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城戸朱理のブログ: 日記

2018年06月01日

日付変更線を超えて

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振替のフライトは、ハワイアン航空のホームページで13時ごろに発表されることになっていたが、フライトが夜になるのは分かっていたので、チェックアウトも13時まで延長しておいた。

昼にハワイアン航空から連絡があり、17〜18時に成田国際空港のカウンターで代替便を案内するとのこと。


昨日は羽田、今日は成田とは予想もしなかった。


しかし、そうなると品川プリンスホテルを選んだのは正解である。

京急品川駅から成田国際空港まで、乗り換えなしで一本で行けるからだ。



ちなみに、ハワイアン航空がホテルを手配してくれたわけではなく、各自が手配し、後日支払われるという仕組みだったが、欠航したときの対応は、航空会社によって違うようだ。


ホテルで昼食を取ってから、成田へ。

4時に到着して、ハワイアン航空のカウンターに並び、振替便を確認して、チェックインを済ませるまで4時間もかかった。

スーツケースを引っ張りながら、広い空港を歩かされたおかげで、疲れ方も尋常ではない。

搭乗まで一時間ほど余裕があったので、天亭で天ぷらを当てにビールを飲み、小憩。



代替便はJALになったが、ハワイアン航空でグレードアップしたのに、代替便ではプレミアム・エコノミーになっておらず、コードシェア便は複数の航空会社が関わるだけに、欠航のときの手続きは面倒なものになる。

コードシェア便は避けるようにしたほうがいいようだ。


それにしても成田国際空港は広い。


バンビことパンクな彼女も疲れはて「シャルル・ド・ゴールは広いけど、成田がこんなに広いとは思わなかったよ〜」と弱音をはいている。

たしかにパリのシャルル・ド・ゴール空港は広いうえに迷路のようだが、ニューヨークのJFKは広いわりには分かりやすい。

成田が広いと思ったことはなかったが、今回は、その広さを思い知った。



ともあれ、今度は順調に日付変更線を超えて、ハワイにたどり着くことができた。

空港からホノルルまで、定額で35ドルと割安のチャーリーズ・タクシーでホテルへ。


ホテルは一昨年と同じくハレクラニの姉妹ホテル、パーク・ワイキキ。

バンビがコンシェルジュにメールでリクエストしていたので、部屋は22階のオーシャンビュー、極めて快適である。
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2018年05月31日

日付変更線のはるか手前で?

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5月22日。


パッキングを前夜に済ませたので余裕があるものだから、午前中は書類の整理をして過ごした。

ついでに書斎のデスク周りも片付けることが出来たので、気分がいい。


詩想を得て、新作を二篇書き下ろすことが出来た。

ハワイでも原稿が書けるように、万年筆と原稿用紙を持ったが、原稿ではなく手紙を書くかも知れない。


羽田空港には7時前に到着。

チェックインを済ませてから、軽く飲みながら食事をし、免税店を歩き回る。

座席のグレードアップにも成功したし、出来るだけ疲れた状態で搭乗して熟睡し、目覚めたときにはハワイに着いているというわけ。

旅なれたバンビことパンクな彼女ならではの高度な作戦(?)である。

実際、搭乗口で待っている間に眠くなってきたので、うまくいくはずだった。

うまくいくはずだったのだがーー


今回のフライトは、JALのコードシェア便でハワイアン航空だったのだが、予定の23時20分を過ぎても搭乗が始まらない。

なんと、0時を過ぎてから、欠航が発表された。

機体に整備が必要な箇所が見つかったためらしいが、係員の先導で、パスポートに「出国中止」のレアなスタンプを押してもらって、タクシーで品川プリンスホテルに投宿。

バンビは、ハワイのホテルのコンシェルジュやタクシー会社に遅延の連絡を入れている。



「品川プリンスホテルなら、いつも電車から見ていたけど、まさか泊まることになるとは思わなかったなあ!」

まったくである。

部屋は品川駅を見下ろす32階で、夜景が美しい。


就寝は午前4時。
posted by 城戸朱理 at 10:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハワイ旅行の準備




バンビことパンクな彼女が、及川俊哉『ハワイアン弁財天』をデスクに置いて、ハワイに持っていく荷物のチェックリストを作っている。


『ハワイアン弁財天』標題作から。




いま世界にはハワイが足りないの
インドが足りないときもロシアが足りないときもあったわ
ローマが必要なときも、フランス不足の時期もあった
でも今はハワイが決定的に不足しているのよ
虹の光が弁財天の声に共振して揺れる
蜜がパンの生地にしみるように
その意味は僕の心にしみひろがり
心を甘く満たしていく
そうか、ハワイが足りなかったんだ
ハワイを配りに行こう
世界にハワイを!




「ハワイを配りに行こう」、思いっきり意味不明な詩句である。

及川俊哉氏は何を考えて、この詩を書いたのだろう?



私はといえば、別にハワイが足りなかったわけではないのだが、仕事でハワイに行くことになったのだった。

フライトは、22日。



大学と大学院の講義を終えた週末、渡航前の20日(日)は、落語「たがや」に寄せる詩を書き上げて、かまくら春秋社にメールしてから、「岩手日報」投稿作品を読み直し、入選作を絞り混んだ。

さらに、今年度分のCS放送番組の最終的な企画を作成する。


夕方、バンビと外出。

御成通りの靴専科にトートバッグの修理と革靴のヒールの交換を頼んでから、山本餃子で画家の久保田潤さんと待ち合わせた。

なんと、まだ6時なのに餃子が8個しかないというではないか。

ここのところ、山本餃子は、雑誌の鎌倉特集によく登場していたので、お昼で売り切れてしまったらしい。


久保田さん、理央ちゃんと是枝裕和監督のカンヌ国際映画祭、パルムドール受賞に乾杯し、映画について語り合う。


今回のカンヌのコンペティション部門には、ゴダールの「イメージ・ブック」やスパイク・リー「ブラッククランズマン」、ポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ「コールド・ウォー」も出品されていたし、韓国のイ・チャンドン監督の「バーニング」も下馬評が高かっただけに、快挙である。


「万引き家族」、発想といい、テーマといい、ぜひ見てみたい映画だ。



翌日はハワイ行きのための荷物をトランクにパッキングした。

今回は、インドやミャンマーの旅を御一緒した下田正弘東大教授や『百年泥』で今年上半期の芥川賞を受賞したインド在住の作家、石井遊佳さんと現地でお会いできるので楽しみである。

この日は先回りして「岩手日報」投稿欄選評2回分を書き上げ、入選作品を宅急便で送り出した。


小樽の杉中昌樹さんから「食べ物+詩」をテーマとする「マドレーヌの思ひ出」vol.1が届いたが、私も「目覚めよ、と呼ぶ声がして」「悪魔的」の二篇を寄稿している。

前者は牡蠣とワインについて、後者は重石を乗せて焼くので「鶏肉の悪魔風(ディアボラ・チキン)」と呼ばれるイタリア料理から着想した作品。



ハワイ島ではキラウエア火山が噴火している。

私が行くのはハワイ島から400km離れたオアフ島だが、新詩集『火山系』を準備しているだけに、地球創生の気配を感じてみたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 10:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

ブログ更新お休みのお知らせ



このブログに、いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。


そろそろ止めようかと思ったこともあったのですが、多いときだとPVが8000を超える日もあり、力を得て、更新を続けることが出来ました。


まだ、当分は続けるつもりですが、仕事に専念するため、しばらく更新をお休みさせていただきます。


次の更新は6月1日を予定しておりますので、再開のおりには、お付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。
posted by 城戸朱理 at 19:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

GUCCIのデニムの行方???

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鎌倉の古着屋で、GUCCIのデニムを購入した。

このモデルは、フリーダ・ジャンニーニがクリエイティブ・ディレクターだったときの「フローラ・ナイト」コレクションだったと思うが、凝った刺繍が目を引く。

もともとダメージ加工がほどこされていたので、新品に近いコンディションと言っていい。


バンビことパンクな彼女なら穿けるだろうと思ったのだが、問題が発生。

バンビは小柄なので、裾をかなり詰めなければならない。

すると、せっかくの刺繍を裁ち落としてしまうことになる。



バンビの提案で、もらってくれる友人を探すことにした。

ところがーー

いざ聞いてみると、サイズが小さすぎて、痩身の友人でも、穿ける人が見つからないのだ。


はたして、このデニムは、誰のところに行くことになるのだろうか?
posted by 城戸朱理 at 08:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

試写から打ち合わせへ

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5月16日(水)は、水原紫苑さんが京都で桜を詠む「H(アッシュ)」の第四弾の試写があった。

これで、このシリーズも一段落することになる。


吉増剛造さんのドキュメンタリー映画「幻を見るひと」のニューヨーク・シティ・インディペンデント国際映画祭でのU.S.A.プレミアに立ち会い、帰国したばかりの井上春生監督と立川駅で待ち合わせて、12時半から試写。

設楽実氏を始めとする担当の立ち会いのもと、ナレーション原稿をチェックする。

井上監督は「正身(むざね)のさくら」という切れ味のいいタイトルを考えてくれたが、分かりにくいかも知れないという意見もあって、「さくらの花の果てまで」というタイトルに変更した。


会議の要点は、いつものようにアシスタント・プロデューサーのバンビことパンクな彼女がまとめることになる。


井上監督から「幻を見るひと」が招待されたダブリンのシルクロード国際映画祭、NYCインディペンデント国際映画祭の報告があり、会議は終了。


その後、場所をかえて、「幻を見るひと」公開の打ち合わせ。

さらに夕方から、別件の打ち合わせが続き、疲れはてて、鎌倉に戻り、クルベル・キャンで小憩してから帰宅した。


打ち合わせや会議は、長丁場になると、執筆とは違う疲れ方をするものだ。
posted by 城戸朱理 at 08:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

講義のちホームパーティー

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鎌倉は山藤が散って、紫陽花の蕾が膨らみ始めたが、5月9日と10日は、最高気温16℃と異例の冷え込みとなった。

この日は、「岩手日報」投稿欄の選評2回分を執筆。



原稿を書いてから、税金やら何やらを振り込んだのだが、あまりの出費に青ざめる。

このうち、半分弱の45万ほどは戻ってくる予定だが、いくら働いても何も残らないのは、どうしたことか。

忙しくしていても何も残らないのなら、暇にしていたいものだ。



翌日はフェリス女学院大学で講義。

気温も元に戻り、うららかな一日となった。

帰宅して、「岩手日報」に入選作品を宅急便で手配し、小憩。


『富山の置き薬』(仮)に寄せたエッセイのゲラをチェックしたのだが、かまくら春秋社からの依頼は、落語を詩にするとか、難しいものが多い。

ただ、原稿料を明記した依頼書が必ず来るし、原稿料も文芸誌より高く、「文藝春秋」並みなのは立派である。



12日は女子美大学院で講義のあと、マガジンハウスの編集者だった加藤恭一さんの茅ヶ崎のお宅で恒例のホームパーティーがあった。


パーティーの件は別にアップするが、藤沢周氏と藤沢駅からタクシーで帰宅したときには、笑いすぎでお腹が痛かった。
posted by 城戸朱理 at 09:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

鎌倉の連休

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ゴールデンウィークの鎌倉は、正月並みの混雑ぶりだった。

10年ほど前なら、年間700万人ほどだった観光客が、近年では2200万人まで増えている。

もはや、人口18万弱の小さな町のキャパシティを超えているのを痛感せざるをえない。


バンビことパンクな彼女の鎌倉観といえばーー



「ちっちゃい町、ちっちゃい町、ちっちゃい町見つけた〜♪」
・・・

「鎌倉は小さな田舎の町だよ!
カッペが住んでるカッペな町なんだよ!」
・・・・・・


バンビの実家は、鎌倉時代から800年続く北鎌倉の旧家だが、そのバンビにしてからがこの調子なのである。


「んふ〜。
ちっちゃい、ちっちゃい。
今日もちっちゃいよ〜」
・・・・・・


これは鎌倉のことだろうか。

それとも、自分のことなのだろうか。


「ちっちゃいコにお小遣いをたっぷり上げたりしてみたいものだね!」
・・・・・・

こちらの「ちっちゃい」は自分のことらしい。


ともあれ、鎌倉では休日の日中は、とても外出できない。

出歩くのは夕方以降になる。


4月30日には、バンビの旧友、カナダ在住の渡辺夏子さんが鎌倉に来たので宴会。


5月2日は、バンビが若者たちと飲みに行ったので、私は久しぶりに画家の久保田潤さんと待ち合わせ、ビストロ・オランジュで食事をしてから、クルベル・キャンで飲んだ。


仕事は、CS放送の番組企画書を作製したのみ。

あとは、片付けや整理をして過ごした。

靴を磨き、バッグのメンテナンスをして、本を整理したり。


連休明けに、200冊ほどを処分したのだが、そのていどでは、何も変わらないのが現実である。
posted by 城戸朱理 at 14:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月09日

笠井叡「日本国憲法を踊る」@天使館

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連休最終日、5月6日は、笠井叡さんの「日本国憲法を踊る」再演を見るべく、バンビことパンクな彼女と国分寺の天使館に赴いた。



国分寺駅で富岡幸一郎さんと待ち合わせ、タクシーで天使館へ。

会場に入ると、富岡さんは思いがけない人に挨拶している。

一水会の元代表、鈴木邦男さんである。

笠井叡さんは鈴木さんを右派の思想家として高く評価されていたが、鈴木さん自身は、左翼、右翼の超越を訴え、2008年に自らを左翼と規定されたことがある。

プロレス評論も手がけているあたりが、私には面白い。



「日本国憲法を踊る」は、笠井瑞丈さんによる「ダンス現在」の一環として企画されたもの。


私は横浜での初演以来、三回目となるが、圧巻だった。


最初に大日本帝国憲法の女性による朗読とともに笠井さんは舞い、ときには岩崎礁・笠井禮示・定方まこと・鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)四人のオイリュトミストを従えて、言葉から発生する身体を開示していく。


ルドルフ・シュタイナーの「幼児の祈り」、さらには与謝野晶子の「君死にたまふ事なかれ」を経て、後半は日本国憲法の朗読、さらには三島由紀夫の「英霊の声」の朗読とともに、踊りは踊りであることを超えて、笠井叡自身が憲法の条文と化していくかのようだ。


笠井さんの父、笠井寅雄さんは判事をされていたが、1954年に台風の高波で転覆、沈没し、死者・行方不明合わせて1155名という日本の海難史上、最大の悲劇となった洞爺丸事件の犠牲となった。

笠井さんは父親が亡くなってから、中学三年まで自動記述のように何かを書きつけるようになったが、それは判決文であったという。

身体に刻み込まれた「法」を新たに書き換えるのが、「日本国憲法を踊る」なのだろうか。



この踊りを見ることが出来たのは、50人だけ。

鈴木邦男さんは、その幸運を強調されていたが、同感としか言いようがない。


終演後は、そのまま天使館で打ち上げとなる。

写真は笠井叡さんに瑞丈さん、禮示さん、さらには上村なおかさんと笠井家のダンサーが揃い踏み。


さらに打ち上げのあと、笠井さんに富岡さん、バンビとともに御自宅に招かれ、笠井さん、久子さんとワインを片手に歓談。

「身体があって言葉が生まれるのではなく、言葉があって身体が始まるんです」と笠井さん。


途中で、笠井さんがキッチンに立ち、餃子を焼き、パスタを作って下さったが、ワイン2本が空いたところで辞し、横須賀線のグリーン車で、ビールや缶酎ハイを飲みつつ、鎌倉に帰った。


バンビは翌日になっても「伝説の一夜!」と興奮していたが、今になるとたしかに夢のような気がする。
posted by 城戸朱理 at 12:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月07日

締切のち講義

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打ち合わせや講演やらで外出が続いた。

170篇に及ぶ詩の草稿の清書も進まないままになっているが、いずれ、時が来るのを待つしかない。



4月26日は、「週刊現代」のための谷津矢車『安土唐獅子画狂伝』書評を書き上げて送った。

これは同じ著者の『洛中洛外画狂伝』に続く絵師、狩野永徳の物語。

海北友松、長谷川等伯らも登場し、絵師の視点から桃山時代を描く時代小説で、時の権力者、信長、秀吉と絵師の対決がスリリングだ。

それにしても、近年の歴史時代小説の多彩さは、凄いものがある。



翌日はフェリス女学院大学、28日は女子美術大学大学院で講義。

さらに30日が見なし金曜となり、フェリスで授業をした。


女子美の授業では、一昨年の受講者のWさんが聴講に来てくれたのだが、私の授業がきっかけとなって、詩に関心を持ち、修士の卒業制作は詩集を提出したというではないか。

嬉しい話だった。


そして、ようやく私の連休が始まった。
posted by 城戸朱理 at 09:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月06日

追悼・西部邁先生

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「西部邁先生を偲ぶ会」は、ホテル・グランドアーク半蔵門で催された。

しかも、この会の幹事だった窪田哲学氏は青山忠司氏とともに自殺幇助で逮捕されているという事態のなかでの開催である。

それでも、遺影の西部先生の笑顔は素晴らしい。


バンビことパンクな彼女は、あとで窪田さんが会の様子を写真で追えるように撮影を申し出たので、カメラ持参である。

先生の自裁死を知ってから、バンビはいつも西部智子さんのことを心配していたが、智子さんと再会できたのは良かった。

会場には藤沢周さん、新保祐司さんといった鎌倉の友人たちも。



乾杯の音頭は、一水会代表の木村三浩さん。

富岡幸一郎さんは、西部先生の自裁死について語り、佐高信さん、田原総一郎さんらがスピーチに立つ。



「西部には借りがある」と田原さん。

1980年代から90年代にかけて、日本の知識人といえば、全員、左派。

そこで、「朝まで生テレビ!」の出演依頼するときに、田原さんは「西部、悪いけどは悪者になってくれ」と頼んだのだそうだ。

西部先生は、これを快諾し、論陣を張ったが、そのせいで、西部先生を単純に右派と思い込む人は少なくなかった。

だが、西部邁の保守思想とは、左派であれ、右派であれ、急進的な変革を斥けるものだった。

それは危機的な時代において、均衡を保ちながら漸進するための思想であり、その均衡を保つための民族の知恵を、西部先生は「伝統」、そして「慣習」と呼んだのではなかったか。


西部先生は、60年安保闘争のとき、東大自治会委員長、全学連中央執行委員として指導的立場にあったが、左翼過激派と訣別し、経済学者への道を歩んだ。

当時のことを振り返って、「でもね、城戸さん、安保闘争と言ったって、マルクスを読んでる学生なんていなかったのよ」と西部先生が語られたのは、新宿の文壇バーだったろうか。

英首相だったチャーチルは「20歳になっても左翼にならない人間は心がない。30歳を超えても左翼のままの人間は頭がない」と語ったが、私はその意味するところを西部先生から学んだように思う。


西部先生は、相手の年齢や肩書きは一切関係なしに、誰とでも夜を徹して語り合う方だった。

その意味では民主主義を生きている方だったが、同時に民主主義がポピュリズムに陥りやすいものであることに、いつも警鐘を鳴らしていたことを忘れてはならないだろう。


西部先生は、いつもエレガントでチャーミングだった。

西部先生がいない世界は、なんと味気ないのだろうか。


黒鉄ヒロシさんが、ウィットに富んだスピーチで会場を湧かせたのが、いかにも西部先生の会にふさわしかった。
posted by 城戸朱理 at 10:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「瓜南直子展ー面影しのぶー」@森田画廊

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4月24日(火)は、夕方からは半蔵門で「西部邁先生を偲ぶ会」があったので、その前に銀座に寄って、「瓜南直子展ー面影しのぶー」を見ることにした。

新橋から銀座に歩いたのだが、銀座通りは、中国からの観光客で混雑し、直進できないほど。

銀座松屋は、全面がルイヴィトンのモノグラムで覆われ、バンビことパンクな彼女は喜んで記念撮影。


森田画廊を訪れるのはひさしぶりだが、そこには、いずれも見覚えがある、瓜南さんの懐かしい作品が並んでいた。


瓜南さんが逝って7年。

その作品は平塚美術館、足利美術館など、美術館に収蔵されるとともに、三回忌には画集『兎神国物語』、遺稿文集『絵画を生きて〜月の消息』も刊行された。

瓜南さんは独学で日本画を描いたが、柔らかな日本的原型に回帰する独自の世界は、画家亡きあとも、たしかに息づいている。


ギャラリーを歩きながら、画集と遺稿集を編集したメンバーで集い、瓜南さんを偲びたいものだと思った。
posted by 城戸朱理 at 10:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

城戸朱理「島崎藤村を語る」

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鎌倉に戻って、4月20日は、フェリス女学院大学で講義。

外出続きで、いささか疲れたが、21日は14時から鎌倉ペンクラブ主催のペンサロンで講演をした。

題して「島崎藤村を語る」。


昨年の11月に、やはり鎌倉ペンクラブの秋の連続講座で、島崎藤村について語ったのだが、『新生』で時間切れとなり、『夜明け前』の前で終わってしまったので、今回は『夜明け前』について語るのが主眼となる。


バンビことパンクな彼女と風凛で昼食を取って、会場の早見芸術学院入りしたのだが、会場には歌人の尾崎左永子先生、さらに作家、藤沢周氏、文芸評論家の八木寧子さんの姿も。

贅沢な客席である(?)。


今回は藤村の詩から小説へ、ロマン主義から自然主義へという軌跡の意味を私なりに語ってから、『夜明け前』について語った。

藤村は北村透谷から影響を受けたが、藤沢さんは透谷に詳しいので、難しいところは、藤沢さんに振って語ってもらう。

無茶振りだが、客席のみなさんには喜んでもらえたのではないだろうか。

藤沢さん、ありがとう。



打ち上げは、風凛で。

なにせ明るいうちから飲めて、大人数が入れる店というと、鎌倉では風凛を始めとして数軒しかない。

尾崎左永子先生、藤沢さん、倉和夫さん、石川洋一さんらとビールで乾杯する。

歌壇のとある新聞の酒豪番付で横綱となった尾崎先生は、いきなり日本酒。

さすがである。


風凛のあとは、クルベル・キャンに席を移し、締切のため、いったん抜けた藤沢さんも合流。

「愛こそすべて」の石川さんが、ひとり暴走し、夜は更けていった。
posted by 城戸朱理 at 11:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

半蔵門ミュージアム内覧会



4月18日は、昼食のあと、バンビことパンクな彼女と半蔵門に向かった。

半蔵門ミュージアムの来賓内覧会に招待していただいたからである。


半蔵門ミュージアムは、運慶研究の第一人者、水野敬三郎芸大名誉教授を館長に迎え、宗教法人・真如苑が創設した美術館で、運慶作大日如来(重要文化財)を始めとする美術品を無料で一般公開するミュージアム。


宗教法人が開設した美術館というと、熱海のMOA美術館、信楽のMIHOミュージアムが名高いが、半蔵門ミュージアムは、仏教美術に特化した美術館だった。


見事なガンダーラ仏の展示を見ながら歩いていくと、奥のスペースに運慶作の大日如来座像が展示され、鑑賞できるようになっている。

この大日如来像は運慶の作像のなかでも傑作だと思うが、その左には醍醐寺金剛王院旧蔵の両界曼陀羅(江戸時代)、右には醍醐寺普門院旧本尊の不動明王座像(平安〜鎌倉時代)が展示され、密教的な仏の世界が顕現したかのようだった。


仏教における尊格は、如来・菩薩・明王・天部の諸神の四つになるが、このうち明王は、真言宗・天台宗といった密教に固有の尊格であり、不動明王は、度しがたい衆生を教導するために、憤怒の表情で現れた大日如来の化身とされる。



真如苑を開いた伊藤真乗氏は、京都の真言宗醍醐派総本山、醍醐寺で修行して真言密教を修めたのちに、在家の教団を作った方だから、祖山とのご縁があって醍醐寺の旧蔵品が贈られたのだろう。


照明を始めとして、ミュージアムの雰囲気は寺院と通低するものがあり、信仰と無縁の私でも荘厳の気に満たされる思いがした。



この日は午前中がメディア向けの内覧会で、50人を超える記者の方が見えられたそうだが、午後からが、教団外の来賓のための内覧会とレセプション。


展示を拝見したあとレセプションに参加させてもらった。

まずは真如苑の西川勢二さんがミュージアム開設までの経緯を語られたのだが、西川さんはテレコムスタッフの寺島高幸社長と東大で同期だったそうだ。

水野敬三郎館長が挨拶に立たれ、さらに美術史家の山本勉清泉女子大学教授が運慶作大日如来座像発見の経緯を語られ、国文学研究資料館のロバート・キャンベル館長が挨拶。

会場には彫刻家で芸大教授の藪内佐斗司さんの姿もあったが、ミュージアム建設に関わられたゼネコンや大手印刷会社の重役の方が多かったようだ。

私なぞ場違いもいいところだが、乾杯のスピーチを仰せつかったので、大変である。


来賓のみなさんは、無料とは凄いと口を揃えていたが、私も、やはりそう口走ってしまった。
posted by 城戸朱理 at 20:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月20日

打ち合わせのためのホテル泊まり



芝不器男俳句新人賞公開選考会と打ち上げのあと、翌日からの打ち合わせのため、ホテルに4泊することになった。

中央線に乗っていたら、バンビことパンクな彼女が、エズラ・パウンドの研究者で東京女子大学准教授のアンドルー・エリック・ハウゥエン先生が吊革につかまっているのを見つけた。

声をかけたところ、グラディス夫人と一緒だったのでご挨拶する。

先日の学会での私の基調講演が好評だったとアンドルー先生。



「だから、来年の学会にも、また城戸さんをお呼びしようと考えているんです」



それは嬉しい話だが、それまでに、私も懸案の仕事を進めておかなければ。


立川駅でハウウェン夫妻と別れ、ワシントンホテルにチェックインした。

吉増剛造さんから打ち合わせの日程の件でホテルにファックスが入っていたのを受け取って、部屋で、しばし、くつろぐ。


15日は10時から、12時半まで、打ち合わせが続いた。

アメリカで刊行する翻訳の件と、CS放送の今年度のコンテンツについてである。

今年は、まだ番組企画がはっきりと決まっていないため、私が再度、企画書を作ることになった。


金曜日に大学の授業、土曜日に俳句の公開選考会、そして翻訳と番組の打ち合わせと、違う案件に対応し続けたため、ホテルで小憩したものの、夕食時には放心状態になっていた。


翌日は、『現代詩文庫 和合亮一詩集』解説のゲラを校正して編集部に戻し、夜は打ち合わせがてら夕食。


18日は、中央公論新社の横手拓治編集長とホテルのロビーで待ち合わせて、昼食を取りつつ打ち合わせ。


打ち合わせが続く。
posted by 城戸朱理 at 16:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

第5回芝不器男俳句新人賞公開選考会

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第5回芝不器男俳句新人賞公開選考会は、図書館やカフェが入った荒川区のゆいの森あらかわで開催された。


第4回まで選考にあたられた大石悦子、坪内稔典両委員が辞任されたので、かわりに現代俳句協会会長の中村和弘さん、参与として芝不器男俳句新人賞の運営に尽力されてきた西村我尼吾さんが新たに選考委員として参加する公開選考会である。


これまでの選考会は、坪内稔典さんと齋藤愼爾さんのバトルが名物だったが、はたして、どうなるのか。

また、第一回の城戸朱理奨励賞を受賞した関悦史さんがシニアフェローとして、第二回の対馬康子奨励賞を受賞した佐藤文香さんがフェローとして参加、関さんは予選通過作のみならず、全応募作品から関悦史特別賞を選ぶことに。


実行委員会会長の川田誠一さんの開会挨拶、筑紫磐井さんのコーディネーターで選考会は始まった。

今回は選考委員の票が割れており、難航が予想されたが、いつものことである。


芝不器男俳句新人賞は、応募者の氏名・年齢・性別すべてを伏せて、作品のみで選考が進められるため、選考委員はとんでもない労力を要求されるが、それに見合う力作揃い。

今回、私が予選通過作として選んだのは、1、2、20、21、23、26、38、51、56、78の10人。

このうち、1は西村委員、23は対馬委員、38は齋藤委員、51は中村委員の票が入っていたが、それ以外は私ひとりの推薦となった。

予定の75分をはるかに超過して、各選考委員が自分が推す作品の推薦理由を語り、休息を挟んで、最終討議に入る。

予選通過作のうち、中村・対馬・西村委員と唯一、3人の票が入っていた58番が圧倒的で、受賞は動かないと思われたので、あえて異を唱えてみたが、順当に58番の芝不器男俳句新人賞の受賞となった。

また、応募作、百句のうち全98句に「教祖」という言葉を織り込んだ44も話題になった。



受賞者は下記の通り。




芝不器男俳句新人賞・生駒大祐

城戸朱理奨励賞・表健太郎

齋藤愼爾奨励賞・菅原慎矢

対馬康子奨励賞・堀下翔

中村和弘奨励賞・松本てふこ

西村我尼吾奨励賞・佐々木貴子

関悦史特別賞・田中惣一郎



なんと私の奨励賞は前回と同じく表健太郎さんに。


受賞者には、賞状・賞金とともに、世界的なガラス作家、ノグチミエコさんによる美しいガラスのオブジェがトロフィーとして授与される。


授賞式は、6月16日。



公開選考会のあとは町屋のイタリアン「ラディーチェ」で打ち上げ。

若い俳人たちが集い、盛況だった。
posted by 城戸朱理 at 09:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

外出続きの日々



4月12日はフェリス女学院大学の島村輝教授と久しぶりにクルベル・キャンで飲んだ。

国文学会のあれこれから大学の現状まで、さまざまなことを話し合ったのだが、あちこちに綻びが生じ、崩壊に向かっているようにしか思えない日本の現状が、かなしい。



13日はフェリス女学院大学、今年最初の授業。

昨年に引き続き、受講する学生が何人もいたが、初回だけにオリエンテーションなので、全員に自己紹介してもらった。


それにしても、この一年の女性のファッション
のトレンドの変化は目覚ましいものがある。


「アンナチュラル」の石原さとみを思い出してもらえば分かるが、コートもスカートも丈が長くなり、ボリューミーな服が主流になった。



そして、14日はいよいよ芝不器男俳句新人賞公開選考会である。

この日は女子美術大学大学院のオリエンテーションだったのだが、休講にしてもらい、会場の荒川区のゆいの森あらかわに向かった。

公開選考会については別にアップしたい。


公開選考会が終わってから、打ち合わせのため、東京のホテルに四泊することになる。
posted by 城戸朱理 at 08:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月14日

京都から帰る

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4月8日は、トランクに荷物をパッキングして宅急便で送り出し、11時に糸屋ホテルをチェックアウトした。

バンビことパンクな彼女も体調不良のまま、なんとかパッキングを終えたのだが、まっすぐ京都駅に向かおうとしたら、せっかく京都に来たのだから、散歩をしたいと言うので、寺町に出かけることにした。


まずは寺町から少し入ったアンティーク・ベルへ。

普段使いする小皿などを購入したのだが、これは別に紹介したい。


錦市場は、あまりの混雑に断念。


四条通りの手前で、気づいたらバンビがいなくなった。

振り返ったら、大書堂の前に立ち止まって、ショウウィンドウを熱心に覗き込んでいるではないか。

何かと思ったら、与謝蕪村による「奥の細道」を見ていたのだった。



「あまりにも上手だから、見ていたんだけど、蕪村だったんだよ!」



こんなものが店頭にあるとは。

お値段は、「人物画」と合わせて二巻で、三千八百万円。

池大雅の画帖もあったが、こんなものがあるのは、さすが京都である。


そう言えば、川端康成が国宝の浦上玉堂「凍雲篩雪図」を買ったのも、京都だったっけ。


驚きを抱えて帰途に就き、新幹線で、バンビはひたすら眠り、私は本を読んでいた。
posted by 城戸朱理 at 09:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月12日

桜と歌人

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水原紫苑さんが、岡崎の真澄寺別院・流響院を舞台に、春の京都で桜を見て即詠する四部作の最後の撮影は、4月6日になった。

水原さんは、縞結城に戌年にちなんで龍村美術織物の「サン・シャペルの犬」の帯で、春らしい華やぎがある装いである。


撮影は、午前中が池泉回遊式庭園で、昼食をはさみ、午後は数寄屋作りの母屋で進んだのだが、水原さんは次々と短歌をノートに書きつけていく。

水原さんを待っていたかのように、白妙桜が咲いていた。


結局、この二日間で水原さんが書き上げたのは25首。

番組でも紹介するが、いずれ、どこかの雑誌で読むことができるだろう。
posted by 城戸朱理 at 09:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

広沢の池で

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佐野藤右衛門邸をあとにして、次は広沢池へ。

日本三沢のひとつに数えられる広沢池は、古くから観月の池として知られ、西行法師は「やどしもつ月の光の大沢はいかにいつとも広沢の池」と詠んだ。

松尾芭蕉が「名月や池をめぐりて夜もすがら」と詠んだのも、広沢池である。


ちょうど日が傾き、ここでは水原紫苑さんが池のほとりにたたずむ幻想的なシーンを撮影することができた。
posted by 城戸朱理 at 16:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする