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城戸朱理のブログ

2020年10月14日

異常な常態を生きて



7月は青空を見た記憶がないほど、雨が降り続いた。

8月は、生命の危険を感じるほどの酷暑が続き、鎌倉では10月上旬になっても最高気温25℃を超える夏日があった。

今や異常気象が当たり前で、将来、2020年の夏は涼しかったと言われる日が来ると警告する科学者もいる。

地球温暖化とはそういうことであり、これから夏は、さらに暑くなっていくというのだから気が遠くなる話ではないか。


ともあれ、10月になって、ようやく酷暑からは解放され、ひと息つくことができた。


先月末には、「詩と思想」11月号の特集「四季派の遺伝子」鼎談のゲラをチェックし、「公明新聞」から依頼されたエッセイ「コロナ禍とその後に紡ぐ言葉」のゲラを戻したのだが、今月に入って、共同通信の月評「詩はいま」を執筆、さらに「岩手日報」投稿欄の選評2回分を書き上げて、「現代詩手帖」11月号の岡田隆彦特集の論考に着手したところまでは順調だった。


ところが、私の企画・監修で制作中の建築家、栗生明さんの番組で問題が発生して対応に追われ、さらにアメリカのルイーズ・ブリュックのノーベル文学賞受賞が発表されると、日本では知られていない存在だけに、私にまで「日本経済新聞」と共同通信から取材があった。

「日本経済新聞」には私のコメントも掲載されたようだが、私はまだ見ていない。


「現代詩手帖」の岡田隆彦論を書き上げ、続いて井上春生監督がプロデューサー、ディレクターを兼任する運慶の番組ーー奈良・円成寺、東京・真澄寺、足利・光得寺に残された運慶の三体の大日如来像を運慶研究の第一人者、山本勉先生に語ってもらうという企画の構成案とナレーション原稿を書いているところだが、吉増剛造さんが久しぶりに鎌倉にいらっしゃるそうなので、スケジューリングをしなければならなくなった。

コロナ禍で強いられる不自由さと、それゆえの自由とにはさまれた日々。

私たちは、当分の間、この異常な日々を常態として過ごさなければならないわけだが、これに慣れる日は来るのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 16:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱世の予兆



鎌倉の小町通りや若宮大路を歩くと、シャッターを下ろしたままの店舗がずいぶん目につくようになった。

感染を抑制できないまま、経済を回すために、政府はGO TOキャンペーンを前倒しして実施したが、旅行に行けるのはコロナ禍でも余裕がある富裕層・中間層に限られるし、失業して本当に困っている人には、なんら恩恵のないキャンペーンである。

今年の第二四半期(4月ー6月)の経済成長率は、中国が3.2%、台湾がマイナス0.6%、韓国がマイナス3.3%なのに対して、日本だけはマイナス7.9%と東アジア最低で、もはや世界恐慌レベル。

マッキンゼーは、ロックダウンの有無に関わらず、感染が抑制されている国ほど経済は好調に転じ、人命より経済を優先して、感染を抑制しきらないまま経済を回そうとすると、パフォーマンスが落ちるという分析を発表したが、日本はまさに、そうしたもっとも悪い例の見本となっているとしかいいようがない。


感染爆発が止まらないアメリカでは、自衛のため銃器と弾薬の売り上げが飛躍的に伸びたそうだが、日本でも、毎日のように強盗や窃盗の報道がされている。

また農畜産物の盗難も続いており、印象に残ったものだけでも、4月には群馬でホウレン草550キロ、7月には前橋市で豚400頭、8月には群馬で豚50頭、前橋市で豚100頭、北海道でタマネギ100キロ、9月には埼玉で豚130頭、茨城で新米3.7トンと、窃盗の規模も大きくなっている。

ほかにもシャインマスカットやリンゴなど果物の盗難も相次いでおり、規模が規模だけに計画的な犯行としか思えないが、いずれにしろ、これまでなかったようなことが起こっているのは間違いない。


一方で、生活苦からの万引きや窃盗の報道も増え、困窮のあまり人心が乱れているのを感じざるをえない。

それは乱世の予兆にほかならないだろう。


新型コロナウイルスのエアロゾルによる感染は今や常識だが、それは人間が対話することは、呼気を互いに交換することでもあったことを私たちに教えた。

ウイルスの危険性は対話の忌避を生み、同時に、人間を他者の排除に向かわせる。

それも、また乱世の発端にほかならず、私たちはさまざまな方法で対話の可能性を探っていかなければならないのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 15:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新型コロナウイルスのパンデミックの下で



インドでは、新型コロナウイルスの感染者が、アメリカ、ブラジルに続いて500万人を超えた。

全世界の感染者は3700万人に達し、死者は100万人を超えている。


新型コロナウイルスの発生源とされた中国、武漢の華南海鮮市場が閉鎖されたのは、1月1日。

1月15日の段階で、COVID‐19の感染者は中国の59人だけだったし、2月1日には、中国で7700人と感染爆発が起こり、日本でも11人の感染が確認されたが、中国以外の感染者は世界で100人にすぎなかったことを思うと、隔世の感がある。


世界中、どこにも逃げ場はない。

これが、パンデミックというものなのか。


日本の感染者は10月13日の段階で、累計27959人と中国を超え、政府の無策ぶりをあらわにしている。

世紀の愚策として記憶されるだろうGO TOキャンペーンで、第二波が収束しないまま、日本は感染拡大の第三波を迎えることになりそうだ。


人間に感染するコロナウイルスは、これまで、風邪ウイルス4種とSARS‐CoV(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス)、MERS‐CoV(中東呼吸器症候群コロナウイルス)の6種が知られていたが、7つ目となったSARS‐CoV‐2(新型コロナウイルス)は、新型だけに、いまだに分からないことが多い。

恐ろしいのは、肺炎だけではなく、無症状の感染者でも心臓の炎症など、さまざまな後遺症が認められることだ。

識者によると、コロナウイルスは、ひと月に一度のペースで変異していくそうだが、新型コロナウイルスが変異して弱毒化し、季節性インフルエンザになってしまうのか、あるいは強毒化して、人類が対抗薬を開発するまで猛威を振るうことになるのかも予測できない。


新型コロナウイルスは、罹患してしまった場合、家族や友人に感染させる危険性があるため、自分が世界の一部を成す存在であることを意識することになったが、オックスフォード大学が予想したように、コロナ禍が終息するのに2024年までかかるとしたら、世界は焦土化してしまうことだろう。


新型コロナウイルスで余儀なくされた自粛生活のなかで思ったことを、これまで「神奈川新聞」6月14日、「現代詩手帖」6月号、「公明新聞」10月7日に執筆してきたが、今はまだパンデミックの最初の段階なのかも知れないし、そうだとしたら、恐ろしいことだと思う。
posted by 城戸朱理 at 14:27| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする