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城戸朱理のブログ

2019年11月19日

マタイ受難曲を聴きながら

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居間からバッハの「マタイ受難曲」が聞こえてきた。

聞き覚えのない演奏だったので、ジャケットを確認してみたらヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィル。

私はカラヤンのバッハは買ったことがないので、バンビことパンクな彼女が買ったらしい。


『マタイ受難曲』といえばウィレム・メンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した歴史的な名盤がある。

第二次世界大戦を目前にした1939年4月2日、復活祭の前日の記念碑的な名演で、感極まった聴衆のすすり泣きが聴こえる。

高校生のとき、レコードを入手した私は、そのすすり泣きのパートを見つけて、「本当に泣いてる!」と興奮したものだった。

何を聴いていたんだ、自分は?


「マタイ受難曲」を聴きながら何をしていたのかというと、バンビも私も、ひたすら片付けをしていたのだ。


何年も本や資料を整理できないまま仕事に追われ、今や、わが家は崩れた本の山に書類を積み上げ、どこに何があるかも分からない状態に陥っている。

問題は、必要があって本棚から取り出した本を、元の位置に戻す余裕がなくて、適当なところに押し込んでいたことで、いざ探そうとすると見つからない本ばかり。

これでは持っていないのと同じである。

たしかに、自分のせいとはいえ、「受難」である。


白石かずこさんに本をどう整理しているのか尋ねられたことがあるが、「どこに何があるか、分からない状態です」と答えたところ、「そうよねえ。本はどんな隙間にも入り込んでくるから」と白石さん。

倉庫にも何十箱か積み上げてあるが、そうなるとないのと一緒である。

吉増剛造さんにも、白石さんと同じことを聞かれたが、みなさん、本の整理には悩まれているのだろう。

それでも、本は増える一方で、本棚の前に本が山を成し、本棚までたどり着けない。


文庫本を整理していたら、草森紳一『本が崩れる』(中公文庫)が出てきた。

まさに現在の状況にふさわしい。

この本、表紙から始まって、博覧強記で知られた草森紳一さんの生前の住まいの写真が多数、掲載されている。

「住まい」と言っても、どこもかしこも本棚を溢れ出し、積み上げられて崩れた本の山ばかり。

本がないのは浴室とベランダだけで、玄関も脱衣場も本の山、また山。

2LDKのマンションは完全に本に占拠され、それがふとしたきっかけで崩れてしまう。

「ドドッと、本の崩れる音がする。首をすくめると、またドドッと崩れる音。1ヶ所が崩れると、あちこち連鎖反応してぶつかり合い、積んである本が四散する。と、またドドッ。耳を塞ぎたくなる。あいつら、俺をあざ笑っているな、と思う」

分かる。

よく分かるが、わが家はここまでひどくはない。

大いに慰められるではないか。


ある日のこと、草森さんが入浴しようと脱衣場に入ったところで、本の山が次々に崩壊し、脱衣場の戸をふさいでしまった。

戸を押しても、微動だにしない。

本に軟禁されたかたちの著者は仕方がないので、入浴してから脱衣場に積み上げた本を読むことにしたのだとか。

脱衣場に積み上げられているのは信長・秀吉・家康関係、水戸学関係、北一輝の著作にその研究書関係など。

はたして、著者は脱衣場から脱出できるのか。

最初こそ気になるが、本人がさして気にしているふうでもないので、こちらも次第にどうでもよくなってくるあたりが面白い。


草森紳一は蔵書について次のように書いている。



『かりに資料三千といえば、ただの数字であるが、それを量として考えると、おそろしき物塊と化す。「塊」の漢字には「鬼」が入っている。狭い空間になんとか場所を見つけて、それらがわだかまっているさまは、まさに息をする物の怪(塊)である。きちんと書架に並べて収納しておけば、よいに決まっているが、そのような空間の余裕はない。あらゆる場所が、彼等鬼たちの仮の住まい、合宿所となる』



蔵書の苦しみを見事に語っているが、本のスペースを確保するために冷蔵庫もテレビもステレオも、さらにはタンスや机に椅子まで捨ててしまったというのだから、もはや「生活」を営むことさえ出来ない。

ここまで行くと鬼気迫るものがあるが、どこか滑稽さも漂う。


私は、幸いにも、草森紳一さんのように大量の資料を必要とする歴史物とは関わりがないので、ここまで本に追い詰めらることはないが、整理だけは進めないと、執筆もままならない。


「マタイ受難曲」は、まだ続いている。
posted by 城戸朱理 at 13:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今道子作品展@銀座・巷房

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鎌倉在住の今道子さんは世界的な写真家だが、その作品は魚などを使って制作したオブジェを撮影したもので、単純に「写真」と呼べるものではない。

それは、シュルレアリスティックな幻想の顕現、あるいは罪の意識の戯れのようでもある。

澁澤龍彦が、幻想画家にとっての「幻想」とは、決して曖昧なものではなく、明晰なものからしか始まらないことを指摘していたが、今道子における「幻想」もまた、そのようなものであることは指摘しておきたい。


その最新作による個展が、銀座の巷房で開催されている。



【今道子展】

会場/巷房

東京都銀座1-9-8奥野ビル3階

会期/2019年11月18日(月)〜30日(土)

12:00〜19:00
最終日17:00



今回は澁澤龍彦邸で撮影した四谷シモンさんのポートレートを中心にした展示だが、今さんが人物を撮影したのは、これが初めてではないだろうか。

撮影時には、今さんの依頼でバンビことパンクな彼女がアシスタントをつとめ、私も立ち会ったが、今さんの仕事ぶりを拝見して、シャッターを切るまでの作業のほうが大変なのが、よく分かった。

昨日、18日がオープニングで、私は原稿執筆のため、うかがうことができなかったが、バンビは駆けつけた。

会場はアーティストやキュレーターで賑わっていたそうだが、近年、ギャラリー巡りに余念がない田野倉康一くんが現れたので、写真を撮ってもらったそうだ。


作品を前に、左から四谷シモンさん、今道子さん、バンビこと小野田桂子である。



(撮影=田野倉康一)
posted by 城戸朱理 at 11:41| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日もパンクに七変化???

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バンビことパンクな彼女が、すっかり『万葉集』にハマってしまった。

とはいえ、『万葉集』を一首たりとも読んでいるわけではない。


大伴家持と書持の名前が「おいしそう」というところにハマっているだけである。

しかも書持は「ふみもち」と読むのに、バンビは勝手に「かきもち」と決めてしまったのである。


「さくっと、もちっと、おいしいやかもち!」
・・・

「さくっと、もちっと、おいしいかきもち!」
・・・・・・


家持と書持、この名前には大伴という家を保ち、言葉を持していくという父、大伴旅人の想いがこめられているように思うのだが、バンビにかかると、お餅の仲間にされてしまうのだった。

パンクだから仕方がない。


「これから大伴鹿麻呂と名乗ろうかな」
!!!

家持の祖父、大納言・大伴安麻呂をパクったのだろうか?

「それとも、大伴鹿持のほうがいいかな」
・・・・・・


困ったものである。


ある日のこと。


テレコムスタッフの平田潤子ディレクター&プロデューサーから、かなり焦った様子の連絡があった。

新聞社や出版社の場合は、原稿を送ると翌月なり翌々月に稿料が振り込まれてくるが、会社によっては請求書を起票しなければならないケースもある。

つまり、請求書を送らなければ、ギャラは振り込まれないのだが、これが面倒なものだから、私はよく失念してしまうのだ。


すると、バンビは私が忘れないようにポストイットにメモを書いてくれたのだが、ヘンな犬まで描いてある。。。


「仙黒翌ノわんこと鯛を描いてみたんだよ!
これからマッド仙高ニ名乗ろうかな!」
!!!!!!


江戸時代、臨済宗の禅僧、仙豪`梵は、近年、思いっきり脱力した禅味あふれる絵が人気だが、バンビはその真似をしたらしい。


大伴鹿持の次はマッド仙香Aバンビの七変化はまだまだ続くのである。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 01:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする