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城戸朱理のブログ

2019年11月18日

民衆詩派について思うこと



去年あたりから、大正時代の民衆詩派について考えることがある。

きっかけは些細な疑問だった。

私の郷里である岩手県では、ここのところ、盛岡市在住の沼田真佑さん、遠野市出身の若竹千佐子さんの芥川賞受賞、さらには盛岡に御実家がある木村紅美さんが芥川賞候補になるなど、文学隆盛を謳っているが、なんと言っても、戦前の石川啄木、宮沢賢治の存在が大きい。

昭和もなかばまでは啄木の人気が高かったが、1990年代以降は賢治の評価がますます高まり、賢治にゆかりがあるものなら、なんであれ観光資源になってしまった感がある。


啄木と賢治は、私にとって高校の先輩に当たるため、若いときから意識はしていたが、戦前の岩手出身の詩人は啄木と賢治だけではない。

大正デモクラシーを背景に一時代を築いた富田砕花も盛岡出身なのだが、なぜか、語る人もいないし、ほとんど忘れられている。

富田砕花といえば、白鳥省吾や福田正夫とともに、大正期の民衆詩派を代表する詩人であり、歴史的な存在ではあるのだが、岩手に限らず、現代の詩人にも読まれている気配はないし、再評価の気運もない。

これは、なぜなのだろうか。


少なくとも、同時代においては重要視された民衆詩派は、北原白秋、日夏耿之介らの激しい批判もあって、昭和を迎えるとともに激しく失速していく。

平明な言葉で、労働者や農民の生活に寄り添う詩を目指したのが民衆詩派だが、その作品は弛緩して、あまりに散文的であると北原白秋に痛烈に批判され、芸術的な価値を否定された。

日夏耿之介の『明治大正詩史』における民衆詩派への評価は、さらに低い。


それで、逆に気になったのだが、このことをきちんと考えるためには、大正デモクラシーについて、あるいは富田砕花や白鳥省吾が翻訳を手がけたウォルト・ホイットマンの受容についての考察が必要となるだろう。


そして、もう一点、私が気になっているのは、今日、書かれている詩のうち、少なからぬ作品が、大正期の民衆詩派と似かよったものになっているのではないかということだ。

近年、にわかに平明な言葉で、生活者である自分を語る詩が目立つようになったが、そうした詩人たちは後世、平成・令和の民衆詩派と呼ばれることになるのだろうか。

いずれ、民衆詩派、とりわけ富田砕花の作品を、系統立てて読んでみる日が来るのかも知れない。

今や、後世などあるのか分からない時代に生きているだけに、それは、ある種の苦さを伴う経験になるような気がする。
posted by 城戸朱理 at 17:09| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ソウル、仁寺洞の骨董屋で

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8月24日、帰国前に久しぶりに仁寺洞(インサドン)を歩いてみた。

10年前までは伝統工芸品と骨董屋が並ぶ街だったが、今ではすっかり観光地化して、骨董屋もほとんど見当たらない。

裏通りに李朝の白磁の大壺が目立つ店があったが、仁寺洞通り(インサドンキル)に面した長生壺は健在だった。

以前、中沢けいさんと訪れたこともある。


日本では三島手と呼ばれる粉青沙器の徳利なども並んでいたが、どれも大きすぎて花入れにしか使えない。

何も買う必要はなかったのだが、バンビことパンクな彼女が「これがコロっとして可愛いよ」と言うので、李朝後期の白磁の小鉢を求めることにした。

古伊万里のコロ茶碗に似た形だが、小鉢なのか、薬湯を飲むための茶碗なのかは分からない。

ただ、普段使いできる頑健な作りで、手にも馴染む。


かつて東大門(トンデムン)市場の清渓川(チョンゲチョン)ぞいに建ち並んでいた骨董屋は、再開発のため、長安坪(チョンアンピン)に移転し、清渓川は、今やソウル市民の憩いの場となっているが、ソウルは、すべてが近代化され、綺麗になってしまった感がある。

朝鮮王朝時代に貴族階級の両班(ヤンパン)の住まいが軒を連ね、文化の街として知られていた仁寺洞も、例外ではないということか。
posted by 城戸朱理 at 01:07| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月17日

神野紗希さんと遭遇!?

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町田天満宮の骨董市を歩いて汗だくになり、少しでも涼しいところを歩こうと冷房の効いたビルを縫うように歩いていたときのこと。

バンビことパンクな彼女が、突然、声をかけられた。


「バンビさん!」


バンビのことを嬉しそうにバンビと呼ぶのは吉増剛造さんだが、誰かと思ったら、なんと神野紗希さんではないか!


国立に住んでいる神野さんと、鎌倉からやってきた私たちが町田で偶然、出会う確率は、どれくらいなのだろうか。

人口20万以下の都市だと、偶然、隣り合わせた人がいるとして、友人の友人くらいには共通の知り合いがいるというが、これは人口17万強の鎌倉で暮らしていると、よく分かる。

だが、東京ではありえない話だろう。


聞けば、神野さん、町田で俳句の教室の講師をされているのだとか。


さらに、8月26日にも思いがけない出会いがあった。

東京のとある駅で、ロンドンに帰る友人を、羽田行きのリムジンバスの乗場まで送っていったときのこと。

突然、バンビが「貴子ちゃんだ!」と言って、走り出した。

なんと、嶺川貴子さんではないか!


カヒミ・カリィと並ぶ、かつての渋谷系の女王は、今やアメリカが本拠地。

ギタリストのダスティン・ウォンと北米ツアー、さらには中国ツアーを成功させたが、まさかバス停で遭遇するとは。

嶺川さんも驚いていたが、これからLAに戻るところだという。

嶺川さんとバンビは、共通の友人のことなどで盛り上がっていたが、世界は広いようで狭く、狭いようで広い。
posted by 城戸朱理 at 16:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

町田天満宮の骨董市で

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今年の夏も暑かった。

猛暑のなか、バンビことパンクな彼女が久しぶりに町田天満宮の骨董市に行こうと言い出したのは8月1日のこと。

何をしていても暑い。

どうせ暑いのなら、炎天下、骨董市に行くのもいいかと思ったのだが、歩いているだけで汗が噴き出してくる。


久しぶりの町田の骨董市はずいぶんと様変わりしていた。

戦後、昭和中期の物が増え、客もまばらで、活気がない。

酷暑のせいかも知れないが、景気を反映しているのだろう。


驚いたのは、昭和後期から平成にかけて、骨董の代名詞だった古伊万里が激しく値崩れしてしまったことで、酒盃になりそうな更紗文の猪口を求めたのだが、以前の半値どころか、四分の一くらいの値付けだった。


かつては西荻窪に店があった「しろねこ家」で見つけたのが、李朝の平茶碗。

李朝初期、15〜16世紀の所産で、どうということもない茶碗だが、見たとたんに、これでお茶漬けを食べたら涼しげだろうと思って手に取った。


バンビが町田に行きたがるのは、柿島屋で馬刺しとさくら鍋か、いくどんで焼肉を食べさせてもらおうという魂胆なのは分かっている。

この日は、いくどんで炭火の煙に巻かれながら焼肉とビールで暑気払いをした。
posted by 城戸朱理 at 16:23| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都、東寺の骨董市で

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今年は骨董屋も骨董市も、ろくに覗いていないが、1月に番組ロケの合間を縫って、石田瑞穂くんと東寺の弘法市に立ち寄ることができた。

地元で「弘法さん」と呼ばれ、親しまれている弘法市は、骨董市と言っても縁日のようにたこ焼など食べ物の露店や漬物や干物など、さまざまな店が並ぶので、そぞろ歩きしているだけで楽しい。


瑞穂くんは酒器を中心に見ている。


木箱を並べて、大量の盃や猪口を売っている業者さんがいたので、ふたりで漁ってみた。

幕末、明治あたりから昭和中期のもので、500円均一。

同手のものを探して、二十客ほど買っていた先客がいたが、お店で使うのだろう。

東京と違って、京都だと骨董を使っている店が多いが、居酒屋でも江戸後期から幕末あたりの器を使っている店は少なくない。

こんなふうに、毎月、21日に開催される東寺の弘法市や24日の北野天満宮の天神市などで、みつくろうのだろうか。



私が選んだ盃は二点。

雑多な盃のなかでは比較的、古手で幕末から明治あたりのもの。

盃として使うかは分からないが、珍味を盛ってもいいだろう。

なにせ、ふたつで1000円である。


弘法市では韓国の業者が必ず出店しており、李朝の白磁などを並べているが、そこで求めたのが高麗青磁の輪花小皿。

鈍い発色で発掘品だが、14世紀あたりのものだろうか。


いずれもコートのポケットに納まる小さな、そして、ささやかな買い物だが、せっかく骨董市に出かけるのなら、何かひとつでも見つけて帰りたいと思うのが、病人の心理である。
posted by 城戸朱理 at 00:34| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

ランチにクスクスを

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骨付きのラム肉に焼き色をつけてから、クミンやコリアンダーなどのスパイスで煮込んでいたら、匂いにつられてバンビことパンクな彼女がキッチンにやってきた。


「何を作ってもらえるのかな?
あれっ、クスクスみたいな匂いがするよ〜」


まさにクスクスを作ろうとしていたのである。

ラムにトマト、ズッキーニ、ニンジン、黄ピーマン、茄子などを加え、クスクスを蒸らして食卓へ。

デュラム小麦を粒状にした世界最小のパスタ、クスクスは熱湯で蒸らすだけで食べられるので、スパゲッティより手軽だから常備している。

ほかに赤ピーマンのトマト煮、マッシュルームのガーリック風味などを並べ、フルーツは葡萄を。


「ランチにクスクスなんて贅沢だね!
お昼から夕飯みたいだなあ!」


だがクスクスは、煮込み時間こそ小一時間ほどかかるが、スパイスさえ揃えておけば、さして難しい料理ではない。

おまけに野菜を美味しく食べることができる。


クスクスはフランスやイタリアでも、よく食べられているが、もともとはアラブ諸国の料理なので、豚肉は使わない。

牛や鶏でも作れるし、野菜だけでもいい。


私は羊肉の風味がクスクスには合うと思っているので、必ずラムを使うようにしている。


昔から羊毛業が盛んだった北海道では、肉といえば羊で、どの家庭にもジンギスカン鍋があるそうだが、北海道ほどではないにしろ、私の故郷の岩手でもジンギスカンは、比較的ポピュラーだった。

小岩井農場や白樺で有名な平庭高原で、両親と食べた記憶がある。

岩手は明治末期から羊毛を手染め・手紡ぎ・手織りしたホームスパンの産地で、花巻市の日本ホームスパンはフランスのシャネルに生地を提供している。

それだけに羊も飼われていたのだろうか。

北海道のように家庭でもよく食べるといったものではないが、ジンギスカンは、私も懐かしさを感じるもののひとつだ。

羊肉は、クスクスにするか、香草焼きにすることがもっぱらだが、羊肉には、彼方まで広がる草原の匂いがするような気がする。
posted by 城戸朱理 at 15:33| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月15日

雨の日には履けない革靴~MOTOのコードバン、チャッカブーツ

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「革のダイアモンド」と呼ばれるコードバンは農耕馬の臀部の革で、生産量が少なく、カーフより強靭とされながらも、靴となると雨の日には履けない。

奥深い艶と光沢がコードバンの特長で、スムースレザーのようにしか見えないが、実はスエードやヌバックと同じ起毛革で、起毛を無理矢理寝かしつけることで、濡れたような輝きが生まれる。

だから、本当に濡れると毛羽だってしまうのだが、強靭なのに雨に弱いのだから、困った靴である。


だが、履く人の癖に合わせて波打つように深く刻まれる皺と、磨くほどに輝きを増すコードバンに魅せられた愛好家は多く、ホーウィン社のコードバンを使ったアメリカのオールデンの靴に憧れる人も少なくない。

オールデンの愛好家は、天気予報の降水確率をにらみながら、履く日を決めるようだが、たしかに困った靴である。

梅雨時には履けないし、夏はゲリラ豪雨の危険性が高いので、履くのがためらわれる。

旅行には履いていけないし、秋から春にかけて、晴天のときだけ持ち出すことになるが、何が悲しくて、こんな靴を買ってしまったのだろうと思いながらも、眺めているだけで嬉しいのだから、どうしようもない。


コードバンのタンナーは、シカゴのホーウィンと日本の新喜皮革が双璧だが、原皮はヨーロッパ製。

コードバンの靴は、ヨーロッパよりもアメリカで好まれるらしい。

ちなみに、日本では栃木と姫路にタンナーが集まっており、栃木レザー、姫路レザーとして名高いが、新喜皮革は馬革専業で、姫路のタンナーである。


日本でも、Makersを始めとして、コードバンの靴を手がけるメーカーは増えてきたが、染色していないナチュラル・コードバンを使ったchausserと並んで、もっとも独創的なのがMOTOの靴だ。

コードバンと言えば、艶が生命なのに、なんと艶出しの行程、グレージングを省いたマットな仕上がり。

アンチグレージングの素上げのコードバンを手染めして仕上げるMOTOのコードバンの靴は、少々の雨なら平気というあたりも素晴らしい。

しかも、新品の段階ですでに深い履き皺が入っている。

長年、エイジングしてきたような風格があるが、これが履き下ろし前の新品。


MOTOのコードバンは、履き込むとともに磨き上げ、コードバンらしい艶を出してもいいし、マットなまま履き続けることもできるが、エイジングを楽しむ靴として、実によく出来ている。

消費税の増税前に、という呪文を唱えながら買ってしまったが、これが私が買う最後のコードバンの靴になるだろう。

いや、そもそも、もう靴は買わないはずではなかったのか?(自問)
posted by 城戸朱理 at 13:11| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

雨の日の革靴~ガラスレザーとオイルドレザー

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スエード靴ではためらわれるほど、雨足が強いときには、ガラスレザーかオイルドレザーの靴を選ぶしかない。


ガラスレザーは、樹脂コーティングしたレザーで、それゆえに「ピカピカ」としか言いようがないほど強い光沢を持ち、耐水性は申し分ないが、本格靴好きからは評判が悪い。

樹脂層が邪魔をしてクリームが入らないため、エイジングが楽しめないからである。

しかし、鏡面のような強い光沢を持ち、雨に強いうえに、手入れは拭くだけでいいのだから、便利なこと、この上ない。

私には欠かせない一足である。


ガラスレザー以外だと、フランスのパラブーツが採用しているオイルを浸透させたリスレザーや、シカゴの老舗タンナー、ホーウィンの、やはりオイルをたっぷりと含んだクロムエクセル・レザーの耐水性が、きわめて高い。

油分が抜け、乾燥してきたらオイルアップする必要があるが。



柳美里さんに出演してもらった岩手県の三陸鉄道、北リアス線のロケのときに豪雨に見舞われたが、私が履いていたパラブーツは浸水することもなく、快適だった。

出張を始めとして、旅に出る機会が多くなければ、雨用の靴もそんなに気にしなくてもいいのかも知れないが、国内はもちろん、台湾やベルリンでも豪雨や雷を伴う嵐に遭遇したことがあるので、足元は揺るがせに出来ない。

旅先の天気予報を確認して、雨の予報のときは、靴もそれにふさわしいものを選ぶことになる。


写真は、7月に盛岡に行ったときに持参した靴。

天気予報は連日、雨だったので、ルイ・ヴィトンのガラスレザーのストレートチップに、クロムエクセルのアッパーのMOTOのウィングチップ、スニーカーはadidasのスタンスミスの3足を持った。

ヴィトンのストレートチップはレザーソールだが、あらかじめ接地する部分にラバーが装着されている。

最初から雨天仕様の靴として作られたものなのだろう。
posted by 城戸朱理 at 01:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

ビストロ・オランジュにて

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ツルノリヒロさんとアコースティック・カフェのコンサートの打ち上げで行ったビストロ・オランジュは、みなさんに好評だった。

飲み放題のプランだったのだが、キャロット・ラペ、根セロリのマリネ、フォアグラ入りの田舎風パテ、鶏レバーのムース、藤沢産生ハムといった前菜のあと、カボチャのスープ、真鯛のポアレ、ほろほろに煮込まれた豚肉、そしてデセールというフルコース。

お酒もワイン、スパークリングからキール・ロワイヤルのようなカクテルまで好みのものを選べる。

これで、ひとり5000円だから、居酒屋より安いくらいだ。


ビストロ・オランジュは、私もときどき立ち寄るが、今年の春でシェフとソムリエが辞め、社長自らが昔のように厨房で采配を振るっている。


今回は料理の写真を撮らなかったので、写真は2月11日に行ったときのもの。

バンビことパンクな彼女とスパークリングワインで乾杯してからメニューをじっくり読んで、頼んだのは、根セロリ、赤キャベツ、パテに鶏レバーのムース、生ハム。

さらに鹿肉とフォアグラ、プラムのパテを。

プラムの甘酸っぱさが、肉を引き立てる。


羊肉の挽き肉をタマネギやパブリカ、ニンニクと炒め、ワインで煮込むバスク地方の家庭料理、アショア・ド・ブフは、ご飯が添えられ、クスクスと同じようにアリッサ(唐辛子とニンニクのペースト)が欠かせない。

好みでライムをかけるのだが、ご飯に柑橘類という組み合わせは、日本にはないもののひとつではないだろうか。


そして冬ならではのジビエ、ウズラのグリエ。

これを食べるために、冬になると通うことになる。



鎌倉では大人数で入れる店がほとんどない。

ビストロ・オランジュは、10人以上でも対応してくれる数少ない店であり、逆に1階のカウンターで、ひとりで軽く飲むこともできる。

居酒屋感覚で楽しめる、カジュアルなフレンチだ。
posted by 城戸朱理 at 11:49| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨の日の革靴~黒のスエードのストレートチップ

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私の場合、講演や大学の講義で外出する以外は、日々、書斎でデスクに向かって原稿を書いているだけだから、どんな格好をしていても構わないわけだが、外出するときは、最低でもジャケットを持つようにしている。

たとえノータイでも、男性はジャケットを持つべきだと語ったのは白洲次郎だが、別に白洲さんに影響を受けたわけではなく、これは若いときからの私の習慣である。


書斎にこもっているのであれば、一日中、パジャマで過ごしても構わないわけだし、別に誰からも文句は言われないだろう。

しかし、そのまま外出するようになっては見苦しい。

それが許されるのは、田村隆一さんくらいだろう。

鎌倉の割烹・奈可川で聞いたのだが、ある日、田村さんがトレンチコート姿で現れた。
惚れ惚れとするほどスタイリッシュだったが、コートを脱ぐと、なんとパジャマだったそうだ。


だからこそ、逆に自分でルールを作ったのだが、私の場合、居酒屋ならともかく、バーで飲むとき、場に溶け込むために、そうしているところがあって、これは下戸には分からない酒飲みの心持ちかも知れない。


だが、スーツやジャケットを着ているのに、足元はスニーカーというわけにはいかない。

ここで問題がある。


日本は雨が多い。

気象庁の統計によると、東京なら年間で120日ほどは雨が降っている。

ところが革靴、とくにソールまで積み革で出来ているレザーソールの本格靴は水に弱い。

履けないことはないのだが、そのあとのメンテナンスに一週間はかかる。


そんなわけで、革靴クラスタの人間は、雨用の靴を意識することになるのだが、雨用の靴の条件はレザーソールではなく、グリップのいいラバーソールが第一の条件になる。


さらに、これは意外と知られていないのだが、雨用にはスエードなどの起毛靴がもっとも向いており、イギリスだとスエード靴をレインシューズにするのが常識なのだとか。

もちろん、スエード靴はそのままではなく、防水スプレーをかけてから履く必要があるが、ここでも問題がある。

日本は、霧雨ばかりのロンドンと違って、どしゃ降りの日も少なくない。

日本の豪雨となると、スエード靴では対応できないのだ。

あくまでも、弱雨から、ごく普通のふり方のときにはスエード靴ということになる。

スエード靴の手入れは、防水&保革スプレーとブラッシングだけなので、スムースレザーよりもメンテナンスが簡単なのもいい。



長いこと雨用のスエード靴を探していたのだが、私がイメージしていたのは黒のスエードでラバーソールのストレートチップ。

これが、なかなか見つからない。

5月にハワイに行く前に、ロイヤル・ハワイアンセンターにある紳士靴の名店レザーソウルのHPをチェックしていたら、
ストレートチップではなくダブルモンクストラップだが、黒のスエード、ラバーソールのジョン・ロブの靴があった。

これはいいと思ったものの、いざハワイに行ったら、私のサイズだけ品切れ。


その後、6月に選考委員長をつとめる岩手日報随筆賞の選考会のために盛岡に行ったとき、大通りの菅原靴店に立ち寄ったら、なんとイメージ通りのスエード靴があった。

菅原靴店は、私が生まれる前からある盛岡の老舗だが、イタリアに渡り、PRADAに勤めた2代目が帰国して家業を継いでから面目を一新し、東京以北では唯一、ジョン・ロブと並ぶ英国靴の最高峰、エドワード・グリーンの取扱店になるとともに、クラシコ・イタリアの洋服も扱うようになった。


その菅原靴店で見つけたのが、Berwick1707の黒のスエードのストレートチップである。

バーウィックは、スペイン南東部の靴の街、アルマンサで1991年に創業したメーカーで、堅牢なグッドイヤーウェルト製法の本格靴にもかかわらず、値段は国産のグッドイヤー製の靴と大差ないため、コストパフォーマンスがきわめて高いインポート靴として知られている。

菅原靴店でも私のサイズはなかったが、帰宅してから、発注して取り寄せた。


ストレートチップのようなオーソドックスなデザインでも、黒のスエードでラバーソールと限定すると、意外と見つからないものである。
posted by 城戸朱理 at 09:01| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アコースティック・カフェ、コンサート@歐林洞

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11月10日、日曜日。

私が原稿を書き上げ、バンビことパンクな彼女も各種の連絡など事務仕事を終えたのは夕方のこと。

それから、ツルノリヒロさん率いるアコースティック・カフェのコンサート会場、歐林洞にタクシーで向かった。


歐林洞は、鎌倉から北鎌倉に向かう鎌倉街道沿いにある高級洋菓子店。

その2階がギャラリーサロンになっていて、コンサートが定期的に催されている。


作曲家・ヴァイオリニストのツルノリヒロさんは私にとって30年来の旧友だが、韓国でブレイクし、10年ほと前から韓国諸都市をめぐるツアーを毎年、4、5回はしている。

その経緯というのが傑作で、ツルさんが1990年にCBSソニーからリリースしたファーストアルバム「月を作った男」に収録されている「ラスト・カーニバル」が、ツルさんが知らないうちに、ある韓国のドラマの主題曲として使われ、爆発的にヒットしたらしい。

ツルさんが知らないうちに、というところが肝心なのは言うまでもない。

そんなわけで、韓国に招かれコンサートをすることになったのだが、それに先立ってラジオ局が取材で来日、ツルさんは「あなたの曲が韓国で受けたのは、なぜだと思いますか」といった質問を受けるはめに。

そもそも、自分の曲が韓国で流行っていることを知らなかったのだから、答えようがないではないか。


何はともあれ、それをきっかけにしてツルさんの韓国ツアーは本格化し、数千人が入るコンサートホールが満員となり、「ラスト・カーニバル」を演奏するとスタンディング・オベーションが起こるのは、私もソウルで目撃した。


アコースティック・カフェはツルさんのヴァイオリンに、AYAKOさんのチェロ、平沼有梨さんのピアノという編成。

ツルさんのオリジナルだけではなく、フォーレやエリック・サティ、サイモン&ガーファンクルにアストル・ピアソラのタンゴまで、ツルさん一流の編曲で、生音のコンサートを堪能した。

大ホールでしかアコースティック・カフェを聴けない韓国のファンが知ったら、羨むこと間違いなしのコンサートである。


コンサートのあとは、1階でケーキに紅茶とワインがふるまわれる。

CDを購入した人のためにサイン会もあるのだが、バンビは韓国版のCDを買って、サインをもらっていた。

世界10か国に展開する「リツコ・シラハマ」のデザイナー、白浜利司子さんを紹介され、御主人とともに打ち上げ会場のビストロ・オランジュへ。

遠来のファンの方も多く、フルコースを楽しみながらワイングラスを傾け、バンビは白浜さんと盛り上がり、なんとも楽しいパーティーだった。
posted by 城戸朱理 at 00:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月12日

『万葉集』と仙覚律師



織田百合子さんによる講演「仙覚律師の生涯~京・鎌倉の文化交流」は、ミステリーのようにスリリングで、知的興奮に満ちていた。

そもそも、仙覚律師とは誰なのか、そして、何をした人なのか。


織田さんのお話を、ごく簡単に要約してみると、以下のようになる。


『万葉集』は漢字を音に当てた万葉仮名で書かれているため、訓点をつけなければ読むことができなかった。

『万葉集』に収録されているのは、約4500首。

このうち、平安時代中期に村上天皇の命で源順らが4000首以上を訓読、
それ以降も、藤原道長から藤原俊成・定家らによって訓点が付けられたが、152首が訓点を付けられずに残されていた。

鎌倉時代の人、仙覚は、残された歌に訓点を付け、厳密な校訂をほどこした。

今日、出版されている『万葉集』は、すべて『西本願寺本万葉集』を底本としている。

この『西本願寺本万葉集』は、仙覚の『万葉集』を底本としており、今日、私たちが『万葉集』に触れることができるのは仙覚の功績によるところが大きい。


ところが、仙覚の功績は明らかなのに、仙覚とは誰なのかは、まったく分かっていない。

織田さんによると、仙覚がついて分かっているのは、次の4点のみ。


(1)建仁3年(1208)の生まれであること。
(2)比企氏にゆかりがあること。
(3)天台宗の僧侶であったこと。
(4)「あづまの道の果て」の生まれであること。


建仁3年は「比企能員の変」、すなわち鎌倉幕府第二代将軍・源頼家の外戚として権勢を誇った比企能員(ひき・よしかず)と比企一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされた年である。

織田さんは、ここから作家的な想像力によって、仙覚とは誰かを同定し、その生涯を明らかにしていったのだが、これが実に説得力に満ちた仮説で、私などは納得してしまった。

その答えは、織田さんが研究書としてではなく、より一般に開いた小説として書かれるそうなので、その刊行を待っていただきたい。



仙覚律師は、妙本寺がある比企谷(ひきがやつ)の新釈迦堂で『万葉集』の校訂をしたそうだが、新釈迦堂は、田村隆一さんのお墓があるあたりにあったらしい。



鎌倉市では、市政80周年の事業として、わが国の古典の研究拠点を目指すことを決め、鎌倉市中央図書館に「鎌倉仙覚文庫」を開設したが、これも織田百合子さんの研究があって仙覚を知る人が増えたから、実現したものではないだろうか。


歴史の空白のなかから、ひとりの人物が浮かび上がっていく。
posted by 城戸朱理 at 11:07| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

執筆と外出と



どうしたことか、先週はあわただしかった。

締切は3本だけだったから、原稿執筆が大変だったわけではない。

外出する日が多かったのと、風邪を引いたせいだろうか。


締切は「岩手日報」投稿欄の選評2回分と「現代詩手帖」年鑑の松浦寿輝『秘苑にて』の書評で、松浦さんの詩集に関しては、15枚から20枚くらいないと、きちんと語れないというのが本音である。

「岩手日報」の選評は、入選作を選んだものの税務署に来年の確定申告のための書類を提出しに行かなければならなかったので、翌日に執筆。

「現代詩手帖」の書評は、執筆途中で風邪を引いて停滞したが、幸いにも翌日には回復し、書き上げることができた。


しかし、鎌倉ペンクラブ・早見芸術学園共催の公開講座「現代作家が読み解く『万葉集』」の2回目、作家の織田百合子さんの「仙覚律師の生涯~京・鎌倉の文化交流」を聞くことができたし、10日(日)に鎌倉で開催された旧友のツルノリヒロさん率いるアコースティック・カフェのコンサートにも行くことができた。

織田百合子さんのスリリングな講演とアコースティック・カフェの典雅なコンサートに関しては、別に書くことにしたい。


結局、外出すると執筆に専念できないし、事務的な作業をしなければならなくなると、ほかのことには手がつかなくなる。

一日にできることが少なくなっていくのが、年を重ねるということなのだろうが、それだけに、自分の仕事に専念できる時間を優先していかなければならないだろう。
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ロンドン土産のウィリアム・ブレイク

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ロンドンのテイト・モダンで大規模なウィリアム・ブレイク展が開催されている。

ブレイクが職業的彫版師として残した作品を中心とする展覧会だが、私も渡英を考えたものの、スケジュール的に無理だった。

ブレイクの版画作品じたいは、1990年に東京の国立西洋美術館で開催された大規模なブレイク展で全容を把握しているし、「図書新聞」に展評も寄稿しているので、あきらめはつく。


ところがーー

ここのところ、映画にハマっている若い友人が、なんとドノバン・マーシュ監督の「ハンターキラー 潜航せよ」に出演していたトビー・スティーブンスの舞台を観るために渡英し、出待ちしてトビーその人と会ったばかりか、手紙を手渡ししてサインをもらい、ツーショットまで撮るという快挙(?)を成し遂げ、帰ってきた。

しかも舞台がない日は、彼女は美術館巡りをしていたらしい。

うらやましいことに、ブレイク展にも行って、お土産を送ってくれた。


『SONGS of INNOCENCE and of EXPERIENCE』、
ブレイクの版画がカラーで印刷された『無垢の歌』『経験の歌』のテイト・モダンによる復刻本で、三方、金の何とも美しい本である。


私の学生時代からの詩友、高貝弘也くんは「若い人も復刻版をもっと買うべきだ」と言っていたが、広瀬大志くんも、よく古書店で復刻版を買っている。

造本も含めて、書物の時代性を感じることは、テクストのより深い理解につながるところがある。



私はブレイクを読むときには、もっぱら1913年刊のオックスフォード大学版を使っているが、この時点ではテクスト・クリチックが完璧ではなかったため、いざ部分的にでも訳してみようと思ったら、別の版も参照しなければならない。

しかし、不便でも古い書物をひもといていると、立ち上がってくる幻影と、ひととき戯れるような気分になる。

復刻版にも、それに通じる感覚がある。


ブレイクに関しては、ひそかに続けている仕事があるのだが、いずれ形にしたいものだ。
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2019年11月10日

mad_bambiのワンプレートランチ

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長年、年間80泊から100泊に及ぶホテル暮らしが続いたが、だいぶ落ち着いてきた。

今年は、現時点で40泊を超えたくらいで、最終的には50泊ていどで済むのではないだろうか。


外泊が多いと、どうしても外食が続くことになる。

最近は自宅で調理する日が圧倒的に増えたおかげで体調もよい。


最近、料理はもっぱら私の担当になってしまったが、家庭料理だから、手の込んだものを作るわけではない。

毎日、三品の野菜料理を作り、2日間で食べるようにしているので、食卓に並ぶのは前日に作った三品と、その日の三品で六品の野菜料理、それに肉か魚というものである。

手が込んだものを作るのは、せいぜい週に1、2回で、あとは簡単に出来るものばかり。



ある日のこと、バンビことパンクな彼女が所用で外出しなければならなかったので、私が用意した料理をワンプレートに盛ってお昼を食べることにしたのだが、LINEで写真を送ってきた。


「ひと皿に盛ると、いっぱい品目があって豪華だよ!」



奥から時計回りに、焼き色をつけてからニンニクと一緒に醤油と酢で煮た手羽元、マッシュルームに舞茸など茸のガーリック炒め、赤と黄パブリカのアンチョビ・マリネ、ピーマンとツナの炒め物、焼き茄子、焼いた油揚げと和えた春菊のサラダ仕立ての六品。

玄米には胡麻をたっぷりとかけ、梅干を添えるのがバンビのお気に入りである。

フルーツは皮を剥いて冷やしてあったグレープフルーツに柿、これにカボチャとタマネギの味噌汁をつける。


この日は、豚ロースの味噌漬け、ぶりの幽庵焼きか塩鮭も用意できたのだが、バンビは前夜に仕込んだ手羽元が食べたかったらしい。


「ごちそうさま!
満足感があるし、とってもおいしかったよ!」


そうなのだ、バランスのよい食事は充足感があるので、逆に量を食べる必要がなくなる。



ちなみに厚生労働省によると成人の理想的な1日の野菜摂取量は350g。

目安としては、ほうれん草のお浸しなど、野菜の小鉢ひとつで70gていどなので、1日に小鉢五つの見当になる。

これを生野菜で摂取しようとしたら、ほぼ洗面器ひとつ分。

サラダだけで摂取するのは難しいので、やはり加熱した温野菜がいい。


バンビの場合、小鉢よりやや量が少ないとはいえ、味噌汁も入れると六品目の野菜&茸料理を食べたことになるので、このワンプレート・ランチだけで、1日に必要な野菜をほぼ摂取できていることになる。

これが満足感の理由だろうが、バンビは玄米と野菜中心の献立だと、外食がさらに楽しみになるらしい。
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2019年11月09日

鎌倉のイタリアン〜オステリア・コマチーナ、その2

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肉料理は、牛テールの赤ワイン煮にしようと思ったのだが、私たちのひとり前のオーダーで売り切れになったと言われてしまった。

かわりに、鶏肉と牛モツのボッリートを。

ボッリートはブーケガルニと一緒に肉を茹でたものだが、私もときどき作ることがある。

コマチーナは、ハツやレバーなどモツ料理が美味しいので、これは正解だった。

さらに牛テールの赤ワイン煮も一人前はないが半分なら提供できると言われたので、こちらも試す。

これも赤ワイン以外、考えられない。

牛テールの赤ワイン煮は、9月に三田のコート・ドールの斉須政雄シェフのスペシャリテを、さらに空花の脇元かな子シェフの和風のそれ(ただし牛ほほ肉)をいただいたが、店によってずいぶん違うもので、コマチーナの赤ワイン煮は、構えない家庭料理的な美味しさと言えばいいだろうか。

ただ、いざ再現しようとすると、うまくは出来ないのがコマチーナの料理である。


バンビと私が食事するときは、普段なら食後のデザートはパスしてチーズをもらうのがもっぱらだが、この日は違った。

黒板のメニューに和栗のパテを見つけたからである。

なんと、和栗100%、栗だけで作ったドルチェで、口のなかいっぱいに栗の風味が広がっていく逸品。

コマチーナは、ワインの品揃えもひと癖あって楽しいし、パスタを頼む余裕がなくなるほどメニューは多彩、しかもリーズナブルで、近所にあるのが嬉しい店だ。
posted by 城戸朱理 at 09:40| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉のイタリアン〜オステリア・コマチーナ、その1

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鎌倉の小町通りには、小林秀雄や永井龍男が通った割烹・奈加川があるが、その2階のイタリアン、オステリア・コマチーナがなくなってしまって残念に思っていたら、小町通りから奥まった場所に移転したことが分かった。

バンビことパンクな彼女と散歩しているときに、移転先を見つけたので立ち寄ったのは、10月19日のこと。


お勧めのワインをボトルでもらって、最初にサバのリエットと太刀魚のフリットを。

カウンター席に座ったので、目の前には自家製パンが並んでいたが、コマチーナのパンは、とても美味しい。


豚肉とレバーのパテは濃厚なので、赤ワインで口を洗いながら少しずつ食べるのがいい。


この日の「丸ごと一本魚のローストかアクアパッツア」は地物のイサキだったのでローストにしてもらう。

ふうわりとした焼き上がりは、家庭ではなかなか真似できない。
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2019年11月08日

来年の手帳

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気づくと11月。

今年もあとふた月を残すのみになった。

3月から4月にかけては170余篇もの詩の草稿を推敲しつつ清書し、さらに新作の詩篇を書き下ろしたので、200篇近い未発表詩篇を抱え、
それを詩集にまとめようと思っていたのだが、夏があまりに暑すぎて、何かに集中することが出来なかった。

結局、7月から9月までの3ヵ月を酷暑にあえいで過ごしただけで、何も進まなかったが、もう夏には仕事をするのはあきらめるか、北海道のオホーツク海沿岸の街に滞在するしかないのかも知れない。


この時期になると、文具好きのバンビことパンクな彼女が来年の手帳を検討し始めるのだが、私の手帳もイギリスに注文してくれた。

スマイソンの手帳である。



革表紙は、好みの色と刻印を選べるので、今年は赤に椰子の樹の刻印にしたのだが、来年の手帳は緑の表紙にユニコーンを配してもらうことにした。

革製品は、どうしても黒を選ぶことが多い。

手帳まで黒い表紙のものにすると、鞄のなかが黒一色になってしまう。

カラフルな表紙の手帳だと鞄のなかでも目立つので、すぐに取り出すことができる。

日本には入荷していない縦長のモデルである。


130年もの歴史を持つスマイソン・オブ・ボンドストリートは、英国王室御用達の「ロイヤルワラント」を戴く老舗文具店だけに、本文紙は薄いのにペン書きしても裏に透けず、吸い付くような革表紙の手触りが、なんとも心地よい。


現時点でも、すでに来年11月のトーク、さらに再来年2月のシンポジウムの依頼を受けているが、再来年の分はともかく、来年の予定を書き込み始めた。

もっとも、私の場合、手帳を持っていてもメモすることを忘れてしまうことが多く、十全に活用しているとは言いがたいのだが。
posted by 城戸朱理 at 00:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉のイタリアン〜タベルナ・ロンディーノ、その2

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ロンディーノで嬉しいのは、メニューに定番で手長海老の香草焼きがあることだ。

手長海老(スカンピ)は淡水の海老で、身はほろほろと崩れ、味が濃く、私はあらゆる甲殻類のなかでも、もっとも美味しいもののひとつと思っているが、めったにお目にかかれない。

タイはバンコクのレストランで、炭火で焼いた山盛りの手長海老に出会ったことがあるが、そんな店が日本にもないだろうか。

バンビことパンクな彼女も手長海老は大好物だが、平井さん、菊井さんにも好評だった。


肉料理は、仔牛、仔羊、ホロホロ鳥のほかに、イタリアはトスカーナ地方、キアーナ牛のTボーン・ステーキがあったので、迷わずそれにした。

フィレとサーロインを同時に味わえるTボーン・ステーキは、量が多いため、あるていど人数がいないと頼めないが、4人いるのでちょうどよい。

キアーナ牛は、アメリカのアンガス牛、日本の松阪牛や前沢牛のようなブランド肉だが、和牛のような霜降りではないし、アンガス牛ほど濃厚な赤身でもなく、癖がなく、旨みはあるのにあっさりしている。

ステーキも塩とオリーブオイルでいただくのがトスカーナ風である。


食後は、ダブルエスプレッソ。

ドルチェは洋梨のタルト、パンナコッタなど何種類かを頼んで、取り分けた。


ロンディーノは来客があるときに使うことが多いが、海を見ながらワインが飲めるロケーションが素晴らしい。
posted by 城戸朱理 at 00:18| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉のイタリアン〜タベルナ・ロンディーノ、その1

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鎌倉では、フレンチよりイタリアンのほうが定着しやすいようだ。

フレンチが増えてきたのは、ここ十数年のこと。

私が行きつけにしているダイニング・バー、クルベル・キャンも料理はイタリアンである。


鎌倉のイタリアンでも老舗なのが、相模湾に臨む稲村ヶ崎のタベルナ・ロンディーノ。

1980年から40年近く営業している一軒家のレストランだが、私が最初に訪れたのは80年代なかば、もう35年ほど前のことになる。


田村隆一さんも、お気に入りの店で、二日酔いで何も食べられなくなったときでも、田村さんはロンディーノの娼婦風スパゲッティだけは食べることができたそうだ。

もっとも田村さんのことだから、二日酔いでもグラスワインを頼んだに違いない。

ちなみに田村隆一『ぼくの人生案内』(小学館)では、ロンディーノで撮影したダンディなマリン・ファッションの田村さんの写真が何点か掲載されている。



あれは忘れもしない、酷暑が始まった7月23日のこと。

「甕星」次号、舞踏特集の打ち合わせのため、編集の平井倫行さんと菊井崇史さんが鎌倉まで来てくれたので、ロンディーノにご案内することにした。

あまりに暑くて、テラス席には座っていられない。

冷房がきいた一階に席を取り、スプマンテで乾杯してから打ち合わせをした。


前菜は、実際の料理を見て好きなものを選べるシステムなので、パブリカのトマト煮、ひよこ豆、イイダコなど6種類を。

パスタは田村さんがお好きだった娼婦風とイカスミのスパゲッティを頼んだ。

イカスミ好きの菊井さんが「これは、生涯のベストワン・イカスミです!」と感嘆していたが、ロンディーノの料理は間違いなく美味しい。
posted by 城戸朱理 at 00:17| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする