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城戸朱理のブログ

2019年11月12日

『万葉集』と仙覚律師



織田百合子さんによる講演「仙覚律師の生涯~京・鎌倉の文化交流」は、ミステリーのようにスリリングで、知的興奮に満ちていた。

そもそも、仙覚律師とは誰なのか、そして、何をした人なのか。


織田さんのお話を、ごく簡単に要約してみると、以下のようになる。


『万葉集』は漢字を音に当てた万葉仮名で書かれているため、訓点をつけなければ読むことができなかった。

『万葉集』に収録されているのは、約4500首。

このうち、平安時代中期に村上天皇の命で源順らが4000首以上を訓読、
それ以降も、藤原道長から藤原俊成・定家らによって訓点が付けられたが、152首が訓点を付けられずに残されていた。

鎌倉時代の人、仙覚は、残された歌に訓点を付け、厳密な校訂をほどこした。

今日、出版されている『万葉集』は、すべて『西本願寺本万葉集』を底本としている。

この『西本願寺本万葉集』は、仙覚の『万葉集』を底本としており、今日、私たちが『万葉集』に触れることができるのは仙覚の功績によるところが大きい。


ところが、仙覚の功績は明らかなのに、仙覚とは誰なのかは、まったく分かっていない。

織田さんによると、仙覚がついて分かっているのは、次の4点のみ。


(1)建仁3年(1208)の生まれであること。
(2)比企氏にゆかりがあること。
(3)天台宗の僧侶であったこと。
(4)「あづまの道の果て」の生まれであること。


建仁3年は「比企能員の変」、すなわち鎌倉幕府第二代将軍・源頼家の外戚として権勢を誇った比企能員(ひき・よしかず)と比企一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされた年である。

織田さんは、ここから作家的な想像力によって、仙覚とは誰かを同定し、その生涯を明らかにしていったのだが、これが実に説得力に満ちた仮説で、私などは納得してしまった。

その答えは、織田さんが研究書としてではなく、より一般に開いた小説として書かれるそうなので、その刊行を待っていただきたい。



仙覚律師は、妙本寺がある比企谷(ひきがやつ)の新釈迦堂で『万葉集』の校訂をしたそうだが、新釈迦堂は、田村隆一さんのお墓があるあたりにあったらしい。



鎌倉市では、市政80周年の事業として、わが国の古典の研究拠点を目指すことを決め、鎌倉市中央図書館に「鎌倉仙覚文庫」を開設したが、これも織田百合子さんの研究があって仙覚を知る人が増えたから、実現したものではないだろうか。


歴史の空白のなかから、ひとりの人物が浮かび上がっていく。
posted by 城戸朱理 at 11:07| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする