね!」



そうなのである。

バンビはひとりで、北海道に行くことにしたのだ。


だが、完全なひとり旅というわけではない。

北海道で柳美里さんと落ち合ってから、さらにオホーツク海まで足を伸ばそうという計画なのである。

柳さんが、なぜ北海道に行くのかは、柳さん自身のエッセイで明らかになることだろう。


しかし、オホーツク海沿岸となると、3月でも氷点下10℃を下回ることがある。


そこで、ウールの8倍もの保温力を持つキャメルのコートをラルフローレンで見つけたので、北海道旅行用に買ってあげた。



「んふ!
とってもあったかいね!」



かくしてバンビはキャメルのコートにバスクベレーをかぶり、足元をドクターマーチンの8ホールブーツで固めて北海道に旅立ったのだった。


北海道で、蟹を始めとする新鮮な海鮮や焼き肉を食べようという魂胆なのは間違いない。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 08:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月22日

いかれバンビと究極の寿司???

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バンビことパンクな彼女から、LINEで写真が送られてきた。



「究極の寿司、五貫2700円だよ!」
!!!



「鮭、キンキ、アブラガニの塩内子、塩ウニ、知床牛の叩きだよ!」
!!!!!!



ほとんど、酒の肴ではないか!



「サッポロクラシックの樽生を頼んだよ!」



いったい、バンビはどこに行ったのだろうか?


正解は、明日(笑)。
posted by 城戸朱理 at 23:11| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

桜が咲いて、雪が降り

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今年は豪雪と厳寒の冬だったが、3月に入ったら寒気が緩み、例年より早く、桜も開き始めた。

鎌倉では、あちこちに土筆が顔を出し、ひと足早い春の訪れと思っていたら、20日から降り続けた雨が、21日には雪にかわった。


桜の花に雪が積もるのを見るのは、私の人生で三度目だと思う。

最初は、高貝弘也くんの結婚式の年で、スピーチで二大季語が重なった年と話したのを覚えている。


冬と春の季語の重なりは、何やら幽世(かくりょ)からの誘いのようでもあり、心が落ち着かない。
posted by 城戸朱理 at 21:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月20日

写真における「失われた世代」



デジタルカメラの普及、さらにはスマートフォンの普及によって、誰でも手軽に写真を撮ることができる時代になった。

SONY製のデジカメを搭載するiPhoneを始めとするスマートフォンは、あえてカメラを持つ必要を感じないほどの高機能を誇っている。

今や、本格的なカメラは、プロと好事家のものになりつつあるのではないだろうか。


しかも、フィルムならば現像して紙焼きするまで、どんな写真が撮れているのか分からないが、デジタルなら撮ったその場で確認できるし、失敗したときは消去すれば済むのだから手間要らずのうえ、写真をクラウドに保存しておけば、場所も取らない。

今ほど、世界中でおびただしい写真が撮られた時代は、かつてなかった。


現在、世界中でインスタグラムに投稿される写真は1日で5200万枚以上、フェイスブックに至っては3億5000万枚に及ぶという。

つまり、毎日、4億枚を超える写真がSNSにアップされていることになる。


気が遠くなるような枚数だが、デジタルで撮影された写真のうち、プリントしてアルバムに貼られるのは、わずか23%(サムスン調べ)。

それでも膨大な枚数になるが、まったくアクセスできなくなる写真は、年間に撮影された写真の約3分の1、6億3100万枚に及ぶと推計されている。


つまり、手軽に写真が撮れるようになったおかげで、失われるものも膨大なものとなったわけだが、それ以上に昔ながらのアルバムが失われつつあるというところが問題だろう。


私の場合、父親が一眼レフで写真を撮り、暗室を作って紙焼きまでやっていたので、幼少期の写真は、父がアルバムに整理してくれたものが残っている。

デジタル以前は、どこの家庭でも、そんなふうに子供や家族の写真をアルバムに貼って整理したものだが、今や、撮られた数に比して、アルバムに整理される写真は減り、失われる写真は増えたことになる。


デジタル世代は、家族史も思い出も消失する「失われた世代」になりかねないという記事を、昨年、イギリスの「デイリー・テレグラフ」紙が掲載したが、膨大に撮影されるほど、記憶が失われていくのだから、逆説としかいいようがない。


今や、メディアを持っていけばコンビニでも写真のプリントはできるし、プリンターがあれば家庭でもプリントすることができる。

それなのに紙焼きは減る一方で、アルバムに整理されることもなく、失われていく。


ハードディスクやクラウドで、永遠の眠りに就く膨大な画像。


それは、それで見果てぬ夢のような気がしないでもない。
posted by 城戸朱理 at 09:39| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月19日

こけちでつ!?

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いやな予感はしていたのだ。


鎌倉駅西口、御成通りに鎌倉はんこという店が出来たのは知っていたが、評判がいいものだから覗いてみたら、こけし型の判子があるではないか!?


バンビことパンクな彼女が、こけし風に前髪をぱっつんと揃えた髪型にして、生きているこけし=生(なま)こけしになるのを、ようやく止めたのに、こんな判子を見たら「にゃふふふ」と喜び、「今こそ、時代はこけしなんだよ!」と訳の分からないことを言って、またもや生こけしになりかねないではないか。

しばらく、御成通りには近づかないことにしよう。


そう思っていたら、どこかにパタパタと出かけていったバンビからLINEでメッセージが届いた。


「こけちでつ!」
!!!!!!


「でつ」は「です」のネットスラングだが、「こけち」は明らかに「こけし」の変化形だろう。

これは「ちっちゃい・こけし」→「こけし・ちっちゃい」→「こけち」と変化したものだろうか?

いや、そんなことはどうでもいい。

要するに「こけちでつ!」というメッセージが「こけしです!」という意味なのは間違いない。


また、こけし風の髪型にして生こけしになろうとしているのだろうか?

それとも、すでに髪を切って、生こけしになってしまったのだろうか?


パンクなだけに油断大敵、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 15:12| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

なぜ、河童はキュウリしか食べないのか?

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インドを旅したとき、やたらと太いキュウリを売っている屋台が目についた。

ガイドに尋ねたら、インドでは水がわりにキュウリをかじるのだとか。

たしかに、キュウリは成分のほとんどが水だから、水分補給には向いている。

しかも、インドのキュウリは日本のそれよりも何倍も太く、最初はキュウリと気づかなかったほどだから、水筒がわりになるのだろう。


インドのサラダ、キュウリのライタは、ヨーグルトにレモン汁と空炒りしたクミンシードを加え、グレイターでおろしたキュウリと和えて、塩で調味したものだが、これも暑い季節にはいい。


やはり、キュウリは夏のものなのだろう。

そういえば、フランス料理にもキュウリのポタージュがあるが、これも夏に冷やして供するのがもっぱらである。


ところが、日中、20℃を超える日が続いたせいか、キュウリのポタージュを作りたくなった。


スライスしたタマネギと小口切りにしたキュウリをバターで炒め、ひたひたのスープを加えて煮えたら、ブレンダーにかけ、牛乳で伸ばす。

塩・胡椒して調味したら出来上がり。


ハネデューメロンを切って、ハモンセラーノを乗せ、夏蜜柑を剥いていたら、バンビことパンクな彼女がやって来た。



「これは何かな?」

キュウリのポタージュだよ。

「キュウリのポタージュ?
キュウリもポタージュに出来るんだね!
生ハムにメロンもあるから、しゅんわりを開けなくちゃ!」



バンビのリクエストでスパークリングワインを開けたのだが、フルーツをつまみ、生ハムやチーズでワインを飲んでいたら、用意しておいたカルボナーラ・スパゲッティまでは手が伸びなかった。


ポタージュは、ジャガイモやカボチャがポピュラーだが、人参でも美味しく出来るし、アスパラやキュウリも悪くない。


ところで、なぜ、河童はキュウリしか食べないのだろう?
posted by 城戸朱理 at 13:48| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月17日

Edge岡本啓篇、三角みづ紀篇の試写へ

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3月16日は、昼前から雨が降り始めた。

日中は暖かだが、朝晩は、それなりに冷え込むので、何を着たらいいのか迷う季節である。


とりあえず、カシミアのジャケットにPRADAのパーカをはおり、念のため、カシミアの大判のストールを持って、東京へ。

テレコムスタッフでの試写は4時からなのに、3時には青山に着いてしまったので、渋谷方面に足を伸ばし、詩書専門の中村書店を久しぶりに覗いた。

吉田一穂『海の聖母』など、気になるものが少なくなかったので、晴れた日に、ゆっくり訪れたいものだ。



試写はテレコムスタッフ別館で、予定通り4時から始まった。


岡本啓篇では、ミャンマーロケを敢行。

平田潤子ディレクターが、北京経由の格安航空券を手配したらしいが、いざヤンゴンに着いてみたら、平田さんの荷物が届かず、岡本さんが「ロスト・バゲージ」なる新作を書いたりしているのだから見ている分には面白いが、過酷なロケだったのは間違いない。

あげくのはてには、バスでミャンマー南部に20時間の移動。

帰国してから、平田ディレクターが「もう過酷な海外ロケはやめましょう」と言っていたのもうなずける。


私がミャンマーに行ったときは、トランジットがタイのバンコックで、目的地は北部のバガン高原の寺院郡だったから、印象深い旅となったが、Edgeの予算で海外ロケとなると、切り詰めた貧乏旅行にならざるをえない。



一方、三角みづ紀篇は、札幌に転居し、北国で暮らし始めた三角さんが、網走に流氷を見に行くという仕立てで、あまりの寒さに震え上がったという。

これまた過酷なロケだが、映像には寒さは映らない。

見ている分には、流氷が接岸して、彼方まで氷原に見えるような美しい景色が広がっている。

三角さんの新作も生まれたし、昨年、12月に入籍したが結婚式をしていないという新婚の三角さんが、御主人とウェディングドレス姿で写真撮影する場面もあったりして、いい記念になったのではないだろうか。



試写が終わってから、テレコムスタッフの社員食堂化している「しまだ」に席を移し、狩野善彦、伊藤憲ディレクターらも合流。

年明けに手術をしたという寺島高幸社長は、もうお酒が飲めるまで回復したとのこと。


伊藤憲、平田潤子両氏は、ジム・ジャームッシュ「パターソン」を見て、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの訳詩集を探したが、高値古書ばかりで、手頃なものがないのを嘆いていた。

私の手元には、日本で刊行されたW.C.ウィリアムズの翻訳はすべて揃っているので、貸してあげてもいいが、思潮社なり、どこかの出版社が再刊して欲しいものである。


それから、伊藤憲ディレクターがオーディオの重要性を力説するうちに、クラシック音楽の話題になり、スタジオ録音しかしなかったグレン・グールドの若き日のコンサートのライヴ盤を私が持っていると言ったら、異様に興奮していたが、伊藤ディレクターが、こんなに音楽好きとは知らなかった。


8時すぎに散会し、私は東海道線で藤沢駅まで戻り、タクシーで帰宅した。
posted by 城戸朱理 at 17:06| Edge | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月16日

李朝の盃

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刷毛目や粉引きなど、李朝の盃のことを続けて書いたので、李朝の盃のことを書いておきたい。


私が初めて李朝の盃を求めたのは、もう30年近くも前のこと。

第二詩集となる『非鉄』の原稿を一気に書き上げたとき、記念に求めたものだった。

李朝初期の白磁盃で、今でも酒器箪笥の奥にあるのではないだろうか。


その後、あちこちで出会うたびに取り上げた盃もあれば、いただいたものもある。


最初の写真が、加藤恭一さんからいただいた李朝盃。

ひとつは、見込みにだけ刷毛目がほどこされた李朝初期の内刷毛目盃。

もうひとつは、柔らかな玉子手の盃で、面白いことに桐箱には「初期伊万里盃」と書かれている。

本郷の骨董屋で求めたそうだが、業者は、より高値を呼ぶ初期伊万里と思いたかったのだろう。

だが、紛れもなく李朝である。

中期の所産だろうか。

白磁釉が黄みを帯びた上がりになっており、春めいた気配がある盃だったが、雨漏りが生じるにつれて、様子が一変した。

酒徒は、雨漏りを喜ぶが、家人からは呆れられるだけである。



ソウルや京都、あるいは松山など、旅先で求めた李朝盃も少なくない。


写真は松山で出会った無地刷毛目盃(左)と京都で求めた白磁盃に井戸手盃。

京都では、李朝より時代が上がる高麗白磁の盃を見つけたこともあった。


貫入が細かく入った井戸手盃は、李朝も末期の灯明皿で、東寺の弘法市で見つけたもの。

還元焔で焼成されたため、青みを帯びた上がりになっており、酒映りがいい。


高台の高い白磁盃は、祭器として作られたものである。

儒教を国教とした朝鮮王朝では、各家庭に祖先を祀るための祭器がひと揃いあった。

日本の骨董屋では、たんなる白磁よりも高値を呼ぶが、韓国に行くと、いまだに骨董屋に山積みされており、それほど評価されるものではないので、入手は難しくない。


もっとも、興味がない人が見たら、どれも大した違いはないだろう。

いずれも、やや深さのある小皿のようなものである。

小林秀雄は「嫌いと言うのは易しいが、好きと言い出すと、まことに混み入った世界に入るものである」(「徳利と盃」)と語ったが、年を経るにつれて感じ入る言葉だ。
posted by 城戸朱理 at 11:15| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

及川俊哉『えみしのくにがたり』(土曜美術社出版販売)

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渾身の「現代祝詞」を含む及川俊哉の新詩集が、ついに刊行された。


著者は「あとがき」で、大和朝廷の神話である「アマガタリ」に地方の神話である「クニガタリ」が繰り込まれていく過程で、捨象された「辞の葉の腐葉(コトのハのイサハ)」(折口信夫)があったであろうことを指摘し、
東日本大震災で露出した東北地方という問題に対峙するために、東北の先住民たる蝦夷の神話の再創造を自らに課したことを語っている。

いわば、「クニガタリ」を祝詞という形式でもって再創造するわけだが、それは、そのまま東北の再生への祈念でもあり、可視化されたものではないにしろ、民族の怒りが底流にあるのではないだろうか。


「えみしのくにがたり」は四部で構成されている。

最終章は「にゃんこに語る正法眼蔵」「悟ったら一発逆転でつち」(「現成公案」)のように、ネットスラングを多用して、道元の思想を語る快作もあるが、
「一瞬の自戒」「わっしょい!生命!」と最後まで読み進めるならば、「甦り」を主題とするものになっていることが分かるだろう。

それは、たんなる復興ではない。


新たな「クニガタリ」をベースに、辺境の精神の新生を賭けた詩業が、ここにある。
posted by 城戸朱理 at 10:37| 詩誌・詩集評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月14日

Ezra Pound and Japan@東京女子大学

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寒気が緩んで春めいてきたが、今年は桜の開花も例年より早いらしい。


3月12日は、午前中に「現代詩手帖」和合亮一特集の鼎談のゲラをチェックして戻した。

バンビことパンクな彼女は、確定申告の準備をするかたわらで、片付けを進めている。



そして、夕方には、学会「Ezra
Pound and Japan」の基調講演のため、西荻窪の東京女子大学へ。

これは、パウンディアン、アンドルー・エリック・ハウウェン先生が組織した学会で、私とバンビが到着したときは、パウンドと謡曲について、外国人研究者4人が討議していた。


私の基調講演は、原成吉先生の紹介のあと遠藤朋之先生とQ&A形式で。

私の答えを、その場で英語に要約していく遠藤先生が素晴らしかった。


それにしても、パウンディアンの学会だけに、パウンド関係のこととなると、お能であれ、俳句であれ、みなさん、異様に詳しい。



終了後は吉祥寺のイタリアン、ラ・ベファーナで会食。

ベファーナはイタリアでクリスマスにプレゼントを持ってきてくれる魔女の名前だが、聞いたことがある店名だと思ったら、下北沢にある店の系列店で、下北沢駅西口にある店は、以前はポム・ド・テールという店だった。

かつて、「洗濯船」同人が、吉岡実さんを囲んで会食したこともある。


帰宅したのは、0時ごろだろうか。

往復で4時間近くかかるので、東京に出かけるのは、ひと仕事だ。
posted by 城戸朱理 at 16:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

李朝の筒盃

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自在屋主人、勝見充男さんは酒器好きで有名で、盃123個を並べた『骨董屋の盃手帖』(淡交社)という著作まである。

古墳時代から明治、大正まで、稀品、優品から珍品まで、百を超える盃が並ぶのだから圧巻だが、そのわりには親しみやすさもある。


買うだけで、売らなければ骨董屋という商売は成り立たないから、売るものもあるのだろうが、時代が下るものを取り上げたり、愛らしいものも散見したりする「勝見好み」が今日の骨董業界のひとつの流れを作っているのも事実だろう。


その勝見さんが同書で 「この世の盃の中で、何が一番欲しいかと聞かれれば〈李朝の堅手の筒〉と答えるだろう」と語っている。

朝鮮王朝時代には、もっぱら白磁ばかりが焼かれたが、白磁に成りきらず堅い感じをするものを「堅手」と呼ぶ。

「筒」とは、筒状の立ちぐい呑みのことだが、たしかに李朝の盃は碗形(わんなり)ばかりで筒盃は見かけない。

ちなみに『骨董屋の盃手帖』で紹介されている李朝の筒盃は2点。

李朝初期の堅手と後期の白磁で、後者を勝見さんは「幻の李朝白磁筒」と呼んでいる。


堅手であれ、白磁であれ、業者にとってさえ幻なのだから、出会わないのも当たり前だが、私の場合は事情が違った。

李朝の筒盃が滅多にあるものではないことを知らなかった20年以上前に、小林秀雄が生前、よく立ち寄った鎌倉の骨董屋と、今はなくなった若宮大路の骨董屋で出会って、珍しい形があるものだと思いながら求めたのである。


刷毛目の盃は、厳密には半筒だろうが、こんな形状の粉青沙器は見たことがない。

さらに珍しいのは、くちばしの長い鳥のための水入れだろうかと思えるほど長い筒状の三島手で、何に使ったものか分からないが、盃には大きすぎるので、私は、これでビールを飲んでいる。



白磁の筒は李朝後期のもので、やや大振りだが、たっぷりと掛けられた白磁釉が美しい。


「幻」と知ったときには、すでに現物が手元にあった李朝の筒盃、そう思うと不思議な気がする。
posted by 城戸朱理 at 11:49| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月12日

宮澤賢治フォーラム@岩手大学



宮澤賢治をめぐる岩手大学のフォーラムのシンポジウムにパネリストとして出席します。


詳細は下記の通りです。




◎宮澤賢治盛岡高等農林学校卒業100年記念・
 岩手大学地域創生フォーラム「イーハトーブの学び舎から」

▼日時:
2018年3月24日(土)14時〜17時(13時半開場)

▼会場:
岩手大学農学部附属農業教育資料館2階講堂

▼プログラム


1)開会挨拶:大野眞男(教育学部教授、宮澤賢治センター代表)


2)第一部:記念講演)

鈴木幸一(農学部名誉教授)「賢治と盛岡高等農林学校」(仮題)
 

3)第二部:朗読と音楽演奏

秋山雅子(朗読&FL)&水本淳一 (Vn)
 

  〜〜 休 憩〜〜


4)第三部:シンポジウム
「賢治詩歌のこころを語る:岩手出身の詩人・歌人・俳人の立場から」


佐藤通雅(歌人)
照井翠(俳人)
城戸朱理(詩人) 


5)閉会挨拶:佐藤れえ子(農学部附属農業教育資料館長)

▼入場無料、事前申し込み不要

▼主催:岩手大学宮澤賢治センター
    
▼共催:岩手大学農学部附属農業教育資料館
    



私が参加するのは、岩手出身の詩歌人によるシンポジウムになります。

宮澤賢治の世界に新しいアプローチを試みたいと考えています。

ぜひ、御参加下さい。
posted by 城戸朱理 at 14:14| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東日本大震災から7年

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東日本大震災から7年。

鎌倉では河津桜と玉縄桜が満開で、ミモザが咲き乱れている。

7年前の3月11日は、もっと寒かった。


この日は、「岩手日報」が東日本大震災7周年の特別号外を鎌倉で配布すると聞いたので、バンビことパンクな彼女と鎌倉駅東口へ。

藤原誠一販売局長を始めとする岩手日報社のみなさんに御挨拶し、鎌倉の岩手県人会の方々と一緒に私も号外の配布のお手伝いをさせていただいた。


特別号外は13時から大仏の高徳院で300部、15時から鎌倉駅東口で700部を配布したそうだが、20分たらずですべてなくなった。

自分から取りに来てくれる人もいれば、まったく興味を示さない人もいる。

震災に対する意識も、モザイクのようだ。


配布を終えてから、バンビと由比ヶ浜まで散歩したのだが、風が強く、海にはウィンドサーフィンのセイルが行き交っていた。


日常があった、壊れやすい日常が。
posted by 城戸朱理 at 12:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

浄光明寺の万灯会〜東日本大震災、追悼・復興祈願

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東日本大震災発生前日の3月10日は、扇ヶ谷の浄光明寺で、大震災の追悼、復興祈願の万灯会が催された。

バンビことパンクな彼女と浄光明寺に着いたのは、6時ごろ。


浄光明寺は真言宗泉湧寺派の寺院だが、この日は宗派を超えて、真言宗、臨済宗、浄土宗、日蓮宗、四宗による法要が営まれ、最後には四宗合同の読経があった。

山門で万灯を頒布してもらい、追悼の想いを込めて、客殿、仏殿で焼香し、灯りを灯して復興を祈願する。


浄光明寺の本尊は、重要文化財の阿弥陀三尊だが、特別に拝観できるようになっていた。


3月11日には鎌倉大仏の高徳院で神道、仏教、キリスト教による合同の東日本大震災、追悼・復興祈願祭が執り行われる。
posted by 城戸朱理 at 11:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月10日

吉増剛造さんのバッグ

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バンビことパンクな彼女が誰かと電話で楽しそうに話している。

誰だろう?



「剛造先生だよ!」


吉増さんと話していたらしい。


「剛造先生のバッグが傷んできたんで、バンビ、どこかで売ってないかなって聞かれたんだけど、ネットで注文できると思いますって言ったら、剛造先生が買って欲しいって!」


吉増さんが使われているバッグは黄色いナイロン製で、銀座の伊東屋で求められたもの。

京都での「幻を見るひと」のロケのときもお持ちになっていたが、軽いし自立するので、たしかに便利だ。

ちなみに、当時の吉増さんのバッグは、バンビが頂戴してマッド・バンビの「my世界遺産」になっている。


私も同じモデルのオレンジ色のバッグを購入し、書類の整理に使っているが、伊東屋では扱いがなくなったらしい。

バンビはさっそくネットで調べ、グリーンやオレンジの在庫があるのを確認して、吉増さんにFAXしたところ、全色欲しいという返事が!


たしかに新しいバッグを手にすると、何を持って、どこかに行こうという夢が膨らんでいく。


バンビは無事、注文を済ませたようだから、吉増さんの手元に新しいバッグが届いたころかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 11:37| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

ちょうど一年前

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ちょうど一年前の3月9日。

私は3.11のシンポジウムのために、バンビことパンクな彼女と盛岡入りしていた。

シンポジウムを前に、フェリスの卒業生で、IBC岩手放送に就職が決まった佐藤桃花さんと就職を祝して乾杯したのだが、なんと佐藤さんの誕生日でもあったので、二度、乾杯したっけ。


その佐藤さんから連絡があり、3月に岩手大学で開催される宮澤賢治フォーラムに取材に来てくれるかも知れないとのこと。

宮澤賢治フォーラムに関しては、追って紹介したい。
posted by 城戸朱理 at 17:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今道子さんの新作展へ

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3月7日は、今道子さんの新作展のオープニングだった。

会場は、神谷町のフォトギャラリーPGI。

ライトアップされた東京タワーを仰ぎながら、ギャラリーに向かった。

初めてのギャラリーだったので迷うかと思ったが、鰻の老舗、野田岩の近くで、入口では、写真家の石内都さんとすれ違った。



今道子さんと初めて会ったのは、もう30年以上前になる。

鎌倉に遊びに来たとき、宴会の席で写真を撮っていたのが今さんで、当時はCONTAXを使われていた。

レンズはカール・ツァイス、ポルシェ・デザインが手がけた時代のCONTAXである。


その後、今さんは私家版で写真集『EAT』を刊行し、魚で作ったオブジェの幻想的な写真で、注目を集める。

そして、1990年に写真展「EAT Recent Works」で朝日新聞社が主催する第16回木村伊兵衛写真賞を受賞し、『EAT』も講談社からハードカバーで再刊されたが、わが家にあるのは、今さんが送ってくれた私家版で、オリジナルプリントが一葉添えられている。

それを見て喜んだのは、バンビことパンクな彼女だった。

バンビは高校生のころに、アール・ヴィヴァンで今さんの写真を見て、ずっとファンだったらしい。



今さんの新作は、さらに過激に深化していた。

鯖で象られたブーツ、パイナップルの皮のジャンパー、素材は魚がメインだが、人形や動物の剥製も登場し、シュルレアリスティックな世界が立ち上がり、魔術的リアリズムが息づく。

メキシコで撮影したセルフポートレートも圧巻なら、ジョセフ・コーネルを彷彿とさせるボックスアートもあった。


醒めた狂気、冷たい熱狂、今道子作品には、異形の感覚が渦巻いている。
posted by 城戸朱理 at 11:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

居酒屋に行こう!

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柳美里さんが南相馬の小高で書店「フルハウス」をオープンするに当たって、詩書の選書を頼まれたので、悩んでいたところ、和合亮一氏が先に20冊を選んでくれたので、重複を避けて、20冊を決めた。

それから「岩手日報」投稿欄と芝不器男俳句新人賞の選考のかたわらで、本と書類の整理を進めているのだが、終わりは、まだ見えない。


3月6日は、バンビことパンクな彼女が、夕方、散歩をするというので、私も出かけ、散歩がてら買い物をしてバンビと合流し、由比ヶ浜まで歩いた。

日が落ちると、さすがに寒い。

バンビと相談して居酒屋に寄って暖を取ることにした。


鎌倉駅から近い居酒屋といえば、畔屋か舵屋だが、ビストロも居酒屋である。

結局、またもやビストロ・オランジュにした。


ワインで乾杯して、バンビの大好物、パテ・ド・カンパーニュ、鶏レバーのムース、藤沢産生ハム、自家製ハムを盛り合わせたシャルキュトリーを頼む。

そして、ノルマンディー産フロマージュブランをたっぷり使ったスモークサーモンとほうれん草のガレット。

蕎麦粉の香りにディルの香りが重なって、白ワインが美味しい。


ホタルイカは、ラタトゥイユのソースのクスクスにあしらわれ、バジルソースが添えられている。

赤ワインにかえて、肉料理は牛バラ肉のビール煮を頼んだ。

ナイフが必要ないほど、ほろほろと崩れる柔らかい牛肉を、じっくり炒めてタマネギの甘みを引き出した濃厚なソースにからめては、赤ワインで口を洗うと言うことはない。


この日は空いていたせいもあって、オーナーと話し込んだり、シェフが挨拶に来てくれたりしたが、ソムリエとワイン談義で盛り上がり、1982年のヴィンテージワインをテイスティングしたりして、実に楽しい一夜だった。
posted by 城戸朱理 at 14:55| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする