7月は青空を見た記憶がないほど、雨が降り続いた。
8月は、生命の危険を感じるほどの酷暑が続き、鎌倉では10月上旬になっても最高気温25℃を超える夏日があった。
今や異常気象が当たり前で、将来、2020年の夏は涼しかったと言われる日が来ると警告する科学者もいる。
地球温暖化とはそういうことであり、これから夏は、さらに暑くなっていくというのだから気が遠くなる話ではないか。
ともあれ、10月になって、ようやく酷暑からは解放され、ひと息つくことができた。
先月末には、「詩と思想」11月号の特集「四季派の遺伝子」鼎談のゲラをチェックし、「公明新聞」から依頼されたエッセイ「コロナ禍とその後に紡ぐ言葉」のゲラを戻したのだが、今月に入って、共同通信の月評「詩はいま」を執筆、さらに「岩手日報」投稿欄の選評2回分を書き上げて、「現代詩手帖」11月号の岡田隆彦特集の論考に着手したところまでは順調だった。
ところが、私の企画・監修で制作中の建築家、栗生明さんの番組で問題が発生して対応に追われ、さらにアメリカのルイーズ・ブリュックのノーベル文学賞受賞が発表されると、日本では知られていない存在だけに、私にまで「日本経済新聞」と共同通信から取材があった。
「日本経済新聞」には私のコメントも掲載されたようだが、私はまだ見ていない。
「現代詩手帖」の岡田隆彦論を書き上げ、続いて井上春生監督がプロデューサー、ディレクターを兼任する運慶の番組ーー奈良・円成寺、東京・真澄寺、足利・光得寺に残された運慶の三体の大日如来像を運慶研究の第一人者、山本勉先生に語ってもらうという企画の構成案とナレーション原稿を書いているところだが、吉増剛造さんが久しぶりに鎌倉にいらっしゃるそうなので、スケジューリングをしなければならなくなった。
コロナ禍で強いられる不自由さと、それゆえの自由とにはさまれた日々。
私たちは、当分の間、この異常な日々を常態として過ごさなければならないわけだが、これに慣れる日は来るのだろうか。