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城戸朱理のブログ: 「木槿通信」第32号〜震災後の言葉

2011年11月05日

「木槿通信」第32号〜震災後の言葉

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「木槿通信」は、『単独者のあくび 尾形亀之助』の著書もある吉田美和子氏の個人誌。

作品やエッセイのみならず、文学をめぐる旅行記も掲載され、
ひととき、読むことの愉悦を約束してくれるが、
この号は東日本大震災後の6月に刊行されたもので、、大震災以前の号とは様子が違っており、
「詩・ぼんやりした煩悶〜ことばは震災にどう向かいあうのか」という長文の論考を興味深く読んだ。


「大震災に放りこまれた時、みんながその衝撃を名付けられなかった。
自分が直面したものは、自分が感得したものは、いったい何だったのか」


東日本大震災を岩手県盛岡市で経験した吉田氏は、
停電して、闇のなかにいたという。

そのなかで、見知らぬ世界に触れるように短歌を詠み、
3日後に通電して、ようやく外界の様子が分かるようになる。


「――みんなは、どうしているんだろう。みんなは、この事態をどう語っているのだろう。
盛岡は被災地ではないから、灯油ガソリンが滞った以外には、さしたる被害はない。
けれども欲しい救援物資は「言葉」だったのである。
それも、「東北は負けない」だの、「頑張ろうニッポン」だのではなくて、
詩は生き残ったのか、詩はどうするのか、ということであった。
ありていに言えば、谷川俊太郎は、吉増剛造は、城戸朱理は、△△は、××は、
…どう語り出すのか、ということであった」


寒冷地の盛岡で、停電し、灯油ガソリンが滞るというのは、
実は死活問題であるはずなのだが、沿岸部に比べるならば、
倒壊・半壊家屋もなかった盛岡は、被災地とは言えない。

しかし、私は、この吉田氏の「欲しいのは言葉」という一節に、
何かを教えられたような気がした。


この論考は、長谷川櫂『震災詩集』と谷川俊太郎「言葉」(「朝日新聞」5月2日)への微妙な違和感を語ったあと、
和合亮一『詩の礫』、辺見庸「眼の海――わたしの死者たちに」(「文學界」6月号)、
そして、私の「コバルトの空」(「ユリイカ」5月号)に論及しているのだが、
『詩の礫』の作品としての評価と「文化化」された社会現象としてのそれを、分けたうえで、
語られていることは、もっとも早い時期の精確な批評というべきだと思う。


また、詩壇では語られることのない辺見庸の、
「詩の礫」の大衆性の対極に位置する「眼の海」への評言も的を得たものだと思った。


「辺見の詩は魔王のように険しいから、若い人は畏れて近寄ってこないかもしれない。
誰もこの道を通ってはこの先には行けないだろうからである。
群れることを拒否する彼の周りには人影が見えない」


たしかに、辺見庸の詩は、凡百の凡庸な追悼詩を一蹴するほど、鬼気迫るものがある。


吉田氏は和合亮一「詩の礫」と辺見庸「眼の海」を震災詩の双璧として語ったあと、
私の作品にも言及しているのだが、私は震災についての詩は、いまだに書いていない。

吉田氏は、「コバルトの海」から、私の真意を推測しているのだが、
これも当たっていたので、いささか驚いた。


「ぼんやりした煩悶」は、明確ではない煩悶に、
明確な形を与えるために書かれたのだろうが、
この煩悶だけは、いまだに消えないままだし、安易な解消は、いらない。

それが大震災以後の耐え方なのではないか。
posted by 城戸朱理 at 10:25| 詩誌・詩集評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする