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城戸朱理のブログ: 「三國荘―初期民藝運動と山本為三郎」展@大山崎山荘美術館

2016年01月29日

「三國荘―初期民藝運動と山本為三郎」展@大山崎山荘美術館

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1月20日。

東京は大雪で交通が麻痺したが、京都では雪は降らなかった。

朝食のあと、高柳克弘、神野紗希夫妻を京都駅までお送りしたのだが、この日は吉増剛造さんが京都に到着する夕方まで予定がなかったので、バンビことパンクな彼女と大山崎の山荘美術館に「三國荘」展を観に行くことにした。


京都から新大阪行きに乗って、15分ほどで山崎駅に着く。

サントリーの山崎蒸留所がある、あの山崎である。

いささか興奮したが、今回は蒸留所に行くわけではない。

タクシーでアサヒビール大山崎山荘美術館に向かった。



民藝運動の初期、昭和3年(1928年)のこと。

上野で昭和天皇の即位を祝う御大礼記念国産振興東京博覧会が開催された。

柳宗悦ら民藝運動の同人は、この博覧会に木造平屋の民藝館を出品、設計・内装を手がけ、各地で収集してきた陶磁器を飾って、民藝運動の思想と美意識を生活空間として提示したのだが、
この民藝館を保存すべく購入し、大阪に移築して住まいとしたのが、民藝運動のパトロンであり、のちにアサヒビール社長となる山本為三郎だった。

大阪に移築された民藝館は、三國荘と名付けられ、民藝運動の拠点になるとともに、各界の名士が訪れたが、三國荘に招待された倉敷紡績社長、大原孫三郎の支援によって、駒場の日本民藝館が開設される運びとなったのは周知の通りである。

大原孫三郎と言えば、まずは大原美術館を連想するが、美術のみならず、病院や孤児院を作るなど、社会・文化活動にも力を注いだ実業家だった。

今、そんな財界人はいるのだろうか?


話がそれたが、「三國荘」展は、暮らしのなかに息づく民藝品の美しさを改めて確認させてくれる展覧会だった。

濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、黒田辰秋といった民藝運動の同人の作品や李朝、江戸から明治の日本の陶磁器まで、展示品は、いずれも三國荘で、実際に使われていた品であり、繊弱なところは欠片もない。

健康にして無事、これは民藝運動の根幹となる思想だが、まさにそうした品々を目の当たりにして、私がいずれ書くべき柳宗悦論のことを考えたりした。


山本為三郎は実業家としてホテル王とも呼ばれたが、美術館開館20周年を記念して、カフェでは、リーガロイヤルホテルのフランス人シェフが半世紀前に作ったフランス菓子を再現した「プティ・ビジョー(小さな宝石)」というメニューがあり、飲み物とセットで500円だった。

私が頼んだのは、マロンペーストを練り込んだ生地に国産栗をあしらった「アルデショア」。

バンビはキャラメリゼしたリンゴのケーキ「デリス・ポンム」を頼む。



それにしても、大山崎山荘美術館は、美術館自体が素晴らしい。

地下の展示室にはモネの「睡蓮」3点もあったが、これもじっくり観ることが出来た。


京都に戻ったのは午後2時前、昼食のあとホテルで小憩し、夕方、井上春生監督とバンビは、吉増剛造さんを京都駅に迎えに行った。

明日から、吉増さんの冬篇の撮影が始まることになる。
posted by 城戸朱理 at 08:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする