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城戸朱理のブログ: 日記

2019年11月13日

アコースティック・カフェ、コンサート@歐林洞

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11月10日、日曜日。

私が原稿を書き上げ、バンビことパンクな彼女も各種の連絡など事務仕事を終えたのは夕方のこと。

それから、ツルノリヒロさん率いるアコースティック・カフェのコンサート会場、歐林洞にタクシーで向かった。


歐林洞は、鎌倉から北鎌倉に向かう鎌倉街道沿いにある高級洋菓子店。

その2階がギャラリーサロンになっていて、コンサートが定期的に催されている。


作曲家・ヴァイオリニストのツルノリヒロさんは私にとって30年来の旧友だが、韓国でブレイクし、10年ほと前から韓国諸都市をめぐるツアーを毎年、4、5回はしている。

その経緯というのが傑作で、ツルさんが1990年にCBSソニーからリリースしたファーストアルバム「月を作った男」に収録されている「ラスト・カーニバル」が、ツルさんが知らないうちに、ある韓国のドラマの主題曲として使われ、爆発的にヒットしたらしい。

ツルさんが知らないうちに、というところが肝心なのは言うまでもない。

そんなわけで、韓国に招かれコンサートをすることになったのだが、それに先立ってラジオ局が取材で来日、ツルさんは「あなたの曲が韓国で受けたのは、なぜだと思いますか」といった質問を受けるはめに。

そもそも、自分の曲が韓国で流行っていることを知らなかったのだから、答えようがないではないか。


何はともあれ、それをきっかけにしてツルさんの韓国ツアーは本格化し、数千人が入るコンサートホールが満員となり、「ラスト・カーニバル」を演奏するとスタンディング・オベーションが起こるのは、私もソウルで目撃した。


アコースティック・カフェはツルさんのヴァイオリンに、AYAKOさんのチェロ、平沼有梨さんのピアノという編成。

ツルさんのオリジナルだけではなく、フォーレやエリック・サティ、サイモン&ガーファンクルにアストル・ピアソラのタンゴまで、ツルさん一流の編曲で、生音のコンサートを堪能した。

大ホールでしかアコースティック・カフェを聴けない韓国のファンが知ったら、羨むこと間違いなしのコンサートである。


コンサートのあとは、1階でケーキに紅茶とワインがふるまわれる。

CDを購入した人のためにサイン会もあるのだが、バンビは韓国版のCDを買って、サインをもらっていた。

世界10か国に展開する「リツコ・シラハマ」のデザイナー、白浜利司子さんを紹介され、御主人とともに打ち上げ会場のビストロ・オランジュへ。

遠来のファンの方も多く、フルコースを楽しみながらワイングラスを傾け、バンビは白浜さんと盛り上がり、なんとも楽しいパーティーだった。
posted by 城戸朱理 at 00:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

執筆と外出と



どうしたことか、先週はあわただしかった。

締切は3本だけだったから、原稿執筆が大変だったわけではない。

外出する日が多かったのと、風邪を引いたせいだろうか。


締切は「岩手日報」投稿欄の選評2回分と「現代詩手帖」年鑑の松浦寿輝『秘苑にて』の書評で、松浦さんの詩集に関しては、15枚から20枚くらいないと、きちんと語れないというのが本音である。

「岩手日報」の選評は、入選作を選んだものの税務署に来年の確定申告のための書類を提出しに行かなければならなかったので、翌日に執筆。

「現代詩手帖」の書評は、執筆途中で風邪を引いて停滞したが、幸いにも翌日には回復し、書き上げることができた。


しかし、鎌倉ペンクラブ・早見芸術学園共催の公開講座「現代作家が読み解く『万葉集』」の2回目、作家の織田百合子さんの「仙覚律師の生涯~京・鎌倉の文化交流」を聞くことができたし、10日(日)に鎌倉で開催された旧友のツルノリヒロさん率いるアコースティック・カフェのコンサートにも行くことができた。

織田百合子さんのスリリングな講演とアコースティック・カフェの典雅なコンサートに関しては、別に書くことにしたい。


結局、外出すると執筆に専念できないし、事務的な作業をしなければならなくなると、ほかのことには手がつかなくなる。

一日にできることが少なくなっていくのが、年を重ねるということなのだろうが、それだけに、自分の仕事に専念できる時間を優先していかなければならないだろう。
posted by 城戸朱理 at 19:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月31日

鎌倉ペンクラブ、秋の公開講座に備えて、その2



ラグビーW杯の観戦はスポーツバーかパブに行ってビール片手に、自国を応援する外人と一緒に騒いでいるのだが、それ以外は自宅にこもって仕事をする日が続いている。

ところが、27日の昼には沖縄の詩人、与那覇幹夫さんから、夕方には萩原朔太郎賞の授賞式を終えたばかりの和合亮一くんから電話があった。


「今、前橋駅なんですけど。
祝電、ありがとうございますぅ」と和合くん。


授賞式が終わって、すぐに福島に帰らなければならないとのこと。とは言え、何も駅から電話をくれなくてもいいのに。

そして、翌々日には、吉増剛造さんから、朔太郎賞授賞式の様子を伝える葉書が届いた。

毎日、散歩には出かけるので、電話や葉書だけが外の息吹きを伝えてくれるわけではないが、電話であれ葉書であれ、何らかの言葉が届けられると新鮮な気分になる。


幸い11月31日には公開講座のためのレジュメを書きあげることができた。

レジュメは、新元号「令和」の出典についてや、家持の年譜と作品で構成したのだが、書き終えたデータをバンビことパンクな彼女がPCで整えて原稿にしてくれた。


家持の祖父は、大納言・大伴安麻呂、父は大納言・大伴旅人。

平城京の佐保に邸を構えたため、佐保大納言家とも呼ばれ、弟に早逝した書持(ふみもち)がいる。


ところがバンビは、「やかもちの弟さんはかきもちっていうんだね!」

違う!

書持は「ふみもち」と読むんだ!

「かきもちのほうが美味しそうだよ!
さくっと、もちっと、おいしいやかもちにかきもち!」
・・・・・・

かくして、万葉の大歌人は、お餅か何かの仲間にされてしまったのである。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 19:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉ペンクラブ、秋の公開講座に備えて

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11月に入ると、鎌倉ペンクラブ・早見芸術学園共催の秋の公開講座「現代作家が読み解く『万葉集』」が開設される。

私は第一回目、11月2日の担当で、演題は「乱世の言霊〜大伴家持を中心に」。


鎌倉ペンクラブの講座では、これまで『平家物語』と島崎藤村を受け持ったが、今回の準備がいちばん大変だったかも知れない。

島崎藤村のときも、いざ話し始めたら『夜明け前』の前までで時間切れとなり、翌春に「『夜明け前』から」を追加で講演することになったが、『万葉集』、さらに大伴家持となると90分で話せるはずがない。


10月23日には鎌倉市役所のメディアセンターで記者会見を開き、今回の講師の織田百合子さん(作家)、松平盟子さん(歌人)に私が「毎日新聞」や鎌倉ケーブルテレビの取材を受けたが、その後、ラグビー・ワールドカップに気を取られながらも、『万葉集』を始めとする数十冊の資料を積み上げて、当日、会場で配るレジュメを作っていた。


大伴氏は物部氏とともに武門の家柄で、家持も最終官位は従三位中納言、鎮守府将軍、征東将軍。

歌人、大伴家持を思うと意外な感じもするが、中西進によると、上代においては、戦は言葉の戦いでもあり、征服することを「言向け」といったそうだ。


もうひとつ、家持の謎がある。

『万葉集』は全20巻、約4500首を収めるが、そのうち家持の作品は474首。

ところが、759年(天平宝字3年)を最後に、家持の作歌は途絶えている。

このとき、家持は42歳で、薨去したのが67歳と推定されるので、その後、26年は生きていたことになる。

この空白の時期に家持は和歌をいっさい詠まなかったのだろうか。



あれこれ考えながら、レジュメを書いていたら、バンビことパンクな彼女がやって来た。


「大伴家持のレジュメは、分かりやすく書いてあげてね!」

それは注意しているつもりだが。

「さくっと、もちっと、おいしいやかもち!」
!!!!!!

「んふ。やかもちって、なんだか美味しそうだね!」
・・・・・・


家持は、お菓子でもお餅でもない。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 15:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月22日

台風、洪水、避難

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千葉に甚大な被害をもたらした台風15号は、鎌倉にも少なからぬ爪痕を残した。

土砂崩れや倒木が多発、停電した地域もあり、わが家の裏山も土砂崩れによる倒木があった。

さらに空前の大型台風19号が首都圏直撃という予報を注視していたのだが、バンビことパンクな彼女と相談し、今度ばかりはホテルに避難して様子を見ることにした。


強風で飛ばされそうなものは、すべて室内に入れたり、ベランダに固定してから、荷物をまとめて避難先のホテル・ニューカマクラに向かったのは、10月12日の正午のこと。

ホテルの部屋に荷物を置き、昼食をとろうとしたのだが、営業している店がほとんどない。

かろうじて、鎌倉駅東口のあさくさ食堂が開いていたので食事を取り、コンビニで夕食のお弁当を調達して、雨足が強くなり始めるなかホテルに戻った。



ホテル・ニューカマクラは1924年(大正13年)に建てられた洋館で、かつては文人たちが、しばしば滞在したという。

大正12年8月、避暑で訪れた芥川龍之介と岡本かの子が出会い、かの子はデビュー作『鶴は病みき』を書くことになる。

一階のシャンデリアや二階のステンドグラスに、当時の面影を偲ぶことができる。

ホテル・ニューカマクラの本館はトイレやバスが共同だが、掃除が行き届き、気持ちがいい。

吉増剛造さんも鎌倉にいらっしゃるときの常宿にされているが、吉増さんお気に入りの和室にしてもらった。



夕方から風雨が凶暴さを増していったが、台風16号のほうが風雨は強かったような気がする。

避難するとき何を持ち出すかは悩むところだが、マグライトやラジオといった必携のもの以外で、バンビがトランクに詰め込んだのはカメラと写真のデータにパソコン、私は新詩集の原稿に西脇順三郎の自筆原稿など紙の束ばかり。

パスポートは持っても、銀行通帳などは失念しているのが、わが家の特徴である。


翌朝は、痛いほど眩しい青空が広がっていた。


幸い、鎌倉ではさしたる被害はなかったが、日を追うにつれ、被害の大きさに絶句することに。

111箇所もの堤防の決壊、そして100名に届きそうな死者と行方不明者・・・

浸水した家屋やインフラの復旧、農作物、畜産の被害など、激甚災害の様相を呈している。

東日本大震災以来、日本中が被災地になってしまった感があるが、この国はどうなってしまうのだろうか。



古来、「治水」は為政者の最大の課題のひとつだった。

中国の三皇五帝、神話の時代。

聖王とされる堯(ぎょう)は、わが子ではなく治水に功績があった舜(しゅん)に帝位を禅譲した。

堯の治世下で国土はよく治まり、ひとりの老人が「鼓腹撃壌」、すなわち腹鼓を打ち、大地を踏み鳴らし、太平の世を楽しむ様子が『十八史略』に語られている。

西脇順三郎の詩集『壌歌』というタイトルも、この故事に由来するものだが、今の日本に生きていると、とてもそんな気分にはならない。

その聖王、堯が治水に功があったという理由で、舜に帝位を譲ったという伝説は、大河のほとりで生まれた古代文明にとって、治水がいかに重要なものであったかを語るものだろう。

それは今日でも変わらないことを、台風19号で思い知らされた。

被災された方々の無事と、一日も早いライフラインの復旧を祈るしかない。
posted by 城戸朱理 at 13:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

ブログを再開します



気づくと昨年末を最後に、ブログを更新しないまま10か月がたってしまいました。

2005年からホテルで年間80泊から100泊を過ごす日々が続きましたが、
昨年あたりからようやく落ち着いたかと思いきや、映画「幻を見るひと」の公開に忙殺され、ブログにまで手が及ばなくなりました。

実際、東京都写真美術館での公開の数ヵ月前から、
わが家は生活をする余裕すらないという状況に陥りました。

今年になって、ようやく自分の詩に向かい合う時間も積極的に取れるようになり、
今はアメリカで刊行される私の英訳詩集と新詩集の原稿に専念していますので、
ブログを緩やかに再開し、日々のあれこれを綴っていきたいと考えています。

また、お付き合いいただけたら幸いです。
posted by 城戸朱理 at 15:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月12日

いかれバンビの誕生日???

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「幻を見るひと」の2回目となるマスコミ試写のあとは、鰻がお好きな吉増剛造さんのため、
有楽町の帝劇ビルの神田きくかわの支店で打ち上げをすることにした。

お造りから始まって、白焼き、鰻重のコースで飲んだのだが、この日はバンビことパンクな彼女の誕生日。


なんと、バンビの誕生日を覚えていた吉増さんが、バースディーケーキを用意してくれた。


「昨日、銀座松屋に買いに行ったんだけど、日持ちしないから、明朝、来て下さいって言われて、今朝、買いに行ったの」と吉増さん。

タクシーで来てくれと言ったのに、吉増さんは電車でいらっしゃったが、それは銀座でケーキを買うためだったのか!


かくして、綺麗なケーキを眺めながら、鰻で飲んだのだが、鰻とケーキは、鰻と梅干より相性が悪い気がするのは私だけだろうか?
posted by 城戸朱理 at 23:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月11日

「故郷を生きる」MAまで

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「幻を見るひと」公開の準備で忙殺されているさなか、さらに問題が起こった。

9月に、若いふたりの歌人、工藤玲音さんと武田穂佳さんに出演してもらって、
岩手県の盛岡と宮古で撮影した「故郷を生きる」が、
お母さんの入院などで久保田潤さんがディレクターを続行できなくなり、頓挫しかかったのである。


ナレーション録りをするMA(マルチ・オーディオ)と納品の期日は、すでに決まっていたので、なんとかするしかない。

久保田さんは、テレビの世界で「取材ディレクター」と呼ばれるロケ現場のみのディレクターで降板することになり、
バンビことパンクな彼女がプロデューサーのみならず、その後のディレクターを兼任することになった。

バンビがラッシュ表を作製し、私がタイムコードをにらみながらナレーション原稿を書き上げ、井上春生さんが素早く編集を仕上げてくれて、なんとか、10月21日のMAを迎えることができた。

スタジオはニトロ渋谷。

ナレーターは天使館の野口泉さんにお願いし、バンビがキュー出しをする。


ナレーションを最小限にして、工藤さん、武田さんの言葉を生かす構成にしたので、ナレーション録りは意外なほど早く終わった。

この件がなければ、もう少し余裕があったかも知れないが、映画公開の準備と番組制作が並行し、合間を縫って原稿を執筆しなければならなかったので、ブログを更新することもできなかったのだが、よく何とかなったものだと思う。
posted by 城戸朱理 at 14:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「幻を見るひと」公開まで

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東京都写真美術館での「幻を見るひと」限定7日間ロードショーが、12月2日に終わった。

公開まで多忙を極め、ブログの更新ができなかったが、今日からゆるやかに再開したい。


それにしても公開までは大変だった。

9月22日の製作委員会会議で、マスコミ試写が決まり、10月9日と15日のマスコミ試写に向けて、わが家は不夜城と化した。


配給プロデューサーのバンビことパンクな彼女は、デザイナーの井原靖章さんと連絡を取りながら、まずはマスコミ試写案内状を作製して、発送作業に入り、
続けてポスターとフライヤーの制作に入ったのだが、作業は連日、午前3時、4時まで続き、翌朝、徹夜で作業していた井原さんから版下がメールで届くのだから、
誰もが、いつ眠っているのか分からないような日々が続いた。


ポスターとフライヤーは、なんとかマスコミ試写初日に完成。

無事に試写を迎えることができた。


「幻を見るひと」は、フライヤー制作時には、16の国際映画祭に招待され、
グランプリ、最優秀監督賞を含む8つのトロフィーを獲得していたが、
マスコミ試写からロードショー期間中に、フランス、ボリビアふたつの国際映画祭の招待が決まり、
さらにフロリダで開催されたカッティング・エッジ国際映画祭、
ボリビアのシエラ国際映画祭でグランプリを受賞、
ロードショー期間中に19の国際映画祭の招待と10個のトロフィーという快挙を達成。

マスコミ試写時には、私の手元にある4つのトロフィーを持参したが、
吉増剛造さんも映画の公開がついに実現して、いささか興奮気味だった。
posted by 城戸朱理 at 13:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月13日

怒濤の日々





恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館ホールで「幻を見るひと」の公開が決まってから、怒濤の日々が始まった。

なんとか「映画芸術」のゲラは戻したものの、急遽、マスコミ試写会を催すことになり、招待状やフライヤー、ポスターの制作も急がなければならなくなったのだ。

撮影時にはアシスタント・プロデューサーとスチルを兼任したバンビことパンクな彼女が、配給プロデューサーとなり、フライヤーやポスターのデザインを井原靖章さんに頼んだ。

井原さんは、装幀を担当された吉増剛造『根源乃手/根源乃(亡露ノ)手、……』で、昨年の第51回造本装幀コンクールで経済産業大臣賞を受賞、世界最大のフランクフルト・ブックフェアにも出品されたが、ローライ同盟のメンバーである。


井原さんのデザインによるマスコミ試写会の案内状が刷りあがって、京都の印刷所から届くや否や、バンビは100件を超える送付先をPCに打ち込み、ラベルシールにプリントアウトして発送。

続けて、私がテクストを書いたフライヤーのラフを入稿し、井原さんがデザインし、次はポスター、さらにチケットと作業が続いた。


いちばん仰天したのは、フライヤー13000部が届いたときである。

ダンボール2、3個と思っていたら、厚手の紙を指定し二つ折りのデザインにしたものだから、なんとダンボール13箱。

家には、そんなスペースはないので、とりあえず倉庫に積んでもらって、その日のうちに東京都写真美術館に10000枚、10箱分を送り出した。



私は9月19日、午前中からテレコムスタッフ制作の番組の試写があったので、前日に東京入りしてワシントンホテル泊まり。

Edge立ち上げたプロデューサーである設楽実氏と立川の鰻の串焼きの「うなくし」で飲みながら、来年度の番組編成の打ち合わせをした。


翌日のテレコムスタッフの番組試写は、2本。

ともに伊藤憲ディレクターによるもので、仏師の系譜をたどる「自ら仏を彫る系譜」は、運慶に続いて、鎌倉時代の奈良の仏師、善円。

ナビゲーターは彫刻家で芸大教授の籔内佐斗司さん。

運慶、快慶ら慶派をも凌ぐ超絶技巧の善派を描く番組である。

奈良では地蔵信仰がいまだに息づいているのが面白かった。


奈良時代に東大寺の大仏造立を担った行基や「越しの大徳」泰澄から、江戸時代の円空、木喰と続いてきた「自ら仏を彫る系譜」も九作目になるが、今回で終わりとなる。

もう一本は、柳美里さんをナビゲーターに青森のイタコに取材する平田潤子ディレクターのコンテンツから始まった日本の民間信仰に焦点を当てる番組で、今回は御嶽信仰を扱ったのだが、文化人類学的にも貴重な映像となった。


昼過ぎに試写は終わり、伊藤憲ディレクターの労を労うべく、寺島高幸プロデューサーの提案で、番組の事務を担う金子麻子さんに私の総勢4人で、またもや「うなくし」へ。

この日は井上春生監督とバンビが東京都写真美術館に打ち合わせに行っていたのだが、昼から鰻の串焼きで飲んでいた私は合流せず、まっすぐ鎌倉に帰った。


2日置いて、9月22日は、またもや、京都で撮影した「H(アッシュ)ごだん宮ざわ〜宮澤政人」夏篇の試写と「幻を見るひと」製作委員会の会議。

会議が紛糾し、疲れた井上監督が「うなくし」で飲みたいというので、なんと一週間のうちで3回目の「うなくし」。


いくら鰻で飲んでも、癒されることのない疲れが、粉雪のように降り積もっていく。

バンビは、午前3時を回るまで作業を続ける日が、いまだに続いている。
posted by 城戸朱理 at 15:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月11日

こけつでつ???

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「こけちでつ!」
・・・


「こけち」はバンビ語で「こけし」のこと、「でつ」は「です」のネットスラング。

つまり「こけちでつ!」とは「こけしです!」という意味で、ときどき前髪をぱっつんと切り揃えては、生きているこけし=生(なま)こけしになって遊んでいるバンビことパンクな彼女の「こけし宣言」(?)なのである。


ところがーー


「こけつでつ」

こけつ?

「あまりに疲れて、こけちがこけつになってしまったんだよ〜」

ということは、さらに疲れると「こけて」、あげくのはてには「こけと」になってしまうのだろうか?


「こけつは虎穴と書くんだよ!」

虎穴?

「そ。虎穴に入らずんば仔鹿を得ず!」
・・・・・・

意味不明である。

虎穴に仔鹿がいるとしたら、虎はいないのだろうか?


「もちろんいるよ。
洞穴の前に虎がいて、洞穴の奥には仔鹿が鎮座しているんだよ」
???

虎が仔鹿を守ってるのだろうか?

「違うよ。
仔鹿が虎を飼っているんだよ!」
!!!!!!

どれだけ弱い虎なんだ?

それとも、バンビの世界では虎が仔鹿より弱くて小さいのだろうか?


「バンビにゃん〜こ♪」


どうやら、バンビの言う虎とは「にゃんこ」くらいのサイズらしい。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 19:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月10日

共同通信の金子直文さんの葬儀へ

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9月14日、「幻を見るひと」製作委員会の会議を終えて、鎌倉に戻った。

ロケと打ち合わせ、7泊8日の旅だったので、帰宅してからは片付けや洗濯に丸一日かかる。


ひと息ついて、次の原稿執筆に着手しようとしたところで、共同通信社文化部部長の金子直文さんの突然の訃報が。


16日は、バンビことパンクな彼女と逗子カトリック教会での金子さんの葬儀に参列した。

教会の入口には在りし日の金子さんの写真が飾られていたが、金子さんは「直文」という名前の通りに、言葉を大切にする硬骨のジャーナリストだった。

闘病されていたことは知らなかったので、突然の訃報が信じられない。

献花をして金子さんにお別れしたのだが、かなしい一日だった。


藤沢周氏も参列されていたので、逗子の居酒屋で藤沢さんと金子さんに献杯し、故人を偲んだ。
posted by 城戸朱理 at 23:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

庭木の剪定

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前日でやるべきことは、すべて終わったので、昼食のあとはタクシーで実家の様子を見に行った。

私は鍵を持っていないので、家のなかの様子は分からないが、庭木は春に植木屋さんに剪定してもらったから、公道にはみ出している枝は、それほどない。

それでも、樹が多いので庭に入ると森のなかにいるようだ。


剪定鋏を持っていったので、近所の迷惑にならないように、2時間ほど、伸び放題になっている玄関前の馬酔木やアララギ、笹などを刈り込み、庭の垂れ桜を刈り込んだりした。

パンクだけに、バンビの剪定は荒っぽくも素早い。

だが、終わってみると、意外とうまくいっていた。


だが、慣れない剪定などをしたものだから、私もバンビも筋肉痛になってしまったのが情けない。


バンビの提案で、スーパー銭湯を探し、タクシーで「ゆっこ盛岡」へ。

ここが快適で、サウナや露天風呂までついている。

おかげで、筋肉痛も和らいだ。
posted by 城戸朱理 at 09:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月05日

田老の風景撮影

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9月10日は、朝食のあと松本勇毅社長が車を出してくれ、松本さんの案内で田老の景色を撮影した。

沢尻海岸は美しかったし、下から見上げる三王岩には圧倒された。


それだけではなく、津波の爪痕が至るところに残されているのにも気づかざるをえなかった。


バンビことパンクな彼女は東日本大震災の津波で打ち寄せらたという巨岩を撮影していたが、分かっているつもりでも、これだけの巨岩を動かすとは、やはり信じがたいエネルギーというしかない。


漁協には渚亭たろう庵のための水槽がふたつあるというので、見せてもらった。

驚くのは4kgもの大平目。

アワビと比較すると大きさが分かると思うが、松本社長によると刺身にしたら、200人前になるという。

しかし、渚亭たろう庵は全13室。

満室になっても、お客さんは30人くらいだろう。

このまま、大平目は渚亭たろう庵の生け簀の主になってしまうのだろうか?
posted by 城戸朱理 at 15:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

渚亭たろう庵で

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たろう観光ホテルで津波の映像を撮影した松本勇毅社長は、新たに渚亭たろう庵をオープンした。

全13室、全室に露天風呂を完備し、三陸の絶景を望むことができる旅館である。

部屋は清潔で広く、ジャグジーまで備えられている。


午後は、この渚亭たろう庵で、松本社長と工藤玲音さん、武田穂佳さんの会話を撮影し、最後に工藤さん、武田さん、ひとりずつに震災への想いや創作との関わりを語ってもらって、この日の撮影は終了した。


盛岡に帰る工藤さん、武田さんを宮古駅まで送り、渚亭たろう庵に戻る。

なんと、この日の宿は渚亭たろう庵。

一泊3万以上する高級旅館だが、バンビことパンクなプロデューサーが松本社長とやり取りしているうちに
「ぜひ、うちに泊まって、美味しいものを食べていって」と言われて、泊めてもらうことになったのである!
posted by 城戸朱理 at 14:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮古、田老地区

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田老地区のシンボル、三王岩。

高さ約50m、石柱状の男岩に女岩と太鼓岩が寄り添う。

リアス式海岸の三陸ならではの奇景である。



田老町は2005年に宮古市と合併したが、「津波太郎」の異名を取るほど、津波被害を被ってきた。


古くは、慶長三陸津波(1611)で村が全滅したという記録が残るが、明治三陸津波(1869)でも、住宅が一軒残らず流され、住民の83%が死亡するという壊滅的な被害を受けた。

さらに昭和三陸津波(1933)でも甚大な被害を被ったため、防災の意識が高く、高台への避難路が整備され、年に一度の避難訓練を欠かすことはなかったという。


それだけではない、田老には「万里の長城」と呼ばれる防潮堤があった。

町を囲む全長2.6km、高さ10m、世界最強の防潮堤も、東日本大震災の津波を食い止めることは出来なかったのである。


宮古観光文化交流協会では、津波の恐ろしさを若い世代に伝えていくため「学ぶ防災」ガイドツアーを実施している。

9月9日は、工藤玲音さん、武田穂佳さんのふたりに「学ぶ防災」ガイドツアーに参加してもらって、その様子を撮影した。


ガイドの元田久美子さんの説明を聞きながら、防潮堤、さらには明治・昭和・平成津波の高さが記された田老漁協の製氷貯氷施設へ。

田老では新たな防潮堤が建設されており、本来ならば今年、完成する予定だったが、3年遅れることになったという。

東京オリンピック、ラグビー・ワールドカップと建設ラッシュが続くことになっただけではなく、熊本地震、西日本豪雨災害、台風被害、そして北海道大地震と、東日本大震災の被災地が復興する前に、被災地が増え続けているという元田さんの言葉が印象に残った。



「学ぶ防災」ガイドツアーの最後は、津波遺構「たろう観光ホテル」。

2階までは鉄骨だけを残して津波にさらわれ、4階まで浸水したが、その6階で、たろう観光ホテルの松本勇毅社長が撮影した、津波が防潮堤を越え、一瞬のうちに町を流し去る映像を見ることができる。


2011年3月11日、田老では巨大地震のあと、「津波は3m超」というアナウンスのあと、停電で情報が途絶した。

田老には世界中から防災学習のため、防潮堤を見学にくる人がいるので、松本社長は従業員を避難させ、ひとりホテルに残って、津波の映像を残そうとしたのだという。

しかし、津波は10mの防潮堤を越え、たろう観光ホテルの壁も突き破った。


津波の映像を見た工藤さん、武田さんも言葉を失っていた。
posted by 城戸朱理 at 13:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月04日

宮古、浄土が浜へ

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盛岡からタクシーで、約2時間半。

浄土が浜パークホテルに到着した。

チェックインを済まし、部屋に荷物を置いて、夕暮れ前に浄土が浜に降りる。


ここではインタビューなどは撮らず、工藤玲音さんと武田穂佳さんが、海辺で思い思いに波と戯れるイメージカットを撮影した。


浄土が浜パークホテルは、三陸きっての高級ホテル。

夕食はバイキングなのだが、職人が目の前で寿司を握ってくれたり、穴子の天ぷらを揚げたり、白金豚のソテーを焼いてくれる。

佐助豚や茸野菜を好みで取る陶板焼きや、ウニの茶碗蒸し、岩手短角牛のビーフシチュー、うに飯、多彩なデザートなど、和洋のメニューを取り揃え、実に楽しい。
posted by 城戸朱理 at 12:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月03日

喫茶ふかくさで

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9月8日は、9時すぎから撮影が始まった。

今回、出演してもらうのは、若い歌人がふたり、工藤玲音さんと武田穂佳さん。

ふたりとも短歌甲子園で優勝した経験を持ち、武田穂佳さんは大学一年で、寺山修司の最年少記録を更新して、短歌研究新人賞を受賞。

工藤玲音さんは、短歌のみならず、エッセイにも健筆を振るい、『わたしを空腹にしないほうがいい』が文庫化されたばかりである。


撮影は、中津川ぞいの喫茶ふかくさで。

工藤さん、武田さんに、なぜ短歌を書き始めたのか、東日本大震災のとき何をしていたのかを語ってもらった。


撮影の合間に、ふたりはカタツムリの赤ちゃんを見つけて夢中で写真を撮っていたが、そこまでちゃんとカメラに収めた高野大樹さんは見事だった。
posted by 城戸朱理 at 17:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

盛岡での撮影

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盛岡に到着したのは、13時33分。

そのまま、駅舎や駅前の石川啄木の歌碑、さらに開運橋から北上川を撮影した。

晴れていれば、開運橋から岩手山が望めるのだが、残念なことに厚い雲がかかっている。


今回のカメラは高野大樹さん、VEが戸田裕士さん。

ベテランだけに仕事が早い。


宮沢賢治が学生時代の下宿で使っていた井戸水を引いた賢治清水、賢治の詩碑、そして盛岡城跡とロケは続き、
最後に中津川ぞいにあるいて上の橋の慶長年間に銘がある擬宝珠を撮影した。


盛岡市役所の裏を流れる中津川には、じきに鮭が産卵のため遡上してくる。
posted by 城戸朱理 at 17:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロケに出発

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9月7日、震度7という北海道大震災の衝撃を抱えたまま、新番組「故郷を生きる」のロケに立ち会うため、盛岡に旅立った。

バンビことパンクな彼女とお弁当を調達して、東京駅でクルーと落ち合う。


今回のディレクターは、長年、CMディレクターをつとめてきた久保田潤さん。

平泉を過ぎて、盛岡に近づくと、稲穂が広がっていく。


「昔、盛岡近郊の牧場で
沢口靖子さんのCMを撮影したことがありました」と久保田さん。


今回はCMではなく、ドキュメンタリーだが、バンビが作ったロケ・スケジュールは完璧だし、うまく行くことだろう。
posted by 城戸朱理 at 17:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする