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城戸朱理のブログ: 多岐神社〜アラハバキ神を封じたところ?

2017年07月31日

多岐神社〜アラハバキ神を封じたところ?

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次に訪れたのは、多岐神社。

正一位、多岐大明神を祀る社だが、神社の由来は実に興味深いものだった。


桓武天皇の御代、蝦夷征伐を命じられた征夷大将軍、坂上田村麻呂は、陸奥の鬼神・悪路王、高丸らを退治するために下向した。

ところが、田村麻呂の軍勢は、三光岳に潜み、悪路王に組する鬼神・岩盤石に苦戦、道に迷い、渇きに苦しむことになった。

そのとき、翁が現れ、泉の場所を教えたために、田村麻呂の軍勢は息を吹き返し、岩盤石を破ることができたのだとか。

この翁が、万病を癒すとされた東光水という滝の化身で、多岐大明神として祀られることになる。


この由来には、二重性がある。

まず、悪路王とは、大和に対する東国だった日高見国(ひたかみのくに)の蝦夷の首長、大墓公(おおつかのきみ)阿弖流爲(アテルイ)の時代が下ってからの呼び名であり、鬼神とされる岩盤石も、大和朝廷の侵攻に対抗した蝦夷の指導者のひとりであったのだろう。

田村麻呂は大軍を率いながらも、阿弖流爲の蝦夷軍に勝つことができなかったというのが史実であり、和議を結んで、京都まで田村麻呂に同行した阿弖流爲は、田村麻呂の嘆願にもかかわらず、貴族たちに斬首されてしまう。


時代が下って、武士が台頭し、田村麻呂が武門の象徴としてもてはやされるようになると、蝦夷はことごとく悪鬼とされ、阿弖流爲は悪路王に書きかえられていく。

それを考慮するならば、今日に伝えられる多岐神社の由来の成立は、室町期ということになるだろうか。


また、蝦夷が信仰していたアラハバキ神は、石を御神体とするのがもっぱらなので、岩盤石とは、アラハバキ神を言うものであり、すなわち、それは東光水の滝にほかならなかったのではないか。


多岐神社の奥には、滝が流れる巨石がある。

この巨石が、上代にはアラハバキ神として祀られていたと考えられているが、多岐神社とは、蝦夷のアラハバキ神を封じ、大和の神に変化(へんげ)せしめるための霊的装置だったように思われる。


多岐神社もまた、東北の古層をうかがわせるひとつの例と言えそうだ。
posted by 城戸朱理 at 10:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする