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城戸朱理のブログ: 仮面ライダーとW.B.イェイツ詩集

2016年12月21日

仮面ライダーとW.B.イェイツ詩集

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以前、厚生労働省の機関誌「労働時報」に2年間、エッセイを連載したことがある。

その連載で「仮面ライダー」のことを書いたのは、平成の仮面ライダー・シリーズの第1作「仮面ライダークウガ」(2000〜2001)、第2作「仮面ライダーアギト」(2002)に続く第3作「仮面ライダー龍騎」(2002〜2003)放映中のこと。

石ノ森章太郎の原作から離れて、一作ごとに新たな世界観を作っていく平成のライダー・シリーズの物語世界は、私にも刺激的だった。


平成の仮面ライダーは、「クウガ」のオダギリジョー、葛山信吾、「アギト」の賀集利樹、要潤と人気俳優を輩出したが、その後も「仮面ライダー555(ファイズ)」で脇役ながら好演した綾野剛、「仮面ライダー カブト」を演じた水嶋ヒロ、「仮面ライダー電王」の佐藤健、「仮面ライダーフォーゼ」の福士蒼太と、若手俳優の登竜門になった感がある。


それはともかく、私が見たのは「仮面ライダー龍騎」までだったので、Amazon VIDEOで、寝る前に、それ以降のシリーズを少しずつ覗いてみることにした。

驚いたのは、「仮面ライダー555」(2003〜2004)である。

かなり複雑な物語なのだが、要約すると、次のようになる。

人類の進化形たるオルフェノクが生まれ、彼らは、圧倒的に数が多い人類の殲滅を計画する。

その背後にあるのが、日本最大の企業、スマートブレイン。

スマートブレイン社は、すでにオルフェノクに支配されており、いずれ誕生するオルフェノクの王を守るため、555、カイザー、デルタ、三つのシステムを作り出す。

このベルト型のギアを身につけたものは仮面ライダーに変身できるのだが、劇中、「仮面ライダー」という言葉は一度も登場しない。

これは、「クウガ」や「アギト」を踏襲したのだろう。

必ずしも、すべての人間が変身できるわけではないのだが、555ギアを身につけたものは、仮面ライダー555に変身しうるわけで、主演=仮面ライダーという固有性があるわけではなく、あくまでもギアであるところが新機軸、
さらに、3本のベルトが、オルフェノクではなく人間の手に渡ったことによって、人類を守ろうとする3人の仮面ライダーとオルフェノクの闘いが繰り広げられる。

おまけに、オルフェノクのなかにも人間との共存をはかり、人類を守ろうとする者が現れたり、人間と思われていた主要登場人物までオルフェノクであることが判明するなど、回が進むにつれて物語は、ますます錯綜を深めていく。


ざっと、こんな話なのだが、劇中、ラッキー・クローバーと呼ばれ、オルフェノクのなかでも最強の4人が登場する。

そのうちのひとりが、いつも本を携えているのだが、エピソード14で、初めて画面に登場するその本が、なんと『海外詩文庫 イエイツ詩集』(思潮社)なのだ!?

さすがに翻訳では様にならないと思ったのか、物語が進むと、黒い表紙の英語版イエイツ詩集に変わるのだが、イエイツ詩集であることは、ずっと変わらない。

そして、イエイツ詩集で攻撃をかわしたりするのだから、唖然としてしまった。


仮面ライダーに、W.B. イエイツ詩集……

それにしても、なぜ、イエイツなのだろう?

脚本家の趣味だろうか、それとも監督が選んだのだろうか。


クリント・イーストウッド監督・主演の「マジソン郡の橋」では、イーストウッドがイエイツの詩を暗誦するシーンがあったし、
リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが共演したゲイリー・マーシャル監督の「プリティブライド」でも、リチャード・ギアの自宅のデスクにイエイツ詩集が置かれていたりしたが、まさか、仮面ライダーにイエイツ詩集が登場する日が来るとは思ってもみなかった。

かくして、別の謎が深まっていく(?)。



写真は、私の手元にあるイエイツ詩集。


「ラスト・ロマンティック(最後のロマン主義者)」と呼ばれたイエイツが、私設秘書であった若き日のエズラ・パウンドの影響もあって、象徴主義の詩人へと変貌した後期の代表作、『塔』(1928)『螺旋階段その他の詩』(1933)、そして、『自伝』(1926)、いずれもマクミラン版初版である。


『自伝』には、21歳のときのイエイツの肖像のエッチングが扉に収録されているが、これはアイルランド・アカデミーの会員でもあった画家にして詩人の父、ジョン・バトラー・イエイツのドローイングによるもの。

『塔』と『螺旋階段その他の詩』は神田で求めたものだが、『自伝』は、今はなき京都のアスタルテ書房で出会ったもので、洋書といえばフランス語の本が中心の店だったから、予想外の安値だった。

アスタルテ書房がなくなってしまったので、京都で立ち寄る場所がひとつなくなってしまったのは、やはり淋しいものがある。
posted by 城戸朱理 at 09:39| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする