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城戸朱理のブログ: 文筆業という仕事

2009年11月05日

文筆業という仕事

吉田健一のエッセイを読んでいたら、
傑作なパートに出くわした。
書き写しておこう。



 別に何も書くことはない。
併(しか)しこれは文士稼業の常態であって、
書きたいことばかり書いていたら
すぐに種切れになってしまうし、
そういう習慣が現在の日本にはないから、
書いたことの半分も発表出来なくて、
それ故にこの方は何も書くことがないのも同然である。
又一方、こういうものを書いてくれという注文があって書くのは、
注文が来るまではどういうものを
書けばいいのか解らないから、
それを待つ間、頭を空っぽにして置く他ない。
つまり、別に何も書くことはないのである。
併しそれで何も書かずにいるという習慣も現在の日本にはないから、
差し当たり、日頃見たことや聞いたことに
多分にこっちの空想を付け加えて書いて行こうかと思う。



これは『吉田健一随筆集』(垂水書房、1963年)、
「見聞ところどころ」冒頭の一節。


のっけから、「別に何も書くことはない」と来られると、
いかにも吉田健一で、にやりとしてしまうが、
要するに、ここで語られているのは、
文筆業の場合、「書きたい原稿」はあるが、
これは、依頼されたわけではないので、
ろくに発表の場所がなく、
依頼原稿は、依頼されるまで内容が分からないわけだから、
虚心に待っているしかないということを、
吉田健一らしい言い回しで語ったものである。


こんな本質的なことを語る人は少ないだけに、
やはり、印象深いが、この状態は、
吉田健一が生きた時代よりも、
メディアが細分化されている現在、
さらに徹底したものになっており、
本当に書きたいものだけを書いていたら、
発表場所は同人誌しかないというのが本当のところだろう。


それはそれで理想的なあり方だが、
そうなると文筆業は成り立たないし、
世間的には自腹で好きなことを
やっているだけの趣味としか見なされない。


吉田健一は、このあたりのジレンマを言っているわけだが、
この問題には、簡単な解決法はないようだ。
posted by 城戸朱理 at 09:11| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする