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城戸朱理のブログ: 洋野菜が珍しかったころ

2017年03月19日

洋野菜が珍しかったころ



母から聞いた戦前の話である。

新しいもの好きの母の兄、つまり私にとっての伯父が、見たことのない野菜の苗を植え、大きな青唐辛子のような実がなったそうだ。

茄子の味噌炒めを作っているとき、姉(伯母)に、あの大きな青唐辛子を入れてみようと言われ、伯母と母は、大きな青唐辛子のような実を「辛そうだね」と言い合いながら、刻んで、茄子の味噌炒めに入れたらしい。

さぞや辛いに違いないと、食べてみたら、これが、まったく辛くない。

この野菜が、ピーマンだったそうな。


今なら当たり前の洋野菜も、初めてのときは、こんなふうに珍妙かつ愉快な話になってしまうのが、面白い。


このピーマンを植えた伯父は、徴兵されて、戦後、シベリアに抑留されたが、奇跡的に生還し、長寿をまっとうした。


宮澤賢治と親交があった森荘巳池の『森荘巳池ノート』を読んでいたら、賢治は、ハイカラな人で、
「花畑、花園ですか、それを造ることは、詩を作ることよりも、ずっとおもしろいことは、おもしろいのですがねえ」と語り、
ドイツやイギリスから種を買って、花を育てていたという。

同様に、大正9年(1920)ごろからトマトやセロリ、パセリなどの洋野菜も栽培していたそうだが、家族には「西洋くさくて、食えない」と不評だったそうだ。

この「西洋くさい」という言い方が愉快だが、森荘巳池も賢治にトマトを勧められたとき、当時、トマトは人肉の味がするという俗説があったそうで、おっかなびっくり口にしたことを述懐している。

賢治はトマトの薄皮を剥き、塩をぱらぱらと振って、食べていたそうだ。

宮澤賢治とトマト、これも不思議な取り合わせである。


森荘巳池の実家は八百屋を営んでいたが、当時、普通に食べられていた野菜は、人参、大根、ゴボウにネギくらいのものだったという。
posted by 城戸朱理 at 14:03| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする