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城戸朱理のブログ: 酒を飲まないと

2017年03月07日

酒を飲まないと

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晩酌は長いこと、私の習慣だが、やらなければならないことが山積していたので、数日だけ酒を飲まずに過ごしたところ、実に面白い発見があった。

何が面白かったのかというと、夕食の献立である。

たとえば、湯豆腐。

寒い季節、湯豆腐で呑み始め、お造りや焼き物を待つのはいいものだが、呑まないとなると、湯豆腐は、御飯の菜には淡白すぎて物足りない。

これが旅館に泊まって、朝食に湯豆腐が添えてあったりすると豊かな気持ちになるものだが、どうも夕食には向かないようだ。

そういえば、お造りも、酒と飯、どちらにも合うものは少ない。

マグロや鯛なら、酒の当てにもなるし、御飯にも合うのは言うまでもないが、たとえば、烏賊なら、どうだろうか。

旬の烏賊の、甘さとみずみずしさは酒を呼ぶが、これが飯の菜となると、やはり物足りないような気がする。

そして、逆にカレーやオムライスといった、いかにも家庭的な料理だと、酒は飲めない。


世の中には、酒は飲めないが、珍味に類する酒肴が好きだという人も稀にいるから、いちがいには言えないが、酒徒と下戸では、献立がまったく違うものになるというのが現実だろう。


酒徒の立場から言うと、懐石料理は酒なしには考えられないし、吉田建一ではないが、フランス料理やイタリア料理は、ワインのためにある。


ちなみに和食だと、武家の正式な料理は、お膳が並ぶ本膳料理、一方、禅宗で精進料理が生まれ、その流れを汲んで、茶の湯の懐石料理が始まった。

江戸時代には、俳諧や和歌の会の酒席のために、本膳料理を簡略化した会席料理が生まれ、一方で、仕入れた食材と客の要望に合わせて調理をする即席料理も発達する。

今日の割烹料理は、即席料理の流れを汲むところがある。

八寸や先付けから始まって、お椀、お造り、焼き物と続く、現代の正式な和食は、北大路魯山人と吉兆の創業者、湯木貞一によって大成されたものと言われているが、懐石の作法で本膳料理の品数を出すものと言えなくもない。

そして、茶懐石でさえ酒ありきなのだから、和食においても、料理じたいが酒と測り合っているようなものである。


ところが、呑まずに食事するだけだと、実に簡単に済むのは驚くばかりで、30分もあれば食事が終わってしまう。

澁澤龍子さんは、せっかく2時間、3時間をかけて料理をしても、食べるだけだと30分で終わってしまうので、ワインを飲みながらゆっくり食事を楽しむとおっしゃっていたが、うなずける話だ。


飲まないと、その分だけ、時間は出来る。

おかげて、やらなければならないことは、はかどったが、それは、それであわただしい。

「人生は退屈の味を知ってから始まる」と語ったのは吉田健一である。

そして、退屈する間もないほど日々の仕事と雑事に追われている私のような人間は、酒を前にして、ようやく退屈の入り口に立つことができるようだ。
posted by 城戸朱理 at 12:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする