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城戸朱理のブログ: 新春の酒器

2017年01月17日

新春の酒器

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新春の酒器は、秋に京都の「ごだん宮ざわ」に持参した北大路魯山人の赤呉須銀彩徳利と小山冨士男の宋赤絵風花字盃を使った。


魯山人の赤呉須は、雅味があり、実に美しい。

金彩や銀彩は、華やかにすぎるが、それを問われた魯山人は、数十年すれば分かると応えたという。

たしかに、経年によって、銀彩は酸化して黒ずみ、落ち着きを見せている。

花字盃は、見込みに酒が染み、とろりとした肌になってきた。

お正月にふさわしい花のある取り合わせだが、写真は撮らなかったので、ごだん宮ざわで撮影したものを流用した。


魯山人も、古山子と号した小山冨士男も鎌倉在住だったから、鎌倉の骨董屋では、ふたりの作品を見かけることがある。

あるときなど、若宮大路の骨董屋に小山さんの盃が五点も並んでいたことがあった。

魯山人は、さすがに見かけなくなったが、由比ヶ浜通りの瀧屋美術で、よく扱っていたのを思い出す。


小山冨士男は、文部省の技官だったときに、魯山人を二度、人間国宝に推したが、魯山人はこれを断った。

しかし、ふたりの交流は損なわれることなく、魯山人が亡くなったとき、真っ先に駆けつけたのは、小山冨士男だったという。


宮澤政人さんによると、京都の骨董屋が扱う魯山人作品は、本人による共箱がほとんどらしい。

魯山人没後、公式鑑定人は、銀座の黒田陶苑か、鎌倉の魯山人館の竹腰長生になっているが、東京の骨董屋で、いちばん見かけるのは、黒田箱だろう。

それ以外だと、魯山人の星岡窯の主任をつとめ、のちに人間国宝となった荒川豊蔵や小山冨士男の箱書きを見たことがある。

私の手元にある魯山人作品は、黒田箱がいちばん多いが、朝鮮唐津茶碗は、小山冨士男の箱書きだった。



北鎌倉在住の70代の方から聞いたのだが、妹さんが、魯山人の娘さんと小学校で同級で、山崎の星岡窯に遊びに行ったとき、魯山人その人から器をもらったことがあるそうだ。

魯山人には、傲岸不遜、唯我独尊のイメージがつきまとっているが、気前がいい人だったのも間違いない。

そのあたりのことは白洲正子さんも書いている。


また、魯山人の生前には、鎌倉の雪の下に魯山人作品の販売店「かまくらや」があったので、鎌倉のあちこちに、魯山人作品が、まだ眠っているかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 09:16| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする