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城戸朱理のブログ: 日記

2017年11月24日

BUTOUプロジェクト@神楽坂セッションハウス

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神楽坂の赤城神社では、福井物産展「越前・若狭まつり」をやっていた。

覗いてみたのだが、越前蟹やのどぐろの一夜干しなど酒肴になるものに惹かれても、買うわけにはいかない。



これから、「舞踏」を見るのだから。


会場は、神楽坂セッションハウス。

ダンスブリッジ・インターナショナル2017「BUTOUプロジェクト」は、三組の出演者によって、18日と19日に開催された。


バンビことパンクな彼女は、すでに18日のゲネプロを撮影し、夜の公演も見ていたが、私は19日の13時の公演を見るつもりが、時間を間違え、結局、17時からの公演を見ることになった。

おかげで、仙台から、この公演のために上京した富田真人氏にも会えたし、それで良かったのかも知れない。


13時の公演を見た遠藤朋之氏と蕎麦屋で飲みつつ、開演時間を待つ。


夜の公演には、笠井叡さん、久子さんを始めとする笠井家のみなさんも見えられた。



BUTOUプロジェクトのプログラムは、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)+定方まことによるCORVUSの「血と雪」、奥山ばらば「カバネダタリ」、そして工藤丈輝による「荒漠器〜かくも人間的な廃墟」。



笠井叡の天使館のメンバーであるCORVUSのふたりに、麿赤兒の大駱駝艦の艦員だった奥山ばらば、そして、土方巽が創設したアスベスト館で舞踏手であるとともに振付けも手がけた工藤丈輝と、
舞踏を担ってきた伝説的存在のもとで学んだ第二世代の舞踏家を集めることで、舞踏の現在を開示する企画と言えるだろう。


公演時間は、1時間40分。これが異様に濃密な時間だった。


CORVUSmは、舞踏概念にとらわれないオイリュトミーで作られた肉体で、言語と格闘するような「血と雪」を踊り、
奥山ばらばは、関節を感じさせないなめらかな動きで、30分もの間、重力に抗い続けた。


工藤丈輝は、白塗りならぬ黒塗りで、爬虫類から獣へ、そして人間への生成を踊ったが、子供が見たら泣き出しかねない異形の恐怖、これは詩友、広瀬大志くんに見てもらいたかったところである。



今や、「舞踏」も、創草期とは違って、規定しがたいものになっている。


日本発の前衛的身体表現として、世界に知られるようになった「BUTOU」は、新たなステージを迎えたというべきなのだろう。


それは踊りとしての様式化をつねに脱ぎ捨てていくことであり、言語と身体の関わりに根差した問題なのではないだろうか。


ラディカルな問いを突きつける公演だった。
posted by 城戸朱理 at 15:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

再び、古書店巡り

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昼食を終えると、寺町を散策、四条から下って、三密堂を始めとする古書店を覗いた。


京都の古書店だと、当たり前のように江戸時代の和本が積まれているが、これは、関東大震災、東京大空襲を経験し、本もまた消われた東京では見られない眺めだろう。


バンビことパンクな彼女が、江戸後期のぼろぼろになった和本を買っていたが、読みたかったわけではなく、オブジェとして惹かれたらしい。


古本エッセイでも知られる画家の林哲夫さんも、絵のモティーフとして古書を買われることがあると語っていたが、オブジェとしての本というのも魅力的なテーマだ。


私は、文庫本など11冊を購入。



さらに、古家具や古道具を扱う「CRAFT CANDY JOY」を見てから、ホテルに戻った。
posted by 城戸朱理 at 08:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

錦市場へ

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11日は「幻を見るひと」の取材対応のための予備日で、朝日新聞の問い合わせに答えた。


とりあえず、仕事は終わったので、バンビことパンクな彼女と出かけたのは錦市場である。


錦小路手前の八百屋では、カボチャに顔が描かれていたが、バンビによると、日々、増殖しているそうだ。


今回の京都は、中国や韓国からの旅客が少なかったが、かわりに欧米からの観光客が異様に多かった。

錦市場も、山手線の通勤ラッシュのような混み具合で、歩くのもままならない。


自宅用の食材の買い物は明日にすることにして、冨美屋でうどんすきなどを手配し、有次で雪平鍋を買って、脱出した。



どこかで昼食を取ろうと思ったのだが、どの店も満席。

新京極のスタンドも覗いてみたが、やはり、満席だった。



紅葉のピークとなる11月23日前後は、さらに混むのだろう。
posted by 城戸朱理 at 08:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

「幻を見るひと」特別先行試写

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映画というものは、完成すると、まず関係者だけの初号試写を行うのだが、「幻を見るひと」は、
まだ初号試写さえしていない状態で、京都での特別先行試写の日を迎えることになった。

つまり、出演者である吉増剛造さんも、全編を見るのは初めてという、異例の試写である。


午後5時に会場入りすると、すでに吉増さんは、ステージに銅板や「怪物君」を広げ、セッティングの最中だった。

同志社大学の課外プログラムのディレクター、西原多朱さんと打ち合わせを済ませ、バンビことパンクな彼女は、記録撮影の準備に入る。



同志社大学、寒梅館は煉瓦造りの素晴らしい建物で、会場のハーディホールは、850席。

大ホールだけに満員というわけにはいかないが、それなりに客席も埋まり、静かな熱気を帯び始める。



「幻を見るひと」の試写は、予定通り6時半から始まった。

ドキュメンタリー映画としては異例の2時間近い長尺にもかかわらず、観客はスクリーンに集中し、終わると拍手が起こる。

井上春生監督の母校での試写だけに、井上監督が来られなかったのが残念だ。



吉増さんも興奮気味で、目隠しして「怪物君」にインクを垂らすパフォーマンスに臨まれた。

前夜に、西原多朱さんからバンビに問い合わせがあり、バンビは5m×5mの養生をすれば大丈夫と返信したのだが、
吉増さんは目隠ししているだけに、インクは見事に養生をはみ出してしまったが、何事も予定調和のうちに終わらないのが「怪物君」の「怪物」たる由縁だろう。


パフォーマンスのあとは、私も壇上に呼ばれ、西原さんの司会でトーク。


トーク終了後も熱心な観客が吉増さんの回りに集まり、交流が続いた。



私は「朝日新聞」の取材に対応し、園田恵子さんや岡本啓さんに挨拶。

石田瑞穂くんやバンビから話を聞いていたので、私は、岡本さんのことを旧知の詩人のように思っていたのだが、実はお会いするのは初めてである。

今年、第一詩集『耳の生存』を上梓した菊石朋さんも、大阪から来てくれた。



9時に撤収し、打ち上げは、隠れ家のような吉田屋料理店で。


翌日、吉増さんは明け方まで眠れなかったとおっしゃっていたが、興奮を抱えたまま、夜は更けていく。
posted by 城戸朱理 at 10:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

京都国立博物館120周年記念「国宝」展

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糸屋ホテルに荷物を置いて、バンビことパンクな彼女と、まず向かったのは京都国立博物館である。


開催中の開館120周年記念展「国宝」は、誰もが目にしたことのある名品が並ぶだけに、連日、入場が30分〜1時間待ちという混雑ぶりが伝えられていたが、雨の平日の夕方ならば入れるのではないかというバンビの作戦が成功し、待たずに入場することが出来た。


書も絵画も彫刻も、陶芸も漆芸も金工も、人巧が天巧に達したような作品ばかりで、空海の書や雪舟、等泊の絵の前にたたずみ、油滴天目や井戸茶碗を覗き込んでは、神経がざわざわするかのような時を過ごす。


私が興奮して、喜左衛門井戸茶碗を覗き込んでいたときのこと。

若いカップルがやって来て、女性が感想を漏らした。



「間違って、捨てちゃいそう」



私は思わず吹き出したが、カップルはまったく興味がなかったようで、すぐに立ち去ってしまった。

彼女の感想も間違っているわけではない。


茶美というものは、その美しさが表面化するものではないが、「侘び」や「寂び」といった美意識は、それだけに、曰く言い難いものなのだろう。


茶碗では、ほかに志野茶碗、銘「卯の花墻」があったが、こちらも数少ない国焼き茶碗の国宝とはいえ、やはり、単純に美しいと言えるものではない。


一方、縄文時代の土偶の造型は、ピカソの作と言われてもうなずけるようなモダンなフォルムで、目を見張った。

アンドレ・ブルトンが、この土偶を見たら、感嘆したのではないだろうか。



館内は、かなりの混雑だったが、長蛇の列の列が出来ていたのは、志賀島で発見された金印である。

掌に乗るような小さな金印を、誰もが食い入るように見つめ、列が動かない。

やはり、教科書に載っているような作品は、自分の目で見てみたいという欲求が生じるのだろう。


「漢委奴國王」と刻まれた金印は、福岡市博物館で、じっくり見たことがあるので、私は並ばなかったが、ミュージアム・ショップでは、金印のレプリカも売っていた。

職人の手作りで、24金張りという無駄に真面目な作りが面白い。

例によって、パンクなバンビにそそのかされ、買ってしまったが、友人の手紙にペタペタ押しまくろう、「漢委奴國王」。


閉館時間になったので外に出たら、すでに日は暮れ、遠くライトアップされた京都タワーが見えた。
posted by 城戸朱理 at 13:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

京都へ





11月7日(火)は、まず「岩手日報」投稿欄の入選作を選び、2回分の選評を執筆、メールした。


入選作品を宅急便で手配してから、髪を切りに行こうと思ったのだが、行きつけのユアーズは定休日。

とりあえず、東急ストア内のイレブンカットでカット&シャンプーをしてもらって、帰宅し、夕食の準備を始める。


わが家では、手の空いているほうが料理をするのだが、この何年かは、圧倒的にバンビことパンクな彼女が食事の準備をすることが多かった。

最近は、私が料理をする日も増えてきたので、それだけ余裕が出来たことになる。


昨夜は、ステーキを焼いた。

山形牛A5等級の肉を見て、バンビは「んふ! 楽しみだなあ!」と興奮していたが、今日のメニューは秋鮭のムニエルである。


キャベツ半玉とベーコンの塊をことこと煮込むかたわらで、鮭に塩・胡椒して小麦粉を軽くまぶしてバターで焼き、さらに、ほうれん草のバター炒めを仕上げる。

焼鳥も買ってあげたので、バンビは御機嫌だった。



11月8日(水)は、起床して、トランクに荷物をパッキング。

パッキングも慣れたもので、今や海外でも、30分もかからないし、国内旅行なら10分で終わるようになった。


バンビはカメラやPCなどの機材があるから、私より大変だが、旅行用のチェックリストを作ってあるで、効率よく進めている。


12時17分、品川駅発の新幹線で一路、京都へ。

この何年か、京都に行くことが増え、ひと月以上を京都で過ごす年が続いたが、今年は2回目だけに楽しみだ。


今回は、同志社大学での吉増剛造「幻を見るひと」特別先行試写に立ち会うための京都行きである。
posted by 城戸朱理 at 21:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

鎌倉の秋

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11月5日(日)。


バンビことパンクな彼女と、久しぶりに散歩に出かけることにした。

民家の軒先に、柚子やレモン、蜜柑がたわわに実っていたり、柿の実が、野鳥に啄まれるのを待つように熟している。

鎌倉の紅葉は、まだ始まったばかりだが、思いのほか、さまざまな花が咲いていた。


バンビは久しぶりにCONTAXの一眼レフを持ち出している。

デジタルではなく、フィルムを試すつもりらしい。

私もLEICA X2ではなく、フィルムを使うことにした。


長谷を抜けて、由比ヶ浜から材木座海岸まで歩き、浜辺に打ち寄せられた漂流物を撮影する。


それから、若宮大路に出て鎌倉駅前へ。


戦前は国宝の指定を受けていた若宮大路の一の鳥井は、江戸時代、寛文8年(1668)に
再興されたものだが、関東大震災で崩落し、修復されたので、そのときの亀裂を確認できる。

大路の生垣は、ドングリをたくさん付けていた。


撮影が終わったフィルムを現像に出し、買い物をしてから、小町通りの舵屋で、熱燗を飲んだのだが、海風に吹かれたあとは、頬が火照る。
posted by 城戸朱理 at 07:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

島崎藤村『夜明け前』の前まで



11月4日(土)は、鎌倉ペンクラブ、早見芸術学園共催の秋の連続講座の第一回目で、私が講演した。


題して、「島崎藤村 禁断の愛を超えて」。


この演題は、藤村と姪との、いわゆる「新生事件」を踏まえたものだが、その結果として藤村はフランスに外遊することになる。

この西欧体験が、逆に藤村に自らの家と血、そして故郷を意識させることになり、あの叙事詩的な大作『夜明け前』を書かせたのではないだろうか。


講演のために、この半月ほど、藤村の著作を読み返していたのだが、レジュメを作って、講演に臨んだ。



まずは、詩人、藤村の誕生から語り起こし、小説家としての出発となった『破戒』の意義を語り、「新生事件」とフランス渡航まで語ったところで、時間切れ。

やはり、駆け足とはいえ、一時間半で、藤村の全体像を語るのは無理だったようだ。


だが、講演自体は好評だったので、次回に期するしかない。

私としては、藤村を読み直したおかげで、日本の近代を再考することになったのは収穫だった。



終了後は、文芸評論家の新保祐司さん、事務局の石川洋一さん、そして、倉和男さんといった鎌倉ペンクラブの重鎮と、昼から開いている仕立屋で打ち上げ。

さらに、北鎌倉の侘助に席を移し、飲みつつ、語り合う。

ご両親の介護を通して、認知症と向き合ってきた倉さんは、思うところがあるらしい。



倉さん「自分も認知症になるんじゃないかと怖いんですよ」

石川さん「恋愛をしていれば認知症にはなりません。
愛です、愛」

私「認知症同士の恋愛もあるんじゃないですか。
相手が誰か分からなくなったりして」



ガーデニングの名手で、『北鎌倉のお庭の台所』の著者でもある画家、藤田みどりさんが、男たちの会話に呆れていた。




しかも、この会話をバンビことパンクな彼女がツイッターのDMで、藤沢周氏に逐一、報告し、藤沢さんは爆笑していたらしい。
posted by 城戸朱理 at 08:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

怒涛の3日間



ペルセパッサ・オイリュトミー団の公演を見に行った翌々日から、またもや怒涛の日々が続いた。


27日(金)は、バンビことパンクな彼女と夕方に待ち合わせて、武蔵小杉経由、南部線で立川へ。

鰻の串焼き専門店、うなくしで夕食がてら飲み、9時に天使館の定方まこと、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)両氏と焼肉・暖家で待ち合わせた。

ベルセパッハ・オイリュトミー団公演の打ち上げに乾杯するも、これから仙台公演、さらにふたりのユニット、CORVUSの公演も控えているので、すべては現在進行形である。


ワシントンホテルにチェックインしたのは、11時すぎだった。


翌、28日(土)は、ホテルをチェックアウトしてから、井上春生監督と立川駅で待ち合わせ、午前10時から、柳美里さんが三陸鉄道北リアス線に乗って、久慈を訪ねる番組の試写。

担当の平島進史、西森基文、松浦梓さんと意見交換をして、さらに、オックスフォード大学の博士課程に在籍しているアメリカの作家、
ナタリア・ドーンをイギリスから招いて、12月に撮影する番組のコンセプトを確認し、具体的な内容を打ち合わせる。

ナタリアと初めて会ったのはニューヨーク、前回の撮影はハワイだったので、日本で会うのは初めてだけに楽しみだ。


打ち合わせ終了後は、井上監督と昼食を取りながら、「幻を見るひと」の今後の展開を打ち合わせた。


それから、私とバンビは、町田に向かう。


雨のなか、在庫200万冊を誇る古書店、高原書店にたどり着いたのは、3時半。

和光大の遠藤朋之准教授はすでに到着していた。

3人で思い思いに本を物色し、戦利品を抱えて、6時に柿島屋へ。

広瀬大志、高貝弘也くん、遅れて田野倉康一くんも合流した。

今回は、馬刺と桜鍋で飲みながら、いちばん最近、古本屋で買った本を持参して披露するという飲み会である。

この会については、別にアップしよう。


そして、29日(日)。

台風22号が日本列島に上陸、鎌倉も豪雨に見舞われた。

バンビは、午前中、依頼された和文英訳に専念。

午後になって、雨のなか、旧友の作曲家・ヴァイオリニスト、ツルノリヒロさんのコンサートに立ち会うべく、タクシーで鶴岡八幡宮先の歐林堂に向かった。

今回は、ツルさん率いるアコースティック・カフェによるコンサートで、AYAKO(チェロ)、西本梨絵(ピアノ)と、2012年に、ソウルで聞いたときと同じ、ベストメンバー。

アコースティック・カフェは、韓国のミュージック・シーンで、ニューエイジ部門の1位を長年、独走しており、韓国でのツアーでは、数千人のホールが満員になる。

その演奏を、歐林堂のアールデコ調のサロンで、目の前で聴けるのだから、韓国のファンにしたら、夢のような催しだろう。


コンサートは、ツルさんのオリジナルだけでなく、プッチーニやラヴェル、エリック・サティといったクラシックから、アストル・ピアソラのタンゴまで、素晴らしい演目で、至上のひとときだった。


コンサートのあとは御成通りのビストロ・オランジュで打ち上げ。

自家製のフォアグラ入りパテ・ド・カンパーニュや鶏レバーのムース、藤沢産生ハムなどのシャルキュトリー、
野菜4種の盛り合わせ、ストゥブ料理で羊肉の煮込み、さらに高座豚のローストというコース料理は、みんなに好評だった。

しかも飲み放題で、ひとり4000円は格安だろう。


ツルさんたちに別れを告げ、帰宅したのだが、あわただしくも濃密な3日間だった。
posted by 城戸朱理 at 09:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

ペルセパッサ・オイリュトミー団「轟 GO! ROLL OVER BEETHOVEN! 」へ



10月25日は、笠井叡率いる天使館の第二期オイリュトミーシューレを卒業し、
さらにフォルトクラスを修了したメンバーを中心とするペルセパッサ・オイリュトミー団の公演を見に行った。

笠井叡と麿赤兒の歴史的競演となった2012年の「ハヤサスラヒメ」で踊った笠井禮示、寺崎礁、定方まこと、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)の4人が揃うのも久しぶりである。


開演は7時半からだったので、バンビことパンクな彼女と湘南新宿ラインで新宿まで出て、ISETANを覗き、
早めの夕食を取ってから、会場となる西国分寺のいずみホールに向かうことにした。


ISETANで来年の手帳を選び、食事は天ぷら新宿つな八総本店で。


いずみホールには、開演の30分前に到着した。


ロックンロールの創始者、チャック・ベリーの名曲のタイトルを借りた、今回の「轟! ロール・オーバー・ベートーヴェン!」は、
ピアノソナタ第14番「月光」第3楽章や自作主題による32の変奏曲など、ベートーヴェンの楽曲を、身体によって可視化する試みで、
足の運びを多様な線で表すオイリュトミーフォルムをベルセパッサ・オイリュトミー団のメンバーがそれぞれ担当、圧巻の群舞が繰り広げられた。

上田早智子によるピアノ演奏も素晴らしかったが、激しい動きが続く演目が多く、
寺崎礁さんによると「一日一公演で限界、ゲネプロも出来ない」というほど激しいものなのが、見ているだけでも伝わってくる。


公演後は、みなさん、かなり消耗した様子だったが、私が真似をしたら、1、2分で死んでしまうだろう。

チャック・ベリーの「ロール・オーバー・ベートーヴェン」を公演タイトルに提案したのは、笠井禮示さんだそうだ。


終演後、笠井叡さん、久子さんにご挨拶して、横浜能楽堂で初演された「左右左」のニューヨーク公演の様子をうかがった。


日付がかわる前に帰宅できたが、冷たい雨が降り続けている。
posted by 城戸朱理 at 12:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

富岡幸一郎『鎌倉文士とカマクラ』(銀の鈴社)刊行記念講演会へ

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鎌倉に帰って、翌日は宅急便で手配したトランクを開き、衣類の洗濯や靴の整理で終わった。

毎年出版文化賞の推薦依頼は岩手に立つ前に届いていたが、帰宅してみると読売文学賞と「週刊文春」の「このミステリーがすごい!」の推薦依頼が届いていて、今年も残すところ、あとわずかという思いを強くする。

「ビーグル」と「鎌倉ペンクラブ会報」から原稿依頼があったので、受諾。

「ビーグル」は藤冨保男さんの追悼特集の原稿となるので、力が入る。


台風21号が列島に接近するなか、21日(土)には富岡幸一郎さんが新刊『鎌倉文士とカマクラ』(銀の鈴社)の刊行を記念して、鎌倉文士についての講演をされるというので、バンビことパンクな彼女とお邪魔することにした。

この講演会は鎌倉の文化を探る「かまくら学府」の一環として開催されたもので、会場は、鎌倉市役所向かいの商工会議所。

私とバンビは、御成通りの太陽堂でラーメンを食べてから、会場に向かった。


鎌倉に文士が集い始めたのは、昭和の初めのこと。

大正12年に死者・行方不明14万2千人超という甚大な被害をもたらした関東大震災が起こり、昭和初年には世界恐慌、昭和6年には満州事変が始まり、
日中戦争へと至る不穏な時代を背景に、小林秀雄、林房雄、川端康成、島木健作、今日出海、里見クといった文学者たちが鎌倉に集うことになる。

富岡さんの講演は、「鎌倉を引き上げたのは一生の誤りであった」と語った翌年に自殺した芥川龍之介から始まって、

戦前の共産党弾圧が文学にもたらした意味を小林秀雄に探り、鎌倉文士によって創刊された「文學界」の文学史的意味を読み解くところから始まった。


私の顔を見るなり、「本人を前にするとやりにくいな」と富岡さんが言っていたが、『鎌倉文士とカマクラ』の第3章『現代文学と「鎌倉」の魅力』には、
2012年に鎌倉在住の文学者、藤沢周、柳美里、大道珠貴さんら芥川賞作家3人と私の4人を取り上げた鎌倉文学館、春の特別展「カマクラから創る」を枕に、
藤沢周『キルリアン』、大道珠貴『しょっぱいドライブ』、そして私の『漂流物』と、鎌倉に材を取った作品が論じられていたのである。

講演でも、富岡さんは『漂流物』について語ってくれたが、著者としては、質問があると答えなくてはならない。


客席で富岡さんのお話を聞くつもりが、なかば出席者のようになってしまった。


打ち上げは、鎌倉駅ビル2階の風凛で。


夜になって雨風が強くなってきたが、未明のころの強風は、目が覚めるほどだった。
posted by 城戸朱理 at 11:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

「花森安治の仕事」展@岩手県立美術館から打ち合わせへ

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ロケの最中に、岩手大学・宮澤賢治センターの木村直弘教授から来年の宮澤賢治フォーラムでの鼎談への出席依頼があり、盛岡で打ち合わせをすることになった。

ロケのあと、盛岡に延泊することにしたのは、そのためだが、打ち合わせは13日(金)の夜。

日中は空いているので、バンビことパンクな彼女の提案で、昼食のあと、岩手県立美術館で開催されている「花森安治の仕事」展を見に行くことにした。

花森安治と言えば、一切、広告を取らず、一時は100万部もの売上を誇った「暮しの手帖」の編集長。

自ら表紙の絵を描き、写真を撮り、記事も書いたが、そこには生活から生まれた確かな思想というものがある。

いい展覧会だった。


午後6時にグランドホテル・アネックスのロビーで木村先生と待ち合わせ、昼に行った吉浜食堂へ。

来年は宮澤賢治が岩手高等農林を卒業して100周年。

フォーラムは、それを記念するものだが、内容はこれから考えることになる。


三陸の海の幸で飲みつつ、宮澤賢治のことや賢治の母校でもある岩手大学の現状などをうかがった。
posted by 城戸朱理 at 11:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マリオスの展望室から盛岡市街を望む

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昼食のあと、クルーはロケバスで東京へ。

私とバンビことパンクな彼女は、別件で盛岡に泊まることに。


柳美里さんを盛岡駅まで送ってから、まずは西口の法務局に書類の申請に行った。

市役所にも行かなければならなかったのだが、幸いにも西口の市民文化ホールを含むインテリジェント・ビル、マリオスに、市役所のサービスセンターがあったので、所用をすべて済ますことが出来た。


マリオスに入るのは初めてだが、バンビが展望室に行ってみたいというので、エレベーターで20階へ。


360度の展望室は、素晴らしかった。


遠く姫神山や岩手山が見える。


グランドホテル・アネックスまで歩いて戻ったのだが、駅前の開運橋からも岩手山を望むことが出来た。


この眺めは、私が愛するもののひとつである。
posted by 城戸朱理 at 11:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

久慈の小袖海女センターで

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いよいよ「あまちゃん」の舞台となった久慈に到着。


久慈駅からロケバスに乗って、小袖海女センターに向かう。


鎌倉は27℃もあるらしいが、久慈は14℃。

雨が冷たい。


そんな気候のなか、素潜りで次々とウニを獲ってくれた海女さんは、左から海女歴30年以上というベテランのお二人、新井田いそ子さん、欠畑美也子さん、そして若い前田比奈さんの3人。

前田さんは「あまちゃん」を見て海女に憧れ、千葉から久慈に来たそうだ。


実演のあとは、海女さんたちにお風呂で温まってもらってから、炭火で帆立やウニを焼いてもらう。


帆立の加減を見ながら「じぇじぇ!」と欠畑さん。

「ホントにじぇじぇって言ってる!」と柳美里さんが喜ぶ場面も。


最後に海女センターの2階で、柳さんに今回の旅につてのコメントを語ってもらったのだが、
撮影を終えて、下に降りてみると、バンビことパンクな彼女が海女さんたちと仲良く語り合っているではないか!

しかも林檎に柿、コーヒーまで御馳走になっている。

このまま残って海女になれと勧誘されていたらしい。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?


ともあれ、こうしてロケは無事に終わったのだった。
posted by 城戸朱理 at 14:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三陸鉄道北リアス線でカルボナード島越駅へ

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10月11日(水)は、8時半にホテルを出発し、三陸鉄道宮古駅に向かう。

2013年のNHKの朝ドラ「あまちゃん」で全国的に知られるようになった三陸鉄道は、東日本大震災で甚大な被害を被りつつも、震災のわずか5日後に久慈〜陸中野田間で運転を再開し、被災者を力づけるとともに、復興の狼煙となった。


宮古駅で中村一郎社長にご挨拶し、柳美里さんと中村社長の会話を北リアス線の車中で撮影する。


そして、島越駅で下車。

島越駅は震災で、高架と駅舎が全壊したが、カルボナード島越駅として再建された。

「カルボナード」は、宮澤賢治「グスコーブドリの伝記」に登場する火山の名前である。

真新しい駅舎には、島越駅がある田野畑村の星空の美しさに魅せられ小説「星への旅」を書いた作家、吉村昭さんの著作が並ぶ吉村昭文庫があった。


中村社長に震災遺構を案内してもらったのだが、鉄筋コンクリートの階段まで破壊する津波のエネルギーは想像を絶するものがある。

奇跡的に残った宮澤賢治の詩碑も端が壊れていた。
posted by 城戸朱理 at 14:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

宮古の浄土ヶ浜

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午後2時に宮古の浄土ヶ浜へ。

柳美里さんもバンビことパンクな彼女も、海水浴場と言いながら、三陸のリアス式海岸ならではの巨岩が並ぶ様子に驚いている。


私にとって、浄土ヶ浜は、まだ泳げなかった幼少期に両親に連れられて、海水浴に来たところだけに、このうえなく懐かしいところでもある。


岩手日報の一戸香織さんが、柳さんの写真を取り、取材する間、撮影クルーは、その様子を撮影。


帰社する香織さんをみんなで見送ってから、ホテルにチェックインした。
posted by 城戸朱理 at 16:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩泉町、小本漁港

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透明度が高い地底湖で知られる龍泉洞があるのが、岩泉町。

岩泉は、本州でもっとも面積が広い町で、東京から横浜ほどの面積を誇るが、そのあらかたは山林で、人口は一万人を切っている。


東日本大震災の大津波で死者7人、倒壊家屋200棟という甚大な被害を受けたが、さらに昨年の台風10号の直撃で、死者20人、行方不明1人と被害が集中した。


当初は、午後に撮影する予定だったのだが、天気予報をにらみながら井上監督が小本漁港の撮影を前倒しにして、まずは柳美里さんに漁船に乗ってもらい、海から岩泉町を見てから、昼食のあと、地元の方に小本の被災地を案内してもらうことになった。


昭和初期には製材所がたくさんあり、銀行や映画館、旅館が建ち並んでいたという小本も、今や、コンクリートの巨大な防潮堤ばかりが目につくのが、かなしい。
posted by 城戸朱理 at 16:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩洞湖へ

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10月10日(火)。

8時20分にロケバスで出発した。

目的地は、三陸海岸、岩泉町の小本漁港で、3時間弱の旅である。

途中、北海道を含めて日本列島で真冬の最低気温がもっとも低くなるという寒川の岩洞湖で小憩。


湖畔には、白樺や楢などの広葉樹が群生し、紅葉が始まっていた。


岩洞湖は、冬には厚い氷が張り、ワカサギ釣りの旅客で賑わうという。
posted by 城戸朱理 at 10:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

荷物が多すぎる!?

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外出が続いたが、高貝弘也・広瀬大志・田野倉康一・城戸朱理による連詩も再始動した。


次は、高貝くん出題による「短歌/オマージュ」。


各連の最初の執筆者が、好きな短歌を一首選んで、そこから展開する連詩である。


ところで、私は、CS放送番組ロケに企画・監修者として立ち会うために、岩手県に行かなければならない。



井上春生監督を始めとするクルーは、車で9時間かけて岩手県の宮古へ前乗りし、9日から撮影を開始。


私とバンビことパンクな彼女は、9日に盛岡に入り、柳美里さんと合流することになった。


バンビはカメラの機材があるので、前夜にパッキングをしていたが、私は起きてから荷物をパッキング。


鎌倉とは気温差があるので衣類の選択に悩んだが、井上監督から朝夕はジャンパーが必要という連絡が入ったので、沿岸部での撮影のために防水性・防風性の高いPRADAのパーカを持ち、さらにジョルジオ・アルマーニの薄手のカシミアコートを羽織った。


旅に出る前は、いつもあわただしいが、「私たち、荷物が多すぎるのかな?」とバンビが言い出し、ここから「ローライ同盟新聞」の面白い企画が生まれたのだが、それは別にアップしよう。


半袖の人もいるなか、北国仕様のコート姿で、東京駅から新幹線に乗って14時半に盛岡に到着。


映画館通りのグランドホテル・アネックスにチェックインして、まずは機屋にコーヒーを調達しに行く。


ホテルに戻って、5時から「岩手日報」の柳美里さんの取材。 


記者は、2010年の12月に急逝された、元岩手日報学芸部長の一戸彦太郎さんの娘さん、一戸香織さんである。


柳さんがインタビューを受けている隣のテーブルで、私は連詩を書き、バンビはPCを開いて写真の整理をしていた。


そして、6時半から、近所の寿司屋、山留で、岩手日報の藤原哲前学芸部長、小山田泰裕学芸部長を交えて会食。


柳さんとバンビが、一戸彦太郎さんの思い出を語り、ひととき、故人を偲んだ。
posted by 城戸朱理 at 11:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

ブログ更新、お休みのお知らせ

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いつも、このブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。

しばらく、更新が難しい状態になるため、一週間ほど、記事の更新をお休みさせていただきます。

次の更新は、10月18日(水)を予定しておりますので、再開のおりには、またお付き合い下さいますよう、お願いいたします。


写真は「仙台弁こけし んだ巾着」。

「んだ」は仙台弁で「そうだよ」という意味(何の関係もない――)。
posted by 城戸朱理 at 16:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする