2016年02月10日
「書く」という非常時
これまで、多いときだと年間150本を超える原稿を書いてきた。
21世紀になってから、年間の締切が100本以下の年は、ほとんどなかったのではないかと思うが、その意味では2、3日おきに締切があったことになる。
しかも、『地球創世説』や『世界-海』、『漂流物』といった詩集は書き下ろしだから、締切とは別に創作をしてきたことになる。
そうなると、原稿を書くのが日常ということになりそうなものなのに、いまだに「書く」ということは、私にとって非常時にほかならないような気がする。
とりわけ、詩を書いている時は、時間も空間も別の次元に旅しているかのようで、書き終えても、なかなか今この時に戻れず、幽世(かくりょ)の縁を歩いているような気分になることがある。
長く詩に心を砕いていると、心のほうが砕けてしまうと語ったのは辻征夫さんだったが、思うだに恐ろしい。
恐ろしいと思いながら、そこに没入できる時だけを待ち望んでいるのだから、結局、書くということは非常時を生きることにほかならないのだろう。