小町通りに葉山の日影茶屋の支店があるので、
両親に和菓子を宅急便で送る手配をしてから、
鎌倉駅に向かって歩いていたら、声をかけられた。
見れば、作家、藤沢周氏ではないか。
ふたりで、つい立ち話となった。
話題は、「現代詩手帖」9月号に掲載されている、
藤沢さんが初めて書いた詩篇についてである。
藤沢さんは、ひたすら恥ずかしがっていたが、
初めて詩を書いて、あれだけの内容になるのは
研ぎ澄まされた言語感覚が
背景にあるからとしか言いようがない。
「夏休みは?」
「息子の夏休みの自由研究でさ、
茶室を見に京都に行ってさ」
京都? 茶室?
「茶室なら鎌倉にもあるじゃんって言ったんだけど、
息子は、ほら、やっぱり千利休とか小堀遠州が好きでさ」
「・・・」
言うまでもなく、茶の湯は桃山時代に
千利休によって大成されたが、
利休が切腹したあと、天下の茶頭となったのが、古田織部、
続いて小堀遠州、片桐石州だった。
利休は堺の商人だったが、
利休以降は小大名が茶頭に就いたわけで、
江戸時代の武家がたしなむ茶は、
石州流が主流となっていく。
利休の死後、千家の復興が許されるのは、
利休の孫の千宗旦のとき。
しかし、権門に近づきすぎて、
死ぬことになった祖父を見ていたからか、
宗旦自身は宮仕えをせず、
宗旦の子供たちが、表千家・裏千家・武者小路千家の
3千家を興すことになったのは周知の通りである。
とにかく、そんなわけで、芥川賞作家は、
小学生の息子の夏休みの課題のために、
一緒に京都に行って、茶室を回っていたらしい。
それにしても、小学生の自由研究のテーマが、茶道と茶室とは!
そう言えば、柳美里さんの小学生の息子さんも
蘭の栽培に熱中していると柳さんが言っていたっけ。
大人が40になっても、50になっても、
マンガを読み、ゲームにハマっているかたわらで、
最近の小学生は、渋好みになっているのだろうか?



