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城戸朱理のブログ: 日記

2017年10月09日

三連休なのに休みなし



10月6日は、天気予報通り、激しい雨になってしまった。

鎌倉宮での薪能も中止になってしまったので、野村萬斎さんの狂言を楽しみにしていたバンビことパンクな彼女は、がっかりしている。

野村萬斎さんは「樋の酒」を、お能は喜多流の香川靖嗣さんをシテに「融」が演じられる予定だったのだが、雨では仕方がない。


私は夏物のスーツやジャケットをクリーニングに出し、衣替えを進めた。

さらに靴をまとめて磨き、それから和合亮一氏に出演してもらった番組2本のナレーション原稿をチェックする。


7日は、三連休の初日、鎌倉も凄い人出である。

しかし、私に連休はない。

11時半にタクシーを呼んで、バンビと鎌倉駅へ。

昼食は、またもや車中でお弁当である。


立川駅で井上春生監督と落ち合い、2時から和合亮一氏が東北学院大の金菱清教授のゼミを訪ねる番組と、南三陸町を訪ねる番組、2本の試写。

担当の平島進史、松浦梓さんの意見をうかがいながら、ナレーションを若干、変更し、5時に終了。

金菱ゼミの研究で見えてきた宮城県最東端、遠洋漁業の町、唐桑の死者を決める社会的システムと神道と仏教が融合した独特の宗教観、
そして津波で壊滅的被害を受けた南三陸町の復興の様子と、東日本大震災をめぐるコンテンツ「友心」の2本が、じきに完成する。


試写のあとは、井上監督と寿司を摘まんでビールを飲みつつ、次回のロケを打ち合わせた。

6時すぎに散会し、バンビと久しぶりにヴィヴィアン・ウエストウッドを覗いてから、帰宅。
posted by 城戸朱理 at 16:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

創立45周年、大駱駝艦・天賦典式「超人」

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鎌倉では朝晩は冷えるものの日中の最高気温は25〜26℃の日が続いていたが、10月4日は最高気温も20℃ほど。

この日を境に、鎌倉は秋に染まった。


「映画芸術」に寄稿したアキ・カウリスマキ監督「希望のかなた」レビューのゲラをチェックし、あれこれと連絡事項を処理していたのだが、薄手のカットソーだと寒さを感じるほどである。


5日は、大駱駝艦創立45周年の「擬人」に続く天賦典式「超人」を見るべく、再び三軒茶屋へ。

今年初めて、秋冬物のスーツを着たものだから、余計に秋の気分になる。

光沢のある黒のヒューゴ・ボスにしたのだが、スーツもシーズンによって好みが変わり、着用頻度も変わるのは、我ながら不思議なことのひとつだ。

気に入った服は頻繁に着るので、傷むのが早い。

結果、捨てるしかなくなって、着る気にならない洋服ばかりが残ると野村喜和夫さんが言っていたことがあるが、たしかにそういうところがあるかも知れない。


公演は7時半からなので、バンビことパンクな彼女のリクエストで、紀伊国屋でお弁当を調達して車中で夕食を取る。


大駱駝艦の新船洋子プロデューサーの誕生日だったので、ハロウィーン仕様のカボチャ入り花籠を買って、世田谷パブリックシアターへ。


舞台美術は「擬人」と同じで、ステージには、人間が入れるサイズのガラスの長方体6個がV字型に設置され、中央には世界を支配するように電脳樹が聳える。

この舞台装置は「ゲージツ家クマさん」こと篠原勝之さんによるものだが、篠原さん自身も村松卓矢扮するフランケンシュタインを従えたマッドサイエンティスト役で出演する。


「擬人」は演劇的な要素が強すぎたので、どう展開するかと思ったのだが、「超人」は、これぞ麿赤兒、これぞ大駱駝艦という、圧巻のステージだった。


それは、意味に還元しえない肉体の饗宴とでも言えるだろうか。

棺桶に入って登場する4人の舞踏手に、別の4人の舞踏手が絡む場面など、人間とは棺桶に生けられた肉体だと言わんばかりで、笑いを誘う。


大駱駝艦の舞踏手は、体幹を重力に引かれつつ、空間に鋳抜かれたかのようだが、それでも我妻恵美子を始めとする女性舞踏手には、猫科の野生獣のようなしなやかさがあり、男性舞踏手との対比が際立つ。

研ぎ澄まされた肉体で不気味に蠢き、伸縮し続けた田村一行も、素晴らしかった。


フランケンシュタインと擬人たちが引く大八車に乗って、麿赤兒が登場するのは、なんと1時間を超えてから。

全出演者を従えて、踊る麿赤兒は、たったひとりで、ステージを大スペクタクルに変えてしまった。


ホールには喝采が渦巻いたが、それも当然だろう。


昨年、発表された天賦典式「パラダイス」は、出張と重なって見ることが出来なかったが、「擬人」「超人」と二本の新作を立て続けに見て、渇きが癒された気分だった。


楽屋の麿赤兒さんに挨拶し、篠原勝之さんも一緒に記念撮影をしてから、興奮を抱えたまま、渋谷から湘南新宿ラインで帰途に就き、バンビの提案でクルベル・キャンに寄ってから帰宅した。
posted by 城戸朱理 at 13:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

テレコムスタッフで試写

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10月3日は、奇妙に蒸し暑い日だったが、青山のテレコムスタッフで会議と試写があった。

4時半にテレコムスタッフに到着し、まずは伊藤憲ディレクターから今年度分コンテンツの進行予定を聞く。

さらに寺島高幸プロデューサーと著作権の問題を話し合い、続けて平田潤子ディレクターとEdgeの次回作について打ち合わせた。


6時に広瀬大志くんが到着。

2001年にEdgeはスタートしたが、出演者が試写に立ち会うのは、初めてである。

ディレクターの望月一扶さんもEdgeを手がけるのは初めてだし、しかも内容は初のドラマ仕立てと、今回は初めて尽くしのプログラムになった。


大志くんと寺島さんが名刺交換をしていたが、取締役同士の名刺交換かと思うと、これもドラマっぽい。


本編は45分。


望月さんは、アメリカのエミー賞を受賞しているだけに、映像は美しく、しかも広瀬大志の詩的世界に迫るものになっている。

旧友の大志くんの番組だけに、ところどころで笑いをこらえられなかったが、Edgeの幅を広げる番組になったと思う。


平田潤子さんがプロデューサーをつとめたが、ドラマ仕立てとなると、役者のみならず、スタジオ代も必要ならば、美術・衣装・メイクと経費が大変なので、苦労したことだろう。

しかも、なぜか今回は予告編まで出来ているではないか。

Edgeで予告編を作ったのも初めてだが、いったい何が起こっているのやら、もはや企画・監修者の私にも見当がつかない世界に突入してしまったようだ。

これも広瀬大志のモダン・ホラー・ポエトリーが、なせる技なのだろうか?


試写のあとは表参道の居酒屋で打ち上げとなり、歓談。


私は終電で鎌倉に帰った。
posted by 城戸朱理 at 11:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

是枝開新作展@hino gallery

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大駱駝艦のスペクタクルな天賦典式のあとは、新富町のヒノ・ギャラリーに向かった。

元神奈川県立近代美術館の主任学芸員、現在は武蔵野美術大学教授の是枝開(これえだ・ひらく)さんの新作展のオープニング・レセプションに出席するためである。


会場にたどり着いてみると、ギャラリーの外で煙草を吸いながら、是枝さんが作家の島田雅彦さんと談笑していた。

島田さんが一年間、ニューヨークで暮らしていたとき、是枝さんはコロンビア大学に留学していて知り合ったそうだから、もう四半世紀の付き合いだという。

島田さんとは、神奈川新聞の文芸コンクール授賞式でお会いして以来だが、相変わらずスタイリッシュである。


是枝さんの作品は、偶然、訪れた鹿児島市立美術館で見たのが最初で、浮世絵を分解し色彩に還元したかのような作品に、バンビことパンクな彼女も感嘆していたが、ようやく待望の新作展である。


静物を描いているとは聞いていたが、作風は一気に変わり、モティーフは植物。

植物園で動画を撮影して、そこから静止画を切り取り、キャンバスに転写したそうだが、鮮やかな色彩が目に飛び込んでくるものの、しばらく見つめていると、光そのものが主題なのが見えてくる。

作品は、2〜6点の組み絵になっており、一点欲しいと思いながら、絞り切ることが出来なかった。


平塚美術館館長代理の土方明司さんとしばらく話したのだが、会場には、画家と是枝さんのゼミ生の姿が目立つ。

田野倉康一くんも現れ、丹念に作品を見ていた。


ゼミ生は、女子学生が多かったので、是枝さんに聞いたら、今や美大の学生は8割が女性という時代だというではないか。

私が出講している女子美術大学なら女子学生しかいないのが当たり前だが、まさか武蔵野美大や多摩美大まで、そういう状態になっているとは知らなかった。



打ち上げは、近所の中華料理店で。
posted by 城戸朱理 at 12:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

創立45周年、大駱駝艦・天賦典式「擬人」

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9月31日。

バンビことパンクな彼女が、ひと晩休んで回復し、校正の仕事を無事に終えたので、予定通り、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターに大駱駝艦・天賦典式「擬人」を見に行くことができた。


バンビはパスタを食べていたが、私は朝から何も口にせず、三軒茶屋に向かうことになったので、大船軒の鱒寿司を買ってグリーン車に乗る。


今年は、大駱駝艦創立45周年。

天賦典式も「擬人」と「超人」の二本立てである。


「擬人」は、AIの支配下でサイボーグ化した人類の物語。

われらが麿赤兒は、終わり近くになってから、棺桶に入って登場。

棺桶ごと転がり、棺桶をかぶって、わずかに立ったりしたが、不動の舞踏家の面目躍如というところ。

麿さんがいちばん動いたのは、なんとアンコールのときだった。


終演後、ロビーで写真家の今道子さんを見かけて、声をかけたら、今さんは、猫の写真で知られる武田花さんと一緒だった。

武田花さんも木村伊兵衛賞を受賞されているが、御両親は作家、武田泰淳と随筆家、武田百合子である。


さらに、「しゅりあん!」と声をかけられたので、振り返ってみたらエッセイストの平松洋子さんではないか!

しかも、娘さんの麻ちゃんも。

麻ちゃんと最後に会ったのは、まだ中学生のころだったから、驚いたが、「大人になりました」と麻ちゃん。

絵を描いて、個展も開いているそうだが、麻ちゃんが私に気づいたらしい。


かくして、世田谷パブリックシアターで、30年来の旧友と再会することになったのだった。
posted by 城戸朱理 at 14:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

バンビ、失速!?

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「ぶっ倒れるまで、やるぞう!」


バンビことパンクな彼女が気勢を挙げている。

連日、3時間睡眠で、校正の仕事やホテルの手配、さらには京都での「幻を見るひと」特別試写フライヤーのチェックなどに専念しているのである。

パンクだから、遊びも仕事も無意味に激しいのだった。


そんなとき、吉増剛造さんから、バンビ宛てにFAXが入った。

「番尾さま」と書いてあるぞ。


「そ。
剛造先生はアメリカから帰ってきたばかりで、お疲れなんだよ。

空港から電話があったんだけど、弱猫足になっちゃった〜っておっしゃってたよ!」


猫足(びょうそく)は、吉増さんの俳号である。

ちなみに、吉増さん「バンビの俳号はそのまま、番尾でいいよ」とおっしゃったものだから、番尾も俳号ということになる。


バンビが、吉増さんの希望される京都のホテルを、支配人に直接お願いして予約を入れたので、そのお礼のFAXだった。

いつもの糸屋ホテルだが、吉増さんは「新しい詩が一行でも二行でも書けるといいなあ」とおっしゃっていたそうだ。

糸屋ホテルだとデスクが広いので仕事が出来ると吉増さんは大いに気に入られていたが、旅先でも詩を書こうという姿勢が素晴らしいではないか。


吉増さんは、『オシリス、石ノ神』あたりを境に、旅をすることで詩を書いてきたわけだし、旅上での未知なるものとの出会いが、言葉を立ち上げてきたと言ってもいい。


京都に4回、ご一緒したおかげで、吉増さんが新幹線の車中でも、旅先のホテルでも、つねに創作と向かい合っている姿を目の当たりにしたが、これは吉増さんに固有の方法であって、詩の書き方は詩人ひとりひとり、違うものなのだと言うしかない。


旅先ではなく自宅だが、私も一行でも二行でも新しい詩を書くべくデスクに向かい、2篇の新作の草稿を書き上げた。


そして、バンビは翌日も元気に出かけていったのだが――

夕方、LINEで連絡が入った。


「ぞくぞくするよ〜
帰って、まず熱いお風呂に入るよ!
わかしてあげてね!」
!!!


無理が祟って、風邪をひいたらしい。

ぶっ倒れるまでやると言っても、本当に倒れたのではどうしようもないが、パンクだから仕方がない。


風邪薬は食後の服用なので、バンビがお風呂に入っている間に、グレープフルーツに桃と葡萄を用意し、ベーコン入りのチャウダーとハンバーグと御飯をテーブルに並べた。

「んふ。こんなに食べられないよ」と言いながら、バンビはぺろっと完食。


そのまま寝てしまったのだが、7時から翌朝まで眠ったおかげで、風邪は悪化せず、ほぼ回復。

事なきを得たのだが、やはり人間は倒れるまで遊んだり、倒れるまで仕事をするべきではない。
posted by 城戸朱理 at 09:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

「山口啓介/加納光於 往復書簡の周辺で」@鎌倉ドゥローイング・ギャラリー

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鎌倉に帰って、まずは「映画芸術」のためにアキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」のレビューを執筆した。

これは「ル・アーヴルの靴みがき」に続く「難民三部作」の第二作で、今回はフィンランドが舞台。

カウリスマキならではの笑いをちりばめながら、難民の現実を描く。

小津安二郎を尊敬して止まないカウリスマキだけに、映像は静かで、熱を持たないような北欧の光が美しい。


フィンランドは、白夜の国。

夏ならば、深夜まで日は沈まず、23時でも子供たちが公園で遊んでいたりする。

冬になると、太陽が出るのはわずか3時間、雪と闇に閉ざされるだけに、人々は一年分の陽光を夏のうちに浴びようとしているかのようだ。

それだけに、光に対する感覚が違うのだろう。


バンビことパンクな彼女は、京都での吉増剛造さんのドキュメンタリー映画「幻を見るひと」特別試写のフライヤーや10月のロケの準備のため、連日、午前4時までPCに向かい、3時間睡眠の日々が続いている。

私も雑事に追われ、何やら落ち着かない。


そんななか、9月24日は、鎌倉ドゥローイングギャラリーに「山口啓介/加納光於 往復書簡の周辺で」を見に行った。

これは、ふたりの画家が手紙を交わしながら、ドゥローイングを生成させていくという試みで、作風はまったく違うものの、不思議な共鳴が生まれている。

バンビは山口さんの阿修羅のような多面体の猫と人間の肖像画に惹かれ、私は加納さんのドゥローイングで欲しいものがあったのだが、なんとその一点だけが非売品だった。

ギャラリーには往復書簡も展示されていたが、絵が生まれる瞬間に立ち会うかのようで、興奮を禁じえない。

20代、30代の若者の間で、ひそかに文通がブームになっているというNHKのニュースがあったが、手書きの手紙は、やはりアウラがある。


両面に往復書簡を印刷したA全サイズ(594×8041mm)の見事なポスターをいただいて、ギャラリーを後に、海まで散歩。


秋鮭や秋刀魚など、食材を買い物してから、山本餃子に寄り、久保田潤さんと、飲みつつ美術談義に熱中した。
posted by 城戸朱理 at 11:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

帰宅難民



9月18日は、帰るだけだから気楽なはずだったのだが、これが誤算だった。

朝食とシャワーのあと、のんびり荷物をパッキングして、地元の中合デパートを覗いたりしていたのだが、三連休の最終日だけに、いざ福島駅に行ってみたら、新幹線はすべて満席。

なんとか取れたのは、18時4分の新幹線だったので、午後の時間が空いてしまった。

駅ビルの店を見たりして時間を潰し、見事な福島産白桃をひと箱、自宅に手配したのだが、福島は本当に果物が豊富な土地なのを改めて確認する。

5時から早めの夕食を取って新幹線に乗ったのだが、7時36分に東京に着いてみたら、人身事故で横須賀線も東海道線も止まっているではないか。

電車が動くまでどれくらいかかるのか見当がつかないので、新宿まで出て小田急線で藤沢まで戻ることにした。

中央線の車中で、バンビことパンクな彼女がiPhoneでロマンカーを予約し、8時50分の新宿発、江ノ島行きのロマンスカーに乗って、ようやく9時48分に藤沢にたどり着く。

なんとか日付が変わらぬうちに、タクシーで鎌倉に帰ることは出来たものの、さすがに疲れはてた。


本当ならば、夕方には鎌倉に着いて、ゆっくり晩酌できるはずだったのだが。
posted by 城戸朱理 at 01:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

福島で、和合夫妻、及川夫妻と

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すべてのロケが終わり、午後4時半に井上春生監督の運転で南三陸町を出発、最寄りのくりこま高原駅まで送ってもらった。

17時57分発の新幹線に乗り、仙台で乗り換えて18時56分に福島に到着する。


ロケというものは、スケジュールより何時間か押すことが珍しくない。

そうなると東京まで戻れても、鎌倉までは帰れないかも知れないし、台風18号が北上していたので交通機関の混乱も予想されるため、バンビことパンクな彼女が、大事を取って福島に宿を取っていたのだ。

せっかくだから、和合亮一氏に敦子さんも呼んで、一緒に夕食をと提案したところ、敦子さんが駅前エスタビル内の庵ぐらという店に予約を入れてくれた。

しかも敦子さんは、及川俊哉・友江夫妻にも連絡して、和合家・及川家・城戸家が揃うという初めての宴会に。


あん庵は、馬刺から円盤餃子、会津牛と福島名物が揃う店で、和合くんはひとりで飲みに立ち寄ることもあるらしい。
だが、この顔ぶれだと、まず会話ありきになる。

詩のこと、生活のことと話は尽きない。


及川俊哉氏に「現代祝詞」を含む新詩集のゲラと表紙の装幀案を見せてもらったのだが、画期的な詩集の誕生に立ち会っている気分になった。

福島には「福島民報」「福島民友」と地方新聞が二紙あるが、文江さんからは、去年、「福島民友」に連載したエッセイのコピーをいただいた。

素直な文体で、展開は巧み、これまた見事なエッセイだったが、敦子さんは「福島民報」に連載したことがあるそうだ。

和合夫妻はかつては朗読ユニット、JAMで一緒に詩の朗読をしていたし、敦子さんはイベントの制作もされている。

文江さんもイベント制作を手がけているし、みなさん多才だが、バンビことパンクな彼女も、そのあたりは変わらない。

詩人の妻、3人が語り合ううちに、和合亮一氏が「ウルトラ」で「詩人の妻」特集をと言い出し、爆笑したが、もし、そんな特集が実現するとしたら、座談会のテーマは「こんなはずじゃなかった」とか「こんなのはイヤだ」とか「ここが嫌いだ」といったものになるのだろうか?

「ウルトラ」の特集には、まったく似つかわしくないが、付録なら読んでみたい気がしないでもない(笑)。


しかも気づいたら、敦子さんが会計を済ませていて、御馳走になってしまったが、敦子さんの御配慮で、忘れがたい夜となった。
posted by 城戸朱理 at 23:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

南三陸町防災庁舎

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巨大津波に襲われた南三陸町は、大震災から6年以上がたった今でも、いまだに復興の途上だった。

高台に立って町を望むと、津波で流された市街地には10mの盛り土がされている最中で、造成中の工事現場のような眺めが広がっている。

被災した町が復興するためには、いったい、どれだけの時間が必要なのだろうか。


チリ地震による津波を経験し、宮城県沖地震の危険が高まっていた南三陸町では、防災意識がきわめて高く、ハザードマップに従って町内会ごとに備品を備え、避難訓練もしていたという。

宮城県沖地震が発生した場合、震度6、最高で6mの津波が予想されていた。

そのために南三陸町では町役場に隣接した防災対策庁舎を建設し、その2階に危機管理課を設置するなどの対策を取っていたが、東日本大震災大震災は震度7、予想をはるかに上回る14mもの津波が襲来したため、3階建て12mの庁舎の屋上まで津波が押し寄せ、屋上に避難した53名の職員のうち、生還したのは、わずか10名だったという。

また、大地震発生直後から防災無線で避難を呼びかけ、放送を最後まで続けて数多くの町民を救いながらも、自らは津波に流されて亡くなった遠藤未希さんは「天使の声」として語り継がれることになった。

防災無線での呼びかけは、62回。

そのうち、18回は課長補佐の三浦毅さんによるもので、三浦さんも行方不明だという。


防災庁舎は津波に流されて赤い鉄骨だけが残り、震災遺構となったが、保存か、取り壊しかで町民の意見が割れ、とりあえず、20年間は、宮城県が管理することになった。

防災庁舎は、今では周囲に盛り土がされたため、わずかに3階部分が見えるだけである。


昼食のあとは和合亮一さんが、遠藤健治元副町長から、復興の計画を聞く場面を撮影する。

遠藤さんは、防災庁舎から生還した10人のうちのひとりである。

さらに、津波襲来から避難生活まで、詳細な写真の記録を残し、さんさん商店街で、写真館・佐良スタジオを営む写真家、佐藤信一さんのお話をうかがった。


最後に、和合さんが防災庁舎に献花をしたのだが、雨のなか、地元の方が何人も献花に訪れていた。
posted by 城戸朱理 at 22:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

いかれバンビ、大興奮!?

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「はかはかするう!」

バンビことパンクな彼女が興奮している。

ちなみに「はかはか」は仙台弁で「ドキドキ」するという意味。


なにせ、昨夜はアワビステーキを食べ、翌日は金比羅丸の船上で海風に吹かれながら活き帆立を試食させてもらったのだから、「はかはか」するのも無理はない。


しかも、和合亮一氏の朗読場面を撮影していたとき、突堤を歩いていたバンビは、海底にウニがたくさんいるのを発見したのである!


「ちゃぽんと潜ったらウニがたっぷり食べれるね!」


勝手に採ったら密漁だが、ウニがあちこちにいる様子は、なかなかに壮観だった。


「高橋直哉さんの帆立がとっても美味しかったから、取り寄せを頼むのはどうかな?」

それは名案である。

牡蠣の季節になったら、牡蠣と帆立を注文しよう。


「はかはかしちゃうなあ!」


ますます「はかはか」しているのだが、パンクだから仕方がない。
posted by 城戸朱理 at 09:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金比羅丸に乗船して

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午前2時まで飲んでいたので、私は起きられなかったが、バンビことパンクな彼女は、なんと5時に起きて屋上の露天風呂に浸かりながら、日の出を見たというではないか。

私は昨日に引き続き、朝食もパスした。


台風18号が北上しており、南三陸町も昼から雨という予報だったが、早朝ならば、まだ海に出れるというので7時半にホテル観洋を出発。


8時過ぎに、高橋直哉さんの金比羅丸に乗船した。

高橋さんは漁師だが、東日本大震災の津波で祖母と漁具を流され、船こそ流されなかったものの漁をする気になれず、一年ほど仙台で土木作業員や警備員の仕事をされていたそうだ。

ところがボランティアで南三陸町に来た方々が、海産物の美味しさに驚く様子を見て、やり甲斐を感じ、再び海へ。

海の男は、やはり海に還るのである。


売上は、まだ大震災前の半分までしか回復していないそうだが、漁師仲間と観光客向けに漁船で漁場の様子を見せるツアーを始めるとともに、南三陸の海産物の魅力を発信していく決意をされたのだという。


台風が近づいているが、海は凪いでいて船もほとんど揺れない。


高橋さんは帆立と牡蠣の養殖をされているが、養殖の様子は初めて見た。

段々になった網に帆立を重ならないように並べ、ときどき殻を洗っては付着した生物を除去して、帆立がストレスを感じないように養殖するのだとか。

牡蠣は帆立の殻に稚貝を植えつけて養殖する。

その様子は、まるで海の畑のようだった。


高橋さんが剥いてくれた帆立の美味しさに、和合さんもバンビも目を丸くしていたが、その美味さたるや、語る言葉が見つからないほど。


和合さんが高橋さんからさまざまな話を聞いて、金比羅丸での撮影を終え、あちこち移動して、結局、港で和合さんが南三陸町に寄せた詩の朗読場面を撮影したのだが、鬼気迫るものがあった。
posted by 城戸朱理 at 08:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月に吠える?

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夕食のあとは日本酒とビールを大量に買い込み、和合亮一氏と私は、部屋飲みを決め込んだ。

まずは『詩の礫』、フランスのニュンク・レビュー・ポエトリー・プライズ外国語部門の受賞を祝って、仙台で買っておいたシャンパンで乾杯する。


そこから先は詩の話のみ。

和合亮一×城戸朱理対談の様相を呈したが、かなり深いところに言葉の触手が届き始めた手応えがあった。

それが何なのか、来年には公にできると思う。


翌朝は早朝から撮影なので11時には散会するつもりだったのだが、和合くんが熱く燃え上がり、気がつくと0時。

それでも話は終わらず、午前1時に和合くんが自販機で缶チューハイをどっさり買い込んできたものだから、結局、2時まで飲みながら、ふたりは月に吠えていたのである。
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2017年09月25日

東北学院大学の金菱清ゼミへ

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9月16日は、和合亮一氏が早朝に福島をたち、9時2分に仙台着。

私とバンビことパンクな彼女は和合さんを仙台駅で迎え、そのままタクシーで東北学院大学の土樋キャンパスに向かった。

場所は東北学院大学のホーイ記念館。

ホーイ記念館は新しいモダンなビルで、一階にはお洒落なカフェまである。


「死者たちが通う街――タクシードライバーの幽霊現象」など、東日本大震災後の霊的事象に着目し、大いに話題を呼んだ『霊性の震災学』(新曜社)の金菱清教授のゼミは、
現在、被災者の方々が大震災の前と後に見た夢を聞き取り、分析するというフィールドワークをされており、その授業に和合亮一氏が参加した。

私も片隅で聞かせてもらったのだが、学生のみなさんの発表は思わず唸るほど刺激的だった。


近所のレトロな喫茶店で昭和なナポリタンの昼食を取り、午後はゼミ生の赤間由佳さんの研究発表を撮影する。

タイトルは「幽霊の出ないまち――社会が決定する身内の死――」。

石巻市のタクシードライバーに幽霊との遭遇体験が多いのに対して、宮城県最北端の遠洋漁業の町、唐桑では大震災で被害を被ったのにも関わらず幽霊がまったく出ないことに着目し、唐桑という地域における社会的システムから、その理由を探るという実にユニークな研究である。


金菱清先生は、フィールドワークをする際には「黒い白鳥を探せ」と教えているそうだが、「幽霊が出ない」ということは、まさしく「黒い白鳥」だろう。


最後に金菱先生と和合さんの会話を撮影して、3時半に和合さんの出番は終わったので、実景撮影のクルーを残して、和合亮一氏と私とバンビは仙台駅へ。


駅構内のすし通りにある北辰寿司で、ビールで喉を潤してから、寿司を少しだけ摘まんで日本酒を飲んだ。


5時に井上春生監督を始めとするクルーと合流し、翌日の撮影のためロケバスで南三陸町に移動。


6時半に南三陸のホテル観洋に着いた。

ホテル観洋は、二階まで津波に襲われたにも関わらず、大震災のあと、三階以上を町民に無料で提供し、食事の世話までしたホテルだが、
なんと、大震災以前は和合家が夏に家族旅行で泊まりに来ていたホテルだそうだ。
posted by 城戸朱理 at 11:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富田真人氏のK's Bar



利久東口分店で食事をしたあとは、ホテルから近いK's Barへ。

天使館の鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)の生後3か月からの幼なじみ、富田真人さんがバーテンダーをつとめるお店である。


富田さんには、仙台の郵便局限定で発売された「仙台弁こけし オリジナルフレーム切手 夏だっちゃ!」を手配してもらうなど、お世話になっているので、私の詩論集『潜在性の海へ』を献呈した。


富田真人さんは若き日には、鯨井くんとともに詩作に熱中、21歳のときに詩集も出しているが、いまだにアバンギャルドなパフォーマンスを続けているところが素晴らしい。

来年から三島由紀夫を原作に映画を撮るそうなので楽しみだ。


そんなわけで、話題はもっぱら映画のことになったのだが、カウンターには富田さんのよき理解者らしき美女が先客でいらしていて、4人で語り合った。

アートが介在すると人間の距離は一気に縮まる。


本当ならば、富田さんに和合亮一氏を紹介したかったのだが、それが次の機会に持ち越されることになったのは、少し残念。
とは言え、愉快な夜だった。
posted by 城戸朱理 at 11:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

仙台に向かう



プチ・トラブルとでも呼ぶべきなのだろうか。

あれこれと問題が生じ、その連絡に追われて執筆に専念できない日が続いた。


9月14日は、「週刊現代」から依頼された書評原稿を執筆するも、途中、「幻を見るひと」予告篇の件で問題が生じ、中断を余儀なくされたりする。

今回の依頼は、前回と同じく新本格ミステリーの旗手、有栖川有栖の新刊『濱地健三郎の霊なる事件簿』(角川書店)。

なんと、主人公は幽霊が見える心霊探偵で、ミステリーと怪談の境界を縫う連作短篇である。

夕方に書き終えてメールしたのだが、ほぼ同時にバンビことパンクな彼女も校正の仕事を終えたので、スパークリングワインを開けて乾杯する。

明日から出張なので、冷蔵庫を整理すべく、食卓には和牛イチボのステーキ、鰻の白焼き、冷やし焼き茄子、グレープフルーツに巨峰という珍妙な取り合わせのメニューが並んだ。

しかも、食事は豆と挽き肉のカレーである。

奇妙だが、これはこれで楽しい。

バンビは、深夜からトランクにパッキングを始める。


私は、翌朝、起床してからパッキング。

3泊4日の荷物ならば、パッキングには20分もかからない。


10時半にタクシーを呼んで鎌倉駅へ。


仙台から南三陸町を巡るロケの始まりである。
posted by 城戸朱理 at 20:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

ブログ更新お休みのお知らせ



いつも、当ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。

仕事に専念すべく、来週までブログの更新をお休みします。


来週、後半には再開する予定ですので、よろしくお願いいたします。
posted by 城戸朱理 at 12:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

追悼、藤富保男



藤富保男さんが、9月1日に永眠された。

若き日にはサッカー選手、東京オリンピックでは審判をつとめられた藤富さんは、7月から入院されていたが、8月31日に経過安定のため一泊の帰宅を許され、その日のワールドカップ予選、日本対オーストラリア戦をベッドで観戦。

日本の勝利に大いに満足して安らかに眠りに就いたが、翌朝、容体が急変して、あの世に旅立たれたのだという。

いかにも、藤富さんらしい最期ではないか。


藤富さんの詩と言えば、ユーモアとペーソスにあふれ、肩透かしを食らわされたり、意表を付かれたりする洒脱なものだが、その背景には、前衛の精神と江戸っ子らしい笑いが共存していたのだと思う。


実際、藤富さんは、わが国のコンクリート・ポエトリーの先駆者である新國誠一と芸術研究協会を設立、機関誌「ASA」を刊行するとともに、
「VOU」を率いた北園克衛とも親交があり、さらには西脇順三郎が自宅で開催していた西脇による自作解説の会である西脇ゼミのメンバーでもあった。

いわば、前衛運動の渦中に身を置きながら、独自のスタイルを作り上げた詩人だったと言うことができるだろう。


藤富さんは、語学が堪能で五か国語を話せたが、楽しくもシュールな線描画も残した。


これは藤富さん本人からうかがった話なのだが、藤富さんは1945年に長崎の親戚のところに向かうとき、原爆投下翌日の広島を列車で通過したことがあるそうだ。

窓の外を見ないように指示されたそうだが、貨物車の隙間から、藤富さんは爆心地を見たのだという。


戦争の惨禍を十分、知りながらも、いや、だからこそ、藤富さんは、戦後という時代をモダニストとして生きようとしたのではないだろうか。


異能の詩人、藤富保男。

私は、これまで2本の藤富保男論を書いているが、藤富さんの作品を、また読み直したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 19:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

進歩がない?



ここのところ、鎌倉の最高気温は、27〜30℃。

蝉の声と虫の音の合唱が一日中聞こえる。

空の色は秋めいているが、まだ夏が居座っている感じだ。


9月11日は、「詩と思想」の座談会「IT社会と現代詩の行方」のゲラをチェックして返送し、『火の刺繍』に収録される吉増剛造さんとの対談をチェック、
さらに鎌倉文学館、秋の特別展「リスペクト 好き、好き、大好き」のためのコメントを執筆した。

この特別展は、夏目漱石や芥川龍之介ら、物故文学者10組の尊敬関係を展示するものだそうだ。

何人か候補をあげて、学芸員の山田雅子さんと相談したのだが、私は宮澤賢治について書くことになった。

『霊性の震災学』で話題になった東北学院大学の金菱清教授のゼミに和合亮一氏を迎えるロケのために、アシスタント・プロデューサーのバンビことパンクな彼女と井上春生監督との間に連絡が行き交い、何やら落ち着かない。


連絡が一段落したところで、書斎の片付けと掃除に取りかかった。

どうしたことか、いつも整理と片付けに追われているのに、気づくと、本と書類があふれかえっている。

仕事がたて込むと、ひと月以上、郵便物の封を切ることさえ出来ず、山になっているし、参照した資料を片付ける間もなく、次の原稿に着手することが多いので、書斎のデスク回りは、いつも本と雑誌が山積みになっている。

それに書きかけの原稿や資料の書類にメモが散乱すると、ほとんど無頼派、坂口安吾の書斎といい勝負だ。

そんな状態になると、どこに何があるのやら、見当がつかなくなるので、何とかするしかない。

散乱した本を、本棚の所定の位置に戻し、ハンディクリーナーで埃を払いながら、片付けること5時間。

ようやく、終わりが見えてきた。

それにしても、いつも本と書類の整理と片付けに追われているのだから、進歩がないことはなはだしい。
posted by 城戸朱理 at 10:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

吉増剛造『火の刺繍』

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昨年だけで、9冊もの新刊が刊行された吉増剛造さんだが、今度は対談集が刊行される。

それが『火の刺繍 吉増剛造2008〜2017』。

素晴らしいタイトルではないか。


版元は札幌の響文社。

編集は吉原洋一(編集者・写真家、日本近代文学館勤務)、装幀はローライ同盟のメンバーでもある井原靖章(グラフィックデザイナー)。

なんと1136ページの大冊になるそうだ。


「現代詩手帖」2016年7月号の特集「吉増剛造、未知の表現へ」に掲載された吉増さんと私の対談「詩を超えて、詩へ」も収録される予定。


今年の5月に開催された札幌TENPORARY SPACEでの吉増剛造展も「火の刺繍 La borderie de feu」と題されていたが、
A4よりも大きい変形版の案内状をいただいて、そこに吉増さんの書き文字で「火の刺繍」という言葉を見いだしたときの興奮は、いまだに忘れられない。

火と火を縫い合わせるように紡がれた言葉、発火する言葉を、私たちはそこに見出すことになるのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 15:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする