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城戸朱理のブログ

2020年06月30日

人類と新型コロナウイルスの現在



中国で最初の新型コロナウイルス感染が報告されてから6月末で半年になる。

当初は、感染の抑制に成功すれば、いずれ終息のときが来るような気分が支配的だったが、今では、感染拡大の第二波、第三波があるというのが常識になった。


しかも、世界的には感染拡大は加速している。

アメリカの感染者は250万を超え、全世界では感染者が1000万人、死者は50万人を超えた。


中国や台湾、韓国では第一波の抑制に成功したが、日本は東京や北海道でいまだに終息しきれず、東京と首都圏の新規感染者は拡大傾向にある。


新型コロナウイルスは「新型」だけに人類にとって未知のウイルスなわけだが、なぜか、欧米に比べて東アジアでは死者が少なく、致死率は国によって、3%から10%超もの違いがある。

同じウイルスとは思えないほどの違いだが、世界中の国境が閉ざされたなかでも、いまだに感染が拡大しているということに、新型コロナウイルスの恐ろしさを感じざるをえない。

世界的には第一波の終息でさえ、年内いっぱいはかかるのではないだろうか。

いや、年内で済めば、まだいいほうかも知れない。



日本は、地下鉄がある規模の大都市では感染拡大の傾向があるが、東北や中国、四国、福岡県以外の九州地方では、ほぼ終息しており、今後は都道府県を越えた移動の自粛要請が解除されたあとの状況を見守っていくしかない。


いったん終息しても、感染者が移動することで、ウイルスは拡散していく。

国内のみならず、4月以降、99.9%減となったインバウンドが少しずつ回復していったときにも、ウイルスは海外から持ち込まれることになるだろう。


この厄介なウイルスと共存しなければならない日々は、いつまで続くのだろうか。



この時季、鎌倉では、コジュケイとガビチョウの鳴き声がやかましく、ホトトギスの声も聞こえてくるのだが、今年はカラスが異様に鳴いている。

繁華街の飲食店が営業自粛で生ゴミが減ったため、餌がなくなったカラスが、自炊で生ゴミが増えた住宅街に移動して、縄張り争いをしているらしい。

コロナで生活が一変したのは人間だけではないようだ。

見たことのない世界が、日々、立ち現れてくる。
posted by 城戸朱理 at 23:33| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

自宅でアウトドア???

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発端はYouTubeだった。


これまでYouTubeといえばミュージッククリップかプロレスしか見たことがなかったのだが、ここ数年、静かなブームになっているという「ソロキャンプ」を検索したところ、ハマってしまったのである。

テントを張って火を起こし、焚き火で料理をするだけの動画ばかりなのだが、なぜか引き込まれるものがある。

焚き火に魅せられたのだろうか。


とりわけ「伊豆のぬし釣りキャンプ」という男性ふたりのYouTuberの動画は、映像も編集も凝っていて実に雰囲気がある。


焚き火をして、バナナにチョコをはさんで焼き、まずはチョコバナナでシングルモルトを楽しみ、それから分厚い和牛ステーキを焼いて、ジントニックを飲む。

持参したウィスキーが、ボウモア12年と宮城峡、ジントニックは肉専用と称して黒胡椒を振るといったこだわりも渋い。


チョコバナナとウィスキーという組み合わせは意外に思うかも知れないが、ウィスキーとチョコは昔から定番である。



キャンプだと、料理も家庭のキッチンのようにはいかないが、その不便さまで含めて楽しいのだろう。


バンビことパンクな彼女も喜んで見ていたのだが、パンクだけに自分もすぐやりたくなるのを失念していたのが失敗だった。

バンビはあれこれ調べたあげく、スウェーデン製の飯盒、メスティンの人気が高いことを知って、さっそく取り寄せてしまった。

メスティンはスウェーデンのポータブルストーブのメーカー、トランギアの製品なのだが、飯盒とはいえ、炊くだけではなく、煮る、蒸す、炒める、焼く、燻すと万能の調理器具なのだとか。

トランギア公認の『メスティンレシピ』には、たしかに飯盒料理とは思えぬ料理が並んでいるので驚いた。

表紙のパエリアは、まだ分かるが、レモンローズマリーチキンだのミートパイからローストビーフまで多彩なメスティン・レシピが紹介されている。


バンビはお米のとぎ汁を煮て、シーズニングを済ますと、さっそく御飯を炊いていた。

美味しく炊けたが、さすがに土釜のような甘みと香りはない。


続いてバンビは手羽中のビール煮に挑戦。

手羽中をビール、醤油、きび砂糖、ニンニクで煮るのだが、こちらもうまくいったものだから、バンビは得意の絶頂に。


メスティンばかりではなく、コッヘルでアサリのワイン蒸しを作ったりして、食卓にアウトドア用品が並ぶようになってしまった。

かくして、わが家の食卓は、普通の器とキャンプ用品が混在する不思議なものになってしまったのである。



パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 17:09| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月28日

自炊が続くと

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自炊生活が続いている。

この3ヶ月の間で、鎌倉で外食したのは5月23日のミッシェル・ナカジマと6月5日のクルベル・キャンの2回だけ。


ある日の朝食に、土釜で御飯を炊き、豆腐とミョウガの味噌汁、ぶりの幽庵焼き、お浸しに納豆という朝食を用意したら、バンビことパンクな彼女が「やっぱり和食っていいもんだね!」と喜んでいた。



「ぶりは漬け込んで幽庵焼きにすると別のものになるね!」



たしかに、ぶりを醤油・酒・味醂に漬け込んで幽庵焼きにすると、御飯にも酒にも合う。


それに、御飯に味噌汁、焼き魚という献立は飽きることがないし、それほど手間もかからない。



最近、バンビは10数年分の写真の整理に夢中になっているので、急ぎの締切や大学の授業がない日は、私が調理をすることが多い。


翌日の昼食には、豚ロース肉をソテーし、白ワインを煮詰めて、マッシュルーム入りのソースを仕立ててみた。

ほうれん草のバター炒めを作り、ミニトマトは塩とオリーブオイルで和える。

常備菜のたらこに明太子、ピーマン炒めを並べ、玄米にネギと豆腐の味噌汁。


するとバンビが「晩御飯みたいなお昼だね!」と言うではないか。

自炊が続いて、私の感覚がおかしくなったのかと思ったが、以前からお昼にラム肉と野菜を煮て、クスクスを出したりしていたので、そんなこともないかと気を取り直した。

これも自炊疲れというヤツだろうか?


「とっーても美味しい!」とバンビが喜んでいたので、よしとしよう。
posted by 城戸朱理 at 12:27| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

紫陽花の季節

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都道府県をまたぐ移動の自粛要請が解除された週末の6月20日。

鎌倉はたいへんな人出だった。


鎌倉は、ちょうど紫陽花の季節。

いつもなら、名月院、長谷寺といった紫陽花の名所はたいへんな混雑になるが、今年は、名月院、長谷寺ともに神奈川県在住者に限定、名月院は土日閉門というコロナ対策が講じられたものの、長谷寺には行列が出来ていた。



バンビことパンクな彼女と買い物がてら散歩に出かけたのだが、鎌倉では名所を訪ねるまでもなく、あちこちに紫陽花や立ち葵、朝顔などの花が咲き乱れている。



長谷まで出て、魚屋で自家製の鯵の干物やすずきのお造りを求め、輸入食材を扱う三留商店で買い物をしたのだが、三留商店は1882年(明治15年)創業という鎌倉の老舗である。

長谷寺のあたりは、たいへんな混雑で、コロナ前と変わらない。


由比ヶ浜に近いアンティーク・ショップを覗き、公文堂で久しぶりに古書を見て、ヴァレリー・ラルボー『罰せられざる悪徳・読書』(岩崎力訳、コーベブックス)、宮沢賢治『春と修羅』復刻版(近代文学館)など5冊を購入してから、駅前に出たのだが、街は賑わいを取り戻し、飲食店も恐いほど混んでいる。

まるで、コロナ禍が終わったかのような眺めに違和感を覚えた。


だが、ワクチンの開発に成功するまで、人類がコロナを完全に抑制できる日は来ないだろうし、ワクチンの開発が成功するとは限らない。

有効なワクチンが出来るか(ワクチンは万能ではない。接種しても罹患する人はいる)、ウイルスが進化して弱毒化し、風土病になるか、いずれにしろ人類は、コロナウイルスと共存するしかないのだ。


コロナ禍のみならず、世界的に地震が多発し、不穏さばかりが募っていくが、散歩の途中で見かけた朝顔は、実に美しかった。
posted by 城戸朱理 at 12:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月26日

古民家のアンティーク・ショップ「artique kamakura」

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鎌倉のアンティークショップは、住宅街のなかにひっそりと営業している店が多く、知らないとたどり着けない。


2018年に表参道から移転した「artique kamakura」も、そんな一軒。

大正時代に建てられたお屋敷がそのままアンティーク・ショップになっているのだが、立ち入り禁止の私道にあるので、偶然、通りかかることもない。

由比ヶ浜からの海風が入る古民家は、それ自体が見物だが、扱っているのはフランスで買いつけたアンティーク。

純和風の屋敷にフランスの古物が調和しているのは不思議な気もするが、それも古物に滞留する時間が共鳴しているからなのだろう。



店内は広く、さまざまなアンティークが並ぶ。


バンビことパンクな彼女は、写真家だけに60年ほど前の手札サイズの小さな家族アルバムに見入っていた。


私が選んだのは、透明感のある明るいグリーンが美しい南仏のお皿とリヨンで仕入れたという綺麗なブルーのリネン。

お皿は50年ほど前のものらしいから、アンティークではなくブロカント、リネンはそんなに古いものではないと思うが、麻の質感も発色も素晴らしい。


バンビお気に入りのアルバムといっしょに求めたのだが、いつもの散歩コースに、こんなお店ができたのは実にありがたい。

いずれ、古物好きの友人と訪れてみたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 11:09| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自粛明けの危機???

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19日に都道府県を越境する移動の自粛要請が解除され、一気に人の動きが変わった。

それを知ったバンビことパンクな彼女が、奇妙な心配をしている。



「もう、みんなどこに行ってもいいって気分になっているから大変だよ!
きっと、おじさまがたが動き始めるよ!
中洲のバンビちゃんに会いに行こうとか、京都のリボンちゃんの顔を見に行こうとか、銀座のアイドル桂子の店に飲みに行こうとか!」
・・・・・・



バンビもリボンちゃんも、柳美里さん命名のアイドル桂子も、ぜんぶ自分のあだ名ではないか!

バンビは博多、京都、銀座で夜のお勤めをしている気分になっているらしい。

困ったものである。


ウイルスは、人間や動物が介在しないと移動することができない。

人の動きが活発になると、ウイルスも拡散することになるわけで、たしかに自粛解除後は、注意が必要だろう。
posted by 城戸朱理 at 11:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

初鰹

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初鰹の季節になった。

気仙沼では、6月12日に初めて水揚げされ、翌日、わが家にも届いた。

バンビことパンクな家内が注文しておいたのである。


初鰹は、俳句なら初夏の季語で、松尾芭蕉とも交遊があった江戸時代の俳人、山口素堂に「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」という名高い一句がある。

この句は、なんと「青葉」「ほととぎす」「初鰹」と季語だけで成り立っているのだが、「青葉」や「ほととぎす」といった夏を代表する季語に「初鰹」が並んでいるわけで、それだけ初鰹が珍重された証しとなっている。


初鰹は、季節の味覚として、江戸っ子に大いに愛された。

芭蕉は「鎌倉を生きて出(いで)けむ初鰹」と詠んでいるが、当時は鎌倉で水揚げされた初鰹が早船で江戸の鎌倉河岸に運ばれたという。

江戸っ子は、初物を好むこと尋常でなかったので、初鰹は大金で競り落とされたが、一両から三両という記録があるので、現在なら数十万という感じだろうか。

ちなみに米価で換算すると、一両は現在の12万ていどになる。

それが、ひと月もすると庶民にも手が届く値段になったそうだが、今では、特別、高価なものではなくなった。

ありがたいことである。



私の父は、晩酌するとき、鰹かイカを肴にすることが多かった。

子供のころには、イカは何やら頼りなく、鰹は生臭く思えて、興味がなかったが、ふと気づくと、私も鰹かイカを肴に晩酌することが増えた。

父と似てきたのかも知れないが、どうやら、それだけではないらしい。


たしかに初鰹の清冽さや戻り鰹の熟れ具合、旬のイカの季節感あふれる美味しさは言うまでもないが、かと言って鮪のトロや鯛のような美味しさとは違う。

鰹やイカも、もちろん美味しいのだが、美味しすぎるわけではない。適度な美味しさとでも言えばいいだろうか、食べ飽きしないところがある。

だから、食卓に上がる頻度が高くなるのだろう。


わが家では初鰹が出回ると、お造りはガラスの器に盛りつけるようになる。


届いた鰹は叩きだが、さすがの鮮度で、身はもちもちとして鰹特有の青臭さがなく、冷酒が進んだ。
posted by 城戸朱理 at 06:13| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月24日

人形町今半の牛肉で

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親友が人形町今半のすき焼き用牛肉を送ってくれた。

言わずと知れた東京の老舗だが、娘さんが就職したのだという。


なんと桐箱入り、見事な肉は一枚ずつシートでラップされている。

これは空気に触れて酸化するのを防ぐためだろう。



材料を買い出しに行き、バンビことパンクな彼女が醤油・酒・味醂を煮きって割下を作った。


京都の三嶋亭のやり方を真似て、まずは肉だけを焼き、砂糖をかけて食し、さらに塩だけ、醤油だけで肉の味を聞き分け、それからネギを焼き、割下を入れて、すき焼きにしたのだが、霜降りの和牛だけに2、3枚食べただけで満足感がある。



「こってりきちゃうなあ!」とバンビ。



たしかに、さすが人形町今半と思わせる牛肉だった。


翌日も、すき焼きをしたのだが、これだけの肉だと、塩か醤油だけでも十分に美味しい。
posted by 城戸朱理 at 10:59| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

コロナ時代の読書~カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)



コンビニでは雑誌のコーナーに文庫本も少し置かれているが、映画化やドラマ化された話題作が多い。

ところが、最近だと、近所のセブンイレブンにカミュの『ペスト』が並んでいる。

さすがに驚いたが、5冊ほど入荷した『ペスト』は数日で売り切れ、さらに2冊が追加で入荷したので、間違いなく売れているらしい。


新型コロナのパンデミックで注目されたためだが、まさかコンビニでカミュの著作を目にする日がくるとは思ってもみなかった。


私がカミュの『異邦人』や『ペスト』『シーシュポスの神話』などを読んだのは高校生のときで、当時はカミュの著作が文庫本の棚の一画を占めていたものだった。

そのころの新潮文庫版のカミュの著作は、銀色のカバーで統一されていて、なんとも格好よかった。


久しぶりに読み直してみたが、識者が指摘しているように、現在のコロナ禍の情況を予見するようなところが多々あって、目が醒めるようだった。


カミュの『ペスト』は、194X年に死病に襲われ封鎖されたフランス領アルジェリアのオラン市を舞台としている。

まるでドキュメンタリーのように読めるが、オラン市でペストが流行して封鎖された事実はなく、カミュによるフィクションなのだから、作家の想像力というものは恐ろしい。


政治家の危機感のなさや官僚的な責任回避と無為無策による感染の拡大、壊滅する観光、そして、買い占め、市民の諦念と楽観。

まさに、コロナ禍で経験したような事態が繰り広げられてゆく。


起こっていないのは、放火だろうか。

火事が頻繁に起こるようになったのは、オラン市の西口の別荘街。

作者はその理由を「喪の哀しみと不幸に半狂乱になった人々が、ペストを焼き殺すような幻想に駆られて、自分の家に火をつけるのであった」と説明している。

火による浄化には宗教的なイメージがつきまとうが、いかなる超越性も認めなかったカミュを思うと、この一節も意味の深度を変えるかも知れない。


私がとりわけ共感を覚えたのは、次のような記述である。


「この点に関して、たとえば人を力づけるなんらかのヒーローとか、めざましいなんらかの行動とか、古い記述に見られるそれにも似た真に観物(みもの)たりうるような何ものをもここに述べえないことが、どんなに遺憾なことであるかは、筆者も十分承知している。それはつまり、天災ほど観物たりうるところの少ないものはなく、そしてそれが長く続くというそのことからして、大きな災禍は単調なものだからである。みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである」


「単調なもの」「はてしない足踏み」としての災禍。

コロナ禍もまた、そのようなものとして全世界を覆い尽くしたのではないだろうか。

ひたすら、それに耐える日々は、これからも続くのだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3ヶ月ぶりのクルベル・キャン

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私が行きつけにしている鎌倉、裏小町のダイニングバー、クルベル・キャンが、6月5日にようやく営業を再開した。

5月の終わりから連日の締切に追われていたが、行かないわけにはいかない。

開店時間に予約を入れたのだが、滝澤貴シェフとはLINEで連絡を取っていたとはいえ、最後に寄ったのが3月5日だから、3ヶ月ぶりのクルベル・キャンである。



オーナー・バーテンダーの秋山正治さんも滝澤シェフもマスクをして、客数限定での営業再開だが、少しだけでも日常が戻ってきたようで嬉しかった。


カウンターに座って、私はジントニック、バンビことパンクな彼女はジンリッキー。

本職のバーテンダーに作ってもらうカクテルは、やはり格別である。


自粛生活のあれこれを話しながら、頼んだのは前菜盛り合わせとマッシュルームの石窯グリル。

コロナ対策で、ひとり分ずつ分けて供される。


ラフロイグ10年に少しだけソーダを入れてもらって、ミラノ風カツレツ。


シャンパン、Mummを開け、秋山さん、滝澤さんと再開を祝して乾杯した。


クルベル・キャンのパスタはポーションが少なめなので、バンビと相談して、ボロネーゼにミンチ海老とズッキーニのふた皿を頼んだ。



次第に常連が集まってきたが、かつてのように話ができるわけではない。

長居はせずに帰宅したが、コロナ時代にはバーで飲むのでさえ緊張を強いられる。
posted by 城戸朱理 at 01:28| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月22日

仔羊を煮たり、骨付き鶏を煮たり

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先月から、バンビことパンクな彼女がキッチンに立つことが増え、私は主に土釜で御飯を炊いたときの朝食と週末のピンチョス作りを受け持つことになった。

もちろん、ピンチョスだけを作るわけではなく、ほかにも調理はするのだが、執筆の合間の気分転換になる。

とりわけ煮込み料理だと、煮込んでいる時間はほかのことができるので効率がよい。


だから、週に一、ニ度は煮込みを作るのだが、バリエーションをつけるようにしている。

たとえば仔羊なら、クミンやコリアンダー、オイスターソースで北京風に仕立てたり、写真のように白ワインとトマトで煮たりもする。

これは仔羊のナヴァランというフランスの家庭料理。

本来なら煮汁をこして、もっとなめらかにするのだが、そのあたりは省略してしまうのが男料理というもの。



骨付きの鶏もも肉や手羽元は、骨からいい出汁が出るので、煮込み料理に向いている。

焼き色を付けてから、白ワイン、生クリーム、粒マスタードで煮込んだり、写真のようにオリーヴといっしょに白ワインで煮込んでもいい。

これを鴨で作ると、さらに旨みが増すが、骨付きの鴨肉はなかなか手に入らない。



今日は、砥石をふたつ、中砥と仕上げ砥を取り出して、久しぶりに庖丁を研いだ。

これで、調理がもっとスムースにできるだろう。
posted by 城戸朱理 at 12:19| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月21日

コロナ時代の読書~川勝義雄『魏晋南北朝』(講談社学術文庫)

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コロナ禍のおかげで、読書の傾向が明らかに変わった。


藤沢周氏から室町時代が舞台の小説は書けるのに、現代物は筆が進まないというメールが来たが、目の前の現実が一変してしまったのだから、それも当然かも知れない。

生活が激変してしまったので、藤沢さんも現代を舞台とする小説が書けなくなったのだろうし、私も読むのが辛くなった。

これは純文学に限ったことではなく、ミステリーでも同じで、手が伸びない。

こうした感覚は一時的なものだろうが、自粛生活に入って、私が熱心に読み耽っていたのは、川勝義雄『魏晋南北朝』(講談社学術文庫)だった。



私が『三国志』や『水滸伝』といった中国の物語に夢中になったのは小学生のときで、小学五年のとき、両親に連れられて初めて訪れた神田古書店街の信山社で岩波文庫版の『三国志』全10巻を揃えたものだった。

中国への関心は、その後も変わることなく、『論語』や『老子』『荘子』なども読み、小学、中学の読書感想文に『論語』を選んで書いたこともある。


それだけに、6年前、杭州に白居易(白楽天)や蘇軾(蘇東坡)ゆかりの西湖をたずね、北京から北上して万里の長城を歩いたときは感慨深いものがあった。

西湖には、中国史上、『三国志』の関羽と並ぶ武将として名高い抗金の英雄、岳飛を祀った岳王廟もあるのだから、なおさらである。



ところで、以前から不思議に思っていたことがあった。


後漢が滅び、魏・呉・蜀の三国が鼎立した『三国志』のような分裂の時代は、西晋による中国全土の統一で終わったわけではない。

西晋はわずか10年で「八王の乱」と呼ばれる内乱の時代を迎え、それから隋によって全土が統一されるまで、さまざまな国が興っては滅びていった。

後漢の末期から隋建国に至る「魏晋南北朝」の400年は政治的分裂の混乱期であり、西晋滅亡後は、五胡十六国の時代になる。

異民族の五胡の国に漢民族の国が勃興と滅亡を繰り返し、400年にわたって戦国時代が続いた。

にもかかわらず、この時代の中国の文化は、魏の建安文学の隆盛から始まって、書なら王羲之、絵画なら顧ト之、詩なら陶淵明、さらに南朝粱の昭明太子による隋唐以前の文学作品を収めた『文選』の編纂と実に華々しいものがある。

建安文学は魏の曹操(武帝)の庇護のもとで花開いたが、曹操の三男、曹植が「詩聖」と呼ばれ、王羲之が「書聖」、顧ト之が「画聖」と称されることからも分かるように、魏晋南北朝は分裂と混乱のなか、中国芸術のジャンルが成立した時代でもあった。


戦乱と文化的な隆盛がなぜ共存しえたのか。


この逆説が、長年の疑問だった。

川勝義雄『魏晋南北朝』は華北と江南の生産力の違いや社会の変容を明らかにすることで、おそろしく混乱した「輝かしい暗黒時代」を描き出す。


もちろん、安易な答えがあるわけではない。

ただ、中国における一貫した貴族制社会が、つねに教養ある文人であることを条件とし、武人が華々しい戦功を挙げたとしても、それだけでは貴族階級には受け容れられなかったという記述には教えられるものがあった。

このことは、これからも考えていきたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 17:42| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月20日

料理に合わせて器を揃えてみると、その2

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5月29日、注文しておいた「じき宮ざわ」の料理が届いた。

取り寄せは3回目になるが、お願いしたのは前回と同じく「晩酌せっと」と「伝助穴子の薬膳鍋」。


バンビことパンクな彼女は「晩酌せっと」の箱を開けて、「ばちこが入っているよ!」と興奮の極致に。

日本三大珍味に数えられるのは、塩ウニ、このわた、カラスミだが、このわたはナマコの腸の塩辛である。

それに対して、ナマコの卵巣を天日干しにしたものが「ばちこ」で、三味線のバチの形をしているところから、そう呼ばれるようになったもの。

「ばちこ」ひとつを作るにも数十匹ものナマコが必要になるが、珍味にしては癖がなく、上品な香りと味わいが特長である。

三大珍味にひけをとらない。

純米酒にも吟醸酒にも合うが、普通に流通しているばちこは茶褐色で硬いのに、じき宮ざわ特製のばちこはオレンジ色で、半生のような柔らかさ。

こんな「ばちこ」は食べたことがない。



「晩酌せっと」は、前回と同じくカラスミと鰆の薫製が入り、ばちこと蛸の柔らか煮、大根とキュウリの醤油漬け、山菜のやぶれがさの佃煮という内容だった。



「宮ざわさん気分になる器を出してあげて!」というバンビのリクエストで、またもや器を揃えてみることになったのだが、なかなかに難しい。

今回は、北大路魯山人で器組みを試してみることにした。


鼡志野角皿を中心にして、奥に伊賀釉の鉢、織部向付、手前が薬膳鍋用に刷毛目茶碗、ここまでが魯山人。

取り皿に尾形乾山の土器皿、蓮華は清朝も末期の色絵で、箸置きには平安時代の猿投陶片。

乾山の土器皿は、前回の五客組の一枚ではなく、離れの一客を求めたもので、ひと回り小さい。


しかし、いざ盛りつける段になって、「ばちこ」に感激したバンビが、いちばん大きい鼡志野に懐紙を敷いて「ばちこ」をドーンと置いてしまったものだから、さらに器が必要になり、鰆の薫製は魯山人の絵志野に、タコの柔らか煮とヤブレガサの佃煮は、それぞれ古唐津の馬盥小鉢に盛ることになった。



ばちこは目が覚めるほど素晴らしいし、カラスミや鰆の滋味深さは言うまでもない。

バンビはタコのあまりの柔らかさに驚いたり、ばちこに感激したりと忙しい。


明石産伝助穴子と鶏つくねに野菜がふんだんに入った薬膳鍋は、相変わらずの美味しさで、酒を飲むのを忘れるほど。

鍋用の魯山人の刷毛目はバンビが使い、私は昨年、ソウルの仁寺洞の骨董屋で求めた李朝の白磁小鉢を使った。



色絵の蓮華は、東京で五客組を求め、さらにハワイのアラモアナのアンティークショップで同じものをニ客見つけて買い足したもの。

中国系の移民が持ち込んだのだろうが、思いがけない出会いだった。

蓮華は、古作もめったにないし、作る陶芸家も少ないので、器組みのときに苦労するもののひとつだ。


そう言えば、陶芸家として、ぐい呑みや箸置きを初めて作ったのは魯山人だが、魯山人は蓮華も作っている。

およそ、食に関わるものすべてに、自分が納得できるものを求めたのだろうが、その徹底ぶりには脱帽するしかない。
posted by 城戸朱理 at 18:58| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月19日

永澤康太「すべてのうたをわすれて あたらしいうたをうたう」

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3枚、あるいは4枚の紙をふたつ折りにすると、冊子が生まれる。

そこには数篇の詩が印刷されている。


永澤康太による「すべてをわすれて あたらしいうたをうたう」は簡素でありながら、実に魅力的なたたずまいを見せる。

作品は、日常のなかで、その常同性に抗いつつ、生命の光芒を探すもので、ここに至って、作者は自分なりの詩法を獲得した感がある。



傷は、傷のままで残った
かさぶたにはならなかった
とめどなくながれた結果
内と外が入れ替わった
魑魅魍魎があふれだした
蜘蛛の糸をつたって這ってでた
じゃぶじゃぶ池の真ん中で
遊んでた娘もまつさおに染まった
(「蒼白」より)




どの詩にも諦念がわだかまっているように思えるのだが、決して、そこに留まろうとしているわけではない。

作者の家庭や生活をうかがわせる詩行も散見するが、生活そのものを語ろうとしているわけではない。

現代の閉塞感と通低する息苦しさのなかで、狂気に傾きがちな心を抱えながら、正気を保とうとする静かな闘いの記録として読んだ。
posted by 城戸朱理 at 10:36| 詩誌・詩集評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桃みたいな蕪???

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盛岡での所用を終え、5月27日に鎌倉に帰ったのだが、盛岡駅で野菜や果物を売っていた。

ふと目に止まったのが、「もものすけ」という蕪。

蕪なのに手で皮が剥け、桃のような食感のフルーツ蕪をうたっている。


おまえは桃を意識した蕪なのか?

それとも蕪のふりをした桃なのか?


200円だし、買ってみたのだが、たしかに皮は綺麗に剥けるものの、味の方はーー蕪だった。
posted by 城戸朱理 at 10:04| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月18日

コロナ下の暮らし



コロナ禍で、現金を使うことが、ほとんどなくなった。

買い物をするとしても食材と日用品のみ、支払いはカードを使うので、現金を使うことがない。



バンビことパンクな彼女は、夏の部屋着に麻の蚊帳生地のワンピースを新調していたが、軽くて涼しいらしい。

蚊帳生地の布巾も、実に使い勝手がいいのでストックしているが、洋服の素材としても夏向きなのだろう。


私は仕事で外出することがなくなったので洋服を買う必要がないし、部屋着も足りている。

買うものといえば本だけだが、古書店を回るわけにもいかず、購入するのは新刊書のみ。



世界的なブームとなった「あつ森」こと「あつまれどうぶつの森」をやってみたかったのだが、任天堂のSwitchが手に入らないし、プレミアもついている。

なんでも、コロナで中国製の部品が輸入できなくなったため、生産のめどが立たないのだという。

サプライチェーンの混乱はゲームにも及んでいることになる。


先行きの不安から、お金を使うことがためらわれるし、国内はともかく、海外に行けるのは、いつになるのか、まったく分からない。


6月15日の段階で、全世界の新型コロナ感染者は800万人を超えた。

アジアに続いて、欧米でも、ようやく感染拡大のピークは超えたようだが、南米では感染爆発が起こっており、終息の時期はいまだに見えない。

あるいは、今が混乱の始まりなのかも知れず、これから世界は、混迷の度合いを、さらに深めていくのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 16:20| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉浜食堂へ

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5月26日の夕食は、予約をしていた吉浜食堂へ。

神奈川から行くのですが、お店に行っても大丈夫でしょうかと確認してから予約を入れたのだが、コロナのおかげで、あれこれ気を使わなければならなくなった。


久しぶりの吉浜食堂は、メニューが一新されていた。


ビールで乾杯し、付きだしはワラビ。

南部かしわの玉子を使った小蕪と金美ニンジンのフリッタータは、トマトソースも自家製で、ニンジンが驚くほど香り高く、甘みがある。


吉浜食堂は、特産の「吉浜鮑」で知られる大船渡市三陸町吉浜で漁師をされている松川寛幸さんと奥さんの麻由さんの店だが、漁師さんの店だけに、刺身盛り合わせと焼き魚盛り合わせには唸った。

刺身はなんと、そい、ほうぼう、すずき、いしかれい、まこかれいと白身尽くし。

焼き魚の盛り合わせは、チダイ、みずかれい、まこかれい、そいのカマに、かじかの肝が添えられている。

普通、焼き魚を盛り合わせにすることはないが、麻由さんによると、漁師さんにとっては、よくあることなのだそうだ。

これも漁師料理なのだろう。

香りと味のバリエーションを楽しむことができる。


吉浜産塩ウニと海藻の天ぷらを当てに、寛幸さんおすすめの日本酒を順番にもらい、新メニューの吉浜風スープ・ド・ポアソンを。

これはフレンチの手法による濃厚な魚のスープで、実に豊潤な味わい。


締めは自家製の冷し麺。

コロナ禍で時間ができた寛幸さんが試行錯誤の結果、完成させた自家製麺の冷麺なのだが、蕎麦と間違えそうな風味で、見事だった。



吉浜食堂の外観は、お洒落なブティックにしか見えないが、料理はダイナミックでありながら繊細、酒も、日本酒、ワインともに選び抜かれた美酒が揃っている。
posted by 城戸朱理 at 16:19| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

食道園で昼食

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今回は2泊3日という最短の旅程を組んだのだが、無事に所用をこなすことができた。

いつものグランドホテル・アネックスに宿を取ったのだが、朝食はコロナ対策で、ビュッフェではなく、和食か洋食のお弁当をフロントで受け取り、部屋で食べるシステムになっていた。


昼食はホテルからいちばん近い元祖盛岡冷麺の食道園へ。


溶き玉子で食べる食道園のカルビは、バンビことパンクな彼女の大好物。

ビールで乾杯し、カルビを焼き、締めは別辛の平壌冷麺。



「んふ! 美味しくて食べすぎたよ!
お腹がぽんぽんだよ〜」


バンビがお腹がいっぱいになりすぎたと言うので、少し散歩してからホテルに戻った。
posted by 城戸朱理 at 15:23| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寿司処かね田で、その1

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盛岡ではコロナ対策が徹底しており、「県外のお客さまはご遠慮下さい」という貼り紙を出している店もあった。


幸いなことに、大通りの寿司処かね田には入店できたので、半個室の小上がりに席を取り、ようやく、ひと息つくことができた。



お通しは、贅沢にも殻ウニ。

バンビことパンクな彼女が「これを食べたら、もう普通の生ウニには戻れないよ!」と興奮している。


寿司を握ってもらう前に、めかぶ、網茸、ばくらいと岩手らしい酒肴を頼み、地酒をもらった。

珍味中の珍味、ばくらいはホヤとこのわたの塩辛だが、実に酒に合う。

網茸は子供のころ、茸狩りでよく採った茸だけに懐かしい。


バンビが「殻ウニをおかわりできないかな?」と言うので、お願いしてみたところ、運よくあったが、外食を控える人が増えて、お客さんが減っているからかも知れない。

殻ウニと銀鱈の西京焼きで酌む地酒は、いいものだった。
posted by 城戸朱理 at 15:05| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寿司処かね田で、その2

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握りは「おまかせ」を頼もうとしたところ、大将がわざわざ出てきて、今日は出来ないとのこと。

漁師さんが値崩れを嫌って、漁に出るのを控えており、いつものようにネタを仕入れることができないのだと言う。


感染者ゼロの岩手でも、新型コロナの影響は甚大なものがあるようだ。



握りの特上をお願いした。


まずは勝浦産のマグロと昆布締めした金目鯛。

見事な活赤貝に肉厚の帆立、ヒラメの昆布締めにツブ貝と、いつもより仕事をしたネタが多い。


玉子焼きに北寄貝、イクラと生ウニでひと通りとなる。


バンビことパンクな彼女のリクエストで、金目と赤貝を追加で握ってもらい、巻物は筋子を。


生ウニに北寄貝の美味しさや筋子巻きなどは、いかにも盛岡の寿司屋という感じがする。
posted by 城戸朱理 at 15:05| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする