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城戸朱理のブログ: 日記

2017年09月16日

ブログ更新お休みのお知らせ



いつも、当ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。

仕事に専念すべく、来週までブログの更新をお休みします。


来週、後半には再開する予定ですので、よろしくお願いいたします。
posted by 城戸朱理 at 12:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

追悼、藤富保男



藤富保男さんが、9月1日に永眠された。

若き日にはサッカー選手、東京オリンピックでは審判をつとめられた藤富さんは、7月から入院されていたが、8月31日に経過安定のため一泊の帰宅を許され、その日のワールドカップ予選、日本対オーストラリア戦をベッドで観戦。

日本の勝利に大いに満足して安らかに眠りに就いたが、翌朝、容体が急変して、あの世に旅立たれたのだという。

いかにも、藤富さんらしい最期ではないか。


藤富さんの詩と言えば、ユーモアとペーソスにあふれ、肩透かしを食らわされたり、意表を付かれたりする洒脱なものだが、その背景には、前衛の精神と江戸っ子らしい笑いが共存していたのだと思う。


実際、藤富さんは、わが国のコンクリート・ポエトリーの先駆者である新國誠一と芸術研究協会を設立、機関誌「ASA」を刊行するとともに、
「VOU」を率いた北園克衛とも親交があり、さらには西脇順三郎が自宅で開催していた西脇による自作解説の会である西脇ゼミのメンバーでもあった。

いわば、前衛運動の渦中に身を置きながら、独自のスタイルを作り上げた詩人だったと言うことができるだろう。


藤富さんは、語学が堪能で五か国語を話せたが、楽しくもシュールな線描画も残した。


これは藤富さん本人からうかがった話なのだが、藤富さんは1945年に長崎の親戚のところに向かうとき、原爆投下翌日の広島を列車で通過したことがあるそうだ。

窓の外を見ないように指示されたそうだが、貨物車の隙間から、藤富さんは爆心地を見たのだという。


戦争の惨禍を十分、知りながらも、いや、だからこそ、藤富さんは、戦後という時代をモダニストとして生きようとしたのではないだろうか。


異能の詩人、藤富保男。

私は、これまで2本の藤富保男論を書いているが、藤富さんの作品を、また読み直したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 19:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

進歩がない?



ここのところ、鎌倉の最高気温は、27〜30℃。

蝉の声と虫の音の合唱が一日中聞こえる。

空の色は秋めいているが、まだ夏が居座っている感じだ。


9月11日は、「詩と思想」の座談会「IT社会と現代詩の行方」のゲラをチェックして返送し、『火の刺繍』に収録される吉増剛造さんとの対談をチェック、
さらに鎌倉文学館、秋の特別展「リスペクト 好き、好き、大好き」のためのコメントを執筆した。

この特別展は、夏目漱石や芥川龍之介ら、物故文学者10組の尊敬関係を展示するものだそうだ。

何人か候補をあげて、学芸員の山田雅子さんと相談し、私は、宮澤賢治について書いた。

『霊性の震災学』で話題になった東北学院大学の金菱清教授のゼミに、和合亮一氏を迎えるロケのために、アシスタント・プロデューサーのバンビことパンクな彼女と井上春生監督との間に連絡が行き交い、何やら落ち着かない。


連絡が一段落したところで、書斎の片付けと掃除に取りかかった。

どうしたことか、いつも整理と片付けに追われているのに、気づくと、本と書類があふれかえっている。

仕事がたて込むと、ひと月以上、郵便物の封を切ることさえ出来ず、山になっているし、参照した資料を片付ける間もなく、次の原稿に着手することが多いので、書斎のデスク回りは、いつも本と雑誌が山積みになっている。

それに書きかけの原稿や資料の書類にメモが散乱すると、ほとんど無頼派、坂口安吾の書斎といい勝負だ。

そんな状態になると、どこに何があるのやら、見当がつかなくなるので、何とかするしかない。

散乱した本を、本棚の所定の位置に戻し、ハンディクリーナーで埃を払いながら、片付けること5時間。

ようやく、終わりが見えてきた。

それにしても、いつも本と書類の整理と片付けに追われているのだから、進歩がないことはなはだしい。
posted by 城戸朱理 at 10:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

吉増剛造『火の刺繍』

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昨年だけで、9冊もの新刊が刊行された吉増剛造さんだが、今度は対談集が刊行される。

それが『火の刺繍 吉増剛造2008〜2017』。

素晴らしいタイトルではないか。


版元は札幌の響文社。

編集は吉原洋一(編集者・写真家、日本近代文学館勤務)、装幀はローライ同盟のメンバーでもある井原靖章(グラフィックデザイナー)。

なんと1136ページの大冊になるそうだ。


「現代詩手帖」2016年7月号の特集「吉増剛造、未知の表現へ」に掲載された吉増さんと私の対談「詩を超えて、詩へ」も収録される予定。


今年の5月に開催された札幌TENPORARY SPACEでの吉増剛造展も「火の刺繍 La borderie de feu」と題されていたが、
A4よりも大きい変形版の案内状をいただいて、そこに吉増さんの書き文字で「火の刺繍」という言葉を見いだしたときの興奮は、いまだに忘れられない。

火と火を縫い合わせるように紡がれた言葉、発火する言葉を、私たちはそこに見出すことになるのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 15:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

ナディッフの吉増剛造イベントへ

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9月8日。

「映画芸術」からアキ・カウリスマキの新作「希望のかなた」のレビュー原稿依頼が来たので、受諾。

ジム・ジャームッシュ「パターソン」のレビューが内外で好評だったとのこと、ありがたい話である。


「詩と思想」座談会のゲラが出たので、車中でチェックすべく、プリントアウトをバッグに突っ込んで、恵比寿に向かう。


ナディッフ・アパートは前身がアール・ヴィヴァンなだけに、美術書が並ぶ刺激的なスペースである。

6時前に到着したら、吉増剛造さんは会場セッティングの最中だった。


若林奮氏から贈られた銅板が新たに見つかったので、また銅板に文字を打ち始めた吉増さん、「風車詩社」という言葉が刻み込まれている。

ホアン・ヤーリー監督のドキュメンタリー「日曜日の散歩者」で描かれた風車詩社は、日本統治下の1930年代に西脇順三郎、瀧口修造らの影響を受けて、台湾で日本語による新たな詩を試みたモダニストのグループ。

吉増さんは「日曜日の散歩者」を3回見たそうだ。


バンビことパンクな彼女は許可をもらってイベントの様子を撮影することに。


開演は、7時。

まずは、鈴木余位さんの映像をバックに、WHITELIGHTの音響設計で、マリリアさんのパフォーマンス。

ときに高原をわたる風のようでもあり、ときには洞窟のなかで響くかのような声が、聴く者を彼方に誘う。

素晴らしいパフォーマンスだった。


続いて、吉増さんが登場、語りながら銅板を叩き始める。


吉増さんと私のトークは、90歳で亡くなったアメリカの詩人、ジョン・アッシュべリのことから。

そして、このイベントのために井上春生監督が編集した10分の「幻を見るひと」特別予告編の上映。

濃密な映像は観客を圧倒したが、井上春生監督、英訳の監修をしてくれた遠藤朋之氏にも前に出てもらって、しばし、「幻を見るひと」のことを語り合う。

さらに永田耕衣や西脇順三郎のことを、吉増さんに振られるままに語りあって、イベントは終わった。


最後に客席から、アメリカの詩人、ジュディ・ハレスキさんにコメントをいただいたのだが、会場には、写真家の今道子さん、カニエ・ナハさん、今年、第一詩集『耳の生存』を刊行した菊石朋さんの姿もあった。


近所の店で打ち上げとなったのだが、誰もが興奮気味で、その興奮を持ち帰るようなイベントだったと思う。


終電で鎌倉に戻ったのだが、タクシー乗り場は長蛇の列。

バンビとクルベル・キャンで、カクテルを飲みつつ小憩し、タクシーを呼んでもらって帰宅した。
posted by 城戸朱理 at 12:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

右手がドラえもん!?



9月5日は、喜多流の能役者、友枝昭世の11月5日の国立能楽堂での「松風」のチケット発売日。

横浜能楽堂に行ったのがきっかけになって、バンビことパンクな彼女がお能に関心を持ったので、あれこれ説明しているうちに、わが家ではにわかにお能がブームになり、稀代の名人、友枝昭世を見に行こうという話になったのだが――


売り出しの11時を前に、私は電話を用意して待機、11時ちょうどにコールするも、まったく繋がらない。

一方、バンビは、ウェブ予約するべく、PCを立ち上げて待機していたのだが、アクセスが集中したのか、PCがフリーズ、結局、11時10分には、全席ソールドアウトになっていたのが後で判明した。

私は、2時間近く電話をかけつづけたのだが、一度も繋がらないという混雑ぶりで、さすがに諦めるしかなかった。

友枝昭世の公演は、20年前から入手困難だったが、また次回、挑戦してみるしかないようだ。


とりあえず、鎌倉宮の薪能は予約できたので、この日は「詩とファンタジー」の選評を書いてメールし、「岩手日報」の投稿作品を読み込んで、入選作を絞っただけで終わった。


翌日、6日は、まず「岩手日報」投稿欄の入選作を選び、選評2回分を執筆。

バンビことパンクな彼女が、アシスタント・プロデューサーとして、今月のロケのスケジュールを組み立て、新幹線や宿の手配をしてくれたので、それを確認してから、「週刊 現代」から依頼があった書評のための本を読み始める。


夕食後、「詩と思想」11月号の座談会のテープ起こしに手を入れ始めたのだが、これが容易ではない。


途方に暮れていたら、なんと右手をムカデに噛まれ、右手がドラえもんのように腫れ上がってしまったではないか!

鎌倉では、ムカデに注意しなければならないのだが、去年から、ほとんど出なかったので油断していたのが祟ったようだ。

ペンを持つことさえ出来なくなったので、私の口述をバンビが物凄いスピードでPCに打ち込み、なんとか終えることが出来たのだが、午前2時半までかかってしまった。

草木も眠る丑三つ時である。


長時間、テープ起こしのプリントアウトを手に、あれこれ考え続けていたものだから、頭に血は登っているし、右手はドラえもんになってしまったし、なかなか寝つけず、ようやく眠りに落ちたのは明け方になってから。


目覚めても、右手はドラえもんのままである。

しかし、四次元ポケットなしで、右手だけドラえもんになっても、何にもならない。
posted by 城戸朱理 at 11:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

左右左(さゆうさ)@横浜能楽堂

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太陽堂で昼食を取ったあとは、バンビことパンクな彼女と横浜に向かった。

桜木町駅で降り、横浜能楽堂へ。


この日は、横浜能楽堂本舞台でダンスを踊るという異例の試みがあった。


演出・振付は、ルカ・ヴェジェッティ。

踊るのは、笠井叡、中村恩恵、鈴木ユキオ、そして2歳半で初舞台を勤め、能学子方として注目を集める長山凛三。


音楽監督・小鼓は、小倉流十六世宗家、大倉源次郎、能菅は、藤田流十一世宗家、藤田六郎兵衛。


ルカ・ヴェジェッティは、友人のドナルド・キーンから「翁」と「羽衣」を新たなダンスの枠組みとして示されたそうだ。

「翁」は「能にして能にあらず」と言われるほど神聖視される曲だが、翁、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)の三人がそれぞれ別々に舞うだけで、戯曲的な構成をまったく持たない。

いわば神事としての能楽であり、今回は翁を笠井叡が、千歳を鈴木ユキオが、三番叟を長山凛三が演じた。

それに対して、お能のなかでも、もっとも広く知られる「羽衣」は、戯曲的構成を持つ演目である。

能は五番立てで分類するが、「羽衣」は髷物・女能の三番目物。

しかも、三番目物のなかで、「羽衣」は、シテが幽霊ではなく、物語が夜ではない唯一の曲になる。

「羽衣」のシテである天人を、中村恩恵が舞った。


能舞台という制約のなかで、能楽を踏まえたダンスという試みは、予想できないダイナミズムを持ち、新たなパラダイムを創造することに成功していたと思う。


笠井叡さんが、能舞台で踊る日が来るとは想像したこともなかったが、その神事的な性格を考えると、これほど似つかわしいことはないのかも知れない。


今回は、文芸評論家の富岡幸一郎夫妻とともに招待していただいたのだが、富岡さんもいささか興奮気味だった。

ちなみに、タイトルの「左右左」は、能の連続的な舞い、その動きを言うものである。


「左右左」は、横浜能楽堂とニューヨークのジャパン・ソサエティの共同制作作品で、10月には、ニューヨークで北米初演が予定されているそうだ。


舞台のあとは、レセプションに参加させてもらう。

ビールにワイン、ピンチョスやキッシュが並び、少し、興奮を冷ますことができた。
posted by 城戸朱理 at 10:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

エズラ・パウンド協会の合宿



エズラ・パウンド協会は、研究者が集って、パウンドの2万7千行に及ぶ長篇詩『詩篇(キャントーズ)』の翻訳を進めており、8月24日と25日の両日は、鶴川の和光大学で合宿があった。

幹事は、遠藤朋之先生。

私も声をかけていただいたので、午後から参加する。

読んだのは、「詩篇第23篇」である。


獨協大の原成吉先生を始めとして、10人もの専門家が集まっても、読み解けない行が頻出し、パウンドの難解さを再確認することになったが、それでも光を放つ詩行に事欠かないのが、パウンドの尽きせぬ魅力だろう。


英語をベースにしながら、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語、さらには漢字が混在するマルチ・リンガル的性格も、『詩篇』翻訳の高い壁になっているのは事実だが、
それ以上に、パウンドが導入した歴史的背景を理解しないと、正確な訳語を選べないところが悩ましくも面白い。

ちなみに第23篇だと、ヨーロッパ最古の市民図書館、マラテスティアーナ図書館を創設したルネッサンス期のチェザーナの領主、ドメニコ・マラテスタのエピソードや、13世紀、南フランスのカタリ派を壊滅させたアルビジョア十字軍への言及に、ギリシャ神話などが重層化し、文明の破壊とエロスを主題とする歴史のコラージュが繰り広げられる。


英国のパウンディアン、アンドルー・エリック・ハウウエン先生が、スラング等を指摘してくれるので、辞書だけでは読み切れないニュアンスを盛り込むことが出来るのも面白かった。


ちなみに、第23篇の最後の5行の私の試訳を紹介しておこう。



そして、そのとき見えたのだ、波が形を成すのが
海は、硬く、クリスタルのきらめきのようで
波は盛り上がっては、そのまま止まる
いかなる光もそのなかを通り抜けることはできない



これぞ、パウンド・サウンド。


打ち上げは、遠藤朋之先生が町田の馬肉専門店、柿島屋を予約してくれた。

馬刺、桜鍋、馬肉メンチカツのカレーがけで、楽しい宴会となる。

原成吉先生は、翌日から、蓼科で、「遊牧民」の合宿だと伺ったが、これは1979年から続くアメリカ詩の研究会。

こうした積み重ねがあってこそ、詩が次の世代に伝えられていくのだろう。


さらにアイリッシュ・パブHUBに席を移し、青学短大の斉藤修三先生、静岡大の山内功一郎先生、遠藤先生に私とバンビことパンクな彼女で、ビール片手に盛り上がった。
posted by 城戸朱理 at 09:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

熱中症!?





中沢けい、島村輝両氏と、しこたま飲んだ翌日は、危なかった。


この日は、毎日新聞出版に転職した久保奈々子さんが鎌倉に来ることになっていたので外出したのたが、熱中症で倒れかけたのだ。

久保さんは「ローリングストーン」編集部にいたときに、柳美里さんがバンビことパンクな彼女に紹介してくれた編集者。

ロック好きだけにバンビと気が合うらしく、いつの間にか鎌倉で飲む約束をしていたらしい。


鎌倉文学館が見たいというのでお連れしたのだが、私はなぜか異様に発汗、まるでバケツの水をかぶったようになり、吐き気までしたので、急ぎタクシーで帰宅し、シャワーを浴びて、涼しい部屋で休んだ。

前日、韓国料理で焼酎を飲みすぎたのが祟ったらしい。

アルコールを分解するためには体内の水分が大量に消費されるが、そこに猛暑が重なり、脱水症状を起こしかけたのだと思う。


幸い、小一時間休んでいたら回復したが、調べてみたら紛れもなく熱中症の症状だった。

おそらく、体温も上がっていたのだろう。


久保さんとバンビは、海岸を散歩し、由比ヶ浜通りの古書店、公文堂を見てから、クルベル・キャンに入ったという連絡があったので、私も遅れて合流した。


久保さんとバンビは、ブランキー・ジェットシティのベンジーやザ・バースデイのチバユウスケなどロックの話題で盛り上がっている。


頼んだのはトマトのカプレーゼ、ジャガイモのフリット、久保さんは鶏肉がお好きだというので、鶏もも肉の石窯ハーブグリルにミラノ風カツレツ。

ピザはクワトロ・フォルマッジ、パスタはフレッシュ・トリュフのカルボナーラにした。


途中、大船の寿司處もり山の森山さん御夫妻がいらしたので、ご挨拶する。

新子を食べに、もり山さんに行かなくては。


私は熱中症で倒れかけただけに食欲はまったくなく、カクテルを飲んでいた。


久保さんとバンビの話が弾み、気づくと11時をまわっていたので久保さんを鎌倉駅まで送り、タクシーで帰宅。


それ以降、体調を崩し、ブログの更新も空いてしまったのだった。
posted by 城戸朱理 at 13:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

笠井叡「白鳥の湖」へ



7月30日は、日暮里のd-倉庫に、笠井叡さんの演出・振付・出演による「白鳥の湖」を見に行った。

これはダンス・フェスティヴァル「ダンスがみたい!」の19回目、10組のダンサーとカンパニーが「白鳥の湖」を踊るという企画の最終公演。


出演は笠井叡さんとバレリーナの篠原くららさんで、音源はアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団(1976)が使われていた。

古典バレエの方向を決定した感さえあるチャイコフスキーの名曲をバックに笠井叡が登場、踊り始めるが、途中、篠原くららがソロを踊る数分を除いて、1時間5分の公演の最初から最後まで笠井叡は踊り続けた。


創造主たる神は、人間と全自然界を創り終えたとき、自分の全存在を人間と全自然界のなかに封印した、と笠井叡は言う。

この「封印された神」「魔法にかけられた自然」を解くことができるのは、人間だけなのかも知れない、と。


「白鳥の湖」を「宇宙童話」として再現しながら、終幕の「暁の黎明」のなかに「無限の闇」をも解き明かしていくダンスの試みは、果てしない地平の彼方にあるかのようだった。


また、バレリーナを間近で見るのは初めての体験だったが、その異常な身体性は、美しさの代償の大きさを痛感させるものだった。


終演後、笠井叡さん、久子さんとお話したが、笠井さんが「白鳥の湖」を踊るのは4回目で、チャイコフスキーの楽曲には思い入れがあるのだとか。


会場には、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)、野口泉さんもいらしていたので、それからお二人と軽く飲んで、帰途に着いた。
posted by 城戸朱理 at 14:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フェリス女学院大学で前期最後の授業

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7月28日は、フェリス女学院大学で2コマの補講を終え、前期の授業が終了した。

はっきり分かったのは、90分ではなく、2コマ連続、180分あったほうが授業がスムースにいくということ。

とはいえ、そんな時間割りを組んでもらうわけにはいかないだろう。

短期集中講義という手もあるかも知れないが。


今回の補講は、学生諸君の間で、コスプレで参加(!)という連絡が回っていたのだが、実際にコスプレしてきた学生は3人だけだった。

本人の了解をもらったので、写真をアップするが、メイドコスプレのMさんと新橋芸者に憧れるKさんである。

それにしても、今の学生は、コスプレ用衣装を持っているのかと感心したが、よくよく考えると、バンビことパンクな彼女も、ハロウィーンやクリスマスのコスプレ用衣装を持っているから、当たり前なのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 11:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

冷涼たる夏か?

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8月になったら、夏とは思えぬ涼しさ、朝方など肌寒さを覚えるほどである。

昔の人なら飢饉の心配をしたのではないかと思ったら、猛暑が戻ってきてしまった。


ところで、ふと気づいたら、先月はブログを毎日、更新していたようだ。

何のためにこんなことをしているんだと思ったが、のんびりとした温泉の記事やら何を食べたかとか、どうでもいい話がほとんどなので、更新すること自体は難しくない。


もの書きの日常は、本を読んでいるか、原稿を書いているかのどちらかで、実に単調なものだが、座りっぱなしの座業だから、柳美里さんは「こんな身体に悪いことはありませんよね」と言っていたっけ。

ちなみに、8月3日は、まず、田野倉康一・広瀬大志・高貝弘也氏との連詩を書いた。

大志くん出題のテーマは「美術」。

自由な発想を許すテーマだけに、どのパートも読み応えがある。


昼食後は、小憩してから「現代詩手帖」のための鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)によるコレオグラフ「桃」のレビューを執筆。

書き終えてから、かまくら春秋の山本太平さんへ、「夜の鎌倉」企画の取材先候補リストを作製してメールし、「桃」のレビューを見直して、文字量を調整してから編集部にメールした。

夜は、晩酌して読書。

さらにAmazon Videoでクリント・イーストウッド主演「ダーティハリー2」を見る。

「ダーティハリー」は、ドン・シーゲル監督による一作目と、イーストウッド自身がメガホンを取った四作目が傑作だが、テレビ出身のテッド・ポスト監督による「ダーティハリー2」は、中学生のとき、私が初めてロードショーで観たイーストウッドの主演作だった。

今や、監督として、ハリウッド・キングとまで呼ばれるイーストウッドだが、当時はアメリカでもアクション・スターとしか思われておらず、「恐怖のメロディ」や「荒野のストレンジャー」といった監督作品も、いい映画なのに、さして評価されてはいなかったのを思い出す。


当時、ショーン・コネリーの後任として、イーストウッドに007・ジェームズ・ボンド役のオファーがあったそうだが、イーストウッドは、ボンド役はイギリス人俳優が演じるべきだと言って断ったという。

ショーン・コネリーがボンドを演じたのは「007 ダイアモンドは永遠に」(1971)が最後だから、イーストウッドにオファーがあったのは、その翌年あたりだろうか。

「ダーティハリー」の公開が1971年だから、製作者がイーストウッドをボンド役にと思ったのも納得できる。

それを断るあたりもイーストウッドらしいが、イーストウッドが演じる007を見てみたかったと思うのは、私だけではないだろう。
posted by 城戸朱理 at 11:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

音羽山清水寺

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音羽山清水寺も、征夷大将軍、坂上田村麻呂の草創とされ、京都、播磨と並んで日本三清水として知られる古刹である。

同じく田村麻呂に由来するとはいえ、清水寺は陽、多岐神社は陰と言えるだろうか。


本尊は田村麻呂が祀ったとされる十一面観音。

門前の市は、古くから賑わい、遠く三陸海岸や仙台からも参拝客が訪れたという。


宮澤賢治も、その宵祭の賑わいを「田園浅草」ん名づけ、教え子を連れて、幾度となく訪れたらしい。


また、賢治の詩「境内」(『詩稿補遺』)は、清水寺を舞台にするものと考えられている。
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多岐神社〜アラハバキ神を封じたところ?

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次に訪れたのは、多岐神社。

正一位、多岐大明神を祀る社だが、神社の由来は実に興味深いものだった。


桓武天皇の御代、蝦夷征伐を命じられた征夷大将軍、坂上田村麻呂は、陸奥の鬼神・悪路王、高丸らを退治するために下向した。

ところが、田村麻呂の軍勢は、三光岳に潜み、悪路王に組する鬼神・岩盤石に苦戦、道に迷い、渇きに苦しむことになった。

そのとき、翁が現れ、泉の場所を教えたために、田村麻呂の軍勢は息を吹き返し、岩盤石を破ることができたのだとか。

この翁が、万病を癒すとされた東光水という滝の化身で、多岐大明神として祀られることになる。


この由来には、二重性がある。

まず、悪路王とは、大和に対する東国だった日高見国(ひたかみのくに)の蝦夷の首長、大墓公(おおつかのきみ)阿弖流爲(アテルイ)の時代が下ってからの呼び名であり、鬼神とされる岩盤石も、大和朝廷の侵攻に対抗した蝦夷の指導者のひとりであったのだろう。

田村麻呂は大軍を率いながらも、阿弖流爲の蝦夷軍に勝つことができなかったというのが史実であり、和議を結んで、京都まで田村麻呂に同行した阿弖流爲は、田村麻呂の嘆願にもかかわらず、貴族たちに斬首されてしまう。


時代が下って、武士が台頭し、田村麻呂が武門の象徴としてもてはやされるようになると、蝦夷はことごとく悪鬼とされ、阿弖流爲は悪路王に書きかえられていく。

それを考慮するならば、今日に伝えられる多岐神社の由来の成立は、室町期ということになるだろうか。


また、蝦夷が信仰していたアラハバキ神は、石を御神体とするのがもっぱらなので、岩盤石とは、アラハバキ神を言うものであり、すなわち、それは東光水の滝にほかならなかったのではないか。


多岐神社の奥には、滝が流れる巨石がある。

この巨石が、上代にはアラハバキ神として祀られていたと考えられているが、多岐神社とは、蝦夷のアラハバキ神を封じ、大和の神に変化(へんげ)せしめるための霊的装置だったように思われる。


多岐神社もまた、東北の古層をうかがわせるひとつの例と言えそうだ。
posted by 城戸朱理 at 10:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ひじり塚

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日本現代詩歌文学館の展示を見たあと、豊泉さんが連れていってくれたのは、「ひじり塚」。

かねてから、貴人が葬られたところと伝えられてきたが、近年に至って、時宗の開祖、一遍上人の事跡を描いた「一遍聖絵」(国宝)に描かれていることが分かり、一遍上人の祖父に当たる鎌倉時代の武将、河野道信の墓であることが分かった。


河野道信は、伊予の名族の出身で、平家を滅亡させた檀浦の合戦で活躍し、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻、政子の妹を妻とした有力者だったが、後鳥羽上皇が幕府に反旗を翻した承久の乱(1221)で上皇側につき、岩手の江刺郡に流罪となった。


道信は、江刺の極楽寺に庵を結び、余生を送ったという。


ひじり塚は、四角の段に円く盛土をし、堀を巡らした貴人にふさわしい墓所だが、一遍上人は、それと知って祖父の墓参りをしたわけである。


まわりには畑しかなく、訪れる人もなかった。
posted by 城戸朱理 at 10:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

「詩歌と音のプリズム」展@日本現代詩歌文学館

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今回の目的のひとつが、日本現代詩歌文学館で開催されている「詩歌と音のプリズム」展を観ること。

音を題材とする詩歌の自筆原稿が展示されているのだが、俳人・歌人・川柳作家が色紙で、詩人は原稿用紙。

当たり前といえば当たり前だが、この違いは面白い。


詩人だと、暁方ミセイさん、岸田将幸さん、渡辺玄英さんなどの自筆原稿を興味深く拝見した。

詩人その人とは面識があっても、どんな字を書くのかは分からない時代だけに、手書きの文字を見るのは、人格の別の面に触れるような面白さがある。


また、自筆原稿の合間に、新国誠一のコンクリート・ポエムやヨーゼフ・リンシンガー、北園克衛、高橋昭八郎、伊藤元之、金澤一志といった諸氏のヴィジュアル・ポエムが展示されていたのも、効果的だった。

バンビことパンクな彼女は、伊藤元之さんのミクストメディアによる作品「plastic poem No.0」を見るのが目的だったらしい。

金澤一志さんの抽象画のような写真に文字を配した作品「音を書く音」「音を消す音」も鮮やかだった。

ちなみに、ポスターに使われているのは、藤富保男「4minutes33seconds of John Cage」である。


不安定な気候が続いていたが、この日は晴天が広がり、暑いが、気持ちのよい一日になった。
posted by 城戸朱理 at 08:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

湯上がりには

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温泉から上がったら、水分補給。

バンビことパンクな彼女が、毎朝、ハンドドリップでコーヒーを淹れ、水だしの煎茶も作ってくれたが、やはり、湯上がりには牛乳かコーヒー牛乳が気分だ。

フルーツ牛乳もあったが、いずれも私には馴染み深い小岩井の製品なのが嬉しい。

毎日、売店で買っては、部屋の冷蔵庫に入れておくようにしたのだが、オリジナルのアイスクリームや奥中山高原アイスクリームもあった。

そして、私が一本、120円の牛乳かコーヒー牛乳を飲んでいるとき、バンビは一本300円もする「山のきぶどう」を得意気に飲んでいたのである!
posted by 城戸朱理 at 09:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

大沢温泉

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花巻駅からタクシーで大沢温泉へ。

ひと足早い夏休みと執筆を兼ねた滞在である。


豊沢川ぞいに建つ大沢温泉は、モダンな山水閣と江戸時代に建てられた木造の自炊部・湯治屋、そして、豊沢川を渡った対岸に建つ茅葺きの菊水館から成る。

予約したのは、自炊部・湯治屋である。


2009年に、柳美里さんとバンビことパンクな彼女が、コーチとともに遠野じんぎすかんマラソンにエントリーしたときのこと。

3人は、まず大沢温泉の菊水館に一泊して、温泉卓球をやらかし、遠野に移動して一泊。

翌日、約21kmのハーフマラソンを完走すると、今度は鉛温泉に一泊して疲れを癒したのだが、バンビが大沢温泉で自炊部を見つけた。

丈陽(たけはる)くんが生まれる前は、温泉宿に長期滞在して執筆をしていた柳美里さんは、この自炊部が気に入り、
2015年に北上の日本現代詩歌文学館でトークをしたとき、柳さんの希望で、自炊部に泊まることに。

雪景色を見ながら浸かる露天風呂は最高で、いずれ再訪したいと思っていたのだ。


近所には何もない山あいの宿で、対岸では水車がゆっくり回っている。


自炊部・湯治屋は、200年前、江戸時代の木造建築。

古いが、掃除が行き届き、実に快適である。

料金も一泊、2700円と破格で、これに蒲団や浴衣、扇風機などのレンタル料を入れても、3000円強。

自炊部だけに共同炊事場で料理してもいいが、「御食事処やはぎ」があるので、食事には困らない。


自炊部・湯治屋に泊まって、入浴できるのは、江戸時代の風情を残す露天風呂「大沢の湯」、山水閣の半露天風呂「豊沢の湯」、菊水館の「南部の湯」、それに湯治屋の内風呂「薬師の湯」。

女性専用の露天風呂「かわべの湯」もあり、温泉三昧。


宮澤賢治や高村光太郎ゆかりの温泉宿だが、獨協大教授の原成吉教授と話していたら、ゲーリー・スナイダーを大沢温泉に連れていったことがあるそうだ。

現代アメリカを代表する詩人、ゲーリー・スナイダーは、第一詩集『奥の国』で、宮澤賢治を翻訳し、初めて賢治を英語圏に紹介した詩人だから、大沢温泉を訪ねたのも分かるが、それでも意外だったのは否めない。


今回の私の滞在は、一週間。

思いがけない詩想を得ることになった。
posted by 城戸朱理 at 07:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

地ビール、ベアレン

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合評会を終えて、グランドホテル・アネックスでバンビことパンクな彼女と合流。

盛岡駅に着いてみたら、少し余裕があったので、フェザンの「ビア&ヴルスト ベアレン」で、地ビールを飲むことにした。


最初は、夏のヴァィツェンを頼み、バンビのリクエストで白金豚の冷製しゃぶしゃぶを。

これが、サラダ仕立てになっており、美味しかったので、青森県は陸奥湾産帆立のカルパッチョも追加。

新鮮な帆立は、甘く、これまた驚くほど美味しい。

すっかり、調子が上がり、さらに馬肉とアボカドのタルタルを追加して、ビールをおかわりする。


バンビは、お気に入りのヴィヴィアン・ウエストウッドのパグ柄ワンピで、くつろいでいた。
posted by 城戸朱理 at 10:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

第12回「 啄木・賢治のふるさと 岩手日報随筆賞」授賞式

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7月15日は、岩手日報随筆賞授賞式。

ホテルで朝食を取ってから、10時にバンビことパンクな彼女とグランドホテルに向かう。


11時からの授賞式は、岩手日報取締役編集局長の川村公司さんによる選考経過報告から始まった。

その後、代表取締役社長、東根千万億(あずまね・ちまお)さんから、最優秀賞の石川啓子さんを始めとして、優秀賞、佳作、奨励賞のみなさんに賞状が手渡される。

最優秀賞の受賞者に贈られる正賞は、第7回まで船越保武作のブロンズ「エリカ像」だったが、第8回から、照井栄作「星の雫」に変わった。


そして、東根社長による主催者挨拶。

東根社長、まるで「X-MEN」といったハリウッド映画に出演していてもおかしくない俳優のような風貌で、バンビが喜んでいる。



祝辞は、岩手県教育委員会教育長、高橋嘉行さん、I BC岩手放送社長、鎌田英樹さん、そして私。


無事に授賞式は終わり、祝賀パーティーは、会場を移して、12時から。

グランドホテルは、かつて昭和天皇が泊まられたこともあるほどの、格式を誇るだけに、料理も素晴らしい。

殻付きウニのゼリー寄せを始めとして、岩手県産の食材を使った料理が並ぶ。


作家の平谷美樹(ひらや・よしき)さん、エッセイストの千葉万美子さん、ふたりの選考委員もスピーチ。


これまで、80冊もの小説を上梓してきた平谷さんは、作家生活10年目の小説のゲラを持参し、おびただしい編集者のチェックが入った付箋紙を示して、プロとして書くことの厳しさを語った。

それにしても、平谷さんの筆力は尋常ではない。

盛岡在住の直木賞作家、高橋克彦さんも平谷さんは筆が早いと感心されていたが、現在、「岩手日報」に連載中の小説「柳は萌ゆる」――これは幕末の南部藩の家老、楢山佐渡を主人公とする歴史小説なのだが――なんと1400枚を書き上げてから、連載が始まったそうだ。

そんな新聞連載など聞いたことがない。


千葉万美子さんは、いつもお洒落なので、バンビが「千葉さんのファッション・チェックをしなくっちゃ!」と楽しみにしていたのだが、シルク・リネンとおぼしき上品なドレスで、アクセサリーも素敵だった。

辛口ながら愛のあるスピーチに会場が沸く。

私は、千葉さんの書かれたエッセイをまとめて読んだことがないので、機会を得たいものだ。


このパーティーでは、毎年、澤口たまみさんとお会いできるのも楽しみのひとつ。

澤口さんは、盛岡一高の同窓生で、大学では応用昆虫学を専攻、1990年に『虫のつぶやき聞こえたよ』で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、エッセイストとして活躍されていたが、近年は絵本作家としての仕事が多く、今年、『わたしのこねこ』で、産経児童出版文化賞美術賞を受賞された。

澤口さん、おめでとうございます!


最後の写真は、東根社長と談笑する工藤玲音さん。

工藤玲音さんは、高校3年生のとき、第7回の最優秀賞を受賞、最後の「エリカ像」を獲得、その後、短歌と俳句で積極的な活動を展開している俊英である。

また、一昨年に岩手日報随筆賞優秀賞を受賞された武田穂佳さんは、昨年、第59回短歌研究新人賞を受賞、気鋭の歌人として活躍されており、工藤玲音さんとともに今後が楽しみだ。


パーティーのあとは、カフェに席を移し、今回の受賞者とこれまでの最優秀賞受賞者に選考委員が集って、合評会となる。

これは、直木賞作家の三好京三さんが選考委員長だったときに始まったそうだが、辛口の批評が飛び交うので面白い。

私が感心するのは、農業のかたわらで随筆を書かれている方が少なからずいらっしゃることで、そういう方が書くものは、何か動かしがたいリアリティがあるように思う。
posted by 城戸朱理 at 07:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする