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城戸朱理のブログ

2019年11月30日

もう靴は買わない〜JHON LOBBのダブルモンクストラップ

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8年前の東日本大震災発生時には首都圏で、およそ10万人の帰宅難民が発生した。


私の知人にも東京から鎌倉の自宅まで徒歩で帰宅した人がいるが、家にたどり着いたときには夜が明けていたそうだ。

ひと晩中、歩き続けていたわけだが、当時、SNSで、やはり徒歩で帰宅した人が、もうローファーで通勤するのは止めると投稿していた。

たしかに靴紐のないローファーのようなスリッポン・シューズは、着脱こそ楽だが、長距離を歩くのには向いていない。


日本では家や座敷に上がるとき、靴を脱がなければならないので、着脱が楽な靴が好まれる傾向があるが、非常時には足に負担をかけることになる。



そもそも、ローファーはスーツに合わせる靴ではない。

スーツにはストレートチップ、プレーントウ、ウィングチップといった紐靴を合わせるのが、欧米ではルールになっているが、紐靴以外で、唯一、スーツと合わせられるのがモンクストラップだ。

モンクストラップは15世紀、スイスの修道士(モンク)が履いていた靴を原型としているが、ストラップが1本のものと2本のものがある。

後者をダブルモンクストラップ・シューズと呼ぶが、こちらは稀代のダンディとして知られる英国王エドワード八世(のちのウィンザー公)の注文を受けたジョン・ロブが、飛行士のアビエイターブーツを元にデザインしたもので、ダブルモンクストラップの原型となった。


ジョン・ロブでは今でもダブルモンクストラップを作っており、モデル名はウィリアムII。

最高級のフルグレイン・レザーを使用し、ラストは9795。

アウトステッチが360度、コバを全周するオールアラウンド・グッドイヤー製法、厚みのあるダブルソールと頑健なカントリーシューズの製法を応用しながらも、手縫いのトウステッチを施しストレートチップ風のデザインにすることで、ドレスシューズの洒脱さも兼ね備えている。

さすがジョン・ロブ、キング・オブ・シューズの名に恥じない。



これは意外なほど知られていないが、紐靴は着脱のたびに紐をゆるめ、結び直すように作られている。

足の親指の爪をはがしかけた旧友が整形外科に行ったところ、医師から靴紐をゆるめずに着脱できる靴はサイズが大きすぎると注意されたそうだが、これは革靴の常識で、余裕があるという理由で大きめのサイズを選ぶと、遊びがあるため足が靴のなかで安定せず、いつも緊張して発汗が増え、靴ずれを起こしやすいばかりか、靴も傷みやすい。

だから、紐靴は紐をほどいて履けるていどの、ややタイトなサイズを選ぶべきなのだが、モンクストラップの場合は、紐をといたり、結び直す必要がない。

ダブルモンクストラップだと、手前のストラップだけ外して履けるので、ローファー並みに着脱が楽なのに、紐靴並みの安定感がある。


今年のような酷暑の夏に、スーツを着なければならないときには、この靴に頼りっぱなしだった。
posted by 城戸朱理 at 12:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

面白い形???

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「んふ。ヘンなかたちになっちゃったなあ!」

変な形?

「おもしろいかたちでもあるんだよ!」

変なのに面白い形?

いったい、何のことだろう?


「7月、8月は一緒にお散歩して、すっきりしてたんだけど、
最近、お腹がちょっとぷくっとしてしまったんだよ!」
!!!!!!


面白い形になったのは、なんと、バンビことパンクな彼女自身だったのである!


それほど変わったようには見えないし、だいたい、野菜中心の極めて健康的な食事しかしていないのに、どうしてお腹がぷくっとしたんだ?


「お仕事が忙しくて、お散歩も行けてないし、
城戸さんが作ってくれる御飯が美味しいから、つい食べすぎちゃうんだなあ!」
!!!!!!


たしかに、バンビは、ここのところ、編集の仕事を不定期で手伝っているので、散歩をする余裕がなくなっているのは分かるが、まさか私の作る料理が原因だったとは!?


「仕事が一段落したら、プールに行って泳ぐぞう!」


どうやら、バンビのプール通いが、また始まるらしい。


しかし、プールで泳いだあとは、大船に出て餃子でビールをしてしまうので、結果は火を見るより明らかだと思うのだが。


パンクだから仕方がないとはいえ、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 12:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月29日

和食の奥行き



日本では、家庭料理にさえ中華やイタリアン、あるいはエスニックまで、多彩な料理が入り込んでいるが、こんな国は日本だけだろう。

欧米では、驚くほど毎日、同じものを食べている国が少なくないし、ドイツやフィンランドのように温かい料理を食べるのは昼だけという国もある。



日本の場合、和食が基本で、そこに各国の料理が入りこんでいるわけだが、和食と言っても、地方によって食材も調理法も違うのだから、郷土料理まで含めると、そのバリエーションはたいへんなものになることだろう。

郷土料理でも、宮崎の冷汁や山形のだしは有名だが、奄美大島の鶏飯や油そうめんなどは、わが家でも定番になっている。


先週は、昼食に秋田のきりたんぽ鍋を作ったり、信州のほうとうを作ったりした。

秋田では比内鶏で出汁を取り、ささがきゴボウ、舞茸、鶏肉ときりたんぽを煮るが、ほうとうは現地で食べたことがないので、信州では、どんな具材を使うのかが分からない。

適当にカボチャやしめじ、人参に白菜、鶏肉などを入れて、ほうとうを煮込んでみた。


私の知らない郷土料理も、まだいくらでもありそうだが、若宮大路のユアーズで杉山直文店長に髪を切ってもらっているときに、店長が青森出身なのを思いだし、懐かしさを覚える郷土料理はないかを尋ねてみた。


「貝焼き(かやき)ですかね。
大きな帆立の貝殻で、味噌と帆立、ネギと玉子を入れて焼くんです」


青森の陸奥湾は帆立の産地で、私も子供のころ、両親と恐山に行く途中で、初めて活帆立を炭火で焼いたものを食べて、その美味しさに驚いた記憶がある。

だが、味噌で帆立を焼く貝焼きは知らなかった。


そういえば、秋田にも、茄子と塩クジラを味噌で煮る茄子の貝焼きがある。

これは夏に暑気払いとして食べるものだと聞いたが、昔は塩クジラは庶民のものだったし、帆立もの貝殻も大きかったのだろう。

さらに、杉山さんが言うには、焼肉といえばジンギスカンで、上京して初めてジンギスカン以外の焼肉があることと、ジンギスカンが羊肉であることを知ったというのだから面白い。


地域ごとの食文化の違いは、風土によるものであって、たとえば魚であれば糸魚川のフォッサマグナを境に、西日本がブリ文化圏、東日本がサケ文化圏になるが、基本的には西日本と東日本、沿岸部と山間部で異なるのではないだろうか。


考古学者が日本全国の貝塚を調査した結果によると、縄文時代には西日本がナッツ型、東日本がサケ・ナッツ型、北海道がエゾシカ・サケ型の食生活を営んでいたそうだが、稲作が始まる前は北海道の食糧事情がもっとも恵まれていたらしい。

縄文人は、どうやってエゾシカを捕まえていたのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 09:57| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

柳美里さんとのハガキ・プロジェクト



2013年11月から翌年にかけての約半年間、柳美里さんと毎日、葉書を出し合うハガキ・プロジェクトを進めていた。

これは、お互いが抱えていた書き下ろしの進行具合をハガキで報告しあって原稿を書き進めようという企画で、柳さんが提案してくれたものだったのだが、なんと、互いに「なぜ、原稿が書けないのか」という言い訳に終始するという結果に終わってしまった。


目的は果たせなかったものの、互いに百通を超える葉書を書いており、物書きの日常が垣間見えるものになっているので、逆に面白いかも知れない。


その後、2015年3月に柳さんは福島県南相馬に転居されたので、相談して柳さんの鎌倉時代(?)にやり取りした葉書は、鎌倉文学館に寄贈した。



ハガキ・プロジェクトを再開したのは、2015年11月。

目的は例の書き下ろし原稿なのだが、第二次ハガキ・プロジェクトでも、書き下ろしはお互いに進まず、柳さんが新たな小説の構想やストーリーを書き綴ったり、私が書いてみたい詩集のことを書き送ったりと、近況以外にも、葉書だからこそ書ける内容になっていたのが面白かった。

この第二次ハガキ・プロジェクトは、先日、北上の日本現代詩歌文学館に寄贈したが、柳さんは南相馬で書店フルハウスを始める前、私は吉増剛造さんと京都でドキュメンタリー映画「幻を見るひと」の撮影が始まっていたので、お互いにあわただしくも、緊張度の高い時期の記録になったかも知れない。


書き下ろしを終えて、温泉でゲラに手を入れるという当初の目標は、いまだに実現していないが、葉書は残った。

あとは、目的を達成するだけという本末転倒のハガキ・プロジェクトだが、私が今年の3月に花巻の大沢温泉に滞在して新詩集の推敲と清書をしていたところ、柳さんも9月に、再結成した青春五月党の新作の戯曲「ある晴れた日に」を大沢温泉で書き下ろしたそうだから、温泉で仕事するという目標(?)だけは実現したことになる。


本来の目標を達成できる日は、はたして来るのだろうか?
posted by 城戸朱理 at 08:11| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月27日

豚ロース肉をソテーして

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疲れはてて帰宅したところ、バンビことパンクな彼女は「さあ、お昼寝を決めるぞう!」と言って、コロッと寝てしまったので、夕食は私が準備した。

日曜日だから、いつもより若干、手をかけて豚ロース肉のシャルキュティエール・ソースをメインに。

白ワインを使うソースなので、調理はワインを飲みながら。

シャルキュティエールは「肉屋さん風」という意味で、フランスではよくあるソース。

ピクルスを使うので酸味が効いており、豚肉によく合う。

付け合わせはアスパラガスにカボチャ、ブロッコリー。

野菜は塩とオリーブオイルで食べる。


御飯はいつもの玄米ではなく、新米で栗御飯を炊き、ほかには緑と赤のピーマン炒め、ひじき煮、茸炒め、フルーツは柿を用意したところで、バンビが起きてきた。

ひじきと茸は作り置きなので、所要時間は30分ほど。


そして、翌日。

余ったシャルキュティエール・ソースはカニクリームコロッケに合わせ、さらに鶏肉とカブのクリーム煮を作ったら、バンビが「資生堂パーラーみたいだなあ!」と喜んでいる。


「お仕事が一段落したら、今度はバンビが御馳走を作るからね!」


はたして、年内にその日は来るのだろうか?

もっとも料理は手が空いている方がすればいいわけだし、別に私がやっても構わないのだが。
posted by 城戸朱理 at 00:10| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

風凜の天丼

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東日本橋のホテルをチェックアウトしたものの、バンビことパンクな彼女も私も疲れはてていたので、まっすぐ鎌倉に戻ることにした。


ホテルには朝食が付いていたのだが食べる気にならなかったので、鎌倉に着いてから昼食を駅ビル2階の風凜で取ることにする。

バンビは風凛丼なる、しらす入りの海鮮丼を、私は穴子入りの特別天丼を頼んだのだが、家では野菜中心の食事をしているものだから、外食をすると重く感じる。


風凜は三崎直送の魚が売りだが、以前は天丼の専門店「点天」もやっていただけあって、天丼は辛めのタレで美味しい。

海老2本に穴子、春菊に蓮根、椎茸、黄身揚げと盛りだくさんの天丼である。
posted by 城戸朱理 at 14:26| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歴程祭へ



11月23日は、歴程祭に出席するために氷雨のなか、アルカディア市ヶ谷に向かった。

一週間前に新藤凉子さんからお電話をいただき、乾杯の音頭を取るよう、おおせつかったからである。


歴程祭は、歴程賞と歴程新鋭賞の授賞式を兼ねている。

第57回歴程賞は岩阪恵子『鳩の時間』と以倉紘平『遠い蛍』、
第30回歴程新鋭賞は佐々木貴子『嘘の天ぷら』と永方祐樹『不在都市』、
素晴らしい詩集が選ばれたのは実に喜ばしいことだと思う。

『遠い蛍』は死者との共生を静かに語り、『鳩の時間』は自然の諸相の呼びかけに応え、同時に呼びかけるような詩集であり、端正な装幀も美しい。

歴程新鋭賞の佐々木貴子さんは才気煥発、虚実を織り交ぜ、立体詩など尖鋭な活動を展開する永方祐希さんはヴィジュアル・ポエトリーも交えて都市を重層的に描きだす。


佐々木貴子さんは私が選者をつとめる「岩手日報」投稿欄と「詩とファンタジー」の常連で、10年前から、その作品を読んできただけに感慨深いものがあった。


授賞式は、川口晴美さんの司会で、新藤凉子さんの開会の挨拶、選考委員長の野村喜和夫さんの選考経過の報告から始まった。

受賞者が4人もいるだけに、応援のスピーチと受賞者の挨拶と計8人が話をするため、授賞式には一時間半がかかったが、いかにも「歴程」らしい、ゆるやかな会である。


乾杯の音頭は手短に済ませ、あとは宴会となったのだが、アルカディア市ヶ谷の料理は、ローストビーフ、海老のコキール、オマール海老のパイ包みなどと、寿司、天ぷら、蕎麦といった和食が並ぶ和洋折衷の献立だった。


私は久しぶりにお会いする朝吹亮二さんや酒井佐忠さん、田野倉康一くんと話し込んでいた。

バンビことパンクな彼女は、あちこちに出没しては写真を撮りまくっている。

2階のラウンジに席を移して二次会となり、さらに近所の居酒屋で三次会となったのだが、最後までつきあって下さった朝吹さんは凄い。


結局、私は終電を逃し、バンビが探してくれた日本橋のホテルに泊まることになってしまったのだが。
posted by 城戸朱理 at 14:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

ささやかな古本市で〜和田芳恵から吉岡実、ジョン・コリアから西脇順三郎へ

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鎌倉駅東口の東急ストア前では、年に何度か古本市が開催される。

市と言っても、一店舗の業者さんが出店するだけなので、出張古書店のようなもの。

しかも東急ストアの前の露店だから、稀書が並ぶわけでもないのだが、偶然、通りかかったら、あれこれ手に取りながら小一時間は過ごすことになる。


この古本市では、 値が張るものにはビニール袋がかけられているので、とりあえずビニールに入っている本は必ずチェックするようにしている。


先日、古本市に遭遇して求めたのは2冊。



『ジョン・コリア奇談集』中西秀男訳(サンリオSF文庫、1983年、初版)
1000円

和田芳恵『ひとつの文壇史』(新潮社、1967年、初版)1200円


どちらもビニールがかけられていたが、値段は千円ていど。

それでもスーパーの催事だから、気になる本が見つけられたというだけで掘り出し感がある。



樋口一葉研究でも知られる作家、和田芳恵は、戦前、昭和初期に新潮社の編集者として大衆小説の隆盛を生きた。

当時の作家たちを回想する随筆なのだが、「あとがき」の「雑誌編集者の略歴などは、大正期あたりに活躍した人でも、ほとんど不明になっている。(中略)雑誌編集者あがりの私がいだく実感は、編集者は、うたかたのごとく、はかない存在だということである」という一節には考えさせられた。

戦後、昭和の時代なら名物編集者によって時代が作られところがあるようにも思うのだが。


和田芳恵の娘である陽子さんは詩人・吉岡実の妻、つまり和田芳恵は吉岡さんの義父に当たる。

吉岡さんは、随筆集『「死児」という絵』のなかの一篇、「和田芳恵追想」で「おやじさん」の遺品である樋口一葉の短冊と北大路魯山人作の灰皿について語っている。

「二十数年も、あの狭い家のなかで、今日までよく破損もせずにきたものだと思った。今、私の枕元にその灰皿はある」という魯山人の織部の灰皿についての記述からは、何も語られてはいないのに和田芳恵という作家の暮らしぶりが、ふと浮かび上がってくるように感じたものだった。


和田芳恵は、戦後、出版社を興したが経営に失敗して負債を抱え、3年もの間、失踪していた時期がある。

作家として日本芸術院賞、直木賞を受賞したのは晩年のこと。波乱万丈の生涯と言えるだろう。



サンリオSF文庫はSFを謳いながら、前衛的な現代文学を多数、紹介したため評価が高く、古書値がつくが、その点、ジョン・コリアは似合いの作家だ。

短編小説の名手として知られる20世紀イギリスの作家、ジョン・コリアは岩波文庫にも入っているが、サンリオSF文庫が、最初の文庫化だったと思う。


コリアは若き日には詩集も出しているが、イギリス留学中の西脇順三郎と親交があったので、西脇の『Ambarvalia』にも登場する。

「LE MONDE MODERNE」中の「薔薇物語」に登場する「ジオン」が、その人である。




ジオンと別れたのは十年前の昼であった
十月僕は大学に行くことになってジオンは地獄へ行った
雲のかかっている倫敦(ロンドン)の中を二人が走った
ブリテン博物館の屋根へのぼってしかられた
ジオンの写真はその後文学雑誌に出た
鉛筆のなかで偉そうに頬骨を出した
公園にクローカスの花が石から破裂する時
黄色い曲がった梨がなる時
毎日酒場とカフェと伊太利(イタリア)人の中で話した




『Ambarvalia』のなかでは論じられることの少ない一篇だが、「薔薇物語」は好きな作品のひとつで、とりわけ次のような一節には痺れたものだった。




僕はその時分は南ケンジントンのブラムプトン
にある薔薇のカーペトのあるホテル
に住んでいた 我々はこのホテルを
ロマン・ド・ラ・ローズと呼んでいた
ときどき 月影にやき栗をかって 一緒に
ロマン・ド・ラ・ローズの中へはいって
電気をつけて悲しんだ




『ロマン・ド・ラ・ローズ』、すなわち『薔薇物語』は、13世紀、中世フランスの物語詩で、正篇がギョーム・ド・ロリスによって、続篇がジャン・ド・マンによって書かれたとされている。

この『薔薇物語』を『カンタベリー物語』のジェフリー・チョーサーが14世紀に脚韻を踏んで英訳することによって、アングロ・サクソン的な頭韻法が過去のものとなり、近世に至る英語詩が始まったことを考えるならば、西脇順三郎の「薔薇物語」には、ふたりの青年の交遊を活写しつつも、文学的な伝統が織り込まれていると言ってよい。

そう考えると「 ロマン・ド・ラ・ローズの中へはいって/電気をつけて悲しんだ 」という二行の意味も、その深度を変えることになる。


西脇順三郎の詩に登場するジョン・コリアかと思うと、ささやかな文庫本にも感興を覚えざるをえない。
posted by 城戸朱理 at 00:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月24日

夕食に葉山牛を焼いてみたら

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ここしばらく、わが家では私が食事の準備をしているが、野菜料理が多いものだから、バンビことパンクな彼女は、ときどき肉が食べたくなるらしい。


「城戸さんは頭を使うお仕事なんだから、もっとお肉を食べなきゃダメだよ〜」と、よく言っている。

本当は自分が食べたいのである。


もちろん、肉を使わないわけではない。

20日(水)のお昼には、きりたんぽ鍋を作ったのだが、ささがきのゴボウや舞茸だけではなく、鶏肉も使っている。

だが、バンビは料理の具材ではなく、肉単体の料理が食べたいわけだから、元町ユニオンで葉山牛を買ってきた。

ついでに、シャインマスカットや巨峰、ピオーネなど、いずれも千円超の見事な蒲萄が並んでいたので、ピオーネを選ぶ。


この日は、ブロッコリーを茹で、トマトはオリーブオイル、塩・胡椒で。

ほかに茸のガーリック炒め、小松菜の煮びたし、ピーマン炒め、焼き茄子、ひじき煮、それにフルーツが蒲萄(ピオーネ)。



お腹を空かして帰ってきたバンビは葉山牛を見つけて大喜びしている。


「思わず、葉山牛に微笑んじゃうなあ!」


何も肉に向かって、微笑まなくてもいいのである。


和牛A5等級、葉山牛のカルビは室温に戻しただけで、脂が溶け出してくる。

そのまま、握りにしてもよさそうなくらいだったが、軽く炙って塩・胡椒した。


バンビは玄米御飯で葉山牛を食べ、さらにピオーネを。


「プルーンかと思ったら、とっても大きい蒲萄だよ!」と驚き、いざ食べ出したら無言で次から次に皮を剥いているではないか。

どうしたのかと思ったらーー


「このピオーネは大きいうえに、枇杷みたいにむっちりして、とても美味しいから、城戸さんが気づく前に、いっぱい食べようと思ったんだよ!

でも、ちっちゃいから5個食べたら、お腹がぽんぽんになっちゃったんだなあ!」
・・・・・・


ちっちゃいからではない。

葉山牛と野菜と御飯を食べたからである。


葉山牛は口のなかで溶けるようで、たしかに美味しいが、濃厚なので、ひとり100gも食べられない。

そのうえでピオーネがとても美味しいことに気づいたバンビは、独り占めしようと急いで食べていたらしい。

そんなに焦らなくても、まだたくさんあるから大丈夫なのに。
posted by 城戸朱理 at 22:38| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉名物、鎌倉海老と葉山牛

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鎌倉には、これといった特産品がない。

手土産にするのなら、鉄板が豊島屋の鳩サブレ、ニューフェイスが紅屋のクルミッ子。

個人的なお勧めは、井上蒲鉾の梅花はんぺんと二色玉子、平松洋子さんもお気に入りのこ寿々(こすず)のわらび餅、ダイアモンド・ケークスのスコーンあたり。

鎌倉野菜は有名になったが、鎌倉で採れた野菜というだけで、下仁田ねぎや野沢菜、京人参のように種類からして違うわけではない。


バンビことパンクな彼女は「な〜んにもない、な〜んにもない、ちっちゃい、ちっちゃい〜」と勝手に鎌倉の歌を唄っているが、近年はテレビなどで、生シラスが頻繁に取り上げられるものだから、やたらとシラス丼を出す店が増えた。

別にシラスが悪いわけではないが、地元では喜んで食べるものでもないような気がする。



むしろ、特筆すべきは鎌倉海老と葉山牛だろう。

鎌倉海老は伊勢海老のことだが、江戸時代には西日本で伊勢海老、東日本で鎌倉海老と呼んだそうで、昔はずいぶん獲れたようだ。

吉田健一も鎌倉に住んでいたころ、魚屋に頼んでおくと、大皿に牡丹の花のように盛った鎌倉海老の刺身を届けてくれたことを書いているが、昭和もなかばから水揚げが減ってしまって、あまりお目にかかることがなくなってしまった。

それでも永井龍男、田村隆一らが通った小町の長兵衛という飲み屋では定番で、刺身か焼くかを選び、あとで頭を割って味噌汁に仕立てて出してくれたものだった。

鎌倉海老の味噌汁は、それだけで酒の当てになるが、残念なことに長兵衛も閉店してしまったので、今では、たまに魚屋で見かけることがあるだけになってしまった。


葉山牛は、その名の通り、鎌倉ではなく三浦半島で飼育されている黒毛和牛で、松阪牛や前沢牛と並ぶ品質を誇るが、飼育頭数が少ないため、全国に出回っているわけではない。

葉山牛を扱う指定飲食店も、ほとんど神奈川県内だから、知らない人のほうが多いだろう。

ただし、鎌倉だと元町ユニオンなどスーパーでも売っているし、小町通りのステーキハウス、マザース・オブ鎌倉でも食べることができる。


20日(水)に、若宮大路ぞいの元町ユニオンの3階にあるユアーズで髪を切ったので、ユニオンで買い物したのだが、葉山牛を買って夕食に焼くことにした。

葉山牛のカルビは、焼く前に室温に戻すために、オイルヒーターのそばに置いておくだけで脂が溶け出してくる。
posted by 城戸朱理 at 22:38| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

mad bambiの骨董、その3

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骨董屋を回っているとき、私が見過ごしてしまったものをバンビことパンクな彼女が取り上げることがある。


古伊万里の赤絵輪線文蓋付茶碗もそのひとつ。

江戸中期のものだが、「これにかぶら蒸しを盛り付けたら美味しそうだよ!」とバンビが言うので求めることにした。


伝世品の天目茶碗は瀬戸で焼かれたもの。

これも古伊万里茶碗と同じく、江戸中期まで上がりそうだが、使い込んだ肌が気に入ったバンビが「城戸さんはお茶碗をたくさん持っているけど、バンビはないんだよ。これでお茶を点てるから買ってあげて!」と騒ぐので買ってあげたもの。

バンビは、この茶碗でお薄を点てては「ちゅーっ!」と喫している。


古伊万里は東寺に近い骨董屋で、瀬戸の天目茶碗は寺町の骨董屋で求めたものだが、パンクには珍しく、まっとうな買い物と言えそうだ。
posted by 城戸朱理 at 11:35| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月23日

mad bambiの骨董、その2

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出光美術館の学芸員をされている柏木麻里さんが「明治、大正から昭和初期にかけての戦前に、かわいいものってありますよね」と語られていたが、バンビことパンクな彼女も、よく、そのあたりのものを掘り出してくる。

もっともバンビの場合、時代は関係なく、絵付けが面白いとか可愛いとかいったパンクな基準があるらしい。


ガラス器はバンビが好きなもののひとつだが、プレスガラスの小皿は手塩皿に、リキュールグラスほどの小さなカップはビネガーやオリーブオイルを入れるのに使う気らしい。



小皿も、当然、絵付けの面白さで選ぶことになる。

明治の銅版転写による印判手の小皿は「ハート型だよ、珍しいんじゃない!」と言って、鎌倉の骨董屋でバンビが買ったものだが、これはハートではなく、吉祥文の桃を窓絵にして富士山を描いたものだろう。

もう一枚は、バンビが言うには「珍しくも踊る福助」ということになる。

大正あたりの美濃の産だろうか。



円山応挙を思わせる仔犬の絵皿は、バンビが大事にしているもので、金彩がはげないよう、あまり使わないようにしているようだ。

とぼけた仔犬がなんともいい味を出しているが、わが国の絵皿には、猫よりも犬の絵柄のほうが多いような気がする。


江戸時代後期に賀集民平が開窯した淡路焼は、黄釉や緑釉を施した小判型や角型の小皿をよく見かけるが、バンビが京都で選んだのは、関東では、あまり見かけない黄釉の桃型の小皿と花図絵付け皿。

緑釉の竹を模した小鉢は、私が以前、見つけたものだが、こういった小さな色とりどりの器は、食卓を賑やかにしてくれるのがいい。


淡路焼の竹を模した大きな鉢もあるのだが、そちらは、主にとろろを作るときに使っている。


ほとんどが京都の寺町あたりの骨董屋でバンビが取り上げたものだが、こうして食器棚には、パンクな骨董が増えていくのだった。
posted by 城戸朱理 at 00:02| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月22日

楠本憲吉『みそ汁礼賛』(光文社)

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こちらは光文社のカッパ・ブックスのうちでも日本人の家庭生活に関わるテーマを扱う「Kappa Homes」の一冊。

昭和56年(1971)の刊行なので、日本は高度成長期、生活様式も変化のただなかにあった。



著者は、日野草城に師事し、「野の会」を主宰した俳人の楠本憲吉で、実家は大阪、船場の老舗料亭・なだ万だけに、料理も本業。

苦みの春、酸味の夏、秋は滋味、冬は甘みと歳時記仕立てで味噌汁を語る。


長崎県島原地方のふぐの味噌汁や信州名物、そばがきの味噌汁など地方色豊かな味噌汁も紹介されているし、夏のアスパラガスの味噌汁や冬の鱈の白子の味噌汁など試してみたいものも少なくない。

鱈白子の味噌汁は昆布出汁で白味噌仕立て、実には椎茸とわけぎを添え、吸い口は一味唐辛子というのだから、酒に合いそうではないか。


たしかに料理本なのだが、たとえば夏のどじょう汁なら「更くる夜を上ぬるみけり泥鰌汁」(芥川龍之介)、冬の豆腐汁なら「好き嫌ひなくて豆飯豆腐汁」(高浜虚子)といったように、あちこちに俳句や和歌など、詩歌がちりばめられ、雅味あふれる一冊になっている。

また、梅原猛、篠田正浩、夏樹静子など著名人による「わが家のみそ汁」や日本全国の味噌料理を訪ねる「みそ料理風土記」など、編集も雑誌的な凝り方で楽しめる。

たとえば、次のような一節。



『「しる屋」と称するみそ汁専門店があるのは関西特有であろう。大阪の人間にとっては、みそ汁はおかずであった。
昔、心斎橋筋鰻谷にあった「しる市」は軒店ながらことに有名であった。白みそだけを供し、ごんぼのささがきと鯛皮、鯨、たこ、どじょうなど、汁のみは季節のものをいろいろ好みにまかせていた。』



「しる屋」とは、この本で初めて知った言葉だが、織田作之助の『夫婦善哉』にも戎橋筋そごう横の「しる市」という店が登場するそうで、どじょう汁と皮鯨を食べるくだりがあるという。

今でも大阪には、しる屋があるのだろうか。


楠本さんは「粕汁は大阪らしい味である。庶民の味であり寒の味である」と語り、その理由を大阪が酒どころとして知られる灘に近いことを挙げ、粕汁には「かやくごはん」がよく合うと書いている。

「かやくごはん」とは薬味を加えた、いわゆる炊き込み御飯のことで、吉田健一も大阪の粕汁とかやく飯について書いているが、それが頭にあった私は、2009年に大阪の国立国際美術館で開催された新国誠一展のシンポジウムにパネリストとして招かれたとき、新梅田食道街の「かやくめし」の奴という店で朝食をとったことがある。

たっぷりと丼飯並みの盛りの「かやくめし」と味噌汁・漬け物で400円。

焼魚・煮魚・タラコなどのおかずが150〜300円で、その安さにも驚いたが、盛りもよければ品もよく、たいそう旨い朝食だった。

「大阪の食い倒れ」とはこういうことかと感じ入ったが、あれが「しる屋」だったのだろうか。



「わが家のみそ汁」の章には「みそ汁名言集」も収められている。

石川啄木の「ある朝の かなしき夢の さめぎはに 鼻に入り来し みそを煮る香よ」という一首まで採られているが、吉川英治の言葉には参った。


「味噌汁なるものを、あらためて思惟のお膳にのせてみると、これはたいへんなものだと気づいた。たとえば家庭における良き老母のようなものである。また庭で言うならば、べつにどういう意味もない姿でいながら、さて欠くことのできない何かを持っているキメ石のようなものだ。その味香、その伝統、その即生活的な一椀と私たちの日々には、切っても切れないものがあり、もしそれの感想にでもふれるとすれば、ちょっとやそっとで想いを述べきれそうもない。」


味噌汁を「思惟のお膳」にのせるところからして凄いが、庭の「キメ石」となると、喩えが巧すぎて言葉もない。

ますます味噌汁がありがたいものに思えてくるではないか。


現代の作家なら、誰が書けるだろうか。

炊飯器を買い替えるだけの話でも、見事な随筆になる古井由吉さんに書いてもらいたい気がする。

さらに、ありがたみが増すに違いない。
posted by 城戸朱理 at 05:13| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

瀬尾幸子『みそ汁はおかずです』(Gakken)

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コンビニで偶然、見かけて立ち読みしてみたら意表を突かれ、つい買ってしまったのが、瀬尾幸子『みそ汁はおかずです』。

帯に踊る「20万部突破」とか「第5回料理レシピ本大賞受賞」といった惹句にひかれたわけではないし、そもそも、そんな賞があることさえ知らなかったが、実にユニークなレシピ本である。



料理研究家の土井善治さんは「一汁一菜」を家庭料理の基本として提案している。

御飯に具沢山の味噌汁、それに漬物なり何なりのおかずが一菜あれば充分だということだが、鎌倉時代の禅寺から始まった「一汁一菜」というスタイルは、たしかに和食の基本であり、忙しい現代人にも向いている。

しかし、実際は現代人の食卓には味噌汁もなくなりかけているそうで、もはや身近なものではなくなりつつあるのかも知れない。


ところが『みそ汁はおかずです』では、まず味噌汁とは「材料を切る・煮る・味噌を溶く」という3行程で出来る簡単な料理であることを強調し、
味噌汁を作るうえで、いちばん手間がかかる出汁も、顆粒出汁でも出汁パックでもよければ、「耐熱容器に鰹節を入れ、熱湯を注いで3分」とか「煮干と昆布を水に浸けひと晩置く」という具合にハードルを下げるところから始まっている。


味噌汁の構成要素は、味噌・出汁・実(具材)・吸い口の四つ。

この本では実と吸い口の取り合わせが実に面白い。

たとえば「じゃがいも+玉ねぎ+バター+カレー粉」「すりじゃがいも+粒コーン+バター」「白菜+鶏もも肉」「ごぼう+牛こま切れ肉+万能ねぎ」「ブロッコリー+魚ボール+長ねぎ」といった具合に、肉や魚、ソーセージなどを具材として使うのが特徴で、吸い口にはバター、オリーブオイル、胡椒やカレー粉など洋風のものも利用する。

漬物やさば缶などを使うレシピもあって、柔軟な発想が楽しい。


私などは味噌汁の実は二種類までと思ってしまうほうだが、たしかに具沢山で「おかず」になる味噌汁のレシピ本である。


私が試してみたのは、今のところ「かぼちゃ+玉ねぎ+バター」と「まいたけ+ランチョンミート+こしょう」というふたつのレシピだけだが、家人には好評だった。


7月以降、毎日の炊事をほとんど私がこなしているので、目についたのだろうが、この本を読むと、要するに冷蔵庫にあるものなら何でも味噌汁の具になることに気づくことになる。
posted by 城戸朱理 at 13:02| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エルメスのトートバッグ

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仕事柄、大量の本や資料、ゲラなどを持ち歩くことが多いので、バッグも容量が大きいトートバッグを使うことが多い。

とりわけ、旅に出るときは、スーツケースを宅急便で手配しておいて、トートバッグひとつで出かけると身軽に動ける。



革製のトートバッグは、いくつか持っているが、10年以上使っているバッグのひとつがエルメスのトートバッグだ。

「タール」というモデルで、20年近く前に買ったもの。

今では廃盤になっている。


素材は雌仔牛の革を使ったヴァシェット・クリスベ・フィヨルド。

革本来の風合いを生かしたマットな表情で、ナチュラルな型押しがされているため、柔らかく、傷つきにくく、耐水性もある。

普段使いするには、容量がやや大きいが、旅行にはうってつけで、今でも愛用している。


エルメスの革製品の凄さは、その素材にある。

動物の「皮」は鞣しの工程を経て「革」になるわけだが、その工程を担うのがタンナーになる。

エルメスは、素材の安定供給のため、世界最高峰のカーフのタンナーとして知られるフランスのデュ・プイ社、アノネイ社を傘下におさめ、良質な革のなかでも、わずか数%という最高の革を調達している。

世界最高の素材を使って、ひとりの職人が全工程を担当、手作業でバッグが作られているため生産数に限りがあり、供給が追いつかない状態になっているが、エルメス以上のレザーバッグは考えらないというのも現実だろう。

欠点はーー値段があまりに高すぎること。

だが、メンテナンスを頼むと新品同様になって戻ってくるし、修理などアフターサービスも完璧なので、そこまで含めた値段ということなのだろう。


レザーバッグの手入れは乾いた布で、から拭きするのが基本で、乾燥してきたらクリームを入れるようにしている。

クリームは、エルメスも使っているサフィール・ノワール。

食品並みの衛生管理のもと、天然素材で作られるサフィールのクリームは、アロマセラピストの資格を持つ家人でも驚くほど香りがいいうえに、革への馴染みもいい。
posted by 城戸朱理 at 12:53| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月20日

mad bambiの骨董、その1

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バンビことパンクな彼女は、意外なことに骨董屋を覗くのが好きで、古い写真や葉書などをよく買っている。


だから、私が骨董屋を回るときには必ずついてくるのだが、紙類以外に何か買うとなると、パンクなだけに、何に使うのか見当もつかない、怪しいものばかりである。


京都の寺町の骨董屋さんでは、掌に乗るほどの小さなセルロイドのダルマ、しかも手足がついた不気味なヤツをありったけ買って以来、バンビは店員さんに「あのダルマのお客さん」として認識されたようで、年に数回しか行かないのに挨拶されるようになってしまった。


今年の1月に京都に行ったとき、バンビが骨董屋で買ったのは、古いウサギのヌイグルミ。

右耳が垂れているところが気に入ったらしい。

何に使う気なのかは分からない。


もうひとつは、赤絵の盃なのだが、見込みは梅にウグイス、胴は波に千鳥と、いかにもバンビ好みの絵付けのうえ、盃自体が笛になっており、バンビがこの盃を持ち出すとピーピーうるさいという困った代物である。

つまり、これは盃としてではなく笛として使われていることになる。

大正から昭和初期のものだが、バンビの場合、時代などは関係ない。

自分が面白いと思えば、それでいいらしく、小遣いで買えるものは自分で買っているし、すこし高いものになると「買ってあげて!」と私のところに持ってくるのだった。


パンクなだけに油断大敵、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 13:18| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

若者のジーンズ離れ



「若者の車離れ」とか「若者の海外旅行離れ」とか、若い世代の消費動向について、さまざまなことが言われてきたが、当事者である若者の側から「若者のお金離れ」、つまりは自分たちにはお金がないんだという反論があって、すべて決着がついてしまった感がある。


だが、「若者のジーンズ離れ」は、いささかニュアンスが違うかも知れない。

「AERA」11月11日号でも若者のジーンズ離れについての記事が掲載されていたが、ジーンズの売り上げは20年前の50%まで落ち込み、とくに若者のジーンズ離れが目立つらしい。


さらに品川のジーンズ・ショップでは、いちばん買いにくるのが70歳前後の男性というのだから面白い。

かつては「若さ」と「自由」、さらには「反逆」のシンボルだったジーンズは、今や、団塊の世代の高齢者の日常着になってしまったことになる。


10年ほど前に、GUが中国製生地をアフガニスタンで縫製した990円のジーンズを、さらにSEIYUがバングラデシュ製のジーンズを850円で売り出し、とどめにドンキホーテが690円という底値のジーンズを売り出すなど、ジーンズも価額破壊が進んだ。

一方、Levi's、Lee、EDWINといった1万前後のメジャーブランドの売り上げは低迷し、ジーンズ・ショップも売場を縮小したり、ジーンズ売場自体を撤廃したりしているというのだから驚く。


若者のジーンズ離れは、ジーンズ以外の選択肢が増えたからではないかという分析もあるが、それだけではないような気がする。

今や、若者が「昭和的」とか「昭和っぽい」と語るときには、旧弊であり、時代遅れという否定的な意味で使われることが多い。

彼らにとっては、ジーンズも「昭和っぽい」もののひとつであり、団塊の世代の老人たちが着る「ダサい」ものになってしまったのではないだろうか。


これはジーンズに限った話ではないが、今や消費は二極化し、高価なものと低価格のものが売れ、かつてはデパートの主力商品だった中間の価格帯が痩せ細っている。

ジーンズの場合も同様で、ファストファッションの低価格のものと、職人の技術に裏打ちされた岡山の児島ジーンズのような数万円の高級品という二極化が起こっているのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 12:03| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月19日

マタイ受難曲を聴きながら

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居間からバッハの「マタイ受難曲」が聞こえてきた。

聞き覚えのない演奏だったので、ジャケットを確認してみたらヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィル。

私はカラヤンのバッハは買ったことがないので、バンビことパンクな彼女が買ったらしい。


『マタイ受難曲』といえばウィレム・メンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した歴史的な名盤がある。

第二次世界大戦を目前にした1939年4月2日、復活祭の前日の記念碑的な名演で、感極まった聴衆のすすり泣きが聴こえる。

高校生のとき、レコードを入手した私は、そのすすり泣きのパートを見つけて、「本当に泣いてる!」と興奮したものだった。

何を聴いていたんだ、自分は?


「マタイ受難曲」を聴きながら何をしていたのかというと、バンビも私も、ひたすら片付けをしていたのだ。


何年も本や資料を整理できないまま仕事に追われ、今や、わが家は崩れた本の山に書類を積み上げ、どこに何があるかも分からない状態に陥っている。

問題は、必要があって本棚から取り出した本を、元の位置に戻す余裕がなくて、適当なところに押し込んでいたことで、いざ探そうとすると見つからない本ばかり。

これでは持っていないのと同じである。

たしかに、自分のせいとはいえ、「受難」である。


白石かずこさんに本をどう整理しているのか尋ねられたことがあるが、「どこに何があるか、分からない状態です」と答えたところ、「そうよねえ。本はどんな隙間にも入り込んでくるから」と白石さん。

倉庫にも何十箱か積み上げてあるが、そうなるとないのと一緒である。

吉増剛造さんにも、白石さんと同じことを聞かれたが、みなさん、本の整理には悩まれているのだろう。

それでも、本は増える一方で、本棚の前に本が山を成し、本棚までたどり着けない。


文庫本を整理していたら、草森紳一『本が崩れる』(中公文庫)が出てきた。

まさに現在の状況にふさわしい。

この本、表紙から始まって、博覧強記で知られた草森紳一さんの生前の住まいの写真が多数、掲載されている。

「住まい」と言っても、どこもかしこも本棚を溢れ出し、積み上げられて崩れた本の山ばかり。

本がないのは浴室とベランダだけで、玄関も脱衣場も本の山、また山。

2LDKのマンションは完全に本に占拠され、それがふとしたきっかけで崩れてしまう。

「ドドッと、本の崩れる音がする。首をすくめると、またドドッと崩れる音。1ヶ所が崩れると、あちこち連鎖反応してぶつかり合い、積んである本が四散する。と、またドドッ。耳を塞ぎたくなる。あいつら、俺をあざ笑っているな、と思う」

分かる。

よく分かるが、わが家はここまでひどくはない。

大いに慰められるではないか。


ある日のこと、草森さんが入浴しようと脱衣場に入ったところで、本の山が次々に崩壊し、脱衣場の戸をふさいでしまった。

戸を押しても、微動だにしない。

本に軟禁されたかたちの著者は仕方がないので、入浴してから脱衣場に積み上げた本を読むことにしたのだとか。

脱衣場に積み上げられているのは信長・秀吉・家康関係、水戸学関係、北一輝の著作にその研究書関係など。

はたして、著者は脱衣場から脱出できるのか。

最初こそ気になるが、本人がさして気にしているふうでもないので、こちらも次第にどうでもよくなってくるあたりが面白い。


草森紳一は蔵書について次のように書いている。



『かりに資料三千といえば、ただの数字であるが、それを量として考えると、おそろしき物塊と化す。「塊」の漢字には「鬼」が入っている。狭い空間になんとか場所を見つけて、それらがわだかまっているさまは、まさに息をする物の怪(塊)である。きちんと書架に並べて収納しておけば、よいに決まっているが、そのような空間の余裕はない。あらゆる場所が、彼等鬼たちの仮の住まい、合宿所となる』



蔵書の苦しみを見事に語っているが、本のスペースを確保するために冷蔵庫もテレビもステレオも、さらにはタンスや机に椅子まで捨ててしまったというのだから、もはや「生活」を営むことさえ出来ない。

ここまで行くと鬼気迫るものがあるが、どこか滑稽さも漂う。


私は、幸いにも、草森紳一さんのように大量の資料を必要とする歴史物とは関わりがないので、ここまで本に追い詰めらることはないが、整理だけは進めないと、執筆もままならない。


「マタイ受難曲」は、まだ続いている。
posted by 城戸朱理 at 13:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今道子作品展@銀座・巷房

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鎌倉在住の今道子さんは世界的な写真家だが、その作品は魚などを使って制作したオブジェを撮影したもので、単純に「写真」と呼べるものではない。

それは、シュルレアリスティックな幻想の顕現、あるいは罪の意識の戯れのようでもある。

澁澤龍彦が、幻想画家にとっての「幻想」とは、決して曖昧なものではなく、明晰なものからしか始まらないことを指摘していたが、今道子における「幻想」もまた、そのようなものであることは指摘しておきたい。


その最新作による個展が、銀座の巷房で開催されている。



【今道子展】

会場/巷房

東京都銀座1-9-8奥野ビル3階

会期/2019年11月18日(月)〜30日(土)

12:00〜19:00
最終日17:00



今回は澁澤龍彦邸で撮影した四谷シモンさんのポートレートを中心にした展示だが、今さんが人物を撮影したのは、これが初めてではないだろうか。

撮影時には、今さんの依頼でバンビことパンクな彼女がアシスタントをつとめ、私も立ち会ったが、今さんの仕事ぶりを拝見して、シャッターを切るまでの作業のほうが大変なのが、よく分かった。

昨日、18日がオープニングで、私は原稿執筆のため、うかがうことができなかったが、バンビは駆けつけた。

会場はアーティストやキュレーターで賑わっていたそうだが、近年、ギャラリー巡りに余念がない田野倉康一くんが現れたので、写真を撮ってもらったそうだ。


作品を前に、左から四谷シモンさん、今道子さん、バンビこと小野田桂子である。



(撮影=田野倉康一)
posted by 城戸朱理 at 11:41| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日もパンクに七変化???

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バンビことパンクな彼女が、すっかり『万葉集』にハマってしまった。

とはいえ、『万葉集』を一首たりとも読んでいるわけではない。


大伴家持と書持の名前が「おいしそう」というところにハマっているだけである。

しかも書持は「ふみもち」と読むのに、バンビは勝手に「かきもち」と決めてしまったのである。


「さくっと、もちっと、おいしいやかもち!」
・・・

「さくっと、もちっと、おいしいかきもち!」
・・・・・・


家持と書持、この名前には大伴という家を保ち、言葉を持していくという父、大伴旅人の想いがこめられているように思うのだが、バンビにかかると、お餅の仲間にされてしまうのだった。

パンクだから仕方がない。


「これから大伴鹿麻呂と名乗ろうかな」
!!!

家持の祖父、大納言・大伴安麻呂をパクったのだろうか?

「それとも、大伴鹿持のほうがいいかな」
・・・・・・


困ったものである。


ある日のこと。


テレコムスタッフの平田潤子ディレクター&プロデューサーから、かなり焦った様子の連絡があった。

新聞社や出版社の場合は、原稿を送ると翌月なり翌々月に稿料が振り込まれてくるが、会社によっては請求書を起票しなければならないケースもある。

つまり、請求書を送らなければ、ギャラは振り込まれないのだが、これが面倒なものだから、私はよく失念してしまうのだ。


すると、バンビは私が忘れないようにポストイットにメモを書いてくれたのだが、ヘンな犬まで描いてある。。。


「仙黒翌ノわんこと鯛を描いてみたんだよ!
これからマッド仙高ニ名乗ろうかな!」
!!!!!!


江戸時代、臨済宗の禅僧、仙豪`梵は、近年、思いっきり脱力した禅味あふれる絵が人気だが、バンビはその真似をしたらしい。


大伴鹿持の次はマッド仙香Aバンビの七変化はまだまだ続くのである。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 01:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする