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城戸朱理のブログ: 日記

2020年10月14日

異常な常態を生きて



7月は青空を見た記憶がないほど、雨が降り続いた。

8月は、生命の危険を感じるほどの酷暑が続き、鎌倉では10月上旬になっても最高気温25℃を超える夏日があった。

今や異常気象が当たり前で、将来、2020年の夏は涼しかったと言われる日が来ると警告する科学者もいる。

地球温暖化とはそういうことであり、これから夏は、さらに暑くなっていくというのだから気が遠くなる話ではないか。


ともあれ、10月になって、ようやく酷暑からは解放され、ひと息つくことができた。


先月末には、「詩と思想」11月号の特集「四季派の遺伝子」鼎談のゲラをチェックし、「公明新聞」から依頼されたエッセイ「コロナ禍とその後に紡ぐ言葉」のゲラを戻したのだが、今月に入って、共同通信の月評「詩はいま」を執筆、さらに「岩手日報」投稿欄の選評2回分を書き上げて、「現代詩手帖」11月号の岡田隆彦特集の論考に着手したところまでは順調だった。


ところが、私の企画・監修で制作中の建築家、栗生明さんの番組で問題が発生して対応に追われ、さらにアメリカのルイーズ・ブリュックのノーベル文学賞受賞が発表されると、日本では知られていない存在だけに、私にまで「日本経済新聞」と共同通信から取材があった。

「日本経済新聞」には私のコメントも掲載されたようだが、私はまだ見ていない。


「現代詩手帖」の岡田隆彦論を書き上げ、続いて井上春生監督がプロデューサー、ディレクターを兼任する運慶の番組ーー奈良・円成寺、東京・真澄寺、足利・光得寺に残された運慶の三体の大日如来像を運慶研究の第一人者、山本勉先生に語ってもらうという企画の構成案とナレーション原稿を書いているところだが、吉増剛造さんが久しぶりに鎌倉にいらっしゃるそうなので、スケジューリングをしなければならなくなった。

コロナ禍で強いられる不自由さと、それゆえの自由とにはさまれた日々。

私たちは、当分の間、この異常な日々を常態として過ごさなければならないわけだが、これに慣れる日は来るのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 16:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

紫陽花の季節

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都道府県をまたぐ移動の自粛要請が解除された週末の6月20日。

鎌倉はたいへんな人出だった。


鎌倉は、ちょうど紫陽花の季節。

いつもなら、名月院、長谷寺といった紫陽花の名所はたいへんな混雑になるが、今年は、名月院、長谷寺ともに神奈川県在住者に限定、名月院は土日閉門というコロナ対策が講じられたものの、長谷寺には行列が出来ていた。



バンビことパンクな彼女と買い物がてら散歩に出かけたのだが、鎌倉では名所を訪ねるまでもなく、あちこちに紫陽花や立ち葵、朝顔などの花が咲き乱れている。



長谷まで出て、魚屋で自家製の鯵の干物やすずきのお造りを求め、輸入食材を扱う三留商店で買い物をしたのだが、三留商店は1882年(明治15年)創業という鎌倉の老舗である。

長谷寺のあたりは、たいへんな混雑で、コロナ前と変わらない。


由比ヶ浜に近いアンティーク・ショップを覗き、公文堂で久しぶりに古書を見て、ヴァレリー・ラルボー『罰せられざる悪徳・読書』(岩崎力訳、コーベブックス)、宮沢賢治『春と修羅』復刻版(近代文学館)など5冊を購入してから、駅前に出たのだが、街は賑わいを取り戻し、飲食店も恐いほど混んでいる。

まるで、コロナ禍が終わったかのような眺めに違和感を覚えた。


だが、ワクチンの開発に成功するまで、人類がコロナを完全に抑制できる日は来ないだろうし、ワクチンの開発が成功するとは限らない。

有効なワクチンが出来るか(ワクチンは万能ではない。接種しても罹患する人はいる)、ウイルスが進化して弱毒化し、風土病になるか、いずれにしろ人類は、コロナウイルスと共存するしかないのだ。


コロナ禍のみならず、世界的に地震が多発し、不穏さばかりが募っていくが、散歩の途中で見かけた朝顔は、実に美しかった。
posted by 城戸朱理 at 12:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月26日

自粛明けの危機???

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19日に都道府県を越境する移動の自粛要請が解除され、一気に人の動きが変わった。

それを知ったバンビことパンクな彼女が、奇妙な心配をしている。



「もう、みんなどこに行ってもいいって気分になっているから大変だよ!
きっと、おじさまがたが動き始めるよ!
中洲のバンビちゃんに会いに行こうとか、京都のリボンちゃんの顔を見に行こうとか、銀座のアイドル桂子の店に飲みに行こうとか!」
・・・・・・



バンビもリボンちゃんも、柳美里さん命名のアイドル桂子も、ぜんぶ自分のあだ名ではないか!

バンビは博多、京都、銀座で夜のお勤めをしている気分になっているらしい。

困ったものである。


ウイルスは、人間や動物が介在しないと移動することができない。

人の動きが活発になると、ウイルスも拡散することになるわけで、たしかに自粛解除後は、注意が必要だろう。
posted by 城戸朱理 at 11:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

緊張する遠出

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5月25日のこと。

県境を超えての移動は避けるべきだが、急を要する手続きのために盛岡に行かざるをえなくなった。

岩手県はいまだに新型コロナの感染者が報告されておらず、神奈川県の緊急事態宣言はこの日に解除されたとはいえ、岩手への移動はためらわれる。

誰にも会わず、所用以外の外出は控えることにしたのだが、東京に出るのさえ久しぶりだから、横須賀線に乗るだけで緊張した。


東京駅で駅弁を買って新幹線に乗ったのだが、駅弁が新鮮に思える。

私は仙台のはらこ飯、バンビことパンクな彼女はレトロなチキン弁当である。

私がはらこ飯を作るときは、鮭を煮て、その煮汁で御飯を炊き、皮と骨を取った鮭を御飯に混ぜ込んでからイクラを乗せるが、駅弁のはらこ飯は焼き鮭だった。



盛岡は曇りで、岩手山は見えなかったが、開運橋から望む北上川は、私にとって原風景のひとつだ。

北上川ぞいには、気持ちよさそうなカフェが出来ていた。
posted by 城戸朱理 at 14:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月12日

岩手日報随筆賞選考会

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6月9日。

締切はとりあえずクリアしたので、ここしばらく読み続けていた岩手日報随筆賞の応募作を広げ、最優秀賞から奨励賞までを選んで私の選考案をメールした。

これで明日のリモート選考会を待つだけと思ったので、午後はフェリス女学院大学の今週の講義をタイプしていたら、「現代詩手帖」特集原稿と「神奈川新聞」のエッセイのゲラ(校正紙)が来てしまった。

ゲラをチェックしていたら、今度は岩手日報社から平谷美樹、澤口たまみ選考委員の選考結果が送られてきたのだが、見事なまでに票が割れている。

最優秀賞はひとりを選ぶのだが、3人がそれぞれ違う作品を挙げ、優秀賞3人もまったく重複していない。

つまり、3人の選考委員が、最優秀賞・優秀賞で4人を選出しなければならないのに、候補が12人という異例の事態となった。

10年以上、選考に関わってきたが、初めてのことである。

これで選考会が成立するのか不安になったが、バンビことパンクな彼女が「ピンチョスを作ってあげて!」と言うので、ピンチョスとアクアパッツァを作り、スパークリングワインを飲んでいるうちに、今回ほどではないとはいえ、昨年もかなり票が割れていたのに何とかなったのを思い出し、いつもと同じように臨むことにした。


翌日は、14時からZOOMで選考会。

平谷委員が出席できず、平谷委員の選考理由のメモを参考にしながら、澤口たまみさんと私で選考に当たったのだが、若くしてエッセイストクラブ賞を受賞し、エッセイストとして長年、仕事をしてきた澤口さんにとって、エッセイとは、あくまでもノンフィクションであり、自分の思いを語るものであるのに対して、平谷美樹さんは、小説家らしく、構成や説得力を重視しており、それが票が割れた理由ではないかという指摘には納得するものがあった。

では、私は何を基準にしているのか考えてしまったが、文章の巧拙を無視するものではないとはいえ、モティーフの意外性や新しさを評価する傾向があるかも知れない。

面白いもので、ここまで票が割れると一からやり直すようなものだから、一時間ほどで入賞作を選ぶことができたのだが、異様に疲れたのも事実で、この日はもう何もすることができなかった。
posted by 城戸朱理 at 13:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月09日

締切が続いて



「現代詩手帖」のコロナ禍特集のエッセイ、10枚を書き上げたあとは、「びーぐる」特集のための長谷川龍生論13枚を執筆したのだが、これは私にとっては現代詩の戦後性を再考する機会になった。

さらに「詩とファンタジー」に依頼された次号特集「愛は食卓にある」の巻頭詩を書く。

編集部から同号特集のため、若い詩人を紹介してほしいと依頼されたので、リストを作って送ったのだが、若い世代に執筆の機会が生まれるとしたら、嬉しいことである。

だが、特集が特集だけに関心がない人もいるだろうし、人選は難しかった。

私のリストから編集部がふたりを選び、依頼したようだが、楽しみだ。



ふと気づくと、この二月ほど、詩誌の依頼が相次ぎ、改めて商業的な詩誌の存在を確認することになった。


4月に創刊された「ココア共和国」の5月号に新作の詩を寄稿し、さらに「抒情文芸」の夏季号に詩を寄せ、「みらいらん」の吉岡実特集のために朝吹亮二さんとメールで対談をして、「現代詩手帖」特集のエッセイを書き、「びーぐる」に長谷川龍生論、そして「詩とファンタジー」 の詩を書いたわけだが、「詩と思想」からも特集座談会の依頼があった。

詩の文芸誌がこれだけあることは意識していなかったが、会員誌としての性格を持つ「詩と思想」以外は、いずれも原稿料が出る商業誌として維持されている。

これは、驚くべきことではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 11:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コロナ禍で変わったこと



リモートワークで在宅している人もいれば、社会を維持するため、通勤して仕事をしている人もいるわけだが、誰であれ、新型コロナウイルスのおかげで生活が一変してしまったというのが現実だろう。


原稿執筆は、もともと自宅でするものだから、私の場合、その点での変化はない。

外出できなくなった分、むしろ原稿が、はかどるようになった気がする。


そして、打ち合わせや講演など、仕事で外出することがなくなったので、スーツを着るということがなくなり、コットンセーターやカットソーなどの部屋着で過ごしている。


最初は、曜日の感覚も曖昧になりかけたが、こういう状況下で生活のリズムが狂うと、精神的にも失調しかねないので、できるだけ決まった時間に起き、決まった時間に寝るように意識するようにした。

それでも、週に1日か2日は、ネット配信の映画に夢中になって、夜更かししてしまうことはあるのだが。



バンビことパンクな彼女の朝は、ヴィヴィアン・ウェストウッドに着替えて、メイクをするところから始まるが、これも生活のリズムを作るためなのだろう。

メイクは目尻を上げた「にゃんこ目」になっていることが多い。



外食することができないので、食事は自炊するしかないわけだが、食事の時間が一日のリズムを作ってくれるのを痛感した。

料理はもっぱら私がしているが、私が執筆に追われているときは、バンビがキッチンに立ってくれるので、わが家では問題はない。

ただ、買い物に頻繁に行くことが出来ないので、あらかじめ何を作るか決めてから買い物をしなければならないし、調理の時間も、それなりに取られる。

必然的に野菜などは加熱してから小分けして冷凍しておくようになった。

ただ、一日三食、毎回、家族の食事を作らなければならない立場の人は、一日中、料理に追われているような気分になってしまうだろうし、SNSで「自炊疲れ」がトレンド入りするのは仕方がないことだと思う。


清潔を意識して、タオル等のリネン類は、毎日、洗濯するので、洗濯の頻度は真夏並みになったが、クリーニングに出す衣類は減った。


それでも、この状況下では、在宅したまま仕事ができるというだけで、恵まれているのだと思う。


だが、社会のすべてが回らなくなっているのだから、私の仕事にも、いずれ少なからぬ影響があるに違いない。



日本政府のコロナ対策は、海外メディアから「驚くほど無能」と揶揄されたほど何ひとつ見るべきところがなく、当然のことながら、内閣支持率は危険水域まで落ち込んでいる。

コロナ禍という災厄があらわにしたものを、忘れないようにしていきたいと切に思っている。
posted by 城戸朱理 at 00:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

コロナ禍の日々



新型コロナウイルスのために自粛生活が続いている。

対面での打ち合わせや会議は、すべてなくなり、大学も遠隔授業なので仕事で外出することがなくなった。

鎌倉の飲食店も、次第に店を開けるところが出てきたが、積極的に外食しようという気にはならない。

執筆には専念できるが、大学の遠隔授業は、あらかじめ講義の概要を書いておいてアップするようにしているので、準備に半日も時間が取られるようになった。



5月30日(土)は「神奈川新聞」に依頼されたエッセイを執筆。

これは神奈川新聞文芸コンクール50周年記念企画の依頼で、テーマは「冒険」。

歴代の審査員がリレー連載するのだが、第一回目となる作家の辻原登さんの原稿は、4月19日に掲載された。

私は6回目で、6月14日の日曜版に掲載される予定。



31日(日)は、共同通信の連載月評「詩はいま」を書いて送った。

今回、取り上げたのは『アンバル・パスト詩集』(細野豊編訳、土曜美術社出版販売)と、たかとう匡子『耳凪ぎ目凪ぎ』(思潮社)。

パストは、私にとっても初めて出会った詩人だが、9世紀にポーランドに王朝を開いたピアスト王の末裔で、アメリカに生まれたが、メキシコの文化に魅せられ、メキシコに帰化、メキシコで長年、暮らしていたが、今はインドのヒマラヤ地方の山中で清貧の暮らしを送っているという。

なんという人生だろう!

叙事詩的な趣さえある作品に感銘を受けた。



そして、6月1日(月)は、岩手日報の投稿欄「日報文芸」の投稿作品を選び、「びーぐる」に依頼された長谷川龍生論を書き始める。



2日(火)は、午前中に「岩手日報」の投稿欄選評2回分を執筆してメールし、入選作を宅急便で手配した。

午後は「現代詩手帖」の特集のためにコロナ禍についての原稿を書いたのだが、夕方には所定の10枚を書き終えることができた。



3日(水)は、「現代詩手帖」の原稿を見直して送り、午後はリモートですることになった岩手日報随筆賞選考会のためにZOOMのテスト。

実はZOOMなどのリモートワークのために新たにパソコンを購入したのだが、結局、いつも使っているiPadでテストした。


「現代詩手帖」の特集原稿は、翌日、見直してから送ったが、コロナ禍の日々が続いている。
posted by 城戸朱理 at 15:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月06日

人気のない大型連休

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緊急事態宣言下の大型連休は、鎌倉も人気がなく、静かに時が過ぎていった。

もっとも、週に一度のスーパーでの買い出し以外は、せいぜい近所を散歩するだけだから、鎌倉も駅周辺は、多少の人出があったのかも知れない。

近所を歩くと、あちこちに野草が咲いていて、北条氏常磐亭跡は新緑が美しい。


常磐亭跡は、鎌倉幕府第七代執権、北条政村の別荘があったところで、国指定史跡になっている。

北条政村は、幼少の北条時宗にかわって執権をつとめ、時宗が第八代執権となってからは、連署として時宗を支えた。

ちょうど二度にわたる元寇という国難のさなかに政権の中枢にあったわけだが、彼が時宗と酌み交わした酒は、どんな味がしたのだろうか。


人類の経済活動が止まってしまったものだから、ヴェネツィアの水路の水は澄みわたり、ヨーロッパでも中国でも大気汚染が改善されて、青空が広がっているそうだが、私たちは、人類がいなくなった世界の様子をコロナウイルスのパンデミックという亀裂から覗いているのかも知れない。



私の場合、連休はまったく休みではなく、「岩手日報」投稿欄の選評を書き、「共同通信」の詩の月評を書き、さらにCS放送の番組の構成を考えてナレーション原稿を仕上げ、大学の遠隔授業のための講義をタイプするといった具合に、連日、執筆に追われたが、それでも余裕はある。

こんな巣籠もりの暮らしが出来るのも、感染の危険があるなか、医療に従事して下さる方々、ライフラインを保持し、物流を維持してくれる方々、食品・日用品を売る店を開けて営業を続けてくれる方々がいるからなのを切に思う。

本当に感謝しかない。



首都圏では、自粛要請が5月末まで延期になった。

緊張が解ける日は、いつか来るのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 21:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

新型コロナウイルス、パンデミックのさなかに



新型コロナウイルスで、世界は一変してしまった。


世界の感染者は300万、死者は20万を超え、いまだにピークアウトは見えない。

世界人口の50%を超える40億以上の人々が、外出禁止や自粛で家に籠っており、事実上、国境は封鎖され、グローバル経済は瀕死の状態にある。

今のところ、台湾や韓国はウイルスの封じ込めに成功し、経済活動がゆるやかに再開されつつあるが、初動が遅れに遅れた日本は、出口がまるで見えない。



生活も一変した。

鎌倉ではスーパーやコンビニ以外で営業しているのは新刊書店と一部の古本屋だけ。

日が暮れると、人の姿はなく、ゴーストタウンのようだ。


政府は、今やるべきコロナ対策をよそに、今やる必要のないコロナ終息後の経済政策ばかりを打ち出しているが、終息がいつになるのかは分からないし、かりに終息したとしても、そのときには外食しようにも店は潰れ、旅行しようにも宿がなくなっているかも知れない。

建物はそのままなのに、人の営みが絶えた世界が残されているとしたら。

恐ろしいヴィジョンだが、現実になりかねない。


コロナ終息は2022年までかかるというのがハーバード大学の予測だが、それさえも希望的観測かも知れない。

新型コロナウイルスは、いまだに未知のウイルスであり、罹患して運よく生き延び、抗体ができたとしても、その抗体が何年続くのかは分からない。

インフルエンザのように、抗体が半年ほどでなくなるとしたら、コロナも何度でも罹患することになる。

ワクチンの開発が進められ、中国やアメリカでは治験に入ったというニュースもあったが、ワクチン開発に成功する保証もない。


かりに、ある国で封じ込めに成功したとしても、海外との交流を再開したら、いつウイルスが持ち込まれるか分からず、感染が再発するたびに封鎖を繰り返すことになる。


資本主義が行き着いた新自由主義は、コロナウイルスのパンデミックによって終わりを迎えつつあるが、それは世界が大恐慌の入口に立っているということでもある。

すでに、いくつかの国は食糧の輸出を禁じたが、国連は来年の世界的な食糧危機を警告した。

今まで、人類が経験したことがないような未来が待っている。
posted by 城戸朱理 at 17:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

原成吉『アメリカ現代詩入門』刊行記念トークへ

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2月23日は、「かまくら春秋」の創刊50周年記念号に寄せるエッセイを執筆。


「かまくら春秋」は伊藤玄二郎代表が、鎌倉文士の長老、里見クに「鎌倉には文士が大勢いるんだから、鎌倉で出版社を」と言われて始めた会社だが、文芸タウン誌「かまくら春秋」は、4月号で600号になるそうだ。


依頼は、「身辺雑記」。


こういう依頼がいちばん難しい。


ブラジルの「ノイガンドレス」のメンバーで、戦後、ブラジル大使館の文化公報官として東京に13年を暮らし、北園克衛や新国誠一を海外に紹介したL.C.ヴィニョーレスが、鎌倉の大仏をよく訪ねたと語っていたのを思い出し、メールを送ったら、当時の写真を添えた返信が。ヴィニョーレスは今年で87歳になるが、大仏を背にした写真には、青年の彼が写っていた。




24日は『アメリカ現代詩入門』刊行記念イベント、原成吉先生とのトークのため渋谷のBAG ONEへ。


原先生はホイットマン、パウンド、ボブ・ディランの短詩のハンドアウトを用意して、トークに臨まれた。


原先生がアメリカ詩の本質を縦横に語るかたわらで、私も先生の問いかけに答えたのだが、2時間では、まるで時間が足りない。


とりわけ、ロックに話が及んだときの原先生の脱線ぶりが最高だった。



原先生が指摘したように、「アメリカ」が民族を前提としない実験の国家であり、そこにこそ根差したアメリカ詩の生成を考えることはとくに重要だと思う。


会場には遠藤朋之氏を始めとして原先生のかつてのゼミ生が集い、盛況だったが、ヤリタミサコさんの顔も。


菊石朋さんも、このトークのために大阪から来てくれた。


菊石さんは、ロバート・ブライらとともにディープ・イマジストとして知られるミネソタの詩人、ジェームズ・ライトに関心があるのだとか。


バンビことパンクな彼女は「朋ちゃんが来てくれるよ!」と喜び、連絡を取って同じホテルを予約していたのだった。



トーク後の打ち上げは、台湾料理の麗郷で。


この日は半蔵門のホテル・モントレ泊まりとなった。
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2020年03月08日

新型コロナウイルス、パンデミックへ?!



新型コロナウィルス感染症、COVID-19は、南極大陸以外の全大陸に広がり、ヨーロッパや中東でも猛威を振るっている。


アメリカのCDC(疾病対策センター)はCOVID-19の世界的なパンデミックを警告するに至ったが、今や、日本も市中感染による感染拡大の段階に入った。


不要不急の外出は控えているが、打ち合わせや会議も、ことごとく延期になっているので、そもそも外出する必要がない。


早稲田大学のように、いち早く授業の開始を4月末まで延期した大学もあるが、すべてが止まったような錯覚を覚えることもある。


中国では新たな感染者が日本より少なくなった。

流行のピークを過ぎたようだが、日本とは比較にならない封鎖や移動禁止の成果がようやく出始めたわけだから、日本では、今後も感染が拡大していくことだろう。


コロナウィルスの感染予防に手洗いが励行された結果、インフルエンザの罹患者も例年の半分以下に抑えられているそうだが、感染拡大が収束しなければ、20世紀のスペイン風邪のパンデミックから大恐慌、第二次世界大戦という歴史を繰り返しかねないだけに、不安が募る。


SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)の流行は局地的なものだったし、7ヶ月から8ヶ月で収束したが、COVID-19は感染者の約8割が軽症もしくは無症状のため、感染はより拡大しやすい。

終息の時期が見えないことが、より閉塞感を募らせるが、COVID-19は、WHO(世界保健機構)が2018年に警告した、まだ知られていない病原体による、対策が存在しない伝染病「疾病X」となるのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 18:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

春の気配と

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ここしばらく、長谷から由比ヶ浜に出て海辺を歩くことが多い。

長谷の収玄寺には、梅や椿が咲き乱れ、若宮大路では玉縄桜が満開になった。


鎌倉は、例年より、ひと足早い春の気配に包まれている。


季節の巡りまで、何かが来るってしまって、人間はさらに狂っていくのか。

花を見ても、不穏さが募っていくばかりだ。
posted by 城戸朱理 at 23:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月20日

鎌倉でバレンタインデー

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2月14日、バレンタインデーに歌人の武田穂佳さんが鎌倉まで遊びに来てくれた。


その前日、穂佳さんとメールで連絡を取っていたバンビことパンクな彼女が、
「たいへんだよ!
穂佳ちゃんはバレンタインデーのプレゼントのお菓子を手作りしているよ!」
!!!!!!


われわれも穂佳さんにプレゼントするチョコレートを買いに行かねばということになり、散歩がてら出かけた。

バンビは鎌倉の老舗、イル・ド・ショコラで貝型のチョコのなかに、さまざまな魚型のチョコが入っているものを、私はオープンして間もないメゾン・ド・ルルでアールグレイ風味の生チョコを選んだ。

バレンタインデーのチョコレートを買うのは、生まれて初めてである。



そして、当日。

バンビが「チョコレートに添えるカードを書いてあげて!」と言い出したのだが、何を書けばいいのか分からない。

「Happy Valentine Day!」と、バレンタインのカードを書いたのだが、これも生まれて初めてである。


待ち合わせは、13時。

武田穂佳さんは思いっきりショートカットになっていたので、一瞬、気づかなかった。

それから、海を見るために、由比ヶ浜へ。

穂佳さんは裸足になって、海に入ったり、貝を拾ったり、夕方まで海辺で過ごしたのだが、この日は干潮で、砂浜がいつもの倍以上に広がっていた。


材木座のカフェで小憩し、プレゼント交換。

お菓子作りが得意な妹さんと一緒に作ったという手作りのチョコクッキーとチョコが入った豆乳のスコーンをもらった。
posted by 城戸朱理 at 15:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月12日

執筆、打ち合わせ、試写、MA

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2月5日は「毎日新聞」夕刊の「大岡信と戦後」に掲載された私のコメントを確認してから、「岩手日報」投稿欄「日報文芸」の選評を書き始めた。

翌日、「日報文芸」選評2回分を書き上げてメールし、入選作品を宅急便で手配してから、バンビことパンクな彼女と東京へ。

外に出てみると、今年いちばんの冷え込み。北海道では氷点下20℃を下回る最低気温を記録したところもあり、積雪も凄いらしい。

鎌倉は雪こそ降ってはいないが、風が冷たい。

だが、鎌倉は東京都心部より、いつも3℃ていどは暖かいので、東京はもっと寒いのだろうと思ったら、本当にそうだった。



この日は、立川ワシントンホテルに投宿し、「幻を見るひと」京都上映の打ち合わせをした。


7日は、11時前に井上春生監督と待ち合わせ。

井上監督は、吉増剛造さんがジョナス・メカスの記憶をニューヨークにたどるドキュメンタリー映画のロケから帰国したばかりである。

11時から、プロデューサーとディレクターを兼任するバンビがナレーション原稿を読みながら、和合亮一氏が石巻を訪ねる「故郷を生きる」の試写。

終了後、井上監督と昼食を取りながら、ニューヨーク・ロケの様子を聞いた。



2月8日は、ワシントンホテルをチェックアウトして、ホテル・モントレ半蔵門にチェックイン。

ホテル・モントレは一時期、よく利用したがホテルごとにコンセプトが違って、半蔵門は写真のようにモダンな雰囲気である。


13時から半蔵門ミュージアムで、建築家の栗生明先生と打ち合わせ。

栗生先生は伊勢神宮の式年遷宮記念せんぐう館、平等院の鳳翔館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館などを手がけられてきたが、半蔵門ミュージアムも栗生先生の設計で、設計意図を語っていただく番組の企画・監修をすることになったのだ。

バンビが打ち合わせ内容を整理してから、翌日の「故郷を生きる」のMAの準備をする間、私は地下鉄で神保町古書店街へ。

パリのポンピドゥーセンターで開催された「ダダ、シュルレアリスム展」の英語版図録を求めた。



2月9日は、13時から渋谷のNITROで「故郷を生きる」のMA。

ナレーターは天使館の野口泉さんにお願いした。

NITROでは、NHKを始めとするさまざまな放送局や制作会社の方々が作業をされているが、誰もが疲れた顔をしている。

これが制作の現場かと思ったが、徹夜続きなのか、くたびれたうえにカジュアルな服の人ばかりで、私のようにスーツ姿だと異様に浮く。


13時からスタジオに入り、ディレクターのバンビがキューを出して、ナレーションを収録する過程で若干、言い回しを修整していく。



「抒情文芸」から詩の依頼があったのでお引き受けし、隙間の時間で、次の締切となるエッセイを執筆していたのだが、これは帰宅してから書き上げることになった。
posted by 城戸朱理 at 10:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月08日

鎌倉あるある???

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鎌倉では梅が咲き始めた。

寒気は厳しいが、氷点下になることはないし、今年は暖冬なのだろう。


鎌倉土産といえば、豊島屋の鳩サブレ。

最近では鎌倉駅東口の不二家で鎌倉店限定のペコちゃん焼きもあるが、鳩サブレをおびやかすほどではない。


若宮大路の本店とその向かいの洋菓子店には、鳩の顔出しパネルがあって、「いざ鎌倉」ではなくて「いま鎌倉」と書いてある。


顔を出したものの、バンビはちっちゃいので、マスクをしたままだと顔がほとんど隠れてしまうのだった。


たしかに鎌倉で暮らしていると、いつも「いま鎌倉」である。


こんなことを考えていても仕方がないので、原稿を書くことにした。
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2020年02月07日

「みらいらん」吉岡実特集打ち合わせ



2月3日に「みらいらん」を刊行している洪水企画の池田康さんが、昨年の田村隆一特集に続く吉岡実特集打ち合わせのため、鎌倉まで来てくれた。

小町通りの居酒屋、舵屋で18時に待ち合わせ、再会を祝してビールで乾杯してから、私が提案した特集企画を池田さんと検討した。

対談やインタビュー、批評とエッセイで構成されることになるが、実現すれば、私が知るかぎりでは、2011年に刊行された「ウルトラ」第14号以来の吉岡実特集となるだけに楽しみだ。


打ち合わせのあとは、お造りの盛り合わせと活イカの活造り、あぶりとりレバーなどをもらって歓談。

ここのところ、打ち合わせが続いている。
posted by 城戸朱理 at 08:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月05日

鶴岡八幡宮にお詣り

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1月30日は、まず締切が近い原稿を一本書き上げ、和合亮一氏をナビゲーターに迎え、石巻で撮影した「故郷を生きる」のナレーシュン原稿をチェックした。


それから、バンビことパンクな彼女と、あれこれの振り込みのため駅前の銀行へ。

この日の所用を終えて、天気が良かったので鶴岡八幡宮にお詣りすることにした。


境内を歩いているとき、ふと思い出したのが、ピエール・ロチ、そしてラフカディオ・ハーンの鎌倉への旅行記のこと。

明治も初めのころの鎌倉は、朽ちかけた寺社があるだけの寒村で、ラフカディオ・ハーンは「わびしい田んぼの中の、朽ちかけた寺ーー供え物も拝む人もなく、ひっそりとそこに古い神々は住んでいる」と書いていた。


そういえば、ブラジルの前衛詩のグループ「ノイガンドレス」のメンバーであり、日本に17年暮らして、北園克衛や新国誠一を海外のコンクリート・ポエトリーの詩人たちに紹介したL.C.ヴィニョーレスも、その若き日に毎月のように鎌倉の大仏を訪れたと言っていたが、外人の目から見た鎌倉の変遷を追ってみたら、思いがけない古都の姿が浮かび上がるかも知れない。


鎌倉の大仏を詩に書いているイギリスの作家・詩人がいる。

ディズニーが映画化した「ジャングル・ブック」の作者でもあり、ノーベル文学賞を受賞しているラドヤード・キップリングがその人で、鎌倉からミャンマーの中心寺院たるシエラダゴンパゴダを臨む壮大な作品である。


ピエール・ロチにしろ、ラフカディオ・ハーン、そしてラドヤード・キップリングにしろ、それぞれの視点が違うので、浮かび上がる鎌倉の姿も、まるで違うものになっているのが興味深い。
posted by 城戸朱理 at 13:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月04日

「甕星」舞踏特集打ち合わせ

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1月28日は寒気が厳しい一日だったが、「甕星(みかぼし)」舞踏特集の打ち合わせのために、編集主幹の平井倫行、編集の菊井崇史両氏が鎌倉まで来てくれた。

午後2時に北鎌倉の侘助で待ち合わせたので、私は資料として土方巽の没後に刊行された「アスベスト館通信」全巻を持参。

小津安二郎邸の床材で作ったテーブル席で、特集の方向性や執筆陣について検討する。


大野慶人さんが亡くなられたので、追悼の原稿はぜひ入れなければならないが、今や伝説となった草創期のことだけに囚われずに、舞踏の現在に光を当てる特集にしたいという平井さん、菊井さんの想いに賛同する。

バンビことパンクな彼女も私以上に舞踏を見ては、ステージ写真も撮っているので、バンビの写真も舞踏手とダンサーの許可を得たら、掲載されることになるだろう。



打ち合わせを終えて、鎌倉のビストロ・オランジュに席を移す。

写真家の今道子さんが合流してくれた。

平井さんは「図書新聞」の連載「刺青の森」で今道子さんの個展について書いた批評の掲載を待っているところだったし、菊井さんは、今さんの作品も展示される足利美術館の企画に携わっており、今さんの制作について、いろいろお尋ねしていた。

ちなみに、四谷シモンさんの肖像を今さんが澁澤龍彦邸で撮影したとき、アシスタントをつとめたのは、バンビである。


ビストロ・オランジュでは、スパークリングワインで乾杯してから、前菜の盛り合わせに鶏レバーのムース、キッシュやフォアグラ入りオムレツに鴨もも肉のコンフィを頼んだのだが、この日は寒気が厳しかったためか、珍しく空いていて、貸切状態だった。
posted by 城戸朱理 at 12:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

銭洗弁天へ

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1月27日のこと、バンビことパンクな彼女が「今日は巳の日だから、銭洗弁天に行かなくちゃ!」と言うので、佐助にある銭洗弁天まで歩いた。


トンネルを抜けると、そこは境内で、雰囲気も一変する。

奥宮の銭洗井水でお金を洗うと、何倍にもなって返ってくるといわれ、いつもお金を洗う人が絶えない。

田村隆一さんも銭洗弁天の功徳(?)をエッセイに書かれているが、新婚当時の吉増剛造さんもマリリアさんと一緒に毎月、お詣りに来ていたのだとか。

清水が湧き、岩壁から小さな滝が落ちる境内は、京都の貴船神社にも似た冷涼たる気をたたえ、神域の気配が立ちこめる。


正しくは銭洗弁天宇賀福神社。

祭神は本宮が市杵島姫命で、奥宮が宇賀神(弁財天)。源頼朝が霊夢を見て宇賀神を祀ったのが始まりと伝えられている。


私もバンビも一万円札を洗ったが、鎌倉のお店では濡れたお札を当たり前のように受け取ってくれる。

バンビは木のお札をいただいていたが、京都は祇園のサンボアで、女将さんが毎年、銭洗弁天にお詣りしていたが、去年は行けなかったので気になっているとおっしゃっていたので、女将さんに送るのだという。


お詣りしたあとは、民芸を扱うもやい工藝を覗いてから、小町通りに出た。
posted by 城戸朱理 at 11:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする