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城戸朱理のブログ: 森荘巳池『森荘巳池ノート』(もりおか文庫)

2017年03月17日

森荘巳池『森荘巳池ノート』(もりおか文庫)

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光原社で森荘巳池の著作を見つけた。

朝日新聞岩手版に、昭和55年(1980)6月2日から、昭和60年(1985)9月23日まで、週一回で連載された250篇の随筆のうちから218篇を収録したものだった。


著者の森荘巳池氏(1907〜1999)は、昭和19年(1944)に第18回直木賞を受賞した作家であり、『山村食料記録』の詩人でもある。

旧制中学在学中に、宮澤賢治の訪問を受けてから、賢治との交流が始まり、最初の『宮澤賢治全集』編集のため、岩手日報学芸部長を辞した。

いわば、作家であり、詩人であるとともに、賢治の仕事を草野心平らとともに後世に伝えた方である。

「―新装再刊 ふれあいの人々 宮澤賢治―」という副題からも分かるように、宮澤賢治との交友のあれこれが綴られており、実に興味深く読んだ。

巻頭の「公刊本までの推敲の跡」は、宮澤賢治の死から始まる。



 昭和八(一九三三)年九月二十一日、宮沢賢治が亡くなった。人びとが賢治のまわりに集まっている座敷から、私は何となく裏庭に出た。
宮沢家で「遠裏(とおうら)」といっている畑の真ン中に、家を建てる土台が並んでいるのが見えた。そこに行ってみた。長期にわたっていた賢治の療養のために建てようとしたものだと思った。



そこで、森荘巳池が見たのは、賢治の病室から持ってきた三、四冊の『春と修羅』だったという。

そのうちの一冊を手に取って、森荘巳池は、次のように書いている。



 賢治が、熱心に改稿した書きこみがあり、斜線でサッと、抹殺の意志を現したページも多かった。ことに巻頭に多かったのを見た。
 死の前日まで推敲した跡だ。「日光消毒」にこうしてあるのだとすぐ気がついた。原稿を何べんも推敲しているということは、聞いていた。が、公刊本の『春と修羅』まで、熱心に推敲していたわけだ。
「いつまでたっても、作品は完成することなはない」と推敲していたことを目の前にして、驚かない人はないにちがいない。
「大変な人が生まれたものだ。そして、さっさと死んだものだ」と、私は、一冊の『春と修羅』を、ページをひらいたまま、むしろの上に置いて、座敷に帰った。



この宮沢家の「遠裏」の離れは、賢治の没後に完成し、東京から疎開してきた高村光太郎が住んだが、昭和20年(1945)8月10日、アメリカ軍の空襲によって焼失したという。


死の前日まで、詩集を推敲していた賢治の姿も鬼気迫るものがあるが、それよりも、私は森荘巳池の「大変な人が生まれたものだ。そして、さっさと死んだものだ」という感懐が、ひどく気に入った。


新装版の解説は、森荘巳池氏の娘さんで、詩人の森三紗さん。

宮澤賢治生誕120年の昨年に刊行されたものだが、東京や鎌倉では、気づけなかった本に出会えたのが嬉しい。
posted by 城戸朱理 at 14:33| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする