吉岡実生誕80年に当たる1999年に、小林一郎氏から、「初校」というスタンプが押されたゲラの束が届けられた。
タイトルは『吉岡実未刊行散文集』。
活字化されたものの既刊の3冊の散文集には収録されなかった吉岡実のエッセイ、112本を集成する労作で、これは吉岡実の詳細な書誌を作られている小林氏以外にはなしえない仕事と、感嘆した。
50年代、60年代というふうに10年ごとの編年体で構成されており、量的には250ページに及ぶ。
驚くべきことに、充分に1冊の単行本になりうる量の吉岡さんの未刊のエッセイが残されていたことになる。
散文を苦手とした吉岡さんだけに、意外の感を禁じえなかったが、これは嬉しい驚きでもあった。
ゲラの体裁をしているのは、小林一郎氏ならではの洒落っ気で、99年の段階では、刊行の予定があるわけではなかった。
だが、もし、この原稿の束を吉岡さんが手にしていたら、あたかも本になることを待つかのようなたたずまいに、破顔されたことだろう。
もちろん、吉岡さんは、ここに集成されたエッセイを意に満たないものと考えられていたのだろうが、
今になると、実に貴重なもので、俳句についての言及が多いことは、吉岡実の詩における言語感覚のよって立つところを物語るものであるし、
選考委員をつとめたときの高見順賞の選評などは、同時代への吉岡実の詩観を明らかにするもので、興味が尽きない。
この『吉岡実未刊行散文集』の原稿は、吉岡陽子夫人を始めとする数人しか手にしてはいないのではないかと思うが、現在、単行本化に向けて、準備が進められていると聞く。
刊行を期待したい。
活字化されたものの既刊の3冊の散文集には収録されなかった吉岡実のエッセイ、112本を集成する労作で、これは吉岡実の詳細な書誌を作られている小林氏以外にはなしえない仕事と、感嘆した。
50年代、60年代というふうに10年ごとの編年体で構成されており、量的には250ページに及ぶ。
驚くべきことに、充分に1冊の単行本になりうる量の吉岡さんの未刊のエッセイが残されていたことになる。
散文を苦手とした吉岡さんだけに、意外の感を禁じえなかったが、これは嬉しい驚きでもあった。
ゲラの体裁をしているのは、小林一郎氏ならではの洒落っ気で、99年の段階では、刊行の予定があるわけではなかった。
だが、もし、この原稿の束を吉岡さんが手にしていたら、あたかも本になることを待つかのようなたたずまいに、破顔されたことだろう。
もちろん、吉岡さんは、ここに集成されたエッセイを意に満たないものと考えられていたのだろうが、
今になると、実に貴重なもので、俳句についての言及が多いことは、吉岡実の詩における言語感覚のよって立つところを物語るものであるし、
選考委員をつとめたときの高見順賞の選評などは、同時代への吉岡実の詩観を明らかにするもので、興味が尽きない。
この『吉岡実未刊行散文集』の原稿は、吉岡陽子夫人を始めとする数人しか手にしてはいないのではないかと思うが、現在、単行本化に向けて、準備が進められていると聞く。
刊行を期待したい。