サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: 日記

2017年12月21日

ナタリア・ドーンさんを迎えて

IMG_9886.JPGIMG_9937.JPGIMG_9942.JPG



オックスフォード大学の大学院で日本文化を研究しているナタリア・ドーンさんが、井上春生監督の番組出演のオファーを快諾して下さり、14日に羽田に着いた。

ロケ地は立川だったので、私とバンビことパンクな彼女は14日の夜に、立川ワシントンホテルにチェックイン。



井上春生監督が羽田空港までナタリアを迎えに行き、翌日からCS放送の撮影が始まったのだが、寸前まで構成台本に手を入れなければならず、
私が手を入れた原稿をバンビことパンクな彼女がPCに打ち込み、結局、撮影が始まる当日に完成した第5稿で撮影を進めることになった。



ナタリアと最初に会ったのは、5年前、ニューヨークでのことだったが、3年前には番組に出演してもらって、ハワイで撮影したので、それ以来になる。


日本に留学していたのは一年だけなのに、日本語は敬語まで含めて完璧で、バンビ宛てのメールには「ナタリア・ドーン(ナタドン)」と書いてあったそうな。

ナタドン・・・


バンビは「ナタちゃん」とか「ナタぴょん」とか呼んでいたが、来日時には「an・an」のモデルもしていた美女で、才媛である。



今回のメイクは、京都ロケでお世話になっている有路涼子さんにお願いしたのだが、メイク中、有路さんはナタリアに出身地を聞かれ、答えたら「ゆるキャラいますか?」と尋ねられたそうだ。



15日は、撮影は午前中のみ、午後は担当の平島進史、西森基文、松浦梓氏らと構成台本をめぐる会議となり、夜は設楽実氏と番組制作の方向性の打ち合わせ。


16日はオフで、17日からロケが始まったのだが、時間があるとナタリアは、神田古書店街の大江戸書房に出かけたり、代官山のTSUTAYAに行ったりと、本ばかり見ている。

さらに浅草演芸場で落語を聞いて笑っていたらしい。

どういうアメリカ人なんだ?



ちなみに、ナタリアは、メイフラワー号でプリマスに上陸し、アメリカ建国の基となったピルグリム・ファーザースまで家系をたどれるアメリカの名家の出身である。



撮影のピークは、17日。

冷え込んだ一日だったが、ナタリアがいつも笑顔で撮影に臨んでくれたおかげで、スムースに運んだ。


井上監督は「いやあ、ナタリアが座っているだけで、ロンドンの公園に見えますねえ」と感心していたが、たしかに、あちらからダニエル・クレイグが歩いてきても不思議はない。

しかし、ロンドンではなく、東京の立川なのだった。


今回のロケは、5泊6日。

いつもより余裕のあるタイムテーブルだったが、撮影でエネルギーを使い果たしてしまうので、夕食のあと飲みに行く気にはならない。


夜は、ホテルの部屋でオリオン書房で買い込んだ8冊の新刊を順番に読んだり、オンデマンドで「続・深夜食堂」(松岡錠司監督)、若き日の高倉健が主演した「網走番外地」(石井輝夫監督)、さらには遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシが映画化した「沈黙−サイレンス」を見たりしていた。
posted by 城戸朱理 at 21:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

ブログ更新、お休みのお知らせ



何かとあわただしい年の瀬ですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。


たまにマトモなことを書くことがあるものの、たいていは、どうでもいい身辺雑記ばかりのブログに、いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。


仕事の都合で、しばらく記事をアップできなくなるので、一週間ほどブログの更新をお休みさせていただきます。


再開は12月22日を予定しておりますので、そのおりには、またお付き合い下さいますようお願いいたします。
posted by 城戸朱理 at 12:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

振幅の大きい一日



12日は日本海側で大雪が降ったが、鎌倉も寒かった。

この日は詩的だったり、異様に散文的だったりする奇妙な一日だった。



午前中から幾度となく詩に見舞われ、結局、一日で7篇を書き上げる。

かたわらで、バンビことパンクな彼女が目を丸くしていたが、私が『地球創世説』を一気に書き上げたときも見ているので、そのときと同じことが起こっていると思っているようだ。



一方、先月末から出費が重なり、このままでは年が越せないという騒ぎになって、急ぎ立替分の経費を精算することにしたので、夕方から領収書を仕分けた。

私がもっとも苦手とする事務作業である。


ところが、いざ始めてみたら、思ったほど時間がかからなかったので、そのまま、来年の確定申告のための経費分の仕分けまで終えることが出来た。

文筆業の場合、資料の書籍代のほかに交通費、通信費、文具や打ち合わせのための飲食費などが経費として控除できるが、私ていどの収入でも、確定申告はかなり面倒なものになる。

吉増剛造さんは、自宅の扉に封筒を下げて、帰宅したら、すぐ領収書を仕分けられるようにしていたが、いい方法かも知れない。



夜、10時からバンビことパンクな彼女がPCで精算作業を始めたのだが、これがまた時間がかかる。

創作とは無縁の散文的な作業をふたりで進め、午前2時を回って、ようやく終えることができた。


かくして、深夜2時から祝杯をあげたのだが、翌日、バンビは二日酔いで苦しむことになったのである。



13日も「現代詩手帖」作品特集のゲラを戻すかたわらで、詩想が降ってくるたびに書き続け、5篇の新作が生まれた。
posted by 城戸朱理 at 07:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

リスと林檎

IMG_3216.JPG



初夏のこと。


バンビことパンクな彼女が、ベランダにオリンパスOM-Dを持ち出し、何やら撮影していると思ったら、リスだった。


「リスが葉っぱを食い散らかしてるよ!」


そうなのである。



リスは、何でもかじるのだ。

わが家のSKYPerfecTV!のアンテナもリスにかじられ、CS放送を見ることができなくなってしまったし、書斎の戸袋のなかに入り込み、カリカリ雨戸をかじられたこともある。


一度など天井裏に忍び込んで走り回るものだから、バンビが虫捕り網を持って追いかけ回したこともあるほどなのだ。


追い払うだけなら、虫捕り網を使う必要はないので、ひょっとするとバンビはリスを捕まえようとしていたのだろうか?



わが家を遊び場にしているリスは三匹。

バンビは名前をつけ、トン吉、チン平、カン太と呼んでいるが、私には見分けがつかない。


カーテンに、ふさふさした冬毛の尻尾の影が見えることも多く、エアコンの室外機には無数の足跡が残されている。

どうやら、室外機の上で日向ぼっこをしているらしい。



困ったものである。



伊藤元之さんが林檎を送って下さったので、バンビが喜んで食べていたのだが、掃除をするとき一時的にベランダの棚に林檎の箱を出したら、リスも感づいたのか、林檎のうえにぶら下がっているではないか。


あわてて室内に回収したのだが、さらに柳美里さんも林檎を送って下さったので、わが家は林檎長者となった。


リスには一個もやらない。
posted by 城戸朱理 at 10:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

資生堂の現代詩花椿賞贈賞式

IMG_9776.JPGIMG_9782.JPG



現代詩花椿賞の贈賞式は、6時から。

エレベーターで「花椿」編集室の真木優さんと出くわしたら、サイドが刈り上げでトップがロングのお洒落な髪型になっているではないか。


しかも、受付には塚田優子さんが。

塚田さんは、女性誌の編集部に転職したはずだが。


「今日は手伝いなんです」


なんと。再会できたのは嬉しいが意外な展開である。

塚田さんから、鈴木一平さんのことをうかがった。

鈴木さんの第一詩集『灰と家』も今回の花椿賞の候補で、選考委員の池井昌樹さんは「原初の詩魂の復活」と絶賛している。



受賞は井坂洋子さんの『七月のひと房』。

井坂さんの受賞に驚く人はいないだろうが、『七月のひと房』は私家版でひそやかに刊行された詩集であり、やはり異例と言えるかも知れない。


カニエ・ナハさんも私家版の詩集を毎年、刊行しているが、詩集とは、本来、そのようにして手渡されるものなのではないだろうか。


『七月のひと房』は入手が難しいため、当日、花椿編集室による文庫サイズの詩集が配られたが、これはとても行き届いた配慮だと思う。


「未遂産」という一篇を紹介したい。




花は長い間忘れていたことをふと思いだして咲く
忘れてしまいと咲かないという
それが何であったか
花の色は告げているのかも知れないが
解読できない
さまざまな色合いをただ美しい調和と思うだけだ
無からやってきた億万の
偶発の色
たくらみの色か
レールのゆきどまりの淋しい駅舎から夜が始まる
オーロラをはいたいする黒の深み
遠く 信号灯が発色している
新生児がもっとも好む色だ
寝ている間も絶えず流れる血の川のほとりで
あかんぼは何を思いだしたのだろう




生誕と死のはざまで、静寂をたたえたような詩集である。


小池昌代さんが選考経過を話されたあと、井坂さんがスピーチされた。



井坂さんにご挨拶して、吉田文憲さんとフェリスの学生の詩作のことなどを話したのだが、野村喜和夫さんとも久しぶりである。

当たり前か、私がこうした席にいることのほうが珍しいのだから。



川口晴美さん、杉本真維子さんと会場は何やら華やかだが、やはり資生堂だからだろうか。



ふと気づくと、バンビことパンクな彼女が、カレーにコロッケを乗せて、コロッケカレーにしていたが、こういう思いつきはパンクならでは。

御案内をいただいて、私は都合がつくか迷っていたのだが、バンビは高校時代から「花椿」の愛読者で、資生堂が大好きなものだから、私の都合も聞かずに勝手に出席の返信をしてしまったのだった。
posted by 城戸朱理 at 12:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

銀座散策

IMG_9760.JPGIMG_9771.JPGIMG_9769.JPG



新橋で降りて、岡山県・鳥取県のアンテナショップ「とっとり・おかやま新橋館」に寄り、それから銀座へ。

今春、オープンしたGINZA SIXを初めて見たのだが、巨大な草間彌生のオブジェが飾られていた。

設計は、ニューヨーク近代美術館などを手がけた谷口吉生だが、銀座エリア最大の商業施設だけに、かなり広い。


さまざまなテナントが入っているが、私とバンビことパンクな彼女がいちばん長く滞在したのは、蔦谷書店。

万年筆の品揃えがとてもよかった。


2時間ほど歩き回り、それから資生堂へ。

現代詩花椿賞贈賞式の時間まで、11階のBAR Sで軽く飲もうというわけである。

最初にビールで渇きを癒し、それからシャンパン。

私はジントニック、バンビはイチゴのモヒートを頼む。
posted by 城戸朱理 at 10:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

バンビことパンクな彼女とは?

IMG_9745(1).JPG



思いがけない紙焼きの写真が出てきた。


ライヴの写真である。


ピンピンに逆立った髪にビリビリのTシャツ、タータンチェックのスカート、足元をエンジニアブーツで固め、1975年のヴィンテージのフェンダー・マスタングをぶんぶん弾きまくる小さくも怪しいベーシスト。


そう、バンビことパンクな彼女である。


なぜ「パンクな彼女」かというと、その言葉通り、パンクバンドをやっていたからで、今でこそ開店休業中だが、いつまた再開するか分からない。


では、なぜ「バンビ」なのかというと、これは彼女のツイッターのアカウント、@mad_bambiから。

訳すなら「いかれバンビ」だが、このアカウントのおかげで「バンビさん」とか「バンビちゃん」と呼ぶ人が増えてしまったので、このブログでは「バンビことパンクな彼女」という表記が定着してしまったのだ。


ちなみに、柳美里さんのツイッターやブログに登場するときは「アイドル桂子」。


鎌倉では、かまくら春秋社代表、伊藤玄二郎さん命名の「B.D.」、そして今は亡き日本画家、瓜南直子さん命名の「リボンちゃん」というあだ名も流通している。



そして、自称、生きているこけし=生(なま)こけしである。



パンクなだけに、マフラーやらバッグやら至るところに安全ピンを付けまくっているのも特徴で、わが家では、よく安全ピンが落ちているのだった。




「学生のときなんか、ジージャンの背中にびっしり安全ピンを刺していたんだよ!」




どれだけ時間がかかるのか見当もつかないが、洗うときには外して、また付け直していたのだろうか?

パンクのためなら、そのていどの手間を惜しんではいられないのである。


それにしても、エルメスの手帳やルイ・ヴィトンのバッグにまで安全ピンを付けてしまうのは、やりすぎな気がしないでもない。




「パンクはアティチュードなんだよ!」
・・・・・・




それをいいことに何でもやりたい放題で、昨夜は「カピバラは寒いのが苦手なんだよ!」と言って二度もお風呂に入っていたし、今日も何になったつもりなのか、しきりと「ちゅーちゅー」鳴いているではないか。

「ちゅんちゅん」鳴いていることもあれば、リスの真似をして「ぐっ、ぐっ!」と鳴いていることも多い。



本当ならば「バンビことパンクな嫁」なのだが、語呂が今ひとつだし、「バ」と打つだけで「バンビことパンクな彼女」と予測変換されてしまうので、このままで行こうと思っている。


そして、今日もバンビは絶好調。




「じゃ、行ってくるよ!」



どこに行くのかは知らないが、「バンビ離陸っ!」というツイートとともに福岡に行ってしまったこともあるし、2年前の夏など「着いたら連絡するね!」と言って出かけたと思ったら、メールで送られてきた写真は、なんとフィンランドだったこともある。

結局、バンビは一週間の夏休みをフィンランドで過ごしてきたのだが、ノンフィクション作家、ピルッコ・リンドベリさんが、日本に滞在して取材し、福島第一原発事故以後の日本の現状を書いた新刊書にもバンビが登場するものだから、現地では歓待されたらしい。



パンクなだけに何が起こるか予測不能、何をやらかすか制御不能なのである。



仕方がないとは言いながら、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 11:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

藤富保男とブルース・リー?



12月1日に4本もの原稿を書き上げて、私が休もうとしたら、バンビことパンクな彼女がとんでもないことを言い出した。




「城戸さんはおっきいからね」
???

「まだまだ原稿を書けるんだよ。
そのためにおっきく生まれてきたんだなあ!」
!!!


無茶苦茶な言い分である。



「こうやって城戸さんをさんざん働かせるブラック企業、マッド・バンビなんだよ!」
・・・・・・




バンビといっても、かわいい森のバンビではない。

パンクでイカれたマッド・バンビなのである。



そう言いながらも大胆に断捨離を進め、徹底的に掃除をして環境を整え、玄米を炊いて常夜鍋を作ったりと食事の準備もしてくれるので、実は大いに「お役に立っている」のだが。



すでに書いたように「びーぐる」追悼特集のために藤富保男論12枚を半日かけて書き上げたのは12月3日で、翌朝、「びーぐる」編集同人の高階杞一さんにお送りした。



藤富さんの詩について、あれこれ考えたわけだが『藤富保男詩集全景』に収録されている箴言集『一発』に次のような言葉を見つけて、またもや、ヤられたと思ってしまった。




詩を考える、など言わない方がよい。
詩は「思考」する世界ではない。




これは「燃えよドラゴン」のブルース・リーの名セリフ「Don't think.FEEL!」(考るな、感じろ!)の藤富流表現なのだろうか。


「燃えよドラゴン」のブルース・リーのセリフは次のようなものである。





Don't think.Feel.
It's like a finger pointing away to the moon.
Don't concentrate on the finger,you will miss all the heavenly glory.

「考えるな、感じろ!
それは遠い月を指さすようなものだ。
指ばかり見ていては、栄光はつかめないぞ」




含蓄のある言葉ではないか。

指示するもの「指」と指示されるもの「月」が等価ではないという考え方は、ソシュールの言語学に、あるいは道元禅師の思想に通底するものがある。



ほかにも『一発』から。





おもしろいことは世にみなぎっていて、一向おもしろくないことに等しい。


詩を書くということは観念を捨てることである。
けれど全体を通して、何を考えてその詩を作ったか判らないとき、それを寝言という。


この世は詩の材料で充満している。ありすぎるから選ぶのに苦労する。そして選ぶ行為が詩自体である。





いずれも藤富さん一流の肩透かしを食らわせてくれる箴言だが、最後の命題は藤富さんの詩学がマルセル・デュシャンのレディメイドの発想と同じものであることをうかがわせてくれる重要なものだと思う。



4日は詩想を練り上げ、翌朝に清書して「現代詩手帖」編集部に送った。『白鳥伝説』の一篇である。



鎌倉ペンクラブから会報に寄せたエッセイのゲラが届き、さらに、かまくら春秋社からまたもやエッセイの依頼。なんとテーマは「富山の置き薬」。

先日、伊藤玄二郎代表に言われたのを失念していたのだが、これは富山市の企画だという。



今月の番組撮影のため井上春生監督からロケスケジュールや構成台本が送られてきており、メールが頻繁に入るも、例年に比べるならば、余裕のある毎日だ。


すると、やはり『一発』に名言があった。




学生のころ〈退屈〉があったが、どういうものか退屈がなくなった。
退屈の反対は活動性にみなぎっている多忙性だろう。
しかし多忙のなかに退屈を感じることを余裕という。
余裕はある意味で世の歯車に巻き込まれるのを避けることのできる意識の問題である。
この意識が起こるか、起こらないか、持とうとするか、持つことを忘れるか、その辺が問題である。
詩はいつもそこにあるのだ。
その詩に気が付くか、付かないか、たまには本気で退屈者になってみる勇気が必要である。





「人生は退屈の味を知ってから始まる」と語ったのは吉田健一、「退屈しつくすほど、ひとつのものをじいっと見ろ。ひとつが見えてきたら、みんな見えてくる。おまえはだめだな。もっと暇に励めよ」と友人を叱ったのは青山二郎だが、ここまで行くと達人の域だろう。
posted by 城戸朱理 at 00:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

師走そして、年末進行



11月の終わりは、なにやら慌ただしかった。


市民税を始めとするさまざまな支払いが月末に集中し、50万近い出費となったので、いささか焦ったが、終わってみれば何のことはない、財布が春風のように軽くなっただけで、これはこれで心地よい。



今年、私がもっとも嬉しかったのは、出光美術館「開館50周年記念古唐津ーー大いなるやきものの時代」で講演をさせていただいたことだが、この講演は出光美術館館報に掲載される予定で、テープ起こしが届いた。



林桂さんから俳誌「鬣」に西躰かずよし句集『窓の海光』書評の依頼に続いて、かまくら春秋社から北海道東和町『椅子コレクション集』第三巻のエッセイの依頼、
さらには富岡幸一郎さんからリニューアルされる「表現者」のT.S.エリオットについての評論の依頼と、締切が来年1月となる原稿依頼が続き、年末を意識せざるをえない。



この時期は、当然のことながら、物書きが一年でもっとも忙しい年末進行の季節。



12月1日は、「岩手日報」1月1日に掲載される「新年文芸」の選評を始めとして、計4本の原稿を書き上げ、編集部に送った。



次の締切は、「びーぐる」の藤富保男論12枚である。



今年は、それなりに立て込んでいるとはいえ、年末進行もそれほど大変ではないので、気持ちのうえでは余裕がある。



むしろ、バンビことパンクな彼女のほうが大変そうなので、夕食は私が準備することにして、メロンにハモンセラーノを乗せ、ステーキを焼き、ラム肉と野菜を煮込んでクスクスを作ったのだが、このメニューでは飲まないわけにはいかない。



バンビと英国王室御用達のスパークリングワインを開けたのだが、ステーキもクスクスも美味しかったので、バンビが「今日は肉祭だよ!」と言い出し、つい飲みすぎてしまった。


進歩のない話だが、進歩なんぞAIに任せて、錯誤を生きるのが私の道である(?)。
posted by 城戸朱理 at 21:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

オイリュトミー公演「おしごとは呼吸すること」

IMG_9125.JPG




11月22日(水)は、再び東京へ。


柳美里さんが、移動中にiPhoneのアプリ「iライターズ」で原稿を書くことがあると言っていたが、バンビことパンクな彼女がインストールしてくれたので、車中で原稿を書いてみることにした。

これが、意外と使いやすく、新宿に着くまでに「鎌倉ペンクラブ会報」に寄せる原稿、5枚弱を書き上げることが出来た。


バンビを連れていく約束をしていた荻窪のもつやき専門店カッパに寄ってから、高円寺の劇場「座・高円寺2」に向かう。


入場するなり、バンビが「貴子ちゃんだ!」と手を振っているので、見たらミュージシャンの嶺川貴子さんではないか。


嶺川さんもバンビに手を振っている。


思いがけないところでお会いすることになったが、嶺川さんは、誰かに招かれたわけではなく、興味を覚えていらっしゃったそうだ。




笠井叡さんの天使館でオイリュトミーを学んだ野口泉さんによるオイリュトミー公演「おしごとは呼吸すること」は7時の開演。


この公演は、「呼吸」の意味を問い直すことで、世界と私たちの関係性に思いを馳せるものだった。

出演は、野口泉、三上周子、清水靖恵、オイリュトミスト3人。


朗読が、甲田益也子、灰野敬二。


甲田さんは、1980年代に「an・an」の専属モデルとして活躍され、その後、レコードデビューされたが、憧れの人だけにバンビが興奮している。


たしかに甲田益也子さんと嶺川貴子さんが同じ会場にいるというのは、驚くべきことかも知れない。



公演は、エスキモー族の「魔法の言葉」やアイヌの昔話「口くらべ」や「バガヴァット・ギーター」などのテクストの朗読をはさみながら、空間に意識の流れを作り出すかのようだった。




野口泉さんのお父さんは、アスベスト禍で亡くなられたが、その最期は泉さんの腕のなかだったという。

パンフレットから野口さんの文章を紹介しておこう。




それからしばらくして父はベッド脇に置いてあった椅子に移動しようとしました。ですが、体勢を変えようとした拍子に激しく呼吸困難に陥ったため、私が両脇から体を支える形になりました。

この数ヶ月でかなり体重が落ちていたとはいえ、父はとても重く私ひとりの力では支えきれずに、椅子のそばにしりもちをつく体勢になりました。

父はとても浅く短い息で、苦しい様子が全身から伝わってきました。私の両腕は父の上半身を支えているため呼吸器をつけてあげることもできません。かなり乱れている呼吸が整うのをそのままの体勢で待っている時でした。

父は突然、とてつもなく長い深呼吸をしたのです。まるで高原の香りを胸いっぱいに吸い込むかのような、あるいは刷毛で真っすぐ天に向かって線を引くような、清浄というより他に表しようのない呼吸でした。そして次に息を吐いた時、戻ってきたのは父の肉体だけでした。




呼吸を終えるとき、人間は、この世界から旅立つ。

つまり、呼吸とは生の証であり、生きているものにとっての仕事にほかならない。


だから、「おしごとは呼吸すること」というタイトルに込められた意味は、限りなく深いものがある。


最近、ダンス公演といえば必ずのように顔を合わせる遠藤朋之和光大准教授と鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)さんと、しばし、立ち話。ついでに記念撮影。


その後、遠藤先生とビールを飲みつつ、感想を語り合い、終電で鎌倉に戻った。
posted by 城戸朱理 at 02:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

Vivienne Westwood Winter Street Festival!

IMG_9066.jpgFullSizeRender.jpgFullSizeRender0001.jpgIMG_9104.jpgIMG_9112.jpg



ヴィヴィアン・ウエストウッドのイベント会場は、東京タワーの真下、スターライズタワー。

やたらお洒落な人が目につくが、みなイベント会場に吸い込まれていく。



受付で、お土産のハンカチと会場で使えるチケット3枚をもらって、いざ会場へ。


これが凄かった。


DJが、かけるのは70年代のヒット曲。

蝉の声が聞こえる会場は、完全に縁日の雰囲気である。


わた飴やチョコバナナ、ベビーカステラにかき氷などがふるまわれ、京都のジン「季の美」を始めとして、ビールも日本酒も無料。



ステージのうえでは、佐渡おけさ、マッチョな法被姿の男たちが踊り出したりと、夏祭りを意識したパーティーである。



しかも受付でもらったチケットで、スーパーボールすくいや射的、ピンボールなどが出来るのだが、ほぼ外れなしでヴィヴィアンのアイテムが貰える。



バンビと私は、まずスーパーボールすくいに挑戦した。


流れているのは、ヴィヴィアンオリジナルのスーパーボールと、LEDが仕込まれた光る指輪である。

一個もすくえなくても好きなものを4個もらえるのだが、バンビも私も金魚すくいは得意なので、スーパーボールがすくえないはずはない。


ふたりとも光る指輪を含めて3個ずつすくい、さらに2個もらったので、合計10個。



ピンボールでは、A賞を獲得して、なんと革財布をゲットしてしまった。



最後に一枚残ったチケットで、私が射的に挑戦し、バンビが欲しがっていたヴィヴィアンのモレスキンのノートをもらって、チケットは終わりに。



21:30から会場ぜんたいをランウェイに見立てたショウが始まり、バンビは撮影に夢中になる。


ヴィヴィアンのアングロマニアのコレクションだが、スタイリングはヴィヴィアン・ウエストウッド本人だけあって、ユニセックスでアバンギャルド。

モデルも個性的だった。


なにせ、大好きな縁日とヴィヴィアンが合体したようなイベントだけに、バンビは大興奮。


会場を出ると、ライトアップされた東京タワー。



かくして、バンビは、興奮続きの3日間となったのだった。
posted by 城戸朱理 at 09:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンビ、大興奮!?

IMG_9017.jpgIMG_9026.jpg



2日続けて、「BUTOUプロジェクト」公演を見たバンビことパンクな彼女は、いささか興奮気味だが、翌日、20日もそわそわしていた。


この日は、ヴィヴィアン・ウエストウッドのウィンター・ストリート・フェスティバルが開催されるからだ。


これは顧客を招待しての催しなのだが、「アングロマニア」のショウがあることだけは分かっているものの、どんなイベントなのか、皆目、見当がつかない。


バンビは、何を着ていくか迷っていたが、結局、リボンワンピースにレザーのライダース・ジャケット、タータンチェックのカシミアストールを選び、靴は、会場で新作のプラットフォームベルトパンプスに履きかえることにしたらしい。

もちろん、バッグまで含めて、すべてヴィヴィアン・ウエストウッドである。



しかも、なぜか素通しの伊達眼鏡をかけ、小脇に分厚い洋書を抱えているではないか。

よくよく見たら、ヴィヴィアン・ウエストウッドの自伝だった。



「今日は、ヴィヴィアンに憧れているお勉強っ子というコンセプトで行くことにしたんだよ!」
・・・・・・



よく分からんコンセプトだが、パンクだから何を言ってもムダである。


私もヴィヴィアンのベルベット・コートを着ようかと思ったのだが、面倒になって、ジョルジオ・アルマーニのカシミアのチェスターコートをはおって出かけることにした。


雰囲気としては、パンクな子供を連れた保護者という感じである。


フェスティバルは、20:30会場なので、鎌倉駅西口の勝烈庵で食事をしてから東京に向かった。
posted by 城戸朱理 at 09:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

BUTOUプロジェクト@神楽坂セッションハウス

IMG_8970.jpg



神楽坂の赤城神社では、福井物産展「越前・若狭まつり」をやっていた。

覗いてみたのだが、のどぐろの一夜干しや越前蟹など、酒肴になるものに惹かれても買うわけにはいかない。



これから、「舞踏」を見るのだから。


会場は、神楽坂セッションハウス。

ダンスブリッジ・インターナショナル2017「BUTOUプロジェクト」は、三組の出演者によって、18日と19日に開催された。


バンビことパンクな彼女は、すでに18日のゲネプロを撮影し、夜の公演も見ていたが、私は19日の13時の公演を見るつもりが、時間を間違え、結局、17時からの公演を見ることになった。

おかげで、仙台から、この公演のために上京した富田真人氏にも会えたし、それで良かったのかも知れない。


13時の公演を見た遠藤朋之氏と蕎麦屋で飲みつつ、開演時間を待つ。


夜の公演には、笠井叡さん、久子さんを始めとする笠井家のみなさんも見えられた。



BUTOUプロジェクトのプログラムは、鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)+定方まことによるCORVUSの「血と雪」、奥山ばらば「カバネダタリ」、そして工藤丈輝による「荒漠器〜かくも人間的な廃墟」。



笠井叡の天使館のメンバーであるCORVUSのふたりに、麿赤兒の大駱駝艦の艦員だった奥山ばらば、そして、土方巽が創設したアスベスト館で舞踏手であるとともに振付けも手がけた工藤丈輝と、
舞踏を担ってきた伝説的存在のもとで学んだ第二世代の舞踏家を集めることで、舞踏の現在を開示する企画と言えるだろう。


公演時間は、1時間40分。これが異様に濃密な時間だった。


CORVUSは、舞踏概念にとらわれないオイリュトミーで作られた肉体で、言語と格闘するような「血と雪」を踊り、
奥山ばらばは、関節を感じさせないなめらかな動きで、30分もの間、重力に抗い続けた。


工藤丈輝は、白塗りならぬ黒塗りで、爬虫類から獣へ、そして人間への生成を踊ったが、子供が見たら泣き出しかねない異形の恐怖、これは詩友、広瀬大志くんに見てもらいたかったところである。



今や、「舞踏」も、創草期とは違って、規定しがたいものになっている。


日本発の前衛的身体表現として、世界に知られるようになった「BUTOU」は、新たなステージを迎えたというべきなのだろう。


それは踊りとしての様式化をつねに脱ぎ捨てていくことであり、言語と身体の関わりに根差した問題なのではないだろうか。


ラディカルな問いを突きつける公演だった。
posted by 城戸朱理 at 15:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

再び、寺町で古書店巡り

IMG_8802.jpgIMG_8805.jpgIMG_88060001.jpg



昼食を終えて寺町を散策、四条から下って三密堂を始めとする古書店を覗いた。


京都の古書店だと当たり前のように江戸時代の和本が積まれているが、これは関東大震災、東京大空襲を経験し、本もまた消われた東京では見られない眺めだろう。


バンビことパンクな彼女が江戸後期のぼろぼろになった和本を買っていたが、読みたかったわけではなく、オブジェとして惹かれたらしい。


古本エッセイでも知られる画家の林哲夫さんも、絵のモティーフとして古書を買われることがあると語っていたが、オブジェとしての本というのも魅力的なテーマだ。


私は、文庫本など11冊を購入。



さらに、古家具や古道具を扱う「CRAFT CANDY JOY」を見てから、ホテルに戻った。
posted by 城戸朱理 at 08:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

錦市場へ

IMG_8781.jpgIMG_8777.jpgIMG_8779.jpg



11日は「幻を見るひと」の取材対応のための予備日で、朝日新聞の問い合わせに答えた。


とりあえず、仕事は終わったので、バンビことパンクな彼女と出かけたのは錦市場である。


錦小路手前の八百屋では、カボチャに顔が描かれていたが、バンビによると、日々、増殖しているそうだ。


今回の京都は、中国や韓国からの旅客が少なかったが、かわりに欧米からの観光客が異様に多かった。

錦市場も、山手線の通勤ラッシュのような混み具合で、歩くのもままならない。


自宅用の食材の買い物は明日にすることにして、冨美屋でうどんすきなどを手配し、有次で雪平鍋を買って、脱出した。



どこかで昼食を取ろうと思ったのだが、どの店も満席。

新京極のスタンドも覗いてみたが、やはり、満席だった。



紅葉のピークとなる11月23日前後は、さらに混むのだろう。
posted by 城戸朱理 at 08:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

「幻を見るひと」特別先行試写

IMG_8706.jpgIMG_8702.jpgIMG_8696.jpgIMG_8704.jpg



映画というものは、完成すると、まず関係者だけの初号試写を行うのだが、「幻を見るひと」は、
まだ初号試写さえしていない状態で、京都での特別先行試写の日を迎えることになった。

つまり、出演者である吉増剛造さんも、全編を見るのは初めてという、異例の試写である。


午後5時に会場入りすると、すでに吉増さんは、ステージに銅板や「怪物君」を広げ、セッティングの最中だった。

同志社大学の課外プログラムのディレクター、西原多朱さんと打ち合わせを済ませ、バンビことパンクな彼女は、記録撮影の準備に入る。



同志社大学、寒梅館は煉瓦造りの素晴らしい建物で、会場のハーディホールは、850席。

大ホールだけに満員というわけにはいかないが、それなりに客席も埋まり、静かな熱気を帯び始める。



「幻を見るひと」の試写は、予定通り6時半から始まった。

ドキュメンタリー映画としては異例の2時間近い長尺にもかかわらず、観客はスクリーンに集中し、終わると拍手が起こる。

井上春生監督の母校での試写だけに、井上監督が来られなかったのが残念だ。



吉増さんも興奮気味で、目隠しして「怪物君」にインクを垂らすパフォーマンスに臨まれた。

前夜に、西原多朱さんからバンビに問い合わせがあり、バンビは5m×5mの養生をすれば大丈夫と返信したのだが、
吉増さんは目隠ししているだけに、インクは見事に養生をはみ出してしまったが、何事も予定調和のうちに終わらないのが「怪物君」の「怪物」たる由縁だろう。


パフォーマンスのあとは、私も壇上に呼ばれ、西原さんの司会でトーク。


トーク終了後も熱心な観客が吉増さんの回りに集まり、交流が続いた。



私は「朝日新聞」の取材に対応し、園田恵子さんや岡本啓さんに挨拶。

石田瑞穂くんやバンビから話を聞いていたので、私は、岡本さんのことを旧知の詩人のように思っていたのだが、実はお会いするのは初めてである。

今年、第一詩集『耳の生存』を上梓した菊石朋さんも、大阪から来てくれた。



9時に撤収し、打ち上げは、隠れ家のような吉田屋料理店で。


翌日、吉増さんは明け方まで眠れなかったとおっしゃっていたが、興奮を抱えたまま、夜は更けていく。
posted by 城戸朱理 at 10:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

京都国立博物館120周年記念「国宝」展

IMG_8638.jpgIMG_8639.jpgIMG_8663.jpgIMG_8665.jpgIMG_8641.jpg



糸屋ホテルに荷物を置いて、バンビことパンクな彼女と、まず向かったのは京都国立博物館である。


開催中の開館120周年記念展「国宝」は、誰もが目にしたことのある名品が並ぶだけに、連日、入場が30分〜1時間待ちという混雑ぶりが伝えられていたが、雨の平日の夕方ならば入れるのではないかというバンビの作戦が成功し、待たずに入場することが出来た。


書も絵画も彫刻も、陶芸も漆芸も金工も、人巧が天巧に達したような作品ばかりで、空海の書や雪舟、等泊の絵の前にたたずみ、油滴天目や井戸茶碗を覗き込んでは、神経がざわざわするかのような時を過ごす。


私が興奮して、喜左衛門井戸茶碗を覗き込んでいたときのこと。

若いカップルがやって来て、女性が感想を漏らした。



「間違って、捨てちゃいそう」



私は思わず吹き出したが、カップルはまったく興味がなかったようで、すぐに立ち去ってしまった。

彼女の感想も間違っているわけではない。


茶美というものは、その美しさが表面化するものではないが、「侘び」や「寂び」といった美意識は、それだけに曰く言い難いものなのだろう。


茶碗では、ほかに志野茶碗の銘「卯の花墻」があったが、こちらも数少ない国焼き茶碗の国宝とはいえ、やはり単純に美しいと言えるものではない。


一方、縄文時代の土偶の造型は、ピカソの作と言われてもうなずけるようなモダンなフォルムで、目を見張った。


アンドレ・ブルトンが、この土偶を見たら、感嘆したのではないだろうか。




館内は、かなりの混雑だったが、長蛇の列の列が出来ていたのは、志賀島で発見された金印である。

掌に乗るような小さな金印を、誰もが食い入るように見つめ、列が動かない。

やはり、教科書に載っているような作品は、自分の目で見てみたいという欲求が生じるのだろう。




「漢委奴國王」と刻まれた金印は、福岡市博物館で、じっくり見たことがあるので、私は並ばなかったが、ミュージアム・ショップでは、金印のレプリカも売っていた。

職人の手作りで、24金張りという無駄に真面目な作りが面白い。

例によって、パンクなバンビにそそのかされ、買ってしまったが、友人の手紙にペタペタ押しまくろう、「漢委奴國王」。



閉館時間になったので外に出たら、すでに日は暮れ、遠くライトアップされた京都タワーが見えた。
posted by 城戸朱理 at 13:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

京都へ





11月7日(火)は、まず「岩手日報」投稿欄の入選作を選び、2回分の選評を執筆、メールした。


入選作品を宅急便で手配してから、髪を切りに行こうと思ったのだが、行きつけのユアーズは定休日。

とりあえず、東急ストア内のイレブンカットでカット&シャンプーをしてもらって、帰宅し、夕食の準備を始める。


わが家では、手の空いているほうが料理をするのだが、この何年かは、圧倒的にバンビことパンクな彼女が食事の準備をすることが多かった。

最近は、私が料理をする日も増えてきたので、それだけ余裕が出来たことになる。


昨夜は、ステーキを焼いた。

山形牛A5等級の肉を見て、バンビは「んふ! 楽しみだなあ!」と興奮していたが、今日のメニューは秋鮭のムニエルである。


キャベツ半玉とベーコンの塊をことこと煮込むかたわらで、鮭に塩・胡椒して小麦粉を軽くまぶしてバターで焼き、さらに、ほうれん草のバター炒めを仕上げる。

焼鳥も買ってあげたので、バンビは御機嫌だった。



11月8日(水)は、起床して、トランクに荷物をパッキング。

パッキングも慣れたもので、今や海外でも、30分もかからないし、国内旅行なら10分で終わるようになった。


バンビはカメラやPCなどの機材があるから、私より大変だが、旅行用のチェックリストを作ってあるで、効率よく進めている。


12時17分、品川駅発の新幹線で一路、京都へ。

この何年か、京都に行くことが増え、ひと月以上を京都で過ごす年が続いたが、今年は2回目だけに楽しみだ。


今回は、同志社大学での吉増剛造「幻を見るひと」特別先行試写に立ち会うための京都行きである。
posted by 城戸朱理 at 21:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

鎌倉の秋

IMG_8563.jpgIMG_8572.jpgIMG_85830001.jpgIMG_8581.jpg



11月5日(日)。


バンビことパンクな彼女と、久しぶりに散歩に出かけることにした。

民家の軒先に、柚子やレモン、蜜柑がたわわに実っていたり、柿の実が、野鳥に啄まれるのを待つように熟している。

鎌倉の紅葉は、まだ始まったばかりだが、思いのほか、さまざまな花が咲いていた。


バンビは久しぶりにCONTAXの一眼レフを持ち出している。

デジタルではなく、フィルムを試すつもりらしい。

私もLEICA X2ではなく、フィルムを使うことにした。


長谷を抜けて、由比ヶ浜から材木座海岸まで歩き、浜辺に打ち寄せられた漂流物を撮影する。


それから、若宮大路に出て鎌倉駅前へ。


戦前は国宝の指定を受けていた若宮大路の一の鳥井は、江戸時代、寛文8年(1668)に
再興されたものだが、関東大震災で崩落し、修復されたので、そのときの亀裂を確認できる。

大路の生垣は、ドングリをたくさん付けていた。


撮影が終わったフィルムを現像に出し、買い物をしてから、小町通りの舵屋で、熱燗を飲んだのだが、海風に吹かれたあとは、頬が火照る。
posted by 城戸朱理 at 07:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

島崎藤村『夜明け前』の前まで



11月4日(土)は、鎌倉ペンクラブ、早見芸術学園共催の秋の連続講座の第一回目で、私が講演した。


題して、「島崎藤村 禁断の愛を超えて」。


この演題は、藤村と姪との、いわゆる「新生事件」を踏まえたものだが、その結果として藤村はフランスに外遊することになる。

この西欧体験が、逆に藤村に自らの家と血、そして故郷を意識させることになり、あの叙事詩的な大作『夜明け前』を書かせたのではないだろうか。


講演のために、この半月ほど、藤村の著作を読み返していたのだが、レジュメを作って、講演に臨んだ。



まずは、詩人、藤村の誕生から語り起こし、小説家としての出発となった『破戒』の意義を語り、「新生事件」とフランス渡航まで語ったところで、時間切れ。

やはり、駆け足とはいえ、一時間半で、藤村の全体像を語るのは無理だったようだ。


だが、講演自体は好評だったので、次回に期するしかない。

私としては、藤村を読み直したおかげで、日本の近代を再考することになったのは収穫だった。



終了後は、文芸評論家の新保祐司さん、事務局の石川洋一さん、そして、倉和男さんといった鎌倉ペンクラブの重鎮と、昼から開いている仕立屋で打ち上げ。

さらに、北鎌倉の侘助に席を移し、飲みつつ、語り合う。

ご両親の介護を通して、認知症と向き合ってきた倉さんは、思うところがあるらしい。



倉さん「自分も認知症になるんじゃないかと怖いんですよ」

石川さん「恋愛をしていれば認知症にはなりません。
愛です、愛」

私「認知症同士の恋愛もあるんじゃないですか。
相手が誰か分からなくなったりして」



ガーデニングの名手で、『北鎌倉のお庭の台所』の著者でもある画家、藤田みどりさんが、男たちの会話に呆れていた。




しかも、この会話をバンビことパンクな彼女がツイッターのDMで、藤沢周氏に逐一、報告し、藤沢さんは爆笑していたらしい。
posted by 城戸朱理 at 08:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする