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城戸朱理のブログ: 『戦後詩を滅ぼすために』(思潮社)をめぐって、その2

2008年12月01日

『戦後詩を滅ぼすために』(思潮社)をめぐって、その2

東北学と呼ばれる学問がある。

それは、民俗学の展開から生まれたもので、
辺境であるがゆえに残された
東北の風俗や慣習、祭事や信仰などに、
日本人の心性と祖型を探ろうとするものなのだが、
詩においても、宮沢賢治や草野心平に見られるように、
詩における風土としての東北という問題は、
さらに考察されるべきものかも知れない。

私も『戦後詩を滅ぼすために』の
最終章である「三つ石伝承」において、
「岩手」という地名と盛岡の古名「不来方(こずかた)」の
起源とされる東顕寺の「鬼の手形」が残る三つ石をめぐる伝承と
柳田国男『遠野物語』を分析して、
風土の心性を隆起させようと試みたが、
岡本勝人「城戸朱理と東北盛岡〜『戦後詩を滅ぼすために』によせて」
(「交野が原」65号、2008年10月)は、
そうした詩的風土としての東北を考察するものである。

それだけに、私の詩業だけではなく、
秋田の吉田文憲氏、福島の和合亮一氏などへの言及もあって、
いよいよ興味深いものとなっている。

もちろん、ここに福島出身の稲川方人氏を含めて、
さらに論旨を展開することもできるだろう。

かつて、桑原武夫は「詩は東北、批評は関西」と語ったというが、
吉本隆明も初期詩篇に次のような詩行を残している。


銀河はわたしたちの未来圏ですと
そのやうに言ひ切った詩人の居ることは
兎に角東北の風土が凄いのです
(「銀河と東北」より)


ここで吉本隆明が語っている「東北の風土」の「凄さ」とは、
同時に「厳しさ」でもあるわけだが、
そこからしか隆起しない詩が
あるということでもあるのだろう。

岡本勝人氏のエッセイは、
そうした詩的風土としての東北を考察するものであり、
ありがちな詩史的な評価とは、まったく別の
詩をめぐる批評の可能性を
示すものであると言っていい。

私もまた、この問題については、
考えていかなければならないと思っている。

「三つ石伝承」をさらに展開する民俗学的論考として、
あるいは、宮沢賢治論として、
そして、何よりも自分自身の詩作において。
posted by 城戸朱理 at 10:32| 城戸朱理の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする