恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館ホールで「幻を見るひと」の公開が決まってから、怒濤の日々が始まった。
なんとか「映画芸術」のゲラは戻したものの、急遽、マスコミ試写会を催すことになり、招待状やフライヤー、ポスターの制作も急がなければならなくなったのだ。
撮影時にはアシスタント・プロデューサーとスチルを兼任したバンビことパンクな彼女が、配給プロデューサーとなり、フライヤーやポスターのデザインを井原靖章さんに頼んだ。
井原さんは、装幀を担当された吉増剛造『根源乃手/根源乃(亡露ノ)手、……』で、昨年の第51回造本装幀コンクールで経済産業大臣賞を受賞、世界最大のフランクフルト・ブックフェアにも出品されたが、ローライ同盟のメンバーである。
井原さんのデザインによるマスコミ試写会の案内状が刷りあがって、京都の印刷所から届くや否や、バンビは100件を超える送付先をPCに打ち込み、ラベルシールにプリントアウトして発送。
続けて、私がテクストを書いたフライヤーのラフを入稿し、井原さんがデザインし、次はポスター、さらにチケットと作業が続いた。
いちばん仰天したのは、フライヤー13000部が届いたときである。
ダンボール2、3個と思っていたら、厚手の紙を指定し二つ折りのデザインにしたものだから、なんとダンボール13箱。
家には、そんなスペースはないので、とりあえず倉庫に積んでもらって、その日のうちに東京都写真美術館に10000枚、10箱分を送り出した。
私は9月19日、午前中からテレコムスタッフ制作の番組の試写があったので、前日に東京入りしてワシントンホテル泊まり。
Edge立ち上げたプロデューサーである設楽実氏と立川の鰻の串焼きの「うなくし」で飲みながら、来年度の番組編成の打ち合わせをした。
翌日のテレコムスタッフの番組試写は、2本。
ともに伊藤憲ディレクターによるもので、仏師の系譜をたどる「自ら仏を彫る系譜」は、運慶に続いて、鎌倉時代の奈良の仏師、善円。
ナビゲーターは彫刻家で芸大教授の籔内佐斗司さん。
運慶、快慶ら慶派をも凌ぐ超絶技巧の善派を描く番組である。
奈良では地蔵信仰がいまだに息づいているのが面白かった。
奈良時代に東大寺の大仏造立を担った行基や「越しの大徳」泰澄から、江戸時代の円空、木喰と続いてきた「自ら仏を彫る系譜」も九作目になるが、今回で終わりとなる。
もう一本は、柳美里さんをナビゲーターに青森のイタコに取材する平田潤子ディレクターのコンテンツから始まった日本の民間信仰に焦点を当てる番組で、今回は御嶽信仰を扱ったのだが、文化人類学的にも貴重な映像となった。
昼過ぎに試写は終わり、伊藤憲ディレクターの労を労うべく、寺島高幸プロデューサーの提案で、番組の事務を担う金子麻子さんに私の総勢4人で、またもや「うなくし」へ。
この日は井上春生監督とバンビが東京都写真美術館に打ち合わせに行っていたのだが、昼から鰻の串焼きで飲んでいた私は合流せず、まっすぐ鎌倉に帰った。
2日置いて、9月22日は、またもや、京都で撮影した「H(アッシュ)ごだん宮ざわ〜宮澤政人」夏篇の試写と「幻を見るひと」製作委員会の会議。
会議が紛糾し、疲れた井上監督が「うなくし」で飲みたいというので、なんと一週間のうちで3回目の「うなくし」。
いくら鰻で飲んでも、癒されることのない疲れが、粉雪のように降り積もっていく。
バンビは、午前3時を回るまで作業を続ける日が、いまだに続いている。