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城戸朱理のブログ: コロナ時代の読書~カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)

2020年06月23日

コロナ時代の読書~カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)



コンビニでは雑誌のコーナーに文庫本も少し置かれているが、映画化やドラマ化された話題作が多い。

ところが、最近だと、近所のセブンイレブンにカミュの『ペスト』が並んでいる。

さすがに驚いたが、5冊ほど入荷した『ペスト』は数日で売り切れ、さらに2冊が追加で入荷したので、間違いなく売れているらしい。


新型コロナのパンデミックで注目されたためだが、まさかコンビニでカミュの著作を目にする日がくるとは思ってもみなかった。


私がカミュの『異邦人』や『ペスト』『シーシュポスの神話』などを読んだのは高校生のときで、当時はカミュの著作が文庫本の棚の一画を占めていたものだった。

そのころの新潮文庫版のカミュの著作は、銀色のカバーで統一されていて、なんとも格好よかった。


久しぶりに読み直してみたが、識者が指摘しているように、現在のコロナ禍の情況を予見するようなところが多々あって、目が醒めるようだった。


カミュの『ペスト』は、194X年に死病に襲われ封鎖されたフランス領アルジェリアのオラン市を舞台としている。

まるでドキュメンタリーのように読めるが、オラン市でペストが流行して封鎖された事実はなく、カミュによるフィクションなのだから、作家の想像力というものは恐ろしい。


政治家の危機感のなさや官僚的な責任回避と無為無策による感染の拡大、壊滅する観光、そして、買い占め、市民の諦念と楽観。

まさに、コロナ禍で経験したような事態が繰り広げられてゆく。


起こっていないのは、放火だろうか。

火事が頻繁に起こるようになったのは、オラン市の西口の別荘街。

作者はその理由を「喪の哀しみと不幸に半狂乱になった人々が、ペストを焼き殺すような幻想に駆られて、自分の家に火をつけるのであった」と説明している。

火による浄化には宗教的なイメージがつきまとうが、いかなる超越性も認めなかったカミュを思うと、この一節も意味の深度を変えるかも知れない。


私がとりわけ共感を覚えたのは、次のような記述である。


「この点に関して、たとえば人を力づけるなんらかのヒーローとか、めざましいなんらかの行動とか、古い記述に見られるそれにも似た真に観物(みもの)たりうるような何ものをもここに述べえないことが、どんなに遺憾なことであるかは、筆者も十分承知している。それはつまり、天災ほど観物たりうるところの少ないものはなく、そしてそれが長く続くというそのことからして、大きな災禍は単調なものだからである。みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである」


「単調なもの」「はてしない足踏み」としての災禍。

コロナ禍もまた、そのようなものとして全世界を覆い尽くしたのではないだろうか。

ひたすら、それに耐える日々は、これからも続くのだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする