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城戸朱理のブログ: 宮澤賢治の森のベッド

2017年03月21日

宮澤賢治の森のベッド

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ちくま文庫版の『宮澤賢治全集』は、いつでも開けるように書斎のデスク脇に置いてある。

賢治の著作で、生前に刊行されたのは、周知のように『春と修羅』、『注文の多い料理店』の2冊だけ。

ともに大正13年(1924)、賢治29歳のときに出版されたものだが、どちらも驚くような古書値がついており、高嶺の花としか言いようがない。

それで、もっぱら文庫版全集で賢治を読んでいるのだが、それでも、手が届くものと出会ったときは、つい購入してしまう。


童話集『グスコーブドリの傳記』(羽田書店、昭和16年初版)
『宮澤賢治歌集』(日本書院、昭和21年初版)
詩集『雨中謝辞』(創元社、昭和27年初版)などなのだが、
このうち最初の2冊は、盛岡の古書店で求めたものである。

『宮澤賢治歌集』は、原稿用紙を束ね黒いクロースの表紙をつけた歌稿を単行本化したもので、森荘巳池による校註。

『雨中謝辞』は、『春と修羅』第二〜四集のカード式詩稿と残されたノートの詩稿をまとめたもので、賢治の弟の宮澤清六さんの「後記」によると、なかには丹念に消しゴムで消された原稿を復元したものまであるという。

こうした先人の努力がなければ、賢治自身が自作の取捨選択に厳しい人だったから、その作品のかなりの部分が、散逸してしまったことだろう。



賢治の詩で、もっとも長いのは「小岩井農場」で825行。

では、もっとも短い詩はというと、次の作品である。



さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります



わずか、2行。

しかし、長短に関係なく、本当に素晴らしい。


こんな詩が、どうすれば書けるのか、考えても分かるものではないが、生前の賢治と親交があった森荘巳池の『森荘巳池ノート』を繰り返し読んでいると、さまざまな発見がある。


賢治は、よく歩く人だったらしい。

しかも、夜中に散歩することが多く、いつも10銭の黒い手帳を持ち歩き、闇のなかで詩想を書きとめていたそうだ。

なかでも、森荘巳池が賢治と一緒に、岩手山麓まで歩いたときの話が面白い。


小岩井農場を過ぎ、岩手山麓に近い姥屋敷を過ぎて、松林の高原に至ったときのこと。

突然、賢治が「ベッドをさがしましょう――」と言った。

驚く森荘巳池に、賢治は「高原特製の、すばらしいベッドですよ」と笑う。

そのベッドとは、羽布団のように、もくもくと枯葉が積もった落葉松の低木で、ふたりで枯葉に潜り込むと、賢治は「岩手山ろく、無料木賃ホテルですナ」と森荘巳池を笑わせたという。

5月とはいえ、月のない夜。

真の暗闇が、ふたりを覆っていたのは間違いないが、賢治には、それを恐れる様子もない。


それからのあれこれは省略するが、ふたりは朝を迎えると、岩手山麓の大きな泉で顔を洗い、賢治が盛岡からハトロン紙に包んで持ってきた一本の食パンを、湧水を手ですくって飲みながら、食べたのだという。

賢治の生き方自体が、まるで彼の童話のようだが、こんなふうに自然のなかで呼吸していた人にしか見えない世界があるのは納得できる。

たいしたものだという言葉は、こういう人のためにあるのだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする